ノービス王国暦139年豊潤の月六日 忘れられた村 護民の塔 ダークエルフ族長の部屋
「良き隣人として、対等のパートナーとして、か」
薄暗い部屋の中で、シルフィーヌは呟いた。
壁にかけられた風景画を見る。
かつて存在したダークエルフの国がそこにあった。
人間とドワーフとダークエルフが暮らした理想郷。
確かにエルフと折り合いは悪かったが、それぞれの種族の特長を生かしたその国は、小さいながらも全ての面で一流だった。
ダークエルフが精霊の声を聞き、ドワーフが鉱物を見つけ出した。
人間は、それらをうまく使って畑を作り、商品を作り出し、そして国を富ませた。
もう失われた、過去の風景がそこにあった。
「絶望の一年で失われた全てを、取り戻せるとでもいうのか?」
疲れ切ったあの男を思い出す。
サトーニイ。
変わった名前である。
語尾や作法から見ると、良い育ちではないだろう。
しかし、そこから見えてくる人となりは、決して悪人には思えなかった。
人族にしては精霊に好かれているという事実もそれを肯定する。
「ニホンコク」
呟いた名前は、やはり記憶にない。
黒い髪に黒い瞳、やや黄色い肌。
恐らくは人族なのだろうが、聞いた事がない国だ。
しかし、彼らの持つ武器は強力だ。
持っている道具は凄まじい能力を持っている。
そして、恐らくは名門のではないであろうサトーニイが指揮官になれるという、ある程度は平等である社会。
そのような国と同盟を結べれば、ダークエルフもドワーフも、豊かな暮らしが出来るようになる。
「しかし、彼らが連合王国と結べば、あのサトーニイも」
そう、恐らくサトーニイは、いつもどおりの疲れた様子で皆殺しを命じるだろう。
また絶望を味わうのは絶対に嫌だ。
死ぬのもやはり嫌だ。
彼らを信じるべきなのだろうか?
あの夜。
滅亡を確信したあの時、彼らは我々を助けてくれた。
そこにいるのが何者かは知らなかっただろうが、少なくとも助けてくれた。
その後、彼らは食事をくれた。水をくれた。治療をしてくれた。
一緒に暮らそうと言い、護衛を与えてくれた。
彼らを信じてみてもいいのではないか?
確かに裏切られるのは恐ろしい。次は逃げる間もなく滅ぼされるだろう。
だが、彼らを信じてみてもいいのではないのか?
疲れているが悪人ではなさそうなサトーニイ、そして、ニホンコク。
彼らの与えてくれる未来を、信じてもいいのではないか?
「母上?」
不意に娘の声がした。
かなり考え込んでいたらしい。
顔を上げると、いつの間にか部屋に入っていたらしい愛娘が、不安そうな表情でこちらを見ている。
「どうしたの?」
「いえ、部屋に戻ったら、母上がいつになく深刻そうな表情をしていたので・・・
まさか!あのサトーニイが何か無礼を!?」
「してないわよ」
いきり立って剣を抜こうとする愛娘を、苦笑しつつ押し留める。
「何もないわよ。というかあなた、部屋の中で剣を振り回すのは戦う時だけになさい。
装飾物だってただじゃないのよ?」
「し、しかし母上。ならば何故、そんなに深刻そうな顔を?」
「彼らとの同盟についてね」
シルフィーヌの答えを聞いた愛娘は、不思議そうな表情を浮かべた。
「同盟って、母上はもう書類にサインをしたのでしょう?
何か不備でもあったのですか?」
愛すべき娘の言葉に、シルフィーヌは絶句した。
一瞬言葉を失い、そして次の瞬間、彼女は久方ぶりに大声で笑い始めた。
「あっはははは!そうよね!そうだったわよね!!」
「は、ははうえ?」
突然爆笑を始めた母親に、恐る恐る彼女は尋ねた。
だが、ダークエルフ族長は、愉快そうに笑うのを止めない。
そうだった。そうだったのだ。
信じるも何も、自分たちはもう、条約に調印したではないか。
あとはもう、なるようにしかならない。
ならば、出来るだけ彼らを利用して、そして良き隣人でいるための努力を惜しまない他はないのだ。
そう、ニホンコクは既に隣人となっているのだ。
あとは、彼らを手放さないように、裏切られないように気をつけるしかないのだ。
西暦2020年1月16日 22:10 日本本土 防衛省 救国防衛会議
政治家が全て消えるという異常事態に、官僚たちは何も出来なかった。
確かに国を動かしてきたのは、各省庁の官僚だった。
しかし、制度上のトップである大臣と国会議員、そして総理大臣が消えるという異常事態は、彼らの対処能力を超えていたのだ。
そしてそれが、現在の状況を生んでいる。
国土を取り巻く状況と、国内の把握に努めていた統合幕僚監部は、日本国民の生存と財産を保全するために、救国防衛会議を発足させたのだ。
いわゆる軍事政権という物である。
とはいえ、民族浄化をするわけでもなく、財産の収奪を行ったわけでもない。
ただひたすら、日本国内の状態を破滅させないために動き続けていた。
なにしろ、立場に胡坐をかいて贅沢をしようにも、日本国の置かれた立場はそれどころではなかったからである。
国民あっての国家、国家あっての軍隊。
それを理解している自衛隊首脳部にとって、独裁政権下で短い贅沢を楽しむなどという絵に描いたような悪党の生活は、頼まれてもごめんだった。
「経済状態は、統制下にあるにしては上出来といえます。
しかしながら、海外からの原料の調達が来年度もなかった場合、早くて今年の12月、遅くても2021年の3月には全てが崩壊するでしょう」
「食料も同様です。JAには日々恐喝に近い形で要求を出し続けています。
ですが、収穫は量に関わらず今年の秋ですし、増産はいくら努力を重ねても再来年までは必要量に達しないそうです」
貿易立国の日本にとって、海外からの資源・食料の流入ストップは壊滅的な打撃だった。
製造に関しては、海外の輸出先が消滅した事により年内は在庫でなんとかなるという報告が出ている。
しかし、食料に関しては、我慢すれば死ぬだけであり、腹は満たせても、必要な栄養分を確保できなければやはり死んでしまう。
JAは折衝担当の度重なる入院にも負けず、やはり再来年まではどうしようもないの一点張りを続けていた。
「原因は、自衛隊の活動にあると私は考えています」
突然、若い文部科学省のキャリアが立ち上がり、一同を見回しつつ勝手に話を始めた。
「いわゆる新大陸基地は、まるで日本を見捨てて逃げ出そうとしているかのように物資をかき集めています。
聞けば、外務省の一部勢力と組んで、現地勢力との密接な関係を構築しようとしているとか。
統幕長、これについてはご存知でしたか?」
一同の視線が統幕長に注がれる。
だが、彼は苦笑しつつそれに答えた。
「ご存知でしたよ?
自衛隊と名前を変えても軍隊、つまりはお役所ですから、報告書の類は来ておりますとも」
「ならば!彼らがあそこで何をしているかも知ってるんですね!?」
大声で怒鳴るキャリアに対して、統幕長はあくまでも苦笑を浮かべつつそれに答える。
「ええ、彼らは第一基地で、現地勢力と密接な関係を保ちつつ資源情報の収集に当たっています。
より正確には、自衛隊は護衛と建設作業を、外務省と通産省の合同調査団が現地勢力との折衝と情報の収集に当たっています」
「そこには企業より派遣された文民の一団も参加しているとか。
もちろん、大企業のね」
「ええ、間違いありませんが、何か?」
「なにかじゃないでしょう!!」
突然キャリアは怒鳴り、机を叩いた。
「大企業、政府の一部のもの、そして軍隊。
あなたがたは、戦前の満州国をもう一度作るつもりなんですか!!」
「そうですが、何か?」
あっさりと返してきた統幕長に、キャリアは思わず言葉が返せなかった。
「我々が生き残るためには、資源を搾取すべき相手が必要なんですよ。
資源探査、国交樹立、通商交渉、機材準備、輸送、組み立て、稼動、回収、そして本土への輸送とその製品化。
大雑把に言ってもこれだけの手間隙がありますが、それを正規の手順で行っていられるほど、我々には余裕がないのです」
「余裕がないの一言で周辺諸国に迷惑を」「黙ってくれないかな、君」
今にも飛び掛りそうな様子のキャリアに、冷静な一言を浴びせた男がいた。
会議室の扉を開けつつ集まった視線に会釈をしたのは、この場での外務省の代表である鈴木である。
「いやはや、自衛隊のヘリは足が速いですな。
到着が遅れてしまい申し訳ありません統幕長」
「いやなに、鈴木さんにはあちこちに飛んでいただいてますから。
報告は受けていますが、改めて皆さんにお伝えしては?」
「そうですね。その前に」
突然笑顔を消し、鈴木は文部科学省の代表を睨んだ。
「君のように現実を直視できない人間を見たのは久しぶりですよ。
文部科学省に入る前にはどこに?
今どき、高等教育を受けていない人間だって君よりはよほど優秀だ。
どこにいたんですか?」
限りなく失礼な言葉を浴びせられた文部科学省の若いキャリアは、顔面をどす黒くして沈黙した。
「いいですか?君にもわかるように説明してあげるから、その口を閉じているように。
我々は、最短で11ヶ月、最長でも15ヶ月程度の時間しかありません。
タイムオーバーになれば、日本国は滅亡します。
電力の供給が止まり、物流が崩壊し、国内は餓死者で埋まります。
北朝鮮よりも惨めな国家になるでしょう。
君のその貧相な発想力でも思い浮かぶでしょう?
負傷者を、病人を、年長者を見捨て、災害用備蓄食料に群がる人々に対して、それを押さえている連中が武器を持って立ち向かう様子が。
そこには自衛隊も警察もありません、追い詰められた人間がいるだけです。
そして、食料を握っている連中だって、最終的には農家の人間に頭を下げるか、彼らを武器で奴隷とするしかありません。
急激な破壊が起きた場合、19世紀程度まで文明は衰退するでしょう。
いや、国内からの資源の供給がない以上、それよりも酷いかもしれない。
そうならないために、統幕長閣下も私もあなた以外の人々も、対策を講じているのです。
わかったかな?うん、それならば、出来るだけ早くこの部屋から出て行きなさい。
来週からは、君以外の人間をよこすように次官には話しておくから。
ああ、書類は置いていくように。“部外秘”の内容だからね。
じゃあ、ばいばい」
あんまりな扱いを受けた若いキャリアは、怒りと屈辱のあまり痙攣したように全身を震わせていた。
しかし、統幕長の目配せで屈強な警務隊員たちが彼を取り囲むと、今度は恐怖に目を見開きつつ震え始めた。
「建物の外まで送ります。立ちなさい」
無表情のまま警務隊員が言うと、彼は無言で立ち上がった。
そのまま両腕を捕まれ、部屋の外へと連行されようとする。
ドアが近づくと恐怖感が限界になったらしく、突然立ち止まって喚き始める。
「い、いやだ、死にたくない!死にたくない!どこへ連れて行くんだ!やめてくれ!」
「お静かに」
口を押さえられ、半分担がれるように部屋の外へと連れ出される。
扉が閉められ、室内は静かになった。
「建物の外へ追い出すだけなのに、大げさな人ですね」
「まったくですな、さて、話を戻しましょうか」
「いやはや、今の時代になってもああいう人っているんですね。
前時代的というかなんというか・・・ああ、失礼しました」
どうも無駄話が多いのが私の欠点でして、と苦笑しつつ、鈴木は鞄から一枚の航空写真を取り出した。
「現地では毒の沼地、死の湖などと呼ばれている地域の写真です。どうぞ」
一同に書類を配る。
一枚目には航空写真が、二枚目には、防護服に身を包んだ人々が、実験装置を液体に浸している写真だ。
周囲は土か砂、そして黒い水で埋め尽くされている。
「二枚目の写真は、現地へ派遣した調査隊がサンプルを回収しているところです。
一年中瘴気が吹き出し、水を飲んだ者は死に、水草一本生えないという恐ろしい場所に、彼らは行ってきてくれました。
調査の結果、現代科学がこの恐ろしい地域の正体を明かしてくれました。
三枚目をどうぞ」
一同は言われるままに書類をめくる。
よくわからない化学式やフラスコに収められた液体の写真、長ったらしい報告文章が現れる。
「この地域では地中から液状化した原油と天然ガスが噴出しています。
その埋蔵量は今後の調査を待つとして、みなさん、我が国は少なくともエネルギー資源では救われました」
一瞬、会議室は沈黙に包まれた。
だが、次の瞬間には誰かが拍手をした。
数名がそれに続き、やがて会議室の中は拍手と歓声、万歳で埋め尽くされた。
「良き隣人として、対等のパートナーとして、か」
薄暗い部屋の中で、シルフィーヌは呟いた。
壁にかけられた風景画を見る。
かつて存在したダークエルフの国がそこにあった。
人間とドワーフとダークエルフが暮らした理想郷。
確かにエルフと折り合いは悪かったが、それぞれの種族の特長を生かしたその国は、小さいながらも全ての面で一流だった。
ダークエルフが精霊の声を聞き、ドワーフが鉱物を見つけ出した。
人間は、それらをうまく使って畑を作り、商品を作り出し、そして国を富ませた。
もう失われた、過去の風景がそこにあった。
「絶望の一年で失われた全てを、取り戻せるとでもいうのか?」
疲れ切ったあの男を思い出す。
サトーニイ。
変わった名前である。
語尾や作法から見ると、良い育ちではないだろう。
しかし、そこから見えてくる人となりは、決して悪人には思えなかった。
人族にしては精霊に好かれているという事実もそれを肯定する。
「ニホンコク」
呟いた名前は、やはり記憶にない。
黒い髪に黒い瞳、やや黄色い肌。
恐らくは人族なのだろうが、聞いた事がない国だ。
しかし、彼らの持つ武器は強力だ。
持っている道具は凄まじい能力を持っている。
そして、恐らくは名門のではないであろうサトーニイが指揮官になれるという、ある程度は平等である社会。
そのような国と同盟を結べれば、ダークエルフもドワーフも、豊かな暮らしが出来るようになる。
「しかし、彼らが連合王国と結べば、あのサトーニイも」
そう、恐らくサトーニイは、いつもどおりの疲れた様子で皆殺しを命じるだろう。
また絶望を味わうのは絶対に嫌だ。
死ぬのもやはり嫌だ。
彼らを信じるべきなのだろうか?
あの夜。
滅亡を確信したあの時、彼らは我々を助けてくれた。
そこにいるのが何者かは知らなかっただろうが、少なくとも助けてくれた。
その後、彼らは食事をくれた。水をくれた。治療をしてくれた。
一緒に暮らそうと言い、護衛を与えてくれた。
彼らを信じてみてもいいのではないか?
確かに裏切られるのは恐ろしい。次は逃げる間もなく滅ぼされるだろう。
だが、彼らを信じてみてもいいのではないのか?
疲れているが悪人ではなさそうなサトーニイ、そして、ニホンコク。
彼らの与えてくれる未来を、信じてもいいのではないか?
「母上?」
不意に娘の声がした。
かなり考え込んでいたらしい。
顔を上げると、いつの間にか部屋に入っていたらしい愛娘が、不安そうな表情でこちらを見ている。
「どうしたの?」
「いえ、部屋に戻ったら、母上がいつになく深刻そうな表情をしていたので・・・
まさか!あのサトーニイが何か無礼を!?」
「してないわよ」
いきり立って剣を抜こうとする愛娘を、苦笑しつつ押し留める。
「何もないわよ。というかあなた、部屋の中で剣を振り回すのは戦う時だけになさい。
装飾物だってただじゃないのよ?」
「し、しかし母上。ならば何故、そんなに深刻そうな顔を?」
「彼らとの同盟についてね」
シルフィーヌの答えを聞いた愛娘は、不思議そうな表情を浮かべた。
「同盟って、母上はもう書類にサインをしたのでしょう?
何か不備でもあったのですか?」
愛すべき娘の言葉に、シルフィーヌは絶句した。
一瞬言葉を失い、そして次の瞬間、彼女は久方ぶりに大声で笑い始めた。
「あっはははは!そうよね!そうだったわよね!!」
「は、ははうえ?」
突然爆笑を始めた母親に、恐る恐る彼女は尋ねた。
だが、ダークエルフ族長は、愉快そうに笑うのを止めない。
そうだった。そうだったのだ。
信じるも何も、自分たちはもう、条約に調印したではないか。
あとはもう、なるようにしかならない。
ならば、出来るだけ彼らを利用して、そして良き隣人でいるための努力を惜しまない他はないのだ。
そう、ニホンコクは既に隣人となっているのだ。
あとは、彼らを手放さないように、裏切られないように気をつけるしかないのだ。
西暦2020年1月16日 22:10 日本本土 防衛省 救国防衛会議
政治家が全て消えるという異常事態に、官僚たちは何も出来なかった。
確かに国を動かしてきたのは、各省庁の官僚だった。
しかし、制度上のトップである大臣と国会議員、そして総理大臣が消えるという異常事態は、彼らの対処能力を超えていたのだ。
そしてそれが、現在の状況を生んでいる。
国土を取り巻く状況と、国内の把握に努めていた統合幕僚監部は、日本国民の生存と財産を保全するために、救国防衛会議を発足させたのだ。
いわゆる軍事政権という物である。
とはいえ、民族浄化をするわけでもなく、財産の収奪を行ったわけでもない。
ただひたすら、日本国内の状態を破滅させないために動き続けていた。
なにしろ、立場に胡坐をかいて贅沢をしようにも、日本国の置かれた立場はそれどころではなかったからである。
国民あっての国家、国家あっての軍隊。
それを理解している自衛隊首脳部にとって、独裁政権下で短い贅沢を楽しむなどという絵に描いたような悪党の生活は、頼まれてもごめんだった。
「経済状態は、統制下にあるにしては上出来といえます。
しかしながら、海外からの原料の調達が来年度もなかった場合、早くて今年の12月、遅くても2021年の3月には全てが崩壊するでしょう」
「食料も同様です。JAには日々恐喝に近い形で要求を出し続けています。
ですが、収穫は量に関わらず今年の秋ですし、増産はいくら努力を重ねても再来年までは必要量に達しないそうです」
貿易立国の日本にとって、海外からの資源・食料の流入ストップは壊滅的な打撃だった。
製造に関しては、海外の輸出先が消滅した事により年内は在庫でなんとかなるという報告が出ている。
しかし、食料に関しては、我慢すれば死ぬだけであり、腹は満たせても、必要な栄養分を確保できなければやはり死んでしまう。
JAは折衝担当の度重なる入院にも負けず、やはり再来年まではどうしようもないの一点張りを続けていた。
「原因は、自衛隊の活動にあると私は考えています」
突然、若い文部科学省のキャリアが立ち上がり、一同を見回しつつ勝手に話を始めた。
「いわゆる新大陸基地は、まるで日本を見捨てて逃げ出そうとしているかのように物資をかき集めています。
聞けば、外務省の一部勢力と組んで、現地勢力との密接な関係を構築しようとしているとか。
統幕長、これについてはご存知でしたか?」
一同の視線が統幕長に注がれる。
だが、彼は苦笑しつつそれに答えた。
「ご存知でしたよ?
自衛隊と名前を変えても軍隊、つまりはお役所ですから、報告書の類は来ておりますとも」
「ならば!彼らがあそこで何をしているかも知ってるんですね!?」
大声で怒鳴るキャリアに対して、統幕長はあくまでも苦笑を浮かべつつそれに答える。
「ええ、彼らは第一基地で、現地勢力と密接な関係を保ちつつ資源情報の収集に当たっています。
より正確には、自衛隊は護衛と建設作業を、外務省と通産省の合同調査団が現地勢力との折衝と情報の収集に当たっています」
「そこには企業より派遣された文民の一団も参加しているとか。
もちろん、大企業のね」
「ええ、間違いありませんが、何か?」
「なにかじゃないでしょう!!」
突然キャリアは怒鳴り、机を叩いた。
「大企業、政府の一部のもの、そして軍隊。
あなたがたは、戦前の満州国をもう一度作るつもりなんですか!!」
「そうですが、何か?」
あっさりと返してきた統幕長に、キャリアは思わず言葉が返せなかった。
「我々が生き残るためには、資源を搾取すべき相手が必要なんですよ。
資源探査、国交樹立、通商交渉、機材準備、輸送、組み立て、稼動、回収、そして本土への輸送とその製品化。
大雑把に言ってもこれだけの手間隙がありますが、それを正規の手順で行っていられるほど、我々には余裕がないのです」
「余裕がないの一言で周辺諸国に迷惑を」「黙ってくれないかな、君」
今にも飛び掛りそうな様子のキャリアに、冷静な一言を浴びせた男がいた。
会議室の扉を開けつつ集まった視線に会釈をしたのは、この場での外務省の代表である鈴木である。
「いやはや、自衛隊のヘリは足が速いですな。
到着が遅れてしまい申し訳ありません統幕長」
「いやなに、鈴木さんにはあちこちに飛んでいただいてますから。
報告は受けていますが、改めて皆さんにお伝えしては?」
「そうですね。その前に」
突然笑顔を消し、鈴木は文部科学省の代表を睨んだ。
「君のように現実を直視できない人間を見たのは久しぶりですよ。
文部科学省に入る前にはどこに?
今どき、高等教育を受けていない人間だって君よりはよほど優秀だ。
どこにいたんですか?」
限りなく失礼な言葉を浴びせられた文部科学省の若いキャリアは、顔面をどす黒くして沈黙した。
「いいですか?君にもわかるように説明してあげるから、その口を閉じているように。
我々は、最短で11ヶ月、最長でも15ヶ月程度の時間しかありません。
タイムオーバーになれば、日本国は滅亡します。
電力の供給が止まり、物流が崩壊し、国内は餓死者で埋まります。
北朝鮮よりも惨めな国家になるでしょう。
君のその貧相な発想力でも思い浮かぶでしょう?
負傷者を、病人を、年長者を見捨て、災害用備蓄食料に群がる人々に対して、それを押さえている連中が武器を持って立ち向かう様子が。
そこには自衛隊も警察もありません、追い詰められた人間がいるだけです。
そして、食料を握っている連中だって、最終的には農家の人間に頭を下げるか、彼らを武器で奴隷とするしかありません。
急激な破壊が起きた場合、19世紀程度まで文明は衰退するでしょう。
いや、国内からの資源の供給がない以上、それよりも酷いかもしれない。
そうならないために、統幕長閣下も私もあなた以外の人々も、対策を講じているのです。
わかったかな?うん、それならば、出来るだけ早くこの部屋から出て行きなさい。
来週からは、君以外の人間をよこすように次官には話しておくから。
ああ、書類は置いていくように。“部外秘”の内容だからね。
じゃあ、ばいばい」
あんまりな扱いを受けた若いキャリアは、怒りと屈辱のあまり痙攣したように全身を震わせていた。
しかし、統幕長の目配せで屈強な警務隊員たちが彼を取り囲むと、今度は恐怖に目を見開きつつ震え始めた。
「建物の外まで送ります。立ちなさい」
無表情のまま警務隊員が言うと、彼は無言で立ち上がった。
そのまま両腕を捕まれ、部屋の外へと連行されようとする。
ドアが近づくと恐怖感が限界になったらしく、突然立ち止まって喚き始める。
「い、いやだ、死にたくない!死にたくない!どこへ連れて行くんだ!やめてくれ!」
「お静かに」
口を押さえられ、半分担がれるように部屋の外へと連れ出される。
扉が閉められ、室内は静かになった。
「建物の外へ追い出すだけなのに、大げさな人ですね」
「まったくですな、さて、話を戻しましょうか」
「いやはや、今の時代になってもああいう人っているんですね。
前時代的というかなんというか・・・ああ、失礼しました」
どうも無駄話が多いのが私の欠点でして、と苦笑しつつ、鈴木は鞄から一枚の航空写真を取り出した。
「現地では毒の沼地、死の湖などと呼ばれている地域の写真です。どうぞ」
一同に書類を配る。
一枚目には航空写真が、二枚目には、防護服に身を包んだ人々が、実験装置を液体に浸している写真だ。
周囲は土か砂、そして黒い水で埋め尽くされている。
「二枚目の写真は、現地へ派遣した調査隊がサンプルを回収しているところです。
一年中瘴気が吹き出し、水を飲んだ者は死に、水草一本生えないという恐ろしい場所に、彼らは行ってきてくれました。
調査の結果、現代科学がこの恐ろしい地域の正体を明かしてくれました。
三枚目をどうぞ」
一同は言われるままに書類をめくる。
よくわからない化学式やフラスコに収められた液体の写真、長ったらしい報告文章が現れる。
「この地域では地中から液状化した原油と天然ガスが噴出しています。
その埋蔵量は今後の調査を待つとして、みなさん、我が国は少なくともエネルギー資源では救われました」
一瞬、会議室は沈黙に包まれた。
だが、次の瞬間には誰かが拍手をした。
数名がそれに続き、やがて会議室の中は拍手と歓声、万歳で埋め尽くされた。