それから一ヶ月、時間は平穏に過ぎていった。
大陸各地に展開した日米合同部隊は、いくつかの掃討戦で第三氏族に対して多大な出血を強いた。
まだまだ本土には展開可能な部隊が残っている日本側に対して、もう後のない第三氏族は、次第にその影響力と同族を失いつつあった。
日本から露骨な脅迫を受けている第一氏族は、治安関係者の誰もが満足する成果を上げていた。
加えて、元連合王国の官僚団を統治下に置いた日本の方針が、第三氏族の希望を打ち砕いた。
共産ゲリラよろしく農村地帯に撤退した第三氏族を待っていたのは、年貢の大幅な削減のために希望に沸いた農民たちだった。
都市近郊ならばまだしも、遠く離れた田舎までコストとマンパワーを割いて回収に行く余裕は、日本にはなかったのだ。
集めても腐らせるだけの年貢は必要ない。
極めて健全な発想により、農民たちの生活環境は向上した。
年貢の削減に喜ぶ農民たちに、それでも旧体制の復活と現政権の打倒を説いた第三氏族たちは、次々と通報を受けた特殊部隊に殺害されていった。
治安の回復を受け、日本はさらに中隊単位での駐屯地を三つ追加した。
もはや、この大陸は日本の物だった。
橋を架け、道を作り、鉄道の建設まで始めた日本は、景気が次第に回復し始めていた。
他国との交易が消えた事は痛かったが、大規模な国土開発という内需が無制限に膨れだしたのだ。
建設会社はこぞって大陸に支社を立て、国から受注したインフラ構築を推し進めた。
西暦2020年7月11日、その時点で、日本は国家の維持に必要な鉱物資源の大半を、採取するか発見するかしていた。
もちろん、モンスターや険しい自然環境、大規模な盗賊団に変わった連合王国残党など、厄介な問題がないわけではない。
しかし、科学技術の発達は、それらの障害を押しつぶして大陸各地に日本の拠点を創りあげていった。
とはいえもちろん、一ヶ月やそこらでインフラが完成する訳がない。
特に、コストの面で無駄と判断される場所の開発は、遅れる遅れない以前に放置されている。
何しろ、日本国には科学技術はあっても、余裕がないのだ。
ここ、佐藤一等陸尉が治めるゴルシアの街もそうだった。
そこには周辺山系の恩恵で温泉があった。
街中は清潔に保たれ、新たな支配者に喜んで従う人々がいた。
食料も種類、量ともに生活には問題ないほど採れ、付近の湖からは淡水魚も手に入る。
木材資源もある程度手に入るし、山系のこちら側からならば鉱物資源すら手に入るかもしれない。
この街は、楽園だった。
だが、本土から見るとここは遠すぎた。
遠すぎる上に、山を日本側に一つ越えれば、そこには政府が全力を上げて開発している資源地帯があるのだ。
かくして、将来に備えて完璧な舗装道路が建設されたこと以外、この街は放置されていた。
西暦2020年7月14日 10:00 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「佐藤一尉」
「なんだ?」
「平和ですね」
「平和だな」
駐屯地が置かれている城のバルコニーから、佐藤と二曹は街を見ていた。
新たな支配者の住まう街。
そこは清潔で、安全で、食料も仕事もある。
人が集まるのは必然だった。
とはいえ、その清潔さを保つための行動はなされており、無秩序な人口増加はなかった。
何しろ、自衛隊の黙認を受けた教団関係者は、難民だろうが旅人だろうが関係なしに、不潔な人間に対して入浴するか退去するかを迫ったのだ。
必然的に、新たに住み着いた人々は、嫌でも清潔にせざるを得なかった。
まあ、綺麗な水も温泉も豊富にあるこの街では、その日の食事に困る者でも身奇麗でいられるのだから、これは無理な話ではない。
農民ですら、街に来る時には粗末であっても清潔な服を着ているのである。
平和で、豊かな生活。
それは、自衛隊員たちの精神を弛緩させるには十分だった。
だからこそ、本土から放置されているような生活であっても、彼らは荒まずに暮らせていた。
「きたぞー!定期便だ!」
監視塔から叫び声が聞こえる。
定期便とは、本土からの物資の補給の事である。
隊員たちは、その声に歓声で答えつつ、城から飛び出した。
見れば、大通りを軽装甲機動車に護衛された二台のトラックがやってくる姿が見える。
輸送隊は、そのまま鉄板その他で補強された橋を渡り、中庭へと進入する。
「お疲れさん」
いつの間にか先頭に立っていた佐藤が、笑顔で出迎える。
フケ一つない佐藤たちとは対照的に、埃まみれの三尉が車内から現れ、敬礼する。
「報告します!第41次輸送小隊、無事到着しましたっ!」
「確認した。目録を見せてくれ」
「はっ!こちらになりますっ!」
妙に元気の良い三尉は、素早く目録を取り出した。
ご苦労、と言いつつ目録を受け取った佐藤は、素早くその中身を確認した。
食料、水、医薬品、娯楽品、嗜好品、私物、被服、消耗品、各種電子機器や武装の保守パーツ、そして弾薬、弾薬、弾薬、弾薬、弾薬、弾薬。
「なんだこれは?」
「はっ!自分を始めとする第41輸送小隊は、このままゴルシア駐屯地に配属となります!
以後、よろしくお願いいたします!」
いつの間にやら整列していた、妙に平均年齢の低い小隊員たちは、元気良く敬礼した。
「定期便はわかる、弾薬もありがたい。
だが、どうして増援が来る?
しかも、車輌三台に一個小隊だ。あいつら、輸送部隊といいながら、全員が普通科だそうじゃないか」
「何か、大規模な作戦が予定されているのでしょうか?」
「あるいは、厄介払いか?」
中庭で黙々と訓練を続ける小隊を見つつ、佐藤は憂鬱そうに呟いた。
誰もが弛み、油断する中で、あの悲劇的な経験を持つ三尉とその部下たちだけは臨戦態勢にあった。
聞けば、全員がこの世界に来て同僚を失っているらしい。
それに加えて今度は新兵の集団。
訓練で最高成績を収めたために、今期の代表としてこの駐屯地に配属となったらしいが、どうにも嫌な感じがする。
この世界に来て以来戦闘を続けるベテラン。
復讐心を隠そうともしない戦争狂。
同期の代表の即席新兵。
そんな連中を集めて、上は何を期待している?
休暇のようなこの配置、生前贈与のように景気良く与えられた弾薬。
嫌だな、本土から遠く離れたここで、何かが起ころうとしている。
主人公は、また俺か。
佐藤は、暗い表情を浮かべた。
ここで時系列は遡る。
ところで諸君は、サラリーマンのサラリーとは何を意味する言葉か知っているだろうか?
サラリーマンの『サラリー』は、古代ローマ時代に兵士たちに与えられた塩を意味するラテン語『サラリウム』に由来している。
その『サラリウム』はラテン語で塩を意味する『サール』に由来し、『サール』は塩を意味する英語『ソルト』の語源ともなっている。
まあそれはどうでもいいのだが、とにかく物流が現代のように出来上がっていない古代では、塩はただの天然調味料ではなく、大変に貴重な物だった。
そしてそれは、この世界でも同様だった。
限られた一部の食料を除き、ほとんどの物を自給できない日本でも、さすがに塩は貴重品とはならなかった。
新大陸の住人を、奴隷とするか労働者とするかで悩んでいた経済産業省の人々は、その事実に目を付けた。
試しにと、塩を代金に穀倉地帯開墾を試みたところ、そこには驚くべき数の人々が殺到した。
人々は、粗末な食事と取りあえずの寝床を用意され、一週間の労働を行った。
一週間後、人々は事前に聞かされていた量の塩を全員が渡されるという現実を目のあたりにした。
彼らは、勢い良く立ち上がると、募集事務所へと詰め掛けた。
武装した自衛官に護衛されているにもかかわらず、完全に怯えきった担当者は、何用かと尋ねた。
人々は言った。
「次の仕事はいつですか?」
日本が急速にその勢力を大陸各地に伸ばせたのは、決して科学技術と自衛隊のおかげだけではなかった。
もちろん、その後に塩が専売制に戻された事は言うまでもない。
救国防衛会議政権下で、日本製の塩はこの世界の最高級品として、その他様々な輸出品とともに、日本国民を潤していく事となる。
西暦2020年7月15日 21:25 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「問題が起きました」
自室で睡眠に入ろうとしていた佐藤のところに、あの復讐心に燃える三尉がやってきた。
「なんだ?さっき交代したばかりだろうが」
憂鬱そうに文句を言いつつ、それでも彼は起き上がり、装具を整えた。
「城内に侵入者です。人数は合計四人」
「合計?二派にでも別れてるのか?」
「はい、全員が女性のようです」
四人の女性?
夜這いだったら大歓迎だが、恐らく違うのだろうな。
彼の分の小銃も担いだ二曹が入室してくるのを見つつ、彼は思考を切り替えた。
「被害は?」
「警戒に当たっていた一士、あの新入り小隊の若い奴が二人、気絶させられ、縛られておりました」
「何か気づいた点は?」
「気がついたら縛られていたそうです」
あまりにも使えない答えに、佐藤はため息を漏らした。
きちんと発見し、誰何するか静かに報告するかしてくれれば問題はなかったのに。
「相手は凄腕って事か」
「射殺させますか?」
「まだだ、ただの凄腕盗賊か、それとも何らかの任務を持っているのか、それが知りたい」
「お言葉ですが、被害が出てからでは遅いと思われます」
三尉は執拗に食い下がった。
まあ、復讐心からだけではないだろう。
弾薬庫や燃料倉庫に火を放たれれば、こんな城、たちまち燃え尽きてしまう。
「いい訓練になるじゃないか、むろん、妙な素振りがあったら射殺してよろしい」
「了解しました。巡回は四人で?」
「そうだ、それと指揮所前に一個分隊を集合させろ」
「了解しました」
自衛隊員たちは、可能な限り素早く、そして傍目にはのんびりと戦闘準備を整えた。
監視塔からの報告では、今のところ相手に気取られてはいないらしい。
さて。
指揮所の中で、報告を受けつつ佐藤は呟いた。
歩哨を静かに無力化し、縛りつけ、人目につかないところに隠しておきながら、傷一つ付けないというこの紳士的な連中は、何が目的だ?
今のところ、被害の報告も銃声も耳に入ってはいない。
敵の目的はなんだ?
詳細に作られた城内の見取り図は、定期的に入る報告を書き込む部下たちの手によって、敵が弾薬庫と食料庫に近づいている事を教えていた。
西暦2020年7月15日 21:27 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
<姐さん、ちょっと待って>
<あんたの発音は気に食わないねぇ>
盗聴器から入ってくる声は、弾薬庫に近づきつつある相手が、30代前半と、20代前半の女性であろう事を知らせていた。
弾薬庫の前には、武装し、耳にイヤホンを当てた歩哨が二人、装填して安全装置を掛けた小銃を持って立っている。
その向かいの部屋には、暗視装置をつけ、いつでも通路に出れる状態の三尉たちがいた。
「三尉、やりますか?」
「まあ待て、連中の目的を調べよとの命令だ」
「了解」
押し殺した声で彼らはやり取りを交わし、そして再び息を潜めた。
<・・・っていうし、きっと宝物庫にはお宝があるに違いないさ>
<でも、帝国軍は凄い強いっていうし、大丈夫なの?>
<あんた、さっきの事をもう忘れたのかい?
前にここにいた西方辺境領騎士団の方がよほど気合が入っていたじゃないさ。
なんだいあのビクビクしたボウヤたちは。まるで盗賊になりたてのひよっこじゃないさね>
盗聴器から聞こえてくる会話に、三尉たちは笑いを噛み殺した。
確かに、本土から来たばかりのあの新兵たちは、彼らから見ればひよっこもいいところだった。
ベテランの醸し出す迫力に圧倒され、三尉たちの殺気からは逃げ回り、やや情緒不安定気味なところすらあった。
<そーら、見張りだ。二人、準備はいいね?>
<行けます>
「安全装置外せ、一気に仕留めるぞ」
三尉たちは小銃を構え、ドアを開ける準備をした。
中庭から一斉に銃声が響きだしたのは、まさにその瞬間だった。
大陸各地に展開した日米合同部隊は、いくつかの掃討戦で第三氏族に対して多大な出血を強いた。
まだまだ本土には展開可能な部隊が残っている日本側に対して、もう後のない第三氏族は、次第にその影響力と同族を失いつつあった。
日本から露骨な脅迫を受けている第一氏族は、治安関係者の誰もが満足する成果を上げていた。
加えて、元連合王国の官僚団を統治下に置いた日本の方針が、第三氏族の希望を打ち砕いた。
共産ゲリラよろしく農村地帯に撤退した第三氏族を待っていたのは、年貢の大幅な削減のために希望に沸いた農民たちだった。
都市近郊ならばまだしも、遠く離れた田舎までコストとマンパワーを割いて回収に行く余裕は、日本にはなかったのだ。
集めても腐らせるだけの年貢は必要ない。
極めて健全な発想により、農民たちの生活環境は向上した。
年貢の削減に喜ぶ農民たちに、それでも旧体制の復活と現政権の打倒を説いた第三氏族たちは、次々と通報を受けた特殊部隊に殺害されていった。
治安の回復を受け、日本はさらに中隊単位での駐屯地を三つ追加した。
もはや、この大陸は日本の物だった。
橋を架け、道を作り、鉄道の建設まで始めた日本は、景気が次第に回復し始めていた。
他国との交易が消えた事は痛かったが、大規模な国土開発という内需が無制限に膨れだしたのだ。
建設会社はこぞって大陸に支社を立て、国から受注したインフラ構築を推し進めた。
西暦2020年7月11日、その時点で、日本は国家の維持に必要な鉱物資源の大半を、採取するか発見するかしていた。
もちろん、モンスターや険しい自然環境、大規模な盗賊団に変わった連合王国残党など、厄介な問題がないわけではない。
しかし、科学技術の発達は、それらの障害を押しつぶして大陸各地に日本の拠点を創りあげていった。
とはいえもちろん、一ヶ月やそこらでインフラが完成する訳がない。
特に、コストの面で無駄と判断される場所の開発は、遅れる遅れない以前に放置されている。
何しろ、日本国には科学技術はあっても、余裕がないのだ。
ここ、佐藤一等陸尉が治めるゴルシアの街もそうだった。
そこには周辺山系の恩恵で温泉があった。
街中は清潔に保たれ、新たな支配者に喜んで従う人々がいた。
食料も種類、量ともに生活には問題ないほど採れ、付近の湖からは淡水魚も手に入る。
木材資源もある程度手に入るし、山系のこちら側からならば鉱物資源すら手に入るかもしれない。
この街は、楽園だった。
だが、本土から見るとここは遠すぎた。
遠すぎる上に、山を日本側に一つ越えれば、そこには政府が全力を上げて開発している資源地帯があるのだ。
かくして、将来に備えて完璧な舗装道路が建設されたこと以外、この街は放置されていた。
西暦2020年7月14日 10:00 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「佐藤一尉」
「なんだ?」
「平和ですね」
「平和だな」
駐屯地が置かれている城のバルコニーから、佐藤と二曹は街を見ていた。
新たな支配者の住まう街。
そこは清潔で、安全で、食料も仕事もある。
人が集まるのは必然だった。
とはいえ、その清潔さを保つための行動はなされており、無秩序な人口増加はなかった。
何しろ、自衛隊の黙認を受けた教団関係者は、難民だろうが旅人だろうが関係なしに、不潔な人間に対して入浴するか退去するかを迫ったのだ。
必然的に、新たに住み着いた人々は、嫌でも清潔にせざるを得なかった。
まあ、綺麗な水も温泉も豊富にあるこの街では、その日の食事に困る者でも身奇麗でいられるのだから、これは無理な話ではない。
農民ですら、街に来る時には粗末であっても清潔な服を着ているのである。
平和で、豊かな生活。
それは、自衛隊員たちの精神を弛緩させるには十分だった。
だからこそ、本土から放置されているような生活であっても、彼らは荒まずに暮らせていた。
「きたぞー!定期便だ!」
監視塔から叫び声が聞こえる。
定期便とは、本土からの物資の補給の事である。
隊員たちは、その声に歓声で答えつつ、城から飛び出した。
見れば、大通りを軽装甲機動車に護衛された二台のトラックがやってくる姿が見える。
輸送隊は、そのまま鉄板その他で補強された橋を渡り、中庭へと進入する。
「お疲れさん」
いつの間にか先頭に立っていた佐藤が、笑顔で出迎える。
フケ一つない佐藤たちとは対照的に、埃まみれの三尉が車内から現れ、敬礼する。
「報告します!第41次輸送小隊、無事到着しましたっ!」
「確認した。目録を見せてくれ」
「はっ!こちらになりますっ!」
妙に元気の良い三尉は、素早く目録を取り出した。
ご苦労、と言いつつ目録を受け取った佐藤は、素早くその中身を確認した。
食料、水、医薬品、娯楽品、嗜好品、私物、被服、消耗品、各種電子機器や武装の保守パーツ、そして弾薬、弾薬、弾薬、弾薬、弾薬、弾薬。
「なんだこれは?」
「はっ!自分を始めとする第41輸送小隊は、このままゴルシア駐屯地に配属となります!
以後、よろしくお願いいたします!」
いつの間にやら整列していた、妙に平均年齢の低い小隊員たちは、元気良く敬礼した。
「定期便はわかる、弾薬もありがたい。
だが、どうして増援が来る?
しかも、車輌三台に一個小隊だ。あいつら、輸送部隊といいながら、全員が普通科だそうじゃないか」
「何か、大規模な作戦が予定されているのでしょうか?」
「あるいは、厄介払いか?」
中庭で黙々と訓練を続ける小隊を見つつ、佐藤は憂鬱そうに呟いた。
誰もが弛み、油断する中で、あの悲劇的な経験を持つ三尉とその部下たちだけは臨戦態勢にあった。
聞けば、全員がこの世界に来て同僚を失っているらしい。
それに加えて今度は新兵の集団。
訓練で最高成績を収めたために、今期の代表としてこの駐屯地に配属となったらしいが、どうにも嫌な感じがする。
この世界に来て以来戦闘を続けるベテラン。
復讐心を隠そうともしない戦争狂。
同期の代表の即席新兵。
そんな連中を集めて、上は何を期待している?
休暇のようなこの配置、生前贈与のように景気良く与えられた弾薬。
嫌だな、本土から遠く離れたここで、何かが起ころうとしている。
主人公は、また俺か。
佐藤は、暗い表情を浮かべた。
ここで時系列は遡る。
ところで諸君は、サラリーマンのサラリーとは何を意味する言葉か知っているだろうか?
サラリーマンの『サラリー』は、古代ローマ時代に兵士たちに与えられた塩を意味するラテン語『サラリウム』に由来している。
その『サラリウム』はラテン語で塩を意味する『サール』に由来し、『サール』は塩を意味する英語『ソルト』の語源ともなっている。
まあそれはどうでもいいのだが、とにかく物流が現代のように出来上がっていない古代では、塩はただの天然調味料ではなく、大変に貴重な物だった。
そしてそれは、この世界でも同様だった。
限られた一部の食料を除き、ほとんどの物を自給できない日本でも、さすがに塩は貴重品とはならなかった。
新大陸の住人を、奴隷とするか労働者とするかで悩んでいた経済産業省の人々は、その事実に目を付けた。
試しにと、塩を代金に穀倉地帯開墾を試みたところ、そこには驚くべき数の人々が殺到した。
人々は、粗末な食事と取りあえずの寝床を用意され、一週間の労働を行った。
一週間後、人々は事前に聞かされていた量の塩を全員が渡されるという現実を目のあたりにした。
彼らは、勢い良く立ち上がると、募集事務所へと詰め掛けた。
武装した自衛官に護衛されているにもかかわらず、完全に怯えきった担当者は、何用かと尋ねた。
人々は言った。
「次の仕事はいつですか?」
日本が急速にその勢力を大陸各地に伸ばせたのは、決して科学技術と自衛隊のおかげだけではなかった。
もちろん、その後に塩が専売制に戻された事は言うまでもない。
救国防衛会議政権下で、日本製の塩はこの世界の最高級品として、その他様々な輸出品とともに、日本国民を潤していく事となる。
西暦2020年7月15日 21:25 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「問題が起きました」
自室で睡眠に入ろうとしていた佐藤のところに、あの復讐心に燃える三尉がやってきた。
「なんだ?さっき交代したばかりだろうが」
憂鬱そうに文句を言いつつ、それでも彼は起き上がり、装具を整えた。
「城内に侵入者です。人数は合計四人」
「合計?二派にでも別れてるのか?」
「はい、全員が女性のようです」
四人の女性?
夜這いだったら大歓迎だが、恐らく違うのだろうな。
彼の分の小銃も担いだ二曹が入室してくるのを見つつ、彼は思考を切り替えた。
「被害は?」
「警戒に当たっていた一士、あの新入り小隊の若い奴が二人、気絶させられ、縛られておりました」
「何か気づいた点は?」
「気がついたら縛られていたそうです」
あまりにも使えない答えに、佐藤はため息を漏らした。
きちんと発見し、誰何するか静かに報告するかしてくれれば問題はなかったのに。
「相手は凄腕って事か」
「射殺させますか?」
「まだだ、ただの凄腕盗賊か、それとも何らかの任務を持っているのか、それが知りたい」
「お言葉ですが、被害が出てからでは遅いと思われます」
三尉は執拗に食い下がった。
まあ、復讐心からだけではないだろう。
弾薬庫や燃料倉庫に火を放たれれば、こんな城、たちまち燃え尽きてしまう。
「いい訓練になるじゃないか、むろん、妙な素振りがあったら射殺してよろしい」
「了解しました。巡回は四人で?」
「そうだ、それと指揮所前に一個分隊を集合させろ」
「了解しました」
自衛隊員たちは、可能な限り素早く、そして傍目にはのんびりと戦闘準備を整えた。
監視塔からの報告では、今のところ相手に気取られてはいないらしい。
さて。
指揮所の中で、報告を受けつつ佐藤は呟いた。
歩哨を静かに無力化し、縛りつけ、人目につかないところに隠しておきながら、傷一つ付けないというこの紳士的な連中は、何が目的だ?
今のところ、被害の報告も銃声も耳に入ってはいない。
敵の目的はなんだ?
詳細に作られた城内の見取り図は、定期的に入る報告を書き込む部下たちの手によって、敵が弾薬庫と食料庫に近づいている事を教えていた。
西暦2020年7月15日 21:27 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
<姐さん、ちょっと待って>
<あんたの発音は気に食わないねぇ>
盗聴器から入ってくる声は、弾薬庫に近づきつつある相手が、30代前半と、20代前半の女性であろう事を知らせていた。
弾薬庫の前には、武装し、耳にイヤホンを当てた歩哨が二人、装填して安全装置を掛けた小銃を持って立っている。
その向かいの部屋には、暗視装置をつけ、いつでも通路に出れる状態の三尉たちがいた。
「三尉、やりますか?」
「まあ待て、連中の目的を調べよとの命令だ」
「了解」
押し殺した声で彼らはやり取りを交わし、そして再び息を潜めた。
<・・・っていうし、きっと宝物庫にはお宝があるに違いないさ>
<でも、帝国軍は凄い強いっていうし、大丈夫なの?>
<あんた、さっきの事をもう忘れたのかい?
前にここにいた西方辺境領騎士団の方がよほど気合が入っていたじゃないさ。
なんだいあのビクビクしたボウヤたちは。まるで盗賊になりたてのひよっこじゃないさね>
盗聴器から聞こえてくる会話に、三尉たちは笑いを噛み殺した。
確かに、本土から来たばかりのあの新兵たちは、彼らから見ればひよっこもいいところだった。
ベテランの醸し出す迫力に圧倒され、三尉たちの殺気からは逃げ回り、やや情緒不安定気味なところすらあった。
<そーら、見張りだ。二人、準備はいいね?>
<行けます>
「安全装置外せ、一気に仕留めるぞ」
三尉たちは小銃を構え、ドアを開ける準備をした。
中庭から一斉に銃声が響きだしたのは、まさにその瞬間だった。