西暦2020年7月19日 12:00 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ダークエルフの隠れ家
「しかし、君の言ってくれた事は大いに役立ったよ」
病人を動かすわけにもいかないために、佐藤たちはここに展開していた。
一時的なもののため、簡単な陣地と天幕程度しかない。
そのため、本日のメニューは戦闘糧食と塩素臭い水だけだった。
「この世界の知識、ですか?」
塩素臭い水を不味そうに飲みつつ二曹が尋ねる。
「ああ、医者が治療を行うといえばそれで済むだろうと考えていたからな。
それでだ、知っていたら教えて欲しいんだが」
「はい、恐らくこの世界の住人が、あのような行動をするような事は、通常ないと考えられます」
二人が話しているのは、午前中に部下が発見した物についてだった。
それは、巧妙に消された焚き火の後だった。
土をかぶせ、落ち葉を乗せる。
恐らく、偵察ではなく気分転換の散歩のつもりで歩いていたら、何も発見できなかった。
「敵軍の残党か」
「もしくは盗賊団か、どちらにせよ、厄介です」
彼らがいる場所は、あくまでも一時的に展開しているに過ぎない。
周辺の情報はないし、十分な戦力も持っていない。
「これは、早いうちに話を聞かせてもらわないとまずいな」
佐藤はそういうと、手早く食事を済ませて建物へと向かった。
屋内では、今のところ順調に回復へと向かっている女性を始めとして、ダークエルフたちがなにやら密談をしていた。
「お忙しい中失礼しますよ。
その後お体の方はいかがですか?」
ヘルメットを取りつつ佐藤が尋ねると、女性は柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「おかげさまで、だいぶ熱も痛みも引きました。
イカンさんによると、怪我よりも病気に気をつける必要があるそうで」
「ええ、そのようですね、それよりも、報酬の件についてお話が」
「そういえば、どのような物なのでしょうか?
命を救っていただいたのです、いかなるお礼でも私はお受けいたします」
女性は決意を浮かべた表情でそう言った。
「そう言って頂けるとありがたい。
ここは一つ、前払いと言う事でお願いしたいのですが、この周辺に連合王国残党や盗賊団などはいるのでしょうか?」
「ああ、いる」
ここ数日で協力的になったダークエルフの男性が放った言葉は、佐藤の表情を青ざめさせるのに十分だった。
「数は?」
「全部はわからんが、200か、300か、それよりも多いという事はない」
「ふむ、隠れている場所はわかりますか?」
「あんた達の街よりもずっと北に言った場所にある村だ。
連中は、元いた村人を若い女以外皆殺しにしてそこにいる」
初耳の情報が連続して入ってきた。
自分たちの統治範囲内に、敵が中隊規模で存在している。
しかも、村一つが実は滅んでいたらしい。
「そのような話は初耳なんですが?」
「ああ、そうだろうさ。
あそこの村の連中は、グレザール帝国から流れてきた奴らだからな。
この大陸の人間とは折り合いが悪いのさ」
情報網が発達していないこの世界ならば、ありえるかもしれない。
現に、その村の存在自体を今聞いたのだ。
「連中がここまでくる恐れは?」
「俺たちはダークエルフだ。隠れ里を作らせたら世界一だ。
残念な事に、好きでそうなったんじゃないがな」
「なるほど、ところで、我々はその隠れていた連中を相手にするために一度城に戻る必要があります。
そちらの女性と、同行を希望する方と一緒に来ていただいても構いませんか?」
「城に、か?」
「そうです。我々は敵襲に備える必要と、それがないのならばこちらからの攻撃が必要なのです」
「わかりました。直ぐに支度をしましょう」
「ええぇ!?」
佐藤の言葉に女性が躊躇せずに答え、男は驚いた声を出した。
「イカンさんの治療はまだ終わっていません。
ならば、イチイさんの言うとおりにするしかないでしょう」
「だけど!」
「ねえあなた、そろそろ彼らを信用してもいい頃でしょう?
彼らは私たちの娘を無事にここまで送り届けてくれて、しかも私を助けてくれたのよ」
「それは、そうだが、しかし」
男はなかなか決断できずにいた。
無理もない。
ダークエルフの国家が滅びる時、彼も心を閉ざすに相応しい出来事を連続して経験していた。
最初の隠れ家を軍に通報したのは、彼と極秘裏に取引をしているはずの商人だった。
結果的に次の隠れ家と彼の長男の命を奪ったのは、命を助けた旅人の通報だった。
彼の長女を目の前で犯し、殺害したのは、賄賂を渡した直後の軍人だった。
人間を信用する必要はない。
信じれば、必ず裏切られる。
彼はそう考え、それに従って今日まで、家族を守ってきた。
そこに現れた目の前の男たち。
ウソか本当かはわからないが、他のダークエルフの一団も助けた事があるらしい。
そしてその一団は、連合王国を打ち負かしたニホン国に加わっているらしい。
目の前の男たちは、ウソを言っているようには見えない。
こちらを皆殺しにする機会はいくつもあったというのに、それをしようともしない。
妻も、娘も、息子たちも、既に彼らを信用している。
現に、妻の命は救われつつあるらしいのだ。
「城に行ったとして、俺たちをどうするんだ?」
「幸い、空き部屋にはかなりの余裕があります。
街中で暮らすのは辛いでしょうから、そこにお願いしますよ」
「わかった。俺たちも直ぐに支度しよう」
先ほどまでの態度から、恐らく自分だけは自衛隊を信用せずに、万が一の際に家族を守ろうとしているのだろう。
まあそれはそれでいい。
にこやかな笑みを浮かべつつ、佐藤は内心で呟いた。
グダグダと言われたのでは時間ばかりがかかってしょうがない。
「二曹、撤収する。
車輌と護衛を要請しろ」
「了解しました」
西暦2020年7月21日 14:15 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「それでは、増援は望めないと?」
<そうだ>
通信機からは、第三基地司令の冷酷な声が流れてくる。
「しかし、近隣の村には一個中隊規模の敵軍がいるという情報が入っているのです。
こちらの偵察もそれを確認しています」
<そちらの担当範囲にですらそれだけの数がいるという事は、こちらはもっとその可能性があるということだ。
我々とて、戦力に余裕はないのだ>
「ですが」
<それに、定期哨戒中のコールサイン『イブニングライナー01』が連絡を絶っている。
いいか?AH-64Jがだぞ?報告も救難信号もなしにだ。
まだ存在は確認していないが、とにかく敵襲があるとすれば、こちらの可能性のほうが高いのだ。
それに、貴官にとって、その城以外に防衛の必要があるものはないが、こちらにはそれがいくらでもあるのだ。
理解したまえ、終わり>
相手は、冷たく言い放つと通信を一方的に切った。
「やはりダメですね」
隣に控えていた二曹が言う。
偵察の結果、敵軍の所在は確認されていた。
彼らは占領した村で、酒池肉林の幸せな生活を送っているらしい。
「不透明な物資の流れを伝えてもこれとは、奴にはまともな思考能力は無いのか?」
忌々しげに呟きつつ、佐藤は煙草を口にくわえた。
「一尉殿、この部屋は禁煙です」
「わかってる、表に出るさ」
煙草を加えつつため息を吐くという器用な真似をしつつ、佐藤は中庭へと歩いていった。
そこでは、彼にさらにため息を吐かせる現実が待っていた。
今日も今日とて飽きもせずに臨戦態勢の三尉たちが、メイドたちに怯えられつつ、訓練を続けていた。
ご苦労な事だ。
煙草に火をつけつつ、彼は城壁を見た。
そこには、再び彼にため息をつかせる光景があった。
周辺に敵がいるという情報のおかげで、完全に怯えきったひよっこ小隊の面々が、昼間から目を血走らせて警戒に当たっている。
そろそろ慣れろよ。
呆れつつも煙草を楽しむ。
「ドラゴン討伐戦の映像で、第三基地司令殿が怯えているというのは本当のようですね」
いつの間にか隣に来た三尉が、自身も煙草を吸いつつ言った。
「迷惑な話だよ。
考えても見ろ、一個中隊を養える食料の供給源があるんだぞ?
つまり、俺たちの近くには、一個中隊を支えられる兵站組織がいるって事だ。
それなのに、俺たちは何かあった場合には独力で戦わなければならない」
「大丈夫ですよ。こっちには自動小銃も機関銃も装甲車輌もある。
奴らがどんな手を考えようとも、必ず仕留めて見せます」
「仕留めるってなぁ」
猟師じゃないんだぞ、と続けようとして、佐藤は目の前のメイドに目が留まった。
スラリとした肢体、短い髪、精悍な顔つき、全てが彼の好みだった。
隣の三尉は、流れるような動作で小銃を構えた。
「撃つな、拘束するんだ」
「抵抗するかもしれません」
「したら撃て」
「・・・・・・了解」
しぶしぶ、といった様子で三尉は従い、部下たちに目配せをした。
そのメイドが取り押さえられるのに要した時間は、15秒だった。
西暦2020年7月21日 14:30 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「二度目のご来場ですな」
両手両足を厳重に縛られた女性に、佐藤はそう切り出した。
相手は一瞬目を丸くする。
だが、次の瞬間には不敵な笑みを浮かべ、答えた。
「さすがは、ニホン国の人間ね」
「おや、あなたは我々の事をニホン帝国とは呼んでくれないのですか?」
「そりゃまあ、この稼業は情報が命だからねぇ」
つい先日まではニホン帝国と呼んでいた事はおくびにも出さず、女性はしれっと言った。
魔王の軍なのだ、いや、奴らはニホン帝国と言うらしい、ちがうちがう、あいつらもグレザール帝国の連中さ。
連合王国を一瞬で破壊した日本に対する民間人たちの認識はメチャメチャであった。
さすがに旧王都付近では、インフラの大々的な構築が行われているという事もあって日本国と呼ばれている。
しかし、一歩地方に足を踏み入れれば、多彩な呼び名が自衛隊員たちを待っていた。
「なるほどね。確かに情報に疎い盗賊など、役に立ちませんからな」
「それで、私をどうしたいのさね?
先に言っておくけど、男の悦ばせ方なら自信があるよ」
「それは実に魅力的な提案ですね、個人的には」
目の前の女性を見る。
後ろ手に縛られているせいで強調されている胸はかなりのボリュームを持っているようだ。
スタイルはモデル並みに整っているし、やや薄汚れてはいるが、顔も悪くない。
とはいえ、現状は個人的欲求を満足させて良しとする状況ではない。
「取引をしましょう」
「取引?」
「貴方の命を保障する代わりに、この付近にいる連合王国残党の事を知っているだけ話してください。これが一つ目です」
「ふーん、ひとつめ、ねぇ」
女性は目を細めつつ笑みを浮かべた。
「二つ目は、なんなんだい?」
「貴方の提供する情報次第で変わりますね。それで、お話いただけますかな?」
内容次第では、わかっているな?と言外に匂わせつつ、佐藤は煙草を咥え、火をつけた。
士気の維持と言うだけで配給が持続されている日本製煙草は、依然として品質を維持し続けていた。
「随分といい煙草を吸うねぇ。一本もらえると何か思い出すかもしれないよ?」
女性はその匂いに随分と心惹かれるものがあったらしい。
「いいだろう、喫煙者は私の同志だ」
佐藤は快く煙草を与えた。
もちろんの事ながら、二曹は勢い良く反対した。
「何を考えているんですか一尉!だいたいこの部屋は禁煙です!」
「二曹、捕虜の人権は守らないとダメだぞ」
答えつつ、女性の煙草に火をつける。
驚いたように電子ライターを見つめていた彼女だったが、驚きは一瞬で、次の瞬間には目を細めて煙草に火をつける。
二曹の怒鳴り声と一尉の宥める声が充満した部屋の中に、一筋の紫煙が立ち上った。
「こいつは、いいねぇ」
どうやら女性はかなり気に入ったらしい。
恍惚とした、という表現が誇張ではない表情を浮かべている。
「それで、話してもらえますか?」
「いいさね。連中はここから一日ほどの村に集まっている。
数は三百人ほど、魔術師はいない。弓兵も数えるほどしかいないね」
女性は煙草を吸いつつすらすらと答えた。
それは、佐藤たちが掴んでいる情報に限りなく近く、そしてそれを補強する内容だった。
「随分と詳しいですな」
「何人か、あのクソ野郎どもに手下がやられてね。
それで機会があったらと思って調べさせたのさ」
「ほうほう、それで、情報はその程度でおしまいですか?」
兵科まで調べているその情報収集能力に舌を巻きつつ、佐藤は平然と続きを促した。
「まさか、あんたたちがどこまで掴んでいるかは知らないけど、連中、やる気だよ。
ここ二日ほど、妙に酒盛りをやってる。剣の手入れにもかなり力を入れているしね」
「連中が俺たちに勝てると、あんたは思うか?」
「思わないね」
答えは即答だった。
佐藤は興味深そうな目を女性に向けた。
「ほう、どうして?」
「あんたらは、あの王都をあっという間に攻め滅ぼした。周辺の軍隊も同様にね。
その後で、ああいった残党を無視した。
つまりそれは、それだけの余裕があるって事だろう?」
「よくわかっているな」
おいおい、つい数日前までは存在すら知らなかったんだぞ。
と、内心で冷や汗をかきつつも、佐藤は勝者の余裕をなんとか漂わせていた。
「どうだ?そこまでわかっているならば、俺たちにつかないか?」
「あんたたちに?それで、どんな得があるんだね」
女性は佐藤の目を見据えた。
「俺たちはお前たちに手を出さない。お前たちが俺たちに手を出さない限り。
どうだ?簡単で、そして得のある話だと思わないか?」
「盗賊のあたしらを、見逃すと言うのかい?」
「俺たちに手を出さない限りはな。それで、どうする?」
女性は佐藤の目を見続けている。
黒い目をしているな。
女性はそう思った。
綺麗な黒だ。
奇妙な兜の下にある髪もそうだ。
意志の強そうな眉毛も黒だ。
黒髪の神兵。
幼い頃に聞いた伝説を。
彼女は幼い頃に聞いた伝説を思い出した。
それは竜を従えた神の兵隊の話だった。
彼らは突然現れた。
彼らの髪は黒く、そして瞳も黒かった。
彼らは強かった。
従うものを助け、立ちふさがるものには死を与えた。
彼らの前には、伝説の竜も、ハイ・エルフも関係なかった。
やがて彼らは世界に秩序を生み、そして消えた。
それが今の世界の原型。
愚かなるダークエルフたちは、黒髪の神兵が消えたのをいい事に、世界を闇に閉ざそうと動き始めた。
偉大なるグレザール帝国は、それを食い止めるために多くの勇者たちとエルフを仲間に戦った。
そして、正義は勝利し、世界は救われた。
西暦2020年7月21日 21:30 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 近郊
「後半部分はどう見ても嘘なんだけどね」
「なんだ?」
「なんでもないさね」
なんなんだこの女、一人でブツブツと呟いて。
小銃片手に森の中を歩きつつ、佐藤は隣の女性を盗み見た。
・・・ぬぅぅ、いい女だ。
暗視装置の生み出した明るい夜の中でも、彼女の美貌は少しも損なわれていなかった。
「・・ギャ」
「たす・・」
かすかに周囲から悲鳴が聞こえる。
<ズールーリーダーより各員、静寂だ。うるさいぞ>
口元のマイクに呟く。
かすかに聞こえていた悲鳴は消え、周囲は風とは関係なしに動く木々の音以外なくなった。
「あと少しですね」
道なき道を進んでいるというのに、佐藤の横を少しも遅れずに続いている二曹が声をかけた。
「しかし連中、夜間歩哨をもう少し選んだ方がいいな」
「ですね、警告の叫びを上げる余裕もなく皆殺しでは、歩哨に立つ意味がありません」
つい先ほど、一人の若い敵兵の頚部を引き裂いた銃剣を片手に、二曹は愉快そうに笑った。
「遅れている奴はいないな?」
「おりません」
反対側を進む三尉が小声で答える。
現在、彼らは敵軍が潜伏している村のすぐ近くまで来ていた。
敵が攻勢を企んでいると聞き、街に到達する前にその戦意を挫こうという佐藤の作戦を実行するためである。
「配置についているな?」
「大丈夫です。それよりも、よろしいかったんですか?あのような重装備で」
「構わん。それに、一個小隊で一個中隊を叩こうと言うんだ。多少の贅沢はさせてやらんと兵が苦労する」
佐藤が率いているのは、小隊は小隊でも、機関銃分隊二つを加えた増強小隊だった。
今回は三個分隊ずつ、つまり実質二個小銃小隊を分けて配置し、十字砲火を形成するという、手堅い作戦だった。
現在のところ進捗は順調で、既に敵の歩哨は壊滅状態に陥っている。
こちらは展開も完了し、指示を待つばかり。
視界の先にある敵軍の野営地は、見たところ完全に寝静まっている。
ようし、始めようか。
佐藤は、邪悪な笑みを浮かべた。
「しかし、君の言ってくれた事は大いに役立ったよ」
病人を動かすわけにもいかないために、佐藤たちはここに展開していた。
一時的なもののため、簡単な陣地と天幕程度しかない。
そのため、本日のメニューは戦闘糧食と塩素臭い水だけだった。
「この世界の知識、ですか?」
塩素臭い水を不味そうに飲みつつ二曹が尋ねる。
「ああ、医者が治療を行うといえばそれで済むだろうと考えていたからな。
それでだ、知っていたら教えて欲しいんだが」
「はい、恐らくこの世界の住人が、あのような行動をするような事は、通常ないと考えられます」
二人が話しているのは、午前中に部下が発見した物についてだった。
それは、巧妙に消された焚き火の後だった。
土をかぶせ、落ち葉を乗せる。
恐らく、偵察ではなく気分転換の散歩のつもりで歩いていたら、何も発見できなかった。
「敵軍の残党か」
「もしくは盗賊団か、どちらにせよ、厄介です」
彼らがいる場所は、あくまでも一時的に展開しているに過ぎない。
周辺の情報はないし、十分な戦力も持っていない。
「これは、早いうちに話を聞かせてもらわないとまずいな」
佐藤はそういうと、手早く食事を済ませて建物へと向かった。
屋内では、今のところ順調に回復へと向かっている女性を始めとして、ダークエルフたちがなにやら密談をしていた。
「お忙しい中失礼しますよ。
その後お体の方はいかがですか?」
ヘルメットを取りつつ佐藤が尋ねると、女性は柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「おかげさまで、だいぶ熱も痛みも引きました。
イカンさんによると、怪我よりも病気に気をつける必要があるそうで」
「ええ、そのようですね、それよりも、報酬の件についてお話が」
「そういえば、どのような物なのでしょうか?
命を救っていただいたのです、いかなるお礼でも私はお受けいたします」
女性は決意を浮かべた表情でそう言った。
「そう言って頂けるとありがたい。
ここは一つ、前払いと言う事でお願いしたいのですが、この周辺に連合王国残党や盗賊団などはいるのでしょうか?」
「ああ、いる」
ここ数日で協力的になったダークエルフの男性が放った言葉は、佐藤の表情を青ざめさせるのに十分だった。
「数は?」
「全部はわからんが、200か、300か、それよりも多いという事はない」
「ふむ、隠れている場所はわかりますか?」
「あんた達の街よりもずっと北に言った場所にある村だ。
連中は、元いた村人を若い女以外皆殺しにしてそこにいる」
初耳の情報が連続して入ってきた。
自分たちの統治範囲内に、敵が中隊規模で存在している。
しかも、村一つが実は滅んでいたらしい。
「そのような話は初耳なんですが?」
「ああ、そうだろうさ。
あそこの村の連中は、グレザール帝国から流れてきた奴らだからな。
この大陸の人間とは折り合いが悪いのさ」
情報網が発達していないこの世界ならば、ありえるかもしれない。
現に、その村の存在自体を今聞いたのだ。
「連中がここまでくる恐れは?」
「俺たちはダークエルフだ。隠れ里を作らせたら世界一だ。
残念な事に、好きでそうなったんじゃないがな」
「なるほど、ところで、我々はその隠れていた連中を相手にするために一度城に戻る必要があります。
そちらの女性と、同行を希望する方と一緒に来ていただいても構いませんか?」
「城に、か?」
「そうです。我々は敵襲に備える必要と、それがないのならばこちらからの攻撃が必要なのです」
「わかりました。直ぐに支度をしましょう」
「ええぇ!?」
佐藤の言葉に女性が躊躇せずに答え、男は驚いた声を出した。
「イカンさんの治療はまだ終わっていません。
ならば、イチイさんの言うとおりにするしかないでしょう」
「だけど!」
「ねえあなた、そろそろ彼らを信用してもいい頃でしょう?
彼らは私たちの娘を無事にここまで送り届けてくれて、しかも私を助けてくれたのよ」
「それは、そうだが、しかし」
男はなかなか決断できずにいた。
無理もない。
ダークエルフの国家が滅びる時、彼も心を閉ざすに相応しい出来事を連続して経験していた。
最初の隠れ家を軍に通報したのは、彼と極秘裏に取引をしているはずの商人だった。
結果的に次の隠れ家と彼の長男の命を奪ったのは、命を助けた旅人の通報だった。
彼の長女を目の前で犯し、殺害したのは、賄賂を渡した直後の軍人だった。
人間を信用する必要はない。
信じれば、必ず裏切られる。
彼はそう考え、それに従って今日まで、家族を守ってきた。
そこに現れた目の前の男たち。
ウソか本当かはわからないが、他のダークエルフの一団も助けた事があるらしい。
そしてその一団は、連合王国を打ち負かしたニホン国に加わっているらしい。
目の前の男たちは、ウソを言っているようには見えない。
こちらを皆殺しにする機会はいくつもあったというのに、それをしようともしない。
妻も、娘も、息子たちも、既に彼らを信用している。
現に、妻の命は救われつつあるらしいのだ。
「城に行ったとして、俺たちをどうするんだ?」
「幸い、空き部屋にはかなりの余裕があります。
街中で暮らすのは辛いでしょうから、そこにお願いしますよ」
「わかった。俺たちも直ぐに支度しよう」
先ほどまでの態度から、恐らく自分だけは自衛隊を信用せずに、万が一の際に家族を守ろうとしているのだろう。
まあそれはそれでいい。
にこやかな笑みを浮かべつつ、佐藤は内心で呟いた。
グダグダと言われたのでは時間ばかりがかかってしょうがない。
「二曹、撤収する。
車輌と護衛を要請しろ」
「了解しました」
西暦2020年7月21日 14:15 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「それでは、増援は望めないと?」
<そうだ>
通信機からは、第三基地司令の冷酷な声が流れてくる。
「しかし、近隣の村には一個中隊規模の敵軍がいるという情報が入っているのです。
こちらの偵察もそれを確認しています」
<そちらの担当範囲にですらそれだけの数がいるという事は、こちらはもっとその可能性があるということだ。
我々とて、戦力に余裕はないのだ>
「ですが」
<それに、定期哨戒中のコールサイン『イブニングライナー01』が連絡を絶っている。
いいか?AH-64Jがだぞ?報告も救難信号もなしにだ。
まだ存在は確認していないが、とにかく敵襲があるとすれば、こちらの可能性のほうが高いのだ。
それに、貴官にとって、その城以外に防衛の必要があるものはないが、こちらにはそれがいくらでもあるのだ。
理解したまえ、終わり>
相手は、冷たく言い放つと通信を一方的に切った。
「やはりダメですね」
隣に控えていた二曹が言う。
偵察の結果、敵軍の所在は確認されていた。
彼らは占領した村で、酒池肉林の幸せな生活を送っているらしい。
「不透明な物資の流れを伝えてもこれとは、奴にはまともな思考能力は無いのか?」
忌々しげに呟きつつ、佐藤は煙草を口にくわえた。
「一尉殿、この部屋は禁煙です」
「わかってる、表に出るさ」
煙草を加えつつため息を吐くという器用な真似をしつつ、佐藤は中庭へと歩いていった。
そこでは、彼にさらにため息を吐かせる現実が待っていた。
今日も今日とて飽きもせずに臨戦態勢の三尉たちが、メイドたちに怯えられつつ、訓練を続けていた。
ご苦労な事だ。
煙草に火をつけつつ、彼は城壁を見た。
そこには、再び彼にため息をつかせる光景があった。
周辺に敵がいるという情報のおかげで、完全に怯えきったひよっこ小隊の面々が、昼間から目を血走らせて警戒に当たっている。
そろそろ慣れろよ。
呆れつつも煙草を楽しむ。
「ドラゴン討伐戦の映像で、第三基地司令殿が怯えているというのは本当のようですね」
いつの間にか隣に来た三尉が、自身も煙草を吸いつつ言った。
「迷惑な話だよ。
考えても見ろ、一個中隊を養える食料の供給源があるんだぞ?
つまり、俺たちの近くには、一個中隊を支えられる兵站組織がいるって事だ。
それなのに、俺たちは何かあった場合には独力で戦わなければならない」
「大丈夫ですよ。こっちには自動小銃も機関銃も装甲車輌もある。
奴らがどんな手を考えようとも、必ず仕留めて見せます」
「仕留めるってなぁ」
猟師じゃないんだぞ、と続けようとして、佐藤は目の前のメイドに目が留まった。
スラリとした肢体、短い髪、精悍な顔つき、全てが彼の好みだった。
隣の三尉は、流れるような動作で小銃を構えた。
「撃つな、拘束するんだ」
「抵抗するかもしれません」
「したら撃て」
「・・・・・・了解」
しぶしぶ、といった様子で三尉は従い、部下たちに目配せをした。
そのメイドが取り押さえられるのに要した時間は、15秒だった。
西暦2020年7月21日 14:30 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 陸上自衛隊ゴルソン方面隊ゴルシア駐屯地
「二度目のご来場ですな」
両手両足を厳重に縛られた女性に、佐藤はそう切り出した。
相手は一瞬目を丸くする。
だが、次の瞬間には不敵な笑みを浮かべ、答えた。
「さすがは、ニホン国の人間ね」
「おや、あなたは我々の事をニホン帝国とは呼んでくれないのですか?」
「そりゃまあ、この稼業は情報が命だからねぇ」
つい先日まではニホン帝国と呼んでいた事はおくびにも出さず、女性はしれっと言った。
魔王の軍なのだ、いや、奴らはニホン帝国と言うらしい、ちがうちがう、あいつらもグレザール帝国の連中さ。
連合王国を一瞬で破壊した日本に対する民間人たちの認識はメチャメチャであった。
さすがに旧王都付近では、インフラの大々的な構築が行われているという事もあって日本国と呼ばれている。
しかし、一歩地方に足を踏み入れれば、多彩な呼び名が自衛隊員たちを待っていた。
「なるほどね。確かに情報に疎い盗賊など、役に立ちませんからな」
「それで、私をどうしたいのさね?
先に言っておくけど、男の悦ばせ方なら自信があるよ」
「それは実に魅力的な提案ですね、個人的には」
目の前の女性を見る。
後ろ手に縛られているせいで強調されている胸はかなりのボリュームを持っているようだ。
スタイルはモデル並みに整っているし、やや薄汚れてはいるが、顔も悪くない。
とはいえ、現状は個人的欲求を満足させて良しとする状況ではない。
「取引をしましょう」
「取引?」
「貴方の命を保障する代わりに、この付近にいる連合王国残党の事を知っているだけ話してください。これが一つ目です」
「ふーん、ひとつめ、ねぇ」
女性は目を細めつつ笑みを浮かべた。
「二つ目は、なんなんだい?」
「貴方の提供する情報次第で変わりますね。それで、お話いただけますかな?」
内容次第では、わかっているな?と言外に匂わせつつ、佐藤は煙草を咥え、火をつけた。
士気の維持と言うだけで配給が持続されている日本製煙草は、依然として品質を維持し続けていた。
「随分といい煙草を吸うねぇ。一本もらえると何か思い出すかもしれないよ?」
女性はその匂いに随分と心惹かれるものがあったらしい。
「いいだろう、喫煙者は私の同志だ」
佐藤は快く煙草を与えた。
もちろんの事ながら、二曹は勢い良く反対した。
「何を考えているんですか一尉!だいたいこの部屋は禁煙です!」
「二曹、捕虜の人権は守らないとダメだぞ」
答えつつ、女性の煙草に火をつける。
驚いたように電子ライターを見つめていた彼女だったが、驚きは一瞬で、次の瞬間には目を細めて煙草に火をつける。
二曹の怒鳴り声と一尉の宥める声が充満した部屋の中に、一筋の紫煙が立ち上った。
「こいつは、いいねぇ」
どうやら女性はかなり気に入ったらしい。
恍惚とした、という表現が誇張ではない表情を浮かべている。
「それで、話してもらえますか?」
「いいさね。連中はここから一日ほどの村に集まっている。
数は三百人ほど、魔術師はいない。弓兵も数えるほどしかいないね」
女性は煙草を吸いつつすらすらと答えた。
それは、佐藤たちが掴んでいる情報に限りなく近く、そしてそれを補強する内容だった。
「随分と詳しいですな」
「何人か、あのクソ野郎どもに手下がやられてね。
それで機会があったらと思って調べさせたのさ」
「ほうほう、それで、情報はその程度でおしまいですか?」
兵科まで調べているその情報収集能力に舌を巻きつつ、佐藤は平然と続きを促した。
「まさか、あんたたちがどこまで掴んでいるかは知らないけど、連中、やる気だよ。
ここ二日ほど、妙に酒盛りをやってる。剣の手入れにもかなり力を入れているしね」
「連中が俺たちに勝てると、あんたは思うか?」
「思わないね」
答えは即答だった。
佐藤は興味深そうな目を女性に向けた。
「ほう、どうして?」
「あんたらは、あの王都をあっという間に攻め滅ぼした。周辺の軍隊も同様にね。
その後で、ああいった残党を無視した。
つまりそれは、それだけの余裕があるって事だろう?」
「よくわかっているな」
おいおい、つい数日前までは存在すら知らなかったんだぞ。
と、内心で冷や汗をかきつつも、佐藤は勝者の余裕をなんとか漂わせていた。
「どうだ?そこまでわかっているならば、俺たちにつかないか?」
「あんたたちに?それで、どんな得があるんだね」
女性は佐藤の目を見据えた。
「俺たちはお前たちに手を出さない。お前たちが俺たちに手を出さない限り。
どうだ?簡単で、そして得のある話だと思わないか?」
「盗賊のあたしらを、見逃すと言うのかい?」
「俺たちに手を出さない限りはな。それで、どうする?」
女性は佐藤の目を見続けている。
黒い目をしているな。
女性はそう思った。
綺麗な黒だ。
奇妙な兜の下にある髪もそうだ。
意志の強そうな眉毛も黒だ。
黒髪の神兵。
幼い頃に聞いた伝説を。
彼女は幼い頃に聞いた伝説を思い出した。
それは竜を従えた神の兵隊の話だった。
彼らは突然現れた。
彼らの髪は黒く、そして瞳も黒かった。
彼らは強かった。
従うものを助け、立ちふさがるものには死を与えた。
彼らの前には、伝説の竜も、ハイ・エルフも関係なかった。
やがて彼らは世界に秩序を生み、そして消えた。
それが今の世界の原型。
愚かなるダークエルフたちは、黒髪の神兵が消えたのをいい事に、世界を闇に閉ざそうと動き始めた。
偉大なるグレザール帝国は、それを食い止めるために多くの勇者たちとエルフを仲間に戦った。
そして、正義は勝利し、世界は救われた。
西暦2020年7月21日 21:30 ゴルソン大陸 日本国西方管理地域 ゴルシアの街 近郊
「後半部分はどう見ても嘘なんだけどね」
「なんだ?」
「なんでもないさね」
なんなんだこの女、一人でブツブツと呟いて。
小銃片手に森の中を歩きつつ、佐藤は隣の女性を盗み見た。
・・・ぬぅぅ、いい女だ。
暗視装置の生み出した明るい夜の中でも、彼女の美貌は少しも損なわれていなかった。
「・・ギャ」
「たす・・」
かすかに周囲から悲鳴が聞こえる。
<ズールーリーダーより各員、静寂だ。うるさいぞ>
口元のマイクに呟く。
かすかに聞こえていた悲鳴は消え、周囲は風とは関係なしに動く木々の音以外なくなった。
「あと少しですね」
道なき道を進んでいるというのに、佐藤の横を少しも遅れずに続いている二曹が声をかけた。
「しかし連中、夜間歩哨をもう少し選んだ方がいいな」
「ですね、警告の叫びを上げる余裕もなく皆殺しでは、歩哨に立つ意味がありません」
つい先ほど、一人の若い敵兵の頚部を引き裂いた銃剣を片手に、二曹は愉快そうに笑った。
「遅れている奴はいないな?」
「おりません」
反対側を進む三尉が小声で答える。
現在、彼らは敵軍が潜伏している村のすぐ近くまで来ていた。
敵が攻勢を企んでいると聞き、街に到達する前にその戦意を挫こうという佐藤の作戦を実行するためである。
「配置についているな?」
「大丈夫です。それよりも、よろしいかったんですか?あのような重装備で」
「構わん。それに、一個小隊で一個中隊を叩こうと言うんだ。多少の贅沢はさせてやらんと兵が苦労する」
佐藤が率いているのは、小隊は小隊でも、機関銃分隊二つを加えた増強小隊だった。
今回は三個分隊ずつ、つまり実質二個小銃小隊を分けて配置し、十字砲火を形成するという、手堅い作戦だった。
現在のところ進捗は順調で、既に敵の歩哨は壊滅状態に陥っている。
こちらは展開も完了し、指示を待つばかり。
視界の先にある敵軍の野営地は、見たところ完全に寝静まっている。
ようし、始めようか。
佐藤は、邪悪な笑みを浮かべた。