西暦2020年8月23日 10:20 日本本土 防衛省
「これ以上の引き伸ばしは難しいです」
救国防衛会議の末席に座った、記者クラブの代表が言った。
「対象Aは両手両足の負傷が酷く、現在のところ事情聴取は難しいです」
白衣を着た男性が言う。
「対象Bはどうなんだ?五体満足で収容したんだろ?」
この二日間で極度に疲労した統幕長が、力ない声で尋ねる。
「経過を見守りつつ薬物を投与しておりますが、我々が知っている、あるいは想像していた以上の事は聞き出せておりません」
「というと?」
「エルフ第三氏族である。復讐のために大陸の日本人と接触し、国内では対象Aと共に行動していた。背後関係は無し」
「むぅ」
一言唸り、統幕長は黙り込んだ。
今回の事件の対処には、細心の注意が必要だった。
防諜の観点から言えば、対象AとBを国民の前で処刑し、一致団結して国難に対処する必要性を声高に叫ぶのが好ましい。
国民は一致団結し、日本国のためにならない存在に対して憎しみを持って行動してくれるだろう。
今後、二度とこのような事が起こらないようにするためには、それしかないとも言える。
しかし、疑心暗鬼からくる人間関係の問題が噴出する恐れがある。
安定の兆しこそ見えているが、依然として国民の暮らしは豊かになっていないのだ。
その状況下で、憎しみという能動的なエネルギーを国外ではなく国内に存在しているかもしれない敵に向けられるのは、好ましい事ではない。
「先の会議で定まった方針でいくしかないか」
統幕長は言った。
犯人を公表し、処刑する。
それは、将来に渡って効果を発揮する反面、今の国内情勢に問題を与える可能性がある。
だが、冒頭でマスコミの代表が言ったように、いつまでも黙っているわけにはいかない。
国民には、早急に真実を交えた何らかの情報を提供する必要がある。
そこで、救国防衛会議は事件のその後について、一つの方針を定めていた。
「国民が納得するでしょうか?」
再び、記者クラブの代表が言う。
初期の方針とは、あくまでも国外から侵入した敵により、今回の事態が引き起こされた。で終わらせるというものである。
「同じ日本国民が、諸外国の人間と共同してこのような事態を引き起こしたという事実の公表は、現時点では問題の方が大きい。
それが今回の方針の理由であり、変更はない。
申し訳ないが、その方向で報道してくれ」
統幕長が答える。
「わかりました。では私は各社との協議に行ってきます」
そう答え、記者クラブ代表は退室した。
「処刑はエルフだけで?」
公安の代表が尋ねる。
「そうだ。大々的に宣伝し、そして日本国の敵がどうなるのかを国民の目に焼き付けさせるぞ」
「逮捕に参加した部隊はどうしましょうか?彼らは全てを見ている」
言外に、任せてくれれば何とかすると言いつつ、公安の代表が尋ねた。
「それは問題ない」
統幕長は、ニヤリと笑った。
「それにしても」
記者クラブ代表が退出した扉を見つつ、公安の代表が口を開いた。
「人間、変われば変わるものですな」
「何を言っている」
統幕長は笑みを浮かべたまま答えた。
「太平洋戦争中、あそこは一番好戦的だった報道機関だったじゃないか」
政府の情報操作をさしたる異論もなしに受け入れた先ほどの記者。
彼の所属する報道機関は、旭日旗によく似た社章の会社だった。
彼らは平成時代初期の頃に自分たちが報道してきた事と正反対の趣旨を、言われるまでもなく声高に叫んでいた。
その代わり身の早さは、国内の主要マスコミのどこよりも早かった。
その事実を思い出し、一同は愉快そうに笑い出す。
「しかし、佐藤の息子がさすがに気の毒になってきたな」
今しがたサインしたばかりの命令書を見つつ、統幕長は呟いた。
西暦2020年9月6日 12:00 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
「15日前、戦闘があった。
いや、戦闘ならば、この世界に来て以来、何度となくあった。
奴らは化け物を呼び出し、日本人の殺害を繰り返した。
運に恵まれぬ奴らに、勝利が続くはずはない」
早くも冷たくなり始めた風が、丘の上を通過する。
この日の気温は、驚くべき事に10度以下だった。
「奴らは時代が変わっていることに気付かなかった。
下らないテロを繰り返して捜査の範囲を狭め、気付かないうちに逃げ場を失いつつあった奴らは」
正門に立つ警衛が、寒さで身震いをしている。
「恐ろしい化け物を呼び出し、それを武器に日本国に向かって戦いを挑んだ。
それが15日前の戦闘。
化け物は雄々しく戦い、惨敗した。
都内で開けた場所へ誘導されるという愚を犯した化け物。
その無様さを目にした自衛隊は、一切の躊躇を捨てて殲滅した。
日本に平和が訪れた。
彼らのおかげで、それは永久に続くかに思われた」
「何を縁起でもない事を言っているんですか」
呆れたような声が後ろからする。
「いや、言わせてくれ二曹。
こうでも言っていないと気が済まん」
憂鬱そうな声で答え、佐藤は海を見た。
どこまでも続く水平線が目に入る。
陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地。
日本の最北端に位置する拠点である。
この世界に来る以前、ここは本当に小さな拠点でしかなかった。
しかし、現在は違う。
官舎が建設され、ヘリポートが、通信傍受のための施設が続々と建設されている。
この世界に転移した事が原因である。
ゴルソン大陸とそれに付随する群島は、この島に近すぎたのである。
「しっかし、なんだってこんな辺鄙な所にこなけりゃいけないのかねぇ」
恐ろしく澄んだ空気を吸い込みつつ、佐藤は呟く。
前回の事件の後、佐藤たちは解散を命じられずに、防衛省の敷地内で待機を命じられていた。
その待機命令が解除されたのが三日前。
装具をまとめ、命令書片手に輸送船に乗り込んだ彼らは、一昼夜かけて礼文島へと降り立った。
輸送船は佐藤たちと物資を下ろすとすぐさま出航してしまい、新兵の集団を引き連れた施設科らしい三尉が佐藤の元へとやってきた。
「遠いところをお疲れ様です。
自分は施設科の笹山三尉であります。礼文島へようこそ、佐藤一尉」
大陸で、東京で過酷な戦闘を潜り抜けた歴戦の勇士がくると聞かされ、彼は大いに緊張していた。
だが、その彼の前に立つ一等陸尉は、やる気のない答礼を返し、口を開いた。
「それで、俺たちはここで何をすればいいんだ?」
佐藤たちに渡された命令書には、重傷者を除いて速やかに輸送艦に乗り込み、現地で新たな命令を受領せよ。とだけ書かれていた。
「これより三日間、佐藤一尉殿以下部下の皆様は、当分屯地にて休養を取っていただきます。
それ以後の事は、司令より直接お聞き下さい」
「わかった、案内してくれ」
とりあえず休めると聞き、佐藤は表情を僅かに緩めつつ三尉に答えた。
だが、極めて遺憾な事に、彼らは三日間の休暇すら楽しむ事ができなかった。
西暦2020年9月6日 20:28 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
「・・・と、少し長くなってしまったが、あとは各自で自由に飲んで欲しい」
20分以上の演説を終え、分屯地司令は壇上から降りた。
笑顔を浮かべてその隣に立っていた佐藤も、ようやくの事自分の席へと帰還する。
「お疲れ様でした」
すかさず二曹が酒を注ぐ。
「お疲れだったよ。それで、何故貴様は壇上に来なかった?」
そう、二曹は長きにわたる演説の間、他人の振りをしてひたすらに椅子を暖め続けていた。
本来ならば佐藤の隣に立っていなければならない存在であるのにである。
「さあ佐藤一尉、熱いうちにどうぞ」
佐藤の冷たい視線を無視し、二曹はてんこ盛りのご飯を彼に渡す。
「・・・まあいい。全員傾注」
既に佐藤を無視して飲み会を楽しみ始めている部下たちが、一斉に彼を見る。
「随分と減ってしまったが、今日までご苦労だった。
明日明後日も休暇となっている。
それぞれの自宅に帰してやれないのは心苦しいが、何はともあれ諸君、ご苦労様でした」
佐藤は頭を下げ、そしてコップを突き出した。
「乾杯!」
「佐藤一尉殿」
部隊内での乾杯も済み、各々が好きなように飲み始めているところに、この分屯地の普通科らしい一同がやってくる。
「どうした?まあ飲め」
だいぶ酒も回り、ご機嫌になっている佐藤は気さくに酒を振舞う。
「恐縮です。それで佐藤一尉殿、もしお時間がよろしければ、一つ教えていただきたい事があります」
「なんだ?言ってみろ」
空になったビンを置き、新たな酒瓶に手を伸ばしつつ尋ねる。
「その、お恥ずかしい話ですが、自分たちはまだ、実戦を行った事がありません。
そこで、是非とも佐藤一尉殿に、人を撃つための心構えなど教えていただけないかと」
それまで浮かべていた笑みを消し、佐藤は一同を見る。
誰もが、期待に満ちた表情を浮かべている。
そうか、こいつら。
佐藤は理解した。
いきなり前線になった現状が不安で、俺に何か、気分が盛り上がるような事を話して欲しいんだな。
「人を撃つための心構え、ね。
なんだろうな?俺も部下たちも、あまりそういったものは持ち合わせてないんだよな」
偉大なる日本国と民主主義のため、危険を省みずに七生報国の精神で事に当たるのだ。
と叫んでやろうかなと内心思いつつ、彼は口を開いた。
「しいて言えば」
「しいて言いますと?」
一同が身を乗り出し、一言たりとも聞き逃さないように佐藤を見る。
「俺が始めて能動的に人間を撃った時、その時の衝撃は、数字にするなら100あった。
もちろんうろたえているわけにはいかなかったから、指揮はきちんととったがね」
佐藤は、一同の目を順繰りと見つつ続けた。
「次はその驚きが半分の50に。
その次は25だ」
そこまで言うと、佐藤は口を閉じた。
誰もが続きを聞こうと彼を見る。
だが、その表情には期待という文字はない。
聞きたくはないが聞かなければいけないという義務感のようなものが浮かんでいる。
「その、次は?」
黙った佐藤に対して、一同の代表が尋ねる。
「その次?」
佐藤は、二曹ですら見たことのない暗い表情を浮かべた。
そして、口を開いた。
「もう何も感じない。
そこまでくれば、心配する必要はないさ」
「悪夢を見たり、良心の呵責を感じたりというのは?」
「なんというかな、そういうのとは別次元になるんだ。
良い事とか、悪い事とかいう尺度に、戦闘行為は当てはめようがないと気がつくんだよ」
佐藤の回答に、一同は理解はしたが、納得はできないという表情を浮かべる。
人間を殺すという行為を、そこまで簡単に割り切れるのだろうかという疑問を振り払えないのだ。
「国の命令で、必要とされる行動を、必要なだけ取る。
そうとだけ考えておけば、自分も仲間も危険に晒す事はない。
変に気張っていると、一生気を抜けなくなる。
気をつけろよ」
それだけ言うと、佐藤は彼らに背中を向けて、黙々と飲み始めた。
憂鬱になった一同がそれぞれの席に戻った頃、択捉島に、一隻の小型船がぶつかろうとしていた。
それは、何処からどう見てもこの世界の物であり、ついでに言えばボロボロだった。
船は、波に押されるがままに接近し、島の周囲にあるテトラポットの群れに突っ込んだ。
船体が破損し、船の中から悲鳴のようなものが聞こえる。
だが、夜の闇は全てを覆い隠し、波の音は悲鳴をかき消した。
完全にめり込んでしまった船体から、一人、二人と人影が現れる。
周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、船内から更なる人影が現れる。
人影たちは、町の明かりとは正反対の方向へ向けて、一目散に駆け出していった。
頑丈なコンクリートに激突した船体は、波に押されてさらに破損の度合いを増し、日が昇るまでには木材の残骸へと形を変えていた。
このような形で、佐藤たちの休暇一日目は終わった。
「これ以上の引き伸ばしは難しいです」
救国防衛会議の末席に座った、記者クラブの代表が言った。
「対象Aは両手両足の負傷が酷く、現在のところ事情聴取は難しいです」
白衣を着た男性が言う。
「対象Bはどうなんだ?五体満足で収容したんだろ?」
この二日間で極度に疲労した統幕長が、力ない声で尋ねる。
「経過を見守りつつ薬物を投与しておりますが、我々が知っている、あるいは想像していた以上の事は聞き出せておりません」
「というと?」
「エルフ第三氏族である。復讐のために大陸の日本人と接触し、国内では対象Aと共に行動していた。背後関係は無し」
「むぅ」
一言唸り、統幕長は黙り込んだ。
今回の事件の対処には、細心の注意が必要だった。
防諜の観点から言えば、対象AとBを国民の前で処刑し、一致団結して国難に対処する必要性を声高に叫ぶのが好ましい。
国民は一致団結し、日本国のためにならない存在に対して憎しみを持って行動してくれるだろう。
今後、二度とこのような事が起こらないようにするためには、それしかないとも言える。
しかし、疑心暗鬼からくる人間関係の問題が噴出する恐れがある。
安定の兆しこそ見えているが、依然として国民の暮らしは豊かになっていないのだ。
その状況下で、憎しみという能動的なエネルギーを国外ではなく国内に存在しているかもしれない敵に向けられるのは、好ましい事ではない。
「先の会議で定まった方針でいくしかないか」
統幕長は言った。
犯人を公表し、処刑する。
それは、将来に渡って効果を発揮する反面、今の国内情勢に問題を与える可能性がある。
だが、冒頭でマスコミの代表が言ったように、いつまでも黙っているわけにはいかない。
国民には、早急に真実を交えた何らかの情報を提供する必要がある。
そこで、救国防衛会議は事件のその後について、一つの方針を定めていた。
「国民が納得するでしょうか?」
再び、記者クラブの代表が言う。
初期の方針とは、あくまでも国外から侵入した敵により、今回の事態が引き起こされた。で終わらせるというものである。
「同じ日本国民が、諸外国の人間と共同してこのような事態を引き起こしたという事実の公表は、現時点では問題の方が大きい。
それが今回の方針の理由であり、変更はない。
申し訳ないが、その方向で報道してくれ」
統幕長が答える。
「わかりました。では私は各社との協議に行ってきます」
そう答え、記者クラブ代表は退室した。
「処刑はエルフだけで?」
公安の代表が尋ねる。
「そうだ。大々的に宣伝し、そして日本国の敵がどうなるのかを国民の目に焼き付けさせるぞ」
「逮捕に参加した部隊はどうしましょうか?彼らは全てを見ている」
言外に、任せてくれれば何とかすると言いつつ、公安の代表が尋ねた。
「それは問題ない」
統幕長は、ニヤリと笑った。
「それにしても」
記者クラブ代表が退出した扉を見つつ、公安の代表が口を開いた。
「人間、変われば変わるものですな」
「何を言っている」
統幕長は笑みを浮かべたまま答えた。
「太平洋戦争中、あそこは一番好戦的だった報道機関だったじゃないか」
政府の情報操作をさしたる異論もなしに受け入れた先ほどの記者。
彼の所属する報道機関は、旭日旗によく似た社章の会社だった。
彼らは平成時代初期の頃に自分たちが報道してきた事と正反対の趣旨を、言われるまでもなく声高に叫んでいた。
その代わり身の早さは、国内の主要マスコミのどこよりも早かった。
その事実を思い出し、一同は愉快そうに笑い出す。
「しかし、佐藤の息子がさすがに気の毒になってきたな」
今しがたサインしたばかりの命令書を見つつ、統幕長は呟いた。
西暦2020年9月6日 12:00 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
「15日前、戦闘があった。
いや、戦闘ならば、この世界に来て以来、何度となくあった。
奴らは化け物を呼び出し、日本人の殺害を繰り返した。
運に恵まれぬ奴らに、勝利が続くはずはない」
早くも冷たくなり始めた風が、丘の上を通過する。
この日の気温は、驚くべき事に10度以下だった。
「奴らは時代が変わっていることに気付かなかった。
下らないテロを繰り返して捜査の範囲を狭め、気付かないうちに逃げ場を失いつつあった奴らは」
正門に立つ警衛が、寒さで身震いをしている。
「恐ろしい化け物を呼び出し、それを武器に日本国に向かって戦いを挑んだ。
それが15日前の戦闘。
化け物は雄々しく戦い、惨敗した。
都内で開けた場所へ誘導されるという愚を犯した化け物。
その無様さを目にした自衛隊は、一切の躊躇を捨てて殲滅した。
日本に平和が訪れた。
彼らのおかげで、それは永久に続くかに思われた」
「何を縁起でもない事を言っているんですか」
呆れたような声が後ろからする。
「いや、言わせてくれ二曹。
こうでも言っていないと気が済まん」
憂鬱そうな声で答え、佐藤は海を見た。
どこまでも続く水平線が目に入る。
陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地。
日本の最北端に位置する拠点である。
この世界に来る以前、ここは本当に小さな拠点でしかなかった。
しかし、現在は違う。
官舎が建設され、ヘリポートが、通信傍受のための施設が続々と建設されている。
この世界に転移した事が原因である。
ゴルソン大陸とそれに付随する群島は、この島に近すぎたのである。
「しっかし、なんだってこんな辺鄙な所にこなけりゃいけないのかねぇ」
恐ろしく澄んだ空気を吸い込みつつ、佐藤は呟く。
前回の事件の後、佐藤たちは解散を命じられずに、防衛省の敷地内で待機を命じられていた。
その待機命令が解除されたのが三日前。
装具をまとめ、命令書片手に輸送船に乗り込んだ彼らは、一昼夜かけて礼文島へと降り立った。
輸送船は佐藤たちと物資を下ろすとすぐさま出航してしまい、新兵の集団を引き連れた施設科らしい三尉が佐藤の元へとやってきた。
「遠いところをお疲れ様です。
自分は施設科の笹山三尉であります。礼文島へようこそ、佐藤一尉」
大陸で、東京で過酷な戦闘を潜り抜けた歴戦の勇士がくると聞かされ、彼は大いに緊張していた。
だが、その彼の前に立つ一等陸尉は、やる気のない答礼を返し、口を開いた。
「それで、俺たちはここで何をすればいいんだ?」
佐藤たちに渡された命令書には、重傷者を除いて速やかに輸送艦に乗り込み、現地で新たな命令を受領せよ。とだけ書かれていた。
「これより三日間、佐藤一尉殿以下部下の皆様は、当分屯地にて休養を取っていただきます。
それ以後の事は、司令より直接お聞き下さい」
「わかった、案内してくれ」
とりあえず休めると聞き、佐藤は表情を僅かに緩めつつ三尉に答えた。
だが、極めて遺憾な事に、彼らは三日間の休暇すら楽しむ事ができなかった。
西暦2020年9月6日 20:28 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
「・・・と、少し長くなってしまったが、あとは各自で自由に飲んで欲しい」
20分以上の演説を終え、分屯地司令は壇上から降りた。
笑顔を浮かべてその隣に立っていた佐藤も、ようやくの事自分の席へと帰還する。
「お疲れ様でした」
すかさず二曹が酒を注ぐ。
「お疲れだったよ。それで、何故貴様は壇上に来なかった?」
そう、二曹は長きにわたる演説の間、他人の振りをしてひたすらに椅子を暖め続けていた。
本来ならば佐藤の隣に立っていなければならない存在であるのにである。
「さあ佐藤一尉、熱いうちにどうぞ」
佐藤の冷たい視線を無視し、二曹はてんこ盛りのご飯を彼に渡す。
「・・・まあいい。全員傾注」
既に佐藤を無視して飲み会を楽しみ始めている部下たちが、一斉に彼を見る。
「随分と減ってしまったが、今日までご苦労だった。
明日明後日も休暇となっている。
それぞれの自宅に帰してやれないのは心苦しいが、何はともあれ諸君、ご苦労様でした」
佐藤は頭を下げ、そしてコップを突き出した。
「乾杯!」
「佐藤一尉殿」
部隊内での乾杯も済み、各々が好きなように飲み始めているところに、この分屯地の普通科らしい一同がやってくる。
「どうした?まあ飲め」
だいぶ酒も回り、ご機嫌になっている佐藤は気さくに酒を振舞う。
「恐縮です。それで佐藤一尉殿、もしお時間がよろしければ、一つ教えていただきたい事があります」
「なんだ?言ってみろ」
空になったビンを置き、新たな酒瓶に手を伸ばしつつ尋ねる。
「その、お恥ずかしい話ですが、自分たちはまだ、実戦を行った事がありません。
そこで、是非とも佐藤一尉殿に、人を撃つための心構えなど教えていただけないかと」
それまで浮かべていた笑みを消し、佐藤は一同を見る。
誰もが、期待に満ちた表情を浮かべている。
そうか、こいつら。
佐藤は理解した。
いきなり前線になった現状が不安で、俺に何か、気分が盛り上がるような事を話して欲しいんだな。
「人を撃つための心構え、ね。
なんだろうな?俺も部下たちも、あまりそういったものは持ち合わせてないんだよな」
偉大なる日本国と民主主義のため、危険を省みずに七生報国の精神で事に当たるのだ。
と叫んでやろうかなと内心思いつつ、彼は口を開いた。
「しいて言えば」
「しいて言いますと?」
一同が身を乗り出し、一言たりとも聞き逃さないように佐藤を見る。
「俺が始めて能動的に人間を撃った時、その時の衝撃は、数字にするなら100あった。
もちろんうろたえているわけにはいかなかったから、指揮はきちんととったがね」
佐藤は、一同の目を順繰りと見つつ続けた。
「次はその驚きが半分の50に。
その次は25だ」
そこまで言うと、佐藤は口を閉じた。
誰もが続きを聞こうと彼を見る。
だが、その表情には期待という文字はない。
聞きたくはないが聞かなければいけないという義務感のようなものが浮かんでいる。
「その、次は?」
黙った佐藤に対して、一同の代表が尋ねる。
「その次?」
佐藤は、二曹ですら見たことのない暗い表情を浮かべた。
そして、口を開いた。
「もう何も感じない。
そこまでくれば、心配する必要はないさ」
「悪夢を見たり、良心の呵責を感じたりというのは?」
「なんというかな、そういうのとは別次元になるんだ。
良い事とか、悪い事とかいう尺度に、戦闘行為は当てはめようがないと気がつくんだよ」
佐藤の回答に、一同は理解はしたが、納得はできないという表情を浮かべる。
人間を殺すという行為を、そこまで簡単に割り切れるのだろうかという疑問を振り払えないのだ。
「国の命令で、必要とされる行動を、必要なだけ取る。
そうとだけ考えておけば、自分も仲間も危険に晒す事はない。
変に気張っていると、一生気を抜けなくなる。
気をつけろよ」
それだけ言うと、佐藤は彼らに背中を向けて、黙々と飲み始めた。
憂鬱になった一同がそれぞれの席に戻った頃、択捉島に、一隻の小型船がぶつかろうとしていた。
それは、何処からどう見てもこの世界の物であり、ついでに言えばボロボロだった。
船は、波に押されるがままに接近し、島の周囲にあるテトラポットの群れに突っ込んだ。
船体が破損し、船の中から悲鳴のようなものが聞こえる。
だが、夜の闇は全てを覆い隠し、波の音は悲鳴をかき消した。
完全にめり込んでしまった船体から、一人、二人と人影が現れる。
周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、船内から更なる人影が現れる。
人影たちは、町の明かりとは正反対の方向へ向けて、一目散に駆け出していった。
頑丈なコンクリートに激突した船体は、波に押されてさらに破損の度合いを増し、日が昇るまでには木材の残骸へと形を変えていた。
このような形で、佐藤たちの休暇一日目は終わった。