西暦2020年9月7日 08:30 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地前
「なんだよこりゃあ」
猛吹雪の中、フロントガラスの向こうから見える光景に、佐藤は思わず声を漏らした。
増築作業が行われていた分屯地は、巨大な氷のオブジェへと変わっていた。
後部ドアが開き、吹雪と共に二曹が飛び込んでくる。
「ダメです!中に入れません!」
ヘルメットにこびり付いた雪を落としつつ二曹は報告を続けた。
「まるで氷の城です。分屯地を囲むように、巨大な氷の壁が出来ています。
部下の中には壁の向こうに城のようなものを見たという者もいます」
「ふむ、雪女でも出たかな」
「何処の世界に自衛隊の基地を氷漬けにする雪女がいますか!」
冷たい外気に晒されて、顔色が未だ戻っていない二曹が怒鳴る。
「ここの世界にだよ。ありえない話じゃないだろう?」
だが、佐藤に冷静に返され、黙り込む。
魔法にゾンビに幽霊、エルフにモンスターとなんでもありのこの世界ならば、確かにありえなくもない。
「本土の部隊とは連絡が取れんか?」
黙り込んだ二曹を無視し、佐藤は通信機と格闘している隊員に声をかける。
「ダメです。雪の影響か全く通信が出来ません。
民間人の避難誘導を行っているはずの海自ともです」
「うむ、どちらにせよこのままでは全員凍死だ。
一度港まで下がるぞ。さすがに海自も出航していないだろう」
「そうしたいのですが」
ここまで沈黙を守っていた運転手が会話に参加する。
「エンジンが、かかりません」
「はぁ!?」
言われてみると、確かに車内の温度は先ほどまでも下がっている。
何よりもエンジン音がしない。
助手席のドアが外から叩かれる。
「なんだ?」
雪が入るのを我慢して窓を開ける。
「報告します!二号車三号車共にエンジンが停止しました!
寒さのせいか再始動できません!」
「わかった!車内で待機しろ!」
「わかりました!」
凄まじい風雪のおかげで、至近距離で大声を出しても意思の疎通が難しい。
しかし、仮にも寒冷地用の軍用車輌だぞ。
それが走行中ではないにしても簡単にエンジン停止したりするものなのか?
それも三台同時に。
自分の中で、嫌な予感が次第に大きくなってくる。
「二曹」
「はい」
雪を落としていた二曹がこちらを見る。
「無反動砲、あったっけか?」
西暦2020年9月7日 08:37 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
氷で出来た巨大な壁に、砲弾が突き刺さる。
第三世代の戦車ですら当たり所が良ければ一撃で撃破できるそれは、氷の壁を一撃で貫いた。
「崩れるぞ!退避!!」
基部を打ち抜かれた壁は、凄まじいとしか形容しようがない吹雪に押され、ゆっくりと崩れていった。
今まで見えなかった壁の向こうが見える。
「なんだありゃあ?」
視界には、巨大な城があった。
札幌雪祭りで作られるようなオブジェではない。
欧州旅行のパンフレットに載っているような、人間が暮らす事を前提にしている建築物である。
「全員装填しろ。動いたからって何でも撃つなよ。
原田一曹」
「はっ」
「車輌を任せる。友軍を呼び出し続けろ。
それと、俺たちとの通信が途絶えたら撤退しろ」
「了解しました」
敬礼する原田を残し、佐藤は部隊を率いて壁の内側へと歩き出した。
「凍っていますね」
「凍っているな」
歩哨の最中にこの寒波に襲われたらしい一士が、空を見上げたまま凍っている。
「クソ、なんなんだこりゃあ」
よく見れば、車輌やヘリも漫画のように凍り付いている。
「一尉!」
二曹に呼ばれた方向を見る。
増築中の建物たちが、どれも完全に凍り付いている。
「俺たちが出た時、何人残っていたか覚えているか?」
「最低でも一個小隊以上はいたはずですね」
「誰も出てこない、つまり全滅、か。こいつはどう考えても人為的なもののはずだ。
液体窒素をぶちまけたって、こうも綺麗に何でもかんでも凍るはずがない」
「今日の気象予報では、確か晴天だったはずですしね」
「そうだ、さて、どうする?」
彼は二曹に尋ねると、眼前の城を睨みつけた。
「入るしか、なさそうですよ」
明らかに実用的なサイズではない巨大な入り口を見つつ、二曹は答えた。
「よくぞここまで来た人の子よ」
「何を言っている?」
思わず呟いた佐藤に、二曹ではない女性が突っ込みを入れる。
入り口を抜けた先は、雪国というよりも氷の国だった。
氷の廊下、氷の壁、氷の天井。
そして、雪女西洋版としか形容できない女性。
氷の玉座に座る彼女の周囲には、自衛隊員が数名、小銃を構えたままの姿で凍り付いている。
「あー、我ながら間抜けな台詞である事は自覚しているんだがね」
佐藤は後頭部を掻きつつ続けた。
「ここは国有地であり、陸上自衛隊の施設である。
速やかに退去しなさい。しない場合には」「実力をもって、排除する、かえ?」
「人の言葉は最後まで聞くものですよ。
まあ、でもそうですな。速やかに退去しなさい。最後の警告である」
佐藤は左手を上げた。
彼の周囲にいた隊員たちは、散開し、小銃を構えた。
「出て行くのは構わんが、この砦をお前たちで元に戻せるのかえ?」
「心配するな。人命は無理だが、この程度の氷、問題ではない。
それよりも、こちらの命令に従うのか?従わないのか?はっきりしてくれ」
佐藤の言葉を聞いた相手は、怒りを露にするどころか愉快そうに笑い出した。
「さすがは異世界の兵よ。豪気な事だ」
「楽しそうなところ申し訳ないが、どうするんだ?これは最後の質問だ」
自身も小銃を構えた佐藤を無視し、女性は玉座のような椅子から立ち上がり、凍り付いている隊員に近づく。
「何をする!?止まれ!」
「そう騒ぐでない」
色めき立つ自衛官たちを制し、女性は凍り付いている隊員の顔に手を添えた。
次の瞬間、彼を覆っていた氷は消え去った。
「なっ!何をした!?」
瞬間解凍された隊員は、そのまま床へと崩れるように座り込む。
漫画のように凍りついた状態から一瞬で解凍されたというのに、その外見には何の異常もない。
「騒ぐでないと言ったぞ。
異世界の英雄が、これしきの事でうろたえてどうするのかえ?」
女性はやや失望したようにそう言い、そして改めて佐藤の方を向いた。
良い女だ。
正面から姿を見た彼は、小銃を構えたまま心からそう思った。
非の打ち所のないプロポーション。
見るものに与える心理的影響までをも考慮して設計されたような顔。
もったいないなぁ。
徐々に引き金を絞りつつ、彼はそう思った。
「それは困るのぅ」
銃口を向けられた女性は、余裕の笑みを浮かべたまま片手を振るった。
一瞬の出来事だった。
佐藤の視界の中で、自身の両手と小銃が凍り付いていく。
「いっ!一尉っ!!」
二曹の悲鳴が聞こえる。
頭を回すと、二曹も同様に、いや、散開している隊員全ての両手と小銃が凍り付いていく。
ダメだ。こいつはとんでもない相手だ。
自衛隊員たちの悲鳴を聞きつつ、佐藤は内心で呟いた。
なんとかしないと、全員が雪祭りのオブジェにされてしまう。
「まったく、話をするのにどうしてここまでせねばならんのか」
憂鬱そうな声が聞こえたのはその瞬間だった。
視線を向けると、先ほどの女性は困ったような笑みを浮かべていた。
「それで、話は聞いてもらえるのかえ?」
「この状態で断ったら男らしいんだがね、聞かせてもらおうかな」
凍りついた両手はそのままに、佐藤は床へと座り込んだ。
「蛮勇は男らしいとは言わん。
まあいい、察しは付いていると思うが、わっちは雪と氷を司る、お前たちの言葉で言うところの女神じゃ」
「最近の女神は軍隊に喧嘩を売るんですな。随分と野蛮になったものだ」
「黙れ!」
黙ってみた。
「まったく、この砦にいた連中といい、お前といい、どうして異世界兵は減らず口を叩きたがるのじゃ。
いや、いい。それでな、わっちはお前に話がある」
「弁護士を通してください」
「べんごし?何だそれは?」
「弁護士をご存じない?では総理大臣というものをご存知ですか?」
「変わった名だが、その大臣がこの砦の長なのか?」
「いえ、失礼しました。忘れてください」
うーむ、自動小銃が武器ということは知っているらしいが、こちらについて精通しているわけでもなさそうだな。
ならば、武器庫に行けばなんとかなるだろう。
あそこには火炎放射器がいくつもある。
「それで、お話というのは?」
「うん、簡単な話だ。わっちを助けて欲しい」
「助ける?俺たちを一瞬で無力化できる力を持っている存在を?」
そして彼女は話し始めた。
自分がどうしてここに来て、何故助けて欲しいのかを。
グレザール帝國は、当たり前だが魔法を使う。
そして俺たちは、これも当たり前だが魔法を使わない。
大軍同士がぶつかり合う戦争ならば、確かに俺たちは無敵だった。
空爆で叩き、砲撃で潰し、そして銃撃で止めを刺す。
機動力が数の差をカバーし、銃という遠距離兵器が魔法の優位性を覆す。
この世界の軍隊が勝てるはずがない。
しかし、この世界最強の存在であるグレザール帝国は、この世界においては無敵だった。
魔法使いが敵の魔法を打ち消し、そして相手が苦手とする分野を学んだ魔法使いが相手を叩く。
距離が詰まれば、今度は数の暴力がものを言う。
剣士、槍兵、馬上の騎士。
一瞬で全てを凍らせたとしても、それらを踏み倒して次が、その次が来るのでは、いかに力を持っていようともいつかは屈する時が来る。
彼女はそうして、家族を人質に取られているらしい。
「それで?俺たちにその家族を救出して欲しいと?」
「そうじゃ」
「いやいや、なかなかに面白い話ですね」
相手の返答を聞いた佐藤は、顔を歪めて笑い出した。
「なんじゃと?何が面白い?」
真っ白な相手の顔に、明らかな怒りの炎が生まれる。
「人質に取られた家族を救うために、他人の仲間を人質に取るとはね。
質の悪い冗談だ。ふざけるのも大概にしろ」
両腕を凍らせたまま、佐藤は相手の目を見た。
怒りに燃えていた瞳が、急速にその熱を失っていく。
もう一押しだな。
「助けが欲しいのならば、どうして頼みにこない?
なぜ最初から戦いを挑んでくる?
仮にも女神を名乗る存在ならば、いきなり力に頼る方法がいかに愚かか、わかるだろう?」
相手の目から視線を外さない。
怒りが消えたその瞳には、戸惑いと、罪悪感が生まれている。
あと少しだ。
西暦2020年9月7日 08:40 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
「俺たちは、俺たち日本人は、会うもの全てに武力を振るうほど野蛮ではない。
こんな出会いでお互いに憎み合うことほど、無益な事はない。
話し合おうじゃないか?その上で、どうするかを考えよう。双方にとって利益が生まれる形にどうしたらなるのかを」
相手の目が考える目になっている。
とりあえず、どうしたものか。
「い、ちぃ」
瞬間解凍された陸士は、やはり生きていたようだ。
なんとかこちらに視線を向け、小声で呟いている。
しかし、武装した男性自衛官が女座りをしている姿は気持ち悪いな。
「大丈夫か?いいから動くなよ。
それで、話し合いをする気はないか?俺としては、出来れば話し合いたいんだが?」
「・・・そうじゃな、いきなり凍らせて、すまぬ」
女性は片手を振るった。
まるで手品だった。
いや、もちろん種も仕掛けもない魔法である事はわかっているが。
とにかく俺たちの両手を凍らせていた氷が、一瞬で消える。
両手が重く感じるほどの重量だったというのに、水滴一つ残さずに。
「撃つなよ」
一応部下たちに命じ、そして俺も小銃を下ろす。
もちろん安全装置は解除したまま、装填したままだが。
「それで、他の連中も解凍してくれると助かるんですが」
「氷を溶かせばよいのか?」
「そう、溶かしてくれ。全員」
再び女性は手を振るった。
凍りついたままの隊員たちが、一瞬で解凍される。
まるで示し合わせていたかのように、彼らは一斉に床へと座り込む。
「まずは感謝させてもらいますよ。
それで、改めて、ですがお話をうかがわせて貰いましょうか」
たぶん撃ち殺しておいた方が楽なんだろうなと内心で思いつつ、佐藤は尋ねた。
「なんだよこりゃあ」
猛吹雪の中、フロントガラスの向こうから見える光景に、佐藤は思わず声を漏らした。
増築作業が行われていた分屯地は、巨大な氷のオブジェへと変わっていた。
後部ドアが開き、吹雪と共に二曹が飛び込んでくる。
「ダメです!中に入れません!」
ヘルメットにこびり付いた雪を落としつつ二曹は報告を続けた。
「まるで氷の城です。分屯地を囲むように、巨大な氷の壁が出来ています。
部下の中には壁の向こうに城のようなものを見たという者もいます」
「ふむ、雪女でも出たかな」
「何処の世界に自衛隊の基地を氷漬けにする雪女がいますか!」
冷たい外気に晒されて、顔色が未だ戻っていない二曹が怒鳴る。
「ここの世界にだよ。ありえない話じゃないだろう?」
だが、佐藤に冷静に返され、黙り込む。
魔法にゾンビに幽霊、エルフにモンスターとなんでもありのこの世界ならば、確かにありえなくもない。
「本土の部隊とは連絡が取れんか?」
黙り込んだ二曹を無視し、佐藤は通信機と格闘している隊員に声をかける。
「ダメです。雪の影響か全く通信が出来ません。
民間人の避難誘導を行っているはずの海自ともです」
「うむ、どちらにせよこのままでは全員凍死だ。
一度港まで下がるぞ。さすがに海自も出航していないだろう」
「そうしたいのですが」
ここまで沈黙を守っていた運転手が会話に参加する。
「エンジンが、かかりません」
「はぁ!?」
言われてみると、確かに車内の温度は先ほどまでも下がっている。
何よりもエンジン音がしない。
助手席のドアが外から叩かれる。
「なんだ?」
雪が入るのを我慢して窓を開ける。
「報告します!二号車三号車共にエンジンが停止しました!
寒さのせいか再始動できません!」
「わかった!車内で待機しろ!」
「わかりました!」
凄まじい風雪のおかげで、至近距離で大声を出しても意思の疎通が難しい。
しかし、仮にも寒冷地用の軍用車輌だぞ。
それが走行中ではないにしても簡単にエンジン停止したりするものなのか?
それも三台同時に。
自分の中で、嫌な予感が次第に大きくなってくる。
「二曹」
「はい」
雪を落としていた二曹がこちらを見る。
「無反動砲、あったっけか?」
西暦2020年9月7日 08:37 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
氷で出来た巨大な壁に、砲弾が突き刺さる。
第三世代の戦車ですら当たり所が良ければ一撃で撃破できるそれは、氷の壁を一撃で貫いた。
「崩れるぞ!退避!!」
基部を打ち抜かれた壁は、凄まじいとしか形容しようがない吹雪に押され、ゆっくりと崩れていった。
今まで見えなかった壁の向こうが見える。
「なんだありゃあ?」
視界には、巨大な城があった。
札幌雪祭りで作られるようなオブジェではない。
欧州旅行のパンフレットに載っているような、人間が暮らす事を前提にしている建築物である。
「全員装填しろ。動いたからって何でも撃つなよ。
原田一曹」
「はっ」
「車輌を任せる。友軍を呼び出し続けろ。
それと、俺たちとの通信が途絶えたら撤退しろ」
「了解しました」
敬礼する原田を残し、佐藤は部隊を率いて壁の内側へと歩き出した。
「凍っていますね」
「凍っているな」
歩哨の最中にこの寒波に襲われたらしい一士が、空を見上げたまま凍っている。
「クソ、なんなんだこりゃあ」
よく見れば、車輌やヘリも漫画のように凍り付いている。
「一尉!」
二曹に呼ばれた方向を見る。
増築中の建物たちが、どれも完全に凍り付いている。
「俺たちが出た時、何人残っていたか覚えているか?」
「最低でも一個小隊以上はいたはずですね」
「誰も出てこない、つまり全滅、か。こいつはどう考えても人為的なもののはずだ。
液体窒素をぶちまけたって、こうも綺麗に何でもかんでも凍るはずがない」
「今日の気象予報では、確か晴天だったはずですしね」
「そうだ、さて、どうする?」
彼は二曹に尋ねると、眼前の城を睨みつけた。
「入るしか、なさそうですよ」
明らかに実用的なサイズではない巨大な入り口を見つつ、二曹は答えた。
「よくぞここまで来た人の子よ」
「何を言っている?」
思わず呟いた佐藤に、二曹ではない女性が突っ込みを入れる。
入り口を抜けた先は、雪国というよりも氷の国だった。
氷の廊下、氷の壁、氷の天井。
そして、雪女西洋版としか形容できない女性。
氷の玉座に座る彼女の周囲には、自衛隊員が数名、小銃を構えたままの姿で凍り付いている。
「あー、我ながら間抜けな台詞である事は自覚しているんだがね」
佐藤は後頭部を掻きつつ続けた。
「ここは国有地であり、陸上自衛隊の施設である。
速やかに退去しなさい。しない場合には」「実力をもって、排除する、かえ?」
「人の言葉は最後まで聞くものですよ。
まあ、でもそうですな。速やかに退去しなさい。最後の警告である」
佐藤は左手を上げた。
彼の周囲にいた隊員たちは、散開し、小銃を構えた。
「出て行くのは構わんが、この砦をお前たちで元に戻せるのかえ?」
「心配するな。人命は無理だが、この程度の氷、問題ではない。
それよりも、こちらの命令に従うのか?従わないのか?はっきりしてくれ」
佐藤の言葉を聞いた相手は、怒りを露にするどころか愉快そうに笑い出した。
「さすがは異世界の兵よ。豪気な事だ」
「楽しそうなところ申し訳ないが、どうするんだ?これは最後の質問だ」
自身も小銃を構えた佐藤を無視し、女性は玉座のような椅子から立ち上がり、凍り付いている隊員に近づく。
「何をする!?止まれ!」
「そう騒ぐでない」
色めき立つ自衛官たちを制し、女性は凍り付いている隊員の顔に手を添えた。
次の瞬間、彼を覆っていた氷は消え去った。
「なっ!何をした!?」
瞬間解凍された隊員は、そのまま床へと崩れるように座り込む。
漫画のように凍りついた状態から一瞬で解凍されたというのに、その外見には何の異常もない。
「騒ぐでないと言ったぞ。
異世界の英雄が、これしきの事でうろたえてどうするのかえ?」
女性はやや失望したようにそう言い、そして改めて佐藤の方を向いた。
良い女だ。
正面から姿を見た彼は、小銃を構えたまま心からそう思った。
非の打ち所のないプロポーション。
見るものに与える心理的影響までをも考慮して設計されたような顔。
もったいないなぁ。
徐々に引き金を絞りつつ、彼はそう思った。
「それは困るのぅ」
銃口を向けられた女性は、余裕の笑みを浮かべたまま片手を振るった。
一瞬の出来事だった。
佐藤の視界の中で、自身の両手と小銃が凍り付いていく。
「いっ!一尉っ!!」
二曹の悲鳴が聞こえる。
頭を回すと、二曹も同様に、いや、散開している隊員全ての両手と小銃が凍り付いていく。
ダメだ。こいつはとんでもない相手だ。
自衛隊員たちの悲鳴を聞きつつ、佐藤は内心で呟いた。
なんとかしないと、全員が雪祭りのオブジェにされてしまう。
「まったく、話をするのにどうしてここまでせねばならんのか」
憂鬱そうな声が聞こえたのはその瞬間だった。
視線を向けると、先ほどの女性は困ったような笑みを浮かべていた。
「それで、話は聞いてもらえるのかえ?」
「この状態で断ったら男らしいんだがね、聞かせてもらおうかな」
凍りついた両手はそのままに、佐藤は床へと座り込んだ。
「蛮勇は男らしいとは言わん。
まあいい、察しは付いていると思うが、わっちは雪と氷を司る、お前たちの言葉で言うところの女神じゃ」
「最近の女神は軍隊に喧嘩を売るんですな。随分と野蛮になったものだ」
「黙れ!」
黙ってみた。
「まったく、この砦にいた連中といい、お前といい、どうして異世界兵は減らず口を叩きたがるのじゃ。
いや、いい。それでな、わっちはお前に話がある」
「弁護士を通してください」
「べんごし?何だそれは?」
「弁護士をご存じない?では総理大臣というものをご存知ですか?」
「変わった名だが、その大臣がこの砦の長なのか?」
「いえ、失礼しました。忘れてください」
うーむ、自動小銃が武器ということは知っているらしいが、こちらについて精通しているわけでもなさそうだな。
ならば、武器庫に行けばなんとかなるだろう。
あそこには火炎放射器がいくつもある。
「それで、お話というのは?」
「うん、簡単な話だ。わっちを助けて欲しい」
「助ける?俺たちを一瞬で無力化できる力を持っている存在を?」
そして彼女は話し始めた。
自分がどうしてここに来て、何故助けて欲しいのかを。
グレザール帝國は、当たり前だが魔法を使う。
そして俺たちは、これも当たり前だが魔法を使わない。
大軍同士がぶつかり合う戦争ならば、確かに俺たちは無敵だった。
空爆で叩き、砲撃で潰し、そして銃撃で止めを刺す。
機動力が数の差をカバーし、銃という遠距離兵器が魔法の優位性を覆す。
この世界の軍隊が勝てるはずがない。
しかし、この世界最強の存在であるグレザール帝国は、この世界においては無敵だった。
魔法使いが敵の魔法を打ち消し、そして相手が苦手とする分野を学んだ魔法使いが相手を叩く。
距離が詰まれば、今度は数の暴力がものを言う。
剣士、槍兵、馬上の騎士。
一瞬で全てを凍らせたとしても、それらを踏み倒して次が、その次が来るのでは、いかに力を持っていようともいつかは屈する時が来る。
彼女はそうして、家族を人質に取られているらしい。
「それで?俺たちにその家族を救出して欲しいと?」
「そうじゃ」
「いやいや、なかなかに面白い話ですね」
相手の返答を聞いた佐藤は、顔を歪めて笑い出した。
「なんじゃと?何が面白い?」
真っ白な相手の顔に、明らかな怒りの炎が生まれる。
「人質に取られた家族を救うために、他人の仲間を人質に取るとはね。
質の悪い冗談だ。ふざけるのも大概にしろ」
両腕を凍らせたまま、佐藤は相手の目を見た。
怒りに燃えていた瞳が、急速にその熱を失っていく。
もう一押しだな。
「助けが欲しいのならば、どうして頼みにこない?
なぜ最初から戦いを挑んでくる?
仮にも女神を名乗る存在ならば、いきなり力に頼る方法がいかに愚かか、わかるだろう?」
相手の目から視線を外さない。
怒りが消えたその瞳には、戸惑いと、罪悪感が生まれている。
あと少しだ。
西暦2020年9月7日 08:40 北海道 北海道礼文郡礼文町大字船泊村字沼の沢 陸上自衛隊名寄駐屯地礼文分屯地
「俺たちは、俺たち日本人は、会うもの全てに武力を振るうほど野蛮ではない。
こんな出会いでお互いに憎み合うことほど、無益な事はない。
話し合おうじゃないか?その上で、どうするかを考えよう。双方にとって利益が生まれる形にどうしたらなるのかを」
相手の目が考える目になっている。
とりあえず、どうしたものか。
「い、ちぃ」
瞬間解凍された陸士は、やはり生きていたようだ。
なんとかこちらに視線を向け、小声で呟いている。
しかし、武装した男性自衛官が女座りをしている姿は気持ち悪いな。
「大丈夫か?いいから動くなよ。
それで、話し合いをする気はないか?俺としては、出来れば話し合いたいんだが?」
「・・・そうじゃな、いきなり凍らせて、すまぬ」
女性は片手を振るった。
まるで手品だった。
いや、もちろん種も仕掛けもない魔法である事はわかっているが。
とにかく俺たちの両手を凍らせていた氷が、一瞬で消える。
両手が重く感じるほどの重量だったというのに、水滴一つ残さずに。
「撃つなよ」
一応部下たちに命じ、そして俺も小銃を下ろす。
もちろん安全装置は解除したまま、装填したままだが。
「それで、他の連中も解凍してくれると助かるんですが」
「氷を溶かせばよいのか?」
「そう、溶かしてくれ。全員」
再び女性は手を振るった。
凍りついたままの隊員たちが、一瞬で解凍される。
まるで示し合わせていたかのように、彼らは一斉に床へと座り込む。
「まずは感謝させてもらいますよ。
それで、改めて、ですがお話をうかがわせて貰いましょうか」
たぶん撃ち殺しておいた方が楽なんだろうなと内心で思いつつ、佐藤は尋ねた。