森中に轟く様な放送が終わりを告げ、静寂が訪れる。
誰も何も言わなかった。声をあげることもしなかったし、身じろきすらしなかった。
名簿と放送を前に三人が見せた反応は実に対照的である。



ヴァニラ・アイスは名簿を運んできた鳩を吹き飛ばすような勢いでその紙をひったくり、長い間顔をあげなかった。
ただひたすらにDIO、その三文字で記された名前を見つめ、ヴァニラは拳を固く握った。
同時に彼はその近くにある空条承太郎ジョセフ・ジョースターの名から目が離せなかった。

握った紙はくしゃくしゃになる勢いで、その体はぶるぶると小刻みに震えていた。
確かにこの目で見たはずだ。首に巻かれた爆弾が爆発し、血を噴きあげながら死んだはずだ……!
だが違ったのだ。空条承太郎は生きている……! 今、こうしている間ものうのうと。ヴァニラ・アイスの知らぬところで、生きている……!

それだけではない。DIOに敵対するジョセフ・ジョースターが、モハメド・アブドゥルが、花京院典明が。
ヒビ一つ入らなかった男の顔がドス黒く歪んでいく。渦巻く感情は激情に近いものだった。この数時間自分はいったい何をしていたんだ、という自戒と自らに対する苛立ち。
あの憎きジョースターたちがこの場にいるというのに自分は何を呑気に過ごしていたのだ。
仕留めなければならない。殺さなければならない。一刻も早く、一秒でも早く。

―――ジョースターたちを殺すのはこの私だ……! ヤツらを殺し、血を、肉を……DIO様に捧げるのは自分の義務であるというのに……!

静寂に満ちた空間をミシリ……という嫌な音が破った。
あまりにも強く握った拳が骨を軋ませ、ヴァニラの怒りに堪え切れなかった筆記用具がへし折れた。
乾いた音に顔をあげる者はいなかった。ヴァニラは怒りに身体を震わせ、憎々しげに名簿を見つめ続ける。
まるでそうしていれば、遠いどこかにいようとも呪い殺すことができるかのように。



シーザーは呆然としたまま名簿を何度も見直した。
一度見た時は自分の頭がおかしくなったのかと思った。二度目見た時は自分がつづりを読み違えているだけではないかと疑った。
だが何度見直してもジョセフ・ジョースターの名前は消えなかった。兄弟弟子で喧嘩別れの挙句、二度と会えないはずだと思っていた男の名前。
シーザーは戸惑っていた。長い沈黙の後で、一体どういうことだ、と思わず独り言をつぶやいてしまうほどに混乱していた。
ヴァニラも形兆も返事を返さず、シーザーも返事を期待していたわけではない。だがそれでも彼は独り、自らに向かってつぶやき続けた。
安堵の気持ちを、その言葉に乗せて。

―――死んでいなかったのか、ジョジョ……!

少しだけ平静を取り戻し、名簿を上から下まで改めて見直す。よく見ればエシディシの名もそこにはあった。
それどころか、その男は既に死んだものとして名前が読み上げられている。
一度死んだはずのあの柱の男が? そもそもあんな化け物を誰がどうやって? 実は死んでいなかったのか? ジョセフもエシディシも?
シーザーの口から漏れる呼吸音はいつの間にか乱れ、不自然に途切れ途切れになっていた。波紋の呼吸を忘れるほどに、シーザーは戸惑っていた。
いくら考えても答えは出ない。沈黙のまま、シーザーはそれでも考えるのを辞めなかった。
何を信じ、何をすればいいのか。シーザーは唇を噛みしめ、思考を続ける。



そして形兆は……一度だけ深い溜息を吐くとそれっきり顔をあげなかった。
ゆっくりと筆記用具を下ろし、両手で顔を覆う。名簿を見直すことも地図を確認し直すようなこともしなかった。
彼の表情はうかがえない。悲しんでいるのか、皮肉気に唇を曲げているのか。それとも……涙しているのか。
虹村億泰。その名前は名簿から見つけ出すよりも先に放送で読み上げられてしまった。
形兆はその名前が呼ばれた時一寸だけ、メモを取る手をピクリと固めた。だが結局彼は最期まで几帳面に全ての死者の名をかき取った。
淡々と。まるで機械のように几帳面な字で一字一句、書きとった。

形兆はヴァニラ・アイスが怒りに震えても、シーザーが問いかける様に呟いても動かなかった。
億泰が死んだことに対して形兆は二つの感情を抱いていた。やっぱりなという諦めの様な気持と純粋な悲しみ。
家族を失った喪失感が影のように形兆を包んでいる。顔を覆う両手を下ろすと、男は深々と息を吐いた。彼の顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。
疲れて表情を作ることすら面倒だと言わんばかりの、深く深く青い顔。形兆は眉間に手を当てると考えに沈んだ。


父親を殺すために生きてきた。父親を治すため生きようとした。でもそれは形兆自身のためだけだったのだろうか。
いいや、違う。苦々しげに表情を歪め、形兆が脳裏に浮かべたのはできの悪い弟の顔。
兄らしいことはなにもできなかった。否、なにもしてやれなかった……『しなかった』。
億泰と前に会話をしたのはいつになるのだろうか。一緒に食卓を囲んだのはいつだった。
母が死んで、父があんなものになってから……兄弟そろって笑ったことなんてあっただろうか。

『こいつを殺したとき、やっと俺の人生が始まるんだッ!』
そう声高に叫んだのは自分だ。弟は何も言わなかった。自分の目的のため、何もかもをほっぽり出して形兆は矢の分析と調査に夢中になった。
そんな時も億泰は何も言わなかった。何も言わず、ただ自分をじっと見つめていただけだ。

『家族』を失ったんだ。形兆はゆっくりとその事実を理解し、途端に乾いた笑いが口から漏れた。
母は死んだ。父は屑でそれにふさわしい化け物に成り下がった。だが弟は違ったはずだ。億泰は違う。億泰は違うはずだったというのに……!
何の罪もないアイツを巻き込んだのは自分だ。
自分がスタンド使いにならなければこんなことにはならなかったはずだ。自分がDIOの連中にこんなちょっかいをかけなければ億泰は死ななかった。自分が親父を殺そうと思わなかったら……!

―――アイツを殺したのは、俺だ。



冷たい風が三人の間を切り裂いた。身体を震わせるような冷たい風だ。誰も動かなかった。

控え目に舞った木の葉が恐る恐ると言った様子で一枚だけ落ちてくる。
ヴァニラ・アイスはそれが落ちるのを待ちかまえていたかのようにデイパックを取りあげると無言のまま立ち去ろうとした。
一度だけシーザーがその背中に声をかける。おい、待て、どこに行く気なんだ、と。
ヴァニラ・アイスは振り返りもせず、返事もすることもしなかった。ただ背中から滲み出た怒気はそれ以上に彼が言わんとすることを物語っていた。
シーザーは男が立ち去るのをただ見送るしかなかったった。きっと止めるべきだったのだろう。だがはたして今の自分にヤツを止められるのだろうか。

動揺に波紋を乱した自分と、主の忠誠に燃える男。シーザーは拳を固く握った。
ヤツがリサリサを、シュトロハイムを、そしてジョセフを殺す未来だってあり得るというのに。
祖父の仇ディオ。ならばそのディオに仕えるあの男も見逃していい道理などあるはずがないというのに……!

シーザーは結局戦わなかった。
唇をきつく噛みしめ、ヴァニラ・アイスの背中が見えなくなるまでその姿を見つめていただけ。
深く多い繁った森がヴァニラ・アイスを包み、やがて彼の姿は消えていく。悔しいが見逃したのは自分ではなくヴァニラのほうだ。見逃したのでなく、『見逃された』のだ……ッ!
シーザーはもう一度拳を固く握った。戦ってもないのに、惨めなまでの敗北感が彼を襲い、シーザーは何も言うことができなかった。






「お前はどうするんだ」

シーザーがそう言ったのはだいぶたった後だった。
風がもう一度吹き木の葉を揺らすまでの長い間、二人はそれぞれに黙り込んでいた。
形兆は長いこと俯いたままだった。もしかしたら泣いていたのかもしれない。そうシーザーは思った。

依然無言のまま黙り込む形兆を見て、シーザーはデイパックを取りあげる。いつまでもこうしているわけにはいかなかった。
混乱が収まったわけではない。だが気持ちは既に固まっていた。
ジョセフに会う。リサリサを見つける。シュトロハイムと協力し、柱の男たちを仕留める。
そして……ディオとの決着も、なにより死んだはずの祖父ウィル・A・ツェペリその人にも、必ず会わなければならない。
一体何が起きているのかはわからない。だからこそ、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。
シーザーは前に進む。デイパックを担ぎ直すと、最後にもう一度形兆を見、そして歩き始める。



「わからねェんだ」

不意に形兆がそう言った。放送を越えて初めて形兆が口にした言葉だ。
背中越しに投げかけられたその言葉に振り返り、シーザーは腰に手を当てると男の顔を真正面から見つめた。
形兆の頬は涙でぬれ、目は充血して真っ赤だ。乱暴にごしごしと目元をこすり、地面を見つめる形兆。
神経質そうな面影はもうどこかへいってしまった。悲しみと失意に打ちひしがれた、ただの青年がそこにはいた。
シーザーは覚えている。名簿にはもう一人の『ニジムラ』が載っていたことを。そしてその名前が放送で呼ばれたことも。

「もうなんのために戦えばいいのか、俺にはわからないんだ、シーザー」

なんと弱気な言葉だろう。なんと哀れな姿だろう。
これがあの虹村形兆か。計算高く、度胸に溢れ、掴みどころのない男。そうシーザーに思わせた男なのか。
シーザーは黙って拳を握りしめた。一歩、二歩、大股で形兆に近づくとその胸ぐらをつかみ無理矢理その場で立たせる。
力のない視線がシーザーを見返した。何て目をしているんだとシーザーは思った。死んだ魚だってもう少しましな目をしている。

ああ、そうだろう、悲しかろう。涙したいだろう、励ましてほしいだろう。抱きしめてほしいだろう。
家族を、身内を失えば誰だって悲しいさ。泣きたくもなる。動きたくもなくなる。ずっと蹲ってそんなこと信じたくないんだって叫び出したくなる気持ちだってわかる。

―――わかるとも。俺だってそうだったんだ……ッ!

だがシーザーはそんなことをしなかった。そんなことを考えもしなかった。
代わりにシーザーは腕を思いきり振りかぶり、万力込めて目の前の男を張り飛ばした。
波紋を込めた強烈な、眼がばっちり覚めて一週間は眠れなくなるような、そんな凄まじい一撃だ。


「知るかよ」


吹き飛んだ形兆は綺麗な弧を描き、受け身を取る暇もなく大地に叩きつけられる。
吐き捨てるようにシーザーはそう言った。もとよりシーザーには学がない。難しいこともわからない。
女の子を口説くことは大の得意だが、身内を失った男の励まし方なんて考えたこともない。
だから殴った。自分の気持ちを込めた一撃を、言葉だけではなく拳で伝えようとしたのだ。


「戦う理由なんて俺だってわかんねェよ。考えたこともないさ。
 けど……それでも俺のご先祖様は戦ってきたんだ。俺のお師匠さんも、悪友も、むかつくがあの柱の男たちだって……今までずっと戦ってきたんだ。
 贅沢言ってんじゃねェぞ! 生きてんだろ、お前は。脚がある、手がある、ピンピンしてる。
 わからねェならわかるようになればいいッ! わかるまで戦い続ければいいッ! すくなくとも俺はなにもしないで、何もできないで殺されるなんてごめんだぜッ
 爺さんも親父も戦って死んだッ! なら俺だって戦って戦って……何か成し遂げねェーとあまりにカッコ悪すぎるだろうがッ!」


シーザーもかつて『失った』男だった。母を失った。父を失った。家族を失った……!
だがそこで彼は折れなかった! シーザーを立ちあがらせたのは失ったはずの父だ。
彼が失ったと思っていた祖先が、血統こそが彼を奮い立たせたのである。


「俺はもう行くぜ、形兆。ヴァニラ・アイスは放っておけない。アイツは本気で危ないヤツだ。放っておいたら何しでかすかわからない。
 それに危ないのはヤツだけじゃない。ほかにもたくさん、たくさんぶっとばさねーといけねーやつがいるんだ。
 いつまでもここにいるわけにはいかない」


地べたに座り込んだ形兆を尻目にシーザーは立ち止ることなく歩き出した。
太陽は既に昇り始めている。多い繁る木々を掻い潜り、光の筋が辺りに降りそそいでいた。
形兆はまだ俯いたままだ。シーザーの殴った頬を撫ぜると、無言のまま項垂れている。
シーザーは振り向くことなく、顔をあげることなく言葉を口にした。それでも形兆は動かない。

「森の切れ目で五分だけ待つ。その後どこに行くかは考えてないが……もしもお前が一緒に行きたいって言うなら俺は大歓迎だ」


ヴァニラ・アイス。忠誠と狂信で、ただ盲目に先をゆく者。
シーザー・アントニオ・ツェペリ。背負って潰れて、それでも再び歩きだす者。
虹村形兆は? 弟はいない。背負うべき血統も家族もない。支える友人もいなければ、守りたいものももう失った。


二人が去り、一人残された森の中。ようやく顔をあげた形兆を照らす日差しは眩しい。
殴られた箇所がズキズキと痛んだ。口の中を切ったのか血の味がじんわりと広がっていく。唾を吐きだしてみれば、それは真っ赤に染まっていた。
形兆は重々しくため息を吐いた。その目はいくらか『まし』になっていた。すくなくともさっきよりは随分と『まし』な目を、彼はしていた。

デイパックを取りあげ、のろのろと体を引きずるように行進を始める形兆。
その行く先にはなにが待つ? その行く先になにを見る?





―――シーザーがその遺体を埋めた少女、シュガー・マウンテンはかつてこう言った。

 “『全て』をあえて差し出した者が、最後には真の『全て』を得る”

差し出すものもない青年は何を見る? 主に全てを差し出した狂信者は? 全てを背負った誇り高きものには?




―――答えはまだ出ていない。









【E-1 東部 / 1日目 朝】
【ヴァニラ・アイス】
[スタンド]:『クリーム』
[時間軸]:自分の首をはねる直前
[状態]:怒り、焦り
[装備]:リー・エンフィールド(10/10)、予備弾薬30発
[道具]:基本支給品一式、点滴、ランダム支給品1(確認済み)
[思考・状況]
基本的思考:DIO様のために行動する。
1.DIO様に敵対するジョースター一行とその一味を始末する。
2.DIO様を捜し、彼の意に従う
3.DIO様の名を名乗る『ディエゴ・ブランドー』は必ず始末する。



【E-1 ドーリア・パンフィーリ公園 泉と大木 / 1日目 朝】
【シーザー・アントニオ・ツェペリ】
[能力]:『波紋法』
[時間軸]:サン・モリッシ廃ホテル突入前、ジョセフと喧嘩別れした直後
[状態]:健康
[装備]:トニオさんの石鹸、メリケンサック
[道具]:基本支給品一式×2、ジョセフの女装セット
[思考・状況]
基本行動方針:主催者、柱の男、吸血鬼の打倒。
0.形兆を森の切れ目で五分だけ待つ。来なかったらそれまで。
1.ジョセフ、リサリサ、シュトロハイムを探し柱の男を倒す。

【虹村形兆】
[スタンド]:『バッド・カンパニー』
[時間軸]:レッド・ホット・チリ・ペッパーに引きずり込まれた直後
[状態]:悲しみ、動揺
[装備]:ダイナマイト6本
[道具]:基本支給品一式×2、モデルガン、コーヒーガム
[思考・状況]
基本行動方針:親父を『殺す』か『治す』方法を探し、脱出する?
0.???
1.シーザーについて行く? ヴァニラを追う?
2.情報収集兼協力者探しのため、施設を回っていく?
3.ヴァニラと共に脱出、あるいは主催者を打倒し、親父を『殺して』もらう?







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前話 登場キャラクター 次話
098:その男、凶暴につき シーザー・アントニオ・ツェペリ 138:裏切りの虹村形兆
098:その男、凶暴につき ヴァニラ・アイス 138:裏切りの虹村形兆
098:その男、凶暴につき 虹村形兆 138:裏切りの虹村形兆

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最終更新:2014年06月09日 02:06