Trickster ーゲームの達人ー 中



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意気揚々と玄関を開け、指をポキポキ鳴らしながら民家の立ち並ぶ通りへと勇み出るジョセフ。
波紋のレーダーが示した先は家を出て右ナナメ向かいの民家の陰。その場所に向けてジョセフは大声で叫んだ。

「さぁーて、鬼が出るか蛇が出るか…はたまたカワイ子ちゃんだったら俺は喜ぶんだが……
オイ!そこに居るのは分かっているんだぜ!出てきな!」

静寂が支配する朝の集落にけたたましく木霊する音響。どんな奴が出てこようがお構い無しといった威勢からは、ジョセフの自信と性格が現われ取れるようだ。
彼の周りには三体の魔法人形が言葉無く、フワフワ舞っている。口を開く事の出来ない彼らは代わりに腕を前面に曲げたファイトポーズを構える事で、自身の感情を表しているようにも見える。
やがて…睨みつけた民家の陰から理性的で冷静な男の低い声が響く。



「…『ジョセフ・ジョースター』。1920年9月27日生まれのイギリス人。
両親である『ジョージ・ジョースターⅡ世』と『エリザベス・ジョースター』は既に他界。その後、祖母である『エリナ・ジョースター』に育てられる。
祖父である『ジョナサン・ジョースター』から受け継いだ波紋の才能によって1939年、吸血鬼よりも更に上位の存在といわれる『柱の男』を死闘の末、滅亡させる。
その後、『スージーQ』と結婚。一人娘の『ホリィ・ジョースター』を子に持ち、そして…孫である『空条承太郎』やその仲間達と共にエジプトへ乗り込み1988年、我が友『DIO』と決戦。
討ち倒す事に成功する」


「…………あ?」


その男は聖職者の装いをした黒人だった。
呼ばれて出てきたかと思えば、彼は突然聞いてもいないのにジョセフの経歴をペラペラ喋りながら近づいてくる。
困惑するジョセフをよそに神父はなおも言葉を紡ぎながら歩みをやめない。

「代々『短命』のジンクスを持つというジョースター家の男の中でも珍しく長命であり、あらゆる意味で『型破り』。
その性格は紳士というには余りにも軽く、暴力的で気性も激しい。だが仲間を守る為なら自らの犠牲も厭わない『正義の心』の持ち主。
その抜け目の無い性格から、ハッタリやイカサマを用いた心理戦を得意としている。相手の次に出す言葉を先読みして惑わせるという、いかにも陳腐な戦法を好んでいるらしいな?」

いきなり現われて不用意に近づいた挙句、自分という男について何から何までズバズバと言い当てられて動揺するジョセフ。
無理もない。この男は祖父のジョナサンや敬愛するエリナの事だけでなく、自分の知らない事まで何もかも言い当ててきたのだから。
祖父や祖母や柱の男、自分の性格や戦法を相手が知っていたという事にも驚いたが、なによりもジョセフが最も驚いた事柄は…


(オー!ノーゥ!何てこったい!!こ、この野郎は今…『何て』言ったんだ…!?俺が『スージーQ』と結婚ンンッ!?
しかも『孫』までいるだとォーーッ!!い、いや確かにアイツはちょっと可愛いトコあるが!
…いやいやいや、ていうかコイツは誰だよ!)

とんでもなく重要な事をさらりと事務的に流し読まれた事について理解が追いつけない。
それはそうだ。目の前に見知らぬ人間が現われて自分はもうすぐ結婚します、孫まで生まれます、などと断言されて驚かない人間など居ないというものだ。

ジョセフはすぐさま彼の言う事を否定したいが、この神父の言う事はどこか自信気で説得力に満ちている。
何か分からないが、単純には否定出来ない謎の圧力を感じた。


「『お前』の事は昔から念密に調べ上げている、ジョセフ・ジョースター。何しろあのDIOを倒し、生存するほどのしぶとい輩だ。油断できない男…
故に私もこれから『全力で』お前という存在を潰しにかかろう。私とDIOとの『夢』のために。
そしてお前の十八番を返させて貰うとしようか……」

神父は足を止め、ジョセフも同時に相手を指差してこう言った。


「君の次の台詞は『テメェなんで俺の事知ってやがるこの野郎』…ってとこかな?」
「テメェなんで俺の事知ってやが…ッ!!……ハッ!」


やられた…!そんな驚愕と苛立ちの表情を作るジョセフを見て神父―エンリコ・プッチは不敵に笑う。
そしてプッチの横に現われるのは…全身が不気味な紋様に包まれた彼の邪悪なるスタンド『ホワイト・スネイク』ッ!


「ヤロォ~…ッ!よりによって俺の特技をサルマネするたあ、随分と頭がお高いんじゃあねーのーッ!?
そんなナメた真似されるのはあの『エシディシ』に続いてお前が『二人目』だぜッ!!
どうしてテメェが俺の事を知っているのかは、これからボコボコにして自分から喋りたい気持ちにさせた後にゆっくり聞いてやるッ!
このハラのムカツキ具合でよぉーく分かった!テメェは『敵』だッ!!」

ジョセフに向けられたプッチの明確な『敵意』…すら通り越した『殺意』を身に感じ、ジョセフは目の前の人間を敵だと確信する。
なによりコイツは今、確かに『DIO』と言った。50年前、ジョセフの祖母ジョナサンが命と引き換えにしてまで倒したはずのDIOという男。
会った事も無いその男の名は、小さな頃から祖母やスピードワゴンから何度も聞かされてきたのだ。コイツとDIOは何らかの関係性があると睨んだジョセフはとにかく闘志を燃え上がらせる。

プッチの傍らに出現した初めて見る人形のような像にも多少驚きはしたが、同じ人形なら自分は三体、予備も含めて五体も所持している。何も特別じゃあない。

敵をビビらせる事においてこのジョセフ・ジョースターが遅れをとる訳がないぜ!

謎の自信を滾らせながらジョセフは首を左右に傾けコキ…コキ…と骨を鳴らして威嚇した。
傍らに浮く人形達も彼を真似て首を鳴らそうと全員同じジェスチャーをとる。勿論音は鳴らないが。


「ヘヘヘ……出てきたのは『鬼』でも『カワイ子ちゃん』でもなく『蛇』だったってワケね。しかもデッカイ人型の『白蛇』さんとは、俺の可愛いお人形ちゃん達を丸ごとパクッと喰える勢いだな。
ちょーど『ヘビ柄』の財布が欲しかったとこなのよ。触り心地は最悪の極みだろうが、素材の提供感謝するぜ神父様よぉ!」

指をチョイチョイと曲げ、プッチを挑発し返して臨戦態勢に入るジョセフ。
この自分を馬鹿にする奴は許さない。おちょくるのは大好きだがおちょくられるのは大っキライな自己中心的なこの男を怒らせて無事で済んだ奴などこの世には居やしない。

敵の平静な顔が涙に塗れる姿を想像し、ジョセフの表情は遊び事のようにニヤニヤしてくる。
さて、どうやって奴を泣かせてやろうか。どうすれば奴は自分に謝りながら顔を地面に擦り付けるかな?
ジョセフは敵と戦う時はいつもそれを考える。自分の思い描く『最高の結果』に持っていくには果たしてどんな『道』を敷けば良いだろう…?
自分の『デザイン』した経路に相手をカッチリ乗せてやるにはどうすれば良いだろう…?
頭の中で常にそれを意識しながら、ジョセフはこれまでの戦いを崖っぷちから乗り越えてきたのだ。

もはや歴戦の戦士へと成長したジョセフ・ジョースターのバトルロワイヤルでの初陣。その一つ目の『戦法』が披露される。


「時にオイ、アンタ。アンタ、『人形劇』とか観た事ある?俺は小さい頃から何度もあるぜ。
『手品師』にも憧れるが『人形師』にも結構憧れてんだよねぇ~!
俺、昔からヒジョーに好きなのよ!そういう観る者を化かす様な『エンターテイメント』が!」

これから開演するのは殺しの劇場。だと言うのに、そんな空気を微塵も感じさせないほどに屈託無く笑うジョセフは、両の腕を体の前に真っ直ぐ伸ばし掌を下に向けて拡げた。
その様は言うならマリオネットを操る人形師の指使い。まるで見えない糸で括られ操られているかの様に、ジョセフの指の動きに反応して傍に浮遊する魔法人形が動きを見せた。
右腕を上に上げれば人形達も上へと浮く。左手の親指を捻れば一つの人形は前へと前進する。


「せえ~んろはうたうーーーよ いーーーつまぁでぇーもぉ~~~~~♪……ってな!
へっへっへ…!まぁコイツらは俺の命令通りに動いてるだけで別に糸なんて付いて無いんだけどな。
要は『フリ』よ『フリ』ッ!いっぺんこーいうのやりたかったんだよなぁ~~、『人形芝居』!」

狂劇すら喜劇に変える戦闘巧者。ジョースターの『問題児』を前に見据えたプッチは、ジョセフに続いて慎重に戦闘態勢に移った。
スタンドを前面へと出し、自分は一歩下がって距離をとる。『遠距離型』であるホワイトスネイクは20メートル離れていても充分戦える能力を持っているのだ。


(ジョセフ・ジョースター…すっとぼけた性格だが油断してはいけない…。この態度すらも奴の作戦の内なのかもしれない。
聞けば奴のスタンドが覚醒した時期は既に老人の頃だったという。ならば今のジョセフはスタンドすら持っていないはず…
しかし『波紋』…その未知なるパワーは警戒しなければならない…
奴の周りに浮く『人形』は何だ?支給品か何かか…いずれにしろ読めない男だ…)

動揺も躊躇も顔に浮かべる事無く、プッチは淡々に構えるのみ。
彼のスタンドのホワイトスネイクは、腕を相手の頭部にほんの少し叩き込むことで敵の意識、つまり『魂』を奪う事も同じなのだ。
わざわざ本体が相手に近づく必要などは無い。DISC化させることが出来ればその瞬間、決着はつく。

故に遠距離型スタンド使いが相手に見える距離で姿を現して戦う事は不利なだけに思える。
物陰に隠れ、スタンドだけを近づけて敵を倒す事が遠距離型のスタンド戦の定石であるはずなのだ。しかしプッチはそれを行わない。

その理由の一つに、プッチがジョースターの位置を大まかではあるが感じ取れると同じ様に、ジョースターの人間もまたプッチの存在を感じ取る事が出来る。ここまで近づいて隠れることにあまり意味は無い。
それに万が一奴に接近された場合、スタンドが傍に居ないプッチは途端に不利になる。
ペテン師との悪名高く、何を仕掛けてくるか分からないジョセフに対してはつかず離れずの距離で戦う事がベストだとプッチは判断した。


「私はお前に…『近づかない』。ジョセフ・ジョースター、お前にはこれから『天国』へ到達する為の礎となってもらうぞ」

見た目に反して脳みそはクレイジー思考な奴だな、と思いながらもジョセフは攻撃の動作に移っていく。
あの『人型の像』は何かわからんが危険な気がする。となれば自分も迂闊に近寄って痛い目に合うわけにもいかない。
おあつらえ向きに自分の支給品は『空飛ぶ操り人形』。しっかりと遠距離からプッチ本体を狙う事も出来る。
両腕を勢いよく前へ突き出して指をクネクネ動かす。人形師の真似事もしっかり忘れずに行いつつ、二体の人形をプッチ本体に向けて飛ばし残りの一体を護身用に傍に置く。



「まずは小手調べだぜーッ!ピエール!それと、えぇっと…フランソワ!挟み撃ちでかかれッ!」

ピエール、フランソワと名付けられた二体の人形が風を裂きながらプッチに向かって突進していく。
片方は右から、もう片方は左から大きく回り込み、それぞれホワイトスネイクを避ける様にしてプッチ本体を左右からの挟み撃ちにしたッ!

「たった一体のお前の人形より三体ある俺の方が有利に決まってるもんねーーーッ!!喰らえ必殺『パペットサンドの陣』ッ!!」

恐ろしくクオリティの低い技名を叫びながらもジョセフの構築した陣には隙と呼べるものは殆ど無かった。
左右からの人形による狭撃、残る一体は敵スタンドを警戒し、ジョセフの前方で盾として備える事で防御にも優れた陣。
ホワイトスネイクが一体しか無い事を考えると、二体の人形の左右同時攻撃を防ぐのは難しい。シンプルだが無駄の無い突撃方法である。

「波紋とやらは使わないのか?どちらにしろ人形ごっこなどするつもりは無いがな」

しかし迫り来る二つの傀儡にプッチは動じず。
まるでライターでも取り出すかのような気軽さでデイパックから大きな団扇-射命丸文の葉団扇を取り出し、構えた。

鴉天狗の象徴たるその団扇は一振りで風を引き起こし、二振りで衝撃波を生み、三度目には激しい突風が周囲を吹き飛ばす。
プッチはそのまま団扇を持った右腕を薙ぎ払う様に勢いよくスウィングした。
瞬間、眼前にまで迫っていた二つの人形が上空にまで跳ね返されるほどの風がプッチの周囲を包む。

コントロールを失い、グルグルと回転しながら10メートル先まで吹き飛ぶジョセフの人形。
当然プッチはそのチャンスを逃さず、ホワイトスネイクをジョセフの元まで突っ走らせるッ!


「そのデッカイ葉っぱがお前の支給品ってわけかい!
だがいくら風を起こしたところで所詮は作りモンの風!俺は『本物の風』を操る男と戦ったんだぜッ!
それに比べりゃお前の風なんて文字通り『うちわのそよ風』みてぇなもんだぜーーーッ!!」

今度はジョセフの目の前にまで迫ってきたホワイトスネイク。あらゆる人間の記憶をDISCに封じ込める必殺の手刀をその頭部に叩き込もうとジョセフに襲い掛かるッ!
そうはさせまいとジョセフは傍に控えさせていた三体目の人形を、迫り来るホワイトスネイクに突撃させる。
しかも人形の右腕には小さなナイフがギラリと光っていた。先程東方家で頂戴してきたものである。

ジョセフは人差し指を相手に突き出し、スタンドの胸目掛けて一直線に人形のナイフを猛進させる…がッ!


「無駄だ、ジョセフ。例えそのなまっちょろい波紋を操ろうが、空飛ぶ木偶の坊を従えようが、お前はある『根本的な事』を知らないのだ。己の『無知』が故に、仇となったな」

プッチの囁く様な言葉と同時に人形のナイフはホワイトスネイクの胸を貫通した。…と、いうよりも『すり抜けた』。
ナイフは飛行する人形と共にスタンドの胸部を通り抜け、向こう側へとそのまま突き抜けてゆく。

これは当然、『スタンドにはスタンドでしか干渉出来ない』という原則による現象であった。ジョセフの反撃など意に介する事無く、プッチはそのままジョセフへ向けてスタンドを疾走させる。



「ニャ…ニャニィィ~~~イッ!?(なんだぁ~あの白いデカブツッ!?攻撃が入らねぇ!)」

予想外の出来事に、そんな馬鹿なと息を呑むジョセフ。
その驚愕する額に向けて一瞬の躊躇い無くホワイトスネイクの右腕がジョセフに振りかざされるッ!

完全に不意を突かれたジョセフは回避行動に移るのが遅れてしまった。迫る手刀。これをまともに喰らえばそこでゲームオーバー。
スタンドのルールなど知る由も無かったジョセフが敗北するとしたら、その敗因はやはり『無知さ』であるのだろう。
元より、『スタンド使い』と『そうでない者』との戦いには、それだけ大きなハンデが存在すると言っても良い。


「勝ったッ!やはりジョースターの落ちこぼれ如きに『運命の女神』が微笑みかける事など無かったのだッ!
何が『戦闘の巧者』ッ!何が『ジョースターの問題児』ッ!!
薄っぺらいぞッ!お前は所詮、私とDIOの創る『夢』への『生贄の羊』の一匹に過ぎないッ!一瞬にしてDISCに封じ込めてやるッ!」


それまでの冷静さが嘘のように猛るプッチ。自分にとって唯一無二の『友』であるDIOのためならば命を投げ出す事さえ厭わない彼は、勝利を目前にして『ほんの一瞬』、つい気を緩めてしまった。
その一瞬の間、確かに危機的状況であるはずのジョセフは叫ぶプッチを見て、怯むどころか『笑った』ッ!
口元をイヤらしく吊り上げ、白い歯までわざとらしく見せて光らせる。そして余裕の笑みで腕まで組み、フッフッフと皮肉たらしく声まで漏らしてこう言う。

「人形の攻撃がすり抜けたのは少し、ほんのちょっぴりだけ驚いたがよォ~…そんな事は問題じゃあない。何の問題もねーのよッ!
何故ならッ!俺の攻撃は既に『完了』しているからだぜーーーーッ!!!」

高らかにジョセフが宣言したその時、頭部まで残り数センチという所まで迫っていたホワイトスネイクの手刀が突然何かに引っ掛かったようにピタリと動きを止めるッ!
いや、止まったのはスタンドではないッ!

「な、なにいいぃぃぃぃぃーーーーーッ!?これはッ!!私の体に…いつの間に『仕掛けていた』のだッ!?」

動きを止めたのはプッチ!どういうわけか体が動かせない…いや!よく目を凝らせばプッチの体に何かが『巻きついて』いるッ!

「そう!それよそれッ!!俺はお前のその『慌てふためる表情』が見たかったんだぜぇーーーーーーッ!!まんまと引っ掛かりやがってこのバーーーーーカッッ!!!
誰の戦術が『薄っぺらい』ってぇ!?その薄っぺらい作戦に綺麗にドハマリしたアホ野郎がよく言うぜッ!テメェの体をよぉ~く見てみなッ!」


ギャハハハとプッチを指差しながら大笑いするジョセフ。言う通りよく見れば巻き付いている物は細い『毛糸』ッ!
プッチの気付かぬ内にジョセフはこっそり毛糸を胴体に巻き付けていたのだッ!


(一体いつの間に…いや、まさかッ!あの二体の『人形』ッ!!)

「おぉっと今更気付いた所でおせーんだよタコ助!お前は人形を風で吹き飛ばすんじゃ無くて『叩き落す』べきだったなッ!
俺の人形には全て『糸』が巻き付けられていたのさ!この俺の『指先』に繋がるようになぁ!」


ここで種明かしとばかりにジョセフは両の掌をプッチに向け開いて見せた。
その指先からはよく見れば確かに『毛糸』がツツーっと伸び、プッチの体を完全に拘束している。

ジョセフが最初に飛ばした二体の人形はプッチを攻撃する『ためではない』ッ!
ジョセフと人形を繋いだ糸によってプッチを『縛り付ける』ために飛ばしていたのだッ!

プッチの風の攻撃で人形が吹き飛ぼうが、糸が人形から外れさえしなければ問題ない。
上空に飛ばされた二体の人形はプッチに気付かれぬように糸を垂らしながら、上空から対象の周りを旋回して交じわうようにコッソリ糸を張ったッ!

最終的にジョセフが腕を引っ張り上げ、同時に人形も互いを糸で引っ張り合えばプッチの周囲に張った『罠』が炸裂、瞬間的に敵の体を雁字搦めにする事が可能なのだッ!

しかも今の時間帯は早朝。既に東の空から明るみが差し込み始めてるとはいえ、まだまだ闇が残るこの場所では糸の存在にも中々気付きにくい。
そのうえジョセフは『もうひとつ』、糸そのものにも工夫を施していた。


(クッ…!こんな毛糸如き、簡単に引き千切りたい所だが…ッ!『力が入らない』…ッ!これが『波紋』かッ!!)

そう、ジョセフは指先から糸を伝ってプッチの体に『波紋』を流し込んでいた。
しかも毛糸には波紋を伝えやすい『植物油』が念入りに染み込んでいる。これも当然、東方家から調達していた物だ。
糸から伝わる波紋の力がプッチの体の自由を奪う。腕も全く動かすことが出来ない。プッチは一転して、絶対絶命の状況に追い込まれてしまった。


(やられた…ッ!この男はさっき『人形は糸で動かすフリ』だと言って遊んでいるように見えたが…そんなものは『大嘘』だったッ!
確かにこの人形共は奴自身の命令で自立して動いているのだろうが、糸で動かす『フリ』をしているそのスタイルこそが『フリ』だったのかッ!
まさか本当に人形に糸が仕掛けられていたとは…ジョセフ・ジョースター、この男は噂以上の『ペテン師』だッ!!)


油断していたわけでは決して無い。プッチは本気でジョセフを完膚なきまで叩き潰す気でいたのだ。
それでもジョセフの戦法はプッチの上へ行った。スタンドを持たないというハンデを抱えてなお、ジョセフの知恵が勝負をひっくり返した。
戦闘中に人形に細工する仕草は見当たらなかった事から、ジョセフはプッチと出会う前から念入りに戦闘の準備を進めていたのだろう。いつでも万全の状態で戦えるように。


(やれやれ…つくづく私は『糸』と相性が悪いな…。このジョセフという男、あの『空条徐倫』とは似ても似つかぬタイプだ。
DIO…君がジョースターの一族を排除すべき『宿敵』だと言った理由を改めて『再確認』したよ…。この一族は『危険』だ。絶対に生かしておいてはいけない)


焦燥の汗を流しながらもプッチのドス黒い視線はジョセフを刺し続ける。
この一見温和そうな聖職者のどこからこれほどの禍々しい殺気が放てるのだろうか。その視線はどこか『決意』めいた物が混ざり秘めているようにも感じる。
だがプッチのその行為はジョセフからすれば死に際の悪あがきにも等しい、苦し紛れの抵抗にしか見えない。


「そんな視線じゃあ俺は勿論、猫だって殺せないぜ神父様よぉー?
そのザマじゃあもう終わりだな、だが安心していいぜ。拷問できる程度には生かしといてやる、お前には色々聞きたいことがあるんでな。
とりあえずまずは眠っていてもらおうかい」

指をニギニギと蠢かせながら妖しくプッチに近づいていくジョセフ。波紋による攻撃を直接拳から流し込もうという気である。
最早今のプッチは虫の息といった状態。スタンドも動かせず、体中を流れ続ける波紋によって呼吸する事さえ困難なのだ。とてもここから反撃できる状態ではなかった。

そんな時、プッチはいつも心を平静にして『愛する神』に祈ってきた。
肌身離さず持ち歩いている『十字架』を握り締め、彼は落ち着いて『素数』を数え出す。


(2…3…5…7……『素数』は1と自分の数でしか割る事の出来ない孤独な数字…いつも私に勇気を与えてきてくれた…11…13…17…19…
今の私にはただ『祈る』しか出来ない…23…29…31……『彼女』の『覚悟』が完了する事を、ただ祈るだけだ……37…41…43…)




パ ン ッ



1発の渇いた火薬の音が朝の人里に響く。

同時にジョセフの胸から血飛沫が弾けた。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

私は家の玄関口からコッソリ覗き込むように、ジョセフお兄さんと神父さんみたいな服を着た男の人の戦いを見守っていた。
どうやって感知したのかは分からないけど、ジョセフお兄さんは突然「誰か来る」と言ったきり、私を残して外へと出ていったんだ。
出て行くお兄さんの後姿を眺めながら、恐らくこれから激しい…『ころしあい』が繰り広げられるんだ、なんて確信を持ちながら私は不安の気持ちで膨らんでいく自分の心を抑え付けるので精一杯だった。


今でも脳裏に残る愛しき藍様の、身が凍り付くような命令。



―――三つ以上の首を持ってきたら、褒美をあげようじゃないか、橙…



そりゃあ、怖いよ。大好きだった藍さまにあんな酷いことまでされて…『三人殺してこい』とまで言われたんだもん。
私は妖怪。人間を襲うのが生来からの性質。分かってる。そんな事ぐらい幻想郷の人達はみんな知ってる常識。
でも、この世界では…何か『違う』。私が妖怪だから人を襲うとか、そんな漠然とした『常識』では計れない何かが動いてる。
こんなおぞましい世界での『死』に、一体何の意味があるんだろう…?私には全然見当も付かない。


でも…でも…ひとつだけ分かる事はある。

『私は悪くない』。死ぬのが嫌なだけなんだ。

…藍さまも、きっと悪くない。藍さまは…必死なだけなんだ。
紫さまを守るために、一生懸命になってるだけなんだ。私だって紫さまが死んじゃうのは絶対ヤダもん。

悪いのは…きっとあの二人の『男の人たち』。秋穣子を殺して、こんな恐ろしいゲームなんかを開くあいつらこそが真の『邪悪』に違いない。

私に殺人を強要させているのは藍さまなんかじゃない。あの主催者達なんだ。


―――『だから私がジョセフお兄さんを見殺しにするのも、きっと悪くない』

―――『お兄さんを殺すのはあの主催者。私じゃ、ない』

―――『私は悪くない。悪くない。きっと悪くない。悪いのは私じゃない。藍さまでもない。悪いのは主催者だ私じゃない私はきっと悪くない絶対に悪くない私は死にたくないだけだもん私は私はきっと悪くない死にたくない




―――だからお願い。ジョセフお兄さん…………どうか、ここで死んでください』








―――橙は、震える体で唇を噛み締め、ただただ祈っていた。

ジョセフの死を。あわよくば、神父の死さえも。


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――― <早朝> E-4 人間の里 虹村億泰の家 ―――

―――どうもさっきから外が騒がしい。

四つ目のコンビニおにぎりの袋を開けながら、因幡てゐはふと家の外が気になった。

コンビニから遠慮なく頂いてきたツナマヨおにぎりはどうやらてゐの好みにドンピシャだったらしく、舌鼓を打ちながら二つ目、三つ目と平らげていった。
握り飯の具にこんな美味い物があったのか!外界の食文化に軽い衝撃を受けながらパクパクモグモグとその口は止まらない。

おにぎりのお供には勿論お茶…とはいかなく、てゐがガメていたのは大好きな人参ジュース。おにぎりに一口かぶりついてはジュースをゴクゴク。かぶりついてはゴクゴク。
三つ目のおにぎりを全て喉に通したところで、最後の人参ジュースは空の容器と化した。
とは言ってもエニグマの紙にはまだまだ第二第三の人参ジュースが潜んでいるのだが。

ブチャラティの奴は今頃どうしているかなー、他の参加者はどんどん潰しあっているんだろうなー、などとこの場においても随分呑気に物を考えながら四つ目のおにぎりと人参ジュースを取り出す。
外界にはこんなにも手軽にあらゆる食料(特に人参ジュースである)を手に入れられる施設があるんだなぁ、とちょっとした羨望の念を浮かべながら、おにぎり袋の梱包をすっかり慣れた手つきで開けている時である。


「―――オイ!そこに居るのは分かっているんだぜ!出てきな!」


ビグゥッ!!


突如てゐの居座る部屋内にまで聞こえてきた男の怒鳴るような叫び声を、彼女の自慢の長い耳が捉えた。
持っていたおにぎりなど驚き零し、モフモフの尻尾も長いウサ耳も瞬時にしてゾクゾクと逆立ち、胡坐で座っていた姿勢から驚きのあまり五センチは飛び上がってしまうほど。つまりそれだけ本気でビビったのだ。

心臓が口から飛び出てしまうぐらいにドッキリしながら、文字通り脱兎の如く傍に置いてあった大きな箱の中にサササっと隠れる。
小動物じゃああるまいし、こんな情けない姿は他人には絶対に見せられない。腰が抜けなかっただけマシというものだろう。


そのままてゐは息を殺しながら、数十秒ほど箱の中で丸まるだけの時間が過ぎていく。


…………
………
……
…いや、待てよ。待て。この部屋は屋根裏部屋の密閉空間だぞ。天井には天窓が付いているが、そこには誰の姿も見えない。
私がこの部屋に居るなんて、誰にも分かるわけないんだ。ていうか、声の主はどうやら家の外から叫んでいたようだ。


そっと、そぉ~っと箱を開けながら外の視界を覗き見る。………やはり部屋の中は異常なし。
近くには絶対に誰も居ないことを確認して、てゐは空中をクルリ一回転しながら勢いよく箱から飛び出し、着地して鼻を鳴らす。


「ハンッ!だぁ~~れも居やしないじゃない!この私を驚かそうなんて100億光年早いってものだよっ!」

調子に乗ってファイトポーズで腕を構え、誰も居ない空間へとシュッシュッとシャドーボクシングよろしくパンチを繰り出す。
全く以ってお調子者のてゐらしい行動だが、その顔は情けなさからか少し紅潮している。

すぐに空しく感じ冷静になったてゐは、警戒しながらドアを抜けて二階へ降りてゆく。
少し広めなその部屋の壁には何故か大きな穴が開いており、そこから外の状況を窺い知る事が出来た。
眼下を見下ろすべくひょっこりと顔だけを穴から覗かせるが、ピョコピョコと動く長い耳のおかげで全く隠しきれていない。


てゐの眼に映ったのは筋肉隆々のマッチョ体型の大男。そして黒い肌の聖職者の服装をした男。その二人の男が互いに睨みを効かせるように対峙し合っていた。
二人の会話は聞き取ることは出来ないが、その雰囲気は見るからに物々しく、とても朝の和やかな会話を楽しんでいるようには見えない。


と、そこで神父風の男の傍にいつの間に出現したのか、『大きな人形』のような像が立っていた。あれが噂に聞く『スタンド』とかいう奴だろうか。
となればあの神父はブチャラティと同じ『スタンド使い』。何かしらの『能力』を持っていると考えられる。
対するマッチョの男の方もどうやら三体の空飛ぶ人形を操っている。
てゐは一瞬「アイツもスタンド使いか?」と思ったが、あの空飛ぶ人形はどこかで見た事がある気がする…
そうだ、確かあの七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドが使役していたタイプの魔法人形じゃなかったか?そうそう、確かそうだ。

つまり…えーとどういう事だろう?神父がスタンド使いでマッチョの男の人形は支給品か何か、って考えで良いのかな。どちらにしろ得体の知れない奴らだ。
てゐが考えを巡らせている間に、二人の間に動きが起こった。マッチョの男が人形を飛び掛らせて攻撃を開始したのだ。



「って、オイオイ始まっちゃったよッ。何でわざわざ私ン家の近くで戦闘開始するのよ!見えない所でやってよもーッ!」


「他人の家にズカズカと上がりこんでよくもそれだけ勝手な台詞が吐き出せるものだね君は。
その図々しさは僕もある意味見習う所アリ、っと言ったところなのかな」


「いやいやそうは言ってもね、私だって好きでこんな所に立て篭もっているわけではないんだよ?
どこぞの普通なる魔法使いと違ってちゃんと玄関から丁寧に入ってきたし、家主も見当たらないみたいだから………………………」


眼下の戦闘を観察しながら、てゐはそこまでの台詞を言い吐いて言葉を呑む。
そしてカラクリ人形のように首をコキコキと曲げながら声の聴こえてきた方向をゆっくりと振り向いた。



「やぁ。ご無沙汰してるね、幸運の白兎さん」


「びゃああああああぁぁぁぁあああぁぁああーーーーーーーーーッッ!!!???」


本日二度目のビックリがてゐを襲った。
今度という今度こそ全身の体毛が抜け落ちそうなほど逆立ち、心臓がひっくり返りながら口から発射されそうなほどに吃驚仰天する。
あまりの驚きに後ろ跳びでピョンピョンピョンと大きく三回の跳躍を発揮し、壁の隅まで退避して威嚇態勢を見せる。
懐の閃光手榴弾のピンはすぐにでも抜ける姿勢だ。


「…君は兎の他にも海老みたいな動きが出来るみたいだね。何もそこまで驚く事も無いだろうに」

「な、なななななな何だお前ッ!!あのボロ道具屋の店主じゃんッ!!わ、わ、私に近づくなッ!」
(ビッッックリしたぁぁーー!声を掛ける前にひと声掛けてよコイツもッ!うわー我ながら情けない姿を見せてしまった…!)


いつのまにこの家に侵入してきたのか、てゐの前に現われたのは古道具屋の香霖堂を営む店主「森近霖之助」その人である。
てゐとてこの男とは知らぬ仲というわけでもない。たまに店の品を覗いたり、気に入った物があれば『ツケ』で支払う程度にはよろしくやってる間柄ではある。

故にてゐはこの霖之助という男の性格は把握しているつもりだ。
こいつは争い事にはとんと不向きな性格をしている。普通に考えたらこのゲームには乗っていない、と考えるのが正解…なのか?

「―――と、いった所かな?君の考えている事は。そうだね…君が思っている通り、僕は勿論このゲームには『乗っていない』。
乗れるわけがないだろう、戦えもしないこの僕が」

(うぐ…心を読まれた。何かムカつく。…いやいや、コイツの言ってる事を鵜呑みにするほど私は馬鹿じゃないぞ。
乗っていないと言いつつ『だまし討ち』を仕掛けてくるかも…)

疑心暗鬼に陥るてゐ。それはそうだろう。乗っていないと一言言われただけでホイホイ信じる馬鹿もそうは居ない。
もしてゐが『乗った』立場だったなら、霖之助のように何食わぬ顔で近づいてきて隠し持っていた刃物でグサリと一発。
それだけで事が終わってしまう。武器があればだが。


「僕を疑っているみたいだね。まぁ無理もないか…。証明する手立てが今のところ無い以上、信じてくれとしか言えない。
でももし僕が乗っているんだったら、さっきの無防備な君をそのまま不意打ちで攻撃していたんじゃないかな?
この家に上がりこんだのだって何か使える物が無いか探していただけさ。
貰える物を貰って外へ出ようとしたら…近くで戦闘が始まっていたみたいでね、二階から様子を見ようとここまで来たという訳だよ。納得したかい?」

「…納得して欲しかったら支給品を見せなよ。舌先三寸ばかりじゃあ信用できる物も出来ないよ」

「…僕からすれば君にも当てはまる言葉だけどね。まぁ…良いか。僕の支給品は『スタンドDISC』なる物と『賽子』の3つセットだ。
正直どう扱った物か、使いあぐねている。『スタンド』などと言われてもまるで意味が分からないしね。
…ところで僕がまず教えたんだ、次は君の支給品の事も教えて欲しいんだが」

(まっ、そうなっちゃうよねー。しかしこいつスタンドDISC持ってんのかー…欲しいな。欲しい。けど…)
「いや待ってよこーりん。私の支給品聞く前にアンタ、大事な事まだ聞いてないじゃんか。『私が乗ってるかどうか』普通聞くじゃない?」

てゐの言う事は一理ある。確かに霖之助はスタンス不明のてゐに対して少し不用心が過ぎる。
大した確認もせずに自らの支給品をペラペラ喋り出し、信頼を得ようとしてもこれでは逆に怪しまれるのではないか。

おまけにてゐは幻想郷においてお世辞にも人格が整っているとは言い難く、その性格は根っからの詐欺師紛いのもの。
心の裏では何を考えているのか分からないといった、食えぬ性格で名が通っているのだ。
そんな問題の塊しかないようなてゐをこうもあっさり信じ込めるようなものなのか。


「ん…そうだな…。これは僕の勘でしかないが、君は『今のところは』乗っていないような気がするね。
少なくとも君は心は腹黒だが、積極的に人を傷付けていくような奴じゃない…そう思った。だから話しかけたんだ」


褒められているのか貶されているのか、兎に角どうやらてゐは霖之助の信頼を得る事が出来ているらしい。しかしやっぱり腑に落ちない。
てゐは霖之助の眼差しをじっと見る。燃えるような色や、怯えるような色は見せていない。
殺人者の見せるドス黒いそれでもなく、弱者の見せる恐怖に屈した色も感じ取れない。

何というか、坦々とここまでを、そしてこれからを行動しようとしているかのような『達観』したような眼。
気概も見せず、絶望も見せず。生き残る事を半分諦めているかのような眼をしていた。


(もしかしたらこの場で死んでも仕方無いや、みたいに考えてるのかな。私に殺されても文句は言わなそうだな。
この人がどこでくたばろうが私には関係無いけど)

こんな状況じゃ、生き残れそうなタイプじゃないな。霖之助を見たてゐの感想はそれだった。
しかし特に死にたいとも思っているわけでもないらしい。それなりに努力はしてみよう、その程度の気力がある事はてゐにも感じられる。
それならばここは互いに協力関係を築いても損は無いだろう。都合の良いことに、相手の方は自分を一応は信じてくれているのだから。


「まーアンタの言った通り、私はゲームに乗っちゃいないよ。『今のところはね』。
支給品だって武器と言えるような物は無い。この『ハズレのスタンドDISC』だけだよ、残念だけど」

そう言いながらてゐはデイパックから使い道の無いハズレDISCを取り出して霖之助に見せ付けた。
ブチャラティから譲り受けた閃光手榴弾は隠しておく。わざわざ言う必要は無いし、もしもの時のたった一つの緊急逃走手段なのだから。


「…成る程。では、お互いの支給品確認を行ったところでじっくり詳しい情報交換をしたいところだけど、どうも『彼ら』の戦いの結末が気になるね。情報交換はその後で良いだろう。」


―――『彼ら』というのは当然、外で戦っているあの二人の事だろう。

そういえば…と、てゐは突然現われた霖之助の事で頭から抜けていたが、現在この家の外では二人の男が絶賛激闘中だったのを思い出す。
てゐからすれば面倒事はさっさと終わってくれないとおちおち外にも出れやしない。
とにかく早く終戦して欲しいものだ、と外を覗くために壁の大穴に向かって歩き出す。



パ ン ッ



―――1発の炸裂音が響いたのは丁度その時であった。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

―――『君は本当に心を閉ざしているのか?』

―――『私の目には、都合の悪い重荷ごと自らの心を捨て去り『解放』されているかの様に見える』

―――『神の教えを尊ぶ立場にある君は、きっと私の友になれる。『天国』へと行ける素質がある』

―――『天国へと至れば、プッチも、君の愛する者達も、そして君も…皆が幸福になれる』

―――『力とは時に『勇気』と『覚悟』を与えてくれるんだよ、こいし』

―――『君はまさか…一欠片の勇気も振り絞らず、一滴の血も流さずに、この殺し合いを生き残れるとでも…思っているのかい?』

―――『現実から目を逸らすな。『覚悟』することが幸福だぞ―――なぁ、古明地こいし

―――『…さあ、話は終わりだ。プッチの下へ戻るといい…そして君の『勇気』で、彼を助けてやってくれ。
君に渡した銃はそのきっかけだ。そうして勇気を振り絞った時…君は『覚悟』を手にするだろう』

―――『覚悟』は人を幸福にする。君が奮い立つことを、私は願っているよ――さらばだ、こいし』


もう、ずっとだ。さっきから、ずっと。
コロッセオでDIOと別れても、あの人が放ったひとつひとつの言葉が、まるで茨の様に私の脳髄と心を縛り付けて離さない。
耳にこびり付く様な甘くて妖しげな声が、今でも頭の中を反芻して鳴り止まない。

自分がこれからどうすれば良いのか分からない。…しかし、ひとつの『道』は指し示された。
『DIO』と『神父様』の二人は私に確かな道を示してくれたんだ。

私―古明地こいしは今、その道の『分岐点』に立っている。『右』か『左』か。『前』か『後ろ』か。このまま永遠に『立ち止まったまま』か。
それは『勇気』を試す、私にとっての『試練』なのかもしれない。
抱く様にして腕に持つのはDIOから授かった小銃。コレを見るだけで頭がどうにかなりそう。

民家の陰からそっと大通りを覗き込む。
見えるのはおっきな男の人の背中。向こうで神父様と…戦っている。
あの男の人が…『ジョースター』。神父様達が、戦わなければならない敵…
私には、なんにも分からない。あの人がどういう人で、何故死ななければいけない存在なのか。


―――それは、こいしとプッチが人里内に足を踏み入れる直前の事だった。


「こいし。今から話す私の話をよく聞いて欲しい。
今、この集落内に『一人の人間』が潜んでいる。…いや、もしかすれば仲間が居るのかもしれないが…とにかく『ある人間』が居るんだ。
『そいつ』は私やDIOにとって絶対に乗り越えなければならない存在。深い『因縁』で結ばれているんだ。
ここまでは良いかい?」

目の前に広がる人間の里を指差しながら神父様はあくまでも穏やかに話し掛ける。
まるで父親が愛する子供に大事な言いつけを教えようとしているみたいに、神父様は私の肩に優しく手を置いて話を続けた。

「私は『奴』がこの集落に入り込むのを待ってたんだ。
この場所なら周囲に遮蔽物が沢山ある。不意を狙って『狙撃』するにはうってつけと言うわけだ。
恐らく奴の方も私の接近に気が付いているだろう。私達には『星の共鳴』があるからね。つまり私では『不意をつけない』…分かるかい、こいし?」

分からないよ…神父様が何を言っているのか、分からない。
みんな、私に何を望んでいるの…?『狙撃』ってなに…?誰が、何を撃つっていうの…?

「怖がっているのかい?君の気持ちはよく解る。何しろ銃だ。引き金を弾くだけで簡単に他者の命を奪えるなんていう代物なのだからね」

ゾクリと身が震えた。神父様は、DIOと全く同じ事を私に囁いたのだから。
一度は治まったはずの恐怖による身震いが再び私の身体を襲ってきた。その震えを宥める様に神父様は私の頭に手を伸ばして撫でてくれる。
親鳥が雛に狩りの仕方でも教えるかのように、私は神父様から『お願い』を受けた。


これから神父様は『ジョースター』という血族の人間との争いに赴くらしい。
そして神父様のお願いというのは、『とても簡単なこと』なんだと言う。
神父様がそのジョースターと戦っている隙に、私が後ろからコッソリ近づいてこの銃をたった『1発』。敵に向かって引き金を引く。

ただの『それだけ』。難しいことは無い。
神父様曰く、私の『無意識を操る能力』を使えば気付かれる事なく安全に撃ち抜く事が出来る、と。

『とても簡単なこと』…と言うのなら、確かにそれは何の事は無い。気配を消して、後ろから絶対に当たる距離で銃を撃てば良いだけ。
長距離から狙撃するわけでもない。私なら、確かに可能かもしれない。



「で、でも神父様…!私は…!わたし…っ!」

「分かってる。落ち着いて…君の言い分も理解できる。でもね、こいし。これは物凄く大切な事なんだ。
私やDIOにとってだけではない。君にとっても、君の『家族』にとっても大切な『儀式』なんだよ」

「私の、家族…?お姉ちゃん達とか…?」

「そう。ひいては『人類』のためさ。こいし、例えばこのゲームに乗ってしまった人達が居て、彼らは何故乗ってしまったんだと考える?」

「え…そんなの、私に分かるわけがないよ…。こんなこと、初めてだし…」

「難しく考える必要は無いよ。『シンプル』で良い。
そうだな…彼らはきっと『怖いから』だ。死ぬのが怖い。だから生きる為に『殺す』。
その考えそのものは『生』ある者として当然の心理だと私は思う。自分達が生きる為に人々は他者の命を『奪わざるを得ない』…
それは日常の世界でも当たり前の様に存在するこの世の『ルール』なんだ。君の言う『幻想郷』でも同じなハズだよ」


それは…確かにそうなんだろう、けど…でもこれはそんなに単純には割り切れない話なのではないだろうか…?


「私は生きる為にゲームに乗ってしまった人達を良いとか悪いとか言ってるわけではない。
人は結局のところ、自分を守るために生きているのだから。
そして、人は『天国』へと行くために生きていると言い換えても良い。そこが人間の素晴らしさなんだ。
私やDIOは『生きる』ためにゲームに乗るなんて低次元な考えはしない。人類を『幸福』にするために、これから戦っていかなくてはいけないんだ。
だから私達は、君とその家族を幸せにすることが出来る。君が望むなら、家族の命は私が『保護』しよう。
しかし、戦いには『犠牲』が尽き物だ。君にもその『対価』を支払ってもらわなければいけない…そこを理解して欲しい」

「…その『対価』っていうのが、さっきの『お願い』…?」

「そうだ。新しい時代の幕開けには必ず立ち向かわなくてはいけない『試練』がある。
私やDIOにとって、それは『ジョースター』の血族なのだ。
同時に、君にとっても試練の時だ。こいし、君はこれからひとつの『覚悟』をしなければいけない。
『勇気』なくして『覚悟』はあり得ない。『覚悟』なくして『幸福』はあり得ない。
…あとは君自身だ。そこから先は君自身が決める道なんだ。
私は無理にとは言わない。私が言う事を完全に理解しろとも言わない。道を歩むのは君自身の足なのだからね…」


さて、そろそろ行かなくては。そう言って神父様は人里へと視線を向ける。
この人が向ける視線の先には何が待ち受けているのだろうか。そして私の歩む道の先に待つのは本当に『幸福』なのだろうか。

私の信じる『神』って、いったい何…?



―――それじゃあ、こいし。ここで一旦お別れだ。また再会出来るのを心から『祈って』いるよ…



……………
………


結局私はここに来てしまった。すぐ近くには神父様とジョースターが命を削り合うようにして戦っている。
こんな凄まじい戦いに私なんかが介入できるだろうか。そもそも、私の手伝いなんて必要なのだろうか。
神父様の持つ不思議な力『スタンド』が、ジョセフと呼ばれたあの男の人に襲い掛かろうとしている。

この勝負…神父様の『勝ち』だ。心の内で私は無意識にそう感じ取った。
でも、そこからが信じられない光景だったんだ。今の今まで絶体絶命だったあのジョセフさんが、次の瞬間には『既に逆転していた』。
何を言っているのか分からないと思うけど、私もジョセフさんが何をしたのか全く分からなかった。本当に一瞬での逆転だったんだから。

ジョセフさんが大笑いしながら神父様を笑っている。殺し合いの最中にここまで陽気に笑える神経がある意味羨ましい。
でも羨ましがっている場合じゃない。いよいよ『勇気』を振り絞る時が来たらしい。

逃げ出すなら今の内だ。今なら誰にも気付かれずにこの場を離れることが出来る。
神父様には申し訳ないけど、私はやっぱり怖いよ…。そんな勇気、私には持つ事が出来ない…


足が無意識にその場から離れようと動く。

―――『ウム…それで?君はプッチを見捨てた後、どこへ逃げようと言うんだい…?』

頭の中から響いてくるのは、『あの人』の残響。

―――『私の友を見殺して逃げたその足で、家族に会いに行くのかね?何て声を掛けるんだい?』

無意識に逃げ出そうとしたその足が、無意識にピタリと止まった。

―――『私は無事だよ。お姉ちゃんに会いたかった!と、お互いに抱き合い、無事を喜ぶ?それは私の友の覚悟を『侮辱』する事と同義では?』

私の呼吸は滅裂に乱れ、背中が汗でグッショリと濡れ始める。

―――『君が勇気を持てないこと自体は、それはそれで仕方が無いことだ。それもひとつの『道』なのだから…』

深呼吸して、息を整える。――1回、2回、3回…

―――『だがそこで全身全霊を懸けて戦っている我が親友はどうなる?彼はああは言っていたが、恐らく君の事を信頼しているだろう…』

『弾』は…既に装填されている。問題無く、動くはず…大丈夫。きっと、大丈夫…

―――『何という事はないのだ…やり方は既に教えた。後は一欠片の『勇気』さ…』



無意識に、私の足は前へ歩き出す。隠れることはやめた。

―――『落ち着いて…その引き金を引いたその瞬間、君の『本当の人生』は動き始める』

止めを刺すつもりなのか、ジョセフさんが神父様の方へとにじり寄っていく。後ろから近づく私には気付いていない。

―――『覚悟することは…人を『幸福』にさせる。君にはその資格が備わっているんだ、こいし…』

私のこの腕は『発射台』…しっかりと落ち着いて狙いを定めた者だけが命中させることが出来る。

狙いまで数メートルという所で私は無意識に足を止めた。この位置が一番安定して狙える距離だと、無意識的に思ったからだ。

ゆっくりと銃を構える。この距離は、外さない。私にはもう、信じるしかない。神父様の言葉を。DIOの言葉を。

引き金に指を掛ける。私は無意識に息を呑み、呼吸を止めた。




そして驚くほどあっさりと、私は引き金を引けた。引いてしまった。

この瞬間ばかりは、無意識にではなかった。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

最初に耳を貫いたのはすぐ背後から聞こえた1発の銃声。
振り返る間も無く目の前を赤い飛沫が飛んだ。


(う…く…ッ!?何だ……っ!)


胸が熱い。一瞬にして全身の力が抜けてゆく。
遅れて猛烈な痛覚がジョセフを襲う。


(誰だ……これは…どいつの、攻撃だ………ッ!)


撃たれた胸を抑えながら両膝を突く。頭から倒れることは何とか凌いだ。


(馬鹿な……『仲間』が…居ただと…ッ!?ありえねえ…ッ!『波紋のレーダー』にはこの場に『ひとり』の反応しか無かったはずだ…ッ!)


銃弾は急所からギリギリ外れていた。致命的なダメージは無いが、肝心の呼吸が整えられない。
血反吐を吐きながら、懸命の余力で首を背後まで回す。靄のかかっていく視界の中で捉えた姿は、まだまだ幼い体躯の、帽子を被った小柄な少女。
彼女は手に持った銃をカタカタ震わせ、表情を蒼白に強張らせて撃ち抜いたジョセフを見ていた。
まるで自分のやった事が信じられないという具合だ。


(チッ…まだガキじゃねーか…!おまけにアイツ、まるで気配を感じねぇ…。こいつは…しくじったぜ……ッ)


ジョセフは膝を突いたまま体を半身だけ振り向かせて、背後の小さき狙撃者へと指をさしながら途切れ途切れの声で語りかける。

「おい…やっ……て、くれるじゃね、か…っ…お嬢ちゃん…!
なんつー…ツラ、してやがる……。あのクソッタレ野郎に…命令でも、され…たのか……?」

「あ……………っ……わた、し………!」

ジョセフの言葉で止まっていた時間が溶けだしたかの様に、こいしはビクリと肩を震わせて狼狽する。
自分は何をやってしまったのか。
頭の中から響いてきたDIOの誘惑の言を聞いているうちに、次第に心までボゥ…とぼやけ始め、気付けば引き金を引いていた。
これも無意識の所業なのだろうか。しかし引き金を引いたという感覚は確かにその記憶に残っている。

間違いなく、自分自身の意思で人を撃ったのだ。


「あぁ………………ご、ごめ……っ…なさ……」
「私の『同志』を揺さぶる真似はやめてもらおうか、ジョセフ・ジョースター」


こいしの謝意の言葉を途中で打ち消すように割り込んできた声の主はプッチ。
即座にプッチの方向を振り向いたジョセフの視界には、ホワイトスネイクの凶悪な手刀が既に目の前にまで迫っていた。
こいしの銃撃によってジョセフが糸を伝って流し続けていた波紋が途切れてしまったのだ。

波紋の束縛から解放されたプッチは躊躇い無く速攻を仕掛ける。



「テ、メエエェェーーーーーーーーーーッッ!!!!このクサレ神父がああああぁぁぁーーーーーーーーーッッ!!!!」



激昂の叫喚が辺り一帯に響き渡り、その無慈悲なる攻撃を回避する事敵わずそのままジョセフの視界は暗転した。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

物言わぬ躯体と化したジョセフを尻目に、プッチは埃の付いた自分の神父服を手でパッパッと払い、こいしに向かって歩き出す。

こいしは泣いていた。啜る事も無く、ただ呆然と溢れ出る涙が頬を伝うばかりであった。


―――もう、戻れない。


人を撃ってしまった。間違いなく、自分自身の意思で、だ。
流した涙の理由は、他人を傷付けてしまった事による自責の念からではない。
底の知れない、深い『闇』へと足を踏み入れてしまった事による、わけのわからない恐怖からだ。

もう戻ることは出来ない。闇から這い寄る無数の腕が私の足を掴んで離そうとしない。
しかし、そんな『闇』を振り払ってくれるかのように神父様は私の震える身体をそっと抱きしめ、頭を撫でながら優しげに声を掛けてくれた。


「こいし…よく出来たね。泣く事はない…君の行った行為は間違いなく『勇気の賜物』なのだから。その行為はこの世の何よりも美しい」


こいしには神父のその言葉が、聖母の語る慈愛溢れる言葉のように蕩けて聴こえた。
今はただ、『光』が欲しい。何にも見えない真っ暗闇の道を照らし、指し示してくれる仄かな『灯火』が…
今のこいしには、プッチとDIOしか居ないのだ。誰かに依存していないと心がどうにかなってしまいそうだ。


「神父様…あのジョセフって人、死んじゃったの…?」

プッチの身体越しに見える倒れたジョセフはさっきからピクリとも動かない。
ホワイトスネイクの攻撃が彼の頭部に何か仕掛けたように見えたが、一瞬だったが故にこいしには理解が及ぶ所ではない。


「ん…?ああ…いや、死んではいないさ。『仮死状態』と言ったところかな。
私のホワイトスネイクの攻撃を頭部に受けた者はその記憶や魂をDISCに封印し、取り出すことが出来る。
彼はもう永遠に起き上がる事は無い。奴のハッタリにはヒヤリとさせられたが、こいしのおかげで私は勝利を手にする事が出来た。礼を言うよ」

プッチは手に持つジョセフの記憶DISCをヒラヒラと見せながら、こいしに対して礼を述べる。
こいしにはDISCなる物が何の事かよく分からなかったが、どうやらこの円盤にジョセフの魂を封じ込めている様な状態らしい。
スタンドとはそんな事まで出来るのだろうか?こいしは興味を注がれる。


「さて…とはいえだ。ジョースターの存在をこのまま仮死状態などで済ましておくわけにはいかない。完全なる『とどめ』をこの場で刺しておかなくてはな」


プッチの優しげだった眼の光が、再び鋭いモノへと変換していく。
未だ眠ったように動けぬジョセフを殺す事など、最早赤子の手を捻るより楽な作業であった。

プッチの抱擁により先程よりも多少は恐怖の心が和らいできたこいしも、やはりこれからプッチが行う事に良い表情はしない。
DIOやプッチとジョースター家の『因縁』とはそれほどまでに深い鎖で繋がれているのだろうか…。
所詮部外者のこいしには計り知ることは出来なかった。



「……………あれ?神父様、服の袖に何かくっついてるよ?」


ジョセフの止めを刺そうと動き出すまさにその時、こいしがある事に気付いた。
プッチの右袖の端に何か白い物がくっついているのだ。プッチ自身も気が付かなかったのか、不思議そうにそれを見やった。

「私が取ってあげるね、んしょ…」

殆ど無意識の反射でその白い物体を短い腕で取ってあげるこいし。どうやらそれは小さく折り作られた『紙飛行機』らしかった。
なんでこんな所にこんな物が…?こいしも不思議に思いながら、何の気無しにその紙飛行機を『開いてしまった』。

その様子を見てプッチは、果てしなく嫌な予感がした。自分が先程も身を以って体験したばかりのジョセフ・ジョースターという男の『真髄』。
戦いの十手先を予見し、のらりくらりと罠を張り、ハッタリをかます。彼はそうやって数々の死闘を潜ってきた百戦錬磨の詐欺師。

プッチはこいしの行動を制止しようと勢いよく腕を伸ばし、彼女の持つ紙を掴み取る。

しかし、その時既にプッチはジョセフの『罠』へと嵌まり込んでいたッ!



「こいしッ!!その『紙』を広げるなッ!!手を離………!」

ボ ゥ ン ッ !


遅かった。完全に開いてしまったエニグマの紙の中から猛烈な勢いで飛び出してきたのは、ジョセフがパートナーの橙から譲り受けた支給品『要石』。
恐らくジョセフが作動させたまま紙へと仕舞っていたのだろう、それを開いた瞬間プッチの足元へと飛び出た要石は、瞬く間も無くプッチの体を乗せて高速で空へと上昇していく。


「な…なんだとおおおおぉぉぉおおーーーーーッッ!?」

「え……っ!?え……っ!?し、神父様ッ!?」

慌てふためくこいしと、地面に倒れたジョセフの姿がどんどん小さくなっていく。
あまりに一瞬の出来事。プッチは反応する事さえ出来ずに高速上昇していく岩にしがみ付くしか出来なかった。
右手に握ったままのエニグマの紙。視界に映ったその紙には汚い文字でこう書き連ねられていた。



『グッバアアァァ~~~イッ!せいぜいお空の旅を楽しんできてちょうだいネ♪…おっとそうそう、これだけは言っとかないとな。
――次にお前は、『貴様、よくもこんな目に!』…と言う――
ま、俺にはそれが当たっているか確認できそうに無いけどな』


「……ッ!!ジョセフ・ジョースタァァァァアアーーーーーッ!!
『貴様、よくも私をこんな目にィィイイーーーーーーーーーーッッ!!!!』」


完全に怒り沸騰のプッチはグシャリと手に持つ紙を握りつぶしながら、どこに行くのかも分からぬ空飛ぶ岩と共に朝の天空へと消えていった。
その絶叫とも聞こえるプッチの叫声も、こいしの耳からはどんどん遠ざかっていく。
この策士にして詐欺師、ジョセフ・ジョースターという男に、プッチは最後の最後にしてやられた。

未だ状況を上手く把握出来ていないこいしは、天へと昇る小さな影を黙って見送ることしか出来なかった…


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

呆然と見上げるこいしをよそに、ジョセフの魔法人形がフワフワと戻ってくる。
主の意識が無くとも自分達に出来る限りの奉仕はこなす。
直接的な攻撃能力は無くとも、可能な範囲での思考・行動が出来るこの魔法人形は中々に優れた自立式の傀儡なのであった。

三体の人形は互いに集まり、文字通り地に足がつかない様子でそわそわキョトキョト。
言葉は喋れずとも彼らの間には通じる物があるのだろうか。

いずれ一体の人形が地面に落ちていた光る円盤の存在に気が付く。
無論、先の混乱の最中にプッチが落としてしまったジョセフの記憶DISCである。
このDISCがジョセフの頭から抜かれた瞬間、彼はそのまま死んだように眠ってしまったという事実から人形達は一生懸命考え、やがて結論に辿り着く。

フヨフヨと倒れた主の位置にまで移動し、短い手に持つDISCをジョセフの頭にそっと挿入する。
するとどうだ。童話の白雪姫が如く深い眠りについていたジョセフの瞼がゆっくりと開かれていく…と思いきや、彼はいきなりバッと目を見開いてその場から立ち上がり、吼えた。



「―――ッウオオォォーーーッ!!?あ、危ねえッ!!!死んだかとオモッターーーーーーーッ!!生きてるッ!!ラッキーーー!!!」


飛び起きたその勢いで両手を天へ伸ばし、満面の笑みで拳を握る。
DISCを奪われた状態でも微かな意識が残っていたのか、昏睡していた時間の出来事の記憶は朧げながら存在していたらしい。
既に姿の見えぬ神父が飛んでいった天へと向かって「ザマーミロ!」「クソ野郎!」などの罵言を吐きながら指を立てるジョセフ。しかも方向は逆である。



「……ツッ!!ッてェェ~~!わ、忘れてたぜ…撃たれてたんだった…」

忘れていた痛覚が身体中を駆け巡り、再び片膝を突く。死力の限りでプッチを退けた事の余裕からか、さっきよりも呼吸は安定している。
とはいえ、このまま血を流し続けてはマズイ。ジョセフは撃たれた胸に手を当て、得意の波紋の呼吸を行う。
コレばかりは流石のジョセフも真剣な表情で気を引き締めた。

傷口から胸へ。程なく身体中の全器官へと生命波紋のエネルギーが澄み渡る。
もし撃たれていたのが波紋使いの弱点、『喉』か『肺』だったならばかなりヤバかった事になる。


(フゥ~…何とか一命は取り留めたってところだな。こんな事もあろうかとあの『要石』は作動させたまま紙に入れといたのよん。
紙飛行機にして相手に気付かれないように飛ばし、開ければすぐに飛び出てくるようにな。
作戦は成功したが要石はあのまま持ってかれちまった…ちょっと乗ってみたかったんだけどなぁ…)


波紋での治療をしながらジョセフは少し残念そうな顔で上を見上げる。
と、そこに主の心配をしていた人形達がジョセフに擦り寄って来る。表情は無いがどこか嬉しそうである。

「お!お前らも無事だったかシャルルにピエール!それと…えっと、フランソワ!(見分けはつかないが)
お前らが俺を救ってくれたんだな!ありがとよ!」

自分の命の恩人である魔法人形に律儀に礼を言うジョセフの姿はどこか滑稽だったが、人形達も主の生還を喜んでいる様なので、これでめでたしなのである。






「う…動かないでッ!!」




処置を終えたジョセフの耳に飛び込んだのは、震えながらも精一杯の覇気を醸し出そうとする幼い声。
ジョセフが後ろを振り向けば、そこには小銃を構えてこちらを狙う古明地こいしの怯える姿。
彼女は頼る者が居なくなった今になって、ようやく『絶対的な窮地』という現状を把握したのだ。



「し…神父様をどこへやったの…ッ!返してよ!!今すぐ返さないと…許さないんだから!!」

「…………」


獰猛を露わにする幼子の表情の中に入り混じる狼狽の色は、ジョセフに違和感を与えるには充分な判断材料となった。

―――どうやら、なにかワケありらしい。
彼女の震える声と腕を呑気に観察しながらジョセフは最終的にそう感じた。だからまずは刺激しないように、いつもの調子で対話を試みる。


「ねぇ、お嬢ちゃん。アンタ、なんであんな嫌な神父と一緒に居たの?嬢ちゃんの保護者かなんか?」

「こいし!古明地こいし!」

「…そりゃ失礼、こいしちゃん。俺はジョセフ・ジョースターってんだ。クールで紳士なナイスガイだろ?
で、話を戻すけどさ、アンタどー見てもゲームに乗って殺して回る様な奴には見えないぜ。俺を撃った時もビビリまくってたじゃあねーか。
多分銃なんて撃ったのも初めてだったろ?……あの神父に無理矢理協力させられて…」

「違うッ!!わ、私は自分の意思で…あ、貴方を撃ったんだもんッ!神父様は関係ない!!!」

「…今のお前さんの顔を見てると、俺はそうは思わねーなー。アイツを庇ってんのか?あの神父とこいしにはどんな関係がある?」

「し…神父様は『いいひと』なんだもん!
独りぼっちで不安だった私の話を真剣に聞いてくれたッ!私の悩みに対して真摯に答えてくれたッ!諭してくれたッ!
そりゃあ…『DIO』と一緒の時やこの里に入る時はほんの少しだけ…怖かったかもしれないけど!
あの人は私の家族を『保護』してくれるって約束してくれたし!私に『勇気』を教えてくれたッ!
今の私には神父様とDIOしか居ない!きっと私の味方になってくれる!
何も知らないクセに神父様を悪く言わないでよッ!!」


(DIO…か。俺のジイさんが倒したはずの『因縁』の敵が…!あの神父とも何らかの繋がりがあるらしいな…)
「…こいしが奴らに対してどんな気持ちを抱いているのかは知らねーけどよ、神父はともかくそのDIOはどーしよーもねークソッタレの悪人だと俺は聞いてるぜ。
現にお前は怖がってるじゃねーか。小さな女の子に銃撃たせる聖職者がどこの世界に居るってんだ。
目を覚ませ、こいし。お前はDIOと神父に利用させられてるだけだ。お前のやった行為は『勇気』とは言わねーよ。
俺と一緒に来い。俺がお前を守ってやる。どーしよーもない悪人達からな…」

「煩いッ!私に近づかないでッ!!」



パァンッ!



こいしに差し向けた手を拒絶するように彼女は引き金を引く。
逸れた弾道はジョセフの頬を掠り、その頬には紅い一線が走る。それでもジョセフはこいしを見据えて動じない。
動揺しているのは銃を撃ったこいし本人。彼女は間違いなく命中させるつもりで発射したハズなのに、当てることは出来なかった。

ふと、こいしは自分の視界がぼやけている事に気付く。
これは自分の涙だ。今日何度目になるか分からない涙を流していた。
銃を構える腕もさっきから震えるばかりで一向に治まらない。


―――私は、恐れているのだろうか…?ジョセフに?それともDIOに?神父様に?


分からない。何を信じて、何が信じられないかも、何もかも。
どうしてこの人は私にそんな優しい言葉をかけてくれるの…?私は彼に酷い事をしたっていうのに!


―――『こいし…また怯えているのかい?…だが安心するといい。君は既に『資格』を手にする事が出来た。
天国へ到達するという資格をね…。何も恐れる事は無い』


またしてもDIOの声が頭の中から語りかけてきた。その声は変わらず落ち着いた、母のような優しさを持っている。


―――『その男に近づくな。彼は口では都合の良い正義論を振りかざしているだけの『卑怯者』…信用してはいけない』


この声を聞くとやっぱり安心する…。それがとても恐ろしくて、どんどん思考が鈍っていく。


―――『さぁ…その銃を構えて…。君は既に『勇気』を手に入れた筈だよ…。試練は乗り越えたんだ。
目の前の男はただの『幻影』…君を甘い罠へ陥れようとするだけの『夢』だ…
撃つのだ、こいし…』


ぼやけた視界でもう一度前を向く。ジョセフは変わらず私に向けて手を差し出したままだ。どうすればいいの…?
決めるのは、私。この人は『黒』?それとも『白』?DIOは、神父様は…『黒』か『白』か。

今の私は…『黒』でもなければ『白』にもいない。ぼんやり無意識に突っ立っているだけの、ねずみ色の『境目』よ。
いい加減、自分自身で決めないと…!

私の『本当の分岐点』は今、この瞬間なんだ。『右』か『左』か!『前』か『後ろ』か!『黒』か『白』かッ!

私が信じるものは何!?



「こいし。俺を信じろ…!守ってやる!!だからこっちに来い!」


―――『こいし…判断を間違うな…。君は『白』だ…!奴を撃て…!撃つのだ、こいしよ…ッ!』


頭の中でジョセフとDIOの声が衝突し、反射しあう。

(わたし…わたし……わたしは………ッ!!)




「こいし!!」
『こいし!!』



カチャリと、銃が無機質な音をたてた。





ズ タ タ タ タ タ タ タ ッ !!!


不意に響いた銃撃音。
こいしは、既に銃を地に向けて下ろしていた。
聞こえてきた方向は、こいしの更なる『背後』から。
彼女の頬を伝う雫は光る。

撃ったのはこいしではない。ならば、誰だ…?




「さっきから何を戸惑っているの。早くそいつを殺しなさいよ、古明地こいし」




絶望に堕ちた足音が、幾つもの鉛玉となってジョセフを襲った。
二人の耳に聴こえてきたのは無情なる機関銃の咆哮。

そして氷のように冷たく、心を失った者の冷徹な呟き。



こいしが振り返ったそこには、おてんばな氷精『チルノ』が黒き殺戮の道具を腕に携えてこちらを宙から見下していた。

その眼には何の光も宿さずに。まるで氷の人形のようにジョセフとこいしを冷たい眼光で貫きながら。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

ジョセフがその存在に気付いたのは、少し遅れてからの事であった。


彼は静かに怒っていた。かのDIOと、今しがた戦っていた神父達に対してのやりようも無い怒りである。
彼女――古明地こいしのような小さな子供に、奴らはあろうことか銃を持たせて殺人の強要をさせていた。
こいしがそう言っていた訳ではないが、彼女の反応からして当たりだろう。


―――自分の目的の為には弱者すら利用し、使い棄てる。


ジョセフは昔からそんな人間が大っ嫌いだった。気性こそ荒いが、人一倍強い正義の心が彼を逞しく育てた。
そんな彼が今の怯えるこいしを見て、怒りを燃やさないはずが無い。彼女を助けようとしないはずが無い。

だからジョセフはこいしを説得しようとした。悪しき泥沼の中から身動きが取れない彼女に手を差し伸べ、引き上げたかった。
それ故にジョセフはこいしへの視線を外すわけにはいかなかった。彼女を真剣に助けたかったから。


それ故にジョセフは『その存在』に気付くのが遅れた。


こいしの背後に迫る『小さな影』はこちらへ近づくにつれ、少しずつその姿は鮮明に映ってくる。
人間にしてはかなり小柄で、背中には『羽』の様なものがパタパタと小刻みに羽ばたいており、少しではあるが空中を飛行していた。
こいしの背後数メートルにまで近寄ってきた時、それは右手に持っていた『黒い物体』をジョセフに向けた。

その時初めてジョセフは『ソイツ』の存在に気が付いた。瞬間、僅かに見えたソイツの瞳には何も映っていなかったのだ。
『光』も『闇』も無く、しかし氷のように冷めた殺気だけがジョセフの視線と一瞬交差した。


カチャリ、と引き金を引く音。


(何ィッ!?)

ジョセフが殆ど反射的にデイパックに手を突っ込み、あらかじめ忍ばせておいたモノを引っ張り出して宙に撒き散らしたのと同時に、敵の持つ支給品が火を噴いた。

前方に撒いた物とは大量の『綿』。先の東方家の布団やら何やらから頂いて来た物だ。
綿に波紋を流し込み『硬質・活性化』させる事で緊急の防御シールドと成り得る日用品だ。
おまけに多少の水分を含ませることで波紋を流しやすくしているひと工夫付きである。

ジョセフはかつて柱の男の一角『サンタナ』と戦う際に、敵の放つ銃撃の嵐を防ぐべく考案した『髪の毛』をばら撒いての防御策『波紋ヘア・アタック』によりマシンガンの攻撃を防ぎきった経歴がある。
この『綿』もそれと同じ原理での防御バリアー。危険を感じた瞬間、こいしに差し向けていた右腕でデイパック内の綿を掴み、波紋を流しながら即席の盾を作成する。


ズ タ タ タ タ タ タ タ ッ !!!


「うおおおぉぉぉーーーーーーッ!!??」


ギャギャギャギャンッ!と幾つもの鉛と波紋同士がカチ合う音が空気を破り振動させる。
その隙にジョセフは猛ダッシュで近くの民家のドアを蹴破り、中へ避難した。
壁を盾にしてひとまずは腰を落ち着かせ、窓から新手の襲撃者を正体を見極める。


(ハァ…ハァ…ッ!クソッ!また新手のチビッこかよッ!しかも今度の奴は問答無用の敵かッ!
それに俺はまだ胸の傷が痛むんだぜーーッ!この状態で連戦はちとキツイな…!
どうする…?ここは一旦逃げるか…!?)

ジョセフの頭を一瞬よぎるお得意の『逃亡策』。もちろんこれは戦闘そのものの放棄ではなく、勝利する為の一時的な戦略的撤退に過ぎない。
元よりあの悲しみに暮れるこいしの心を見捨てるつもりは毛頭無いのだ。どれほど強大な新手が現れようと全員ぶっ潰して弱者は救い出す。
ジョセフの信条は最初から揺るがない。


(あの青髪のチビッ子…(橙が言ってた幻想郷の妖精か?羽が生えてやがる)こいし嬢ちゃんとは知り合いか?
何か話しているようだが、何にせよこいしが襲われることはなさそうだ。そこは安心だぜ…)

息を整えて波紋の呼吸は途切らせない。いくら相手が子供でもこちらは手負いの身。しかも機関銃を所持しているとなれば油断は出来ない。
ジョセフは三体の人形をそれぞれ三方に散らばせた。ジョセフと人形を繋ぐ波紋の糸であの妖精を取り囲み、プッチに仕掛けたように縛り付ける作戦で行くことにした。
ただし殺しては駄目だ。あくまでも『捕縛』を目的として戦う。

こいしにしてもそうだが、この殺し合いに好きで乗ってる奴がそう多いとも思えない。
その多くが何らかの事情で乗らざるを得ないとジョセフは考えている。つくづく悪質非道過ぎるゲームだ、溜息を漏らしながら第2回戦の準備を整え、一声を張る。



「その中身少なそうな頭、少し冷やしてやるぜッ!妖精のお嬢ちゃん!」

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最終更新:2014年03月15日 00:37