紅の土竜

サンタナ
【夕方】C-3 紅魔館 地下大図書館


 蝿が目障りだったので、払い除けた。

 目の前の女を出し抜けに吹き飛ばした行動の真意など、サンタナからすればほんのその程度の反射に収まる。
 実際には、蝿は飛んですらいない。血溜めの桶でも頭から被ったかの様な色合いの衣服を纏ったその少女は、自分に対して困惑や動揺の様子こそ見せてはいたものの、敵意は無く、サンタナがこれに先制攻撃を入れる意味など全くなかった。
 それでも試す必要はあった。サンタナには、DIOから語られた『君と会わせたい人物』とやらが、本当に会う価値のある人材なのかを見定める必要があったのだ。
 偏に『見定める』と言っても、品物の値打ちを判ずる考査には諸々の嗜好が出る。サンタナがまず採った選択が、『暴力』による小手調べだったというだけの話。彼という人種を考えれば、当然の手段である。


「…………? どういう事だ、これは」


 考査結果のみを見て、サンタナの頭には疑問符が押し寄せる。
 ただ、払っただけ。
 超生物たる男からしてみれば腕をほんのひと薙ぎの、何という事も無い行為である。本当に殺すつもりの威力など、少なくとも今の一撃には込めていない。

 しかし、その少女───秋静葉にとって、柱の男とのフィジカル差はあまりに瞭然。サンタナがDIO戦にて大きく疲弊している状態を差し引いても、このあまりに埒外な先攻を食らったのでは、堪らず紙切れのように吹き飛ばされる醜態を見せたのは致し方ないと言えた。


 何だ、この虫けらは。
 この、脆弱な生物は。
 これがDIOのぬかした、オレと『縁』がある女?


 ───本当に、舐められたもんだ。


「どうやら時間を無駄にしたらしい。……不愉快、だ」

 元々、どうしようもなく腹立たしげに感じてはいた。
 DIOに立ち向かったはいいが、事実上の敗北を喫し。
 むざむざ撤退する訳にもいかず、あろう事か奴の口から仲間へと誘われ。
 刻むべき道を『二択』に迫られた結果として、奴から宛てがわれた女の正体が〝これ〟では。

「う……ぅ、あ……っ」

 反吐を吐き、地べたに四つん這いの格好を取る女を見下ろすサンタナは、また嫌悪し、蔑んだ。
 いよいよ我慢ならなかった。DIOは何を以て、オレと〝これ〟の縁がどうだのという話を持ち掛けたのだ?

「……女。お前は、何だ?」
「かっ……は、ァ……ッ!?」

 体重の数値は三桁を優に超すサンタナ。その大木のように太ましい脚が、悶え蹲う静葉の背へと、遠慮の欠片もなく真っ直ぐ落とされた。

 DIOは先程、別れ際にこう言い残している。

『───好きにすればいい。気に入らないようなら喰っていいし、力は全く以て脆弱な少女だ』

 奴なりの冗句か何かだと、その場は流したものだったが。どうやら言葉の通りとなりそうだ。それぐらいに、サンタナにとっての秋静葉という存在の第一印象は、言葉を交わすまでもなく最低ラインから始まった。
 このまま杭打ちした足の先から『喰って』も問題は無かろうが、言葉を交わす事でこの『交流』が意味を形成する。そんな邂逅に成り得る可能性も否定出来ない。初めこそ暴力での会話を試みたものだが、それだけでは〝人の底〟を測れやしない。少なくとも、今のサンタナにはそういった意義ある体験が、回数こそ少ないものの経験として活きている。

 甲羅を経る。
 良く言えば、そういう目的を兼ねた腹案──下心のような気持ちで、サンタナは自らより下に見ている少女へと、漠然ながらも尋ねたのだった。
 「お前はオレにとって、有益をもたらす存在なのか?」と、値踏みするかの様に。全ては、己の糧に通ずるか?という思惑の上であった。
 命を握られた側の少女にとってみれば、ここで答えを誤るわけにはいかない。突然にして陥った窮地であると同時に、重大な質問だった。


「あ……う、……ぐ、そォ……っ! わだ、し……は……〝また〟こう、しで……」


 虚勢でもいい。
 負け犬の遠吠えでもまだ許容出来る。
 命乞いでさえなければ、少しは耳を貸す気持ちになれるかもしれないと。
 サンタナの心の片隅。ほんの僅かには残っていた『同情心』の様な薄っぺらい気持ちも。
 この、意味すら伴っていない様な言葉の羅列を半分ほど耳に入れた所で。

 サンタナが気まぐれで掛けたふるいに、この雑魚は尾ヒレを引っ掛けることなく奈落の海へと堕ちる。
 ───その運命が決定した。


「エ゛シディシの時と……私はな゛にも、がわらない゛……っ!!」


 ピクリ、と。
 稚魚を喰らわんと顎を開く大鮫───サンタナの足による『食事』が、何の答えにもなっていない女の醜い回答によって中断された。
 今……コイツの口から吐き出された名前。サンタナはここでようやく『共通点』を見出した。

 共通点。DIOの言う所の『縁』であった。

「…………誰だと?」
「エシ、ディシよ! あなた、あの大男の仲間、なんでしょう……!?」

 仲間。……『仲間』ときた。
 同族ではある。生態上のカテゴリで表せば同胞なのは違いない。
 しかし、その質問に対する答えには胸を張ってYESとは言えない。言えないが……やはり名目の上では仲間だと、肯定すべきなのだろう。
 従ってサンタナは、口には出さずとも否定の意を示さない態度によって、真下の少女との『会話』を続行する事とした。口下手である彼なりの、自己顕示の手段であった。

エシディシ様を知っているのか」

 その単語───『エシディシ』とは、少女にとって最早呪いの類である。


 秋静葉。
 此度の遊戯において、少女の『始まり』は血に濁った泥底からであった。
 ただでさえ指折り弱者の彼女が選び取った道は、あろう事かゲーム優勝。己以外の全ての生命へと宣戦布告を遂げたというのだ。
 まず、間接的にではあるが弾丸使いのミスタを仕留められた。あの孤高の男リンゴォとの決闘の最中という、用意された舞台上でなければ成し得ない、破格の戦果であったと言えた。

 次に、というより、次こそが問題だった。
 意気揚々ではないが、強者を仕留められた結果に静葉の心はどこか浮いていた。
 「この調子で行けば……」といった焦燥の気持ちが無かったといえば嘘になる。こういった波乱の地において、強者弱者関係なく絶対に浮かべてはならない思考だ。
 その油断を突くようにして、あの大男エシディシは試練として立ち塞がったのだ。今更、語るべき内容でもない。大敗を喫し、心臓には『結婚指輪』を仕掛けられる。傍迷惑な、再戦の契りであった。

 弱者が、強者から一方的な蹂躙を受けた。
 事実とは、ただのそれだけである。
 この指輪が存在する限り、エシディシとの再戦は避けて通れぬ試練。
 だからこそ静葉の中でエシディシの存在は大きく、そして歪みきった死神の様な因縁を結んだ相手。

 DIOと出会い、言われるがまま待ち人の潜む地下へと足を運んだ。彼は、その場所に居る人物を『縁』ある相手だと言っていた。静葉の通った境遇と、少し似ているかもしれない相手だとも。


 相手の正体は、闇の一族。
 憎きエシディシと風貌を似通わせた、鬼人だ。
 一目見て、奴の仲間だと理解した。


 出会い頭に、吹き飛ばされた。
 会話を挟むことなく、まるで突風が過ぎるかの様に。
 そして今また、静葉は鬼人の脚に踏みつけられている。
 嫌でも想起するのは、エシディシの蹂躙を受け、心臓に手を掛けられたあの瞬間の悪夢だ。


「エシディシを知ってるか、ですって……?」


 かくして、少女は出会った。
 この鬼人───サンタナと、地の底にて。


「私は……アイツと戦わなきゃ……勝たなきゃ、駄目なの……ッ」
「……キサマ、名前は」
「……ぅ、……し、静葉。秋、静葉……っ」

 ひとまず男の質問に答えることで、静葉はその場しのぎの延命を図った。首だけを回し周囲を確認するが、猫草の鉢は遥か遠くに転がっている。反撃の材料は現時点で無い。
 目に見えて動転、困惑するのは静葉の心境からすれば致し方なかった。なにせ図書館にて待つ者はDIOの口ぶりからして『味方』か、それに準ずる相手。少なくとも危険な相手だという認識は、全く予想の外であったからだ。
 そこに居た者があのエシディシと似た容貌の男であるだけでなく、唐突に攻撃を仕掛けてきたというのだから、誰であってもパニックに陥るのは当然。DIOを信頼しての結果、という事実も大きな作用を生んでいた。

 DIO。静葉は、彼と出会って『変わった』。
 正確には『戻された』。この殺し合いが始まる以前の、或いは始まった当初の頃の、秋静葉というか弱い少女神へと。
 その瞳からは、寅丸星と共に行動していた頃ほどの我武者羅さは消滅している。無論、今でも勝利への貪欲さは失われてはいないが、その『勝利』への意識が以前に比べて方向性が違っていた。

 何処がどう変化しているか。
 その具体性は静葉自身にも分かっていない。
 かつては迷いを捨て、修羅にも成ろうという思い上がりを決意したものだったが。

 今の秋静葉は。
 迷妄しつつも泥濘駆けんと努力する───〝極上の弱者〟を貫いていた。

(サア ソロソロ ダゼ)
(ウフフ フ フ シヌワ。モウスグ シヌネ)
(アナタ ハ ヨワイオンナ デスモノ)
(シ ヲ イトウ ノデアレバ タタカイナサイ)

 静葉を苦しめる『頭の中の声』が止むことはない。この声を拒絶する方法を知ってはいるが、彼女がこれを拒むことは、もうやらない。
 あるとしたら、それは死ぬとき。
 秋の終焉。即ち、晩秋。
 何故ならば、彼女は受け入れたのだから。

 この『弱さ』を。
 この『痛み』を。
 この『地獄』を。

 しかし。
 甘んじ、受け入れる事と。
 それらを乗り越える事は。
 同じではない。
 二つは全く別次元のステージ上にとぐろを巻いている。

 弱きを受け入れるという事は。
 弱きに押し負け、潰される恐怖がすぐ身近に感じるという事だ。


(タタカウ シカ ナイ)(タタカエヨ)(シヌノガ コワイノデショウ?)(タタカエ)(サモナケレバ)(シヌ ゾ)(シヌ)(イモウト ハ スクエナイ)(ハヤク)(ハヤク タタカエ)(サモナクバ)(コッチガワ ニ コイ)(ハヤク)(ハヤク シネ!)(シネ シネ)(コロセ……!)(テキ ヲ コロセ!)(アルイ ハ)(アルイハ)



「や……やめてぇぇええッ!!!」



 無数の『何か』から逃れるように。
 それは己の背後にポッカリ口を開けた絶壁の崖。深淵の中より、呪言と共に腕を伸ばさんとする亡霊共のような幻影であったが。
 静葉はたちまちにして喚き散らし、懸命に懇願した。

「嫌! こ……来ないでッ! わた、私に近付か、……ないで! 化け物ッ!!」

 気付けば、背を杭打っていた化け物の脚は離れていた。枷から逃れた静葉は、腰を抜かしながらも尻餅姿勢のままに後退る。猫に追い詰められた鼠だって、こうまで取り乱さないだろう。
 当然、そんな体勢では化け物から距離を取ることなど不可能。サンタナが間合いを詰めるまでもなく、背後の本棚へまんまと頭をぶつけ、叶わぬ逃避行となった。

「……少し、黙れ。別に今すぐ取って食おうというわけじゃない」
「来ないでって言ってるでしょう! わた、わたし……まだそっち側に行くつもりなんて、ない!!」

 浅慮、というよりも気が動転しすぎて周囲に目がいってない。弱肉強食のサバンナに兎が一匹放り込まれたのでは、こうも吠えるのは無理ないかもしれない。しかし兎は、草葉の陰より現れた獅子に臆するというよりかは、別の『何か』に怯えている様にサンタナには見えた。
 どちらにせよ筋金入りの弱者である事に変わりない。こんな底辺者がよくぞまあ今まで生きてこられたなという感想よりもまず、少女の吐いた名前にサンタナは思い至る節がある。

 間違いなく、以前に主エシディシが森で出会ったとかいう女がこの『秋静葉』だ。
 廃洋館での三柱会議の場。あそこに顔を出していたサンタナは当然ながら聞き及んでいる。その事を語る主の模様はと言えば、至極どうでも良さげに流してはいたが、掻い摘んで言うと「秋静葉という女に結婚指輪を仕掛けた」との内容だった。

 結婚指輪……サンタナの『番犬』時代であった遥か以前にも覚えはある。
 確か、主らが戯れのように対象者へと交わす再戦の契り。その強制の証が『結婚指輪』という名の猛毒リングだ。
 幼心に「何が面白いのだろうか」といった乾いた印象を抱いた記憶もある。故にではないが、自分はそんな大層なアクセサリーなど常備していなかった。主から賜る機会すらとんと無かった。

 昔日の思い出に顔を歪ませるのは今すべき事ではない。
 なんとも面白いというのが、つまりはこの静葉は遅かれ早かれ、主エシディシと一戦を交える未来が確定しているという事実だった。
 それがどういう意味であるのか。考えることすら馬鹿馬鹿しくなる。

「……フフ」
「な、何よ……! なにか、可笑しなことでもあるの……!?」
「可笑しなことだらけだ。主のいつもの戯れながら、オレには理解できん。よりによってこんな負け犬を相手に選んだというのは」

 エシディシ。サンタナが二人持つ主の、片方の柱。
 自分などが改めて口に出すまでもない事だが。エシディシは、人智を遥かに超えた戦闘力を振り回す強者の一角である。無論、サンタナよりも数倍上手だ。
 そのサンタナを前にしてこうまで酷く狼狽する一介の雑魚が、何をどう闘えばあの狂人に勝ち星を上げる偉業など成し遂げられるのだろうか。

 主も主で、という話にもなる。貴重な指輪を引っ掛ける相手がよりによってコイツでは、暇を持て余した戯れにすらならないだろうに。どんな大物が釣れるか分からないところに魚釣りという余興の楽しみもあろうが、獲物が雑魚だと知っている釣り堀に垂らす貴重な餌と時間など、無駄以外の何物でもない。
 或いは、釣り糸を垂らす行為そのものに興を見出している可能性も無きにしも非ず。カーズワムウと違ってエシディシは、専ら人を食った様な態度で相手を弄る悪戯好きの側面も目立つ。
 ともすれば、当人にとって意義のある再戦など実の所どうでも良く、旗色の見込めない対戦者が絶望に塗れ四苦八苦する様をただ観察して楽しむため、とすら邪推してしまう。

 だとするなら。
 だとしなくても。
 少女を不憫だなんて、とても思えない。
 滑稽な話だ。当然な末路だとすら考える。
 人間を脅かす存在。
 それこそが柱の一族の本懐。
 その相手が、神であろうが関係ない。
 ましてこの少女は、清々しい程に弱かった。

 弱い。ただそれだけならまだしも。

「───ふんッ」
「がァ……っ!? ぁ、ぐ……」

 この期に及んで立ち上がろうともしない静葉へ距離を詰め、横っ面に一撃の蹴り。これにも万力の一片たりとて込めていなかったが、結果は先程の焼き増し。

「逆に驚いた。同じ『弱者』でも、目に映る姿がこれ程に違うとは」

 暴力に蹴散らされ、無力を訴えかける静葉の姿を見下ろすサンタナの瞼には……また別の『弱者』が映っていた。

 その妖怪……古明地こいし
 彼女との触れ合いはサンタナにとって短い──いや、皆無に等しかった。
 こいしは弱く、矮小で、苦しんでいた。その点では静葉と何ら変わらない。

 サンタナは知らない。
 古明地こいしが『強さ』について大いに迷い悩める、一匹の仔羊であった事を。
 ワムウと僅かな時間を共に過ごし、最期には彼女なりの『強さ』を見出して永い眠りについた事を。

 サンタナは知っている。
 古明地こいしの『勇気』は絶対的な暴力に捻じ伏せられ、最期の灯火も消し飛ばされた事を。
 カーズの凶悪性を前にして、胸に抱いた『誇り』も、何もかも蹂躙され尽くされた事を。

 『勇気』も『誇り』も、物理的な力が伴っていない限りは、より大きな『強さ』に踏み躙られる。世の条理だった。
 ではこいしの生き様は、果たして無意味だと断じられるのか?

 サンタナには……そうは思えなかった。
 ワムウの膝元に抱えられながら両の瞳を閉じゆく少女へ対し、サンタナの心には確かに『称賛』が芽生えたのだから。

 そして今。
 古明地こいしと同じように『強さ』を求め、悩んでいた『弱者』が目の前にて悶えていた。
 カーズの暴力に侵略され、命を摘み取られるこいし。図式の上では、今のこの状況はそれと同じだ。
 さながらカーズと同じ類の暴を、サンタナは眼前の静葉に振るっている。既視感の宿るこの光景をしてサンタナは、先の台詞を吐いたのだった。


 同じ弱者でも、こいしと静葉ではこうまでに違うのか、と。


「か……は……っ ぅ、うう……あ、ぐぅ……!」

 反撃を試みるでもなく、少女は蓄積するばかりのダメージにただただ悶えるだけ。

 これでは、とても『称賛』など出来ない。
 こんな虫けらに、『勇気』も『誇り』もありはしない。
 例えあったとしても……それはこいしとは種からして異なる、真の弱者がほざく低級な生き様だ。

 これでは、とても『糧』にはならない。
 こんな虫けらを、一匹潰したところで。
 サンタナの『生き様』を……刻み付けることなど出来ない。『証』を残すことなど、出来ない。


「お前は……殺す価値もない様なゴミだった。心底、呆れたぞ。お前にも……お前の様な虫けらを配下に持つ、DIOにも」


 この邂逅は、元を正せばDIOの橋渡しあっての『縁』だ。それはサンタナにとっても、静葉にとっても同じであった。
 彼女がDIOからどういった紹介文を受けてこの地へ降りて来たのかは知らないが、凡そサンタナと似たような文言であろうことは予想出来る。
 共通点は『エシディシ』だ。恐らくDIOは事前に静葉の口から聞き知っていたのだろう。彼女の境遇と、敵を。そこにエシディシと風貌似通わす自分が現れたとあれば、我々の関係性にも自ずと察せる。

 そこで、二人を出逢わせてみよう。果たして、どうなるか?
 大方こんなところだ。あの底意地悪い吸血鬼が晴れ晴れに考えそうな理屈としては。

「つまらん。とっとと消えろ……この負け犬めが」

 結局、静葉は見逃すことにした。これでは殺すよりも、まだ生かした方がマシだと判断しての事だ。
 サンタナの目的は虐殺ではない。かと言って主達にただ付き従うでもない。
 自らの名を知らしめ、『恐怖』を伝搬させる事にある。であるのならば、こんな他愛もない雑魚一人喰ったところで腹などふくれようもないし、このまま逃がし、精々怯えながら残りの生に齧り付いていればいい。

「オレは『サンタナ』だ。この名を出して、精々DIO辺りの強者にでも泣きつけ。……どうでもいいがな」

 名乗るという行為にサンタナが見出した意味はとても大きい。しかし今に限っては、辟易と共に反射的に出した、名ばかりの表看板だった。

「………………く、ぅ」

 呻き声を小さくあげる静葉は、未だに逃げようとしない。これ程までサンタナ相手に暴の威圧を散らつかされながら、こちらを見上げて生傷を撫でるばかりであった。
 とうとう腰まで抜かし、逃走すら行えないか。グズグズする少女の歯切れの悪さには、苛立つばかりであった。

「どうした。何故逃げん」
「……貴方と、お話がしたいから」


 お話。

 ……それは、何だ?

 今、『会話』をしたいと。

 そういう意味で言ったのか?


「キサマ……状況が分かっていないのか? それとも、それすら理解出来ない本物の馬鹿か」
「最初、貴方の姿を見て思ったわ。『あのエシディシが仲間を遣って、私を殺しに来たんだ』って。どうにかして戦おうって思ったし、けどやっぱり逃げたいとも思った」

 ポツポツと口を開き始める静葉の瞳には、依然としてサンタナへの恐怖が滞在していた。瞳を覗くまでもなく、その肩や腕には震えが見て取れた。

「そんなわけ、ないのにね。アイツにとって、私はそんな価値すら無い弱者……。こんな指輪を引っ掛けておきながら、私は奴の眼中にも無い」
「そうとも。そしてそれはオレにとっても同じだ。キサマと会話して、オレになんのメリットがある」

 会話。
 メリット。
 それらの言葉を口に出しながらサンタナは、既視感を覚えた。
 DIOだった。そういえばあの男も、続行すべき死合を止めて急に会話を始めようとしたのだった。自らの命を狩らんとする襲撃者相手に、言葉を以て探りを入れようと。
 静葉がやろうとしている事は、立場こそ圧倒的に異なるものの、DIOと同じだった。


「キサマ……オレが怖くないのか?」


 この質問に意味は無かった。
 答えなど、静葉の様子を見れば誰の目から見ても明らかなのだから。


「怖い。とても、怖いわ」

「でも」



「私はもう……『恐怖』からは逃げない」



 凛とした、などとはとても形容出来ない、少女の倒錯しながらも真っ直ぐに射抜こうと仰ぐ眼。
 まるで『恐怖』そのものに成らんとするサンタナへの反旗の如く。絶対に屈してやるものかという強い想いの込められた瞳が、サンタナには気に食わなかったのかも知れない。

 腹の下から蹴り上げ、虚空を回った静葉の首を壁に打ち付けたサンタナは、少女の眼前に見せ付けるようにして大槍───鋭く構えた右腕を突き付ける。

「立派なことだ。負け犬ごっこなら、あの世でやれ」

 時として地上には、このように無意味な蛮勇を振り翳す馬鹿な人間が現れる。震えるほどの恐怖をその身に刻み付けられておきながら、勝ち目の無い戦に投じる愚か者。

 何故、弱い癖して戦おうとするのか。
 何故、怖い癖して立ち向かおうとするのか。
 何故、逃げないのか。
 何故。何故。何故。

 この女は神らしいが、身に宿す非力さも、心の脆弱さも、人間共と何一つ変わりはしない。
 まして目の前の脅威と戦おうともせず、話がしたいなどとぬかして茶を濁す。つい先程は「来ないで!」と拒絶までしておきながら。言う事やる事がグチャグチャだ。

 興醒めもここまで来ると、いっそ芸術。
 殺してしまおう。サンタナは、殺意以外の全てを放り投げて腕に力を込めた。



「負け犬ならアナタだって同じじゃないっ!!」



 カラン。
 壁に打ち付けられた静葉の足元へ、何かが落ちた音がした。



「………………オレを、負け犬だと?」



 それは、どういう。



「どういう、意味だ?」



 不思議と、怒りは湧き上がらなかった。
 平時であれば負け惜しみの戯言だと一笑に付すか、そうでなくともこの罵倒に気分を害し、どちらにせよ捻り潰すか。

 ただ何故、この取るに足らない女はオレを指してその言葉に至ったのか。それが疑問だった。

「どういう意味だと、聞いている」
「ぅあ……っ」

 首を絞める腕には思わず力が入る。怒りは湧かずとも、焦燥の気持ちが煮え始めていることは自覚出来た。
 と、ここまで来て、こうも首を絞められたのでは言葉など発せられないだろうと。サンタナはゴミでも投げ棄てるようにして、静葉をその場から放った。

「あ……げほっ げほっ……っ!」
「なんとも脆い女だ。そのザマでよくぞ人を負け犬呼ばわり出来たもんだ」
「はぁ……はぁ……。その、げほっ 様子だと、当たりみたい、ね」

 〝当たり〟……つまり、謀られたという事、か。

「小娘……カマをかけたのか」
「何となく、思っただけよ。……貴方の目、少しだけ私に似てた気が、して。それに『エシディシ』の名前を出した時の貴方の……何ていうか、態度とか、感情……それが、卑屈っぽく見えた。残りは……勘、だけど」

 似てた、と静葉は言う。
 サンタナと秋静葉の瞳が、似ている。
 それはつまり、静葉がサンタナへ対し『同族意識』だのといった抽象的な感傷を抱き、負け犬などと吐いたのだろうか。
 許されざる毒。闇の一族たる名誉を攻撃するような愚挙だ。これ程に屈辱的な中傷を受けて尚、何故だかそれに怒りを抱く気持ちになれない理由がサンタナには分かってしまった。

 負け犬、負け犬、と。しきりにその言葉を口に出していたサンタナ自身、脳裏に追想されるのは『主』と『自分』の関係。
 他の同胞達はこの自分に対し、かつてどのような目を向けていたか。回顧するのも憚られるほど屈辱的な視線だったはずだ。そしてそれは、かつてと言うほど過去の話ではないし、いつの日からか彼らの見下しを〝屈辱〟だと感じることすらなくなっていった。

 面と向かわれ、口に出された事は実際あっただろうか。
 同胞達から『負け犬』だと。蔑みの目で。
 覚えてなどいない。いないが、少なくとも『番犬』といった散々な扱いは受けていた。

 そして今。
 サンタナはあの時のカーズらと同じ目線で、眼下の『負け犬』を蔑んでいた。

 もう、分かっている。
 秋静葉は、かつての弱かったサンタナだ。
 しかし致命的に異なる箇所がひとつ、ある。
 昨日までの自分は、寄る辺のない『虚無』でしかなかった。
 対して、この負け犬はどうだ。
 抗おうという気概こそ見せぬものの、恐怖(サンタナ)から逃げようとせず。
 それこそが我が信念と言わんばかりに、こちらを見上げるのだ。

 少女の瞳に燻るモノの根源───〝底辺を経た弱者〟だからこそ通ずる、同族意識。

 それは裏を返せば、同族嫌悪ともなる。

 成程、コイツはただ弱いだけの『弱者』とは違うらしい。しかし当人も問題とするのは、その『弱さ』が肝心だった。
 サンタナと静葉では、致命的に異なる点がもうひとつあった。
 サンタナが自虐する〝弱さ〟とは、あくまで同胞間での立ち位置による意識。精神的な問題でもある。
 静葉に足りないのは、どちらかと言えばもっと根本の……生物学上での高み。生存競争における強さを求めていた。この点のみを見比べれば、サンタナという生物がその総体において遥か上……尋常でない強みを蓄えている事は流石に自覚している。

 静葉に、サンタナのような強みは無い。
 自分と接点を同じくして、肝心な部分では違っていた。
 その半端さが、少女への『同族嫌悪』という感情に導いている。

 どこか、似ていて。
 だから、気に食わない。


「───力が欲しいのか?」
「え?」


 断じて感傷的になった訳では無い。
 だが……これもあの吸血鬼の言う『縁』なのだろう。
 或いは、皮肉な巡り合わせとでも。


「そこに落ちている『石仮面』を使えばいい。使い方を知らないか?」


 縁とは、本当に皮肉なものだ。
 座り込んだ静葉のすぐ傍には、サンタナにも覚えがある仮面が転がっていた。恐らく、先程コイツを壁に打ち付けた時にディバッグから落ちたのだろう。

 石仮面。カーズの開発した、闇の一族を『究極』へと昇華させる道具の一つであると同時に、人間を吸血鬼へと変貌させる道具でもある。
 サンタナはそれを知っていた。まさかコレが支給品に紛れていたとは驚いたが、知っているからこそ、そこの無力に薦めるのだ。

「石、仮面……」
「そうだ。手っ取り早く力を身に付けたいならば、被らぬ手はないだろう」

 尤も、リスクはある。そもそも神とやらが吸血鬼に変化出来るのかは置いても、鬼一口のリスク程度を冒す覚悟も無い輩ではないだろう。


「これを被れば私も、DIOさんのように……───」


 虚ろとなった目で、少女が仮面に触れた。

 その目が何処を目指しているのか。

 目指すは高みか。DIOか。虚構か。

 如何な『同族』であるサンタナにも、そればかりは測れない。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『秋静葉』
【午後:数時間前】C-3 紅魔館 大食堂


「そういえば……静葉」


 一通り、DIOさんとの会話を終えて。彼は私へと休息を促してくれた。今、一人になることは怖かったけど、疲労が溜まっていたのも事実だったから。
 フラリと翻した私の背へと、DIOさんの声が掛かる。

「さっきの話では軽く流したが……君はあの『石仮面』を持っているとか」

 ああ。そのこと。
 私は抱えた猫草を卓に一旦置き、ディバッグから件の仮面を取り出そうとした。

「いや、そのままでいいよ。ただ、それを持つことの『意味』……君は考えているのかと、ちょっぴり気になった次第でね」
「……意味、ですか?」
「そうさ。君は先程その石仮面を仲間の寅丸星に被せ、殺害したそうじゃあないか」

 ビクリと。どうしてかは分からないけど、私の体は少しだけ跳ねた。
 頭の中に響く『ある女性の声』が、一層と強くなった……気がして、反射的に頭を抑える。

「ああ、すまない。他意は無いよ」
「え、ええ……勿論、分かってます」
「それで、だ。私自身、石仮面には『縁』があってね。
 ───というより、私は百年前、その石仮面によって吸血鬼となった」

 思わず、抱え直した猫草の鉢を落としそうになった。そんな情報は初耳だったからだ。

「プッチから聞いてなかったかい?」
「……プッチさんからは、この仮面の用途くらいしか」

 チラリと、椅子に座ったプッチさんを横目で見る。聖白蓮にやられた傷がまだ痛むのか、やや辛そうな面持ちで彼は私の視線を受け、肩を軽くすくめるジェスチャーで返した。

「まあ、そういう事だ。詳細は省かせてもらうが、私は色々あって石仮面の力を借りさせて貰った。つまり君たちのよく知る幻想郷の純粋な吸血鬼とは異なるルーツを持つ『吸血鬼』なのだ」
「DIOさんのルーツが……この、石仮面……」

 寝耳に水とでも言うべき偶然か。
 DIOの『特異性』とも呼べる独特な空気……その全容とまではいかなくとも、片鱗たるルーツがこの石仮面だったなんて。

 ぞわぞわと、身震いが起こった。
 なんとも言えない寒気が冷や汗になって、私の毛穴という毛穴から噴き出し始める。


「───話を戻すが、大丈夫かね?」


 DIOさんの声が、すぐ傍で響いた。
 手に待つ仮面へと、まるで魅入られるように没頭していた私の意識を引き上げてくれるように。

「は、はい!」
「ふむ。君はそれを使って寅丸星を消し去ったようだが、言うまでもなくそれは石仮面本来の使い方ではない」
「人を……吸血鬼へと変貌(か)える、道具」
「その通り。大きな大きなリスクはあるが、それに見合った絶大なパワーを得られることは確かだ」

 説得力も絶大だった。
 DIOさんの強さを、私はよく知らない。知らないながらも、目の前に彼が座っているというだけで感じる圧倒的な存在感が、その〝パワー〟とやらを如実に伝えてくるのだから。


 私は弱い。嫌というほど臓腑に染みている。
 でも。きっと。
 これを……被れば。


「だが」


 一呼吸置いて、彼は真っ赤な中身のワイングラスを手に取った。それを弄ぶようにしてクルクル回転させ、中の液体に波紋を生ませる。

 コク、と。
 ほんの一口、グラスの中身が彼の喉を流れていく。所作ひとつ取っても、優雅の一言では終わらない……詩的な見映えだと感じた。

 体感ではとても長い時間が私の中で流れた……錯覚を感じ、意味もなく心臓を畝らせる。
 彼が何かを語ろうとする場面、毎度こうなっている気がしてならない。


「───だが。道具は所詮〝道具〟だという事を忘れるな」


 トン…と、真っ赤なテーブルシーツの上にグラスが置かれた。
 そのグラスからは、先程までの清純な赤みは失われている。DIOさんが喉に通したワインは一口だけだったように見えたけど、どういう訳だかグラスの中身は虚空だった。


「〝スタンド〟と同じさ。全ては使い手次第……という意味だ。このワインの様に、一口に飲み干すも、濃厚に酔うも、決めるのは全部本人の『意思』……その裁量がものを言う」


 扱いを誤れば……『呑まれる』。
 道具というのは、そういう物だ。
 特にこの……石仮面なんていう、因果な代物はね。

 DIOさんはそう続けて席を立ち、私を扉まで見送ってくれた。
 何処まで行っても妖しく耀き、目撃した者が息を呑む緊張感。そんな魔の魅力を携えた微笑みに私は、半ば虜とされながら手を引かれて行く。





「おやすみ、静葉。〝さっきの答え〟……楽しみにしているよ」





▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽



「この石仮面は───使わないわ。少なくとも、まだ」



 サンタナなりに、さり気なく示してやったつもりであった。
 手を引いてあげた、などという女々しい優しさではなくとも、不器用なりに道を指してやったのだ。

 石仮面、という近道を。
 純粋な強さを得る、確実な手段を。

「……使わない?」

 少女の答えは、拒否。
 やや意外であった。これからの生命に関わる重要な方針を、現状においてとはいえこの弱者は放棄したのだから。

「それは何故だ」

 強くなる。それはサンタナにとって、ある日突然求められた絶対的な選択。であると同時に、狭き道だ。
 弱ければ求める物も手に入らない。己程度が欲すには高望みが過ぎる『目標』を、彼は求め続けるしか無かった。

 武人ワムウと拳を交わしたのは、何故だ。
 必要であった儀式だからだ。
 試合の末にサンタナは、強さを手に出来た。
 求めたから、手にしたのだ。
 勝ちたかったから、得られたのだ。

 それがこの───。



「───『鬼』の流法」



 短めな呟きと、火走のような明瞭が男の周囲を纏った。
 何事かと静葉が身を竦める次の瞬間には、既に『変化』は終わっていた。

「え……」
「これがオレの手にした『強さ』だ。尤も、まだ未完ではある形態だが」

 赤黒い双角を新たに宿し、巨人の子孫かと見紛う体躯は二回りほど縮ませている。しかれども、その体積を反比例させるように放出される肉体の熱は、間近にいる静葉の肌をちりちりと灼いた。
 素人目に見ても、この『変化』が生物としての強度を格段に底上げする技術だという事は明らかだった。

「そ、それが……貴方の『強さ』なの?」
「そのようなモノ、だ。オレはある時、どうしようもない『壁』にぶつかった。その壁に手を掛ける為……這いつくばりながら必死こいて求めた強さが、この鬼の流法だ。
 小娘。お前は何故、そうしない?」

 鬼の流法と、石仮面による吸血鬼化。昇華の次元こそ違えど、また到達への敷居の高さこそ違えど。
 この二つは、『力』を求める我々同士、同じ目標に至れる手法だ。少なくとも、サンタナはそう思っている。
 だから理解出来なかった。静葉が目の前に転がる力へと腕を伸ばそうとしない、その理由が。

「もう一度、訊く。何故お前はその石仮面を使わない?」
「……理由は『二つ』、かしら」
「言え」
「貴方、少し私のことを勘違いしてると思う。貴方の求める『強さ』と私の求める『強さ』って多分、ちょっと違うもの」

 切れた唇から垂れる血を袖口で拭き取り、少女はようやく立ち上がる。
 ようやく、ようやくであった。
 ここに来てようやく、静葉はサンタナの前でその両足を立ててみせた。体躯を縮ませた今のサンタナと彼女とでは、互いを捉える目線もそれほどの差は無かった。

「オレとお前の求める強さが違う? ……続けろ」
「えっと……貴方が求める強さっていうのは、砕いて言うなら〝上へ登り詰める強さ〟だと思うの。私も、ちょっと前までは同じだった」

 強さとは、個々人で様々にある。
 まだ何も知らなかったサンタナは、この創られし幻想郷でそれを学ぶことが出来た。その上で〝かつての自分〟をこの静葉に投影し始めていたサンタナは、彼女と自分の求める強さは同じ類のモノだと漠然に感じていたものだが。

「でも今は違う気がする。私だって、強くならなければ全部終わり。そんなこと分かってるけど……それよりまず、自分の『弱さ』を乗り越えなきゃダメって、思ったの」
「お前の……弱さ?」
「私は貴方から見るまでもなく、弱い。もの凄く弱い。その弱さを受け入れて、強くならなきゃダメなの。
 どうも弱さを棄てる事が、そのまま強くなれるって意味ではないみたい。だから今ここで石仮面なんか被っても、きっと私は変われない」
「……お前の言ってる意味が、オレには半分も理解出来んが」
「貴方、強いもの。理解なんて出来るわけ……ないわ」

 そう、だろうか。
 確かにサンタナと静葉では圧倒的な差はある。だがその『強さ』以外の所では、二人は共通している部分だってある。そうであれば、相互理解を深めることも出来るのではないだろうか。
 と、ここまでを考えサンタナは呆れるように首を振る。ついさっきまでこの小娘に心底下卑た視線を送っていたのが、今となっては相互理解だのと。
 悪い気分には、ならないが。

「じゃあ訊くが、お前が乗り越えるべき『弱さ』とやらは具体的に何だ?」
「……私が今までに殺して来た人達。糧、そのものよ」
「糧そのもの?」
「そう。未だ、頭の中に響き続けるの。分不相応の身で浴びた血が、無数の亡者となって背中を引っ張り続ける悪寒……『声』が」

 俯きがちに語る静葉。草臥れた声色に宿る感情は、死んではいないが何処か軋んでいる。
 蹴落とし。打ち倒し。殺してきた奴ら。
 踏みつけて来た筈の背後の骸が重荷となって、本人を苦悩に陥らせる。この気持ちはサンタナには本当に理解出来なかった。散々人を喰い、栄養とし、けれども糧には出来ずに生きてきたサンタナには。


 だが、今ならばどうだろう。


 サンタナは伊吹萃香という『糧』を受け、この形態───鬼の流法を手にした。小鬼だけでなく、あのレミリアやドッピオとの戦いすらそうだ。
 一口に糧とは言うものの、ここに至った経緯は決して易きに流れた道程ではない。
 確かにあの小鬼の一押しが決定打になった事は認めよう。然れど、隘路を潜った源の力……即ち、意志の顕現たる出処は、サンタナ自身の変化が齎した『信念』である。

 何を糧とするか。何を負とするか。
 決めるのは結局、己自身が心に宿す針だ。
 この秋静葉が今まで一体どれだけの糧を得てきたのかは知らないが。
 そしてその糧が、どれ程の修羅場の盤上に成り立つ戦果なのかは知らないが。

 他者であるサンタナの目から見ても、この静葉は得てきた糧に〝身を食い潰されている〟ように見える。

 本来の己が持つキャパシティに釣り合っていないのだ。容量をオーバーした分の糧の〝重み〟が、彼女の自我を乗っ取ろうと囁き続ける。そこまで行くと、もはや糧とは言えない。糧から反転した『負』が、静葉の肩へと溶かした鉛のようにのしかかるのは自明だ。
 いずれ……いや、決して遠くない未来に、静葉は自重に圧し潰されてくたばる。少女を殺すのは、眼前に立ち塞がる敵対者の数々ではなく、自らが糧にしてきた〝と思っている〟亡霊の呪言……怨嗟の声そのものに違いない。

「別の手段があったのではないか? ……何故、わざわざ苦しい思いまでして糧を取り込もうと藻掻く」

 サンタナには分からない。

 ここで言うところの『糧』というのはつまり、他者の命を指す。サンタナにとっては少し違うが、少女にとってはそうなのだろう。それらを奪えば奪うだけ、自らの歩みを鈍重にする。静葉の様相を見れば、あからさまな事情であった。
 糧が、負に化け、寿命を縮める。静葉がそれを明確に自覚しているならば、どう考えても彼女の目的にはそぐわない手段。アレルギー症状が出ると分かっていながら、それらを強引に胃袋へ押し込んでいる様なものだ。
 ゲーム優勝コースを往くには、誤ったルートであるというのは火を見るより明らかなのに。

 サンタナには、分からない。


「……分からない。分からないから、よ」
「……何?」
「私には、何も分からない。どうすれば妹を救えるか。どうすれば弱さを乗り越えられるか。
 ……いえ。正確には、分からなくなってしまった。DIOさんと会って、色々な事を話して。それまで私がやってきた行為は、自分にとって本当に正解だったのかなって」


 またしても、DIO。
 彼奴がこの華奢な小娘に何を吹き込んだかは知る由もないが……成程。中々にエグい事をする男だ。


「悟らされたの。私が『本当に闘うべき相手』を。おかしな言い方になるけど……私が闘う相手とは、目の前の敵じゃあない。闘って、下して、殺してきた相手。真の敵は目の前ではなく、『背後』にいた」


 そうなれば、ある意味ではサンタナよりも困難な道となる。薙ぎ払うべき敵が目の前に立ち塞がるなら力で除外すればいい。それこそが純粋な生存競争なのだから。
 しかし静葉の場合。
 敵は背後の、見えるけども見えない敵だという。そのような概念的な相手にどう対処すればいいのか、こればかりはサンタナにも皆目見当がつかない。強者ゆえの未知とも言えた。

───『貴方、強いもの。理解なんて出来るわけ……ないわ』

 先程、静葉が突き付けたばかりの言葉が唐突に浮かぶ。彼女の言わんとした意味だけなら理解出来た。しかし理解のその先が、やはりサンタナには不明だ。


「『糧』と『負』は表裏一体だって、DIOさんは気付かせてくれたの。だったら私は自分の内面に溜まり募った負を受け止め、乗り越えるわ。
 全部を精算出来たその時、堆積した『負』は初めて『糧』へと反転するって、信じて」


 サンタナには分からない。
 これから〝先〟……秋静葉という負け犬が、その過去とどう折り合いをつけながら足掻いていくのか。


「私は弱い。でも、この『弱さ』は棄てるべきではない。『弱さ』を受け入れないままに我武者羅に闘っていたなら……きっと何処かのタイミングでどうしようもない『壁』にぶつかって、死んでたと思う」


 サンタナには分からない。
 分からない───からこそ。


「いえ。きっとその〝何処かのタイミング〟ってのは……今。
 DIOさんが諭してくれなかったら。
 私が以前のままだったら。
 多分、今頃……貴方っていう『壁』に殺されてたと思う」




 だからこそ───面白い。




「…………二つ目は?」
「え?」
「さっきお前が言っていただろう。仮面を被らなかった理由は『二つ』ある、と」
「え……あ、そう、でしたか?」
「……仮面を今被ったところでお前自身は変わり得ぬ。だから〝まだ〟その時ではない。
 それが理由の一つという事だな。では、もう一つは何だと訊いている」

 気付けばサンタナは鬼の流法から解放され、通常の形態へと戻っていた。これが時間経過によるものか、サンタナ自身の弛緩によるものかは本人にも分からない。
 どちらにせよ、サンタナにはもう眼下の『弱者』を喰おうだの痛めつけようだのとは思わない。

「理由のもう一つ……えーっと、それは単純に……」
「単純に?」
「………………怖かった、から。その、紅葉神である自分が別の『何か』に成るって事実が」

 はぁ……と。
 男は少女よりも遥か高みの目線から、思わずため息を飛ばした。

「ただの躊躇か」
「……し、仕方ないじゃない」

 だがまあ、それも各々の色か。
 コイツは古明地こいしとは全く別色の弱者だ。
 しかしこうして交わす言葉もあれば色々と───分かることもあった。


 それだけを見ても、サンタナにとっては一つの『糧』……なのかも知れない。


「持ってろ。……その内、使うことになるだろうからな」


 結局、何者にも使われず、床に転がったままの石仮面。
 サンタナは大きく屈んでそれを拾うと、何処か懐かしむように凝視し……静葉へ投げ返した。

 その内、使う。
 当然、静葉にとって。

 そして、よもやすれば……この、自分にも。


「───オレの名は『サンタナ』だ。秋、静葉と言ったな。お前に少し興味が湧いた。……少しは、な」


 その名乗りは、既に一度交している。
 けれどもこれが一度目とは全く異なる意味を込めた名乗りである事に……サンタナはまだ見ぬ期待を抱かせた。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

【C-3 紅魔館 地下大図書館/夕方】

【サンタナ@第2部 戦闘潮流】
[状態]:疲労(中)、全身に切り傷、再生中
[装備]:緋想の剣、鎖
[道具]:基本支給品×2、パチンコ玉(17/20箱)
[思考・状況]
基本行動方針:自分が唯一無二の『サンタナ』である誇りを勝ち取るため、戦う。
1:戦って、自分の名と力と恐怖を相手の心に刻みつける。
2:DIOの『世界』の秘密を探る?
3:自分と名の力を知る参加者(ドッピオとレミリア)は積極的には襲わない。向こうから襲ってくるなら応戦する。
4:最終的には石仮面を……。
[備考]
※参戦時期はジョセフと井戸に落下し、日光に晒されて石化した直後です。
※波紋の存在について明確に知りました。
※キング・クリムゾンのスタンド能力のうち、未来予知について知りました。
※緋想の剣は「気質を操る能力」によって弱点となる気質を突くことでスタンドに干渉することが可能です。
※身体の皮膚を広げて、空中を滑空できるようになりました。練習次第で、羽ばたいて飛行できるようになるかも知れません。
※自分の意志で、肉体を人間とはかけ離れた形に組み替えることができるようになりました。
※カーズ、エシディシ、ワムウと情報を共有しました。
※幻想郷の鬼についての記述を読みました。
※流法『鬼の流法』を体得しました。以下は現状での詳細ですが、今後の展開によって変化し得ます。
  • 肉体自体は縮むが、身体能力が飛躍的に上昇。
  • 鬼の妖力を取得。この流法時のみ弾幕攻撃が放てる。
  • 長時間の使用は不可。流法終了後、反動がある。
  • 伊吹萃香の様に、肉体を霧状レベルにまで分散が可能。


【秋静葉@東方風神録】
[状態]:自らが殺した者達の声への恐怖、顔の左半分に酷い火傷の痕、上着の一部が破かれた、服のところが焼け焦げた、エシディシの『死の結婚指輪』を心臓付近に埋め込まれる(2日目の正午に毒で死ぬ)
[装備]:猫草、宝塔、スーパースコープ3D(5/6)、石仮面、フェムトファイバーの組紐(1/2)
[道具]:基本支給品×2(寅丸星のもの)、不明支給品@現実(エシディシのもの、確認済み)
[思考・状況]
基本行動方針:穣子を生き返らせる為に戦う。
1:頭に響く『声』を受け入れ、悪へと成る。
2:DIOの事をもっと知りたい。
3:エシディシを二日目の正午までに倒し、鼻ピアスの中の解毒剤を奪う。
4:石仮面は来るべき時に使いたい。
[備考]
※参戦時期は少なくともダブルスポイラー以降です。
※猫草で真空を作り、ある程度の『炎系』の攻撃は防げます。
※名簿のジョースター一族をおおよそ把握しました。
※プッチ、ディエゴ、青娥と情報交換をしました。


198:Run,Araki,Run! 投下順 200:星屑になる貴方を抱きしめて
197:雪華に犇めくバーリトゥード 時系列順 201:Яessentimənt
193:黄金へ導け紫鏡之蝶 ──『絆』は『夢』── 秋静葉 :[[]]
193:黄金へ導け紫鏡之蝶 ──『絆』は『夢』── サンタナ :[[]]

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最終更新:2020年08月16日 01:43