黄金へ導け紫鏡之蝶 ──『絆』は『夢』──

            ◆


    「あの虹の先には何があるのかしら?」


 幼い頃、夢で見た見知らぬ日本風景。
 雨の上がった土の独特な匂い。ぺトリコールの中。
 虹の満ち欠けを辿っていた独りぼっちの私へと。

 紫色の傘をさした、綺麗な女の人が語りかけて来た。

 「お姉ちゃんはだれ?」と物怖じせず訊く私に、その女性はこう言ったわ。



「私? 私はね───■■■」



 夢は、ここで終わっていた。



            ◆

『鈴仙』
【午後 15:12】C-3 紅魔館 地下大図書館


 だだっ広い図書館もここまで来ると考えものだ。書物の管理だけで一日など優に消費するんじゃなかろうか。
 本なんてそう何度も読み返すものでもなかろうに、誰に貸し出す訳でもないこの量の本を所蔵しておくのは理解に苦しむ。
 現実逃避の術として、縦横に長い本棚の数々をボーッと仰ぐのみに勤しむ鈴仙の耳に、薄情な内容が飛び込んできた。

「DIOが動き出しました。丁度良い、待ち伏せましょう」

 ジョルノはどうあってもDIOと拳を交えたい姿勢を崩さない。

「時間を稼ごうと言ってるんですよ鈴仙。何も無意味に戦うわけじゃない」
「で、でもジョルノ君! 相手が何人で来るかも分からないのに!」

 時間を稼ぐというのは、単騎行動中の八雲紫に依存しての選択だろう。彼女が無事、件の『声』の主を救出できれば即刻撤退の作戦なのだから。
 だが極力奴らとの戦闘を回避したい鈴仙からすれば、こんな袋の鼠必至の空間で兵力不明な敵集団と相見えるなど、断固お断りだった。

「いいですか鈴仙。既に話しましたが、僕がDIOの接近に気付いていると同時に、奴からも同じことが言えます。
 逃げ隠れした所であっという間に追い込まれるのがオチでしょう」

 戦略的な言い分はジョルノに理がある。
 そもそも鈴仙はあれやこれやと異議を唱えて、結局は戦うのが怖いというだけだ。が、やはりそんな消極的な逃げ腰ではジョルノを論破するには至らない。

 帰する所、DIOとの対決は免れないのだ。

「……DIOって、ジョルノ君のお父さんなんだよね?」

 全てを諦めて腰を落とし、深い溜息を寿命数年分と共に吐き出しながら、兼ねてよりの疑問を問う。

「この身体には奴の血が流れている。残念ながら、ただそれだけの事実としか僕は捉えてません」

 本当だろうか。鈴仙は返ってきた答えにもまた、疑問を浮かべる。
 人の持つ波長というのは敏感だ。さっきからジョルノは平然とした顔を作ってはいるが、鈴仙の捉える彼の波長は館に近付くにつれ荒んできている。

 血の繋がった自らの父親へ敵意を向ける。
 それはDIOがどうしようもない悪党で、自分の息子であろうと手を下してくるような男だったからだと聞いた。

 また、『家族』か。
 ディアボロとトリッシュの時と同じに、子を手にかけるような外道がここにも。
 これが鈴仙には全く理解の及ばぬ領域であり、今まで抱えたことのない嫌悪感に気分を悪くする理由だ。

(ホント……悪趣味なゲームよね)

 トリッシュという名の少女は、父親に殺された。
 ジョルノもまた、父親と戦うことを選ぶという。
 胸に風穴を開けられ、惨い死に様を見せ付けられたトリッシュとジョルノの姿が、どうしても被ってしまう。

 守りたい。
 ジョルノを死なせたくない。心からそう思う。
 鈴仙は決意を済ませる。ようやくではあったが、その狂気の瞳からは濁りが消えた。

「紫さんは現在、館の地下から上り、僕らよりももっと上部を動いているようです」
「分かるの?」
「ええ。事前に渡しておいたブローチにゴールド・Eの生命を込めておきました。大体の位置は感覚で分かります」

 流石に用意周到だ。これなら通信機器が無くとも、館から撤退する最善のタイミングが掴める。紫の脱出と同時にこちらも退けばいい。

「鈴仙。初めに言っておきますが、僕は紫さんの語る『夢』を手助けしてあげたいと思ったから、今ここに居るのです」

 ジョルノが図書館出入口の大きな扉を見据えながら、改めて言う。親の仇でも睨み付けるかのように。
 否。親こそが、仇であるかのように。

「好きで巻き込まれている様なものですが、貴方にまでそれを強制するつもりはありません」

 今ならまだ、尻尾を巻くには間に合う。
 言外に、そう確認しているのだろうか。
 だとすれば、心外だ。

「僕は貴方に『付いて来い』と命令はしません。
 しかし、危険を承知で『お願い』します。
 僕を手助けして欲しい。鈴仙」

 ジョルノがいつかみたく、腕を差し出してきた。
 私の答えなど、決まっている。
 本当はちょっぴり、いや滅茶苦茶恐ろしくはあるけども。
 差し出された腕は、あの時よりも随分と近くに見えて。

 今度は、すぐに届かせる事が出来た。
 紡がれたこの腕と腕は、友愛の証ではない。
 信頼とも違う。協定でもない。
 今はまだ、上手く言葉を言い表せない。
 けれども架けられたアーチには、きっと意味がある、
 この大切な橋を守る為に、私は再び立ち上がるんだ。


「ありがとう、鈴仙。
 さあ、奴が下りてきます。───『奇襲作戦』です」


            ◆

 鈴仙の波長を操る能力により、ジョルノの周囲の光を屈折させた。第三者からでは彼の姿は見えなくなっている。
 彼曰く、DIOのスタンドは『時を止める』。およそ大概のスタンド使い相手に有効な手段ではあるが、ジョルノはDIOのザ・ワールド対策として『奇襲』を選んだ。
 かつてはブチャラティが提案した、時を飛ばすスタンド使いディアボロ相手と同様の対策『暗殺』に通ずる手段。
 ゴールド・エクスペリエンスは一撃さえ入れば敵の意識を暴走させ、事実上無効化させることが可能。DIOにはキング・クリムゾンの様な『未来視』が備わっていない為、幾分は当てやすい筈だった。


 図書館の扉が大袈裟な音を立てながら、ゆっくりと開かれる。
 何かとびきりタチの悪いウイルスでも運び込まれるような。目に見えた不快感が肌を刺激する風が、地下の大空間に流出する。

 病原体とも言うべき男が、意思を得た影のようにゆらりと現れた。


(き、来た……! アイツが……DIO!)


 鈴仙は自らの体を物陰に隠し、一方的にDIOを凝視した。
 これだ。あの霧の湖から紅魔館を覗いた瞬間に陥った、絶対的な圧迫感。肺まで凍りつくような寒気。
 あんな遠くから目撃しただけで寿命が縮まったかと錯覚させる帝王のオーラ。それが今、こんなにも近くから放射されている。

 違う。
 アレはディアボロとは、根源的に違う。
 牙城のようにブ厚く構えられた……“自信”。崩せるものなら崩してみろと言わんばかりの、巨大な塊だ。


 DIO。


 男の容姿は、なるほど確かにジョルノとよく似ている。しかし息子と違って、顔に貼り付けられた面貌には明らかな邪悪性が見られる。
 もしも軍勢でも連れてこられたら……と内心ハラハラを隠せない鈴仙であったが、背後には二人程度の影しか確認出来ない。

 全部で三人! 数では不利だが、ジョルノが先取点を取れば!



         「「無駄ァ!!」」



 敵を絶する拳と咆哮が、重なった。

 姿を曲げ隠し、扉の上部位置に張り付く様に潜んでいたジョルノ。
 彼は頭であるDIOのみを狙って飛び降りた。重ねて、先程対峙した時点では無かった左眼の傷を瞬時に見切り、敵の左方向から拳を繰り出したのだ。

 その上でDIOは、拳を防ぎ切った。

 つまりDIOは。
 死角である真上方向からの、更なる死角の左側から突如現れた拳撃へと。加えて目視不可である筈のジョルノの奇襲に、完璧に対応したカウンターを繰り出す離れ業を披露したという事に他ならない。


(それくらいは……『予想内』よッ!)


 想定外なものか。ジョルノがDIOの存在・位置を感知可能なら。つまりDIOからもジョルノの奇襲が容易に予想出来た筈である。
 姿が見えずであろうとも、DIOには息子の接近が分かっていた。この程度であれば、充分にシナリオ通りだ。
 とはいえシグナルの位置把握は完璧とまではいかない為、DIOの攻撃タイミングは群を抜いた正確性である事も窺える。

 鈴仙は入口近くの本棚の陰に隠れて戦いをじっと見ていた。波長を操る能力は現在、全面的にジョルノのフォローに使用している為、自らの姿までは器用に隠せない。
 ジョルノの初撃が失敗するであろう事は想定内。ジョルノは鈴仙の攻撃こそを『本命』だと語り、彼女を切り札として隠した。敵は館に潜入したジョルノ以外のメンバーを知らない筈であるから。
 鈴仙の必殺のスペルを確実に当てるには、機を待ちたい。通常の弾幕であれば制限なく撃てるものだが、彼女の『狂気の瞳』に限っては、相手がこちらの眼を目視する事が発動条件であるからだ。

 まだ。まだ鈴仙は姿を現せない。
 DIOが隙を見せてくれる好機が到来する時まで。

 目の前ではジョルノが敵スタンドの拳とせめぎ合っていた。
 力の均衡は、劣勢。


「……くっ!」


 拳から腕に伝わる衝撃を逃せず、ジョルノの脳が揺れた。やはり単なるスタンドパワーで敵う相手ではない。

「前に言った筈だぞ。スピードはあるがパワーは足りん、とな」

 ザ・ワールドの豪快な腕力が、ゴールド・Eの細身を悠々と跳ね飛ばす。ジョルノは宙返りを経て受け身を取り、地上へと着地した。
 すぐさま迎撃の姿勢を作ったが、予想に反してDIOは距離を詰めてこない。後ろの神父風の男、帽子を被った少女の二人へと腕を伸ばし、軽く制したくらいだ。


「愚直だ」


 果たして、DIOが背後の部下を押し留めたのは言葉を投げ掛ける為であった。
 男は先の鍔迫り合いに全力の半分も注いでいない。一方のジョルノは、少なくとも一撃で決められる程度の万力は込めていたというのに。

「何がですか」
「お前の読みがだよ。大体の位置は互いに分かるというのに、わざわざ姿を隠し、わざわざ目の塞がった左側から攻撃を繰るとは。
 ブラフにすらなっちゃいない。たとえ両目を塞がれていたとしても避けられるぞ。本当にやる気はあるのか?」

 ジョルノの姿は既にDIOから見えている。初撃をしくじった時点で、姿を隠し通す事の意味は薄れた。
 故に鈴仙はジョルノの周囲を捻じ曲げる波長を解いた。守りから攻めへの態勢へと転じ、隙を窺いながら会話を見守る。

「やる気が無いのは貴方の方では?」
「ほう?」
「今……『時』を止めていたならば、早くも勝負は決していた筈。何故能力を使わなかったのですか?」

 それは鈴仙も疑問に思っていた。
 DIOのスタンド能力が『時を止める』能力である事は、他ならぬジョルノから教わった情報である。
 奇襲はともかく、安直に近付くのは自殺行為。一撃で沈めなければ、返しの時止めで強力無比のカウンターを食らってもおかしくはなかった。

「取り留めのない話だ。私のスタンド能力を知っているのならば、お前の方こそ何故安易に近寄った?
 決して頭の回らない男ではないだろう。狙いがあった筈だ」

 狙い、と言える程のものか。
 何となく、DIOが時を“止めてこない”と感じたから。
 直感だが、ジョルノはそう思ったからこそ無茶な攻撃を出した。

「前に会った時、言いましたよね。話をするのは『次の機会』だと」

 空条承太郎博麗霊夢を救出するため、F・Fらと共に紅魔館へ突っ込んだ時。
 ジョルノは父との対話を選びたかった。しかし迫る時間がそれを許さず、一目散に撤退したのだ。

「貴方も息子と話を付けたかったのではないですか?
 そうでなければ今頃、僕は心臓を貫かれ転がっていたでしょう」

 ジョルノに真の狙いがあったというのなら。
 囚われの少女を救うより。八雲紫の夢を手助けするより。
 彼個人に確たる目的が潜んでいたというのなら。

 それは父との対話。
 性を理解するには、あまりに棲う世界の違う父親だと叩き込まれた。
 歩み合う事は不可能だろう。しかし、言葉を交わすことで『知る』ことは出来る。

 DIOという男を。

 家族を、父親を知りたいが為に、ジョルノは再びこの地へ戻ってきた。

「……愚直だと言った事は取り消そう。やはりお前は恐ろしく賢く、度胸のある人間だ。
 私もお前とは少し話をしたかった。その事をお前自身も察したのだろう。
 だからお前はあっさり近付けたのだ。私が能力を“使わない”と、当たりをつけて」

 見くびっていた訳ではない。DIOは自分の息子でさえ容易に手を掛けられる類の男だ。
 奴が時間を止めてこないと踏んだのは大きな博奕だったが、リスクに見合った価値はあった。

「さてジョルノ。一つだけ質問を許そう。
 何でも訊いてくれ。答えられる範囲で答えよう」

 まるで引力。
 紅魔館へと戻る結果に至った原因は、やはりDIOと引き合ったからとでも言うのか。
 内に絡み付いた縁を等しく千切り捨てたこの身にも、しがない感傷が残っていたのだろうか。
 ジョルノはひとつ、くだらない質問を投げ掛ける。


「では───どうして貴方は、僕を産んだのですか」


 およそマトモな理由が返ってくるとは思っていない。
 この男は真性の邪悪だ。有りもしない良心には端から期待してない。
 産んだ理由など、そもそも無いのかもしれない。
 それでも落胆などしない。今更怒りも湧かない。

 ただ……知りたい。
 知ることが、ジョルノにとって少しでも一歩となるのなら。
 彼にとっての『真実』に辿り着けるのなら。
 長年掻きむしってきた、心の澱みに打ち付けられた『痛み』を消化するには。


 どうしても、父本人の言葉が必要不可欠であるのだから。


「ふむ。思ったよりありふれた質問だが……イイだろう、答えよう」


 DIOは顎に手をやり、息を整えてジョルノの真っ直ぐな瞳を覗き込む。
 今。自分はこの男の本性を覗こうとしているのか。
 それとも、覗かれようとしているのか。


「私は過去……とある男に敗北し、百年間海の底に沈められていた。
 もはや時間の感覚も失せていたが……その間、毎日のように考えていた事がある。例えばになるが───」


 男は、ひりついていた空気を寝かし付けるように優しげなトーンで語る。


「人間を丁度半分。左右全く同じ形貌・面積となるよう切断したとする。
 もしその者に『意思』がまだ残っていたとして……」


 白く尖った歯を剥き出しに晒しながら、自身の顔面……その正中線を境に両の手を重ね合わせ、断層をズラすようにしてそれぞれ上下に滑らせる。

「元々の本人の意思は、果たして身体の『どっち側』に残るのだろう?
 視界は『右』のみが見えるのか? それとも『左』か? 魂は一つなのだから、必ず左右どちらかを基準に選ぶ筈だ」

 語られる話は荒唐無稽で、どこか猟奇的。親子の間で交わすような穏やかな内容とは、些か逸していた。
 それでもジョルノは父との対話を試みる。

「貴方が何を言いたいのか。僕には分かりませんが」

 虎視眈々と、慎重に。男の器を測り取るため。

「このDIOの身体は、かつての宿敵ジョナサン・ジョースターの肉体を奪い取った物だ。この首の傷を『境界線』にしてな」

 トントンと、DIOが自らの首を見せ付けるように指で叩いた。そこには確かに周囲をぐるりと一周する大きな線が走っている。
 世界中から掻き集めた非凡な外科医であろうと、首と死体とを神経含め完璧に繋ぎ動かすなど不可能だ。現代医学ではまだその域に達していない。
 瀕死に追い込まれたディオの『生』への執念が、理屈を超えてそれを可能としたのだ。

 ジョナサン・ジョースター。名簿には記されていたが、ジョルノには聞いたこともない名前だった。
 リサリサ……彼女は本名を『エリザベス・ジョースター』だと叫んでいた。夫の名をジョージ・ジョースターだとも。

 ジョースターは、DIOの宿敵だと言う。
 ジョルノはその名に、何故か強く惹かれた。


「首から『下』はジョナサン。『上』は私だ。
 そこでこのDIOは考える。私の意思は果たして『どっち側』に存在するのか?とね」


 常識的にも医学的にもDIOはDIOそのものであり、既に死したジョナサンとやらが目の前の男だと考えるには無理がある。たとえ彼の肉体の大部分がジョナサンで占められていても、だ。
 根拠と呼べる理屈を求めるならば、ヒトの本体とは『脳』であるというのが一般的な見解であるからだろう。DIOの脳が肉体を支配している以上、その肉体が占める個性は完全に〝DIO〟によって覆われている。

 大多数の者であるならそう考える。
 しかし、要のDIO。その男だけは疑問に思った。
 百年間考えることをやめず、宿敵の半身を得た糧……その意味を。

「プラナリアという生物がいる。蛭に似た見た目の生き物だが、彼らの特徴はその驚くべき『再生能力』にある。
 例えばその身体をメスで十個の肉片に切断すれば、ものの一、二週間で全ての断片が十匹のプラナリアに完全再生するのだとか」

 プラナリアは再生医療の界隈では有名な生物だ。たとえ脳と切り離された、それこそ尻尾のみの断片となった彼らでも、『以前の記憶』を引き継いで脳を含め完全再生されたという実験結果もある。
 頭部を失ってもどうやら記憶は失われないらしい。少なくともプラナリアにとっては。

「……意識や記憶とは、必ずしも脳にあるとは限らない。そう言いたいのでしょうか?」

 では彼らの元々の記憶・意識はどこに蓄えられている?
 魂ではないか、などと言えば学術の世界では鼻で笑われ、弾かれるだろうが。

「ジョナサンは百年前に間違いなく死んだ。だがもしも……奴の意思や片鱗が何らかの形でこの『肉体』に宿っているとすれば。
 私は『どっち』だ? この肉体は『DIO』なのか、それとも『ジョナサン』なのか。
 そういう話をしているのだよ」

 DIOは人間を辞めている。そんな彼に常識などという型は嵌められない。
 最早オカルトの世界だ。ヒトでの前例も無い以上、その答えはDIO自身が探して受け入れ、定義するしかない。

 しかしジョルノはそれでも、敢えてハッキリと自分の答えを示した。
 悪を断罪する正義を体現するように、その瞳に迷いは無い。

「考えるまでもないでしょう。その邪性を支配するDIO……貴方こそが、その肉体の全貌です。こんなに単純な話も無い」

 敵意の混ぜられた鋭い視線を受けてなおも、DIOは我こそが盤石だという余裕の笑みを崩さない。
 まるでジョルノの答えを予想していたみたいに、すぐさま口を開いて返した。
 この上なく、楽しげに。


「私もそう思う。だが『血を分けた子』ならどうかな?」


 ジョルノの鼓動が僅かに跳ねる。
 動揺は決して表面に出さなかったが、眼前のDIOは息子の精神を透き通して見ているかのように、口の端を更に上げた。

「ジョルノ。君は果たして『どっち』なのか?
 私の息子か? それともジョナサンの息子か?
 血縁や戸籍の話ではない。もっと物理的あるいは精神的な……『魂』の話と言い換えてもいい」

 フツフツと、ジョルノの内側から沸騰するような急激な熱が沸き上がってくる。

「君のDNAに刻まれた因子は誰のものだ?
 君という人格を形成する魂の構成物質には、誰の記憶が宿っている?」

 DIOが『何故』自分を産んだのか。
 その狙いを、もはや理解しかけている。


「遠回りになったが……初めの質問に答えよう。
 ジョルノ。私がお前を“産ませた”理由とは、それを確かめてみたかったからだ」


 何もかも、後悔した。
 こんな男に、こんなくだらない質問をしてしまった事に。


「ハッキリ言って私は今、後悔している。
 お前が『ジョースター』の色濃い息子だという事が理解出来たのでね。やはり気まぐれなんぞで子など作るべきではなかったな」


 やはりまだ、心のどこかでは『父』を信じてあげたい気持ちが滞留していたのだろうか。
 人を信じるという気持ち。本来は両親から学ばなくてはならない、人として大切な感情。
 目の前の『父』は、人を信じるというその感情が欠落している。
 だからこそジョルノもそれを教わる機会に恵まれず、悲惨な幼少期を経験している。
 人間として堕ちる所まで堕ちかけていたジョルノを救ったのは、見知らぬギャングだった。

 今、あのギャングから教わった『信じる心』が成長し、最悪の父親へと牙を向ける。
 皮肉な事に、父だけは信じてはならないと理解し。
 この男だけは許してはならないと、魂が轟いた。


「お前は私の『敵』でしかなかった。もう興味は無いよ。
 死ね。ジョルノ・ジョバァーナ


 『話』は終わりだと、DIOが突き放す。
 二人の間にほんの僅か繋がっていた糸が、完全な形で千切れ落ちた。
 猛るジョルノが、渾身の力を込めてDIOへと飛び出し。


 それを横から遮るように、鈴仙の背中がジョルノの特攻を止めた。


 ───赤き狂気の光が、地下空間を爆発的な勢いで埋め尽くす。


            ◆


 水鏡に映る虹を見る度、幼い頃に見たあの夢を思い出す。


 零さないよう、手のひらで掬って溜めた虹の色は、無くなっていた。
 虹の先を見ることはできない。
 いつも途中で零れて、端から消えていっちゃうから。
 まるで、朝見た夢が段々と記憶から薄れていくみたいに。


「どったの? 水なんか掬っちゃって」


 遅刻癖の困った親友が、興味深げに掬った手のひらを覗き込んで来た。


「ねえ。貴方はこの手のひらの中に、水溜まりが見える?
 それとも、水溜まりに映った虹が見えるかしら?」


 親友は「何それ。心理テスト?」って言ったきり、さっさと帰路に着いて行った。



 あの夢に出てきた女性の顔は、もう覚えていない。



            ◆

エンリコ・プッチ
【午後 15:26】C-3 紅魔館 地下大図書館


 DIOは決して愚ではない。

 彼がジョルノ・ジョバァーナ及びにウンガロ、リキエル、ヴェルサスら四人の子を産ませた背景には、今聞かされた実験的企てがあったのだと。
 早い話、生まれてくる子供に『ジョースター』の意志が片鱗たりとも宿るかどうか。それを試した様なものだったという。
 上手く行けば──十中八九は上手く行く試みだが──産まれた子はDIOの兵力となる。恵まれた素質が約束された、一騎当千のスタンド使いとなる事が期待出来た。
 現にプッチは運命に導かれ、三人のスタンド使いの息子を味方に付けた。

 しかしそれは同時に、深い諸刃の試みでもある。万が一、産まれた子にジョースターの黄金の精神などが芽生えれば、たちまち反旗を翻す可能性があるからだ。
 現にジョルノというイレギュラーが育ち、こうしてDIOへと立ち向かってきているではないか。


(DIOはそのリスクを考えなかったのだろうか?)


 プッチは訝しむも、すぐに否定する。
 DIOという男が、決して愚ではないと知っていたから。

 もしも産まれる子にジョースターの片鱗が僅かでも確認出来たなら。
 それはそれで、ある意味においては収穫なのだ。

 彼が父親として良き模本かどうかはさておき、少なくとも世に吐き捨てるほど分布する、後先考えずに子供を作る様な無責任な親とは違う。
 産まれ落ちてすぐに息を引き取った子供と、無関係な他所様の健やかな子供とを密かにすげ替え、我が子として何食わぬ顔で育て上げるような愚かな親とは……決定的に違う。

 “こうなる事”も想定した上で、DIOはジョルノを産ませた。プッチにはそう思えてならないのだ。
 口では気まぐれだと後悔したような軽口を叩くも、本質ではそうじゃない。
 DIOはジョースターを、自らの人生最大の宿敵だと認識している。徹底的に潰さなければならない因縁の芽だと敵視している。

 何よりその因縁という『運命』が曲者で、恐るべき障害だったのだ。
 そしてその恐れこそが、超えねばならぬ唯一絶対の壁だと理解していた。
 もしも産まれた子がジョースターに与する因子であったなら。
 それは如何なる因果に引き付けられて産まれた意志なのか。
 たとえエジプトの戦いでジョセフや承太郎を抹殺したとして。ジョースターの血を根絶やしにしたとして。
 運命は、自らの血を触媒にして再び立ち向かってくるのか。


 それをどうしても『再確認』する必要が、彼にはあった。


(DIO。君は、そこまでしてジョースターを乗り越えようと考えて……)


 DIOの肉体は、ジョースターの肉体そのものでもある。
 自らが生きている限り、ジョースターは永劫無くならない。
 考えずにいれば全て丸く収まるであろう、その自己矛盾的な葛藤を内に抱えたまま、DIOはどうしても捨てきれずにいた。
 思考の端に渦巻くジョースターの意志が、いつだってDIOの歩く道を遮ろうとしてきた。

 もしやすれば、DIOはジョルノのような存在が産まれてくる未来を望んでいたのかもしれない。
 まだ完全に……ジョースターとしての意志が芽生えきっていない段階でなら、容易く“摘む”ことも容易だろう。
 DIOがエジプトで敗北さえしなければ。きっと彼はその足で、産まれた我が子を迎えに──いや、『選別』しに向かっただろう。
 作物の良質と粗悪とを区別し、都合が悪い物は芽の時点で摘む。それと同じだ。


 彼はジョセフ・ジョースターを。
 空条承太郎を。
 そして最後に息子ジョルノ・ジョバァーナを殺し。
 完全な形でジョースターを消し去る事で。

 自らの肉体に残留するジョナサンの意志も含め。
 初めて運命に勝利出来ると、考えた。

 奈落そのもののような暗黒街に産まれ。
 最悪の屑親を父に持ってしまった少年ディオは。
 マイナスを起点とした、泥濘の運命へと勝つ為に。


「ジョースターとは、まるで……血の亡霊【ファントム・ブラッド】だな。
 DIO。“僕”に出来ることがあるのなら、是非とも使ってくれ」


 だからプッチは、彼が好きなのかもしれない。
 意味合いは違えど、同族だから。そう口に出せば、彼は気分を害すかもしれないが。

 まこと───『血』とは厄介なモノだ。
 プッチは自身の惨たらしい過去を心に描きながら、運命という名の難敵を悲観した。




 横槍の形で飛び出してきた兎の妖獣の瞳から、眩いばかりの『赤い光』が輝く。
 たとえ目を瞑ったとしても瞼の裏まで貫通する程の、絶大な光量を纏った光線。受ければ即、精神をミキサーの如くかき混ぜられ行動不能に陥るだろう。


 DIOは鈴仙の対スタンド使いスペル『幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)』を、真正面に“見据えながら”突撃してきた。
 その背後においてプッチのホワイトスネイクが、DIOの後頭部から小型の『DISC』を抜き出す光景を鈴仙は目撃し。


 絶望の鈴が、長く伸びた耳朶を打った。


「“無駄”だ、鈴仙・優曇華院・イナバ。貴様程度の能力……対策も容易い」


 ザ・ワールドの拳が鈴仙の胸を穿つ間際。
 彼女は唐突に理解した。
 客観的な視点からは知る由もない筈の、マジックの種。

 DIOは今、背後の白蛇によって『視界』を抜かれたのではないか。故に敵の視力に訴えかける鈴仙の技が通じなかった。
 たとえ時を止められようと、先攻さえ取れれば赤き光速が勝てる。時を飛ばす、あの悪魔と戦った時みたいに。
 その思惑も、見抜かれていた。


(そ、んな……私の能力が、知られ……て……っ)


 薄れゆく意識の中で不意に感じ取った全貌は、少女を絶望させるに余りある真実であった。
 敵の手に配られた『幻想郷縁起』が回され、鈴仙の能力が知れていた事も。
 故に彼女の姿を見た途端、即座に対抗策を取られた事も。
 吸血鬼と神父が、アイコンタクトも無しに阿吽の呼吸で動ける奇妙な関係性だった事も。
 風穴を開けられるまではなかったにしろ、心臓に甚大なダメージを叩き込まれ、意識が薄れゆく鈴仙には素知らぬ事実。
 ジョルノがらしからぬ焦りで何か声掛けてきているも、致命傷を負わされた鈴仙には上手く聞き取れない。

 が、そんな事よりも。
 鈴仙の思考は今、己の行動への疑問に蝕まれていた。


(わた、し……何で、飛び出…ちゃっ……んだ、ろ……)


 ジョルノは決して愚ではない。

 聡明で抜群の行動力を持つ、神童の様な少年だと称しても言い過ぎにはならない。
 だから皆、彼に惹かれ。付いて行きたいと願う人間も少なくはない。
 鈴仙も、その中の一人であった。
 正しきを信じ、穢れを正す。邪道の世界に生きていながらも、そういう信念を持った少年。

 そんなジョルノが今、激情に駆られながらDIOへと飛び出しかけた。
 らしくない。鈴仙はそう感じながらも一方で、付き合いは短いなりにその気性もまた彼らしいと思った。

 気高き『高尚』さを胸に秘めたジョルノ。彼は大袈裟な形で自分の感情を吐き出すタイプではないが、それでも『ライン』という物は存在する。
 もしも一線を越えれば、ここぞとばかりにジョルノは爆発する。それこそ一線を越えて、『殺人』にすら悠々と手を染められる。
 感情をコントロールするという点では、ジョルノは完璧ではない。年齢も若く、経験だって豊富な方ではない。

 ジョルノは決して愚ではないが、血の繋がった父親から『あんな事』まで吐き捨てられて。
 それでいて冷静に、じっと堪えられる程に感情をコントロール出来はしなかった。
 数少ない相手には間違いない。チームの命を狙う新手のギャングや、あのディアボロですら、ジョルノの『夢』を叶える為のいわば避けられない試練。立ち塞がってきた敵である。
 サイコ染みた医者チョコラータ、くらいであろうか。防衛の為でなく、仲間の為でなく、目的の為でもなく、ジョルノが心底嫌悪し、激情しながら『叩き潰す為』に断罪した悪は。
 大義名分ではない。高尚な理由などそこには無く、ただ許せないから手に掛ける、本能的な衝動。DIOは、かのチョコラータに抱いた悪感情と同類だ。

 かつての尊敬する上司ブチャラティが、自らの実父ディアボロに手を掛けられたトリッシュを救う為、激昴し、その場でボスに戦いを挑んだ時のように。
 人には、犯してはならない『領域』という物がある。
 ジョルノにとってそれは、未だ触れたことの無い『家族』という唯一の、透明な絆。
 その領域を、あろうことか父親本人から滅茶苦茶に穢された。その事が許せなかった。

 それだけの話。


 鈴仙は、それが共感できてしまった。
 漠然とではあったが、ジョルノが自らの存在意義を『家族』本人から覆されてしまったこと。
 こと今の鈴仙には、その気持ちが痛いほどに理解出来る。
 ジョルノを止める為、自分の体を盾にしてでもDIOの前に立ち塞がった鈴仙の頭には、ディアボロや八意永琳の姿が過ぎった。

 深手を負った鈴仙が本当に成そうとした行いは。
 ジョルノを守る為だったのか。
 それとも家族を手に掛ける〝悪〟を、この世から殺(け)してやりたかったという……本能的な衝動なのか。


「鈴仙ッ!」


 私の名を呼ぶ声が、すぐ傍で轟いた。
 どうやらジョルノは、床に崩れる私の体を支えて懸命に救おうとしているらしい。

 勿論、敵がそんな暇を与えてくれるわけがない。


「本当に貴様は『ジョースター』の人間だったらしい。
 失望もあるが……“オレ”にとっては待ち侘びた瞬間だ。その木偶人形と共に死ね」


 敵を討つよりも、瀕死の鈴仙を治療する事を選んだジョルノ。
 そんな隙だらけの息子を心底見下す瞳で、スタンドの拳を掲げたDIOに躊躇のひと匙もない。


 嗚呼。本当に、この世は『家族』をどうとも思わないクズが多すぎる。
 鈴仙が最後に浮かべたのは、憎悪とも愚痴とも取れない……因果応報への悲観であった。



(神も仏も……ありゃしない、わね)



 視界が、完全な暗幕によって覆われて。
 肌から伝う彼の暖かみも、とうに冷たいそれへと変わっている。


 五感に残った聴覚が微かに捉えた、けたたましいバイクの駆動音を最後に。


 ───鈴仙の意識は奈落の闇に堕ちた。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
ホル・ホース
【午後 15:20】C-3 紅魔館 二階廊下


 未だ未練がましい気持ちがホル・ホースの歩行を邪魔している。
 聖白蓮を援護したいという親切心はそもそも無い。何事も自分の命が最優先なのだ。
 しかし彼女に対し、全うせねばならない何かしらの使命が自分にはあるのではないか。そういう高尚な感情が尾を引き、男の歩みを鈍足なものにしていた。

「……つったってよォー。相手が悪すぎるぜお坊さんよォ」

 無意識に漏れた独り言は、自己嫌悪からの逃げか。
 元々、寅丸が死んでしまった時点でホル・ホースの使命とやらはお役御免なのだ。今更、白蓮を追った所で大層な名分など無いも同然。
 結果DIOに見つかり、金にもならない命令を受け入れざるを得なくなってしまった。本末転倒だ。

 警戒心よりも妙な焦燥感が脳を支配していたからであろうか。廊下の向こうで音響した、場にそぐわないバイクの駆動音にすら大して気にも止めず。
 ホル・ホースはDIOの言う『大切な客』の居る部屋の扉に手を掛けた。


 まず目に入ったのは、赤い装飾の椅子に寝かしつけられた『少女』。女とは聞いていたが思った以上に若く、ホル・ホースからすればまだまだ未成熟なガキ同然である。
 保護してくれとしか命令を受けていないが、ただ寝ているだけなのか気絶でもしているのか。どういう状況なのかホル・ホースには図れずにいる。
 子守りでも押し付けられたかと、当たりくじなのかハズレくじなのかよく分からない複雑な気持ちを抱く彼の視界にその時、動く物が入った。


 バルコニー。“男”がそこに居た。


 部屋に入ったホル・ホースに気付いているのか、いないのか。男は窓の向こうに広がるバルコニーの手すりに身体を傾けながら、何やら独り言でも呟いている。
 ホル・ホースは訝しんだ。男は背中を見せており、顔は見えない。けれどもよくよく見れば、彼は手すりに足を乗せている幾匹かの小動物か何かに話し掛けている様子だった。
 小鳥さんか?とファンシーな感想を思わず漏らしかけたが、ホル・ホースの観察がそれ以上続けられる事は無かった。男がこちらの存在に気付き、振り向いたからだ。
 その際、男が鳥のような小動物から何か『円盤』の様な物を受け取り、懐に隠したのをホル・ホースは見逃さなかったが、それ以上に男の“顔”を見るや、仰天して呼吸が止まる。

 当然だ。その男の顔には、見覚えがあるどころではない。


「やあホル・ホース。無事なようで何よりだ」


 男は、服装こそ見慣れない物であるものの、その金光りする髪と端正に整った顔立ちはどう見ても。


「ディ……DIO、様ァ!?」
「ああ。『Dio』だぜ」


 ついぞ先程、エントランスですれ違ったばかりの我が雇い主DIO。
 その男が腕を軽く広げながら、ホル・ホースへと気さくに近寄って来ているというのだからさもありなん。

「な……ぇ、じゃあさっきオレが出会ったのは!?」
「ん~? 何の話だホル・ホース?」

 訳が分からない。そういえばDIOの部下に他人への変装が得意なスタンド使いが居ると話には聞いたが、これも奴のスタンド『世界』とやらの仕業か!?

「ク……ハハハ! ジョーダンだよホル・ホース。
 そう固まるな、オレは『DIO』じゃない」

 焦りまくるホル・ホースに種明かしをと、男は歯を覗かせながら吹き出した。馴れ馴れしくもこちらの肩をバンと叩き、自らの名を明かす。

ディエゴ・ブランドーだ。『奴』から何か聞いてないか?」

 ディエゴ・ブランドー。その名は確かに名簿にも記されていた気がする。そういえばDIOも、女の他に部下がいるとか零していたか。
 すると言うとこのディエゴは奴の部下という事になるが、何の因果でこうもDIOと瓜二つな容姿であるのか。

「奴の顔見知りは、オレの顔を見て全員似たような反応をするよ。こちとらいい迷惑なんだがな」
「じゃ、じゃあアンタは奴……いやDIO様の部下かよ。兄弟とかそんなんじゃあなくって?」
「別に部下じゃないがね。オレはオレさ」

 晴れ晴れしく肯首するディエゴを見届けると、ホル・ホースもようやく安堵の息を吐き出した。
 よく見ればDIOよりも、ホル・ホースよりも若い青年だ。あのゲーム好きであるダービーらでさえ、兄弟間でここまでは似てない。
 よりによってDIOと似なくても良いだろうに……と、ホル・ホースは内心で毒づく。こんな圧迫感のある顔面がこの世に二人と居てはたまらない。


「で、だ……ホル・ホース。ジャイロ・ツェペリの奴は元気だったか?」


 ふっ、と話題が変わった。
 今、ディエゴの口から出た名はホル・ホースとて知らない男ではない。
 長年の経験でよく分かる。ディエゴは顔こそ笑ってはいるが、吐かれた言葉の奥に敵意を感じ取った。友達を心配をする声色などではない。
 因縁があんだろーな、と心情を察すると同時。今の台詞には明らかに不自然な内容が混じっていた。

「……アンタ、何故それを?」

 鋭く放ちながらも、ホル・ホースはおよそ確信を得る。
 何らかの理由で、自分の行動・足跡が漏れている。そしてディエゴは敢えてそれをバラすかの様に、自ら伏せカードを明かしてきた。

「いや、元気なら良いんだ。相棒の方が逝っちまったからって、悲しみに暮れてるんじゃないかと心配してたんでね」

 心配のしの字もしてなさそうな上っ面でディエゴはケタケタ笑う。どうやらこちらの質問に答えるつもりはないらしい。

 どことなく気に入らない野郎であった。あの男と出で立ちが似ているからではなく、性格の方がホル・ホースと合わないきらいがある。
 自信家らしい所は結構だが、他人を見下す事が常となっている片鱗が見えた。ホル・ホースとてこれまで数多くの人種と付き合ってきたが、往々にしてこの手の輩は度が過ぎると、仲間ですら踏み台にするのに躊躇しない。
 そしてホル・ホースの性質から言って、こういうタイプとは相性がすこぶる悪い。必要以上に馴れ合わず、適度な距離感でギブアンドテイクの仕事関係を続けてきたホル・ホースは、主に相方の能力を縁下から持ち上げるやり方が主流である。
 いざとなれば互いに切り捨てられる潔さを双方持ち合わせることに異論はまるで無いが、それも裏切り前提の関係が色濃く出れば仕事に支障が生じる。

 ある程度の信頼は必須なのだ。単独だと弱いホル・ホースの短所を補う相方には。

(見捨てられる程度ならともかく、平気なツラでオレを盾にしかねんヤローだぜコイツはよぉ)

 ホル・ホースの観察眼は、ディエゴを相方候補から即座に除外する。長所短所を埋め合う以前に、この男は少々やりづらい。どこかキケンな匂いもする。

「おやおや。嫌われちまったらしい。これから苦難を共にする『仲間』になるかもしれないってのになァ」

 視線から伝わってしまったか。ディエゴもホル・ホースの機微を敏感に察知し、軽薄な態度で軽口を叩いた。
 まあ、これくらいの不遜な口を利く人間は珍しくない。DIOの部下にも腐るほど居たものだし、その度にホル・ホースは事を荒立てることなく適当に相手していた。

「あんさんがこのオレとどう付き合っていきたいかは追々として……この女の子は誰だい?」

 従ってホル・ホースは目下の疑問をまず解決する。
 ロクな説明すら無かったのでどう触れていいものか分からなかったが、ひとまずDIOの命令は寝息ひとつ立てないこの少女を保護しろという内容だ。
 見た目人間に見えるが、幻想郷の少女達と交わってからすっかり常識観が壊されている。最早この子が妖怪の類であろうと、もう驚かない。

「ああ、その子。どうやらDIOの『お気に』らしいぜ」

 少女の髪を気障にも手に掬い、サラリと流しながらディエゴが言う。
 思わず鳥肌が立つ。まさか奴の『餌』じゃねーだろうなという勘繰りが頭を過ぎるも、そうであればさっさと食い終わっているだろうという結果に落ち着いた。

「何なんだ、この女は? DIO様の部下か?」
「さあね。オレには何とも。
 だがある程度の見当はつく。恐らく……───!」


 言葉は途中で途切れた。
 ディエゴの瞳が一層鋭く研ぎ澄まされ、室内のある一点を刺すように睨んだのだ。

「? どうしたよ、突然───!?」

 釣られてホル・ホースも、そこを見た。
 部屋の一角。何の変哲もないただの壁。
 正確には空間そのものに。

 音もなく、切れ目が裂かれた。


「───やっと、見付けた」


 密閉でもない部屋の中だというのに。
 まるで鍾乳洞で木霊したかのように、妖しげな声が綺麗に鳴り響いた。

「お出ましだぜ」

 ディエゴの顎が薄ら開き、下卑た笑みが零れる。



「私を呼んだのは貴方ね。我が『半身』よ」



 スキマから現れた大妖怪・八雲紫が。
 彼方に夢魅る幸福も、この世のあらゆる不条理も、全てを受け入れんとするが如く。
 両の腕を虚空へ広げながら、現に降り立つ。

 まるで。待ち望んでいたものがようやく訪れたような。
 そんな面持ちで、女はマエリベリーへと───。


            ◆


 とある休日の、親友とのショッピング帰り。
 ふと空を見上げると、晴天だというのに珍しい物が見えた。

 逆さ虹。気象学的には環天頂アークって言うのかしら。

「何か良い事の前触れかもしれないわね」

 こういう時、現世の結界は緩みやすくなるものだ。
 明日に予定している活動の前途に胸を踊らせながら、視線を雲の上から下へ戻すと。


 紫の羽を彩る、一羽の蝶々が目の前を横切った。


 反射的にわたしは、人差し指を伸ばしていた。
 絡むように指先へとまる蝶。



「───番の蝶、かしら」



 私の声じゃない。
 背後でそう呟かれた気がして、私は少し驚きながら振り向いた。

「……気のせい、かな」

 人混みはあったが、それらしき人物は居ない。
 ただ、その中に綺麗な金髪の女性の後ろ姿があった様な気がして、わたしはつい目で追ってしまう。
 晴れ間なのに紫色の傘なんかさして、まるであの虹みたいに周囲とは不釣り合い。
 現と幻想。喩えるなら、そんな感じで。


「そういえば……どこかで見たような傘だったな」


 番の蝶(つがいちょう)。
 二つが組み合わさって、初めて一組となるものを『番(つがい)』と呼ぶ事もある。




 いつの間にか、紫の蝶はわたしの指を離れ。
 あの虹の先にフワリと羽ばたいて、見えなくなった。


            ◆

『ジョルノ・ジョバァーナ』
【午後 15:31】C-3 紅魔館 地下大図書館


 全ては己の短慮が招いた采配だ。
 齢15の身の丈に合わぬ、数多くの責を背負うジョルノがそれを痛感するには、充分な悲劇であった。

 ジョルノの剣として飛び出した鈴仙は皮肉にも、盾という形で『世界』の拳を直に受け、急所である心臓を傷付けられた。一般的な肉体であれば貫通は免れない程の一撃を何とか押し留めたのは、都時代に鍛錬してきた屈強さ故か。
 それでも致命傷だ。峰打ちにて亀甲すら砕きかねない過剰な破壊力は、あのキング・クリムゾンをも上回るかもしれない。
 ジョルノは彼女の治療を最優先し、なるべく傷に障らぬよう床に寝かすも。

「お前の能力は『治癒』の一種だと聞いている。猶予の一切も与えるつもりは無い」

 『世界』の兇手は、再び息子の生命を摘みに立ちはだかる。

 拳の打ち合いという土俵に登れば、基本的にジョルノはDIOの『世界』には勝てない。スタンドに秘められる生来のポテンシャル差が圧倒的なのだ。
 防御に徹していては、鈴仙の命の灯火などロウソク以下の線香花火のようなもの。燃え尽きるより早く、砂の上へと音も立てず転げ落ちるだろう。

 しかしジョルノが迫り来る災害に防御を展開させる未来は訪れなかった。
 森閑たるべき図書の蔵には似合わない騒音が、音速の拳を乗せながら接近してきたからだ。


「破ァ!!」


 不躾な乱入者はバイクに跨り、DIO目掛けて族の如く突進してきた。この地下図書館へ至るには、蛇の胃の様に曲がりくねった階段を下る必要がある筈だが、そんな悪路など何の問題にもならないと言わん程の猛烈な勢いで、操縦者は闇から姿を現す。
 美しいと表現するのも生温い。光り輝く虹を連想させたグラデーションの髪を流す女性だった。バイクスーツまで着こなした彼女はなんの迷いも無く、今にもジョルノの首を狩らんとするDIOの背中へと、法定速度を完全無視したバイクごと突っ込んできた。

「DIO様ッ!」

 無論、男の忠実なる下僕がそれを安穏と見過ごす愚は起こさない。
 宇佐見蓮子が妖刀を振りかぶり、バイクの突進エネルギーを達人的なタイミングを以て殺した。言うまでもなく、様々な強者達の動きを『覚えた』アヌビス神だからこそ成せた達人技。

 それでも、甘い。
 バイクスーツの女性は、蓮子の想像を彼女の体ごと優に飛び越えた。

「DIO! 『上』だッ!」

 続くはプッチの咆哮。蓮子とプッチの頭上を、洋燈に照らされた影が通過する。
 アヌビス神が遮ったのはバイクのみ。ハンドルを捨て、シートから大きく跳躍した女は自ら砲弾となる事を選び、本命のDIOへと突撃する。唸りを上げる鉄の馬など、囮に過ぎない。

「~~~ッ!」
「遅いッ!」

 予期せぬ闖入者にDIOの防御が遅れる。
 当然の話。DIOには依然『視力』が無い。プッチが抜き取ったDISCを再び持ち主に返す隙など挟みようが無かったのだから。
 結果、視界を封じた劣悪な状態異常のまま、DIOは防御に移行せざるを得なかった。
 故に生じた、コンマの遅延。その遅れは、闖入者の鋭い掌撃を男の脇腹へと通す功績に大きく貢献した。

 メキメキと、木の幹でも折れたような重い音が辺りに轟く。
 慣性力を味方につけたとはいえ、生身の女性が繰り出せるパワーではない。まして相手は吸血鬼の体幹なのだ。

(これは……まるで)

 暗幕の視界という悪条件の中、突如身に襲いかかる弩級の衝動。貫かれたDIOは、存外な破壊力に吹き飛ばされながらも、その思考は寧ろ冴えていた。
 間もなく響き渡る破壊音。蔵書の崩れを防ぐ為、頑強に床へと備え付けられた本棚へとDIOが衝突する音だ。

「DIO様!」

 バイクを弾き飛ばした蓮子が、叫びながら崩れ落ちた瓦礫へと駆け寄る。プッチも動揺の声こそ上げなかったが、蓮子の後に倣った。
 掃除の行き届いていない棚ゆえに、辺りは真っ白な埃が舞い上がり、さながら煙幕のよう。


「───まるで…………近接パワー型スタンド並みの腕力だな」


 その煙幕の中から、男は何事も無かったように姿を現す。
 コキコキと首を左右に傾け、砕けた筈の肋骨をも軽く擦りながら余裕ぶるその仕草は、到底マトモなダメージが入ったようには見えない。


「……少なくともひと月は立ち上がれない程度の手応えはあったのですが……成程。“人間ではない”という話は真だったようです」

 女の方もあれほど無茶な身のこなしを終えたにも関わらず、汗一つかかずにプロスタントマン顔負けの着地を成功させた。
 血を流し倒れる鈴仙と、彼女を治療するジョルノらの盾となるように、目の前の邪悪の化身へと構える。


「貴方が話に聞く……DIO!」
「ほう……誰かと思えば『聖白蓮』だったか。是非、一目拝んでおきたかった女だ」


 プッチから渡された視力の円盤を悠然と後頭部に挿し込みながら、白蓮へと対峙するDIO。開示された視覚の情報を脳に取り入れた彼が真っ先に漏らした言葉は、白蓮への興味を示す内容だった。
 予想外の台詞に白蓮はやや目を丸くする。自分がDIOの名前や人物像を知っているのはスピードワゴンの忠告あっての事だが、相手側からも目される理由に見当がつかない。
 更に……。


「───プッチ神父」


 DIOの隣に立つは、白蓮が追跡していたメインターゲット、エンリコ・プッチ。衣まで脱ぎ捨てた甲斐あって、バッチリと捕捉出来た。

「全く……呆れた尼だ。よもや屋内でチンピラの真似事とは。まさか君は普段の寺でもそんな様子なのか?」

 言葉通りにプッチは首を振りながら、とうとうここまで追って来た女性の執念に感服する。トレードマークの僧衣まで失ったとあっては、今の白蓮を見てまさか聖職に従事する人間だとは誰一人、欠片も思わないだろう。

「聖、白蓮……そうです、か。貴方が……」

 窮地を救ったその凛々しい背中を見上げながら、ジョルノはしんみりした声色で呟く。

「先の突撃を見て命蓮寺にあらぬイメージを抱いたのであれば悲しい誤解ですが……貴方も私の事を存じておられるのですか?」
「ええ。……小傘から、少し」

 トーンの落ちた声で告げられたその名は、少し前にも放送で呼ばれた名前だ。
 ほんの一瞬伏せられたジョルノの瞳を見て、彼が小傘に抱く感情は悪いものではないと白蓮も察する。
 同時に、負傷した兎耳の少女──確か永遠亭の薬売りだったか──を治療しているらしき所から、その少年は〝善〟なる側だと判断。

 この時点で白蓮の取るべき行動は、決定された。

「ならば救いましょう。〝禅〟なる心で。
 この様な世紀末の世界でも、神や仏は確かに御座すのだと……貴方達に説いてみせます」

 白蓮の目的はDIOやプッチ打倒でなく、あくまでジョナサンのDISCだが、救いを求めている人間を見捨てる様な真似は到底選べない。
 お人好しが服を着て歩くような彼女が、たとえ服を脱ぎ去ったとしても。
 〝善〟と〝禅〟の本懐に宿る心意気は、〝全〟裸であろうと揺るがない。


「ここはこの聖白蓮にお任せを。三対一……上等です!」


 驕心や猜疑という名の衣も纏わぬ、ひたすらに『信念』を貫き通せる至上の志さえあるのなら。
 露出されたその心には今や、一片たりともの羞恥だって存在しないのだから。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
霍青娥
【午後 15:33】C-3 紅魔館 地下大図書館


「まさか侵入したジョースターがジョルノ君だったなんてねえ。でも……こんな特大カード、中々お目にはかかれないわね」


 ラッキー♪と、心の底から溢れる喜びを抑えきれない青娥が堪らず口に零す。それ程には、この一大ショーは彼女にとって垂涎モノだ。
 邪仙にはこの戦いに介入するつもりは毛頭ない。腐ってもDIOの従順たる部下を自負しているつもりの彼女だが、それ以上に重要な至福が別にあるからだ。

「DIO様&神父様(蓮子ちゃんもいるけど)VSジョルノ君&聖大僧正サマなんて(あの兎は木偶として)。
 S席確保しといて良かったぁ。これは見ものよねっ」

 白蓮にバイクを貸し与えた損失など、お釣りが来るほど愉快なる見世物小屋。これには旦那を質に入れてまで観戦する価値があろうというもの。
 決して邪魔にならぬよう、また余計な火の粉が飛んで来ぬよう、青娥はしっかりと河童の迷彩スーツを着用して身を隠している。いつぞやと同じく、ジョルノや紅美鈴とウェス・ブルーマリンとの戦いを人知れず傍観していた時の様に。
 その上、席は図書館を一望できる高さを誇る本棚の最上から。ゆえに彼女は呑気にも、支給されたおむすびを口に頬張りながら高みの見物を決め込むつもりであった。

 これが賭け試合ならば、文句無しにDIOチームに財産を投入しても良い……と行きたい所だが、青娥は実際にDIOやプッチの実力をこの目で確かめた訳では無い。
 あの八雲紫を一蹴したDIOの力は間近で目撃してはいたものの、どちらかと言えばあれは紫側に大きな不調というハンデがあったようだ。
 つまり、我が主とその旧友の本気が見られるのは今回が初めてとなる。青娥の鼓動が早まるのも無理からぬこと。

「と言っても……あの住職サマの力だって半端じゃないのよねえ。もぐもぐ」

 逆に聖白蓮の力はよく知っている。あの甘ったるい性格を勘定に入れなければ、青娥の身近な知人の中でも群を抜いた潜在能力だ。
 この試合。レートで言えば案外に五分五分かも……等と客観的に評する青娥。プッチの怪我だってまだ快復してないだろうに、やる気満々の白蓮を相手取るには少々厳しいか?

 しかし……それでこそ、見る価値があるものだ。
 賭けてる物など無い以上、別にどっちが勝とうが負けようが───青娥にとっては大差ない。

 死熱必至の奪り合いに立ち会えた時点で、邪仙の欲が存分に満たされる未来は確定しているのだから。


「ほひはふぉふぁいほ!へふほ~♪(どちらもファイト!ですよ~♪)」


 ハムスターの様に頬を膨らませ、口元に米粒をひっ付けながら。青娥は無邪気に、元気よく腕を振った。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『八雲紫』
【午後 15:28】C-3 紅魔館 二階客室


 とかくこの世はそう都合よく進まない。歯車が噛み合わず、軌道に乗せる事すら儘ならない理不尽ばかり。
 「運が悪かった」で片付けられるだろうか。恐らくだが、今回に関してはそうではない。

 またも、一手遅れた。
 八雲紫がこの光景を見てそれを感じ取るのは、早かった。


「……DIOは何処?」


 開口二番に問い質した事柄は、意外にも邪悪の行方。
 己の魂を揺さぶっていた謎の『声』の主が、そこで眠りこけている少女だというのは本能的に理解した。

 同時に、その少女の『中身』が失せている事も。

 一計を案じたのはDIOだろう。やはりあの男は人の動かし方に長けた名将だ。
 少女の奪還はそう容易ではないらしい。彼女の『意思』の在り処はきっと、既にDIOの手元だろう。ここで肉体のみを取り返し館から脱出するのは、紫からすれば釈然としない。

 少女───マエリベリー・ハーンは此処には居ない。
 器に在留する彼女の残滓は、驚くほど静かだ。

「流石に理解が早いな。ここまで散々振り回されて、やっと賢者の本領発揮……ってツラだぜ。意外とスロースターターなのか?」

 紫の質問へ馬鹿正直に返すより、あっけらかんと挑発する事をディエゴは選んだ。先程までとは違って、今この女とマトモにやり合えば恐らく不利は自分の方だと悟りつつ。

「ディエゴ。貴方にも随分な仕打ちを受けてきたけど……今は“見逃してあげる”。
 もう一度訊く……DIOは何処? 三度目は無いわよ」

 女の髪が揺れた。バルコニーより吹く冷たい風が原因ではない。
 今度という今度は八雲紫も本気なのだ。溢れる妖気を抑えきれていない状態が、それを優に語っている。

「とと……そうキレるなよ。第一、オレだって『Dio』なんだぜ。オレじゃあ役不足かい?」

 本気の紫を前にし、敢えてイラつかせる様な態度を続けるディエゴ。恐らく“役不足”も誤用でなく、本来の意味で使っているのだろうと、紫は内心で舌打ちする。
 言うまでもないが、正確にはDIOでなくDIOの近くに置かれているであろう『探し人』が目的だ。件の少女を救うには、必然的にDIOとまみえる可能性が高い。
 そして現在、DIOはジョルノとぶつかっている事が容易に想像できる。というより、そうなるよう紫の方から意図的に誘導した。
 ジョルノは口に出さなかったが、彼がDIOに対し並々ならぬ想いを抱いていたのは何となく感じていたし、再びの邂逅を望んでいた節もあったからだった。
 いわばジョルノを囮として使う策は、所詮ついで。本心では世話を焼いたようなものだ。

 そのお節介が、果たして吉と出るか凶と出るか。
 そこまでは紫にすらどう転ぶか分からない領域。

 だというのに……どうにも転がされている気がしてならない。

(それはDIOに? それとも……運命って奴かしらね)

 クサイ台詞だと自分ながらも思う。しかし、こと『運命』という因果律は紫にとって他人事ではない。

 我が写し鏡だと見紛う程に、そこで眠る少女との出逢いは運命だと言わざるを得ないのだから。

「ディエゴ。アナタはDIOの『天国論』についてどう思っている?」
「なんとも言えんね。ただオレは『見下す』のが好きだ。その天国とやらに登り詰めれば、神サマだろうが何だろうが上から見下ろすのは楽そうだ、とは思ってるぜ」
「……哀しい人間。環境さえ違わなければ、アナタの意志は正しい手段で頂きまで登り詰める素質があった筈なのに」
「……それ、煽ってンのか?」

 飄々と宣っていたディエゴの態度が一変する。先の意趣返しとでも捉えられたのか、触れられたくない箇所に触れられたが故の立腹か。

「アンタの言う『正しさ』とは何だ? まさかお前まで“気高さを忘れるな”などと言わないよな?」
「私には貴方へ対し説教を垂れる資格はないでしょう。幼少期の貴方が、それらを学ぶ環境に居なかった苦境は推測できます。
 ただ……ねじ曲がり、ふんぞり返った貴方の目指す地点に、天国などという理想郷は相応しくない」

 人間には、時たま彼のような人種が産まれてくる。
 世から見捨てられ、故に世を……世界を怨む報復人。
 こういった人間は、得てして危険である。幻想郷であれば即座に弾かれて然るべき、力を求める孤立者だ。


「アナタの言うそれは……ただの『奈落論』。
 這い上がって来たと勘違いしたその場所こそが、真理から孤立した堂々巡りの伽藍堂……地の底よ」


 男の口元がひび割れた。
 恐竜化による攻撃意思か。はたまた自嘲の嗤いか。
 掛かってくるのならば今度こそ足下は掬われない。

 迎撃の態勢に移さんとした紫へと、裂帛へ誘う爪撃が襲う事は……果たして来なかった。

 ディエゴがその場から動く気配を見せない。
 見ればひび割れたと思った口元も、通常のままの様子であった。
 肩を透かされた形になった紫を軽蔑の眼で見送るディエゴ。彼は意外にも、襲い掛かるどころか踵を返して部屋の出入口へ足を向けた。

「何処へ?」
「アンタが視界に入らない場所さ。これ以上目を合わせてると、どっちかがくたばるだろうからな」

 ディエゴ自身、大きく負傷している現状。それを分かっている彼も、挑発に乗って無謀など起こすべきでないと理解している。
 しかしそれ以上に今のディエゴにとって、ここで八雲紫を叩く事に自己満足以上の意味はない。紫をこの場で始末するにはまだ『機』ではなかった。


「……っと。忘れてたぜ。霍青娥には気を付けといた方がいい」


 ふと、極めてどうでもいい事柄を思い出し、ディエゴは足を止める。
 本当にくだらないのでこのまま立ち去ろうとも考えたが、まあこの程度の心の余裕くらいは保っておきたい。


「青娥に……?」
「オレが『ある事実』を伝えてやったらアイツ、珍しく怒ってたぜ。お前……殺されるかもな」
「はて。有象無象の弱者達から恨みを買う原因に、心当たりならば山ほどありますゆえ。
 ……ご忠告、感謝しますわ」


 そのままディエゴは無音のままに部屋から脱し、紫の前から姿を消した。
 どうにも不気味である。紫は今度こそ彼を抹消する覚悟でこの場に現れたのだが、奴には敵意こそあれ戦意はさほど見えなかった。
 身体のダメージを考慮し撤退、という風にも見えたが、別の意図があるようにも思えた。
 そもそも───

(この子を置いていくとは。“中身”まではどうにも出来まいと、高でも括っているのかしら)

 紫は神妙な面持ちで、椅子に掛けられたメリーを覗く。少女の“意思”は残念ながらここには在らず、だからこそ紫一人がどう足掻こうと『無駄』だと見くびっているのだろうか。

 どうする? ディエゴを追撃するか。
 この場にて交戦すれば、最悪メリーを人質に取られる危険性を考慮し、敢えて今は奴を見逃したが。
 ……却下。時間が足りない。
 目的を見据えろ。今、やるべくは。


「……貴方からお話を聞くことよね。時代錯誤のカウボーイさん?」


 どさくさに紛れて退出しようと、抜き足差し足で移動する前時代的な装いの男を、紫の声が射止めた。
 男──ホル・ホースは大袈裟にハットを跳ねさせ、蛇に睨まれた蛙の様に硬直する。
 紫はこの男に全く見覚えがない。恐竜化させられていた頃の、つまり図らずもDIOの下に付いていた頃にも、男の顔など見たこともなかった。
 つまり彼は新参者。つい最近DIOの一味に参入したばかりである事が予想される。
 ディエゴとの会話中も、彼は如何にも話について行けてない困惑そのものを貼り付けた顔であり続けていた。
 手玉に取るならディエゴでなく、このカウボーイの方がだいぶやりやすいだろう。今の所、敵意も感じない。


「改めて……私の名は八雲紫。死にたくないのならば、少しだけお時間頂けるかしら?」
「……ホル・ホース、だ。全く、DIOのヤローのそっくりさんの次は、カワイコちゃんのそっくりさんかい。まさかオレのそっくりさんは居ねーよな?」
「貴方の名前なんかどうだっていいの。あまり時間も無いし……幾らか質問に答えて貰うわ」


 この日何度目かの大きな大きな溜息が、ホル・ホース口から漏れた。厄日という単語を辞書で引けば、そこにホル・ホースの日常が示された引用で解説されてるのではないか。
 真実、ホル・ホースは何も理解出来てないし、知らない。
 その事実を懸命に説けば、果たしてこの胡散臭い美女は退いてくれるだろうか。

 ……無理だろうな。ホル・ホースは殆ど諦めの念を浮かべながら、己の引きの悪さを悔やんだ。

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 夜の竹林ってこんなに迷うものだったかしら?
 携帯電話も繋がる気配は無いし、GPSも効かないし、
 珍しい天然の筍も手に入ったし、
 今日はこの辺で休もうかな……って今は夢の中だったっけ?
 しょうがないわ、もう少し歩き回ってみようかしら。


 それにしても満天の星空ねえ。
 未開っぷりといい、澄んだ空といい、大昔の日本みたいだなあ。

 タイムスリップしている? ホーキングの時間の矢逆転は本当だった?
 これで妖怪がいなければもっと楽しいんだけどね。


 そうか、もしかしたら、夢の世界とは魂の構成物質の記憶かもしれないわ。
 妖怪は恐怖の記憶の象徴で。



 うーん、新説だわ。
 目が覚めたら蓮子に言おうっと。



 さて、そろそろまた彷徨い始めようかな。




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【かつて稗田阿求が発見したメモ】
数百年前の迷の竹林で発見。
意味不明な単語も多く見られ、未だ解読不能。
外の世界の人間が書いた物だと思われるが、
夢の世界とは一体どういう意味だろう。

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最終更新:2018年11月26日 17:52