星屑になる貴方を抱きしめて

『F・F』
【午後】E-4 地下通路


 いやに肌寒いと感じてはいた。地下トンネルゆえ、元より低温環境である事に加えて外は陰鬱な雨模様だった筈だ。
 外殻の役目として纏う〝十六夜咲夜〟の衣装といえば、一般にメイド服と呼ばれる装いを正装としている。肉体の持ち主であった咲夜は、清掃を含む奉仕業に従事する者であるにかかわらず、膝丈程のミニスカートを好んで着こなしていた。恐らく弾幕ごっこへの対応を見越した動きやすさを重視したのだろうが、これでは突然に襲う寒気には適していなかった。

 果たして、ヒトの衣を借りた新生物F・Fが永き地下から抜け出た先の光景とは、純白の雪であった。
 幻想郷に雪とあれば、嫌でもいつぞやの異変を頭に思い浮かべる。あの時もこの〝咲夜〟が館を飛び出し、遠路はるばる冥界にまで赴いたのである。「寒いから暖房の燃料が切れるまでにお願いね」というお気楽な時間制限を主から掛けられ、ろくな準備も無いまま雪の中を飛んだのだ。
 地下を出たF・Fは休むことなく一直線に命蓮寺へ走った。春雪異変とは違い、今回は地を駆け目標を目指す形だ。無論、踏み締める雪の塊はその一歩一歩が肉体から温度を奪っていく。
 肉体的負傷こそ癒したものの、ディアボロから刻まれた楔の切っ先は決して浅くない。孤立無援にして、F・Fの心的疲労は募る一途を辿っていた。

 博麗霊夢空条承太郎
 二人の存命こそが、今のF・Fの全てだ。
 地下で出会った八雲紫らの進言により、二人が運び込まれた施設が命蓮寺だと知った。
 となれば最早F・Fの足を止める存在など、この銀世界が猛吹雪に変異したとて枷にはなり得ない。

 途中、川を一本渡った。
 けたたましく踏み鳴らす木造建築の橋の音は、この心臓の拍子と重なる。鼓動を抑えるようにして、彼女は自分の胸を叩いた。

 里近くに点在する棚田を横目に駆け抜けた。
 傾斜地にある稲作地は平時であれば自然との調合を果たした日本の絶景ともなるが、今となってはどこも雪を被っており、その魅力も蓋を閉ざされている。

 終点間近という所で、西の空に異変が見えた。
 あの地は魔法の森だ。木々の天頂より、黒い火柱らしきモノが立った。その正体は不明だが、見るからに不吉な現象はF・Fの胸中に良くない暗示を生んだ。


 そうしてF・Fは、単身にしてこの命蓮寺の門に辿り着いた。


「霊夢! 承太郎! 居るんでしょう!?」

 居るのか、ではなく、願望の形として口をついて出たその言葉に、惟るべき一切の警戒心は含まれなかった。敵の潜む可能性は考慮にまで至っているが、それよりも二人の安否を一刻も早く確認したい気持ちが勝った。
 大きな門を潜り抜け、周囲の隅々にまで忙しなく視線を動かす。人の気配は無かったが、程なくして違和感を感じた。

 視覚ではない。
 初めに異変を覚えたのは、嗅覚への刺激だった。
 境内を捜索しようとしたF・Fの足は、鼻腔にふんわりと漂って来たその『匂い』によって方向転換を余儀なくされた。

「この『匂い』は……」

 F・Fが嗅いだことのない類いの代物。
 同時に、全く知らない匂いでもなかった。
 体験には無くとも肉体の記憶にはしっかりと刻まれている。
 F・Fではなく、咲夜が知る香気。瞬間、様々な記憶が脳裏にフラッシュバックした。

 プルースト効果というものがある。
 ある特定の香りを嗅ぐことで、それに結びつく過去の記憶や感情を一気に呼び起こす現象。道端に漂う金木犀の香りによって、子供時代によく訪れた祖父の家の思い出が急に想起された……等といった事例は別段珍しいものでは無い。
 F・Fの見知る医学知識にもそういった人体の現象は登録されている。五感の中で嗅覚だけは記憶神経を刺激する唯一の組織であり、匂いによって昔の記憶へと瞬時に繋がる体験はままある事だという。

 〝この匂い〟が鼻をついた時、F・Fの脳裏には咲夜の記憶が一瞬にして思い起こされた。
 それは十六夜咲夜という人間がまだ『生前』の頃、日常生活を送る上でごく稀に体験した匂い。
 土地柄、宗教によっては『それ』が日常の中にある者とない者で二分されるだろう。咲夜にとって『それ』は決して日常の中には無かったが、買い出しなどで人里に赴く中では時折〝そういった匂い〟も鼻をつくことがあった。

(関係ない……! 〝こんな匂い〟は、あの二人とは何一つ関係ない!)

 そして咲夜は。またF・Fは。
 〝そういった匂い〟がどのような場で設置されるのか。
 知識として、知っていた。

(ここは『寺』。焚かれてたって、全く不思議ではない場所)

 今……F・Fを焦燥に導いているこの匂いが、命蓮寺という施設においてこの上なくマッチしている事実を、彼女は常識として知っている。
 だから、おかしくなんてないのだ。

 その『違和感の無さ』こそが……彼女を余計に絶望の渦中へと背押ししていた。


(だから……お願い。杞憂で、いて)


 匂いの出処は、本堂。
 雪や泥土で汚れた靴でも構わず階段を二段飛ばしで駆け登り、目の前の大きな扉を勢いよく開く。


 誰も、居なかった。
 内部もしんとしており、孤独感は一層と増幅する。
 コツコツと靴の音を響かせ、F・Fは一直線にして部屋の奥へと歩を進めた。

『匂い』の正体が、目視できた。
 線香であった。仏壇があるわけでもないのに、独特な香りがだだっ広い畳の空間を埋め尽くすようにして漂っている。

 F・Fはこの香りがどのような場で使われるか、知識として知っている。
 線香とは、故人を弔う場で焚かれるものだ。
 死者を想い、悼み、供養する場所で灯される、神聖なものだ。
 線香の煙から昇る煙は、天上と現世を繋ぐものだという考えもある。決して生者が乱雑に扱っていい代物ではない。
 その聖なる煙をF・Fは、打ち払うようにして鉢ごと薙ぎ払った。
 畳の上には音を立てて転がる灰と、三本の線香。F・Fはそれらに見向きもせず、震える両膝を床につけて座り込んだ。


 長方形の白くて大きな『箱』がひとつ、鎮座していた。
 無論のこと、佇むようにあげられた線香の火はその箱───棺に向けて、であった。
 棺と線香。こんなセットが会場に予め設置されていたとは考えづらい。

 考えるまでもない。
 弔ったのだ。
 『誰か』が、『誰か』に向けて。

 F・Fがこの地に足を運んだ理由は一つだ。
 瀕死の霊夢、承太郎を霧雨魔理沙空条徐倫の二人に預け、この場所へ向かうよう八雲紫が指示していたからだ。
 事が順調であれば───あくまで彼女達にアクシデントの類いが発生していなければ。
 この寺院には彼女ら二人と、霊夢・承太郎が居なければおかしい。または、既にここを出立しているか。であるならば、F・Fは急いで此処を出て四人を追うべきだ。

(四人は既にここを出ている。それが最も可能性の高い、結論)

 こんな、寺に置かれても不思議なんて無いような棺ひとつ。
 気にするまでもない。ゆえに、開けて中身を確認するなど不合理な行いだ。
 それがたとえ線香をあげられ、弔いの形跡があろうとも。
 自分には、関係ない。
 蓋を開ける必要など、ない。

(〝覗く〟だけ……。ただ、中身を見るだけ。十秒と掛からない、なんてことの無い確認)

 棺の蓋に、手をかける。
 中身なんて見なくていい。
 見てはいけない気がする。
 見れば、絶対に後悔する。

 心中を迸る懇願とは裏腹に、その手は止まってくれない。
 F・Fの目はいよいよ固く閉じられた。迫り来る現実に耐えきれずに。
 自分にとっては生命線である筈の体中の水分という水分が、冷や汗となって体外へと一斉に放出されていく。下手をすれば骸がひとつ、此処に増えかねないほどに。
 呼吸も荒かった。これほどに苦しい感情を経験したのは、初めての事であった。
 呼吸に続き、鼓動もうるさい。閑静とすべき空間であるはずなのに、こんなにも雑音で溢れ返っている。
 こんなにも狼狽える自分など、あってはならない事だ。
 だが、もっと『あってはならない事』の予感が、F・Fの手をそこから先へと進めさせなかった。
 情けないと思う。腹を立てるべきだとも思う。
 たかだか人間如きに。
 しかもその人間は、ついさっき知り合ったような相手だというのに。

 それでも。だとしても。

 F・Fは、博麗霊夢を失いたくない。
 空条承太郎を死なせたくない。
 二人でないならば、もはや誰だっていい。
 なんなら魔理沙や徐倫が代わりに入っていればとすら思う。

 恐怖。それは今日まで『フー・ファイターズ』が理解し得なかった感情だ。
 生物として、命を失うことへの忌避感が無かった訳ではない。
 だが己の本質に執着を持たなかった彼は、真の意味で恐怖する事は今までなかった。


(中に『誰か』が収まっている。
 ───死んでいる。
 赤の他人なら誰でもいい。二人じゃなきゃ、誰だって)

 死んでいる。死んでいる。死んでいる。
 中にいる『者』は、確実に死んでいる。
 その事実が、今は何よりも恐怖だった。
 自分の生にすら無頓着であったクセに。
 今は他人の死が、こんなにも恐ろしい。
 頭がどうにかなってしまいそうだった。
 死神の足音は、すぐ隣にまで来ていた。
 これ以上、ここに留まりたくなかった。
 鼻をつく線香の匂いが、鬱陶しかった。
 蓋に掛けた手を、すぐに引っ込めたい。
 けれども、それすら出来ずに動かない。
 たくさんの『もしも』が、頭を駆けた。
 もしも中身が二人のどちらかだったら。
 もしも二人の内どちらでもなかったら。
 もしも線香の匂いに気付かなかったら。
 もしも地下で八雲紫と会えなかったら。
 もしもディアボロから殺されていたら。
 もしも館の時点で二人が死んでいたら。
 もしも霊夢と承太郎に会わなかったら。
 私は私でなくなっていたかもしれない。
 今の私があるのは二人のおかげだった。
 二人がいたからこうして今の私がある。

 二人を失えば、私が私じゃなくなる。

 私じゃない私なんて、意味が無い。

 フー・ファイターズは、消える。

 霊夢と承太郎あっての、私だ。

 私に命を与えてくれたのは。

 DISCなどではなく、彼ら。

 守らなければならない。

 二人の命を私自身が。

 己自身に課した命。

 だから、お願い。

 誰でも、いい。

 他人ならば。

 誰だって。

 だから。

 霊夢。

 承───













▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
ワムウ
【午後】E-4 命蓮寺 廊下


 万を生きる男にとって、人間の歩んだ歴史など矮小に等しく。
 どれ程に営み、繁栄を遂げていたとしても、ワムウからすればそれは三日天下の様な感慨でしかなかった。
 いずれは……いや、もはや近くにも主達は赤石を手に入れ、本格的に地上へ乗り出す。
 そうなれば人間共の抵抗など、どれだけ数を寄せたところで鎧袖一触に過ぎない。滄海の一粟とはこの事を謂うに違いないと、ワムウは板敷の廊下を踏みしめながら一人嗤った。
 立派に建築されたこの寺院も同じだ。人の由緒があろうがあるまいが、彼にとってはさほど興味を惹かれる対象とはならなかった。
 基本的には無力である人間が何かを謳うのであれば、過去を誇示する他人の歴史ではなく、せめて未来へ繋ぐ抵抗の牙であって欲しいと。
 生粋の武闘派であるワムウは、人の在り方に悲観する。

「無論、ただ縋るだけの人間(クズ)ではない者だっている。おれの本懐は、そういう血の通った人間と相見えることのみで満たされる」

 瞼の裏に焼き付くは、かつて再戦を誓わせた波紋使いの人間。名をジョセフ・ジョースターと言った。
 それでなくともこの会場には、ワムウの血を滾らせる猛者がまだまだ蠢いている。彼らと拳交わすことを思えば……自然と四肢にも力が入るというものだ。

「───フン」

 一息に、我が路を塞ぐ一枚の扉を押し破った。この寺の数多の扉は引き戸が殆どで、ワムウにとってはあまり馴染みがない建築式であった。いちいち上品に横へ開く扉など洒落臭い。男は大して力など込めず、毎回こうして扉をフワリと砕きながら散策している。
 何枚目かの扉を破って辿り着いたそこは、いわゆる本堂と呼ばれる部屋だろうか。さっきから気になっていた妙な香りは、その部屋から漂っていたものだ。

 そして、妙な気配も。




 カチ コチ カチ コチ




 部屋の中は薄暗かった。
 ワムウから見れば奥にある、屋外へ繋がる大きな扉は開かれており、外の僅かな日光と白雪の塊が内部に漏れていた。
 大きな柱に掛けられた時計の音のみが、この静寂な空間の中で唯一『生きた』響きを保っていた。
 しかし、その音色も何処か弱々しい。近い内に寿命を迎えるのだろうなと、漠然な予感が過ぎる。




 カチ コチ カチ コチ




 侵入者ワムウは軽く内部を観察し、間取りを確認する。太陽光を苦手とする彼が日中帯にて動く場合、当然周囲の環境には逐一意識しなければならない。そして、この部屋には男の動きを阻害する日光の差し込みが極めて薄い。

 暴れるのであれば、条件十分であると言えた。

「女か」

 勿論ワムウは真っ先に気付いている。
 この部屋に動く物体は壁掛け時計の秒針と振り子のみであり、注意していないと〝そこ〟に女がひとり突っ伏している光景には中々気付けない。
 それぐらいに女の存在感は酷く希薄であった。まるで彼女を取り巻く『時間』が停止しているみたいに。

 女は足を崩し、何やら大きな箱の中身に上半身を重ねていた。
 それが『棺』なのだと理解したワムウは、こちらに背を向けて動く気配のない少女のすぐ背後へと回る。

 寝ているのではない。
 かといって、死んでるでもない。

「呆けか。余程その骸が大事と見える。こうまで接近しても微動だにせんとは」




 カチ コチ カチ コチ




 来訪者の言葉にも耳を貸さない様子。返事を返したのは、女でなくやはり時計の刻みだった。
 棺の中身は予想した通り一人の人間───体格の良い男の亡骸だった。グズグズに焼け焦げた制服らしき衣装とは相反し、その遺体には殆ど外傷や火傷の痕も見えない。
 西洋の給仕服───所謂メイド服を着た女は、傷一つ見当たらないその亡骸の胸を抱くようにして顔を埋めている。
 家族か、恋人か。それはワムウの知る所ではないし、どうでもいい。

 〝どうでもいい〟。
 しかしその感情は、ワムウが女へ向けたものだけでなく。
 女の方こそがワムウへと向けている感情に違いなかった。

 そこで呆けている女に、辛うじてと呼べるほどの意識が残留している事には気付いていた。そして自分はこうして声まで掛けている。
 女の反応は、それでも皆無。
 間違いなく、このメイドはワムウへ対して「どうでもいい」といった無関心を貫いている。
 あるいは、それすらも貫くほどの余裕を失っているか。

 どちらにせよ、その態度はワムウの視点から見れば不服であった。
 怒りを買うほどではなくとも、小さく見ていた人間の女如きに無視されるという非礼。ここまでされて彼女を見逃せるほど、ワムウの尊厳は安くない。

「背中から闇討ちのような真似はおれもしたくない。せめてこちらを向けィ」




 カチ コチ カチ コチ




 依然、反応無し。
 無力な女子供ならば主の目がない今、看過もやむ無しとは考えていたが……この女には生きようとする『意思』が感じられない。武に生きる男の目には、それが腹立たしく映った。
 腑抜けをなぶりものにする趣味などワムウには無かったが、この会場において生かす意味も無い。

 面を見せようともしない女へと、ワムウは排除の意思を固める。
 ミチミチと、振り上げた腕の血管がはち切れんほどの膨張を開始する。幾人もの人間を掃滅してきた、暴風の如き薙ぎ払い。その予兆の産声である。

「戦闘、逃走の意思……無しと捉える。悪く思うなよ」

 圧力を込めたワムウの右腕に吸い寄せられるように、室内中の大気と線香の煙が集中した。柱と空気の軋む音が、これから生み出される破壊の暴力性を物語っている。
 小娘ひとりに放つ威力としては充分以上。確実に一発で沈めるには腕一本で事足りる。


 女は、この期に及んでこちらを一瞥もしない。


 殺気を込めた腕とは裏腹に、ワムウの表情からは一気に脱力感が溢れた。僅か程度には〝期待〟していたが、女が自失から復活する事はとうとう無かったからだ。


 自らの性(さが)である、闘争本能。
 それが発汗と同時に終息したワケは。
 事が無事〝成された〟からではない。
 まるで予想外の光景があったからだ。




 ボーーーーーーーーーン……




 壁掛け時計の長針が、真下を知らせた。

 『時』が動き出したのである。








「…………………………………………?」




 何が起こったのか。
 止まったかと思われた少女の『時』が、動いていた。
 ワムウはこの光景をそう比喩するが。
 それが比喩でも何でもない事を知るのは、少女のみであった。


「キサマ…………今、何をした?」
「………………………………………。」


 メイドがいつの間にか───そう、本当に『いつの間にか』……動いていた。

 蹲っていただけの女は、風を切断する程のワムウの攻撃地点からいつの間にか消失し、瞬時にして5m程の間合いを取って立ち竦んでいた。
 置き土産と言わんばかりに、振り抜いたワムウの腕には銀色のナイフが一本、直角に突き刺さっていた。
 歴戦の猛者として腕を慣らすワムウの死線を掻い潜った上でやってのけた、唯ならぬ精巧な技芸。

 今までの女の状態とは一線を画す、目を見張る『別人』。
 噴き上がる警戒心を身に纏いながら、腕に立てられたナイフを抜き捨てる。
 ワムウは終息したはずの闘争心を再び滾らせ始め、女に対する認識の甘さを瞬時に切り替えた。

「ただの女では無かったようだな。キサマ……何者だ?」
「……わたし? 私は、わたぁし、は……十六夜、咲夜……なのか。それとも───」

 ……十六夜咲夜?
 聞いた名だった。記憶通りならば、確か放送にて初期の方に呼ばれた名前。つまり、亡者の名だ。
 あからさまな虚偽だと、普通なら考えるかもしれない。しかしワムウは前回の放送で挙げられた死者の名と、廃洋館にて自ら始末した射命丸文の矛盾……名前の不一致問題を抱えたままである。
 現状未解決の謎。それと同様の矛盾を新たに背負い込んだ所で、今はどうしようもない。頭の片隅には入れておくが、まずは女への対処が目下の仕事だった。

 咲夜と名乗ったメイドは、うわ言のようにボソボソと囁いている。心ここに在らずなのか、未だにワムウへ対して関心は薄い。
 少なくとも一撃で沈めるつもりで打ったワムウの攻撃を避けておきながらこの不遜な態度。彼女の業前に見事だと称賛を入れたい反面、やはり悪印象は変わらない。

「言葉は通じるか? 会話もままならんのでは、路上喧嘩と武闘の狭間に境界など無くなる」
「……喧嘩? アナタは私をどうするつもり?」
「おれの目的は強者と相見えること……つまり喧嘩などではなく、武闘の方だ。咲夜とか言ったか。お前は少し、普通の人間とは違うな」

 初めて意思の疎通が噛み合った。女はその銀髪を掻きあげ、ようやっとワムウへ対面する。
 双眸に宿る意思は鋭く研ぎ澄まされてはいた。相応の修羅場を潜ってきた者特有の眼差しだと看取できるが、それ以上に『違和感』がある。
 同じ人外である柱の一族がゆえの観察眼。肌で感じる僅かな違和感が、メイドの正体を朧気ながらも悟った。

「なるほど。そもそも、『人間』ではないらしいな。お前は」
「アナタの言う〝武闘〟は、人間とそうでない者の狭間に境界を設けて、区別するのかしら」
「その台詞は、果たし状を受けると解釈してもいいのか?」
「……冗談。決闘ごっこなら、相手は選んだ方がいい」

 白痴状態から一転。覚醒した女が囀る会話の節々からは、ワムウへの明確な敵意と……揺るぎない自信がひしひしと見て取れる。

 しかし歴戦の強者であるワムウの眼から見た〝それ〟は、揺るぎないどころか、か細くブレるロウソクの灯火にすら見えた。
 敵意はあるが、戦意は無い。試合前の荒口上……煽り合いの形を取ったこの会話という殻に、中身など然して存在しない。
 そして、ヒトの皮を被った目の前の殻にも……中身など感じ取れない。

 ───少なくとも、武人であるワムウが求めるような、大層な中身は。


「───5秒」
「…………? それは何の数字だ」
「さっきの『5秒』で、私はアナタを『5回』は殺せていた」
「……下らんハッタリだ。ならば何故、それをやらなかった?」
「アナタに構っている余裕は、なくなった。私は、護らなければ、いけない」



 言葉を終えた、その間際には。

 先と同じく、女の姿は風のように消えていた。

 風使いであるワムウをして、察しようがない動きだった。


「…………ふん」


 消失した女の足取りをワムウが追う術は無い。
 本堂の外にまで出て行ったのだろうが、陽が落ちるにはしばし早い時間帯だからだ。

 それよりも幾つか気になる事柄ができた。


 ───奴の離脱は……風使いであるワムウをして、察せなかったのだ。


(それがまず不可解だ。初めの時もそうだったが、理屈に合わん動きだった)


 今。そして攻撃を躱された最初の時点でも。
 肉眼で捉えきれないスピードであったにもかかわらず、ワムウの鋭敏な肌には〝風ひとつ〟感じられなかった。自分の専門分野での異常だ。明らかに納得がいかない。
 単純なスピードでの行動であればどれだけ速くとも───寧ろ速ければ速いほど、大気中に発生する風の振動とは幅が高まるというものだ。肌の肉体反応がその速度に追い付けるかどうかはまた別問題としても、吹き起こった風そのものを認識出来ないというのは筋が通らない。

 全くおかしな理屈となってしまうが、あのメイドは〝その場を動かずにして動いた〟……そんな不思議な体験だった。

 気になる事柄はそれだけに終わらない。
 奴は去り際、「さっきの5秒で5回は殺せていた」などとほざいていた。
 まず間違いなく虚仮威しの台詞だが、ワムウにはその『5秒』という言葉の意味合いが掴めずにいた。
 〝さっきの〟という部分は、もちろん女を背中越しに仕留めようとした時だろう。だがワムウが腕を振り下ろす所を始点とし、気付けばナイフが刺し込まれていた場面を終点とした間隔は、5秒どころか秒にも満たなかった筈だ。

 何を以て『5秒』などとほざいたのか。
 ただのハッタリであり、数字に深い意味は無い……とも考えれるが。


(この『現象』……カーズ様が仰っていた、吸血鬼DIOとのやり取りと状況が似ている)


 話には聞いていたDIO。我が主が紅魔館にて交じった男の齎した、謎の現象。
 瞬間移動のようであったと主は話していたが……ワムウは十六夜咲夜を介し、間接的にDIOと〝酷似した異能〟を体験出来た。
 無論、DIOの謎に関しては『主の体験談』という、所詮は人伝。ワムウが体感した印象との齟齬もあるだろう。
 曖昧な主観で断定するには少なすぎる材料。『解答』を直接尋問しようにも、女は既にワムウの行動範囲外。
 何よりその謎の解明は、現在サンタナに委任されているのだ。今ここでワムウが無理に出しゃばる領域でもない。

 従ってワムウには、この場においては撤退以外の選択は残されていなかった。
 彼にとって不服なのは、この選択肢の少なさがあのメイドによって〝狭められた結果〟という点も少なからずあった。


「おれもまだまだ浅かったということだな。お前はどう思う? ……名も知らぬ戦士よ」


 己が意識の浅さに対する自戒であり、決して女への称賛ではない。
 どちらにせよ、奴の心境は焦りに焦っていた。形はどうあれ、こうして尻尾を巻いたのだから内心を推し量るまでもないと。

 ワムウは行き場のなくなった闘争心のやり場を決めかねるようにして。

 ふと。
 燻っていた眼光を、棺に眠る仏───名も知れぬ戦士へと手向けたのだった。
 何処かで見たような顔だという既視感は、そのまま虚空へと霧散した。



 事の最中に。
 偶然的、あるいは運命的にその寿命を全うし終え。
 二度とは時の刻みを再開すること叶わぬ柱時計の存在に気付けた者など、居なかった。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
【E-4 命蓮寺 本堂/午後】

【ワムウ@第2部 戦闘潮流】
[状態]:疲労(中)、身体の前面に大きな打撃痕、右腕に刺傷
[装備]:なし
[道具]:基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:掟を貫き、他の柱の男達と『ゲーム』を破壊する。
0:収穫が無いようならば一旦帰還。
1:空条徐倫(ジョリーンと認識)と霧雨魔理沙(マリサと認識)と再戦を果たす。
2:ジョセフに会って再戦を果たす。
3:『他者に変化させる、或いは模倣するスタンド』の可能性に警戒。(仮説程度)
[備考]
※参戦時期はジョセフの心臓にリングを入れた後~エシディシ死亡前です。
※カーズよりタルカスの基本支給品を受け取りました。
※スタンドに関する知識をカーズの知る範囲で把握しました。
※未来で自らが死ぬことを知りました。詳しい経緯は聞いていません。
※カーズ、エシディシ、サンタナと情報を共有しました。
※射命丸文の死体を補食しました。
※柱の男三人共通事項
  • F・Fの記憶DISCで六部の登場人物、スタンドをある程度把握しました。
  • 『他者に変化させる、或いは模倣するスタンド』の可能性に警戒してます。
 ただし、仮説の域を出ていないため現時点ではさほど気にしません。
  • 大統領が並行世界の射命丸文の片翼を回収したことには気づいていません。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽




 空条承太郎が、死んだ。



 F・Fの脳へ取り憑いた事実は、自分で思う以上に少女を昏迷へと導いてしまった。
 もはや一刻の猶予もないと痛覚した。
 あの場に置かれた棺の数が……もしも『二つ』であったなら。
 もしも……『博麗霊夢』の亡骸まで添えられていたのならば。

 今、自分はどのような行動を取っていたろう。
 少なくとも、これまでに得てきた全ての価値観は音を立てて崩壊していただろう。

 ホワイトスネイクにより一方的に与えられた『DISCの守護』という、使命感のような何か。
 今思えば訳のわからぬ命令を、我が唯一の使命なのだと機械的にこなす仕事ぶりは、客観的に見れば滑稽の極みだったろう。産まれて初めて見た物を親だと思い込む、鳥の刷り込みとさして変わらない。
 生涯翻弄されたままであったろう自分。霊夢と承太郎は、あの泥沼の中から掬い上げてくれた。

 いつしか二人は、F・Fにとって護るべき対象へと昇華した。
 彼女らの隣は、不思議なことに心地好い場所にも思えてきた。幸福感ではなかったが、満足があった。生き甲斐だと言っても良かった。
 虚無感の中で。無個性のままに。DISCをただ守るだけの空っぽだったかつてとは、世界が違って見えた。

 初めて、自己が芽生えた。
 本当の意味での、自分。
 産まれたばかりの自己を、失いたくないと願った。
 F・Fにとっての『死ぬことへの恐怖』は、即ち自己を失うことへの恐怖と同義。

 それが、霊夢と承太郎。
 かけがえのない、宝物。
 その片割れが、バラバラに砕け散った。



 空条承太郎が、死んだ。



 事実を形として初めて知覚した、その瞬間。
 自分の中で刻まれ続けてきた『針』が、停止した。
 失うということは、これ程に恐ろしく。
 そして冷たい、孤独な痛みなのだと。

 なりふり構っていられないと、痛感した。
 F・Fに残ったものは、今や博麗霊夢しかなかった。
 彼女に仇なす者は、どんな手段を使ってでも抹殺しなければと誓った。

 それがたとえ、この『十六夜咲夜』にとって近しい……あるいは大切な相手であっても。


「霊夢…………霊夢…………霊夢…………ッ!」


 白雪の上を駆け抜ける足取りは、ここへ至る時とは同じ速度ではありながらも真逆だと言えた。
 一直線に向かう目的地は不明瞭である。しかし彼女の意思は、霊夢という、もはや唯一となってしまった拠り所に引かれるようにして鼓動を打つだけだ。

 霊夢は、ホワイトスネイクに縛られていたF・Fへと『自由』を与えた者の名だ。
 博麗霊夢という究極の自由が、誰かに脅かされる事などあってはならない。
 承太郎の亡骸があの寺院で丁寧に弔われていたという事は、逆説的に考えれば霊夢は存命なのだ。

 駆けつけて護るには、まだ間に合う。
 手の届く場所に、きっと彼女はいる。
 護らなければ。今度こそ、護らなければ。


「霊夢…………霊夢は…………霊夢、が……ッ!」


 言葉のていすら紡がれていない文脈が、息と同時に喉から溢れ出す。もはや留まることを知らなかった。
 先程の大男。危険な空気こそあったものの、優先すべきは霊夢の護衛だと、あの場では捨て置いた。
 5秒で始末できる、などと大言を吐いてはみたものの、当然ながらハッタリもいい所だった。幾ら時を止めたとしても、恐らく苦戦は必至だったに違いない。
 それぐらい、奴と自分との『生物』としての格に壁を感じた。アレは人間の皮を被った、怪物だ。

 ただ……自分の。
 いや、正確には十六夜咲夜の肉体が持つ『時を止める力』の覚醒を感じた。
 以前までの1秒か2秒という短時間から、一気に5秒は止めていられるという確信があった。この確信が、ハッタリのような形で思わず口をついてしまったのは余計な行為だったと、今になって後悔する。
 覚醒の切っ掛けが何かは考えたくなかったし、必要性も感じない。

 この『5秒』という時間は、空条承太郎が全盛期中に止められた停止時間だと、彼女は知らない。
 そこに因果関係などない。何より彼は、もうこの世には居ないのだから。

 5秒間、時間を止められる。
 今はその事実だけで充分。
 この力さえあれば……『敵』を排除するには事足りる。


「だから、無事でいて。───霊夢」


 女は出鱈目に時を止めながら、走り続けた。
 呼吸をおいて、5秒。
 またおいて、更に5秒。
 強引に。
 残った寿命を出力するように。
 絶えず進みゆく時間の針から置いていかれることを、恐れるように。


 着々と、焦がれる人物との距離を縮めて行った。
 そこに敵が居るのならば……彼女の中に、もはや躊躇出来るほどの心の余裕なんか、ありはしなかった。


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【E-4 命蓮寺への道/午後】

【フー・ファイターズ@第6部 ストーンオーシャン】
[状態]:十六夜咲夜と融合中、余裕ゼロ、体力消費(中)、精神疲労(大)、手足と首根っこに切断痕
[装備]:DIOのナイフ×10、本体のスタンドDISCと記憶DISC、洩矢諏訪子の鉄輪
[道具]:基本支給品(地図、懐中電灯、時計)、ジャンクスタンドDISCセット2、八雲紫からの手紙
[思考・状況]
基本行動方針:何をおいても霊夢を護る。
1:霊夢の捜索。
2:霊夢を害する者の抹殺。
[備考]
※参戦時期は徐倫に水を掛けられる直前です。
※能力制限は現状、分身は本体から5~10メートル以上離れられないのと、プランクトンの大量増殖は水とは別にスタンドパワーを消費します。
ファニー・ヴァレンタインから、ジョニィ、ジャイロ、リンゴォ、ディエゴの情報を得ました。
第二回放送の内容を知りました。
※八雲紫らと情報交換をしました。
※「八雲紫からの手紙」の内容はお任せします。
※時間停止範囲は現在『5秒』です。


199:紅の土竜 投下順 201:Яessentimənt
198:Run,Araki,Run! 時系列順 204:ビターにはなりきれない
178:虹の先に何があるか フー・ファイターズ 201:Яessentimənt
187:災はばらまかれた ワムウ :[[]]

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最終更新:2020年11月05日 18:13