アットウィキロゴ
kairakunoza @ ウィキ
掲示板 掲示板 ページ検索 ページ検索 メニュー メニュー

kairakunoza @ ウィキ

最後のパズルピース

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 目の前で深緑の瞳を濡らす小柄な少女は嗚咽を耐えながら必死に言葉を紡ごうとしていた。中々形成されないそれがちゃんと形成されるのを、私は心の何処かで逃避的な考えを持ちながらただ待っている。聞くのが怖いのかもしれない。それを聞いた時、私達の今までの関係は積み上げられた積み木を崩すかの如く簡単に音を立てて壊れてしまいそうだったから。
 でも、私の中にある大きな額に収められて行くバラバラだったピースは確実に着々と合わさっていて、それは一番最後の歪な形をした物だけがきちんと嵌まらないのも確か。いや、最後のピースは見つかっていないのだ。それが見つかり、嵌まるのかどうかは、未だ形成されない言葉を聞いた時に分かるのだろう。








     最後のパズルピース







 暑い夏の真っ只中、私は薄手のシャツをパタつかせながら申し訳程度の微風を自身に送っていた。家のエアコンはこの暑さに耐えかねたのか、逃げるようにして呆気なく故障してしまった。今は部屋の壁の片隅で涼やかな風を提供する事もなく佇んでいる。
 かなり昔から放置されていた年代物の扇風機も押し入れの奥から出してみたけど、それもやはり灰色の埃に覆われていて、頑張って掃除したのに本来の役割を果たしてくれる事は無かった。私が磨いたお陰でクリアな姿を取り戻した扇風機もエアコン同様に部屋の片隅に追いやられて翳っていた。
 猛暑の中で何も冷房器具が無いのはかなり大変なものがあるけど、だからと言ってどうしようも出来ない事なので、私は無意味にしか思えない団扇の代わりの手を自分に向かって振っている。開け放たれた大きな窓から時折入り込む風は、この暑さに拍車を掛けるように、本当に時々しか流れて来ない。
 私は身体中に滲んで来る暑さの感覚に全てのやる気を奪われながらも畳に寝そべりながら随分と老朽化が進んだ家の天井をぼんやりとしながら眺めていた。既に思考を持つ事を諦めた私の脳は最早自動的に動くようになってしまった手をただ動かし続ける事だけを命令しているかのようだった。
 私一人しか居ないこの部屋に存在する音は遠くの方から届いて来る喧しい蝉達の喧騒だけ。お父さんはきっと自分の部屋で締め切りに追われながら執筆に勤しみ、私の従姉妹であり、本当の妹のような存在のゆーちゃんはこの暑さにも関わらず夏休みの課題をやると言っていた。そんな事が出来る精神が心底尊敬出来るけど、これではどちらが姉なのか分かったものではないな、と私はぼんやりした頭の中で客観的に思っていた。
 夏休みも半ばに差し掛かり、柊家はたまの家族全員の休みが重なった事により伊豆の方まで温泉旅行に赴いているらしい。電話で語られた羨ましい計画は記憶に新しい。友人が気持ち良さそうに温泉に浸かっている所を想像すると自然と溜め息が零れた。みゆきさんは毎年恒例の海外旅行中、つまり、私は折角の夏休みの一時を誰と過ごすでもなく一人で持て余しているのだ。
 宿題をやろうか、と幾度となく思ったけど、机の上に重なる分厚い問題集とその中に詰まる数式の山を思い出すと、どうにもやる気が起きず、結局行動に移す事は出来なかった。ネトゲをやるにも、暑さにやられた所為か私のパソコンは電源を入れてもディスプレイは黒を映すだけで。その所為でやるべき事以外のやる事なんて何も見つからなかった。

「はぁー……」

 今の自分の状況を第三者の目で見る私が肺の中の空気を全て出すような長い溜め息を吐き出した。聞いてるだけで嫌気が差すようなそれも、私は赤の他人のような目で見ている所為で自分がしているとは思えない。何故にこんな卑屈な精神状態に私が成り果てているのかと言えば、それは責任転嫁も甚だしい理由なのだけど、ゆーちゃんがここ最近私を避けるような素振りを見せているからだった。
 一番最初に異変に気付いたのは夏休みが始まって、数日が経った後。私が暇を持て余していてゆーちゃんをゲームに誘ったりしていたのだけど、その全てをゆーちゃんはことごとく「宿題やらないといけないし……」と歯切れの悪い理由を付けて断っていたのだ。
 何時もなら私には眩しいくらいの純真無垢な笑顔を向けながら、良いよ、と言ってくれるのに、明らかに不自然な態度を取られては避けられていると思わざるを得ない。何せ、宿題をやらなければならない、と言う理由だけをずっと使い続けているのだから、いい加減に課題は全て片付いている筈なのだ。
 考えようによっては中々片付かない程の難易度を秘めた課題で、そのお陰で時間を喰っている、とも思えるのだけど、ゆーちゃんに限ってそんな事は無いように思う。分からない所があればみなみちゃん達に聞いたりしている筈だし、とっくに片付いていると思うのが妥当な判断だ。だから『責任転嫁も甚だしい』と思っているのだけど。
 ゆーちゃんが嘘を吐くのが苦手だと言う事は誰より私が知っている。そんな私から見て、ゆーちゃんが言っていた理由は嘘以外の何物でもなかった。
 未だ鳴り止まない蝉達の合唱は私の気分とは正反対に楽しそうに聞こえる。それがまるで手持ち無沙汰な私を嘲笑う嘲笑のように聞こえてしまって、私は仰向けだった体を反転させてうつ伏せになった。懐かしいような、そんな畳の匂いを嗅ぎながら私はデフレスパイラルになりかけている思考を何とか止めようと目を瞑る。そうしても気分は更に憂鬱な方向に向かうだけで、気は滅入るばかりだった。
 いっそこのまま微睡めたら良いのに、そう思いはしても現実はそんな簡単には行かなくて。蝉達の嘲笑は眠りに就く事も許さないのか暑さと一緒に私に纏わりついていた。ああ、もう、少しは空気を読んで欲しい。それを心地よく思う人達が居る事も分かっているのに、私は恨めしげな思考を離せなかった。
 今、ゆーちゃんがあの笑顔を称えながら私に話しかけてくれたらこんな憂鬱な気分も一気に吹き飛ぶだろうに、二階から下って来る足音も聞こえなければ、家の中に他に誰か人が居るのか、と疑ってしまう程にここは静かだった。もうどうにでもなってしまえ、そんな意味の分からない投げやりな考えのまま私は昼寝に興じようとする。無駄だとは分かっていたけれど。
 どれだけ時間が経ったのか、もしかしたら一分も経っていなくて、もしかしたら数時間は経ったのか、後者だったら良いな、と思い始めた私の耳は変わらず蝉の合唱を聞き取っていた。変化も何もない、その声に苛立ちが募っていたそんな時、忘れかけた声は私に届いた。本当に久し振りだ、そう感じられる優しい声。
億劫ながら頑張って顔を上げるとそこには微笑を称えたお父さんが焦げ茶色の透き通った液体が並々と注がれたコップを乗せた盆を持ちながら立っていた。

「この暑さもキツいよなぁ。お父さんの特製、暑さも吹っ飛ぶスペシャル麦茶でも飲むか? きっと元気出るぞ」

 何の変哲も無い麦茶の何処が特製なのか、聞こうと思ったけど、これもお父さんなりの気遣いなのだろうから、私はその疑問を喉の奥に押しやって飲み込んだ。向けられた好意は甘んじて受け取るべきだ、丁度喉が乾いていたのも手伝って、私は長い事動かしていなかった体を主に腹筋を使って持ち上げた。
 来たのがゆーちゃんじゃなくてお父さんだった事が少しだけ残念だったのは私だけの秘密だ。口を滑らしてしまえばお父さんは部屋の中から数日は出て来ないだろう。多分お母さんの写真を見ながら「母さん、こなたがとうとう親離れしちゃったよ」とか呟いてそうだ。容易に想像出来るのはやはり長い間お父さんと二人で暮らしていたからだろう。

「ん、ありがと、お父さん」

 そう言って私はお父さんから麦茶の入ったコップを受け取った。ひんやりと冷たいコップの中には何個か氷が入っているみたいで、手に持つとカランと小気味良い音が鳴った。気温との差で生まれた水滴が手に染み込むようで気持ち良い。
 こういう時、一気に飲んでしまうと勿体無い気がしてならないので、私は少しだけの量を口に含んでそれを存分に味わってから喉に通した。火照った体に有難い冷えた麦茶は私の色んな所を癒して胃袋に収まる。憂鬱だった気分も少しだけ晴れた気がした。

「じゃあ、俺は仕事しないといけないから。もう一つはゆーちゃんのだから、こなたが渡しに行ってくれな」

 コップをテーブルの上に置いた後、お父さんは微笑んでからそう言った。何でわざわざ私に、その理由は聞かなくとも直ぐに分かった。お父さんの笑顔は心配そうな色が見え隠れしていたから。私とゆーちゃんの間に流れる微妙な雰囲気を朧気ながら知っていたのだろう。だから、これは気を使ってくれている、と理解するのは早かった。それが私にとって良い事なのか悪い事なのかを思えばそれは分からなかったけれど。
 それでも折角くれた機会だし、私はそれを良い事の方に受け取る事にした。お父さんに了解の意を伝えると、お父さんはそそくさと部屋に戻って行った。本当に締め切りが危ないのだろう、どことなく焦っているのが背中越しに伝わって来た。
 それを見届けて、私はテーブルに乗せられた自分のコップを盆の上に乗せ、持ち上げるとゆーちゃんの部屋に向かった。部屋を出ると、風通しの良かった居間とは違うムンムンとした熱気が立ち込める台所を通って二階への階段を登る。やはり長い間住んで居るこの家は少なからず老いて来ているのか、一歩一歩進む度に軋んだ音を立てた。
 ゆーちゃんの部屋の前、私は深く息を吸い込んでそれを吐き出す。家族同然の付き合いをしているゆーちゃんに会うのに緊張するなんて馬鹿げているけど、溜め息と一緒にこの緊張感も全て吐き出して何時もの私に戻れれば、と思うとそれも合法に思える。大して効果が得られなかったのが悲しい所だけれど。

「ゆーちゃん? 入るよ」

 扉を数回ノックして、私はゆーちゃんの返事が来る前に扉を開く。もしもこれで入って来ないで、なんて言われたらきっと私は立ち直れないから、返事は聞かなかった。入ってしまえば何とかなる、そんな私の大雑把な性格がそうさせたのかもしれない。
 部屋に入ると、そこは何処とも変わらない暑さに満ちていた。綺麗に片付けられた内装はいかにもゆーちゃんらしく、ベッドの枕の方に飾られた縫いぐるみ達は物も言わずに座っている。こういうのを飾っているから、ゆーちゃんは萌え要の塊なんだ、そんな場違いな事を再認識した。

「お姉ちゃん……」

 ゆーちゃんは机に着いて、何をするでもなくただ窓の外を見つめていた。やはり、私の憶測通り机の上には課題なんて広げられていなくて、机の脇に掛けられた鞄の中に少しだけ終わらせたのだろう課題の束が姿を見せていた。当て付けの理由が嘘なんだ、と思い知らされた時、私の中では悲しさと寂しさが入り混じって言葉にならない感情が生まれた。
 間に流れる暑さは先ほど感じていたものとは全く別物に思える。気まずさ、と言うよりは近付いても大丈夫なのか、と言う不安の塊みたいな境界線が出来ている感じ。だけどここで怖じ気づいてすごすごと退いてしまっては意味が無い。私は固唾を飲み込んで一歩を踏み出した。

「麦茶、暑いからってお父さんがね。ゆーちゃんも飲むでしょ?」

 私は努めて何時も通りを装って言う。この空気が以前のような心地良い空気に変わる事を期待して。でも、ゆーちゃんは小さく頷いただけで、私達との間にある境界線が消えてくれる事は無かった。むしろ、その境界線が色濃くなった気さえしてくる。何がこうさせたのか、全く心当たりが無い私は無言でゆーちゃんの机の上にコップを置く。
 そこで気付いてしまった。コップが乗っていた盆の上にはまだ一つ、麦茶が随分と残ったコップが置かれている事に。紛れもなく私が持って来てしまった私のコップ。何を思っていたのか私は自分の分までここに持って来てしまっていたらしい。自分の失態に気付くと同時にゆーちゃんの目は私の持つ盆のコップに止まっている。引き返せばこの境界線はくっきりと私達の間を隔てそうな気がして、私はどうする事も出来ずにその場に立ち尽くした。

「わっ、私もここで飲んでも良いかな」

 焦燥に駆られる私は言葉をどもらせながらもそう言った。答えを聞くのが限りなく怖かったけど、引き返すのだけは嫌だ。私らしからない勇気を振り絞った頼みに、ゆーちゃんはうん、と言って了解してくれた。
 浮かない顔をしているのが私に不安をもたらしていたけど、この時私は既に決意した。何で私を避けているのか、その理由を尋ねる事を。行動を起こさなければ何も変わらない、と言い残した先人の言葉はどうにも的を射ているらしい。出来る限りのポジティブな思考がもたらした苦肉の決意だった。
 暫くの間、沈黙が流れる。遠くから聞こえる蝉の喧騒はそのままに、私とゆーちゃんの間はただ静寂に満ちていた。何かを話さなければならない、そんな使命感が頭をよぎるけれど、良い話題は全くと言って良い程に私の中には浮かんで来なくて。何時もならどうでもいい話題でさえ楽しい談笑の種に変わるのに、今ではそんな理想すら霞んで見えた。

「あの、ゆーちゃん?」

「……ん?」

 名を呼べばゆーちゃんは返事をしてくれる。一拍の間がどうしても気になってしまうけど、今は何とか気にしないようにした。私は麦茶を口に含める分だけ含んで一気に飲み込む。許容量を越えていたのか、飲んだ時に喉が少し痛くてむせかけたけど、それを何とか堪える。蝉の鳴き声がやけに耳に付いた。

「あの、さ……私、ゆーちゃんに何かしたかな。それだったら謝りたいんだ」

 そう言う私の声は微かに震えていて。何がここまで私を怖がらせるのかなんて全然分かりはしなかったけど、私はゆーちゃんの目を見つめていた。私と同じ深緑の瞳が揺れた気がした。不安に、申し訳なさに。
 ゆーちゃんは暫くの間何も言わなかった。それでも揺れる瞳は私を捉え続けていて、だから私もゆーちゃんから目を逸らさなかった。不安に暴れる心臓を抑えつけながら、瞳を固定する。ゆーちゃんの向こうに見える空は私の気持ちとは裏腹に澄みきった青だ。

「……ううん。お姉ちゃんは何もしてないよ。謝る事なんて、何も」

 ゆーちゃんは小さなツインテールを横に揺らしながら呟くような声量で言った。そして、明るい笑顔を私に向ける。以前のような輝くような笑みとは違う、翳った笑顔。無理をして作っているのは傍目から見ても明白で、私が納得出来る筈なんてなかった。

「なら……何で私を避けるの? 最近、ゆーちゃんが私に対して冷たい気がする。ちゃんと理由を聞かせてくれないと、納得なんか出来ないよ」

 私はそこでとうとうゆーちゃんから目を離してしまった。私の瞳が映しているのは自分の手。コップを握る手に力を込めて、白くなっている自分の手。私の心を写したかのようにそれは小刻みに震えていた。

「……」

 ゆーちゃんの返事は無い。下を向いているから表情なんて分からなかったけど、少なくとも「そんな事ないよ」なんて全ての不安を杞憂にしてくれる笑顔と言葉を発してくれるような良い表情をしていない事は痛いくらいに分かった。きっと、私と同じでうつむいている、何故かそう思った。

「ゆーちゃん……私、辛いよ」

 思った事がそのままに、全てを含んで口から放たれた。
 ゆーちゃんが私を避けているのが辛い。
 ゆーちゃんが笑顔じゃないのが辛い。
 ゆーちゃんが私を嫌いになってしまった、そう思えてしまう事が、辛い。

「お姉ちゃん……」

 涙腺が弛むのが自分でも分かる。ゆーちゃんが私を呼んだ、その声がそれに拍車を掛ける。泣くのを必死に堪える私の代わりに、蝉が五月蝿いくらいに大きな声で鳴いていた。積み上げて来た私の心のピースは、今にもその繋がりを全て崩してしまいそうなくらいに脆くなっている。最後の、最後の一つが嵌まれば全てがピッタリになるのに。
 椅子を引く音が聞こえた。ゆーちゃんが立った、それを伝える音。ゆーちゃんは私の前に歩み寄っていた。小柄な私よりも更に小さいゆーちゃんの姿は胸から下だけが見えるけど、その上は私には見る事が出来なかった。夏仕様の薄い部屋着から伸びる白い足が、手が、次第にボヤける。涙が今にも溢れてしまいそうなくらいにいっぱいまで溜まっていた。

「お姉ちゃん……私の話、聞いてくれる?」

 ゆーちゃんの声も震えていて。それは泣きそうだからではなくて、不安と恐怖に心が押し潰されそうで続ける言葉を出す事が怖くて仕方がないからだと分かる。だって、私もそうだったから。ゆーちゃんが私を避ける理由を聞くのが怖くて不安で仕方がなかった。だから、泣きそうになってる。年甲斐もなく、情けなく、子供みたいに。
 私は何かを話そうとすれば代わりに嗚咽が出て来てしまう気がして、声を出さずに頷いた。ゆーちゃんの手が堅く握り締められた。何かを決意した、そう思わせる手だ。きっとこれから続くゆーちゃんの話は私の記憶から未来永劫消え去る事はないのだろう。それ程の決意をしているのだ、ゆーちゃんは。

「私、お姉ちゃんを避けてた。最初は何でか全然分からなくて、一人でずっと考えてたらそれが分かっちゃったの」

 それは何故?
 私が駄目な姉だから?
 何時も茶化す私が嫌だから?
 分からない事を言う私がウザイから?
 続く言葉を聞くより先に、マイナスの思考が私の頭の中を埋め尽くす。子供みたいに大声で泣けたらどれだけ楽だろう。そうしたなら、優しいゆーちゃんはきっと優しく私の頭を撫でてくれて、その先の言葉を告げる事なく私を部屋に帰すのだろう。
 でも、出来ない。
 私はその先の言葉を聞かなければならないから。ゆーちゃんの本当の気持ちを聞かなければ、この先の夜を過ごす事なんて到底出来ないだろうから。
 だから、私は顔を上げた。目に溜まる涙を溢れさせないように、ゆっくりと。ボヤける視界で見たゆーちゃんの姿は、淡い紅色の髪の毛と深緑の瞳が混じり合って輪郭がよく分からない。ただ、言葉を紡ごうと息を吸い込む所はしっかりと分かった。

「私……」

 ゆーちゃんは一気に言葉を告げなかった。その間の所為で、私の目の端から暖かい雫が頬をポタポタと、伝う。それはゆーちゃんの部屋の絨毯に吸い込まれ、滲んだ。気付けば手に持っていたコップの水滴が何滴も落ちていて、その下には水溜まりこそ出来ていなかったけれどそれに近しいものが出来ていた。
 涙が零れたお陰でフィルターが外れたかのように私の視界は先程よりは鮮明になる。ゆーちゃんは、瞳を濡らしながら不安と恐怖と言う負の感情と必死に戦っていた。何度も口を開けて、でも嗚咽が出てしまいそうなのか、それを閉じて。
私の心の最後のピースは未だに見つからない。ゆーちゃんがこれから告げる言葉はこれまで私が完成させて来たパズルを壊すのか、それとも最後の空白を埋めてくれるのか、ともすればそのまま最後のピースを煙に撒いてしまうのか。私はその先に続けられる言葉を、待ち続けた。
 やがて、ゆーちゃんは大きく酸素を肺の中へと取り込んだ。ギュッと握られた小さな拳、堅く瞑られた目、私の心臓はこれまでにないくらいに跳ね上がっていた。

「私……お姉ちゃんが好き。好きで仕方がなかった。でもっ、お姉ちゃんはきっと受け入れられないだろうから、だからっ……私……」

 カチリ。
 何かの音が心の何処かで静かに鳴り響いた。静かな音なのに、脳髄を痺れさせるような大きい音に聞こえるそれは、私の心の最後のピースが嵌まった音。最後の空白の全てを埋めて、私の心を平穏に導く音。
 ゆーちゃんは耐えきれなくなったのか、大きな瞳から大粒の涙を流して、ひっく、としゃくりあげる。ゆーちゃんの想いはどれだけ大きいのだろう。私なんかでは計り知れない程の恐怖と不安に、誰にも相談出来ずに一人でずっと戦って来たのだ。自身の葛藤と、世の中の常識に板挟みにされて、それでも潰せない程の大きな想いを胸に抱きながら。
 強くないんだ、ゆーちゃんも、私も。ゆーちゃんの気持ちに怯えていた私はそ
れを知る強さが無いから涙を流した。自分の気持ちを自分でも受け入れられなかったゆーちゃんはそれを受け入れる強さが無かったから涙を流した。だから、私は──。

「……っ!」

 ゆーちゃんの口から息を詰まらせたような声が漏れる。突然、私がゆーちゃんを抱き締めていたから。強く、強く、壊れてしまいそうなくらいに細く小さい体を、壊さないように優しく。私よりも小さな体は私の腕の中にスッポリと収まる。正しいピースが正しい場所に嵌まるかのように、ピッタリと。
 もう離さない。この先にどんな苦難が待ち受けようと、ゆーちゃんと一緒なら強くなれる。苦難に立ち向かえるだけの、充分過ぎる強さが。だから、私は抱き締めたゆーちゃんの耳元で囁いた。私はこの時の事を決して忘れないだろう。だって、私の心が完成した瞬間だから。これから新しく必要となるピースもきっと見付けられる。私は確信にも似た気持ちで誓いながら、ゆーちゃんを抱き締める腕に力を込めた。

「私も……愛してるよ、ゆーちゃん」

 やるじゃん、お父さん特製麦茶。今は床に置いてあるけれど、これのお陰で私のピースは見つかった。密かな立役者のお父さんに感謝しつつ、私はゆーちゃんと顔を見合わせて微笑んだ。今までで一番の、ゆーちゃんにだって負けないくらいの笑顔で。
 蝉達の鳴き声も、今は讃歌のように聞こえていた──。









──end.












コメントフォーム

名前:
コメント:
  • 背景描写が素晴らしいです。
    こなゆたと作者様に最高級のGJをっっ! -- 名無しさん (2008-01-31 18:17:32)
  • 全米が感動の涙を流した。
    心理描写の細やかさが素晴らしすぎる…。
    -- 名無しさん (2008-01-30 02:39:48)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
記事メニュー
最近更新されたスレッド
ウィキ募集バナー