むずかしいですね。時間をかけてやってください。
まずしっかりした読解が求められます。雰囲気読みで書き始めると最初から方向がずれてしまいます。「つるつるしたもの」という言葉に筆者が込めた意味合いは単純ではありません。
冒頭の段落の意味は分かりましたか? 「一七七番が逆にかかってくる」とはどういうことでしょう? 結びの部分でやっとわかる仕掛けになっています。
「つるつるしたもの」という言葉を自分なりに概念化、キーワード化して言い換えることができてから、その反対概念を慎重に選ぶようにしましょう。
1000字ありますから、350字×2つの具体例を論拠にしましょう。筆者の具体例に負けない説得力のあるリアリティが出せるかがこの問題の焦点です。
モデル解答 Aくん
「つるつるしたもの」の対義語は、「ごみごみしたもの」であると私は考える。ここで著者のいう
「つるつるしたもの」とは、旧来からの存在物を機械的に隔離し、それらの混合を許さない、旧来の
ものから独立している極めて近代的な存在のことである。一方で、「ごみごみしたもの」という言葉
からは、既存の物が混在し、その分離の困難であることが連想できる。また、「ごみごみした」とい
う表現は人間の生活に即して使用されることが多い。以上の理由から、機械的、言い換えれば非人間
的なニュアンスを含む「つるつるしたもの」に対して、「ごみごみしたもの」が対置される関係にあ
る。
さて、前述したとおり、「つるつるしたもの」は極めて近代的な存在である。また、それへ対比さ
れるものが木製の浴室やトイレであることからも分かるように、「ごみごみしたもの」は前近代的存
在であると言える。そして筆者は前者を否定し後者を肯定する姿勢をとっている。いわゆるポストモ
ダン的思考に近いものだ。しかし、私はこれに違和感を覚える。
筆者による「つるつるしたもの」批判は、ただ単に前近代的観点からの一方的な見方にすぎず、普
遍的な説得力を持っていない。コンピュータを例にとろう。スイッチのオン・オフを介しインターネ
ット上世界における交流と、その終了を文字通り機械的に実行する「つるつるしたもの」の典型例で
ある。しかし様々な情報が飽和しているのみならず、ゴシップ・中傷・批評など、旧来から行われて
きたことが、場所を変えて行われているのもまた事実なのである。つまり、「つるつるしたもの」に
も、「ごみごみしたもの」は含まれうる。また、それに「ごみごみしたもの」が「ごみごみして」い
る故の産物でもある。筆者の挙げたウォーターフロントの例にしても、絶え間ない水との衝突によっ
て、ウォーターフロント自身が水を内包し、一種の「ごみごみしたもの」になりうるのだ。
このように、「つるつるしたもの」と「ごみごみしたもの」を明確に分離することはできず、また
故に両者は共に「ごみごみしたもの」であるという理論が成立すると同時に、明確な分離を前提とす
るこの論が「つるつるしたもの」であるという解釈も成り立ってしまう。これらを踏まえて考えれば、
物事に絶対的視点は存在しえないということを、私達は心に留めておかなくてはならない。
読解力 1/4 「つるつるしたもの」がつかめていません。
具体性 2/5 「コンピュータ」を評価しました。
主題設定 1/4 大雑把な二項対立になっています。
展開力 2/5 後半の概念の入れ子の部分を評価しました。
設問対応 2/2 設問の要求に応えています。
計 8/20 評価:D
のっけからやや辛口のコメントになります。
小論文とは、何となく思ったことを書けばそこそこの点数になるものだという考えを払拭してもらうためです。
先ず、読解が的確でない。「つるつるしたもの」は、中身ではなく表面(フロント)だ。浴室ではなく、浴室のタイル。トイレではなく便器。向こう側をキレイに隠す(知らん振りする)「仕切り」だ。したがって対置される概念もインターフェイスでなければならない。
しかも筆者は「つるつるしたもの」を単純に否定し、「陰影」を単純に肯定はしていない。「ぼく達はなぜぼく達を拒むものにこそひきつけられる」のであり、「自分の中に、あのウォーターフロントを感じる」のである。そしてそれを「文化」であるとまで言っている。内面の液状化をつるっと隠した知らんぷり文化。
自分に思い当たることはないだろうか? 私にはある。いやというほどある。そこを糸口に考えていくことがこの小論文の課題に応えるということだろうと私は考える。
後半、二項対立を超えようとする論理には見るべき部分がある。
解答例 Eくん
問一
サルトルの問いは、非日常に生きているものにとって文学は享受されないという前提のもとに立って発せられたものであった。文学は平時を生きる者のみに意味がある奢侈品でしかないという、文学の存在意義を半ば否定するものである。それに対する応答として、人間の尊厳すら否定されかねない戦場に瀕した状況にあってもクライマックスすらない平坦な演劇が求められるということは、人間的思考が必要とされない時であっても人間は考えることをやめないという意味において人間性を肯定するものであり、文学は享受されうることを示しているから。
問二
文学は人間の尊厳を担保しえない。文学は言葉を基盤にしているため、時に大きな壁ができてしまう。狼に育てられた子供が人間たりえなかったように、人間の尊厳は教育によって培われるものであり、例えば戦乱の時代に生まれて、文字を見ることなく育ったら受容すらできない。文学は性質上普遍的なものではないのだ。
それに加えて、文学は戦争を正当化しうる。今まで数多の王朝が歴史書によって自らが起こした悲劇を正当化し、あるいは支配論理に使われ、エスノセントリズムを広めるのに役立った。そして何より、文学は生者のためのものであり、死者の精神には何も与えない。
だが、文学は時に不快感を、時に生きる活力を与えることができるという点で決して無意味ではない。人類がネアンデルタール人であった時代から作り上げられた「人間の尊厳」という虚構を生者に真に知らしめることができるのも、また文学だけであろう。
ゆえに、文学は「戦争の対義語たりえようとする願望である」と考える。圧倒的な破壊力を持つ戦争に対して余りにも無力であるが、その無力さゆえに希望が見出される。それは、人が避けられない死の運命を背負っているからこそ、日々を努力して生きていこうとするのと同じように、人にとって不可欠なものなのだ。
評価
読解力 3/4 (本文が読めているか。ここでは問一の評価になります)
具体性 4/4 (主題に至る論拠にリアリティ。「狼に育てられた子」「王朝」「ネアンデルタール人」を評価しました)
主張設定5/6 (キーワードの説得力、独自性、提言の価値など、主張の持つ力。「人類の願望」を評価しました)
展開力 4/4 (文章の構成、表現力、一貫性。文句なしです)
設問対応2/2 (設問の趣旨に対応しているか。問題ありません)
計 18/20 A
●ランク設定
A:20~17 どこに出しても大丈夫。
B:16~14 ボーダーライン。もう一歩踏み込もう。
C:13~10 平均水準。読み手をつかむ知的努力を。
D:09~05 言いたいことが伝わらない。自分で理解していない。
『ゴドーを待ちながら』とは
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1067.html
狼に育てられた子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9
ネアンデルタール人
http://www.h.chiba-u.jp/florista/ohanashi/sogetsu/hanashi6.html