一つの師範学校という小さな世界に芽生えた修養団運動が、日本列島全体に拡大し、蓮沼の精神が浸透していったのは、それを受け入れ、積極的に協力してゆく民衆の精神構造そのもののなかにこそ、それを解明する鍵があるといえよう。
流汗鍛練、同胞相愛、総親和総努力による白色倫理運動は、企業経営、工場経営の上からも歓迎され、労資の階級対立をも超えた人間愛あふれる世界構築ということで、もてはやされることとなる。それぞれの領域で、各自が個人として修養を積んでゆくことが、いずれは国家社会に寄与することになるとあって、若者の心は躍動した。強制労働ではなく、積極的、自主的労働への意欲は、企業側にとっても、願ってもないことである。修養団運動の拡大状況を、『修養団運動八十年史・概史』は次のように語っている。
流汗鍛練、同胞相愛、総親和総努力による白色倫理運動は、企業経営、工場経営の上からも歓迎され、労資の階級対立をも超えた人間愛あふれる世界構築ということで、もてはやされることとなる。それぞれの領域で、各自が個人として修養を積んでゆくことが、いずれは国家社会に寄与することになるとあって、若者の心は躍動した。強制労働ではなく、積極的、自主的労働への意欲は、企業側にとっても、願ってもないことである。修養団運動の拡大状況を、『修養団運動八十年史・概史』は次のように語っている。
団運動がいかに職域へ浸透していったか、ということの一端を記してみる。東洋紡姫路工場の団員は三千名に達し(昭和三年十二月)、八幡製鉄連合会の団員数は五千人を突破している(昭和六年二月)。秩父セメント秩父工場では全従業員一一百六十名が終身団員となり(昭和八年三月)、大阪住友製鋼所では終身団員五百二十二名に達した(昭和八年末)
欲望を無制限に発散することによってではなく、修養という、いわば禁欲的倫理の実践こそが、資本主義の精神につながるという風景をここに見ることが出来る(『資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理』)。労資の対立を単に回避するという消極的意味だけが、そこにあったのではない。
