47頁
 いわゆる所得獲得ということは、生きることの手段ではあっても、そのことに人生の目的があるわけではないと、横田は次のようにのべている。
私が農民の生活に依って感発されたことは、人間としての真実の生活は『如何に持つべきか』と云ふ欲望を充たすことではなくて『如何に在るべきか』と云ふ志向を正すことを順序として、始めて格り得ると云ふことであった。『如何に持つべきか』と云ふ思慮も無用ではない、が所詮、夫れは生活の手段を豊富にするだけであって、決して生活の目的を指定すべきものではない。生
活の目的は必ず『如何に在るべきか』と云ふ思慮の指揮を受けなければならぬ。」
「食えぬ」という現実を無視して、「如何に在るべきか」を問うことは、貧困に対する許しがたき暴言ではある。清貧に甘んじてこそ「良民」だなどという発想を無条件に許してはならない。農世界は、排金主義、利害打算で生きる世界とは次元が違う、という声も、そう簡単に許してはならない。
このことを知的には理解し抜いていた横田が農の特権をいうのである。彼が農民から学んだ最高のものは、土に執着する人間の「特権」ということであった。土着して生きる人間の人生には、他の職業では味わえない充実したものがあり、それを極度に憧慢し、帰農を決意したというのだ。土地制度の矛盾、貧困はどこへいったのか。従来の著作からは大きくかけ離れた発言に終始することになる。
                                
「食えぬ」という現実を無視して、「如何に在るべきか」を問うことは、貧困に対する許しがたき暴言ではある。清貧に甘んじてこそ「良民」だなどという発想を無条件に許してはならない。農世界は、排金主義、利害打算で生きる世界とは次元が違う、という声も、そう簡単に許してはならない。
このことを知的には理解し抜いていた横田が農の特権をいうのである。彼が農民から学んだ最高のものは、土に執着する人間の「特権」ということであった。土着して生きる人間の人生には、他の職業では味わえない充実したものがあり、それを極度に憧慢し、帰農を決意したというのだ。土地制度の矛盾、貧困はどこへいったのか。従来の著作からは大きくかけ離れた発言に終始することになる。
