関連ページ
第一章 小林杜人と転向
小林杜人(1902-1984)は大正-昭和時代の社会運動家。
大正14年全日本無産青年同盟に参加し,昭和2年日本農民組合長野県小作組合連合会を創立。3年共産党に入党,同年の三・一五事件で検挙され転向。戦後は日朝・日中友好運動につくした。長野県出身。埴科(はにしな)農蚕学校卒。
第二章 横田英夫試論
横田英夫(1889-1926)は大正時代の農民運動家。大正3年「東京朝日新聞」連載の「農村革命論」で注目される。新潟県で須貝(すがい)快天がすすめる小作料減免の農民運動に参加し,指導者となる。13年中部日本農民組合長。埼玉県出身。旧姓は内田。著作に「農村滅亡論」など。
第三章 島木健作における「美意識」
島木健作(1903-1945)は昭和時代前期の小説家。農民運動に従事し、共産党に入党。昭和3年三・一五事件で検挙され、転向。9年獄中体験を「癩(らい)」「盲目」にあらわし,注目される。農民運動の実態をえがいた「再建」,求道的な帰農をテーマにした「生活の探求」などを発表した。北海道出身。東北帝大中退。本名は朝倉菊雄。
第四章 岩佐作太郎の思想
岩佐作太郎(1879-1967)は明治-昭和時代の社会運動家。
アメリカへわたり幸徳秋水らと交流。大逆事件の際はアメリカから天皇に公開状をおくり抗議。大正3年に帰国し,アナーキズム運動に参加。昭和21年日本アナキスト連盟全国委員長。千葉県出身。東京法学院(現中央大)卒。著作に「革命断想」「アナーキストの回想」など。
第五章 保田輿重郎の「農」の思想
保田輿重郎(1910-1981)は昭和時代の文芸評論家。
昭和10年亀井勝一郎らと「日本浪曼(ろうまん)派」を創刊。民族主義と反近代主義にたった評論で第二次大戦下の青年層に影響をあたえる。24年「祖国」を発刊,終生その思想をつらぬいた。奈良県出身。東京帝大卒。著作に「日本の橋」「近代の終焉」「現代畸人(きじん)伝」など
第六章 河上肇と「無我苑」
河上肇(1879-1946)は明治から昭和期にかけての経済学者,思想家。
第七章 近代日本における「修養」
第八章 農業教育に生涯ささげた山崎延吉
山崎延吉(1873-1954)は明治-昭和時代の農業教育者,農政家。
34年愛知県立農林学校初代校長。農本主義をとなえ,産業組合と農事講習会の普及につとめた。昭和3年衆議院議員。4年神風義塾をひらき独自の農民教育を実施。5年安城女専を創立。21年貴族院議員。石川県出身。東京帝大卒。号は我農生。著作に「農村自治の研究」など。
小林杜人(1902-1984)は大正-昭和時代の社会運動家。
大正14年全日本無産青年同盟に参加し,昭和2年日本農民組合長野県小作組合連合会を創立。3年共産党に入党,同年の三・一五事件で検挙され転向。戦後は日朝・日中友好運動につくした。長野県出身。埴科(はにしな)農蚕学校卒。
第二章 横田英夫試論
横田英夫(1889-1926)は大正時代の農民運動家。大正3年「東京朝日新聞」連載の「農村革命論」で注目される。新潟県で須貝(すがい)快天がすすめる小作料減免の農民運動に参加し,指導者となる。13年中部日本農民組合長。埼玉県出身。旧姓は内田。著作に「農村滅亡論」など。
第三章 島木健作における「美意識」
島木健作(1903-1945)は昭和時代前期の小説家。農民運動に従事し、共産党に入党。昭和3年三・一五事件で検挙され、転向。9年獄中体験を「癩(らい)」「盲目」にあらわし,注目される。農民運動の実態をえがいた「再建」,求道的な帰農をテーマにした「生活の探求」などを発表した。北海道出身。東北帝大中退。本名は朝倉菊雄。
第四章 岩佐作太郎の思想
岩佐作太郎(1879-1967)は明治-昭和時代の社会運動家。
アメリカへわたり幸徳秋水らと交流。大逆事件の際はアメリカから天皇に公開状をおくり抗議。大正3年に帰国し,アナーキズム運動に参加。昭和21年日本アナキスト連盟全国委員長。千葉県出身。東京法学院(現中央大)卒。著作に「革命断想」「アナーキストの回想」など。
第五章 保田輿重郎の「農」の思想
保田輿重郎(1910-1981)は昭和時代の文芸評論家。
昭和10年亀井勝一郎らと「日本浪曼(ろうまん)派」を創刊。民族主義と反近代主義にたった評論で第二次大戦下の青年層に影響をあたえる。24年「祖国」を発刊,終生その思想をつらぬいた。奈良県出身。東京帝大卒。著作に「日本の橋」「近代の終焉」「現代畸人(きじん)伝」など
第六章 河上肇と「無我苑」
河上肇(1879-1946)は明治から昭和期にかけての経済学者,思想家。
第七章 近代日本における「修養」
第八章 農業教育に生涯ささげた山崎延吉
山崎延吉(1873-1954)は明治-昭和時代の農業教育者,農政家。
34年愛知県立農林学校初代校長。農本主義をとなえ,産業組合と農事講習会の普及につとめた。昭和3年衆議院議員。4年神風義塾をひらき独自の農民教育を実施。5年安城女専を創立。21年貴族院議員。石川県出身。東京帝大卒。号は我農生。著作に「農村自治の研究」など。
