■団塊の世代が教わった農村観
1950年に東京で生まれた内山節(彼は都立新宿高校卒)は以下のように語っている。小学校や中学校で教わった農村観とは、「農村は人間の住む所ではない」といってもよいようなものだった。いまだに封建的関係の下に置かれ、人間は打ちひしがれて暗くて、しかも過酷な重労働が待っていて、働けど働けど貧しさから脱出できないというような農村社会観が、東京の小中学生に教えられたものだった。「つまり、その否定の仕方しか教わってこなかったのです」と。
cf.内山節『自然・労働・共同社会の理論』農文協、1989、145頁
1950年に東京で生まれた内山節(彼は都立新宿高校卒)は以下のように語っている。小学校や中学校で教わった農村観とは、「農村は人間の住む所ではない」といってもよいようなものだった。いまだに封建的関係の下に置かれ、人間は打ちひしがれて暗くて、しかも過酷な重労働が待っていて、働けど働けど貧しさから脱出できないというような農村社会観が、東京の小中学生に教えられたものだった。「つまり、その否定の仕方しか教わってこなかったのです」と。
cf.内山節『自然・労働・共同社会の理論』農文協、1989、145頁
■Iターン就農者の農業・農村観
戦後のIターン就農者の歴史をふりかえると、おおよそ次の四つの時期に区分できる。ただし、北海道などへ酪農家として参入するパターンはやや別の見方が必要と思われる。さしあたり、本州以南を念頭に考えたい。
第一期は1960年代まで。この時期の特徴は敗戦後の引揚者などが一時的に就農することに代表されるが、それは他に行くところがなくて、しかたなく参入するパターンである。いわば消去法的参入であるから、他によい場所や職業があれば再び離農することになる。農村に対しても積極的な働きかけはない。だから農村の側はそうした人々を農村社会の周辺に位置づけることになる。
第二期は1970年代で、この時期から農業を意識的に選択した参入が多くなる。その主流は、60年代末に最高潮に達した学生運動に影響された学生たちであった。どう生きるべきかを問いつめた結果、そうした人々は地に根ざした生き方という思想にたどりつき、その必然として農業を選択した(1948-1950年生まれの団塊の世代、先述の内山節もこの部類に入るだろう)。思想的参入であるから、参入した農村社会でも自らの思想を貫くことになる。一方、農村の側はこうした新しいタイプのIターン者に対する精神的受け入れ準備がまったくできていなかった。これら両者の間に起きた摩擦はこの期の特徴でもある。
第三期は1985年以降で、Iターン者たちの中心は大学紛争世代から環境主義世代へと転換する。Iターン者の年齢は20〜30歳代が多いが、85年以降にその年齢に達する人たちは(1960年前後の生まれ)、物心がつけば公害があったという世代。しかも、80年前後から食品添加物や残留農薬などが社会問題となり、安全な食べ物を求める機運が高まってくる。そうした社会経験を背景としながら、この期のIターン者たちは環境にやさしい生活や安全な食べ物を自分でつくるという志向をもっている。ライフスタイル的参入といえるだろうか。そうした人たちの場合、自らのライフが重要であるから、摩擦をおこしてまで周囲に自分の理念を押しつけることがない。この期の傾向は現在まで続いている。
第四期は第三期とオーバーラップしながら、90年代の半ばから始まる。この期が現れるのは農業Iターンへの行政的支援が充実してきたからだ。新規就農のためのガイドセンターができたり、就農当初の苦しい時期に所得援助を行う自治体も増えている。したがって、農業をそれほど特別視することなく、転職感覚で参入することが可能になった。しかし、参入が容易になった分だけ、事前の心構えが甘くなった感がある。農業法人等での雇用を希望する者も増えてきた。第四期は傾向を変えつつも、2011年現在まで続いているといえる。
戦後のIターン就農者の歴史をふりかえると、おおよそ次の四つの時期に区分できる。ただし、北海道などへ酪農家として参入するパターンはやや別の見方が必要と思われる。さしあたり、本州以南を念頭に考えたい。
第一期は1960年代まで。この時期の特徴は敗戦後の引揚者などが一時的に就農することに代表されるが、それは他に行くところがなくて、しかたなく参入するパターンである。いわば消去法的参入であるから、他によい場所や職業があれば再び離農することになる。農村に対しても積極的な働きかけはない。だから農村の側はそうした人々を農村社会の周辺に位置づけることになる。
第二期は1970年代で、この時期から農業を意識的に選択した参入が多くなる。その主流は、60年代末に最高潮に達した学生運動に影響された学生たちであった。どう生きるべきかを問いつめた結果、そうした人々は地に根ざした生き方という思想にたどりつき、その必然として農業を選択した(1948-1950年生まれの団塊の世代、先述の内山節もこの部類に入るだろう)。思想的参入であるから、参入した農村社会でも自らの思想を貫くことになる。一方、農村の側はこうした新しいタイプのIターン者に対する精神的受け入れ準備がまったくできていなかった。これら両者の間に起きた摩擦はこの期の特徴でもある。
第三期は1985年以降で、Iターン者たちの中心は大学紛争世代から環境主義世代へと転換する。Iターン者の年齢は20〜30歳代が多いが、85年以降にその年齢に達する人たちは(1960年前後の生まれ)、物心がつけば公害があったという世代。しかも、80年前後から食品添加物や残留農薬などが社会問題となり、安全な食べ物を求める機運が高まってくる。そうした社会経験を背景としながら、この期のIターン者たちは環境にやさしい生活や安全な食べ物を自分でつくるという志向をもっている。ライフスタイル的参入といえるだろうか。そうした人たちの場合、自らのライフが重要であるから、摩擦をおこしてまで周囲に自分の理念を押しつけることがない。この期の傾向は現在まで続いている。
第四期は第三期とオーバーラップしながら、90年代の半ばから始まる。この期が現れるのは農業Iターンへの行政的支援が充実してきたからだ。新規就農のためのガイドセンターができたり、就農当初の苦しい時期に所得援助を行う自治体も増えている。したがって、農業をそれほど特別視することなく、転職感覚で参入することが可能になった。しかし、参入が容易になった分だけ、事前の心構えが甘くなった感がある。農業法人等での雇用を希望する者も増えてきた。第四期は傾向を変えつつも、2011年現在まで続いているといえる。
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