2010/2/28 亀山ゼミ テキスト輪読
亀山純生『人間と価値』青木書店,1989
担当:小松美由紀
第三部 欲求と疎外 ―― 生に“埋めこまれた”批判的価値意識への視角 ――
第2章 欲求的行為の二重性 (p181~p194)
亀山純生『人間と価値』青木書店,1989
担当:小松美由紀
第三部 欲求と疎外 ―― 生に“埋めこまれた”批判的価値意識への視角 ――
第2章 欲求的行為の二重性 (p181~p194)
■価値意識の契機と根底に欲求をみること(第1章)によって、以下の疑問が生じる。
①価値を欲求から基礎づけることは、価値の主観主義的理解に陥るのでは?
→ 「欲求を原理とする価値意識は事物の価値を構成する要素にすぎず、さらに価値をになう事物ともども客観的な歴史的社会的諸関係に規定されるとみるべき」(→第二部)
②価値意識の根底に欲求をみるのは、価値を情緒的なものに還元するのにつながるのでは?
→ 価値意識の3契機(要素)は相対的に独自なものであり、3契機の内、利害関心と規範
意識は、価値の理性的評価の原理である。(それを強調した上で、両者の根底に欲求(第1の契機)の一部である自己保存欲求、共同性欲求をみようとした)
①価値を欲求から基礎づけることは、価値の主観主義的理解に陥るのでは?
→ 「欲求を原理とする価値意識は事物の価値を構成する要素にすぎず、さらに価値をになう事物ともども客観的な歴史的社会的諸関係に規定されるとみるべき」(→第二部)
②価値意識の根底に欲求をみるのは、価値を情緒的なものに還元するのにつながるのでは?
→ 価値意識の3契機(要素)は相対的に独自なものであり、3契機の内、利害関心と規範
意識は、価値の理性的評価の原理である。(それを強調した上で、両者の根底に欲求(第1の契機)の一部である自己保存欲求、共同性欲求をみようとした)
■「欲求の範囲の無際限の拡張では?」「生理的欲求など“本来の”欲求との関係は?」「欲求にもとづく諸個人の行為は受動的なのでは?」「欲求は利己的性格をもつのでは?」等々
⇒ 欲求の基本的性格の検討が求められる
⇒ 欲求の基本的性格の検討が求められる
一 欲求は三つの側面を持つ(p182~)
■欲求の3つの側面(要素、契機) (cf. 相良守次編『人間の欲望・感情』)
(1) 欠乏 :欲求は何らかの欠乏状態にもとづいて生じる
(2) 推進力 :欲求は行動の内的推進力であり心理的エネルギーである
(3) 対象志向 :欲求は特定の行動へと方向付けをする。欲求には対象の認知が不可欠である
■欲求の3つの側面(要素、契機) (cf. 相良守次編『人間の欲望・感情』)
(1) 欠乏 :欲求は何らかの欠乏状態にもとづいて生じる
(2) 推進力 :欲求は行動の内的推進力であり心理的エネルギーである
(3) 対象志向 :欲求は特定の行動へと方向付けをする。欲求には対象の認知が不可欠である
■上記の説明・補足
(1):体内における水分のバランスが失われる(欠乏する)→水が飲みたい
(2):「欠乏状態(の意識)が強まるにつれ、行動への潜在エネルギーの蓄積はいちじるしく
なり欲求は強まる。」欠乏(の意識)が度を超すと、逆に行動エネルギーは減退する。
(3):欲求の対象は〔意識された欠乏〕を充足すると期待される事象(=誘因)である。
「渇き」(動因:欠乏の知覚とそれを充足しようとする心理的エネルギー)と飲み物(誘因)
(1):体内における水分のバランスが失われる(欠乏する)→水が飲みたい
(2):「欠乏状態(の意識)が強まるにつれ、行動への潜在エネルギーの蓄積はいちじるしく
なり欲求は強まる。」欠乏(の意識)が度を超すと、逆に行動エネルギーは減退する。
(3):欲求の対象は〔意識された欠乏〕を充足すると期待される事象(=誘因)である。
「渇き」(動因:欠乏の知覚とそれを充足しようとする心理的エネルギー)と飲み物(誘因)
二 欲求は能動的原理か、それとも受動的原理なのか(p184~)
■一般に、生命体の運動は刺激に対する反応(≒環境に対する適応)
→ しかし、人間は意識をもつことにより、環境に対して主体として振る舞える。
←自らの行為とその結果を予測し、合目的的に行為しうる点が、ポイント(理由)の1つ
■「欲求は、欠乏の意識を側面とすることによって物質代謝を軸とする主体と環境の関係・バランスの変化の知覚であり、推進力・エネルギーとしての側面と対象志向の側面によって反応ないし変化した環境との関係への適応の原理である。」
→ ただし、〔主体と環境の関係の変化〕への適応という性格は、連関しあう諸欲求の総体として保持することになる。
←欲求は意識であり、環境は社会的・文化的でもあるため、欲求の種類は分化・複雑化。
■一般に、生命体の運動は刺激に対する反応(≒環境に対する適応)
→ しかし、人間は意識をもつことにより、環境に対して主体として振る舞える。
←自らの行為とその結果を予測し、合目的的に行為しうる点が、ポイント(理由)の1つ
■「欲求は、欠乏の意識を側面とすることによって物質代謝を軸とする主体と環境の関係・バランスの変化の知覚であり、推進力・エネルギーとしての側面と対象志向の側面によって反応ないし変化した環境との関係への適応の原理である。」
→ ただし、〔主体と環境の関係の変化〕への適応という性格は、連関しあう諸欲求の総体として保持することになる。
←欲求は意識であり、環境は社会的・文化的でもあるため、欲求の種類は分化・複雑化。
■以上のことから確認できること
(1)人間は(社会的・文化的、自然的)環境に対し、システマティックな総体的・価値的態度を介して適応する
→ 意識的・合目的的であることで、環境を改変する(=能動的)
(2)価値的態度が反省的である度合いに応じて、人間は能動的・変革的でありうる
(3)個々の欲求は身体性・感覚を直接的基礎として、それ自身感性的である
→ 欲求にもとづく人間の行為が意識的・反省的でない場合、合目的的行為と比較して、環境・対象に対して受動的となる。
(1)人間は(社会的・文化的、自然的)環境に対し、システマティックな総体的・価値的態度を介して適応する
→ 意識的・合目的的であることで、環境を改変する(=能動的)
(2)価値的態度が反省的である度合いに応じて、人間は能動的・変革的でありうる
(3)個々の欲求は身体性・感覚を直接的基礎として、それ自身感性的である
→ 欲求にもとづく人間の行為が意識的・反省的でない場合、合目的的行為と比較して、環境・対象に対して受動的となる。
■「だが、欲求は能動的にふるまう社会的人間の一部であり、意識の他の契機との相互連関やその内容の社会的・文化的質を前提としているのである。」
→ 人間の欲求の能動性
①3契機の能動性(環境との関係を否定→関係を変革する行為を導く→否定性の止揚)
②欲求は人間の創造性の主観的源泉(基礎)である(←非存在をも対象にする)
③人間的欲求(←欲求の内容・質と能動性)
→ 人間の欲求の能動性
①3契機の能動性(環境との関係を否定→関係を変革する行為を導く→否定性の止揚)
②欲求は人間の創造性の主観的源泉(基礎)である(←非存在をも対象にする)
③人間的欲求(←欲求の内容・質と能動性)
三 欲求の人間的性格、または人間的欲求(p187~)
■人間的欲求、欲求の人間的性格は、次の2点から見ることができる。
①人間の欲求の媒介的性格
:充足の対象そのものの現実化(ないし創造)が必然的媒介、人間関係・社会を媒介とする
→ 人間の欲求は自己抑制を必然的契機として含む
②人間の欲求の内容の社会的・文化的媒介性
(フォイエルバッハの言う「人間的感性」「普遍的感性」)
→ 「全体的存在」としての人間の感性も普遍的な事物を対象とする
■人間的欲求、欲求の人間的性格は、次の2点から見ることができる。
①人間の欲求の媒介的性格
:充足の対象そのものの現実化(ないし創造)が必然的媒介、人間関係・社会を媒介とする
→ 人間の欲求は自己抑制を必然的契機として含む
②人間の欲求の内容の社会的・文化的媒介性
(フォイエルバッハの言う「人間的感性」「普遍的感性」)
→ 「全体的存在」としての人間の感性も普遍的な事物を対象とする
■「人間的欲求は歴史的・文化的・社会的な産物であるとともに、そのようなものとして歴史・文化・社会を創造発展させる人間の主体的行為の内的源泉なのである。対象・環境にたいして欲求は主体における能動的受動の原理である。」
→ 「人間的欲求が主体の能動性・環境変革性の原理である側面は、欲求が環境・対象の客観的・総体的認識に媒介されることによって発揮される。」
四 共同性欲求ははたして派生的といえるか(p190~)
→ 「人間的欲求が主体の能動性・環境変革性の原理である側面は、欲求が環境・対象の客観的・総体的認識に媒介されることによって発揮される。」
四 共同性欲求ははたして派生的といえるか(p190~)
■精神的欲求と身体的欲求、社会的(後天的)欲求と生得的(先天的)欲求との関係
→ 心理学では、後者を基本的(一次的)欲求、前者を派生的(二次的欲求)とする理解が
一般的。(cf. マズローの欲求の階層性)
→ しかし、多種多様な欲求(あるいは生理的(本能的)欲求)は、歴史と文化の現段階で、それと相対的に区別される諸欲求との相関で抽出されたものである。(cf. ハーローの実験)
→ 心理学では、後者を基本的(一次的)欲求、前者を派生的(二次的欲求)とする理解が
一般的。(cf. マズローの欲求の階層性)
→ しかし、多種多様な欲求(あるいは生理的(本能的)欲求)は、歴史と文化の現段階で、それと相対的に区別される諸欲求との相関で抽出されたものである。(cf. ハーローの実験)
■人間にとって道徳的欲求(共同性欲求)は、種と生命の維持への欲求とともに根源的欲求の不可欠の契機である。
← 意識と労働の成立により、人間は本質的(必然的)に社会的存在である。
→ 人間は社会と文化の形成発展の中で、「原初的状態において未分化であった自己保存と共同性の契機を、その他の契機とともに、相対的に独自な欲求として分化させてきたのである。」
← 意識と労働の成立により、人間は本質的(必然的)に社会的存在である。
→ 人間は社会と文化の形成発展の中で、「原初的状態において未分化であった自己保存と共同性の契機を、その他の契機とともに、相対的に独自な欲求として分化させてきたのである。」
■共同性欲求と自己保存欲求は本来、相補的共存の関係にある。
→ 「われわれはそれぞれ自己の生産において自己自身と他者とを二重に肯定したことになるだろう。(以下略)」(マルクス)
→ しかし現実においては、自己保存欲求と共同性欲求は対立
⇒ 「人間の本質と現実の乖離を理解する手がかりが『疎外』の概念である。」
→ 「われわれはそれぞれ自己の生産において自己自身と他者とを二重に肯定したことになるだろう。(以下略)」(マルクス)
→ しかし現実においては、自己保存欲求と共同性欲求は対立
⇒ 「人間の本質と現実の乖離を理解する手がかりが『疎外』の概念である。」