学生運動にコミットした団塊の世代の農業・農村観を、支えているとはいわないまでも、常に影響を与えているものとして、マルクスの農業・農村観があげられる。マルクスの農村観は、18世紀イギリスの農業事情を大きく反映しており、そのプロセスをここで書くことはできないが、ポイントは以下の二点である。
- 資本主義的な土地収奪農法は破壊的である。
- 人間と自然との物質的な相互的サイクルを主張するリービヒの農業観は高く評価できる。
いわゆるキャリコットを始めとする1970年代以降の北米の環境倫理学とは相性が悪い。なぜならマルクスにとって自然はたんなる「客体」として技術的操作、あるいは保護の対象ではないからであり、人間から独立に内在的な価値を持つものでもないからである。
■補注
ただし、マルクス主義の農業観が、上記の通りで一貫しているわけでは必ずしもない。例えば、宮沢賢治の農業観は「農民芸術概論」によく表現されているが、その背景になっているのは、当時(大正時代)の帰農ブームと、ソヴィエトのボルシェビキ農業論である。つまり、機械力を組織的に使って、自然を大規模に改造していくという方向で、これは、電化によって、ロシアの自然を改造していこうという、レーニンの電化論を下敷きにしている。カザフスタンのような砂漠地帯を緑化するには、電化によらなければならないという。しかも、その根拠がふるっていて、そうして張りめぐらされた電線の回りに発生する電磁場によって、気候に変化をつくりだしていくという構想。
ただし、マルクス主義の農業観が、上記の通りで一貫しているわけでは必ずしもない。例えば、宮沢賢治の農業観は「農民芸術概論」によく表現されているが、その背景になっているのは、当時(大正時代)の帰農ブームと、ソヴィエトのボルシェビキ農業論である。つまり、機械力を組織的に使って、自然を大規模に改造していくという方向で、これは、電化によって、ロシアの自然を改造していこうという、レーニンの電化論を下敷きにしている。カザフスタンのような砂漠地帯を緑化するには、電化によらなければならないという。しかも、その根拠がふるっていて、そうして張りめぐらされた電線の回りに発生する電磁場によって、気候に変化をつくりだしていくという構想。
