第2章 現代日本の宗教の特質と歴史的背景
日本の宗教の複合性・二重性、その現代的性格と歴史的背景
1. 現代日本の宗教の多元性と宗教意識
現代日本の宗教の特質;a)多様な宗教の共存ないし複合性 b)宗教意識の二重性ないしあいまいさ 宗教の社会的意義の解明...現代人の欲求に宗教がどう応答していくのかを軸とするのが合理的
*複合性を異常視する近代主義的宗教観 近代的宗教観;
1.近代西欧のキリスト教を宗教の単一な基本モデルとして日本宗教が理解されてきた 「宗教=全人格をかけて超越的存在に帰依服従すべきもの」という理解(虚構)
⇒日本の宗教現象の雑炊性;「不完全」、「不純」 神道儀礼等;形式化した習俗的慣行か原始的な宗教的心性の名残、民族宗教の次元
2.宗教に依存する人間は非合理・非科学的で没主体的だとイメージされる傾向 信仰=心の問題として内面化、
外面的行為としての関わりが否定されるほどより高次な近代的宗教と見なされる ⇒日本の宗教の"ムラ"的性格とその中の個人の"没主体的傾向";日本宗教の前代性とされる
*近代主義的宗教観の破綻
西欧近代モデルの宗教観から現代日本の宗教を評価することは理論的な難点および矛盾がある 1. 急激な近代化を経た結果、人々の精神構造やその宗教意識は基本的に変化
→前近代的な意識が継続されているわけではない 2. 近代化に伴い宗教が衰退するという前提は現在の宗教への関わりが広範囲に見られる事と
説明出来ない →むしろ近代社会固有の問題と結びつけて検討する視点が必要 3. 西欧の完成した近代市民社会において宗教は一般的に広く信仰されている
→「近代化=宗教衰退」という図式は現実的に成立しない むしろ近代主義が思想的批判の対象となった結果、それまで否定された宗教・非合理的心情への関心が
本来の人間的現象として評価されるようになってきている
⇒
* 現代人の宗教関与と"豊かさ社会"の人間関係 ・森岡清美(1981)による現代人と宗教の関わり方の分析;
1. 一時的関わり 2.表面的関わり 3.功利的関わり 4. 開放的関わり L 近代化がもたらした個人主義的・利己主義的で表層的人間関係の現れ(森岡)
今日の宗教への関心は完成され高度化した近代社会そのものから発生している
・西山茂(1988);《霊=術》系新宗教の特徴は、その構成要素や作用を人が操作する操作主義にある
宗教に全人格的に支配されるのではなく、自らの主体性を確保しながら必要に応じて関与するスタイル
⇒
* 現代人の合理的態度と宗教関与の主体性 ・霊術宗教への主体的関与;信者側も宗教に対し主体的・能動的に関わる傾向
...科学や社会システムが解決しない欲求の一部を宗教によって実現しようと試みる (全人格的に宗教と関わり主体性を喪失してライフスタイルが転換する場合もある)
・ 民族宗教への関わり;祈願が呪術的信仰であることに無自覚 ...ほとんど合理的生活態度の一部として生活習慣化しているだけで合理性・主体性は担保されている
* 現代宗教の多元性と合理性 現代日本人における宗教の複合性や宗教的意識の二重性;
[教団のタイプ(従来の分類法)]...世界観型伝統宗教-体系的教義の確立していない宗教(表3-A) L キリスト教をモデルとした進化論的宗教観を背景にしたもの
[諸個人の欲求の実現という視点から分類] ...いずれの宗教も多様なニーズに応答するタイプの異なる個別機能の宗教となる(表3-B) ⇒日本の宗教の複合性は宗教的多元性を示している
[宗教的欲求への応答と諸個人の関心から分類] ...諸個人が主体性を消失するタイプは少ない(表3-C)
2. 宗教の多元性と宗教意識の歴史的背景 現代日本人における宗教の複合性や宗教的意識の二重性 ←日本宗教の歴史に強く影響を受けている
*日本宗教の歴史的多元性
日本の宗教史の最大の特徴=キリスト教のような天蓋的宗教による一元的な宗教支配を経験していない L 諸個人の生活を全面的に支配する宗教の在り方
⇔ヨーロッパ世界は数世紀に渡り"普遍的"に経験
日本仏教;中世以降、教団化して社会に定着 ・天台宗・真言宗など正統派仏教の思想=王法仏法相互依存論
...王法(世間の道理)と仏法(超越的道理・真理)は相即の関係 ・ 国家は多様な宗旨・教団を公認 ※仏教が単一の宗教である、というイメージは根本的な誤解
・ 親鸞系・日蓮系教団など例外的に排他的な一神教派は解体されたという歴史的経緯 ⇒日本の宗教は歴史的に世俗権力による宗教・宗教統制と宗教的多元性が伝統となり現代に至る
* 信仰の雑炊性と倫理の不在 神仏習合;外来宗教の仏教は在来の神々の機能や儀礼を変容する事無く吸収して民衆世界へ浸透
※ 神仏の単なる融合ではなく習ね合わせであった ⇔キリスト教の先住信仰との融合=機能・儀礼を継承しつつも固有性を否定
現代人のニーズに対応し、「豊かさ社会」の構造と密接に連関した現代的特徴
現代の宗教的複合性のベース
⇒仏教は多神教的性格、内容的多様性を持つ;
近代以前の神仏習合=人々の神仏宗教意識は一体的であった 日本人の伝統的宗教意識として仏教と神道が二重信仰、二重構造や重層性という捉え方は不適切
<二つの虚構> 神道の神々も土着の神との融合
→日本固有の信仰であると位置づけるのは天皇制国家主義および民族主義の虚構 精神の根底の無意識のレベルに普遍的な思想や意識が実体として永続するという見方は幻想
→仏教を表層的、神道を基層信仰であるとする二分法の虚構 例)民俗信仰が習俗化し明確な教義をもたないからといって「無意識の信仰」とは呼べない
*神仏並立的信仰の一体性とその論理
日本の神仏習合;仏教哲学・教義の理論的解釈を通じて展開された日本仏教の"純粋形態" 例)仏の三身論の応身...仏は民衆の生活世界のさまざまの崇拝対象として現れる、という解釈
【伝統的宗教意識の多元性・寛容性・分業の観念】
日本宗教の歴史的特徴が形成した宗教思想・宗教意識の特徴的伝統
1.宗教的多元性の観念と宗教的排他主義への忌避の宗教感覚
信仰や宗教には多面的アプローチがあると考え、特定の宗教が支配的となることを"異常"とみなす
2.各教団内部に他の宗旨と共通する多くの信仰対象が併存するという認識
他宗教の信仰対象にも親近性・類似性を発見し同化させて尊重する同化的宗教的寛容 例)マリア観音
3.宗教的多元性と神仏並列的崇拝から派生する諸神諸仏の
神仏並列的信仰はそれぞれの機能・役割を温存し、分業的崇拝の宗教意識を形成 ⇒現代人の雑炊的宗教感覚やつまみ食い的信仰の歴史的前提となる
4.宗教と倫理は別次元にあるという観念; 悟りは世俗を脱する事で得られるとされたため、宗教の本来の領域は世俗外にあり、 世俗生活の事柄に宗教は本質的に関与せず、世間の流儀に身を委ねるという観念が形成される
5.伝統的宗教意識における原理主義の不在と無責任主義 宗教的原理の尊守からは、世俗や現実の問題に対して宗教的責任から批判的にふるまうような精神が 欠落しがちとされる
------------------------------------------------------------------ 日本の宗教の伝統的特性について、歴史的経緯からその論理の形成過程を解明し、現代人の宗教関与の在り 方が形成されるまでの検証作業は非常に興味深かった。それにしても、何故、当時外来宗教であった仏教は 在来の神々の機能や儀礼を変容する事無く吸収し得たのか、本文中では仏教の宗教的原理が世俗的解決を求 めた結果、既存の在来宗教の原理を融合せざるを得なかったと述べられていたが、この点において、例えば キリスト教原理とのいかなる差異があったのだろうか。そこには、むしろ信仰する諸個人の生活領域に大き く影響を与えざるをえない自然環境が形成した根本的な精神性や、既存のムラ社会の倫理が要因として関連 していたのではないだろうか。
外面的な宗教的寛容主義
内面的な宗教的寛容主義
分業の観念
日本の宗教の複合性・二重性、その現代的性格と歴史的背景
1. 現代日本の宗教の多元性と宗教意識
現代日本の宗教の特質;a)多様な宗教の共存ないし複合性 b)宗教意識の二重性ないしあいまいさ 宗教の社会的意義の解明...現代人の欲求に宗教がどう応答していくのかを軸とするのが合理的
*複合性を異常視する近代主義的宗教観 近代的宗教観;
1.近代西欧のキリスト教を宗教の単一な基本モデルとして日本宗教が理解されてきた 「宗教=全人格をかけて超越的存在に帰依服従すべきもの」という理解(虚構)
⇒日本の宗教現象の雑炊性;「不完全」、「不純」 神道儀礼等;形式化した習俗的慣行か原始的な宗教的心性の名残、民族宗教の次元
2.宗教に依存する人間は非合理・非科学的で没主体的だとイメージされる傾向 信仰=心の問題として内面化、
外面的行為としての関わりが否定されるほどより高次な近代的宗教と見なされる ⇒日本の宗教の"ムラ"的性格とその中の個人の"没主体的傾向";日本宗教の前代性とされる
*近代主義的宗教観の破綻
西欧近代モデルの宗教観から現代日本の宗教を評価することは理論的な難点および矛盾がある 1. 急激な近代化を経た結果、人々の精神構造やその宗教意識は基本的に変化
→前近代的な意識が継続されているわけではない 2. 近代化に伴い宗教が衰退するという前提は現在の宗教への関わりが広範囲に見られる事と
説明出来ない →むしろ近代社会固有の問題と結びつけて検討する視点が必要 3. 西欧の完成した近代市民社会において宗教は一般的に広く信仰されている
→「近代化=宗教衰退」という図式は現実的に成立しない むしろ近代主義が思想的批判の対象となった結果、それまで否定された宗教・非合理的心情への関心が
本来の人間的現象として評価されるようになってきている
⇒
* 現代人の宗教関与と"豊かさ社会"の人間関係 ・森岡清美(1981)による現代人と宗教の関わり方の分析;
1. 一時的関わり 2.表面的関わり 3.功利的関わり 4. 開放的関わり L 近代化がもたらした個人主義的・利己主義的で表層的人間関係の現れ(森岡)
今日の宗教への関心は完成され高度化した近代社会そのものから発生している
・西山茂(1988);《霊=術》系新宗教の特徴は、その構成要素や作用を人が操作する操作主義にある
宗教に全人格的に支配されるのではなく、自らの主体性を確保しながら必要に応じて関与するスタイル
⇒
* 現代人の合理的態度と宗教関与の主体性 ・霊術宗教への主体的関与;信者側も宗教に対し主体的・能動的に関わる傾向
...科学や社会システムが解決しない欲求の一部を宗教によって実現しようと試みる (全人格的に宗教と関わり主体性を喪失してライフスタイルが転換する場合もある)
・ 民族宗教への関わり;祈願が呪術的信仰であることに無自覚 ...ほとんど合理的生活態度の一部として生活習慣化しているだけで合理性・主体性は担保されている
* 現代宗教の多元性と合理性 現代日本人における宗教の複合性や宗教的意識の二重性;
[教団のタイプ(従来の分類法)]...世界観型伝統宗教-体系的教義の確立していない宗教(表3-A) L キリスト教をモデルとした進化論的宗教観を背景にしたもの
[諸個人の欲求の実現という視点から分類] ...いずれの宗教も多様なニーズに応答するタイプの異なる個別機能の宗教となる(表3-B) ⇒日本の宗教の複合性は宗教的多元性を示している
[宗教的欲求への応答と諸個人の関心から分類] ...諸個人が主体性を消失するタイプは少ない(表3-C)
2. 宗教の多元性と宗教意識の歴史的背景 現代日本人における宗教の複合性や宗教的意識の二重性 ←日本宗教の歴史に強く影響を受けている
*日本宗教の歴史的多元性
日本の宗教史の最大の特徴=キリスト教のような天蓋的宗教による一元的な宗教支配を経験していない L 諸個人の生活を全面的に支配する宗教の在り方
⇔ヨーロッパ世界は数世紀に渡り"普遍的"に経験
日本仏教;中世以降、教団化して社会に定着 ・天台宗・真言宗など正統派仏教の思想=王法仏法相互依存論
...王法(世間の道理)と仏法(超越的道理・真理)は相即の関係 ・ 国家は多様な宗旨・教団を公認 ※仏教が単一の宗教である、というイメージは根本的な誤解
・ 親鸞系・日蓮系教団など例外的に排他的な一神教派は解体されたという歴史的経緯 ⇒日本の宗教は歴史的に世俗権力による宗教・宗教統制と宗教的多元性が伝統となり現代に至る
* 信仰の雑炊性と倫理の不在 神仏習合;外来宗教の仏教は在来の神々の機能や儀礼を変容する事無く吸収して民衆世界へ浸透
※ 神仏の単なる融合ではなく習ね合わせであった ⇔キリスト教の先住信仰との融合=機能・儀礼を継承しつつも固有性を否定
現代人のニーズに対応し、「豊かさ社会」の構造と密接に連関した現代的特徴
現代の宗教的複合性のベース
⇒仏教は多神教的性格、内容的多様性を持つ;
近代以前の神仏習合=人々の神仏宗教意識は一体的であった 日本人の伝統的宗教意識として仏教と神道が二重信仰、二重構造や重層性という捉え方は不適切
<二つの虚構> 神道の神々も土着の神との融合
→日本固有の信仰であると位置づけるのは天皇制国家主義および民族主義の虚構 精神の根底の無意識のレベルに普遍的な思想や意識が実体として永続するという見方は幻想
→仏教を表層的、神道を基層信仰であるとする二分法の虚構 例)民俗信仰が習俗化し明確な教義をもたないからといって「無意識の信仰」とは呼べない
*神仏並立的信仰の一体性とその論理
日本の神仏習合;仏教哲学・教義の理論的解釈を通じて展開された日本仏教の"純粋形態" 例)仏の三身論の応身...仏は民衆の生活世界のさまざまの崇拝対象として現れる、という解釈
【伝統的宗教意識の多元性・寛容性・分業の観念】
日本宗教の歴史的特徴が形成した宗教思想・宗教意識の特徴的伝統
1.宗教的多元性の観念と宗教的排他主義への忌避の宗教感覚
信仰や宗教には多面的アプローチがあると考え、特定の宗教が支配的となることを"異常"とみなす
2.各教団内部に他の宗旨と共通する多くの信仰対象が併存するという認識
他宗教の信仰対象にも親近性・類似性を発見し同化させて尊重する同化的宗教的寛容 例)マリア観音
3.宗教的多元性と神仏並列的崇拝から派生する諸神諸仏の
神仏並列的信仰はそれぞれの機能・役割を温存し、分業的崇拝の宗教意識を形成 ⇒現代人の雑炊的宗教感覚やつまみ食い的信仰の歴史的前提となる
4.宗教と倫理は別次元にあるという観念; 悟りは世俗を脱する事で得られるとされたため、宗教の本来の領域は世俗外にあり、 世俗生活の事柄に宗教は本質的に関与せず、世間の流儀に身を委ねるという観念が形成される
5.伝統的宗教意識における原理主義の不在と無責任主義 宗教的原理の尊守からは、世俗や現実の問題に対して宗教的責任から批判的にふるまうような精神が 欠落しがちとされる
------------------------------------------------------------------ 日本の宗教の伝統的特性について、歴史的経緯からその論理の形成過程を解明し、現代人の宗教関与の在り 方が形成されるまでの検証作業は非常に興味深かった。それにしても、何故、当時外来宗教であった仏教は 在来の神々の機能や儀礼を変容する事無く吸収し得たのか、本文中では仏教の宗教的原理が世俗的解決を求 めた結果、既存の在来宗教の原理を融合せざるを得なかったと述べられていたが、この点において、例えば キリスト教原理とのいかなる差異があったのだろうか。そこには、むしろ信仰する諸個人の生活領域に大き く影響を与えざるをえない自然環境が形成した根本的な精神性や、既存のムラ社会の倫理が要因として関連 していたのではないだろうか。
外面的な宗教的寛容主義
内面的な宗教的寛容主義
分業の観念