はじめに(P166~)
- ここまでの振り返り
第1部
価値観の多様化のなかで、私たち一人ひとりが自分の生を”試し“、”ロビンソンすること“をとおし
て、主体的に規範や倫理・道徳をみなおす
→善や正義などの規範的価値の「普遍」性を主体的どう根拠づけるか、という問題
価値観の多様化のなかで、私たち一人ひとりが自分の生を”試し“、”ロビンソンすること“をとおし
て、主体的に規範や倫理・道徳をみなおす
→善や正義などの規範的価値の「普遍」性を主体的どう根拠づけるか、という問題
第2部
身のまわりにある多様な価値観・価値論のタイプを検討しながら、価値の一般的構造を探る
→価値は結局、人間のありかた、自然や人間相互との関わりあいの総体のうちに位置づけられる
身のまわりにある多様な価値観・価値論のタイプを検討しながら、価値の一般的構造を探る
→価値は結局、人間のありかた、自然や人間相互との関わりあいの総体のうちに位置づけられる
○善という価値について
1 “善い・悪い”の「普遍」妥当性は、現代からみれば、人間らしさ・人間(の本質)という観念に由来
例:「嘘」は、そこに人間として悪いことなのだということがふくまれていて、私たちは暗黙のうちにそれを同意しているから“悪い”と感じる
1 “善い・悪い”の「普遍」妥当性は、現代からみれば、人間らしさ・人間(の本質)という観念に由来
例:「嘘」は、そこに人間として悪いことなのだということがふくまれていて、私たちは暗黙のうちにそれを同意しているから“悪い”と感じる
2 善・悪は本源的に社会的価値であり、その具体的内容は歴史的な社会的関係の「必要」の表現である
3 善(悪)は実現されるべき目標であるから、社会の現状の単純な追認に終わってはいけない
⇒第3部では3つの要請にこたえつつ私たちの問題に接近する視角を、欲求と疎外をとおして考える
第1章 価値意識の土台(P168~)
価値が主観的側面においても歴史的な社会構造に根本的に規定されつつ、なおかつそれを超越していく可能性をもつこと(価値の超越性)を、価値論の基本的枠組みとしてどう考えるか
→価値の主観的源泉を欲求にみることで一定の見通しをたてられる
⇔理念や普遍的な理論・論理を無前提に置くと、形式主義や“神々の争い”へ
→価値の主観的源泉を欲求にみることで一定の見通しをたてられる
⇔理念や普遍的な理論・論理を無前提に置くと、形式主義や“神々の争い”へ
一 価値意識は3つの契機からなる(P169~)
規範的価値として善悪が問題となるときは各人が普遍的(客観的)立場に立つことが必然的に前提
→規範的価値の超越性の根拠は価値の主観的側面にあるが、なによりも価値意識に依存する
※ 現実の生活過程において個人の気分などが事物の規範的価値に全く影響を及ぼさないということではないが、直接の規定要因としては度外視される
→規範的価値の超越性の根拠は価値の主観的側面にあるが、なによりも価値意識に依存する
※ 現実の生活過程において個人の気分などが事物の規範的価値に全く影響を及ぼさないということではないが、直接の規定要因としては度外視される
価値意識=各人が事物にたいしてあらかじめもっている価値評価の基準
∟価値の種類に注目して分類:美意識、好悪感、正義感(観)道徳意識、法意識、宗教意識など
∟価値評価のロジックに注目して分類:欲求、利害関心、規範関心(意識)の3つ
∟価値の種類に注目して分類:美意識、好悪感、正義感(観)道徳意識、法意識、宗教意識など
∟価値評価のロジックに注目して分類:欲求、利害関心、規範関心(意識)の3つ
○欲求について
・諸個人の自発的な行為の直接の内的原因として、事物の価値評価の第一の基準
・価値評価のロジックは「欲する。~したい」(wollen)
・通常私たちに「~したい」「・・・欲しい」と意識されるものすべて
・諸個人の自発的な行為の直接の内的原因として、事物の価値評価の第一の基準
・価値評価のロジックは「欲する。~したい」(wollen)
・通常私たちに「~したい」「・・・欲しい」と意識されるものすべて
- 欲求を基準とする価値評価=感性的・非論理的
○利害関心について
・個々の欲求や目標の実現可能性や、それらがより高次(ないしはより根本的)な欲求の実現にとって
もつ有用性・利害損失を顧慮する心理的傾向
・価値評価のロジック「もし~なら、~せよ(~したほうがよい・~すべきだ)」という仮言命令
・個々の欲求や目標の実現可能性や、それらがより高次(ないしはより根本的)な欲求の実現にとって
もつ有用性・利害損失を顧慮する心理的傾向
・価値評価のロジック「もし~なら、~せよ(~したほうがよい・~すべきだ)」という仮言命令
- 何かに役に立つ、有利である、効果がある、得である、などと意識される
- 利害関心からの価値評価
=反省(目的-手段の連関)としてなされるがゆえに媒介的評価であり、理性的形式
○ 規範意識について
- 個々の欲求や目的の規範との適合可能性ないし社会的承認可能性を顧慮する心理的傾向
- 価値評価のロジックは「~せよ(~すべきである)」(sollen)
- 人間として当然だから、社会の一員だから、伝統だから、決まりだからなど
- 規範意識からの価値評価=媒介的であり、理性的。反省の質は妥当性の連関
二 3つの契機を区別するメリットは何か、またどうかかわるか(P173~)
価値意識 価値
- 欲求 ・欲求的価値(快、美、幸福など)
- 利害関心 ⇒ ・手段的価値(有用・利など)
- 規範意識 ・規範的価値(善、正義など)
※価値評価の形式から価値の区別がなされているので価値の内容からみると重なり合うことがある
例:貨幣=手段的価値・欲求的価値 隣人を助けること=規範的価値・欲求的価値
例:貨幣=手段的価値・欲求的価値 隣人を助けること=規範的価値・欲求的価値
○価値意識を3つの要素に区別する意義
1 私たちの日常的な価値評価意識に合致していること
1 私たちの日常的な価値評価意識に合致していること
2 近代の倫理学の系譜が提起した論点を継承しつつそれらの一面性をまぬかれる基本的視座を得ることができること
3 「価値とは主体(個人)の必要をみたす客体(事物)の存在・性質である」とのべた「必要」が3つのレベルで意識されることを意味する
・必要(必然性 Notwendigkeit)
感覚的な知覚・直観と結びついたレベル→欲求
目的-手段の連関での反省と結びついたレベル→利害
妥当性の連関での反省と結びついたレベル→当為(道徳・倫理)
妥当性の連関での反省と結びついたレベル→当為(道徳・倫理)
※価値意識の3要素を区別することは有意義であるが、これは私たちが3つの絶対的に区別された評価基準ないし3種類の価値意識をもつことを意味するのではなく、現実の価値意識は分割不可能な単一のものである。3契機が問題となるのは行為や目的(の価値)が反省の対象となるときである。
三 価値意識の土台は欲求である
価値意識の3契機の相互対立は一般的に、現実の価値評価においては、対象およびそれと主体ないし主
体相互との関係の認識、すなわち「必要」の認識の差異による相対的対立である
→基本的には内容的ギャップの解消によって3契機の対立は止揚される
※「必要」の認識の差異が[解消されない場合は絶対的対立の様相をとる
体相互との関係の認識、すなわち「必要」の認識の差異による相対的対立である
→基本的には内容的ギャップの解消によって3契機の対立は止揚される
※「必要」の認識の差異が[解消されない場合は絶対的対立の様相をとる
理性的認識それ自体を価値評価の基準とみなして利害関心や規範意識を認識原理としての理性
に還元できるわけではない
→自己保存欲求、共同性欲求の存在
に還元できるわけではない
→自己保存欲求、共同性欲求の存在
○自己保存欲求について
利害関心は因果的認識や目的-手段の連関の認識を媒介しているが、対象をそのような連関に整序するよ
う傾向づけることの根底には将来の諸欲求の満足への欲求がある →自己保存欲求
利害関心は因果的認識や目的-手段の連関の認識を媒介しているが、対象をそのような連関に整序するよ
う傾向づけることの根底には将来の諸欲求の満足への欲求がある →自己保存欲求
○共同性欲求について
規範意識は妥当性連関の考察を媒介とするが、そのような方向へと思考を整序することの根底には関心
規範意識は妥当性連関の考察を媒介とするが、そのような方向へと思考を整序することの根底には関心
- 欲求がある →共同性欲求
⇒3つの契機の統一と連関は理論的に保証される
○自己保存欲求・共同性欲求=「諸欲求の欲求」
自己保存欲求・共同性欲求は、直接的な欲求として、それぞれ別個の反省を媒介とする利害関心、規
範意識として両様の形態をとる
→道徳的行為も倫理的行為も主体にとって直接的な欲求から発するものとしてと義務から発するものとしての両様でありうる
自己保存欲求・共同性欲求は、直接的な欲求として、それぞれ別個の反省を媒介とする利害関心、規
範意識として両様の形態をとる
→道徳的行為も倫理的行為も主体にとって直接的な欲求から発するものとしてと義務から発するものとしての両様でありうる
⇒諸個人の行為が倫理的・道徳的(善である)かそうでないかは、少なくとも動機の形式が欲求であるか理性的判断にもとづく意志であるかによって決まるとは単純にいえないので、基本的には動機の形式よりもその内容によって考えられねばならない
ある善い(ことが明らかな)行為が欲求からなされるほうが葛藤を介した理性的意志からなされるよ
り高次であるが、そこにいたるには、理性的認識と、欲求相互や利害関心・規範意識との対立とその止揚が、経験的につみかさねられねばならない
り高次であるが、そこにいたるには、理性的認識と、欲求相互や利害関心・規範意識との対立とその止揚が、経験的につみかさねられねばならない
