はじめに
二〇一一年五月、「環境倫理学・環境哲学・環境思想研究者の3.11緊急特別集会」 が東京で開かれた。災害と防災に関する理念、原発の本質的な問題、復興計画に関する理念等々の提言が行われたが、会場の雰囲気はさながら、環境運動にコミットすることができなかった環境思想の “敗北宣言”の場のようであった 。北米においては、九十年代、環境プラグマティズムが「環境倫理学」に対して、具体的な政策決定に実効性を持たなかったという批判を行ったことが知られている。日本においても同様の反省がなされるべきなのだろうか 。
+ | 環境倫理学・環境哲学・環境思想研究者の3.11緊急特別集会 |
ここで留意すべきは、北米と日本の環境運動の担い手の違いである。北米の場合、環境運動の担い手は、環境NPO・NGOである。公民権運動の成功以来、とくに一九六十年代半ば以降顕著になった傾向だが、八十年代以降、草の根環境主義へと裾野を広げながら、資源動員力と影響力を増している。環境倫理学も、環境プラグマティズムも、この環境NPO・NGOの動向と無縁ではない。その一方で、日本の環境運動の担い手は、五十年代以降、主に地域の住民である。日本において、環境倫理学が環境運動にコミットできなかった点について反省を巡らせるならば、この担い手の相違を無視するべきではない。しかし、加藤(一九九一)による紹介以降、「環境倫理学」は日本で一般に知られるようになったものの、北米と日本における環境運動の担い手の相違が、どのような価値基準の変化として、日本における環境思想にフィードバックされるかについては、いまだ十分に検討されているとはいえず、これは環境思想の実効性を制限しうる。また、環境社会学による環境運動の研究成果を参照することは、環境思想が知らず知らずのうちに形成する排他性(たこつぼ化)を緩和することにもなるだろう。
+ | 北米の環境NGO・NPO事情 |
本発表は、「文化的フレーミング」と「構造的緊張の連鎖的転移」という概念をもとに、地域住民によって担われる環境運動の〈成功〉と〈失敗〉を分かつ尺度を提示する。具体的には、原子力施設をめぐる環境運動と地域社会を扱う。新潟県巻町の原発建設をめぐる住民投票を〈成功例〉として、青森県六ヶ所村の核燃料サイクル施設の建設問題を〈失敗例〉として位置づけ、両者がそれぞれなぜ〈成功例/失敗例〉と見なしうるのかを論じる。
本発表第一節では、六十年代後半以来の日本の環境運動を、長谷川(二〇〇三)に準拠して、利害当事者としての地域住民を中心とする生活防衛的な「住民運動」と、良心的構成員としての市民が普遍主義的な価値の防衛をめざす「市民運動」とに大別して簡単に整理する。そして、七十年代から今日までの四事例に即し、それぞれの運動過程と背景を概観する。
第二節では、新潟県巻町の住民投票の事例が、なぜ環境運動として〈成功〉と位置づけられるかを検討する。一九九六年、巻町は日本初の住民投票を実現し、原発建設の事実上の中止を結論づけた。巻町の住民投票が十分な準備のもとで実施できた背景には、新潟市に隣接するベッドタウンという地理的条件と、運動の「文化的フレーミング」を原発の安全性と信頼性への疑問と設定した効果が大きいことを確認する。巻町と、青森県六ヶ所村の核燃料サイクル施設建設反対運動などとを対比することで、環境運動をポジティヴな文化的フレーミングへ変更しえたことが地元の住民、市民の参加を促したことを示す。
第三節では、リスクへの対応が、別のリスクを生み出すことで事態が重層的に深刻化する「構造的緊張の連鎖的転移」が、原発立地点などを含む周辺部で起こりやすいことを確認する。これをふまえ、本発表は巻町の事例に関して、住民投票が公正に実施されたこと、及び原発建設を中止に追い込んだことではなく、原発建設をめぐる議論を通じて、地域の住民間に不信感や禍根が残らずに済んだことにこそ注目する。そして、地域の推進派と反対派との間の紛争コストを最小限にし、〈最適な政治行動に関する十分な熟慮〉のための時間的・経済的・精神的諸余力を確保できたことを示す。
第四節では、ポジティヴな文化的フレーミングへの変更、構造的緊張の連鎖的転移の回避のために必要な、その地域で生活する人の間の信頼関係の構築・維持に関して、風土論が示唆を与えうるものとして位置づける。