第3章 現代日本の宗教の人間的意義(p83~)
3 宗教的問題解決の固有の論理と宗教の現代的魅力(p109~)
前節まで
→宗教の人間的意義を人間的欲求・願望の実現可能性に見る視点は、非宗教的な実現可能
性を認めることでもあった。
→宗教の人間的意義を人間的欲求・願望の実現可能性に見る視点は、非宗教的な実現可能
性を認めることでもあった。
ここではそれを踏まえ、現代での意義を理解するため、宗教的実現の固有の特徴は何か、
また宗教が果たしうる特別の意義はあるのかを考える。
また宗教が果たしうる特別の意義はあるのかを考える。
欲求の宗教実現の本質的な一次的特徴
主に2点(宗教の定義と関係する←第2章参照)
Ⅰ、超自然的超人間的存在(超越者)の人間(人間生活とその基礎としての自然)に対する威力
への信仰を中核とする観念・表彰・感情に基づく象徴的行為・儀礼のシステムである。
Ⅱ、諸個人において、欲求の実現が超越者の威力によって可能となるという認識の点で、
そしてこの威力の発現のための象徴的行為・儀礼に関与する点で、非宗教的実現と区
別される。
⇔この2点を同時に満たさない場合は非宗教的実現である。
Ex)平和を願って鳩を放つ象徴的行為、成人式・結婚式などの儀礼的行為
→そこに超越者の威力の観念が関わらない限り、宗教行為ではない。
⇒欲求の宗教的実現の基本型は、神話などの固有の表象・観念世界において祈祷などの象
徴的儀礼的行為を通じて超越的威力が生活にもたらす奇跡という構造においてなされる
ということ
主に2点(宗教の定義と関係する←第2章参照)
Ⅰ、超自然的超人間的存在(超越者)の人間(人間生活とその基礎としての自然)に対する威力
への信仰を中核とする観念・表彰・感情に基づく象徴的行為・儀礼のシステムである。
Ⅱ、諸個人において、欲求の実現が超越者の威力によって可能となるという認識の点で、
そしてこの威力の発現のための象徴的行為・儀礼に関与する点で、非宗教的実現と区
別される。
⇔この2点を同時に満たさない場合は非宗教的実現である。
Ex)平和を願って鳩を放つ象徴的行為、成人式・結婚式などの儀礼的行為
→そこに超越者の威力の観念が関わらない限り、宗教行為ではない。
⇒欲求の宗教的実現の基本型は、神話などの固有の表象・観念世界において祈祷などの象
徴的儀礼的行為を通じて超越的威力が生活にもたらす奇跡という構造においてなされる
ということ
※留意すべき点
①諸個人が現代日本社会を生きる上での意義である
②宗教の固有の二つの特徴と必然的に結びついた二次的特徴や意義であっても、論理的に
は非宗教的形態でも可能であるものも含まれる
③現代日本の諸宗教が多元的であるため、宗教の固有性と結びついた二次的特徴も意義も
多元的に見ざるを得ない
①諸個人が現代日本社会を生きる上での意義である
②宗教の固有の二つの特徴と必然的に結びついた二次的特徴や意義であっても、論理的に
は非宗教的形態でも可能であるものも含まれる
③現代日本の諸宗教が多元的であるため、宗教の固有性と結びついた二次的特徴も意義も
多元的に見ざるを得ない
当事者への直接的応答性と安心(立命)
宗教の二次的特徴と現代的意義
Ⅰ、個人であれ集団であれ願望・欲求・苦悩する当の主体に直接応答すること
(直接的応答性、当事者主義)
→超越的存在が私(たち)自身に解決を明示するという特徴
① 超越的存在が、一人ひとりの当の主体の現在進行形にある苦悩・欲望を聞き入れ正面から取り上げてくれる
② 超越的威力にあずかるため、当の主体の象徴行為・儀礼への直接的なかかわりが不可欠である
③ 結果(実現またはその保証)が、最終的には当の主体自身によって確認される
→これらは宗教ならば必ず含んでいる特徴である
宗教の二次的特徴と現代的意義
Ⅰ、個人であれ集団であれ願望・欲求・苦悩する当の主体に直接応答すること
(直接的応答性、当事者主義)
→超越的存在が私(たち)自身に解決を明示するという特徴
① 超越的存在が、一人ひとりの当の主体の現在進行形にある苦悩・欲望を聞き入れ正面から取り上げてくれる
② 超越的威力にあずかるため、当の主体の象徴行為・儀礼への直接的なかかわりが不可欠である
③ 結果(実現またはその保証)が、最終的には当の主体自身によって確認される
→これらは宗教ならば必ず含んでいる特徴である
⇔非宗教では、日常の些細な欲求を除く一身上の問題ないし生の全体に関わる問題につい
ては、上の3つを含む直接的応答性はほとんど確保されない。
Ex)病気その他多くの社会生活上困難←因果関係での解決
文学作品に触れる←偶然の結果
ては、上の3つを含む直接的応答性はほとんど確保されない。
Ex)病気その他多くの社会生活上困難←因果関係での解決
文学作品に触れる←偶然の結果
→そのため、システム化され人間疎外が深まり非宗教的な問題解決が個人に疎遠になる中
で、このような看板を掲げる宗教の特徴は一層鮮明に見えてくる。
で、このような看板を掲げる宗教の特徴は一層鮮明に見えてくる。
Ⅱ、諸個人の不安の解消を不可欠の契機とし、安心(立命)の確保である
(世界観宗教、信仰対象の母性化(阿弥陀信仰、観音信仰)、仲間意識の強調など、また
霊術系宗教、ご利益信仰なども)
→現実には問題解決に至らないものもあるが、それでも超越的存在の直接的応答ゆえに、
問題解決の確実性とそのためのプロセスが示されることが無意識のうちにも不安の解消
となる。
これは、問題の程度や深刻さに限らず些細な不安でも宗教的解決によって小さな安心を
得ている。(初詣、地鎮祭など)
(世界観宗教、信仰対象の母性化(阿弥陀信仰、観音信仰)、仲間意識の強調など、また
霊術系宗教、ご利益信仰なども)
→現実には問題解決に至らないものもあるが、それでも超越的存在の直接的応答ゆえに、
問題解決の確実性とそのためのプロセスが示されることが無意識のうちにも不安の解消
となる。
これは、問題の程度や深刻さに限らず些細な不安でも宗教的解決によって小さな安心を
得ている。(初詣、地鎮祭など)
脱科学的論理と共感・癒し・希望の論理
Ⅲ、超越的威力を媒介する宗教の問題解決の論理は、科学的因果性の論理とは異なる独特
のものである
宗教の論理の本質→“納得の論理”、“自己了解の論理”=レトリックの論理
これらの“論理”にとって超越的威力がもつ“積極的な”意義
Ⅲ、超越的威力を媒介する宗教の問題解決の論理は、科学的因果性の論理とは異なる独特
のものである
宗教の論理の本質→“納得の論理”、“自己了解の論理”=レトリックの論理
これらの“論理”にとって超越的威力がもつ“積極的な”意義
| + | 脱科学的論理とは、具体的に何があげられるか? |
① 問題の宗教的解決と納得・自己了解にとっての共感と癒し
→共感者が超越的存在であることで、共感は“絶対的”になる。(Ⅰ-①と関連)
→これによって宗教的解決は半ば達成、苦悩も半ば癒される。
② 問題の宗教的解決のためにもつ宗教独特の“希望の論理”
→欲求・願望の実現の絶対的確実性を強調した宗教もあれば、逆に欲望自体の否定を
説くものもある。しかしこれはともに“希望の論理”を持っていることに変わりな
い。(例えば仏教の悟り・涅槃という目標)
→共感者が超越的存在であることで、共感は“絶対的”になる。(Ⅰ-①と関連)
→これによって宗教的解決は半ば達成、苦悩も半ば癒される。
② 問題の宗教的解決のためにもつ宗教独特の“希望の論理”
→欲求・願望の実現の絶対的確実性を強調した宗教もあれば、逆に欲望自体の否定を
説くものもある。しかしこれはともに“希望の論理”を持っていることに変わりな
い。(例えば仏教の悟り・涅槃という目標)
神話の論理のリアリティ
③ 神話や物語が納得と了解にとって持つ有意義な論理
→従来、迷信・虚妄と片付けられた神話・物語には、多様な経験的事象を意味づけ自
己と関係づける“論理”が存在する。(“生まれ変わり”のモチーフ)
→日常経験の世界での分かりやすい“関わり”を手がかりに、神話・物語はリアリ
ティを持って共感・共有され、それが人々の生にとって様々な意味をもたらす。
※このような意味づけと関係づけの脱科学主義的な論理がいかに諸個人の納得と
了解の論理につながるかは今後の課題(河合隼雄ら、A.ベルク)
③ 神話や物語が納得と了解にとって持つ有意義な論理
→従来、迷信・虚妄と片付けられた神話・物語には、多様な経験的事象を意味づけ自
己と関係づける“論理”が存在する。(“生まれ変わり”のモチーフ)
→日常経験の世界での分かりやすい“関わり”を手がかりに、神話・物語はリアリ
ティを持って共感・共有され、それが人々の生にとって様々な意味をもたらす。
※このような意味づけと関係づけの脱科学主義的な論理がいかに諸個人の納得と
了解の論理につながるかは今後の課題(河合隼雄ら、A.ベルク)
偶然性の必然性への転化の論理
ここに超越的威力の媒介の最大の意義があり、問題の宗教的解決の最大の独自性がある。
↑
人間にとって生活上の苦悩は多いが、了解しがたいものは“偶然性の不条理”
→諸個人は一身上に関わる何らかの必然的結果と納得し了解することで、人は一身上の出
来事を“絶対的に受容”する。
→その問題に正面から主体的に向き合う力を獲得する。
(科学的論理とは別次元の意味的了解の論理、目的論的因果性の論理)
⇒生の意味づけや一身上の出来事の自己了解は宗教に限ったことではない。しかし宗教の
固有性は目的論的因果性の論理による納得と自己了解であり、生きがいの難しい現代で、
その役割は小さくないのでは。
ここに超越的威力の媒介の最大の意義があり、問題の宗教的解決の最大の独自性がある。
↑
人間にとって生活上の苦悩は多いが、了解しがたいものは“偶然性の不条理”
→諸個人は一身上に関わる何らかの必然的結果と納得し了解することで、人は一身上の出
来事を“絶対的に受容”する。
→その問題に正面から主体的に向き合う力を獲得する。
(科学的論理とは別次元の意味的了解の論理、目的論的因果性の論理)
⇒生の意味づけや一身上の出来事の自己了解は宗教に限ったことではない。しかし宗教の
固有性は目的論的因果性の論理による納得と自己了解であり、生きがいの難しい現代で、
その役割は小さくないのでは。
4 現代日本の宗教の社会的意義(p121~)
宗教の社会的機能という視角から宗教の現代的意義を補足
現代宗教の社会的意義
Ⅰ、商品の論理の全社会システム化とその深刻な疎外のダメージを和らげ、危機にひんし
ている自己性を確保する
→その中で特に人間的受苦の解消と心身の癒しがその危機へのクッションの役割を担う。
=宗教の商品社会における補完的機能(消極的なイデオロギー機能)
Ⅱ、商品社会の補完以上の社会的意義
←商品社会における人間疎外は社会の自壊だけでなく、それを作りかえる基礎的な人
間力そのものを解体するため。
Ⅲ、現代の宗教は近代社会と近代思想において自明のこととして社会生活における私的領
域の意義を注目させ、その確保に寄与
→Ⅱと関連して、私が裸のままで私として生きられる等身大の意味空間の確保。
⇔個性をゼロ化し、自己を商品価値として高め、“まなざし地獄”の中で生きる。
Ⅳ、あるタイプの宗教は商品社会システムにおけるアジール(避難場所)となる
→ハーバマス風で言うとシステムへの抵抗点となる。(佐藤和夫、大村英昭)
Ⅴ、伝統的宗教や儀礼的宗教は、社会的規範が空洞化し人間の孤立化の中で緩やかなつな
がりを伝統的型に頼る風潮とともに、社会的結合の契機となり、また伝統的文化の継
承の媒体ともなる
Ⅰ、商品の論理の全社会システム化とその深刻な疎外のダメージを和らげ、危機にひんし
ている自己性を確保する
→その中で特に人間的受苦の解消と心身の癒しがその危機へのクッションの役割を担う。
=宗教の商品社会における補完的機能(消極的なイデオロギー機能)
Ⅱ、商品社会の補完以上の社会的意義
←商品社会における人間疎外は社会の自壊だけでなく、それを作りかえる基礎的な人
間力そのものを解体するため。
Ⅲ、現代の宗教は近代社会と近代思想において自明のこととして社会生活における私的領
域の意義を注目させ、その確保に寄与
→Ⅱと関連して、私が裸のままで私として生きられる等身大の意味空間の確保。
⇔個性をゼロ化し、自己を商品価値として高め、“まなざし地獄”の中で生きる。
Ⅳ、あるタイプの宗教は商品社会システムにおけるアジール(避難場所)となる
→ハーバマス風で言うとシステムへの抵抗点となる。(佐藤和夫、大村英昭)
Ⅴ、伝統的宗教や儀礼的宗教は、社会的規範が空洞化し人間の孤立化の中で緩やかなつな
がりを伝統的型に頼る風潮とともに、社会的結合の契機となり、また伝統的文化の継
承の媒体ともなる
問題の宗教的解決と非宗教的解決の等価性
確認:宗教の人間的意義としての問題の解決は宗教の専売特許ではなく、非宗教的にも可
能。(受験成功願望、病気の克服など)
→それだけでなく、現実的にも非宗教的解決の道は開けてきている。(河野2002)(フリ
ースクール、心理療法、カウンセリング、セラピーなど)
⇒同じ問題が基本的には非宗教的にも解決可能だという視点によって、宗教の現代的意義
がよりリアリティを持つ。また両者の緊張関係ないし差異の中でより明確化し、理論的
実践的に問われ続けるのである。
確認:宗教の人間的意義としての問題の解決は宗教の専売特許ではなく、非宗教的にも可
能。(受験成功願望、病気の克服など)
→それだけでなく、現実的にも非宗教的解決の道は開けてきている。(河野2002)(フリ
ースクール、心理療法、カウンセリング、セラピーなど)
⇒同じ問題が基本的には非宗教的にも解決可能だという視点によって、宗教の現代的意義
がよりリアリティを持つ。また両者の緊張関係ないし差異の中でより明確化し、理論的
実践的に問われ続けるのである。
宗教的問題の非宗教的解決の特徴
Ⅰ、宗教と同じ問題の非宗教的解決を科学的技術的解決や科学主義的な合理的解決に還元
しない
Ⅱ、歴史的出自は過去の宗教に由来する思想や振る舞い、その意味で宗教的遺産であって
も、そこに超越的威力に関わる象徴行為がなければ、宗教と言わない
Ⅲ、文化や人間の営みには宗教と非宗教の共通する側面が多く、それゆえ両者の境界事例
ないし中間現象が多く存在する
⇒Ⅰ~Ⅲで宗教的解決と分ける重要なことは、超越的威力への信仰行動の有無である。
Ⅰ、宗教と同じ問題の非宗教的解決を科学的技術的解決や科学主義的な合理的解決に還元
しない
Ⅱ、歴史的出自は過去の宗教に由来する思想や振る舞い、その意味で宗教的遺産であって
も、そこに超越的威力に関わる象徴行為がなければ、宗教と言わない
Ⅲ、文化や人間の営みには宗教と非宗教の共通する側面が多く、それゆえ両者の境界事例
ないし中間現象が多く存在する
⇒Ⅰ~Ⅲで宗教的解決と分ける重要なことは、超越的威力への信仰行動の有無である。
| + | 宗教的解決と非宗教的解決が等価性をもつような問題の水準とはどのようなものか? |
一ヒラ文化としての宗教
宗教の固有の意義の位置付け
宗教は現代の諸個人の問題を解決する現代人の社会的文化的活動の一環であり、あえて強調すれば、現代においては宗教は事実的にも価値的にも“一ヒラ文化”である(亀山・中西他1996)
⇒問題はどれだけ宗教固有の仕方で現代人の問題解決に寄与しているか
(同時に宗教は超越的威力を固有の観念装置であるかぎり、本質的に人間抑圧の可能性
をもつ=宗教の両義的可能性)
→批判とともに次章へ
宗教の固有の意義の位置付け
宗教は現代の諸個人の問題を解決する現代人の社会的文化的活動の一環であり、あえて強調すれば、現代においては宗教は事実的にも価値的にも“一ヒラ文化”である(亀山・中西他1996)
⇒問題はどれだけ宗教固有の仕方で現代人の問題解決に寄与しているか
(同時に宗教は超越的威力を固有の観念装置であるかぎり、本質的に人間抑圧の可能性
をもつ=宗教の両義的可能性)
→批判とともに次章へ
