風土共生倫理学
駒津弘和
駒津弘和
第3章「自然の権利」の可能性―「動物の権利」を中心に―
三 自然の権利の可能性(p104~118)
自然の権利はどう可能なのか。現実の自然保護運動や環境保護における「自然の権利」の見方と、これまでの「自然(動物)の権利」論への倫理的限定を調整し、実践の中の「自然の権利」を合意の論拠としてどこまで基礎づけられるか。
現実の運動の中の「自然の権利」論
「自然(物)の権利」は、1970年代初頭にスキー場開発のために伐採される樹木が開発さし止めを裁判所に提起する権利(樹木の原告適格性)を主張した法哲学者ストーンによって明確にされた。
→次第に種の保存の権利として認められてきている。
一方日本では、最初に自然の権利を提起した「アマミのクロウサギ」訴訟(1995)は「動物が……訴訟するなどありえない」として門前払いにされた。(その後の茨城県オオヒシクイ訴訟、神奈川県ホンドキツネ訴訟、諫早湾ムツゴロー・住民共同訴訟でも同じ)
→法的な「自然の権利」そのものは基本的に認められないのが現状。
「自然(物)の権利」は、1970年代初頭にスキー場開発のために伐採される樹木が開発さし止めを裁判所に提起する権利(樹木の原告適格性)を主張した法哲学者ストーンによって明確にされた。
→次第に種の保存の権利として認められてきている。
一方日本では、最初に自然の権利を提起した「アマミのクロウサギ」訴訟(1995)は「動物が……訴訟するなどありえない」として門前払いにされた。(その後の茨城県オオヒシクイ訴訟、神奈川県ホンドキツネ訴訟、諫早湾ムツゴロー・住民共同訴訟でも同じ)
→法的な「自然の権利」そのものは基本的に認められないのが現状。
権利には法律に基づく権利と基づかない権利とがあり、「自然の権利」訴訟では後者で見るとその意義が明確になる。(山村)
→直接に裁判の対象になり得ないとしても、自然法上ないし倫理的権利として、法的権利の背景的権利という性格を持つ。(ex「女性の権利」)
→「自然の権利」も種々の自然保護法の発展の背景となる理念・倫理的判断として有効。
→直接に裁判の対象になり得ないとしても、自然法上ないし倫理的権利として、法的権利の背景的権利という性格を持つ。(ex「女性の権利」)
→「自然の権利」も種々の自然保護法の発展の背景となる理念・倫理的判断として有効。
日本における「自然の権利」訴訟の性格はアメリカなどの場合と本質的に異なる。(鬼頭)
→人間の自然との関わりを前提し、関わりの場としての自然の保護を求める点。
→前章“共生すべき自然の保護”の基本的立場に一致し、「自然の権利」論が意味を持つことを示唆。
→人間の自然との関わりを前提し、関わりの場としての自然の保護を求める点。
→前章“共生すべき自然の保護”の基本的立場に一致し、「自然の権利」論が意味を持つことを示唆。
自然の権利が成り立つ前提
本質的な機能論的性格からの権利:
客観的根拠や絶対的原理によってでなく、人間の社会的な実践的必要にもとづく相互承認によって成立すること。(「必要」=コミュニケーション的視点)
本質的な機能論的性格からの権利:
客観的根拠や絶対的原理によってでなく、人間の社会的な実践的必要にもとづく相互承認によって成立すること。(「必要」=コミュニケーション的視点)
「自然物の権利」における権利概念に関する条件
①権利とは権利主体の存在の無条件尊重を義務付ける倫理的な規範概念である(権利の不可侵の原理)
②自然の権利は、それを認めなければ環境保護ないし自然保護の全体的解決に困難ないし混乱をもたらすという見通し、あるいは少なくともそれを認めるならば問題解決に大きく寄与するという見通しから、社会的に端的に(約束事として)承認されるという性質を持つ。
→自然の権利が認められうるとしたら、問題解決に混乱を生じない限りである。
③権利はどこまでも人間社会のルールないし倫理の公理であり、自然の権利が認められうる場合でも同じ
→人間が“一方的に”自然の権利の尊重義務を負う。
④自然の権利が認められうるとしたら、人間の権利の類推的拡張としての性格を持たざるを得ない
→自然の権利が認められることは、自然が人間を含む共同体の一員として認められることである。
①権利とは権利主体の存在の無条件尊重を義務付ける倫理的な規範概念である(権利の不可侵の原理)
②自然の権利は、それを認めなければ環境保護ないし自然保護の全体的解決に困難ないし混乱をもたらすという見通し、あるいは少なくともそれを認めるならば問題解決に大きく寄与するという見通しから、社会的に端的に(約束事として)承認されるという性質を持つ。
→自然の権利が認められうるとしたら、問題解決に混乱を生じない限りである。
③権利はどこまでも人間社会のルールないし倫理の公理であり、自然の権利が認められうる場合でも同じ
→人間が“一方的に”自然の権利の尊重義務を負う。
④自然の権利が認められうるとしたら、人間の権利の類推的拡張としての性格を持たざるを得ない
→自然の権利が認められることは、自然が人間を含む共同体の一員として認められることである。
可能な自然の権利
以上から、自然の権利は無条件に成立するのではなく、ある一定の範囲で限られた意味においてである。
以上から、自然の権利は無条件に成立するのではなく、ある一定の範囲で限られた意味においてである。
現時点で社会的に承認可能な自然の権利(前節動物倫理の三基本原理をふまえて)
①コンパニオンアニマルの権利
前節に提示したようにペットなどは家族の一員として、警察犬・牧羊犬などは社会の一員として扱われることが妥当であり、それにより生存権、苦痛・虐待から解放される権利、よりよく生きる権利(健康・福祉)などが個体に認められる。
②地域社会が共生すべき自然の権利
地域社会が属する共生の場としての生態系(生命共同体)を構成し、地域社会が不可欠の共生相手とする野生の動植物集団や山林河川(の生態系システム)などに認められる。生業の場合など駆除・個体調節を含むため、この場合種ないし集団としての生存権に限定される。
①コンパニオンアニマルの権利
前節に提示したようにペットなどは家族の一員として、警察犬・牧羊犬などは社会の一員として扱われることが妥当であり、それにより生存権、苦痛・虐待から解放される権利、よりよく生きる権利(健康・福祉)などが個体に認められる。
②地域社会が共生すべき自然の権利
地域社会が属する共生の場としての生態系(生命共同体)を構成し、地域社会が不可欠の共生相手とする野生の動植物集団や山林河川(の生態系システム)などに認められる。生業の場合など駆除・個体調節を含むため、この場合種ないし集団としての生存権に限定される。
※生産用家畜や実験動物に権利は認められるか
一方的利用を前提とした“命の送り手として扱え”の原理では、生存を基本的な権利と認めることは困難。
→権利を否定しながら権利尊重をいう矛盾・混乱、権利概念の空洞化を避けるため、また殺傷を予定しながら動物福祉を強調する“欺瞞”に陥らないために留保。
一方的利用を前提とした“命の送り手として扱え”の原理では、生存を基本的な権利と認めることは困難。
→権利を否定しながら権利尊重をいう矛盾・混乱、権利概念の空洞化を避けるため、また殺傷を予定しながら動物福祉を強調する“欺瞞”に陥らないために留保。
なお残る問題と自然の権利の性格
限定的だが環境倫理の規範として成立可能な自然の権利に残る問題点
①自然の権利と言いながら、権利が認められるものとそうでないものにある格差、また認められても権利内容が異なること
→社会的関わりの相違であり、それゆえ社会が権利として補償すべき内容の相違による。もっとも基本的な生存権という点では同等。(成人と児童、コンパニオンアニマルと野生動物など)
②圧倒的多数の自然物に権利が認められないこと
→権利概念は機能論的であり、権利の有無は権利の尊重を義務付けられる社会(的成員)が実践的必要によって不可侵と認めることで成立するのである。
限定的だが環境倫理の規範として成立可能な自然の権利に残る問題点
①自然の権利と言いながら、権利が認められるものとそうでないものにある格差、また認められても権利内容が異なること
→社会的関わりの相違であり、それゆえ社会が権利として補償すべき内容の相違による。もっとも基本的な生存権という点では同等。(成人と児童、コンパニオンアニマルと野生動物など)
②圧倒的多数の自然物に権利が認められないこと
→権利概念は機能論的であり、権利の有無は権利の尊重を義務付けられる社会(的成員)が実践的必要によって不可侵と認めることで成立するのである。
人間による自然の権利の代弁の問題点
③自然自身が権利を主張するのではなく、人間がそれを代弁せざるを得ないこと
③自然自身が権利を主張するのではなく、人間がそれを代弁せざるを得ないこと
フレチェット(1993)による基本的な論点
Ⅰ、人間が主張する限り自然の権利といってもそこに主張する人間の立場や利害が投影され、主張する人間の利害が正当化・絶対化される
Ⅱ、人間に都合のよい自然の不可侵性だけを自然の権利ということになる
→しかし、権利の代弁は人権の領域でも珍しくはない。(児童相談所、近親者など)
→むしろ問題は、裁判過程などの公共の場でどう精確に主張するかであり、代行自体が無意味になるわけではない。
Ⅰ、人間が主張する限り自然の権利といってもそこに主張する人間の立場や利害が投影され、主張する人間の利害が正当化・絶対化される
Ⅱ、人間に都合のよい自然の不可侵性だけを自然の権利ということになる
→しかし、権利の代弁は人権の領域でも珍しくはない。(児童相談所、近親者など)
→むしろ問題は、裁判過程などの公共の場でどう精確に主張するかであり、代行自体が無意味になるわけではない。
また自然の権利にとって重要なのはⅡの疑問であり、地域の共生すべき自然を代弁できるのは、地域に根差し地域の自然と恒常的に関わり自然の状態を熟知した人間である(=地民(ちみん))と言える。
↑自然の権利は自然が人間とかかわり人間と一つの生命共同体を構成する点から成立するため
↑自然の権利は自然が人間とかかわり人間と一つの生命共同体を構成する点から成立するため
地民による自然の権利の代弁の現実的意義
それぞれの立場から権利を代弁するのは避けられない。
代弁者を地民とすることで、それと関わらせることにより自然の権利の実践的意義を明確にし、自然の権利の理念に含まれる矛盾を顕在化させない“安全装置”となる。
それぞれの立場から権利を代弁するのは避けられない。
代弁者を地民とすることで、それと関わらせることにより自然の権利の実践的意義を明確にし、自然の権利の理念に含まれる矛盾を顕在化させない“安全装置”となる。
①人権も含め権利が実践的に意義を持つのは、権利を認められる主体にとって本質的に必要な物の欠如を社会的に補い保障する場面である。
→理念としては権利内容に論理的に含まれるすべての実現だが、権利概念は時代状況の中で本質的欠如として要求される根拠として機能しており、実際そのようにして権利を豊富化してきた。
②自然の権利は人権の拡張であることから、理念上は人間と自然の権利の“対等性”はもちろん、地域生態系の中のあらゆる生物種の存続する権利の“平等”を含み、さらには棲息域や自然の風景の構成要素など、地域の自然を構成する一切の自然物にまで拡張する必然性を内包している。
→これが実践されると大混乱。だが、地民を代弁者とすることで自然の権利は相当程度に限定され、“平等な権利”間の調停はこれにおいてのみ必要となる。
③人間による自然の“開発”“改造”が自然の権利を侵しているという自然の権利論への最大の難問もクリアされる
→地民が代弁する自然の権利は、地域における人間との関わりを持つ共生すべき自然の存続である。さらにそれは、外部者(市場の論理)への抵抗の原理となる点に実践的意義がある。
→理念としては権利内容に論理的に含まれるすべての実現だが、権利概念は時代状況の中で本質的欠如として要求される根拠として機能しており、実際そのようにして権利を豊富化してきた。
②自然の権利は人権の拡張であることから、理念上は人間と自然の権利の“対等性”はもちろん、地域生態系の中のあらゆる生物種の存続する権利の“平等”を含み、さらには棲息域や自然の風景の構成要素など、地域の自然を構成する一切の自然物にまで拡張する必然性を内包している。
→これが実践されると大混乱。だが、地民を代弁者とすることで自然の権利は相当程度に限定され、“平等な権利”間の調停はこれにおいてのみ必要となる。
③人間による自然の“開発”“改造”が自然の権利を侵しているという自然の権利論への最大の難問もクリアされる
→地民が代弁する自然の権利は、地域における人間との関わりを持つ共生すべき自然の存続である。さらにそれは、外部者(市場の論理)への抵抗の原理となる点に実践的意義がある。
「自然の権利」論の課題と環境倫理的意義
自然の権利を環境倫理の原理として位置付けるにはまだ疑問や課題が多い。
(ex家族の一員である犬が野生のクマに殺傷されたら?コミュニケーション関係にある人形やロボットの権利は?代弁者の中で意見が割れた時は?など)
⇒これらは論理的に整理されるべき問題ではなく、具体的問題に即して実践的問題解決の論拠として豊富化されるべき。
自然の権利を環境倫理の原理として位置付けるにはまだ疑問や課題が多い。
(ex家族の一員である犬が野生のクマに殺傷されたら?コミュニケーション関係にある人形やロボットの権利は?代弁者の中で意見が割れた時は?など)
⇒これらは論理的に整理されるべき問題ではなく、具体的問題に即して実践的問題解決の論拠として豊富化されるべき。
自然の権利を環境倫理の原理として立てる意味
①現実の日本の自然保護活動(や動物愛護・福祉運動)の中で“自然の権利”という言葉、およびそれを保護の論拠とすることが根づいていること
→理論上は未分化でも、それを明確化する点こそ理論の意義、環境倫理学の役割と言える。
②自然の権利は法律で定められる自然保護のあり方を基礎づける法的理念として豊かな可能性を持つ
③大工業文明や開発によって危機に瀕している生物種や生態系のこれ以上の破壊の端的な禁止を明示するキーワードとして、“自然の権利”以上に分かりやすく説得力を持ち、かつ人々を保護行為へと規範的に方向づける言葉は目下ない
④“自然の権利”のターム自体は欧米発であり、このタームを環境倫理の原理に位置付けることによって、生物種や生態系の保護理念として、欧米社会とも共有可能な環境倫理へと発展させる可能性を持つ
①現実の日本の自然保護活動(や動物愛護・福祉運動)の中で“自然の権利”という言葉、およびそれを保護の論拠とすることが根づいていること
→理論上は未分化でも、それを明確化する点こそ理論の意義、環境倫理学の役割と言える。
②自然の権利は法律で定められる自然保護のあり方を基礎づける法的理念として豊かな可能性を持つ
③大工業文明や開発によって危機に瀕している生物種や生態系のこれ以上の破壊の端的な禁止を明示するキーワードとして、“自然の権利”以上に分かりやすく説得力を持ち、かつ人々を保護行為へと規範的に方向づける言葉は目下ない
④“自然の権利”のターム自体は欧米発であり、このタームを環境倫理の原理に位置付けることによって、生物種や生態系の保護理念として、欧米社会とも共有可能な環境倫理へと発展させる可能性を持つ