ドクター45
一つのベッドに横たわる男と女
そうは言っても艶っぽい意味ではなく
診療所の前で倒れていた黒服Hとミツキを、他の患者の目につかないようドクターの寝室に運び入れたからだ
ベッドに運ぶ前に一通りの処置はされており、二人は静かに寝息を立てている
散らかった医療用具を片付けながら、バイトちゃんが溜息を吐いた
「随分と酷い傷でしたね、ミツキさん」
「刃物で斬られたのではなく、切れ味の鈍いもので抉られた感じだったな。人間だったら助かる傷じゃない」
珍しく疲労困憊といった様子で、ぐったりと椅子に座り込んでいるドクター
「問題は彼だな。色々と思い当たる節はあるが調べてみない事にはどうにもならん。とりあえず君はメアリーとで診療所の方を頼む」
「判りました。それじゃあこちらの方はお任せします」
白衣に袖を通しながら、ぱたぱたと寝室を出ていくバイトちゃん
気配が遠ざかっていった事を確認して、ごほんとドクターは咳払いをする
「さて、事の詳細を聞きたいのだが」
「別に狸寝入りをしてたわけじゃないからな。マジできついんだ今」
「狸寝入りをしていた振りをして、身体の不調を隠すと思ったのでそう振ってみたのだが」
「普通の嘘や方便ならともかく、体調に関してあんたを誤魔化せるとは思ってないさ。まあ辰也があんたをそれなり程度には信用してるってのもあるけどな」
「それは有難い事だ。医者は腕もさる事ながら信用商売だからな」
ドクターは静かに微笑を浮かべる
「さて……ぶっちゃけた話、君の身体に関して色々調べたい」
「辰也が渡したデータはとっくに見たんだろ? プロテクトもパスワードも、あの双子の嬢ちゃん相手じゃ掛かってないも同然だろう」
「随分とこちらの人材に詳しいな」
「彼女らは『薔薇十字団』と仲が悪い支部にいたからな、それなりには知ってるさ」
「ふむ、なるほどな。それでは本題に入るか」
ドクターの手が、そっとHの首筋に触れる
「体温、発汗、血流、呼吸、心音……何を取っても最悪と言って良い有様だ。薬は?」
「うっかり切らせたばかりにこの様だ」
「症状を見るに、同じ薬を精製するわけにもいかん。体力を回復したり、多少の傷を治す程度の『回復薬』は精製できたが『万能薬』と言われるようなものを作るには、知識も材料も検体も経験も……何から何まで足りない」
「あんたが焦る必要は無い。しばらく休んでりゃどうにかなる。薬は辰也の奴に連絡して持ってこさせるしな」
「この場は凌げても、この先はどうする?」
「さあな、なるようになるさ」
お互い、言葉が途絶え
短い沈黙の後、ドクターが先に口を開く
「治る気が無い患者までは、ボクは治せない。だが……治して欲しいと願う患者の手は、ボクは絶対に離さない」
「早死にするタイプだな」
「お互い様だろう?」
「さて、どうかな」
くくくと意地悪そうに、だが子供っぽい声で笑い
「君には何度も身内を助けられている。恩は返しておきたいのだがね」
「返されるほどの恩を売ったつもりは無いんだがね」
「生憎と、ボクの愛人の命はこの世界よりも重いものでね」
そう言ってミツキを見詰めるドクターの顔は、愛人というよりも母親のように見える
「世界に逆らううぐらいの恩は返させてもらうつもりだ、覚悟したまえ」
「恩返しで言う台詞じゃねぇぞそれ」
「なに、本当に世界に逆らうほどの事だからな。『都市伝説を人間にする』などという技術は」
「……眉唾だな」
「できるという確信があるから、ボクはこの研究に生涯を捧げているのだとも……さて」
ドクターはベッドから離れ、ぐいと身体を捻り伸ばす
「長話をしてしまって申し訳ない。体力が回復するまでもう少し休んでいくといい。ボクの話に乗るかどうかは、ゆっくりと考えてくれたまえ」
そう言って寝室から出て行くドクターを見送り
Hは緊張を解いてベッドに身体を預ける
手を伸ばせば届くところには、『動けるようになったら飲んでおきたまえ』とドイツ語で記されたメモと、古めかしい小さな硝子瓶に入った薬らしき液体がいくつか置いてあった
「さて、どうしたもんかね」
隣で寝息を立てているミツキ
彼女とメアリーがドクターと一緒に使っているというキングサイズのベッド
そこから導き出される回答を脳のメモリーに刻み付けながら、それとは別にドクターの言葉と態度を思い起こしていた
そうは言っても艶っぽい意味ではなく
診療所の前で倒れていた黒服Hとミツキを、他の患者の目につかないようドクターの寝室に運び入れたからだ
ベッドに運ぶ前に一通りの処置はされており、二人は静かに寝息を立てている
散らかった医療用具を片付けながら、バイトちゃんが溜息を吐いた
「随分と酷い傷でしたね、ミツキさん」
「刃物で斬られたのではなく、切れ味の鈍いもので抉られた感じだったな。人間だったら助かる傷じゃない」
珍しく疲労困憊といった様子で、ぐったりと椅子に座り込んでいるドクター
「問題は彼だな。色々と思い当たる節はあるが調べてみない事にはどうにもならん。とりあえず君はメアリーとで診療所の方を頼む」
「判りました。それじゃあこちらの方はお任せします」
白衣に袖を通しながら、ぱたぱたと寝室を出ていくバイトちゃん
気配が遠ざかっていった事を確認して、ごほんとドクターは咳払いをする
「さて、事の詳細を聞きたいのだが」
「別に狸寝入りをしてたわけじゃないからな。マジできついんだ今」
「狸寝入りをしていた振りをして、身体の不調を隠すと思ったのでそう振ってみたのだが」
「普通の嘘や方便ならともかく、体調に関してあんたを誤魔化せるとは思ってないさ。まあ辰也があんたをそれなり程度には信用してるってのもあるけどな」
「それは有難い事だ。医者は腕もさる事ながら信用商売だからな」
ドクターは静かに微笑を浮かべる
「さて……ぶっちゃけた話、君の身体に関して色々調べたい」
「辰也が渡したデータはとっくに見たんだろ? プロテクトもパスワードも、あの双子の嬢ちゃん相手じゃ掛かってないも同然だろう」
「随分とこちらの人材に詳しいな」
「彼女らは『薔薇十字団』と仲が悪い支部にいたからな、それなりには知ってるさ」
「ふむ、なるほどな。それでは本題に入るか」
ドクターの手が、そっとHの首筋に触れる
「体温、発汗、血流、呼吸、心音……何を取っても最悪と言って良い有様だ。薬は?」
「うっかり切らせたばかりにこの様だ」
「症状を見るに、同じ薬を精製するわけにもいかん。体力を回復したり、多少の傷を治す程度の『回復薬』は精製できたが『万能薬』と言われるようなものを作るには、知識も材料も検体も経験も……何から何まで足りない」
「あんたが焦る必要は無い。しばらく休んでりゃどうにかなる。薬は辰也の奴に連絡して持ってこさせるしな」
「この場は凌げても、この先はどうする?」
「さあな、なるようになるさ」
お互い、言葉が途絶え
短い沈黙の後、ドクターが先に口を開く
「治る気が無い患者までは、ボクは治せない。だが……治して欲しいと願う患者の手は、ボクは絶対に離さない」
「早死にするタイプだな」
「お互い様だろう?」
「さて、どうかな」
くくくと意地悪そうに、だが子供っぽい声で笑い
「君には何度も身内を助けられている。恩は返しておきたいのだがね」
「返されるほどの恩を売ったつもりは無いんだがね」
「生憎と、ボクの愛人の命はこの世界よりも重いものでね」
そう言ってミツキを見詰めるドクターの顔は、愛人というよりも母親のように見える
「世界に逆らううぐらいの恩は返させてもらうつもりだ、覚悟したまえ」
「恩返しで言う台詞じゃねぇぞそれ」
「なに、本当に世界に逆らうほどの事だからな。『都市伝説を人間にする』などという技術は」
「……眉唾だな」
「できるという確信があるから、ボクはこの研究に生涯を捧げているのだとも……さて」
ドクターはベッドから離れ、ぐいと身体を捻り伸ばす
「長話をしてしまって申し訳ない。体力が回復するまでもう少し休んでいくといい。ボクの話に乗るかどうかは、ゆっくりと考えてくれたまえ」
そう言って寝室から出て行くドクターを見送り
Hは緊張を解いてベッドに身体を預ける
手を伸ばせば届くところには、『動けるようになったら飲んでおきたまえ』とドイツ語で記されたメモと、古めかしい小さな硝子瓶に入った薬らしき液体がいくつか置いてあった
「さて、どうしたもんかね」
隣で寝息を立てているミツキ
彼女とメアリーがドクターと一緒に使っているというキングサイズのベッド
そこから導き出される回答を脳のメモリーに刻み付けながら、それとは別にドクターの言葉と態度を思い起こしていた
―――
それからしばらくして、連絡を受けた辰也が薬を持って診療所を訪れた
「もう少し休ませたいから正式に入院手続きをする。個室に移してくれ」
「もう大丈夫だっての」
「大丈夫な奴は血を吐いたりしねえっての。あと、いつまでも女の隣に寝かせておけねぇだろ」
「いや俺としてはこの方が色々と元気にだな」
「だから頭冷やすのに個室入れっつってんだよ!?」
「それなりに元気になったのは良いのだが、小さな診療所だが一応病院なんだし少し静かにしたまえ」
苦笑するドクターの後ろではメアリーが入院の手続き書類を書いており、エニグマ姉妹が二人を入院用の部屋へと案内する
「なんだ、あいつが担ぎ込まれた時と同じ部屋か」
その部屋はかつて三面鏡の少女が通り魔に刺された折に入っていた部屋だった
「あいつというのが誰かは判りかねるでありますが、部屋数が少ないので辛抱していただきたいのであります」
「私達もバイトさんの部屋住まいですしね」
「待て、あいつ今は女だけどいい加減男に戻るんじゃないのか?」
「戻ったら何か問題とかあるでありますか?」
小首を傾げながらベッドメイクを済ませるエニグマ姉
「では何かありましたらそちらのボタンか据付の電話で内線に連絡を下さいね」
聞かなかった事にして、さらりと笑顔で退室するエニグマ妹
「愉快なとこだな、おい」
「愉快過ぎて、ちょいと色んなもんが鈍りそうなぐらいだ」
「鈍らせるぐらいで丁度いいんだよ」
「そんなもんかね」
そんな他愛もない会話を遮るように、Hの携帯電話がマナーモードでカタカタと揺れ出す
「辰也、ちょいと出てくれ」
「『組織』の連中だったら面倒だろ」
「その辺は大体着信拒否にしてあるから大丈夫だ」
「違う意味で大丈夫じゃねぇだろそれ……まったく」
そう言って辰也は携帯電話を手に取り――
「もう少し休ませたいから正式に入院手続きをする。個室に移してくれ」
「もう大丈夫だっての」
「大丈夫な奴は血を吐いたりしねえっての。あと、いつまでも女の隣に寝かせておけねぇだろ」
「いや俺としてはこの方が色々と元気にだな」
「だから頭冷やすのに個室入れっつってんだよ!?」
「それなりに元気になったのは良いのだが、小さな診療所だが一応病院なんだし少し静かにしたまえ」
苦笑するドクターの後ろではメアリーが入院の手続き書類を書いており、エニグマ姉妹が二人を入院用の部屋へと案内する
「なんだ、あいつが担ぎ込まれた時と同じ部屋か」
その部屋はかつて三面鏡の少女が通り魔に刺された折に入っていた部屋だった
「あいつというのが誰かは判りかねるでありますが、部屋数が少ないので辛抱していただきたいのであります」
「私達もバイトさんの部屋住まいですしね」
「待て、あいつ今は女だけどいい加減男に戻るんじゃないのか?」
「戻ったら何か問題とかあるでありますか?」
小首を傾げながらベッドメイクを済ませるエニグマ姉
「では何かありましたらそちらのボタンか据付の電話で内線に連絡を下さいね」
聞かなかった事にして、さらりと笑顔で退室するエニグマ妹
「愉快なとこだな、おい」
「愉快過ぎて、ちょいと色んなもんが鈍りそうなぐらいだ」
「鈍らせるぐらいで丁度いいんだよ」
「そんなもんかね」
そんな他愛もない会話を遮るように、Hの携帯電話がマナーモードでカタカタと揺れ出す
「辰也、ちょいと出てくれ」
「『組織』の連中だったら面倒だろ」
「その辺は大体着信拒否にしてあるから大丈夫だ」
「違う意味で大丈夫じゃねぇだろそれ……まったく」
そう言って辰也は携帯電話を手に取り――