海南島沖事件(かいなんとうおきじけん、Hainan Island Offshore Incident)は、統一暦186年に大中華・海南島付近の南シナ海上空で、「航行の自由作戦」を遂行中であった瑞州国防空軍の戦闘機と、それにスクランブル対応した大中華国軍航空軍の戦闘機が空中衝突した事件である。 双方のパイロットはベイルアウトし、海南島から発進した中華側の救難機に救助されたが、瑞州軍のパイロットは身柄を拘束された。この事件により、一時的に中瑞関係の緊張が高まることとなった。 |
海南島沖事件 | ||
場所 | 大中華・海南島沖 | ||
日付 | 統一暦186年4月1日 | ||
関係国 | 大中華 瑞州合衆国連邦 |
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原因 | 中華軍機の異常接近、瑞州軍機の回避機動 | ||
負傷者 | 大中華・1人 瑞州・2人 |
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損害 | 両国の戦闘機一機ずつが墜落 | ||
事故寸前に、大中華・J-21から撮影された瑞州・F/A-11D。 | |||
目次 | |||
1.背景 2.事件 3.その後 4.事件関与 |
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背景 | |||
大中華は、集団漁業の実施や、「南中華海」の名称を地図に採用し、国際法における「歴史的水域」として認めさせようとするなど、南シナ海における自国の利益拡大を狙っていた。その過程で周辺諸国との軋轢が生じていた他、公海自由の原則を固く信じ、海洋の法秩序を重視する瑞州は警戒感を強めていた。 瑞州軍は西大西洋に第1艦隊を展開させており、同艦隊が南シナ海での「航行の自由作戦」を実施することで、大中華が勢力圏とする海域を事前通告なしに海軍艦艇が通過するのと共に「過剰に拡張された海洋権益を認めない」という意思表示を複数回行っていた。大中華はこれに反発し、国軍海上軍艦艇が異常接近したり、近隣の航空基地から爆装した戦闘機や攻撃機が出撃したりして、同作戦で通航している瑞州艦艇に威嚇していた。また、大中華外務部は「本海域の中華への帰属性は歴史的事実に基づいており、歴史的水域として認められるだけに足る、中華の主権を行使し得る海域である」とコメントしており、航行の自由作戦に対する何らかの措置を排除しない構えを見せた。 瑞州軍は大中華国軍の反応のエスカレーションを想定し、航行の自由作戦を実施する艦艇に対して、空母から展開させた直掩の戦闘機や支援のための空中給油機を次第に帯同させるようになっていた。 |
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事件 | |||
蒲生機(F/A-11D)から撮影された、並走する王機(J-21)。
加藤編隊長機から撮影された、スクランブル対応に当たる大中華機と囲まれる瑞州機。 |
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186年4月1日、瑞州国防海軍第1艦隊・第7空母打撃群(CSG-7)所属の駆逐艦「DD-95 あられ」が同日の「航行の自由作戦」にアサインされ、海南島沖の排他的経済水域(EEZ)内を航行していた。また上空直掩に当てられていた、第1空母航空団・第22戦闘攻撃飛行隊(VFA-22;F/A-11D戦闘攻撃機)3機は、空母から発艦後、あられに先行する形で中華側の領空に近づいていた。この先行には、中華側の反応を伺う目的もあったとされる。 中華国軍航空軍は瑞州機の防空識別圏(ADIZ)進入を確認し、第121制空戦闘航空旅団第2飛行大隊第4小隊の殲撃21型戦闘機 [(*1)] をスクランブル発進させた。スクランブルした2機は、VFA-22の3機のうち、とりわけ領空に近づいていた蒲生二尉・浅野二尉機 [(*2)] に接近した。蒲生機に並走して小隊二番機の王少尉機が、背部の射撃位置に一番機の李中尉機がつき、王機は蒲生機に警告を発した。他の瑞州機(WISHBONE-07、WISHBONE-04)は蒲生機が囲まれたのを見て、上級部隊に接近許可を求めたが、却下され、遠くから状況を見るばかりであった。 領空が近づくにつれ、李機は急接近やスラローム下機動など、煽るような機動を繰り返した。王機は警告を繰り返したが、蒲生機が従うそぶりを見せなかったため、李機の機動の激しさが増した。ついに蒲生機は耐えきれなくなり、李機が左舷後方から接近するのを嫌がって右舷側に旋回したが、ちょうどそこに王機が並走しており、両者は空中衝突した。 蒲生、浅野、王の各パイロットは緊急脱出し、洋上を漂流することになった。李中尉や、状況を静観していた他瑞州機は各パイロットのベイルアウトを確認し、編隊長の加藤三佐が司令部に滞空許可や救難機の発進を求めたが、中華国軍・瑞州軍ともに、不幸な事故が状況の悪化を招くことを恐れたため、各機に帰投命令が下された。 また、当該水域付近では作戦中のあられが航行していたが、あられは見通し線外での事故を直接確認しておらず、交信傍受によって事故に気が付いた。やはり同艦もCSG-7司令部に艦載ヘリによる救助行動を具申したが、敵対空域付近での艦載ヘリの飛行はリスクが大きいとされ、またこの時は中華国軍の反応も予想できなかったため、事故現場にあられが接近することすらも却下された。 結局、海南島から中華国軍の救難機が出動し、3名のパイロットは救助され、軍病院に搬送された。蒲生、浅野の瑞州軍パイロット2名は入院中に拘束された。 |
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その後 | |||
事件当時は両国ともにリスク回避の行動に終始していたが、この事件を契機に緊張関係が強まり、大中華は「技量の低いパイロットが主権空域内に接近した、自業自得の結果」、瑞州は「国際ルールを無視した無謀な示威飛行」とコメントするなど、互いに非難の応酬となった。 また、この事件を契機に、瑞州は意向を同じくする国との連帯の必要性を認め、自由海洋諸国連合構想を策定。4か月後にグロティウス条約として同構想は結実した。 |
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事件関与 | |||
中華国軍航空軍 ・第121制空戦闘航空旅団(121空) ・第2飛行大隊(121-24)・J-21 ・第4小隊一番機(121-24-1/李岳航空中尉) ・第4小隊二番機(121-24-2/王文浩航空少尉) 瑞州国防海軍 ・第7空母打撃群(CSG-7) ・CVN-18 せんおう(司令部・母艦) ・第15駆逐隊(DESRON-15) ・DD-95 あられ ・第1空母航空団(CVW-1) ・第22戦闘攻撃飛行隊(VFA-22)・F/A-11D ・編隊一番機(WISHBONE-07/編隊長・加藤喜昌三等海佐) ・編隊二番機(WISHBONE-11/蒲生氏春二等海尉・浅野忠樹二等海尉) ・編隊三番機(WISHBONE-04) |
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