イットリカン内戦(いっとりかんないせん)とは、統一歴136年4月に、
イットリカン民主主義国(以下民国)で発生した内戦である。
勃発のきっかけは、当時民国の置かれていた特異な外交状況にあり、OFCまたはHREへの加盟と封建社会の復活を唱えていたグレッグ・J・アンダーソン率いる王政派がイットリカン神聖王国(以下神聖)を名乗り武装蜂起し、それに負けじと中華連邦(以下中華)軍の駐留を批判し、CELTO加盟国との強力な強調を主張するアレクセイ・ボルコフ率いる共産党もイットリカン社会主義共和国(以外社共)と名乗り武装蜂起したことで発生した内戦である。
イットリカン内戦 |
青が民国、赤が社共、黄色は王政派 |
戦争;イットリカン内戦 |
年月日:統一歴136年 ~ 現在 |
場所:イットリカン民主主義国 |
交戦勢力 |
イットリカン民主主義国 |
イットリカン神聖王国 |
イットリカン社会主義共和国 |
スィヴェールヌイ諸島共和国 |
ノビリオル朝トラキア・ローマ帝国 |
レグルス帝国 |
スティーブ・クラフタリア同盟連邦 |
イェリング朝シェラルド王国 |
神聖レグルス=ローマ第二帝国総督統治ルクレフ大公公領ルクレフ大公国 |
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。蒼星連邦国 |
ヴァルキア王国 |
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指導者・指揮官 |
レオン・ジャック・リオン→チャック・A・ポラック |
グレッグ・J・アンダーソン |
アレクセイ・ボルコフ |
アンドレエヴィチ・ポトリツィン国家主席 |
ユリウス6世 |
our friend |
スティーブ |
エリック8世 |
イレーナ・レヴィンスカヤ・ルクレフ |
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。ゴットロープ・フーバー中将 |
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背景
この内戦には当時民国が置かれていた複雑な外交関係にあるといわれている。当時の民国政府は中イ地位協定により中華駐留軍を受け入れていながら親CELTO加盟国政策をとっていた。これに対し、ヨーロッパで成立したHREに感化された王政派が封建社会の復活ののちHREに加盟する事を強く唱えていた。また、共産党は計画経済の導入など、社会主義的な政策の実行の他にOFCをかつてのファシストの末裔と考えており、CELTOの存在もあって中華との決別を望んでいた。蜂起するにあたり、王政派は確固たる勝機を持っていた。それはHRE各国の支援である。王政派の考えではHREは将来CELTOと対立し、北米に橋頭堡を確保する事を望んでいると考えており、それによって王政派はHREの支援を受けられると考えていた。また、共産党は確固たる勝機を持っていなかったが、自分たちの主張がOFCや中華との決別、対立なら、CELTOは共産党に付くだろうと考えていた。
経過
4月蜂起
統一歴136年4月2日未明、民国内で建国宣言、及び民国への宣戦布告を行った王政派改め「イットリカン神聖王国」と共産党改め「イットリカン社会主義共和国」はその日のうちに幾つかの軍施設を掌握または攻撃した。これに対して、民国大統領のレオン・ジャック・リオンはあまりのショックに倒れてしまい、ことの対応にはチャック・A・ポラックが当たった。まず彼はCELTO、中華駐留軍への支援要請と全軍への戦闘態勢への移行、非常事態宣言を行った。次に神聖のグレッグ・J・アンダーソンは戦闘態勢への移行の他、HREへの支援要請を行った。最後に社共のアレクセイ・ボルコフは上と同じく戦闘態勢への移行の他CELTOへの支援要請を行った。
蒼星連邦国人強制収容事件
統一歴136年4月3日に判明。神聖が開戦直後から創星連邦国人を強制収容していたことがイットリカンから帰国した創星連邦国人によって判明した。神聖はこの事件について「彼らが我々の神聖なる判断を無視して帰国しようとしたから、我々の善意で引き留めたのだ」と話している。なんにせよ、創星連邦国はこれによって参戦したことになる。
ブナシグ作戦
神聖軍は激しい抵抗に合った。
統一歴136年4月5日、以前から社共軍は神聖軍に対し、散発的なゲリラ攻撃を行っていた。それによって少ない損害を出していた神聖は社共軍に対し、大規模な攻勢を計画、「ブナシグ作戦」を計画した。内容はグレートベア湖以南への進撃とされ11万の兵力と740両の戦車、1620両の補助車両を集め、4月4日深夜に信号弾がうちあがり、「ブナシグ作戦」が始まった。社共軍は4月5日の4時になるまでこの動きに気づかず、対応は大幅に遅れた。そして、対応を始めた頃にはグレートベア湖周辺に展開していた部隊の多くは包囲されたあとであり、それ以外も損害を受けており、反撃は困難だった。しかし、神聖も激しい抵抗のために作戦目標を完全に達成する事は出来なかった。
レグルスの参戦
統一歴136年4月12日、レグルスは以前からHREと対立しており、親HRE的な主張を掲げる神聖の存在を快く思っていなかった。また、もし神聖がこの内戦で勝利すれば、HREが北米に拠点を持ったも同然となり、神聖がOFCや自国の今後の戦略に支障をきたすという危機感を持っていた。
そこでレグルスは反神聖義勇軍の名目で、神聖の弱体化、およびイットリカン国内に置ける一定の影響力確保を目的とした上陸軍を派遣し、神聖領に上陸させた。
アルチイ作戦
民国の事前の制空権確保のための空中戦は激しさを極めた。
統一歴136年4月12日、反対側でレグルスが上陸する中、民国軍は12万の兵力をもって、社共への大規模攻勢を行った。社共はブナシグ作戦の混乱がまだ収束しておらず、また警戒心も神聖側に向いていたために対応に大幅な遅れがでた。たいし、たった数時間で120kmの前進に成功した民国軍は自らの戦闘能力に自信を深めた。
シェラルドの参戦
遠征へと赴くシェラルド軍
統一歴136年4月15日、神聖へのレグルスの侵攻が行われると、それまで支援を渋っていたシェラルドは一転して支援策を打ち出し、神聖へと支援軍を送り出した。神聖の政府首班であるアンダーソンはこれにつて、「シェラルド王国のエリック王には感謝している」と話した。
スティーブ・クラフタリア同盟連邦の参戦
ノビオリル朝トラキア・ローマ帝国の参戦
統一歴136年4月17日、それまでこの内戦に特に興味を持たなかったノビオリル朝
トラキア・ローマ帝国だが、シェラルドの参戦やスティーブ・クラフタリア同盟連邦の電撃参戦を見て、シェラルドと同じくレグルスを敵とする自国も参戦するしかないと判断し、シェラルド軍の増援としてこの内戦に加わった。
レグルス軍撃退
統一歴136年4月19日、シェラルド軍とトラキア軍がまず取りかかったのは神聖にとって最も大きな敵であるレグルス軍の撃退だった。レグルスにとってみるとシェラルドとトラキアの参戦は衝撃的であり、対応が遅れた結果、レグルス軍は大敗を喫し、大部分の戦力を海上に撤退させざるを得なくなった。
ヴァルキア王国の参戦
統一歴136年4月21日、それまでアイゼルネ国関連に集中していた同国だが、盟友シェラルドが参戦しているほか面白がって参戦した
2.16決戦
集結する民国軍
統一歴136年4月30日、民国軍21万と神聖軍18万とそれぞれを支援する各国軍が名もなき平原でこの内戦の結果を決めた決戦が行われた。午前2時から始まったこの決戦は始め勢いに乗った神聖側が当初ことを有利に進めるも、無理な前線引き上げによって開いた戦線の穴に民国軍がなだれ込み、この決戦の勝敗を決める事になった。同日16時、神聖軍は敗走し、この平原での決戦の勝者は民国軍となった。
終戦
統一歴136年5月1日、社共は勝ち目なしとみて民国に無条件降伏、社共の首脳陣は逮捕されたが、共産党の主張と民国の主張はさほど大きい違うわけでは無いため、多くの共産党員は特赦が施行された。その後、神聖も各国軍が撤退していったことで降伏した。しかし神聖の場合、首脳陣含め多くの王政派は逮捕された。理由としては主張が現在の体制を真っ向から否定しており、民国とは永遠に相容れないものとされたためである。この王政派の冷遇は後の王政派の公職追放などと共に「ロイヤル=パージ」と呼ばれる事になる。
最終更新:2020年10月13日 18:22