『奈落』。
罪人となりし巫女を収監する場所。けれど、完全には身動きを取れなくしない。
一部の人は、数十人を殺した巫女は処刑すべきだ!死刑にすべきだ!と訴えるが、それもしない
それはなぜか主に3つ。
一つは神を完全に降ろす超過顕現(オーバークローズ)の存在。死を間近にした巫女ならば、自らの命という本来なら枷になるものが枷にならない。なんなら自由のみでも失ったのならば、ほんの一瞬の望みにかけて、超過顕現をする可能性も高い。そして、超過顕現は、神そのものを降ろす。ゆえに、並の巫女では何人いようが対応できない。下手をすれば、こちらも一人、神への供仏を選ぶ必要すら出かねない。ゆえに、死刑にも、完全な自由無き拘束もできない。
そしてもう一つは神罰の存在。
神の与える罰であり、死より重いことも多い。そしてだいたい奈落に落ちるのは邪神・悪神の類の神だ
捉えられた時点で神罰を下し、死をいや、死より思い永遠に死に続ける刑にかされるものもいる。亡者と化したり、化け物ヘタリは出るものもいる。流石にそれは止められない、外に出せば周りも死すがゆえに。
けれど、奈落内でまでそれを増やす理由もない。それが2つ目の理由。
そして3つ目
竜と戦えるものはなんであれ貴重だということ。一度罪を犯したものでさえも貴重だ。主に『イリーガル・パニッシャーズ』がそれだろう。
特に神への過剰適合が原因であるならば本人は、ほぼ罪が無いと言えるときすらある。人格がすべて塗りつぶされ自我を失う前に自ら、自害しろとは殆どの場合ならないであろう。抑えが効かなくなったのを感じたなら自害しろとも。
巫女は人だが人の理の範囲内で生きていない。完全な人の理ならば人格が消え去る、意識が本当に意味で薄れる等とても珍しいことだ。けれど高シンクロ率の巫女にとっては日常茶飯事だ。ありふれている。
ゆえに完全な悪でもない限り過剰適合状態はしない方法を見つけ出すほうが良い。
そんなわけで奈落に落としたあとは比較的自由とも言える。もちろん過ごし方次第で釈放が近づいたり遠のいたりするのだが。
なのでモノリスの巫女が奈落内でまで巫女狩りをしようとし返り討ち・パトロール隊にもう一度捕まるもよくある話だ。