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人外アパート リビングメイルと苦学生 3

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関連 → ヤンマとアカネ

リビングメイルと苦学生 3 859 ◆93FwBoL6s.様

 午後八時を回ると、なんとなく気が抜ける。
 夕食も食べ終わり、かといって風呂に入るには少し時間が早く、勉強に取り掛かるにはいくらか気力が足りない。祐介は頬杖を付いて意味もなくテレビを眺めながら、傍らで背筋を伸ばして正座しているリビングメイルに目をやった。アビゲイルは、明らかに西洋生まれのリビングメイルであるにも関わらず、純日本人である祐介よりも礼儀正しい。膝をきっちりと揃えて正座していて、滅多なことでは崩さない。甲冑だから足が痺れないから、なのかもしれないが。
 祐介の視線に気付いたアビゲイルは祐介にヘルムを向け、恥じらいが滲む笑みを零して、マスクに手を添えた。祐介はすぐさま目を逸らし、芸能人がつまらないクイズに興じるテレビに向いた。これだけだったら、どれだけ良いか。交際しているわけではないし、成り行きで同棲状態に陥っているだけであって、決して恋愛感情は持っていない。中世時代には汎用されていたが現代では生産が禁止されているリビングメイルが物珍しいから、傍に置いている。それに、アビゲイルがいなくなってしまえば、この部屋は二日と経たずに荒れ放題になり、食生活も乱れるだろう。
 そうだ、それだけなんだ。間違っても、アビゲイルに襲われて生命力を吸収されるのが楽しいから、ではないのだ。先日のこんにゃくを用いた行為を思い出しかけてしまった自分を叱責するため、祐介は何度となく心中で繰り返した。

「あら」

 チャイムが鳴らされ、アビゲイルが顔を上げた。祐介が立ち上がるよりも先に、アビゲイルが立ち上がった。

「誰かしらね、こんな時間に。新聞とガス料金の集金は終わったはずなんだけど」

 アビゲイルが鍵を開けてドアを開けると、アパート前の街灯の明かりを背負った昆虫人間とその彼女が立っていた。

「こんばんは」
「おーす」

 茜が頭を下げると、ヤンマは上右足を掲げた。

「あら、茜ちゃん。ヤンマさん。どうかしたの?」

 アビゲイルが尋ねると、茜は膨らんだトートバッグを抱え、ばつが悪そうに眉を下げた。

「うちの給湯器が壊れちゃったみたいで、お湯が出ないの。だから、お風呂、貸してもらえないかなぁって」
「ついでに言っちまえば、銭湯が遠いんだよ」

 二駅先だ、とヤンマが肩を竦めたので、アビゲイルは居間に振り返った。

「祐介さあん。お風呂、茜ちゃんに貸してあげてもいいわよね?」
「…風呂?」

 なんだ、その嬉しすぎる展開は。祐介は動揺を押さえてから、返事をした。

「別に構わないぞ。それぐらい、どうってことないからな」
「わーい、祐介兄ちゃんって優しーい」

 御邪魔しまーす、と茜が部屋に上がると、長身を折り曲げながらヤンマも上がってきたので、祐介は興醒めした。考えるまでもなく、茜が来ればヤンマも来るのだ。妄想が現実になったような展開に喜びすぎたせいで、忘れていた。しかも、勢いが余りすぎてアビゲイルの存在を失念していた。俺って奴は、と祐介は内心で自虐するしかなかった。

「じゃ、私、お風呂を沸かしてくるわね。茜ちゃんとヤンマさんはゆっくりしていてね」

 アビゲイルは風呂場に入り、二人を居間に促した。

「はーい」

 茜は返事をしてから、祐介の向かい側に座った。その隣でヤンマが胡座を掻き、長い腹部を伸ばして畳に付けた。茜の方を向くと、当然祐介の視界にヤンマが入る。エメラルドグリーンの複眼と黒と黄色の外骨格は、凶悪で毒々しい。座っても充分大柄で、祐介よりも頭一つは座高が高い。肩幅も広ければ胸も厚く、獲物を噛み砕く顎は見るからに強靱だ。この大きさで虫なのか、とつい思ってしまう。これまで、祐介の身の回りには、昆虫人間はほとんどいなかったからだ。大学には多種多様な人間以外の種族が通っているが、祐介が選択した科目やゼミには、昆虫人間は一人もいなかった。小中高ともクラスメイトはほとんどが人間で、それでなければ人に近い獣人か完全自律型のロボットぐらいなものだった。
 だから、どう接していいのか解らない。ヤンマの性格が、平凡そのものである祐介とは懸け離れているせいでもあるが。このままではいけないが、どうしたらいいのやら。祐介は笑顔の茜と表情の読めないヤンマと向き合い、顔を引きつらせた。
 アビゲイルがいれば、なんとかなるかもしれない。


 それから十数分後。
 祐介は見たくもないテレビを凝視し、必死に彼から目を逸らしていた。ヤンマは胡座を掻いたまま、押し黙っていた。風呂場からは茜の声に混じり、アビゲイルの声も漏れ聞こえてくる。どうしてこうなるのだろう、と祐介は考え込んでいた。
 湯が溜まり、茜が風呂に入るとアビゲイルも同行した。確かに彼女は全く錆びないのだが、風呂に入る意味が解らない。だが、祐介がアビゲイルに意見するよりも早く、アビゲイルは茜と一緒に風呂に入ってしまい、きゃっきゃとはしゃいでいる。頼みの綱であるアビゲイルが風呂に入ってしまったことで、祐介の居心地はますます悪くなり、動くことすら出来なかった。おまけに、ヤンマが全く喋らない。何か喋ってくれれば話題の振りようがあるのだが、喋らないのではどうしようもない。

「アビーさん、そんなところ触っちゃダメぇ」
「うふふふ、だって茜ちゃんってどこもかしも柔らかいんだもの。触り甲斐があるわぁ」
「やぁっ、くすぐったいってぇ」
「いやぁん、可愛い声」
「そんなこと言わないでよぉ、恥ずかしくなっちゃう」

 ダメ押しに、風呂場から聞こえる会話が艶めかしい。何をしているのか気になって、余計に居心地が悪くなる。

「…おい」

 ようやく口を開いた、というより、顎を開いて胸郭を震わせて作った声を聞こえやすくさせたヤンマは、祐介を睨んだ。

「一字一句記憶するんじゃねぇぞ。覚えてやがったら、頭蓋骨を噛み砕いて脳髄を啜り出してやる」
「俺の部屋の風呂なんだから、聞こえるのは不可抗力じゃないか」

 ヤンマの脅し文句の汚さに気圧されそうになったが、祐介は言い返した。

「大体な、茜がお前の部屋の風呂に入るってのがまず面白くねぇんだよ」

 ぎちぎちと顎を噛み鳴らしながら、ヤンマは複眼に祐介を映した。

「だが、夜道を歩かせる方がもっと嫌なんだよ。それでなくてもあいつは脳天気だから、何がどうなるか解りゃしねぇ」
「だったら、茜ちゃんと一緒に行けばいいことじゃないか」
「生憎、俺は夜目が利かねぇんだよ。だから、昼間に比べりゃ勘が鈍っちまう」

 心底悔しげに吐き捨てたヤンマは、テーブルに拳を振り下ろしかけたが、寸止めして畳に押し付けた。

「…暴れてぇな」
「え!?」

 祐介がぎょっとすると、ヤンマは行き場のない感情の籠もる上両足を組んだ。

「つうか、最初から俺はお前が気に入らねぇ。他人のくせに兄ちゃん呼ばわりされて、茜にも馴れ馴れしくちゃん付けしてよ」
「いや…あれは茜ちゃんの方から」
「俺を一度だってそう呼んだことがあるのか、あいつは! いや、ない!」

 ごん、と壁にヘッドバッドを喰らわせたヤンマは、苛立ちのあまりに長い腹部を反り返らせていた。

「あーくそ…。面白くねぇ…」
「前々から、聞いてみたかったんだが」

 祐介は腰を引いてヤンマとの距離を開きながら、尋ねた。

「お前と茜ちゃんって、どういう経緯で付き合うようになったんだ?」
「余計なことを聞くんじゃねぇよ。まあ…幼馴染みなんだよ」

 姿勢を直したヤンマは、渋っていたが話し始めた。

「俺がヤゴだった頃からの付き合いでよ。俺が住んでた池と茜の実家が近所だったから、昔からよく遊んでたんだ。んで、俺が羽化してから学校に通うようになったんだが、俺の方が三つ上だから、上手い具合にずれちまってな。俺が中学を卒業した次の年度に茜が入学する、ってことになって、そりゃあもう盛大に拗ねられちまったよ。茜と関係が変わったのも、その頃だったな。具体的に何があったってわけじゃねぇが、何もなかったわけでもねぇ」

 ヤンマは反り返らせていた腹部を戻し、少々口調を和らげた。

「んで、俺が地元の高校を卒業する時もそうなっちまってな。本当なら、茜も地元の高校に進学するはずだったんだ。だが、俺が就職先を見つけて上京する、つったら一緒に行くって聞かなくってよ。随分反対されたが、結局来やがった。茜はこっちの高校に二次試験で合格して、今に至るってわけだ。だが、三ヶ月もしないうちに俺の方が干されちまってな。原因は、この街の虫共を一掃するために暴れ回ったせいなんだがな」

 ヤンマが話し終えたので、祐介は前々から引っ掛かっていたことを口にした。

「今、茜ちゃんは二年生だよな?」
「それがどうかしたのか?」
「お前がクビになってから、一年近く過ぎてないか? その間、どうやって暮らしていたんだよ」
「茜の親からの仕送りとか、茜のバイト代とか、まあその辺だが」
「だから、その間、お前は何をしていたんだ?」
「縄張り争いに決まってんだろうが」

 悪びれずに答えたヤンマに、祐介は渋い顔をした。

「よくそれで茜ちゃんから捨てられないな…」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。茜に限って俺を見限ることなんてあるか」
「馬鹿はお前だ!」

 祐介は腰を浮かせかけたが、下ろし、深くため息を吐いた。

「とことん悪いのに引っ掛かっちゃったんだなぁ、茜ちゃんは…。せめて養ってやれよ、成人してるんだろうが…」
「それが出来たら苦労はしねぇよ!」


 ヤンマは身を乗り出し、顎を全開にした。

「俺だってやるだけやってみたさ! だがな、面接受ける前から弾かれるんだよ! 虫は労働力にならねぇってのかよ!
そりゃ確かに普免も持ってねぇし高校ん時の資格も半端なのばっかりだが、それと俺が虫だってのは別問題だろうが!」

 ああくそ、とぼやきながら、ヤンマは身を戻した。

「…お前に言ったってどうしようもねぇんだけどな」
「ああ、うん、そうだな」

 祐介が曖昧に返すと、ヤンマは顎を閉じて触角を下げた。

「その辺、人間ってのは楽でいいと思うぜ。少なくとも、履歴書は受理されるはずだからな」
「近頃はそうでもないぞ。俺だって、身に覚えはある」
「すまん」

 絞り出したような声で呟き、ヤンマは顔を伏せた。

「八つ当たりだ。忘れてくれ」

 表情こそ見えないが、感情は生々しく伝わってきた。祐介はヤンマの大きな複眼を眺めつつ、彼に対する考えを改めた。なんだかんだで、ヤンマも苦労しているのだ。ヤンマが吐き出した言葉通り、人間以外の種族が生きやすい世界ではない。そもそも、この世界は人間を中心にして出来上がっている。人間以外の種族の存在を認めても、そこから先はまだまだだ。それは、アビゲイルが生身だったであろう中世時代からも変わらず、祐介も大学の講義で人間本位の歴史を知っている。世の中の作りを変えていこう、という流れはないわけではないが、何かが変わったわけではなく、簡単に変わるものでもない。人間同士でも相容れないのだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、それだけで終わらせるのは冷酷だ。
 祐介がいつになく深刻な考えに耽っていると、風呂場から漏れる可愛らしい声が耳に届き、ごく自然にそちらに気が向いた。今し方までの考えはどうしたんだ、と自分でも思ったが、男の性には逆らえず、祐介は茜とアビゲイルの会話に聞き入った。

「あっ…そこぉ、ちょっと、痛いかも…」
「あら、そう? じゃ、こうしたら気持ち良くなるかしら」
「うん、そっちは気持ちいい…。アビーさんって、こういうのも上手だね」
「うふふふふ、いつも祐介さんにしてあげているもの。手が覚えているのよ」

 きゃふうっ、との茜の高い声が上がり、尚更想像を掻き立てる。ヤンマは肩を怒らせ、胡座を掻いた膝を握り締めていた。ヤンマなりに、風呂場に飛び込みたい衝動を押さえているのだろう。祐介にも、ヤンマの気持ちは痛いほど理解出来た。アビゲイルは貞淑そうな顔をしているが、痴女だ。もしかして、けれどそんなことは、いや、それはそれでまた良いような。
 男二人の孤独な戦いは、それから三十分は続いた。元々長風呂の茜は、アビゲイルと一緒だったために長引いたのだ。風呂から上がった茜は体全体が上気してリンスの香りを漂わせ、高校生にしては幼すぎるデザインのパジャマを着ていた。アビゲイルも銀色の装甲から湯気を昇らせていて、温まっている。鎧が風呂に入る意味があるとは到底思えなかったが。

「あー気持ち良かったぁ」

 茜はぺたっと座ると、ヤンマに縋った。

「ヤンマ、祐介兄ちゃんと仲良くしてた?」
「なあ茜」
「ん、なあに?」

 茜が聞き返すと、ヤンマはその両肩を掴んで向き直らせた。

「お前は風呂でアビーに何をされたんだ!」
「何だと思ったの?」

 茜がにやけたので、ヤンマは顔を背けた。

「何って…そりゃ…」
「変なこと考えたんなら、教えてあげない」
「おい、そりゃねぇだろ! 余計に気になっちまうだろうが!」
「じゃ、ヤンマはどんなことだと思ったの? それを教えたら教えてあげてもいいよ?」

 ねー、と茜がアビゲイルに向くと、アビゲイルは含み笑って祐介を見つめた。

「ええ、そうね。祐介さんも、茜ちゃんと私の会話で何を想像したのか、教えてくれたら教えてあげるわ」
「別に何も考えちゃいない!」
「うふふふふふ。明日の朝が楽しみね」

 祐介はやり場のない目線を彷徨わせていたが、畳に落とした。ヤンマを見やると、こちらも祐介と似たようなものだった。彼の膝の上を陣取っている茜はアビゲイルと意味ありげな視線を行き交わせていて、邪推しようと思えばいくらでも出来る。漫画などによくあるパターンで、ただのマッサージだということもある。しかし、アビゲイルなので、万が一ということもある。拍子抜けする答えがいいような、だが、やはり。祐介とヤンマは揃って同じことを考えながら、それぞれの同居人を見やった。
 結局、翌日には男二人が折れて真相を聞くことになり、その話の流れでヤンマの不満も暴露されることになってしまった。それから数日間、ヤンマは茜にからかい半分でお兄ちゃん呼ばわりされてしまい、新たな路線に目覚めてしまいそうになった。祐介とヤンマが言葉を交わす機会が増えたのは良いことだが、ヤンマは茜に弱みを握られてしまったのもまた事実だった。
 真相は、お約束のマッサージなのだが。






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