人外と人間

河童と村娘 完

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河童と村娘 完 859 ◆93FwBoL6s.様

 どおどおどお。ごうごうごう。
 山が、川が、啼いている。怒りに至る憤りで、澱みから成る妬みで、性に抗えぬが故の僻みで。風が狂い、雨が襲い、雷が猛る。その一つ一つには、荒々しくも生々しい情念が漲っている。人であろうとも、憎悪や嫉妬を滾らせた者を制するのは容易くない。それが神であるなら、尚更だ。
 見慣れた風景が、見慣れぬ嵐に襲われていた。冷たい岩に座り込んだまま、呆然と凝視する。鉛色の雲から放たれた大粒の雨が木々を殴り付け、涼やかな川を乱させ、山全体が震えていた。麓に見えるはずの村が雨の飛沫で煙ってしまい、民家の屋根や田畑は霧の底に沈んだようだった。凄まじい嵐に襲われる山と村の間に、泥混じりの雨水による糸が何本も滴り、岩の床を濡らしていた。

「起きたか」

 洞窟に反響した低い声に、清美は振り返った。

「タキ」

 薄暗く湿った洞窟の奥から現れた河童は、清美の傍に腰を下ろした。

「私、どうしたの? 神社でタキに会って、それから…」

 思い出せない。いつものようにタキと体を交えたが、その後の記憶が断ち切られたようにない。清美が戸惑っていると、タキは上から横から襲い掛かってくる暴風雨を見つめ、クチバシを開いた。

「すまぬ」
「何が?」
「儂は己を抑え切れぬ」

 澄んだ水を湛えた皿を押さえ、タキは険しく目元を歪めた。

「儂は、おぬしを隠した」
「…え?」

 清美が目を見開くと、タキは静かに述べたが、その声は不思議と雨音には紛れなかった。

「この嵐は山神の成したものではない。昨日の雨と同じく、儂のものよ。それもこれも、儂がおぬしと接しておったあの小童を疎んでしまったからだ。儂も神であるが故、荒魂と和魂を持ち合わせておる。長らく荒魂は落ち着いておったのだが、堪え性が足りなかったと見える」
「それじゃ、私は神隠しに遭ったってこと?」
「現世の言葉で申せばそうなる」
「そっか…」

 岩に手を添えて顔を上げた清美は、まだ浴衣を着ていることに気付き、昨夜のことを思い出した。 
状況にそぐわない情事の記憶が蘇り、やけに照れくさくなったが、隠されたという実感が湧かない。清美はどこも痛いところもなければ辛いところもなく、悲しいとも思わず、嬉しいとすらも思えなかった。タキに攫われたいと願うほど好きなのに、いざその願いが叶ってしまうとやけに切なくなってしまった。

「おぬし、帰りたいか」

 清美の横顔を見つめ、タキが呟くと、清美はその場に正座した。

「解らない。もうちょっと、考えさせて。いきなりだったから、私も頭がごちゃごちゃしちゃって」
「度々すまぬ」

 タキは苦々しげにクチバシを開いたが、腰を上げ、ひたひたと岩を踏み締めながら奥へと向かった。清美は振り返り、タキの後ろ姿を見送ったが、洞窟自体の奥行きはそれほど深いとは思えなかった。だが、タキの姿は程なくして消え失せてしまい、水掻きの付いた足の独特の足音も聞こえなくなった。
 嫉妬して、怒って、荒れている。まるっきり人間と同じだ、と思いながら、清美は虚ろに嵐を眺めた。タキが感情を露わにする様を見たことはない。水のように冷ややかで、川の流れのように涼やかだ。声を荒げることもなければ顔を歪めることもなく、清美が感情のままにぶつける言動を受け流していた。そんな彼が、こんなひどい嵐を起こしているとは到底思えないが、タキは明らかに落ち込んでいた。
 誰だって、荒れてしまった後は後悔する。清美も、クラスメイトや幼馴染みとケンカした後は思い悩む。それもまた、人間と同じだ。幼馴染み、という単語で耕也のことを思い出してしまい、清美は涙ぐんだ。幼い頃からずっと仲が良かったから、というのもあるが、懸命な告白を蔑ろにした挙げ句に怖がらせた。耕也に謝れるものなら謝ってしまいたいが、だが、そんなことを言えばタキはますます荒れるだろう。
 清美が好きなのはタキだ。人ならざる者だと解っているのに、会えば会うほどに惹かれてしまった。見た目は両生類と爬虫類の中間のようで、形相もどちらかと言えば恐ろしいが、心根の優しい男だ。何かにつけて会いに来る清美を無下にはせず、それどころか丁寧に扱い、泳ぎまで教えてくれたのだ。
 けれど、攫われたことは素直に喜べない。しかし、好きなものは好きだ。なのに、受け止めきれない。許せないほど嫌だというわけではないが、心の片隅で望んでいたことだが、そう簡単には飲み込めない。
 現世と常世。いつもの世界ともう一つの世界。彼のいない場所と彼のいる場所。こちら側とあちら側。どちらにいるべきなのか、本当に生きていきたいのはどちらなのか、清美は雨空を見つめながら考えた。
 水神の荒ぶる思いは、収まる気配すらなかった。


 嫌われたのだろう、と思った。
 絶え間なく降りしきる雨を浴びながら、タキはその水に入り交じる己の醜悪さを痛いほど感じていた。これほどまでに神通力を放ったのは久し振りだが、疲労感はなく、奇妙な爽快感すら覚えていたほどだ。だが、良いものではない。ひどい雨が続けば地滑りが起き、麓にある清美の村は一溜まりもないだろう。
 かつては山神が荒れ狂って現世を掻き乱していたが、どうやら今回はタキがその役回りのようだった。雨による水煙に覆われているが、山神の住まう山はいつもよりは穏やかに見え、満足しているらしかった。それ自体は良いことだが、嵐が止まない。タキ自身が雨を止むことを願っても、一向に雨脚は緩まない。タキの嫉妬を注がれた荒魂は、文字通り水を得た魚であるらしく、鬱屈した思いを晴らすように荒れている。
 これでは、清美に嫌われても仕方ない。目を覚ました清美に事実を告げると、彼女は気落ちしてしまった。せめて、一言断ってから隠せば良かったのかもしれないが、昨夜のタキにそんな余裕は残っていなかった。清美が自分以外の者に触れられることすら、見られることすら嫌でたまらず、そのまま山に隠してしまった。あれほど好かれているのなら大丈夫だとタカを括っていたが、一度でも嫌なことをされれば反転してしまう。
 清滝之水神。タキの傍らに立つ小さな石碑は、風雨に浸食されて文字が削り取られ、読み取りづらい。だが、その石碑に祀られている本人には問題ない。タキは雨に濡れた己の名をなぞったが、自嘲した。

「…何が水神だ」

 これでは、単なる愚かな男だ。清美が好きだと思うのなら、下手に手を出さずに慈しむべきなのに。それなのに、心身を煮え滾らせる感情に負けて清美を手込めにし、ずるずると彼女の体を求めてしまった。一度きりで止めておけば良かったものを、堪えれば堪えるほど我慢出来なくなり、幼い肢体を貫いた。男を知らない清らかな体は未完成故に美しかったが、それを穢してしまったのは他でもない自分なのだ。少女を犯し抜いた末に拐かすのは、人の言葉で言うところの愛でもなければ恋でもなく、汚らしい劣情だ。
 清美を眠らせ、村に帰そう。それが一番良い。タキは皿からびしゃびしゃと雨水を落とし、立ち上がった。石碑に背を向けると、その石碑がぐにゃりと歪んで広がり、何かに躓いたらしい清美が転げ出してきた。

「うひぇっ!?」

 タキはすぐさま振り向いて清美を受け止めると、清美は目を瞬かせた。

「あ、外だ」

 清美はタキに支えられたまま振り返り、古びた小さな石碑に気付いた。

「きよたきのすいじん?」
「それが儂の名だ。読みは違うがな。まあ、出てくるなとは申さなかったが…」

 タキは清美を立たせると、清美はまじまじと石碑を眺め回した。

「この中がタキの家なんだぁ、へーぇ、凄い。見た目はただの石なのになぁ。神様ってとんでもないねー」

 清美はぺちぺちと石碑を叩いたので、タキは顔をしかめた。
「乱暴に扱うでない。それは儂の依り代でもあるのだ」
「あ、ごめん」

 清美は手を下げてから、若干緊張した眼差しでタキを見上げた。

「タキ、あのね」

 なんと言われようと、それは己の責任だ。タキが腹を決めていると、清美は頬を緩めた。

「私、タキのお嫁さんになる」
「なんと?」

 タキが目を剥くと、清美は照れくさそうに浴衣の袖を抓んだ。

「ほら、昔話でよくあるじゃない、そういうの。だから、私がタキのお嫁さんになれば、この雨も止むだろうし、私はタキとずうっと一緒にいられるでしょ? ね?」
「おぬしはそれで良いのか」
「私のこと、神隠ししたのはタキの方じゃない。何を今更」
「それはそうやもしれぬが、おぬしの意志というのは」
「だーからっ、これが私の意志なの!」

 清美はタキに詰め寄ると、耳元まで赤らめながら言い切った。

「結婚して!」

 浴衣の袖を握る手に力を込め、羞恥のあまりに顔を歪めながら、清美はタキを一心に見つめていた。清美の真摯な眼差しを注がれ、タキはなんと返したものかと考え込んだが、少女の濡れた頬に触れた。

「常世に至れば、現世には戻れぬぞ」
「解ってる」
「おぬしは人だ、儂と共に生きようとも神にはなれぬ」
「それでもいい」
「今なら、おぬしを村に戻せるが」
「帰ったら、もう二度とタキには会えないじゃない」

 清美はタキの手を握り締め、ぼろぼろと涙を落とし、雨粒に混ぜた。

「そっちの方が、ずっとずっと辛いよ」
「…そうだな」

 タキは清美の涙を指で掬い上げ、その目元を優しく拭った。

「さすれば、契りを結ばねば」
「うん。お嫁さんだもんね」

 清美はくすぐったげに笑み、タキの腕にしがみ付いた。押し付けられた胸からは、どくどくと鼓動が響く。ぬめった緑色の肌に付けられた頬は、雨水で濡れているのに火照っていて、腕を掴む手は強めだった。タキは清美を抱き寄せて胸に収め、その頬をぬるりと舐めて涙を拭い取ってやり、乱れた髪を撫で付けた。
 しとどに濡れた浴衣はぴったりと肌に貼り付いていて、最早服としての体を成さないほどの状態だった。丸い尻と脂肪の付き始めた太股の形が良く解り、胸に触れている薄い乳房も温度差で先端が尖っていた。それが、全て自分のものになる。途端に今までにないほどの感情の奔流に襲われ、タキは目を細めた。
 幼き嫁を、愛してやらねばなるまい。


 濡れた浴衣は岩に掛けられ、雫を落としていた。
 黒い帯も伸ばされ、肌襦袢も広げられ、それらの端から膨れた水滴が零れ、ぱたぱたと岩を叩いた。布団の代わりに敷き詰められた柔らかな夏草の上に座った清美は、髪を解き、指で整えようとしていた。だが、櫛ほどは効果がないらしく、結っていた時のクセが取れるどころか雨水のせいで軋んでいた。しばらく髪をいじっていたが、とうとう諦めたらしく、両手を下ろして胡座を掻いているタキに向き直った。
「もう、いいよ」
「うむ」

 タキは腰を上げると、清美の傍に近付いた。

「今この時より、おぬしは儂の嫁だ」
「うん」

 清美は頷くと、気恥ずかしげに微笑んだ。

「お嫁さんなんだから、優しくしてよね」
「申されぬとも」

 タキは清美の前に膝を付き、水気の残る肩に手を添えた。

「清美」
「清滝之水神」

 厳かに互いの名を呼び合った後、どちらからともなく身を寄せて腕を回し、きつく抱き合った。雨音の方が強いはずなのに、互いの吐息の方が良く聞こえ、浴衣から滴る水音すらも消え失せた。
 皮も肉も薄い背に四本指の両手を這わせていき、左は尻を包み、右は薄い乳房を包み込んだ。触れられただけで声を漏らした清美は、タキの首に腕を回して、冷ややかな手に身を任せた。

「ん、ふぁ…」

 ぬるりと滑った手が太股を撫でると、清美はおずおずと股を開いたので、狭い陰部を指でなぞった。既に熱い体液が滲み出していたが、すぐに指を押し込むことはせずに、なぞることだけに専念した。細い割れ目にも肉芽にも軽く擦れるだけだったが、それが長く続くと、清美は堪えきれなくなってきた。

「あ、あぁん」

 タキの硬い甲羅を掴み、清美は懇願した。

「もお、入れてぇ…」
「気の早いことを申すな。それでは、儂が持たぬ」
「でもぉ」

 切なげに目を潤ませた清美に、タキは腕を緩め、清美を草の上に横たわらせた。

「婿と嫁の契りなのだ。すぐに終わらせるのは無粋というもの」
「うあっ」

 タキの両手で足を広げられ、清美は顔を背けそうになったが、どきどきしながら視線を落とした。クチバシが痛そうなので、今まで口ではしてもらわなかったが、クチバシはどれほど刺激が強いのか。考えたことはあったが、そんなことまで頼むのは悪い気がしたので、言うに言えなかったのだ。
 タキは人差し指と薬指に当たる指を添えて陰部を押し広げると、中指に当たる指を差し込んだ。じゅぶりと根元まで飲み込まれ、清美は甘い声を放ったが、それだけで満たしてやる気はなかった。清美を帰さなくて良いのであれば、徹底的に責め抜ける。そんな考えが頭をもたげていたのだ。
 陰部に差し込んだ指を曲げてやりながら、赤く凝った肉芽をクチバシで挟み、ぎゅうと潰した。清美は薄い胸を反らして悲鳴を上げ、足を突っ張らせたので、クチバシを緩めてこりこりと噛んだ。

「うぁ、あぁ、あぁああぁっ!」

 痛みと紛うほどの刺激に、清美は髪を振り乱した。

「あぁ、ふぁ、あぐ、ぅあぁああんっ!」
 指を動かされながら、肉芽を噛まれ、潰される。ただでさえ弱い部分にそこまでされては参る。

「タキぃ、そんなぁ、いやぁあっ!」
「何が嫌か。そこまで乱れておるというのに」
「んぐぁっ、あ、あああぁぁぁっ!」

 クチバシの間から伸びてきた舌先で肉芽の穴を抉られ、清美はぶちぶちと草を千切りながら喘いだ。ぜいぜいと息を荒げながら胸を上下させる清美に、タキはクチバシを外したが、指は抜かなかった。親指に当たる指で刺激に抜けていない肉芽を擦りながら、清美を窺うと、涙と涎で草を濡らしていた。

「た、タキぃ…」
「顔を見せよ、儂の嫁」

 タキが声を掛けると、清美は涎を拭うのも惜しかったのか、すぐさまタキに抱き付いてきた。

「こんなの、きもちよすぎるぅ…」
「良くしておるのだ、当然のことよ」
「タキはぁ? んぁっ、タキはぁ、どうなのぉ?」

 喘ぎ混じりに言った清美に、タキは返した。

「乱れるおぬしを見るのは堪らぬ」
「やだぁ、もぉ、そんな呼び方じゃやだぁっ。だって、お嫁さんなんだもんっ」

 タキの胸に乳房を擦り付けながら喚く清美に、タキは目元を緩めた。

「ならば、いくらでも呼んでしんぜよう。清美よ」
「すっごく、うれしぃ…」

 清美はタキの顔を引き寄せると、クチバシに唇を寄せてきたので、タキは口を開いて舌を出した。すると、清美も雛鳥のように唇を開いて舌を出してきたので、唇を重ねる代わりに絡め合わせた。陰部から繰り返される粘ついた音に新たな音が連なり、清美の呼吸も早くなり、涎が顎を伝い落ちた。
 ぢゅ、と少女の舌に絡めていた舌を解いたタキは、散々責め抜いた陰部から太い指を抜き取った。随分手間を掛けられたせいか、清美の潤いは手首に及ぶほどで、人間独特の匂いが立ち上っていた。

「見よ。清美の水だ」

 タキがその右手を清美の目の前に出すと、清美は真っ赤になった。

「何これ、やだ」
「良き水だ」

 これ見よがしにタキが右手を舐めると、清美はますます赤くなった。

「いやああ、そんなことしないでー! もっと恥ずかしいー!」
「清美こそ、散々儂のものを含んでおったではないか」
「それはいいの、でもそれは嫌ぁ!」

 ばふっと草の寝床に伏せた清美に、タキは顔を寄せた。

「ならば、儂もそれと同じことだ」
「えっち…」
「それは清美に限ったことだ。他のおなごには、何も抱かぬ」
「本当にぃ? ロリコンなだけじゃない?」
「何を申すか。清美が儂と出会った時、たまたま清美が小童であっただけのこと」
「言い訳っぽい…」

 清美は赤面しながら顔を上げると、タキは清美の足を開かせ、いきり立った男根をあてがった。
「ならば、その身で確かめてみよ」
「んぁあああああっ!」

 じゅぶん、と淫靡な水音と共に侵入してきた異物に、清美は目を剥いた。

「あ、あ、あっ」

 律動が始まると、二人の体の下で草が潰されて青臭い匂いが上り、水と少女の匂いに絡んだ。

「ぁ、あっ、あぁ、あうっ!」

 タキに組み敷かれた清美は、為す術もなく揺さぶられた。

「それ、望んだものだ。存分に悦ぶが良い」

 タキは清美の両腕を押さえてのし掛かり、笑みを見せるようにクチバシを開いた。

「だめぇっ、もお、イッちゃうイッちゃうぅ!」
「果てよ、そして満ちよ。儂に全てを委ねよ」
「すきぃ、だいすきぃっ!」

 泣き叫ぶように甲高い声を上げた清美は、両手足を突っ張らせたが、タキの拘束は緩まなかった。陰部が収縮すると、それに搾り取られるように男根がびくびくと脈打ち、少し冷たい精液が注がれた。だが、放っても強張りは保たれたままで、清美の中から抜かれることはなく、ゆっくりと前後し始めた。今し方までとは違う責められ方に、清美は達しばかりながらも感じてしまい、潤んだ目で彼を見上げた。当分は終わらないで欲しい、と清美はちらりと考えると、タキはそれを察したのか、にやりと目を細めた。
 現世を捨て、常世を選んだのだから、二人を隔てるものはない。だから、逢瀬が終わることもない。続く限りは体を重ね、存在を味わおう。神の長い長い時の中では、ほんの一時の出来事かもしれないが。
 二人は幸せだ。


 川に並ぶ石の上を、ぽんぽんと跳ねていく。
 石の間に流れる水は冷たく、相変わらず澄んでいる。目星を付けた石を踏み、飛び、踏み、飛ぶ。それを何度となく繰り返し、上流へと昇っていく。川沿いに歩くのも良いが、こちらの方がずっと楽しい。着地するたびに冴えない紺色のプリーツスカートが広がり、半袖ブラウスの襟が揺れ、長い髪が踊る。

「よっと!」

 ローファーのつま先で川面から出た石を踏んだ清美は、手近な石に片足を載せて直立した。

「上出来、上出来」

 振り返ると、今まで飛んできた石が一望出来た。その数は十や二十ではないが、間隔が広かった。場所によっては四五メートルは離れているのだが、清美はそれを軽々と飛び、ローファーで跳ねてきた。普通なら、石を踏む前に滑って転び、川に転落するところだろうが、今の清美にはその心配がない。それというのも、タキがいるからだ。一帯の水場を収める水神が夫なのだから、川は子供も同然だ。あまり下手なことをすれば落ちてしまうが、大抵は川自身が清美を浮かばせ、石の上に飛ばしてくれる。

「あ!」

 ごお、と吹き付けてきた風に顔を上げ、清美は上空に手を振った。

「天狗のおじさーん、今日はどこまで行くのー!?」

 風に負けないほどの声量で尋ねると、山の上空を飛ぶ山伏の格好をした赤ら顔の大男は叫び返した。
「おおう、河童の嫁っこ! ちぃと相模まで行こうと思うてな!」
「いってらっしゃーい!」

 清美が大きく手を振ると、おう、と野太い返事があった。だが、その声が消える前に天狗の姿は失せた。ずうん、と鈍い振動を感じて顔を上げると、ダイダラボッチがこの山を一跨ぎして別の山へと向かっていた。彼らを見送ってから、清美はまた水面を跳ねていく。タキに頼んで、制服を持ってきてもらって良かった。浴衣のままでは動きづらいし、山では遊びにくい。だから、村の様子を見てもらうついでに頼んだのだ。村の中では神通力が鈍るので手間取ったらしいが、それでも清美のためならと頑張ってくれたのである。
 いつのまにか、季節が何度も巡っていた。タキの傍にいると、時間感覚が神のそれになってしまった。生身だがほとんど空腹にはならないし、喉も乾かないし、疲れないしで、同じ一日がぐるぐると繰り返した。そして、気付かぬうちに現世では十数年が経過し、耕也も隣町の女性と結婚して子供を設けたそうだ。
 祭りの最中に神隠しに遭った清美は、何度も村の消防団によって探されたが、見つけ出されなかった。なので、去年の祭りの日に清美の葬式が出されたが、その棺桶には当然ながら何も入っていなかった。清美の葬式を見てきたタキから報告を受けたが、自分の葬式ほど妙なものはないので変な気分だった。

「清美」

 上流から呼ばれて振り返ると、浅い清水を割って河童が立っていた。

「良い魚が捕れた。喰うか」
「うん!」

 清美は大きく頷き、タキに向けて駆け出した。水面をつま先で叩くと、柔らかく弾み、波紋が広がった。タキは清美が追い付くのを待ってから、ざぶざぶと水を掻き分けて歩き、石碑のある上流へと向かった。夫に追い付いた清美はその腕に抱き付いたが、ひょいっと持ち上げられて肩の上に座らせてもらった。清美はタキと見つめ合い、照れ隠しに小さく笑ってから、鮮烈な日差しを浴びている山々を見上げた。
 また、今年も暑い夏が始まるのだろう。






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