旧い者達 2-92様
この世界には、「旧い神々の眷属」と呼ばれる旧い種族が存在する。単に旧い種族とも言う。
人間がまだ現れる前、はるか峰に輝く万年雪が降り積もるよりも、深い渓谷が刻まれるよりも昔、まだ神話の世界から、神々とともに彼等はいた。
いつの間にか旧い世界は終わりをつげ、新しい世界が訪れた。新しい世界と共に人が生まれた。
ゆっくりと時間は流れ、新たな世界の森や草原や獣や人は増え、世界は変わった。
その中にあって、全ての鳥達の母は、その娘達である鳥に空を託し去った。
大海原そのものたる大鰐鮫が大鯱に敗れて後、かれの眷属全てはその知性を失い、ただの大きな魚となりはてた。
大地の主(あるじ)は、大地という庭から旅だった。
この世の柱たる三神が去り、やがてそれぞれに属する旧い神々もこの世から去った。
本当の新世界が始まりである。
人間がまだ現れる前、はるか峰に輝く万年雪が降り積もるよりも、深い渓谷が刻まれるよりも昔、まだ神話の世界から、神々とともに彼等はいた。
いつの間にか旧い世界は終わりをつげ、新しい世界が訪れた。新しい世界と共に人が生まれた。
ゆっくりと時間は流れ、新たな世界の森や草原や獣や人は増え、世界は変わった。
その中にあって、全ての鳥達の母は、その娘達である鳥に空を託し去った。
大海原そのものたる大鰐鮫が大鯱に敗れて後、かれの眷属全てはその知性を失い、ただの大きな魚となりはてた。
大地の主(あるじ)は、大地という庭から旅だった。
この世の柱たる三神が去り、やがてそれぞれに属する旧い神々もこの世から去った。
本当の新世界が始まりである。
そして、大地の主の眷属だった竜達は、もはや帰らぬ主の帰りを、ただひたすらに待ち焦がれている。たとえ石と成り果てようとも。永遠に。
この国に一頭の緑色をした雌の竜が降りたったのは、今から500年ほど前のことだ。
穀倉地帯を潤すタリア川の源流に近い草原にである。今残っている記録からすると、それは大変な騒動であったらしい。
人間は恐れたが、騒動はすぐに収まった。なぜなら、その竜がその場で眠ってしまったのだ。人間は、竜を起こさぬよう、恐れながらひっそりと見守った。
しばらくして変化に気が付いたのは農民だった。穀物の生産量が上がったのだ。
次に気が付いたのは、竜を監視する兵士だ。草原の降水量が増え、それに従い森が育った。
変化は徐々に国を変つつあった。
豊かになった穀物は国を富ませ、人は増えた。
これらの変化をもたらしたのは竜である。大地の主の庭師であった彼等は大地の力そのものだ。
彼等がいるだけで、砂漠は草原にかわり、草原は森となるのだ。
彼女が眠りについて100年、200年と時は流れ、草原はやがて、彼女の寝床を中心とした深い森へと変わった。人々は森を神おわす場所としてあがめ、彼女の存在は次第にわすれられた。
穀倉地帯を潤すタリア川の源流に近い草原にである。今残っている記録からすると、それは大変な騒動であったらしい。
人間は恐れたが、騒動はすぐに収まった。なぜなら、その竜がその場で眠ってしまったのだ。人間は、竜を起こさぬよう、恐れながらひっそりと見守った。
しばらくして変化に気が付いたのは農民だった。穀物の生産量が上がったのだ。
次に気が付いたのは、竜を監視する兵士だ。草原の降水量が増え、それに従い森が育った。
変化は徐々に国を変つつあった。
豊かになった穀物は国を富ませ、人は増えた。
これらの変化をもたらしたのは竜である。大地の主の庭師であった彼等は大地の力そのものだ。
彼等がいるだけで、砂漠は草原にかわり、草原は森となるのだ。
彼女が眠りについて100年、200年と時は流れ、草原はやがて、彼女の寝床を中心とした深い森へと変わった。人々は森を神おわす場所としてあがめ、彼女の存在は次第にわすれられた。
彼女はまどろみの中夢を見る。
まだ子馬ほどの大きさだった頃の夢を見る。美しい庭を走ると、光に輝く綿毛が舞った。
懐かしい光景に郷愁を感じる。ここにはまだ、威光に輝くあの方が居た。
夢の中でさえ時はうつろい、黒く輝く鱗を持つ男と寄り添う自分の姿を見た。鼻面をすり合わせ甘噛みをしあった甘美な時間はもはや戻らない。彼との愛の結晶は、終に形をなすことはなかった。
冷たい塊になった卵を抱き、夢の中泣いた。
主去って後である。その頃から、竜たちの愛は実を結ぶことが少なくなった。
卵が生まれると、皆はそろって祝福した。卵が孵れば、その母はたたえられ、子はそれこそ皆に溺愛された。
夢で更に時は流る。年老いたものは、あの方を待ち焦がるあまり、死を拒絶した。寿命つきたものは石となり、主を永遠に待ち続けるのだ。石と化すのは、寿命つきた者だけではない。この数千年の間に、眠りについたまま覚めず、石になるという奇病が竜族にはびこりつつあった。愛し合った彼も、この病に倒れた。
彼女は夢をみる。眠り続ける限り、幾度も繰り返し夢を見る。
なぜ、妾の見る夢はこんなに悲しいのであろうか。
主よ、どうぞこの世にお戻りください…
そして、泣きながら彼女の夢は覚めた。
まだ子馬ほどの大きさだった頃の夢を見る。美しい庭を走ると、光に輝く綿毛が舞った。
懐かしい光景に郷愁を感じる。ここにはまだ、威光に輝くあの方が居た。
夢の中でさえ時はうつろい、黒く輝く鱗を持つ男と寄り添う自分の姿を見た。鼻面をすり合わせ甘噛みをしあった甘美な時間はもはや戻らない。彼との愛の結晶は、終に形をなすことはなかった。
冷たい塊になった卵を抱き、夢の中泣いた。
主去って後である。その頃から、竜たちの愛は実を結ぶことが少なくなった。
卵が生まれると、皆はそろって祝福した。卵が孵れば、その母はたたえられ、子はそれこそ皆に溺愛された。
夢で更に時は流る。年老いたものは、あの方を待ち焦がるあまり、死を拒絶した。寿命つきたものは石となり、主を永遠に待ち続けるのだ。石と化すのは、寿命つきた者だけではない。この数千年の間に、眠りについたまま覚めず、石になるという奇病が竜族にはびこりつつあった。愛し合った彼も、この病に倒れた。
彼女は夢をみる。眠り続ける限り、幾度も繰り返し夢を見る。
なぜ、妾の見る夢はこんなに悲しいのであろうか。
主よ、どうぞこの世にお戻りください…
そして、泣きながら彼女の夢は覚めた。
時の移ろいとは早いもので、豊かな草原だと思っていたこの場所は、既に霧深い森となっていた。余りの美しい陽気に、ほんの少し眠ったつもりだったというのに。
彼女は頭を振り、体をゆすって、絡みつくツタやコケを払い落とすと、大きく伸びをした。
おそらく数百年も動かしてない体がぎしぎしと軋む。ふと見上げると天空には満月が出ていた。久方ぶりの世界。彼女は、涙を払い目覚めたことに感謝した。眠ったまま石となったなら、私はずっと悲しい夢を見るだろう。それではあまりにも悲しすぎる。
だが彼女は考える。これは果たして本当に起きているのだろうか。実はこれは夢の中であり、目を覚ませば、彼と寄り添って卵を抱いているのではないか。何より、我らが主はまだおわするのではないか…虚しい考えであった。
そうやって考える日々を過ごす内に、彼女の周りに変化が起こる。
人間の少年が現れたのだ。始め、おそるおそるであった彼の態度は、意思疎通が出来ると言うことを知って後、だんだんと大胆になった。
彼は、彼の言う旧世界の事を知りたがった。それは、世界の成り立ちを知ることと同義である。彼女は、少年に請われるままに、自らの知識を語って聞かせた。
少年もそれをよく理解し、世界の成り立ちについての知識を深めていった。
それは短く濃密な時間であった。語らいの間、彼女は悲しみを忘れる事が出来た。
出会ってから三年を数えるころ、二人の間には恋人同士にもにた、奇妙な信頼関係が築かれるにいたる。少年は、彼女に恋心のようなあこがれを抱いているようにも見える。
体の大きさも年齢も種族も違うが、確かに精神的なつながりがあったのだろう。
彼女は頭を振り、体をゆすって、絡みつくツタやコケを払い落とすと、大きく伸びをした。
おそらく数百年も動かしてない体がぎしぎしと軋む。ふと見上げると天空には満月が出ていた。久方ぶりの世界。彼女は、涙を払い目覚めたことに感謝した。眠ったまま石となったなら、私はずっと悲しい夢を見るだろう。それではあまりにも悲しすぎる。
だが彼女は考える。これは果たして本当に起きているのだろうか。実はこれは夢の中であり、目を覚ませば、彼と寄り添って卵を抱いているのではないか。何より、我らが主はまだおわするのではないか…虚しい考えであった。
そうやって考える日々を過ごす内に、彼女の周りに変化が起こる。
人間の少年が現れたのだ。始め、おそるおそるであった彼の態度は、意思疎通が出来ると言うことを知って後、だんだんと大胆になった。
彼は、彼の言う旧世界の事を知りたがった。それは、世界の成り立ちを知ることと同義である。彼女は、少年に請われるままに、自らの知識を語って聞かせた。
少年もそれをよく理解し、世界の成り立ちについての知識を深めていった。
それは短く濃密な時間であった。語らいの間、彼女は悲しみを忘れる事が出来た。
出会ってから三年を数えるころ、二人の間には恋人同士にもにた、奇妙な信頼関係が築かれるにいたる。少年は、彼女に恋心のようなあこがれを抱いているようにも見える。
体の大きさも年齢も種族も違うが、確かに精神的なつながりがあったのだろう。
それから更に数年。少年はあっという間に成長し既に青年となっていた。彼は更に知識を高め、それを使って世界を豊かにするための方法のいくつかを考え出すにいたる。
二人の関係は更に穏やかで濃密なものとなっていたが、ここにきて不幸がドアを叩く。
戦争によって作り上げられた武器が、旧い者達を殺すまでの力を得た。もっとも強力と言われた竜族も例外ではない。
新世界の支配者になりつつある人間達にとって、旧世界の残滓は邪魔者でしか無かったのだ。この人間の行為は、減りつつある竜族に大きな影響を与え始めた。
そして、ある日それは起こる。
彼女と青年との逢い引き。対話の途中で、森を調査する兵士が彼女らを見つける。
青年は彼らを行かせまいと争い、槍で突かれた。おそらく、彼らは彼女のを殺しに来るだろう。森は焼かれ、彼女は殺され、この地はまた草原に戻るのだ。
彼女は悲しみをもって青年を見やる。彼の脇腹と右胸からあふれ出る血液と共に、彼の命が失われていく。
「なぜ…ひと…は…あなた方、旧い種族に対する…敬い…をゴホッ」
青年が血を吐きながら言う。
「わすれ…て、しまったのでしょう。」
彼の流す涙を、彼女は爪先でそっとぬぐった。
「貴女はうつくし…い。どうか、われわれの、手に、かからぬよう。遠くに、逃げて」
断末魔の苦しみのなかにあって、この風変わりな青年は、それでも彼女を気遣って言った。
以前に話した事がある。彼は人の行いを悔い、旧い者達の行く末を案じてるということを。
ここで、彼女は一つ思い出す。以前語らった時のことを。それは、竜は大地という命を育む事が出来るのに、なぜ新たな命を宿すことが出来ないのか、というものだった。
青年はこう言った。大地に分け与える力を自分の中にとどめれば、それは命になるのではないか?
「汝はもう死ぬ…妾は汝を助けてはやれぬ」
彼女もまた、涙をこぼした。
「だが、汝の言うた事はみな覚えておるぞ」
「あり…が…とう。僕は、もしかすると…竜になりたかったのかも…しれない」
青年の小さな手が、爪先にぎる。
「妾も汝がそう思うておるように感じておった。重ねて言うが、汝はもう死ぬ」
彼女は言葉を切り、その後意を決したように続けた。
「だがな、一つだけ死なぬ方法が見つかったやも知れぬ。それに賭けてみるか?」
青年は、青ざめた顔で頷いた。
「良かろう。もし、次に汝が目を覚ますならば、それは生まれ変わって後じゃ」
彼女は急ぎ裸にした青年を優しくつかみ上げると、自ら押し広げた生殖器の中へと導いた。
そして、外に放射していた生命の力を、自らの内側へと向ける。
力はやがて、青年を守る硬い殻となって、彼女の胎内とで二重の壁になってこの世から彼を隔絶する。
奇蹟がおこる。彼女は確信した。同時に、自らの種の過ちも理解した。
我らが主は去ったのではない。我々の内側にあるのだ。
彼女は一声いななく。世にある全ての竜たちにむけて。我々もこの世界を去ろう。本物の安寧の地へと。
青年よ。妾に真実を悟らせてくれた人間よ。汝がその目に再び光を見るとき、汝は我らと源を同じくするものとなろう。
二人の関係は更に穏やかで濃密なものとなっていたが、ここにきて不幸がドアを叩く。
戦争によって作り上げられた武器が、旧い者達を殺すまでの力を得た。もっとも強力と言われた竜族も例外ではない。
新世界の支配者になりつつある人間達にとって、旧世界の残滓は邪魔者でしか無かったのだ。この人間の行為は、減りつつある竜族に大きな影響を与え始めた。
そして、ある日それは起こる。
彼女と青年との逢い引き。対話の途中で、森を調査する兵士が彼女らを見つける。
青年は彼らを行かせまいと争い、槍で突かれた。おそらく、彼らは彼女のを殺しに来るだろう。森は焼かれ、彼女は殺され、この地はまた草原に戻るのだ。
彼女は悲しみをもって青年を見やる。彼の脇腹と右胸からあふれ出る血液と共に、彼の命が失われていく。
「なぜ…ひと…は…あなた方、旧い種族に対する…敬い…をゴホッ」
青年が血を吐きながら言う。
「わすれ…て、しまったのでしょう。」
彼の流す涙を、彼女は爪先でそっとぬぐった。
「貴女はうつくし…い。どうか、われわれの、手に、かからぬよう。遠くに、逃げて」
断末魔の苦しみのなかにあって、この風変わりな青年は、それでも彼女を気遣って言った。
以前に話した事がある。彼は人の行いを悔い、旧い者達の行く末を案じてるということを。
ここで、彼女は一つ思い出す。以前語らった時のことを。それは、竜は大地という命を育む事が出来るのに、なぜ新たな命を宿すことが出来ないのか、というものだった。
青年はこう言った。大地に分け与える力を自分の中にとどめれば、それは命になるのではないか?
「汝はもう死ぬ…妾は汝を助けてはやれぬ」
彼女もまた、涙をこぼした。
「だが、汝の言うた事はみな覚えておるぞ」
「あり…が…とう。僕は、もしかすると…竜になりたかったのかも…しれない」
青年の小さな手が、爪先にぎる。
「妾も汝がそう思うておるように感じておった。重ねて言うが、汝はもう死ぬ」
彼女は言葉を切り、その後意を決したように続けた。
「だがな、一つだけ死なぬ方法が見つかったやも知れぬ。それに賭けてみるか?」
青年は、青ざめた顔で頷いた。
「良かろう。もし、次に汝が目を覚ますならば、それは生まれ変わって後じゃ」
彼女は急ぎ裸にした青年を優しくつかみ上げると、自ら押し広げた生殖器の中へと導いた。
そして、外に放射していた生命の力を、自らの内側へと向ける。
力はやがて、青年を守る硬い殻となって、彼女の胎内とで二重の壁になってこの世から彼を隔絶する。
奇蹟がおこる。彼女は確信した。同時に、自らの種の過ちも理解した。
我らが主は去ったのではない。我々の内側にあるのだ。
彼女は一声いななく。世にある全ての竜たちにむけて。我々もこの世界を去ろう。本物の安寧の地へと。
青年よ。妾に真実を悟らせてくれた人間よ。汝がその目に再び光を見るとき、汝は我らと源を同じくするものとなろう。
それから程なくして旧い者達はこの世界から姿を消した。その後、美しいそれらを見た者はだれもいない。