最終更新日
2024-06-3023:14:06




yaxiyete aš lar a ██. rukare a care letüš a rukare ï foš(あなたの名前は、██。見て、知って、触れてほしい。すべてに。).

a care a ivcutiyiv ar. an düš nanaazev ï maar liyare(そうしてきっと、いつか大事なものと巡り会う。だからどうかあなた達の道行きに、真名の導きを).

 ――ある赤子の、名付けの一幕。


名の文化



「森」が「名無しの森」と呼ばれる由来は、
人々の「名」を奪い、本来持っていたその者の本質を奪い去ってしまうことにある。


ゆえに森辺に住まう人族たちは、
「森」から名を奪われぬために幾つかの名前を持っている。

一つは自身と他人を分けるために持つ「仮名」、
もう一つは自身を守る大地生から与えられる「恵名」、
その者自身が積み上げた足跡によって付けられる「二つ名」。
そして、すべからく森辺の民が生来追い求め、その者の本質を示すとされる「真名」。


「森」にかかわる多くの人族にとって、
「真名」は人生を賭けて探し当てるべき哲学的な目標点と考えられている。





「仮名」


「名無しの森」は、その者が「真名」を得るための場とされていると同時に、
それを手に入れるまでの間、名付けられることを待つ自身の本質を守る必要がある。
そのために付けられるのが「仮名」であり、単に他者との区別を付けるためのものでもある。

とは言え、大概の者は「真名」を得られることはなく、生涯「仮名」と共に人生を過ごす。
また、「仮名」は「森」で使われる名としてはそこまでの強さを持たないとされている。

名付けられた際の祈りの重さによってその守りの力の総量から、
その名に縛られる度合に至るまでが大きく変わるとも言われており、
奪われることを初めから想定してあえて重い意味を持たせない親も居る。

「仮名」は「森」をさまよう内に喪失することもあり、周囲の認識からも含めその名は忘れられてしまう。
そうなった場合に限り、新たな「仮名」を付けることが許される。


「恵名」


「森」の中で人は非常に弱く、そうでなくとも儚い存在だ。
そんな人々が、古来より寄り添い守護を与えてくれた大地生の名に頼ったことは必然だった。

これを「恵名」と言い、「仮名」よりも強い力を持つ。

地球で言うところの苗字に近く、「仮名」・「恵名」の順で名乗る。
多くの場合は自身の生まれた地域に散在する「骨」――大地生の名から下賜されるもので、
子は親が名乗っている「恵名」を使うことがほとんど。

また、方々を飛び回る潜森士や旅を生業とする者たちは、
思い出深い場所のそれや、大地生ごとに異なる祝福の力を基準にして名付けることもある。

大地生の「恵名」は、元となった「骨」が存在する限り決して「森」の影響を受けないが、
歌姫の与える力が途絶えてしまうと「骨」ごと「恵名」が消え去ってしまうことがある。


「真名」


その者が心の深奥に秘め、「森」の奥底で明らかになると伝わる到達点。

昔話や神話において多く語られ、手に入れた偉人や伝説は少なからず存在するが、
実際に「真名」を得て「森」の終端から帰ってこられたとされる者の逸話は僅か。

森辺の民にとってそれを見つけ出すことは人生を賭けた使命であると言われているが、
本当にそれを信じて探し求める人族は一部の夢見がちな潜森士くらいなもので、
ほとんどの人族からはおとぎ話のようなものだと思われており、実在を疑われている。


「二つ名」


「森」で挙げた功績や戦果などによって、組合や国家から下される、
あるいはその者の行いから噂が立ち、次第とそれが定着することによって決まる異名。

その大きさ次第で本人が元々持っていた「仮名」の力よりも強くなることがあり、
人々の間で語られ膨らみすぎた二つ名が仮名を押し潰すことさえあるという。
しかしその加護の力は大きく、「森」の中で自身を守るためにこれ以上のものはない。

一般的な森辺の民は持っておらず、
もっぱら潜森士や、「森」への関わりが極めて深い特例的な人々が持つことが大抵。


「名付け」


「森」の中には、まだ名付けられていない様々なものが存在する。
生物、漂着物ランドマーク、その他未発見の現象など……。

それらに名を付けることは、潜森士はもちろんそうでない者にとっても栄誉なことであり、
新種に触れ合うことのある一部の学者や、新発見の漂着物に関わりがちな鑑定士には、
手ぐすね引いてその機会を狙っている者も少なくない。

また、潜森士にとっては重要視される意味合いもあり、
新たに名付けられるモノの意味や力を僅かに借り受けられるとされている。

この力は分類としては二つ名の一部に含まれ、潜森の助けになる力となってくれる。


時折新たに付けられた名前を「森」から持ち帰れない場合があるが、
その多くは潜森士の死や失踪、名の喪失を原因とすることがほとんど。

しかし単に潜森士の危機をその名が肩代わりしたことによって忘れられてしまうこともあり、
そうなった場合には改めて、その名を持つはずだったモノをもう一度再発見する必要がある。

この再発見は、同一の人物が行っても問題ない。


「名付けるということは人の範疇に理解のできるものに落とし込むということ」でもあるため、
あえて名を付けないことで本来の力を削り取らずに使われている、もしくは存在しているモノもある。


「森の噂」


「二つ名」を持てるのは、何も人々だけではない。
当然、名の影響は獣なども持つ場合がある。

多くは名付けられたことによる一般への浸透から弱体化、もしくは一般化が起きる傾向にあるが、
一部の獣はその被害の大きさなどから二つ名――つまりは「噂」が根付き、
より特異な、凶暴で狡猾な個体へと変貌することがある。

原因は不明だが、そうなった獣の多くは知恵を使うことを覚え、
より深刻で厄介な被害を生じさせてることがある。

これを避けるため、あえて「森」内の情報や被害の流布が制限されるなどの対策が取られる。


法則


「禁忌」


この世界で「仮名」と「恵名」、そして「二つ名」以外に名を持とうとすると、
名前同士の持つ意味や力が混濁し、本人の行動や精神、思考にも影響が及ぶ。

そのため、法則の下で決められた名称以外のものを複数持つことは許されない。
無理してまで持とうものなら、
その人族は遠からず自身の本質を損壊してしまい、最悪の場合廃人にまで至ってしまう。


この命名における絶対的なルールこそが、
「真名」の存在の裏付けであると主張している者も少なくない。


「例外」


「森」は、単一個体が持つ固有名詞であるところの「仮名」を奪うことはできるが、
一般に浸透した普通名詞、各地で共通して使われる固有名詞、
つまり文化的に定着している言葉と、そして大地生が持つ名前については奪うことができない。

これを奪うことができない理由は、人々が「言葉」に持つ認識の大きさが「森」に咀嚼しきれず、
飲み込み切ることができないからと考えられており、
また大地生のものについては、その歴史的背景、「森」との敵対の過去に源流があるとされている。

とは言え、前述の通り「骨」そのものが「森」に溶け奪われることによって
その大地生の名――「恵名」が喪失してしまうことはある。


「名喪失し(ナナクシ)」


「森」の影響を受け続け、自身の「仮名」や「真名」に至るまでを喪失した者を指す。「朽木」とも呼ぶ。

それぞれの名がどのようにして失われていくかは判然としておらず、
自身を構成する名がバラバラに削れていく者も居れば、逆に一つのものから急激に抜け落ちていく者、
あるいはまったく影響を受けていないように見えながらも唐突にすべてを失うものなど、
欠如の法則性は明らかではなく、名へよりも自身の身体そのものへの影響が大きく出る場合もある。

生涯にわたって「森」を探索し続けたにもかかわらず影響を受けなかった者なども存在するため、
なんらかの対策法があるのではと考えられてはいるが、その方法は今もって掴めてはいない。


「欠け名」


上記の「名喪失し」までは行かないものの、「仮名」の一部を失くしている状態。
その影響の受け方は様々だが、記憶の喪失や錯綜を起こすことがあり、
その起因とする原因もわからぬまま感情のままに行動を起こすなど、周囲に危険が及ぶことも。

自身の名の喪失を感じながらも、正気を保てる者も居る。


「継ぎ名」


「欠け名」を自覚できている者が、一時しのぎ的にその穴を塞ぐ行い。

継ぎに使う名は二つ名の一部を用いたり、既に死した仲間の仮名のそれを用いたりと多様だが、
大きな穴を他者の「仮名」で埋めた場合には、
元となった人物の人格や、その人物と共有する記憶が混濁したりする。

二つ名から使用した場合には、元となる記憶が基本的には自分由来であるゆえ記憶の混乱はないが、
その二つ名を得るに至った経緯やその時抱いた感情の記憶など、そういった部分に影響が起きる。


「名無し」


存在し得ないもの。

「名無し」という言葉は存在するが、
」に名を付けられないように「名無し」という言葉を人に付与することはできず、
対象が人である内は「名喪失し」という言葉が宛てられることがほとんど。
最終更新:2024年06月30日 23:14