John Cageによる楽曲。「全て休みの曲」として大変有名である。
詳細
楽譜は以下のとおり。
I
TACET
II
TACET
III
TACET
TACET
II
TACET
III
TACET
I,II,IIIは楽章番号、TACETは休みを意味するので、これは「楽曲全部で休み」を意味することになる。
意味
この楽曲の意味は二つあると考えられる。
1)演奏会で披露されることで楽曲になるということ
Marcel Duchampの「泉」はただの便器を美術館に置くことで美術作品に仕立て上げた。美術作品であるから美術館に飾られるのではなく、美術館に飾るから美術作品となることを示したわけである。
4分33秒も同様に、演奏会で演奏されるから楽曲になるということを示した曲と考えられる。これによって「あらゆる音は音楽になりうる」という発想が一般に定着し、後のノイズ・ミュージックに影響を与えた。
4分33秒も同様に、演奏会で演奏されるから楽曲になるということを示した曲と考えられる。これによって「あらゆる音は音楽になりうる」という発想が一般に定着し、後のノイズ・ミュージックに影響を与えた。
2)世界は音に溢れているということ
この作品は度々"無音の曲"と言われるが、厳密にはそうではない。何も演奏されていない空間で、会場周囲の自然音や自分の鼓動、神経の音に耳を澄ませてみるということがCageの意図である。この世界に無音はなく、音に溢れているのである。
この考え方は「サウンドスケープ」へと発展し、フィールドレコーディングやBrian Enoのアンビエントの思想へと受け継がれていく。
この考え方は「サウンドスケープ」へと発展し、フィールドレコーディングやBrian Enoのアンビエントの思想へと受け継がれていく。
この作品の特異な点はダダ的な前衛芸術でありながら、純粋な意味で「鑑賞」する意義も大いにある点であろう。
例えば「泉」を純粋な意味で鑑賞しても得られるものは少ないであろう。「泉」の素晴らしい点は「何故それを飾るのか?」という意図に集約されており、便器そのものの芸術性にはあまり注目していないからである。
しかしながら4分33秒は鑑賞することで「この世界に溢れる音」へと耳を傾けることができ、毎回違う「演奏」を楽しむことができるのである。
これ以降に登場するアンビエントやミニマルミュージックといった「楽しい」前衛音楽は、純粋な鑑賞に耐えられるこの作品を踏まえたものなのかもしれない。
例えば「泉」を純粋な意味で鑑賞しても得られるものは少ないであろう。「泉」の素晴らしい点は「何故それを飾るのか?」という意図に集約されており、便器そのものの芸術性にはあまり注目していないからである。
しかしながら4分33秒は鑑賞することで「この世界に溢れる音」へと耳を傾けることができ、毎回違う「演奏」を楽しむことができるのである。
これ以降に登場するアンビエントやミニマルミュージックといった「楽しい」前衛音楽は、純粋な鑑賞に耐えられるこの作品を踏まえたものなのかもしれない。
ちなみに...
なぜ4分33秒なのかというと、初演したピアニストDavid Tudorの演奏時間が由来である。
演奏時間はいくらでも伸ばしてよいと言われていたのだが、あまりの重圧に4分33秒しか耐えられなかったと言われている。
また本作は聴き手にどんな曲より強いインパクトを残し、一生懸命練習した他の曲の印象が薄れてしまうため演奏家から嫌われているそうである。
演奏時間はいくらでも伸ばしてよいと言われていたのだが、あまりの重圧に4分33秒しか耐えられなかったと言われている。
また本作は聴き手にどんな曲より強いインパクトを残し、一生懸命練習した他の曲の印象が薄れてしまうため演奏家から嫌われているそうである。
関連話題
- Nova Musicha・・・4分33秒を収めたアルバムを発売していた
- Brian Eno・・・本作などに影響を受けて「アンビエント(環境音楽)」を生み出した
- Sly & the Family Stone・・・名盤"There's a Riot Goin' On"に0秒の曲が収められている。
- Vulfpeck・・・全部無音のアルバムを配信したことがあるバンド。
- Frank Zappa・・・Cageのトリビュートアルバムで本作を演奏
- STUMM433・・・様々な音楽家による4分33秒の演奏が収められたアルバム