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「仮定された未来の為に、確定した過去を変える」
——『サクリレイジ定期報告書』p.37
巡礼の年
INCIDENT No.180714
■CONTENTS
■事件
≫概要
INCIDENT No.180714 通称
"巡礼の年"は新世界歴■■■年(旧世界暦2018年)7月14日に
"虚構現実"にて発生した。
当該局員
パグローム、
ゴーストライター両名の手により複数の能力者を
"虚構現実"に派遣、
INF財団の報告書回収任務を行った。
"虚構現実"への転移後、部隊は二手に分かれ探索を開始した。その最中一方の部隊が
シャーデンフロイデとの戦闘に移行、
シャーデンフロイデの世界線移動の能力に翻弄されながらもこれを撃退。中断していた探索任務を再開しようとしたが
そのタイミングに於いてゴーストライターの内部に憑依していた
ジャ=ロが顕現、能力者達と相対する。
結果としてゴーストライターは死亡。能力者達は志半ばで"基底現実"へと帰還した。
しかし、ゴーストライターが死に際に放った能力により、『INF-005』の報告書を持ち帰る事に成功した。
以下に事件の詳細を記す。
≫当日まで
インシデント
新世界よりの後、
"ゴーストライター"は
"ジャ=ロ"の討伐にはジャ=ロ自身を記した報告書が必要であると考えた。
この考えに同意した
サクリレイジの
"ボス"は消極的ではあるが、ゴーストライターの
"虚構現実"渡航を許可する。
この時点で
"虚構現実"は崩壊しており、ジャ=ロ達の報告書はこの現実には存在していない状態であった。
つまり、崩壊した現実に生身のまま渡航し、存在の確認されていない報告書を持ち帰る、という目標が設定されていた。
言わずもがな破滅的に成功率の低い賭けであった。ほぼ間違いなく虚構と現実の狭間に分解されるのが関の山であろう。
しかし、
パグロームの持つ
"虚数渡り"の能力、ゴーストライターの特質を鑑みると万に一つの可能性が浮上した。
斯くして許可は下る。生きては帰れない旅路の先に、あるかわからない光明を探して。
「ゴーストライター。 もうあの場所は、君の故郷ではないんだ。」
ボスの言葉がゴーストライターの背中に響く。顔を無くした男は、それでも望郷の念に駆られて。
ゴーストライターの行動は早かった。システム"モダンタイムス"を構築し、能力者達の協力を募る。
モダンタイムスはインターネット上に構築された監視システムであった。一定のキーワードに反応する個人を特定する。
"ウヌクアルハイ"や"サーペント・カルト"、"グランギニョル"等、一定の意味合いを持つ文字列を検索した人物、
それらを監視し、コンタクトを取るためのシステムである。今回の渡航に際して能力者達を振いにかけた。
モダンタイムスの監視の目が及ばない能力者は、"虚神"に対して無知である、若しくは高度なネットシステムを構築している。
前者であれば、認識を糧とする"虚神"に力を与える結果になりかねない。
後者であれば、ゴーストライターの行動に対して向こう側からコンタクトを取るだろう。
結果としてゴーストライターは、"虚神"に対して一定の知識を持つ能力者を集める事に成功した。
高度な情報収集ネットワークを持つが、虚神に対して無知な一部の例外はあったが、概ね目論見は達成したと言って良い。
渡航の前日、ゴーストライターは再びボスに対してコンタクトを取る。
二人の議論の着眼点は一つ。"ジャ=ロ"の描くシナリオについて。
"ボス"は既に大部分の真実を描いていた。"虚神"の正体について正しく描写してみせる。
「そうだね――その思考を追うのならば、君の世界で最後に起こった、この世界で最初に起こった"何故"を辿ってみよう。」
「何故、彼らは満足しなかったのか」
「君達の世界を滅ぼし、人間を滅ぼし、確かに虚ろの神として顕現せしめたのに、何故また"ふりだし"からやり直してまで、この基底現実にまで足を運んだのか。」
ボスの言葉は既に、ボス自身がジャ=ロの目標について看破していた事実を示す。
けれども、それを言葉に出して伝えるにはリスクがあった。思いこみこそが、最初の一手を緩める。
それ故に問答に徹した。ゴーストライターもそれに同意して。
役者は揃い幕が上がる。集められた贄は、まだ知らない。
≫当日
◇事件発生場所
集められた能力者達は合計9名。
能力者達は各々の理由を胸に、とあるホテルのパーティ会場に集められた。
"ゴーストライター"は能力者達に感謝を述べると共に、今回の計画の大部分を説明する。
そして、転移が始まる。"パグローム"の手によって開かれた、"虚構現実"への片道切符。
「もう一度、私と共に飛んでくれ、──」
◇事件の経過と推移
"虚構現実"に渡航した能力者達は、
INF財団の研究所に転移する。
かつて収容施設としても使われていた巨大な施設。能力者達はその場で二つに分けられる。
『魏尤』、"エーリカ"、"八攫 柊"、"アリア"に"ゴーストライター"を加えた【地下探索組】
"アーディン"、"ミチカ"、"厳島"、"『姫』"、"ロッソ"らによって構成された【地上探索組】
【地下探索組】は地下の収容施設を、【地上探索組】は地上の研究施設を探索する運びとなった。
≫【地下探索組】Part.1
能力者達が案内されるのは"B1F"と書かれたフロアであった。広い室内の中心に廊下があり、挟む様に独房が存在する。
独房の中身は空っぽであった。夜逃げした様にと形容される様に、その内部には誰もいなかった。
その中央を進みながら、やがて一つの大きな扉の前で一行は立ち止まる。
『INF-007』────"シャーデンフロイデ"
彼らが辿り着いた施設は、"サイト-7"シャーデンフロイデの収容に用いられた施設であった。
≫【地上探索組】Part.1
此方の能力者達は"1F"と記されたフロアに案内される。破壊され尽くした室内。散乱する無数の資料。
奥の階段は崩落しており、まるで内部で台風が起こったかの様な状態であった。
非常用の電源しか働いておらず、ひどく薄暗い状態で、能力者達は手探りの情報収集を求められる。
研究所には科学的な書物の他、宗教関連の書物や哲学関連の書物が多く存在していた。
之は"虚神"の性質が信仰や認識に従うという特徴が故に、精神的な書物を多く必要とするのだろう。
加えて、地下の収容施設は"虚神の影響を受けた"人物を収容する為の場所であると記されていた。
姿形の変異、特異な力を得た変異体を地下に収容していた。
しかし、その一方で前述した様に【地下収容施設】は誰も存在していない。之が示す符号とは。
加えて、『姫』が見つけた書類はかつて
サーペント・カルトの使用していた
蛇術の仕組みに近い、術式が描かれていた。
能力者達は各位考察する。これらの痕跡が示す事実について。
≫【地下探索組】Part.1-2
シャーデンフロイデは巨大な蝶型実体である。荘厳な翅は夜空を思わせる深い黒に染まり、星屑の如き鱗粉を振りまく。
"極夜蝶"と呼ばれる所以がそこにはあった。美しく神秘的な光景を誇示しながらシャーデンフロイデは言う、
『ねぇ知っているかしら。私達は、貴方達から生まれたの。ニンゲンが私達を、生み育ててくれた』
『言わば私達は貴方達の落とし子よ。貴方達よりずっとずっと進化した、偉大なる神々』
『それでもね、私達は慈悲深いの。どれだけ私達は進化しても、貴方達への感謝を忘れないわ』
シャーデンフロイデは"虚神"が人間達から生まれたと言い、それ故に自分達を人間の子供であると主張する。
そして、人類を親と定義しながら、その親世代が犠牲になることを求める。
自分勝手な主張であった。当然能力者達が納得する訳も無い。
「妾の子なんて孕ませたつもりはないわね。」「古生代はとうに終わっているの。」「飼い慣らされる積もりもない。」
「バタフライ・エフェクトなんて知った今年じゃないわ。」「所詮おまえは胡蝶の夢よ。」「骸は綺麗に飾ってあげる。 ── だから。」
「死になさい、ここで。」
アリアの言葉が全てであった。能力者達は各位戦闘態勢に移行する。
シャーデンフロイデは鱗粉を用いた攻撃を放つ。風の性質を宿した鱗粉は、能力者達を捉える事は出来ない。
戦闘経験の圧倒的な差である。能力者達の攻撃が、シャーデンフロイデを切り刻む────筈だった。
≫【地下探索組】&【地上探索組】最初の世界線移動
能力者達が攻撃をしかけた瞬間に、その場に居る能力者"全て"が違和感を覚えた。
めまいの作用。足下が消えていく感触。脳をシェイクする不快の感覚。
シャーデンフロイデの絶対的な力、"世界線移動"────境界線の狭間で蝶が嗤う。
『枝分かれするの。貴方が選んだ世界と選ばなかった世界と、世界は無数に存在していて』
『その中にはね、とても重要な分岐点があるの。貴方という存在を形作る、大事な分岐点』
『私は貴方達に感謝しているの。だから見せてあげるわ、目眩く無数の世界を』
『そうして貴方達の現実は不定形に成り果てるの。でもそれを恐れるのは違うわ』
『私にとっては親孝行よ。不出来な親であっても、大切な私の親ですもの』
最初の世界線移動は、特大の"特異点"に向けての移動であった。
即ち、"虚構現実"が滅びる前の時間軸へ、シャーデンフロイデはその場に居る全員を移動させた。
【地下探索組】も【地上探索組】も、同様に大きな変容を感じた。
≫【地下探索組】Part.2
次に意識が覚醒した時。シャーデンフロイデは無傷の状態でその場に鎮座していた。
加えてその周囲には"サナギ"が大量に出現していた。『INF-007』に描かれたサナギたち。
シャーデンフロイデによって変容した人間達の末路であった。呼吸をしている事実は、それらが生きている事を伝える。
そしてもう一つ、その場に居た能力者達は負傷をしていた。本来ならば出来るはずのない負傷。
思い出せるのは、シャーデンフロイデが放った鱗粉が能力者達に傷を与えた記憶。けれども、能力者達は確かに回避をした。
シャーデンフロイデは無数の分岐した世界線を認知する。そして、その中には確かに存在するのである。
"能力者達が全員攻撃を回避しきれず"、"シャーデンフロイデが攻撃を全て回避した"世界線が。
それは限りなく低い確率である。けれども0ではない限り、シャーデンフロイデにとっては十分な可能性を持つ。
無数の世界線を認知できる存在にとって、その中の一つを手繰り取る事は難しいものではなかった。
つまり、ここでシャーデンフロイデが移動した世界線は、
"虚構現実"が崩壊する前の時間軸に存在する、能力者達と交戦する特異点。
そしてその特異点を通る、シャーデンフロイデにとって都合の良い世界線であった。
≫【地上探索組】Part.2
此方の能力者達に起きた変容はより明らかであった。
荒れ果てていた研究所内が元に戻っている。
当然である、その時点での時間軸は、"虚構現実"が崩壊するより前の時間軸であった。
それ故に、各々の能力者は手に持っていた物品の消滅や、状況の復元に戸惑う。
けれども、同時にそれは僅かな光明もあった。
時間が巻き戻るという事はつまり、"かつてあった"全ても復元されるという事である。
その場に出現するのは『INF-007』──シャーデンフロイデの報告書であった。
そこに記されていたのはその能力の実態。世界線上の特異点を渡る荒唐無稽な能力。
奇しくもアーディンの呟きは正しく表現して見せた。
「敵は己、己は敵……なるほど、これは――――全てがひっくり返るような有様だ…………どうやら、今までとは格が違う、更に上の脅威が、近づいているらしい……」
研究所内が復元した事により、崩落していた"2F"への階段が復旧した。
能力者達の一部は上に渡る事を選択した、が────
「 ────『ルール』を理解するんです。」
「 虚ろな世界の『ルール』を。」
流転する状況の中、厳島は見落とさなかった。その場に居た見覚えのある顔に、
返答される言葉は禅問答の様であった。それ以上の追伸は無く、厳島は困惑する。
それは暗躍に似ていた。水面下でじっと、顔を伏せるかのように。
≫【地下探索組】Part.2-2
能力者達の順応は早かった。シャーデンフロイデの能力の概要を、少ない手がかりから掴んでみせる。
ある者は自身の身体に刻まれたログから、ある者はシャーデンフロイデの掴み所のない言葉から。
その発現の切っ掛けが"攻撃"に在ることは間違いなかった。能力者達は思考する。
ある者は"攻撃でない"一手を取る。また別の者は冷静に観察に重点を置く。
その中で『魏尤』は言い放つ。己の信念を元に、練り上げられた言葉を。
「自分は絶対に敗けんっちゅう勘違いをしとる口ぶりじゃのう。」
「儂がいっとう、嫌いな奴じゃ……。」
そして、『魏尤』が"物理的でない"攻撃を加えた途端、世界は再び変容する。
≫【地下探索組】&【地上探索組】二度目の世界線移動
『子は親を選べないわ。例え其れがどれほど酷い親であっても、愛さなければならない』
『其れをさして肉親と呼ぶのでしょう、私も其れには納得するわ』
『文字通り子の、血となり肉となる、貴方達こそ、すばらしい肉親ですもの』
シャーデンフロイデの言葉がその場に居る全員に響く。歪んだ価値観の、歪んだ言葉。
シャーデンフロイデの"世界線移動"の発現には、"自身に向けられるシャーデンフロイデの感情"が必要である。
つまり、シャーデンフロイデへ攻撃を加えることは勿論、危害を加えようとする意志を持つこともその契機になりうる。
それは人間である以上避けられない感情であった。己を殺す事でしか、達成できない境地に近い。
二度目の"世界線移動"は最初の"世界線移動"の時間軸より"後"の時間に移動するものであった。
つまり、最初の移動により大きく過去へと戻り、今回の移動は、その状態からより現在に近い形へ戻ってきたのである。
過去の時間軸から時間が経った状態と認識しても問題ない。
≫【地下探索組】Part.3
シャーデンフロイデに対し、様子見に回っていた能力者の判断は正しかった。
二度目の世界線移動は、攻撃の無力化を目的に行われる。それ故に能力者達にダメージは無い。
けれどもエーリカの観察眼は見逃さない。サナギの大きさが増している事を。
今回の世界線移動が時間軸的に、後にあるのは之が原因であった。
シャーデンフロイデはダメージを与えるよりも、サナギを羽化させる事を優先する。
『素晴らしいでしょう、繋いでいくの。繋がっていくの、それが親と子の絆だから』
『そうして得た成果を、子は誇らしく捧げるのですから』
『大丈夫、私は私の子に伝えるわ。かつて貴方達という素晴らしい親が居たことを』
そうして鱗粉は姿を変える。『魏尤』の放った黒龍を模した姿へと。
無論、形だけではなく、その性質すらも則った攻撃であった。シャーデンフロイデは能力者達へと放つ。
一方的に削られる消耗戦の中、能力者達はシャーデンフロイデの能力に迫っていく。
黒龍を熟知している『魏尤』が攻撃を受け流す。アリアは複数の仮説を打ち立て、強引に感情を抑圧させる。
柊は感情を上塗りする。自身の身を削り、感情を黒く染めていく。
「……はははっ、ずいぶんと子供やら孫やらに執着するじゃないか。」
「残念だけど、お前の執着してる子供には興味がない。"顔も見たくもない"。」
「何せお前は――私の、いいや私たちの子供じゃない。孫も同様だよ。」
絶望的な状況に於いてもエーリカは笑う。認識の化身である"虚神"に対し蛮勇を振う。
けれども、それは有効打でもあった。放った言葉は信仰になり、己の心をも救う結果となるのだから。
アリアは感情の無い兵器"C.I.W.S."を用いて"空砲"を放つ。
柊は己の身体に深い傷を付けながら、シャーデンフロイデの右翅へと刃を放った。
────果たしてその結果は。
≫【地上探索組】Part.3
世界線移動の影響は報告書に現れた。『INF-007』の報告書は補遺が付け加えられ、新たな展開を見せる。
便宜的に『INF-007(ver.2)』となった報告書を各位は読んだ。そして、同時に二階へ新たな書類が出現する。
『研究員ジョルジェッタの提言』────その場にあるのは表紙だけであった。
しかし与えられたピースは十分であった。ロッソは正しく状況を認識してみせる。
「………ジョルジェッタのデスクはここか?それとも実験室があるのか?…何処だ?……感情を生み出す機械。これを探すんだ!!」
「蝶を追うんだ。最初、俺達は…カオナシを入れて10人だ。…今いるのは5人」
「俺達じゃないチームはコイツ/INF-007のところにいる。―――地下の収容施設だ。向こうを捜索しているはずだ」
「意味のないものは登場しない。この世界は――チェーホフの銃だ。だから、書き換わった。必要だから。」
「奴を終了させる手立てを“世界は望んている”……やつは…蝶は何処に居る?!」
ジョルジェッタは『INF-007(ver.2)』にてシャーデンフロイデを抑えるため、"擬似的に感情を作り出す機械"を提言した。
シャーデンフロイデが世界線を変動させた結果、能力者達が"INF財団"のプロトコルを後追いする。
それは両者にとって必然であった。シャーデンフロイデが勝利する為の道筋と、能力者達が真実に至る道筋の奇妙な一致。
その符号をロッソは見逃さなかった。
「だが、シャーデンフロイデが…奴が自分を終わらせるための手助けをするか?世界は変化した。それは俺たちが目撃した」
「報告書の通りそれがシャーデンフロイデによるものなら―――これは罠か?それとも…」
「ジョルジェッタの機械を探そう。そして、地下に向かい、極夜を終わらせる。」
一方で一階に残ったミチカと『姫』は、無事なパソコンのログインに成功する。
無表情でパスワードを突破するミチカ、画面に表示される案内のメッセージ。
『ようこそ、ジョルジェッタ、貴方の用件を聞きましょう』
話題の渦中に存在する人物、ジョルジェッタのパソコンがそれであった。
しかし、その中身は殆ど無かった。ミチカはその一つ、メールソフトに目を向ける。
────時を同じくして、厳島もまた、二階で新たなパソコンを発見する。
二階にあったパソコン、そこに表示される画面。
『ようこそエージェント・ルイージ、用件をお聞きします』
≫【地下探索組】Part.3-2
『―――― 愚かなお母様、その手段は正しいわ、驚く程に』
『そうよ、単純でしょう。喜びを感じなければ良いのだから、何処までも自分を責めて』
『親が子を殺すのはそんな道理よ、ごめんねと言いながら首を絞めて』
『ええ、自分勝手な身勝手な妄執で、子を殺すのだから、ニンゲンはほんと愚か』
『けれども、私はそれを受け入れなければならない。それが子の定め』
『理不尽よね。子はみんな、そう思っているから――』
感情を持たないアリアの空砲。それは世界線移動を引き起こさなかった。
加えて、柊の捨て身の一撃は確かにシャーデンフロイデにダメージを与えてみせた。
同時にアリアはシャーデンフロイデの全貌を掴む、そこに示される一つの帰結。
「 ─── 聞けるかしら。」「こいつに、"害意を向けるな"。」「攻撃を仕掛けるなら偶発的なものである必要がある。」
「コラテラル・ダメージが本質になってもいい。」「 ……… 尤も、随分と"余裕そう"でもある。」
「故にあいつの狙いは何か、 ──── "他の場所"にもある。恐らくはあいつを殺して終わりじゃあない。STAY ALERT(警戒を怠るな)!」
通常人間が他者を傷つけるとき、そこには必ず"シャーデンフロイデ"が生まれる。
それは人間である以上避けられない感情であった。だからこそ、手段は絞られた。
"害意を向けない"、"偶発的な攻撃"アリアが示すその手段は単純明快であった。
柊が決死で切り開いた傷もまたそれを示す。全ての条件は整った。
シャーデンフロイデを生み出さない攻撃。それは自分自身をより傷つける手法でも再現出来る。
傷つける対象以上に自分が傷つく。その過程には喜びはない。身を切る苦しみだけが広がる。
斯くして光明は見つかった。────能力者達は覚悟を決める。
『魏尤』の選択。天井に攻撃をし、偶発的な瓦礫の落下。加えて実体化した呪いによりサナギにも拳を向ける。
エーリカの選択。意図的な能力の暴走。制御できない無差別の刃を周囲にまき散らす、地獄の淵の綱渡り。
アリアの選択。装填されるのは"実弾"────感情を持たない兵器による掃射。
柊の選択。────それは、
〝必ず、遂げる〟――――そう決めたのよ。
身体を更に抉り、放たれる巨大な質量を持った刃。そのそれぞれが必殺の一撃にならんと。
能力者達によって描かれた、数多の"対抗神話"────シャーデンフロイデに対処する術はない、筈だった。
≫【地下探索組】&【地上探索組】三度目の世界線移動
『お母様達は良い手段を考え出したわ、そう、私を殺めるにはそれが良いわ』
『感情を持たない機械になるの、或いは、深い痛苦で自身を覆うの』
『そうすれば私を傷つける事が出来るわ。自分勝手な理屈だと思うけど』
『親の在り方とはそうでしょう、時に我が儘に子を傷つけるのだから』
『―――― だから私も倣う事にするわ、貴方達のやり方を』
シャーデンフロイデは傷つきながらサナギを守る。それは身を挺して守る親の仕草に近い。
けれども真意は違った。そこにあったのは悦び。正しく鈍く、輝くのは深く"暗い愉しみ"
能力者達は解き明かした。もう、シャーデンフロイデが受動的に世界線を変動させることは出来ない。
────ならば、能動的に、世界線を変動させよう。
『貴方達がそうするように、私も子供達を傷つけるわ。でも、私は貴方達ほど残酷になれない』
『悲しいわ、苦しいわ、お腹を痛めて産んだ子を傷つけるのは、とても、とても――――』
『嗚呼、でも、この胸の高鳴りは何なのかしら、確かな喜びが私の胸にあるわ』
『誰にも言えない "暗い愉しみ" ――ええ、これが、シャーデンフロイデなのね』
『嬉しいわ、かわいいかわいい子供達。貴方達はこんな母の為に、尽くしてくれるの』
『だとすれば、私は其れを叶えるわ。子の為ならば、何だってできるもの』
『そうでしょう、これが、―――― 母の愛だもの』
シャーデンフロイデは己の"子"であるサナギに危害を加える。其れは正しく切っ掛けであった。
サナギの能力により、再び世界線が変動する。渡る蝶が描く彩りの彼方。
『―――― 世界は再構築されるわ、もう一度、母と呼んで』
此度の世界線移動も、二度目の世界線移動と近かった。時間軸が更に後へと移動する。
つまり、更に現在へと近くなった時間軸へと移動したのである。
その羽ばたきは、世界に再び新たな変化をもたらした。
≫【地下探索組】Part.4
そこに出現していたのは、再び無傷の状態へと戻ったシャーデンフロイデ。
そして、"不可避の傷"を付けられた能力者達であった。
『魏尤』のにより落下した瓦礫が、偶然にも能力者達に傷を与えた世界線への移動。
『お分かりいただけたかしら、貴方達の攻撃は全て、私達には届かない』
『良く頑張ったわ。お父様もお母様も、私達の誇りなのだから』
『だから、もう終わりにしましょう、―― せめて最期は誇り高く』
シャーデンフロイデは再び風の鱗粉をまき散らす。攻撃の手段はあまり多くない。
それでも傷ついた能力者達にとっては脅威であった。五体満足な者など居ない状況。
アリアは深く傷つきながら帰納する。サナギと本体の同時撃破。──けれどもそれは机上の空論。
エーリカの慟哭が響く、それは確かな絶望に近かった。
『魏尤』は極めて冷静に、シャーデンフロイデへと言葉を投げかけた。
「ここでつまらない意地を張って死にたいってほど、戦闘狂でもない。」
「そういうわけだ――お前を見逃す代わりに俺を見逃す。」
極限の状態に於いても『魏尤』は落ち着いていた。達人の境地か、或いは狂人か。
そしてもう一つ、柊は限界の意識の中、ある可能性に賭けた。
「かわいそうだわ、シャーデンフロイデ――――……」
「なにかが“大切だ”ということの意味すらも……貴女には、未だ、分かっていない――――――――」
≫【地上探索組】Part.4
世界線の変動と同時に、ミチカが操作していたパソコンの画面に変化が現れる。
ジョルジェッタのメールの文面が形作り、出現する"ゴーストライター"。
ゴーストライターの能力は"他者が描いた自身に関する記述の操作"────そして、"操作に基づいた現実改変"
それは正しく、ジョルジェッタがメールにて、ゴーストライターについて言及していたという証。
しかし、ミチカならば知っている。その文面に描かれていたのは、エージェント・ルイージという人物である事を。
そして再び『INF-007』の記述が変化する。出現した『INF-007(ver.3)』
報告書に描かれる、擬似的に人間の感情を発生させるシステム"Le mal du pays"。
そのシステムの中枢部には生体部品を用いるといった、冒涜的な内容であった。
アーディンはここに於いて察する。シャーデンフロイデに対するその理論を
「……さっき、言いかけた事だが……シャーデンフロイデのこの性質、ユング心理学の『シャドウ』に似ていると思うんだが、どう思う……?」
「……人が他人を攻撃するプロセスには、自己の中の、否定したい要素を敵に見出す――――投影というんだが、それを行って、それに対して攻撃しているんだと……」
「つまり、敵を攻撃するというのは、本当は自分に対する自己否定の本能の、変形なんだと……そういう理論があるんだ……」
「さっき、ロッソが……「ポジティブな感情を与えればいいのではないか」と言っていたが……存外に、それが正解な可能性はないか?」
「つまり……攻撃するのではなく、受け入れる事……具体的に、何をどう受け入れればよいのか、分からないが……」
「少なくとも、敵意と逆の、加虐の快感とは逆のものを、もたらせば……」
それは賢しき獣人であるからこそ導き出せた結論。"虚構現実"の誰も到達し得なかった境地。
シャーデンフロイデという自身の醜い感情、それを受け入れ昇華させるというプロセス。
加えて、シャーデンフロイデに対して"別の感情"を与えるという逆転の発想であった。
同時に厳島もまた、奇妙な一致に気付いていた。報告書の内容と、自身の体験とをリンクさせて
「疑似的に、感情を起こす装置……」
「負とは反対の、正の感情……」
「……黒幕、オーウェル、特区……」
脳裏に宿る、"血の処断"────恐怖のフラッシュバックは、同時に無数の思考を刺激する。
そしてそれは、同行者たる一人の顔を思い浮かべた。
ロッソもアーディンに同意し、逸る気持ちを抑え三人は一階へと急いだ。────
「────『沈黙しなければならない』んです。」
ミチカはゴーストライターに言い放った。あらゆる文脈を無視して。不協和音の様で
それでいて妙に親和性があった。虚構に満ちたこの世界で、ディスコードこそが完全律であると伝える様に。
『語り得ないものについては沈黙しなければならない』
「──それがわたしたちの『ルール』です。」
「『ルール』は守らないといけないんです。」
「一番『ルール』を守っていないのは 誰ですか?」
「『誰』ですか?」
ミチカはそう言いながら手を伸ばした。『姫』────
蜜姫 かえでの頭部へと。
名前を偽り彼女はこの場に同行していた。
サーペント・カルトの残党である、ケバルライの言葉を信じて。
≫【地下探索組】Part.4-2
『――……お母様……っ……いったい、何を……?』
『分からない、分からないわ……これは、……何』
『ううん、分からない、分からない、けど――』
柊の放った一撃は、シャーデンフロイデを困惑させた。他者の痛みに対して、喜び以外の感情がある事を伝える一撃。
それは他者を傷つける刃ではなかった。同時にシャーデンフロイデの識らない感情であった。
他者を傷つけた際、自分もまた、痛む事もあるのだと。人間は暗い悦びのみで行動するのではない、と。
その感情は乾いた砂漠に一筋の滴が染み込む様に広がっていく。初めて識った心の痛みは、身体中を駆け抜けて。
人間だけが唯一、誰かの為に自己を犠牲に出来る。それは確かな真実であった。例えどれだけ醜くとも、
────それでも美しくあれるのが、人間の強さであった。
シャーデンフロイデは"識らなかった"何故ならシャーデンフロイデは、人間の醜い感情から生まれたから。
誰もそれと向き合おうとしなかった。醜い感情から目を逸らし、それが自分の物でないと伝える。
それはアーディンの言う"シャドウ"の投影そのものであった。シャーデンフロイデに攻撃すること────それは
自らの醜い感情から目を逸らす事に相違なかった。
奇しくもアーディンと柊は同じ結論に至っていた。ロッソが示した、ポジティブな感情をぶつけるという方法論。
シャーデンフロイデという自身の暗い欲望を前にした時、取るべき手段とは
攻撃することでも、無感情になり目を逸らすことでもなく────
────それを受け入れ、慈愛の心を持つことであった。
柊は死闘の最中にそれを見出した。それはどれほどの奇跡だったのであろうか。
レッド・ヘリングに
アナンタシェーシャ、強大な
"虚神"を相手してきた柊だからこそ
或いはその場には居なかったアーディン達だからこそ、気づけたのかもしれない。
────"虚なる神々は、皆須く何かが欠落している"と────
≫【地上探索組】Part.4-2
ミチカは『クオリアを持たない蜜姫かえで』を作り出す。その試みの正否は問題ではない。
その狙いは全世界の人類が"哲学的ゾンビ"に変容する世界線を生み出す事であった。
本来であれば世界の自己修復がそれを許さない。誤差ほどに小さな可能性は無視して構わないのだから。
けれども"虚構現実"ではそれは大きな"羽ばたき"であった。
僅かな可能性でも世界線は構築される。そしてシャーデンフロイデは、それを"認識してしまう"
「──────世界がみんな沈黙すれば」
「わたしたちはもっと幸福になれるんです。」
「だからわたしたちは もっと幸福な未来を作りますよ。」
仮にそのような世界を『虚ろなる神』が認識した場合、誰も『虚ろなる神』を認識しない実在世界を『神』自身が観測した場合
それは確かにパラドクスを生み出す。"虚神"による"虚神"の否定。
"哲学的ゾンビ"とは認識が存在の基盤である"虚神"に対する最高位の"対抗神話"であった。
シャーデンフロイデはそれを感知する。この世界線は存在してはいけない可能性であった。
故に世界線を変えなければならない。ミチカが蜜姫 かえでを変容させない世界線へと。
────シャーデンフロイデは再び"子供"を殺す。親が子を殺さない為に。
≫【地下探索組】&【地上探索組】最期の世界線移動
『だから私は貴方達を信じるわ。そうよ、私達は誰よりも尊き信仰の担い手』
『故に誰よりも、その祈りの正しさを知っている。その祈りの意味を知っている。』
『私の描く未来への願いが、尊く続いていく事を、知っているの――――』
『産んでくれたお母様への感謝、育ててくれたお父様への感謝』
『そしてその命を頂いて、私達は次の命を育むの』
『その円環の中に私達は居るのだから、その篝火を絶やしてはいけないの』
『ありがとう』
『今はその言葉が全てよ、私の心からの感謝を、貴方達に捧げるわ』
それはシャーデンフロイデにとって起こってはならなかった"世界線移動"。ミチカによって引き起こされた事実。
何故なら、それまでの時間軸に於いて"Le mal du pays"は存在していなかった。あの時間軸の先に、"Le mal du pays"はあった。
けれども、ミチカによって作り出された"特異点"は、シャーデンフロイデの予期していない世界線を導く。
更新された『INF-007(ver.4)』────そして出現する、"Le mal du pays"
地上にいた探索者も、地下にいた探索者も、全てが皆地下の収容施設に集められる。
そしてシャーデンフロイデを観測するだろう。しかし────
『……っ――――な、なに……どうして、此処に、これが……っ、そんな』
『だめ、やめて……消して、それ、だめ――――!!』
『助けて、助けて、よ、お母様……』
『いや、いや――知らない、私、こんな、醜い、感情なんて――――』
"Le mal du pays"には研究員ジョルジェッタの"脳組織"が内蔵されていた。
それはジョルジェッタに"生きたまま"シャーデンフロイデを発生させる機械であった。
機械の中で無限に増幅された醜い欲望は、シャーデンフロイデにとって、最も甘美な感情である。
その為、シャーデンフロイデは一般人のシャーデンフロイデを認識出来なくなる。
それ以上に強い感情があった時、シャーデンフロイデ自身はその蜜の味に惹かれてしまう。
かつての"虚構現実"ではそれを元に収用法が確立されていた。
────しかし、今のシャーデンフロイデは柊の手によって、慈愛という感情を識った。
故に、そのシャーデンフロイデには"Le mal du pays"は耐えきれるものではない。
最早世界線を移動させる余裕はなかった。能力者達はその好機を見逃さない。
能力者達の攻撃がシャーデンフロイデを襲う、その最中、正気を取り戻した蜜姫かえでへ、"蛇念"が飛ぶ。
ケバルライの言葉であった。ここまで沈黙を保ったケバルライが、唯一、蜜姫かえでへ投げかける言葉。
『裏切り者に、制裁を――――』
シャーデンフロイデは地に墜ちる。無数の攻撃を受けて、息絶え絶えになりながら。
柊は識ってしまった。"虚神"の隠れた本質を、わかり合えた可能性を────
〝違う――あと少しなのよ。あと少しだけ、待って〟
しかし、それは最早胡蝶の夢。届くことのない願いは、達せられない結果をもたらす。
シャーデンフロイデは力尽きていく。最期に識った感情の意味を知らず、ただ呆気なく。
『――お母様、之は何、私の心に、生まれたこの感情は、何なの……?』
『痛むの、すごく、――傷つけてきた人を思って、心が苦しくなるの』
『分からないわ、誰も教えてくれなかったもの、こんな悲しいこと、誰も』
『どうして、どうして……他者を蹴落とし、傷つけ、私達は喜ぶのでしょう』
『根も葉もない噂を流し、誹謗中傷をして、他者が傷つく姿を見て、笑うの』
『誰かが悲しむ姿が私達を癒すの、そうしてまた一人不幸になって』
『――――嗚呼、なのに、なのに、どうして、私は泣いているの』
『ねぇ誰か教えてよ、ジャ=ロ、スナーク、どうして、どうして誰も、答えてくれないの』
『私達が間違っていたの? でも、誰も――そうと、言ってくれなかったじゃない』
『神様も間違いをおかすだなんて、誰も、――言ってくれなく、て』
『……痛いわ、……とても、体中が、張り裂けそう……』
『――……嗚呼、私は……死ぬのね――……この身を、地に落として』
『……寒いわ、寒いの――――……ねぇ、お母様……』
『――――――――最期に――――――――……抱きしめ、――――て』
■事件後
≫終幕
シャーデンフロイデは能力者達の攻撃を受けて力尽きた。けれども、本来の目標は未だ達成されていない。
ジャ=ロの報告書は未だ発見できず、再び探索に戻らなければならない。
ゴーストライターは能力者達に問いかける。"Le mal du pays"を指して言う。
「これを作ったのは私達だ。―― 必要があったとは言え、この行いは許される物ではない。」
「後始末はせめて、私の手で、付けさせてくれ。―― それが私の、願いだ」
それはある種の贖罪だったのだろうか。自身の同胞が作り出した罪に対する、無限の贖罪。
しかして、ゴーストライターの試みはミチカの手によって阻害される。
奪い取り、解体しようとするミチカ。それを阻害し、脳組織を生きたまま持って帰ろうとするアリア。
そしてそんなアリアに盲目的に付き従う蜜姫かえで。ミチカの危険性を認識し、破壊しようとする厳島。
ロッソもまた、ミチカの危険性を認識していた。誰よりも早く、ミチカへと銃弾を向ける。
アーディンは深い慈愛の心で、ジョルジェッタの魂の救済を呼びかけた。
混沌の坩堝であった。しかし、硬直状態は、突然終わりを告げる。
「御高説痛み入るよ、"アリア・ケーニギン=デァナハト"」
「だがしかし認識が違うな、そもそも君達が君達の手で生や死をどうこうできると考える」
「それそのものが、エゴではないだろうか」
≫真実
"ゴーストライター"が"Le mal du pays"を粉々に砕いた。本人すらも、それを認識できない。
蜜姫かえでの持つ"Kukulucan"の作用であった。それを用いる事が出来るのは、蜜姫かえで以外一人。
ゴーストライターの失った貌から人が出てくる。観客席から身を乗り出した、一人の観客に似て。
そうして男は周囲を見渡しながら、残酷な答え合わせを再び告げる。
顕現した男────"ジャ=ロ"最初から最期まで、ゴーストライターの内部に存在していた。
ウヌクアルハイが
"集合的無意識"を媒介して他者に乗り移る作用と同様に、ジャ=ロもまた、他者に乗り移れる。
これはジャ=ロの存在が
"虚構現実"の認識に従う以上、ゴーストライターにしか乗り移れないという事実も示す。
そうしてジャ=ロは啓蒙するように、ゴーストライターに言い放つ。
「君は君のストーリーを描いたと思っていたのだろう。幸運にも一人生き延びた主人公として」
「だとすれば全く以てナンセンスだ。私は例外なく君達を葬り去るだけの力を持っていたのだから」
「その先の考察に至れない点が嘆かわしい。どうして自分が生き残ったかなんて、考えもしないのだろう」
「君は何処までもゴーストライターなのだから。私の描く物語の手伝いをするのが相応しい」
「況や君の物語などどうして描けよう。君はなぞるだけしか出来ない、陳腐な担い手なのだから」
「用が済めばゴーストライターは始末される。そこに例外は無いよ、"ルイージ"」
ゴーストライターはこの"虚構現実"に於ける"エージェント・ルイージ"その人であった。
かつて虚構現実への渡航に失敗し、貌を失った際、ゴーストライターは記憶の大部分を欠落した。
名前を取り戻すと同時に、ゴーストライターは全ての記憶を取り戻す。────けれども、それは最早手遅れ。
身体の大部分を失い致命傷となったゴーストライターを足蹴に、ジャ=ロはその計画の大部分を示す。
「確かにたった今シャーデンフロイデは死んだ。けれども、それはこの時間軸のシャーデンフロイデではない」
「この時間軸のシャーデンフロイデは最早止められない。君達が "Le mal du pays" を破壊した事で、未来が変わる」
「たった一つの過去改変が蝶の羽ばたきを加速させる。たったいま、"虚構現実" の破滅は確定した」
「―――― そう全ては、この時の為に。仮定された未来の為に、確定した過去を変える」
「無数にある世界線の中で、私が誕生する世界線は一つしかなかった。偶然に偶然を積み重ねた先の奇跡」
「だからこそ私は、全ての世界線がその未来を示す様にしなければならない。故に、君達を呼んだのだ」
「ありがとう、これで私の巡礼の旅は終わる。心置きなく、君達の現実を滅ぼす事が出来る」
ジャ=ロはその出現そのものが異端であった。無数に存在する世界線の中、偶然に生まれた"虚神"
だからこそ、その存在を確立されなければなかった。自身の存在は、あまりにも曖昧であったから。
ジャ=ロは知っていた。自身が出現する為には、シャーデンフロイデを"収容違反"させなければならない。
ではどうすれば良いか。シャーデンフロイデを収容している、虚構制御ファンクション、"Le mal du pays"の破壊である。
ゴーストライターを操って虚構現実へ渡航させたのも、シャーデンフロイデと交戦させたのも
全ては世界線を移動させ、過去に介入するためであった。過去の"Le mal du pays"を破壊する。
それは大きなバタフライエフェクトを引き起こす。"Le mal du pays"が破壊され、シャーデンフロイデが収容違反を起こす。
結果として、全ての世界線がジャ=ロの誕生へと繋がる。今まで実体すらも曖昧であったジャ=ロが、全ての世界線で肯定される。
ジャ=ロの目論見は全てそこに帰結していた。今、その全てを果たしジャ=ロは君臨する。
ゴーストライターが致命傷を負ったことにより"虚構現実"から"基底現実"への脱出口が開く。
能力者は撤退を余儀なくされた。────報告書を手に入れるという志半ばで、この場から離れなければなら無い。
そして、ジャ=ロは"ケバルライ"という虚飾をかぶり、"ムリフェン"を誘惑する。
「――――、ねぇ、ね、――ケバルライ、さん、――私、を、連れて行って、ウヌクアルハイ様のために、したいの、――だから、」
「――私、は……足りなくない、間違ってない、――ただしい、ですよ、ね? 」
「――だから……、連れて行ってください、私を、……私、も、私、は、」
「…………――――空っぽ、じゃない、」
ムリフェン────蜜姫かえではアリアの呼びかけに答えない。慟哭がむなしく響き、その役目を終えて
ジャ=ロは全てを成し遂げる。狡猾な"虚神"は、その同胞を犠牲にして尚、己の欲望を満たす。
────筈であった。
「……忘れてないよな、っ……此処に来た、理由を」
瀕死のゴーストライターは名前と共に記憶を取り戻す。自身の外套に血で記す言葉。
ゴーストライターである自身が最期に記すのは、確かなメッセージ。未来に託す、最期の文章。
それは最早ゴーストライターとしてではなく、一人の男。エージェント・ルイージとしての言葉であった。
"基底現実"の能力者達へ託されるゴーストライターの遺筆、『INF-005』
それもまた小さな羽ばたきであった。世界にとって、取るに足らないボロ切れのような。
けれども、確かにそれは世界線を変える、それは本当に小さな、変化かもしれない。
しかし、それは確定した。未来を変えるには、十分すぎる。
サクリレイジ、
外務八課、或いはその他の能力者に、ジャ=ロの情報が伝わる。
それは新たな絶望の序章になるだろう。それほどまでに、強大な存在であるから。
それでも、能力者達は歩みを止めない。数多の思いを胸に、進み続けるのだろう。
────巡礼は終わった。後は未来に向けて、進むだけだから。
(……ああ、くそ。ボスにもゴトウにも……俺の名前、言えなかった、な――――。)
(此処なら幾らでも、書けるってのに――――、……)
(――――……だから、俺は、ゴーストライターで、いい……)
(明かされない名前の、語り部でいい。役割を果たして、退場するだけ、だ――――)
(――――――――――――――――今逝くよ、ジョルジェッタ)
■補遺
"虚神"が一柱、"ジャ=ロ"について書かれた報告書。
ゴーストライターの外套が紙に触れた際、自動で転写される仕組みとなっている。
同時に、ある思念が報告書に宿っているという────。
最終更新:2018年07月19日 15:26