"モーゼとアロン"

対訳







訳者より

  • シェーンベルクは個人的に大好きな作曲家でもあり、私のサイトでも声楽作品を可能な限り取り上げて訳をつけています。その彼のオペラの超大作「モーゼとアロン」もだいぶ長いこと翻訳を試みてはいたのですが、作曲者自身の手になるリブレットが超絶的に難解でなかなか進捗せず。まだすっきりしない対訳ではありますがせっかくの生誕150年でもありアップさせて頂くことと致します。
  • ユダヤ人であるシェーンベルクではありますが、産まれた時の信仰はカトリック。1933年ナチスから逃れてパリに移り住んだ際にユダヤ教に改宗しています。旧約聖書の中の「出エジプト記」から題材を取ったこのオペラ、構想はまだ彼がカトリック信者であった1920年代半ばごろからなされ、1932年には第2幕まで完成しております。出エジプト記はまだ唯一神ヤハウェを信仰していなかったユダヤの民が、エジプトの地でファラオに抑圧され苦難の中にあったところ、ヤハウェからの預言を受けたモーゼとアロンの兄弟に導かれ、約束の地カナンへと逃れ行く物語。ユダヤのアイデンティティを考える上でとても重要な旧約聖書のパートです。ここでユダヤの民を迫害しているファラオのエジプトとはもちろんナチスドイツのことを頭に置いているのでしょう。こうしてみるとヨーロッパでのユダヤ人迫害の中、自らのルーツをとことんまでこのオペラ制作を通じて考え抜いたシェーンベルク、ユダヤ教への改宗も必然ではあったのでしょう。
  • さて、このオペラの理解を極めて難しくしているのは、モーゼとアロンの交わす極めて哲学的な会話もあるのですが、特に日本人にとって分からないのは一神教の神さまと多神教の神さまとの違い。第1幕第2景や第2幕第5景で何をモーゼとアロンが言い争っているのか?一神教に帰依する前のユダヤの民と一緒で、商売繁盛とか学業成就とか、はたまた縁結びだとかライフステージのそれぞれに神さまがいて、そこにお願いすれば願い(欲望?)が叶うという多神教の考え方をすんなりと受け入れている日本人にとって、モーゼの言う「人の想像を超え、見ることも感じることもできない全能の超越した存在」というのはイメージできないことでしょう。いや、イメージできないから全能の神なのですが、五感で実感できないものの存在を信じる(信じさせる)ことの難しさは、この物語を解決不能の袋小路に追い込んでしまっています。第1幕でのアロンの「目に見えぬもの・想像できぬものを言葉の力だけで民に信じさせることができるのか?」という問いかけに対してモーゼはまともに答えることはありませんでしたし、第1幕でユダヤの民がヤハウェ神信じるに至る経緯も、アロンがモーゼの杖を蛇に変えたり、モーゼの手を病気にしたりと「目に見える奇跡を起こしたから」に他なりません。そこのところをアロンに第2幕で「起こした奇跡もあんたが批判する偶像にすぎないじゃないか!」と突っ込まれたモーゼは逆切れして神さまから授けられた十戒の記された石板を割るという挙に出ます。未完に終わり音楽もつけられなかった第3幕でも結局この問題は解決することなく、モーゼとアロンの考えはすれ違ったまま(そしてこのオペラ第2幕で多神教の偶像崇拝に戻ってしまったユダヤの民が再びヤハウェ神の信仰に戻ることが描かれることなく)消化不良の終わり方を迎えてしまいます。が、ここでこの未解決な謎に答を見出すことが「信仰の力」なのだろうな ということもあるのでしょう。日本の神々のようにお祈りや奉納を通じて現世の利益を叶える(そしてユダヤの民にとっては生贄を捧げてエジプトでの苦役から救って貰おうとする)のでは、神さまはただの人間の下請け・サービス業になってしまいます。そんなちっぽけな人間の悩みを超越したところにおわす絶対神でないと、過酷な砂漠の中で過酷な運命に翻弄されている民の救いを与えてくださることはできない ということなのでしょう。ここのところを理解できないとほんとに何がなんだか分からない作品となってしまいますが、逆に一神教を信じる人にとっては自分たちの信仰のルーツを辿るとても重要な物語なのでしょうね。

録音について

  • 1954年の初演の録音が残っており(ロスバウト指揮北西ドイツ放送交響楽団他)、現代音楽に定評のあるロスバウトのタクトの下で引き締まった熱い演奏が聴けます。恐らく唯一の著作権切れの録音かと(1966にシェルヘン/ベルリン国立オペラの録音もあるようですがこちらは未聴)。世の評価が高いのはブーレーズの2つの演奏(1975・BBC交響楽団/1996・アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団)のようですが、もしこの対訳を参照しながら聴かれるのであれば絶対のお薦めはケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団の1976年録音。これの何が凄いかというと合唱の表現力。実はこのオペラ、モーゼとアロンの対立ではなくて、モーゼ&アロン連合軍対ユダヤの民なのだということがとてもよく分かります。録音も他の盤では合唱はもやっとしか聴こえないところ、分離良く言葉がはっきり聞き取れるように拾ってくれているので物語の展開がくっきりと見えてとても面白いです。
  • 映像はあんまり今回は見ていないのですが、難解なオペラ故映像付きで見た方が理解はしやすいのかも知れないですね。ただ筋が難解なためか妙な前衛的演出をされると更に意味不明なものとなる恐れもあります。まあ第2幕の金の仔牛の場面では裸の若い女性が登場しますのでそれ目当てに映像に手を出される方もあるかも知れません。


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@ 藤井宏行

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最終更新:2024年09月28日 10:34