ギイイィィィィンッッ!!
硬い金属音が響き渡り、鋭い銀閃の衝突によって火花が散る。
両者ともに血と闘争に飢えた戦闘者にしてこれまで多くの戦士を屠ってきた実力者であった。
引き連れていた
ゴブリンに
異常な増強剤を打ち込み凶暴化させて襲い掛かるギロスを部下たちに任せ、ジークルーンはローゼへと相対する。
魔を滅する事を信条とするグリルの兵士を束ねる女将軍と幾人もの強者を血溜まりに沈めてきた高位魔族、二人の女傑が対峙し見据え合う。
睨み合う僅かな沈黙の刹那、同時に跳び出すと共に互いの武器を振りかぶり、閃いた刃の軌跡が火花と共にぶつかり合った。
「互いに名前は耳にしちゃいたが、よもやこんな所で逢えるとは嬉しいねぇ将軍さんよぉ!」
「“こんな所で”だと?貴様のような血に汚れた殺し屋と社交界の会場で顔を合わせるか?グリルの戦士と魔族、相まみえるのは戦場だけだ」
「ハッハ、違いねぇ!それなら此処がアタシらのダンスフロアだ!楽しくお相手してくれやァ!!」
鍔ぜり合った刃を弾き、両者は互いに後ろに跳んで間合いをとりながら再度剣を構える。
ローゼの両手に握られるは二本のバスタードソード。
高純度の
魔鉄を鍛えた刀身は、幅も厚みも並みの剣より遥かに重厚。
ローゼの剛腕で振るわれればその刃は石壁にもめり込み深々と抉るだろう。
対するジークルーンの手には、2メートルを超える長大な刀身を有する両手剣たる
ツヴァイヘンダー。
長いリーチに加えて
フランベルジュ型の刀身を備え、揺らめく炎の如き波刃は抉り裂く様に肉を断つ強力な殺傷力を誇る。
そして戦闘の場は廃城の中庭へと続く通路の一つ、その中央ほどに二人は立つ。
通路としては広めで天井も高いが、長柄などの武器を振り回すには些かスペースは足りない程度。
通常このような場所の戦闘ではリーチの長い武器ほどその長さ故に扱いが制限されやすくなる。
これだけで言えば環境と武器の相性なら長剣のツヴァイヘンダーを持つジークルーンが一見不利にも思えるが…。
「ウラァッ!!」
「フンッ…!」
ギギィンッッ!!
そんな不安など微塵も感じさせず、繰り出された二刀の斬撃を刃先を岩壁に少しも掠らせる事なく自在に振るい的確に捌き切る。
長い武器、大型の武器、それらは高い攻撃力を誇ると同時にその扱いの難しさから普段使いする武器としては冒険者から敬遠されやすい。
しかし、それは結局のところそういった武器を『扱いきれない』人間から見た話。
元よりツヴァイヘンダーという剣は、両手剣の中でも特に多彩な扱いが出来る機能性を備えた作りとなっている。
リカッソと呼ばれる鍔元に存在する刃付けの無い部分を柄の延長として握れば敢えてリーチを狭め、間合いを抑えて振るう事も出来る。
横に水平に長く伸びた鍔を握れば、突き出した刺突から一気に逆袈裟の如く即座に斬り上げる事も出来る。
熟練の達人が振るえば間合いも構えも自由自在に変化させ、通常の両手剣の枠を超えた多彩な戦法を可能とする。
そして今それを振るうは、屈強なるグリル帝国軍の中でも選りすぐられた実力を認められ『将軍』の地位にまで上り詰めたジークルーンである。
魔物や魔族を討伐する為、その技術を常に磨き鍛え抜かれたグリル軍人にとって使いこなせない武器などあってはならない。
己が携える愛剣を得たその瞬間から、如何なる相手でも、如何なる場所でもそれを十全に使いこなせるまで練熟させる。
握った柄からその切っ先までを己の手足を同等とするまで馴染ませ積み重ねた技巧の前に、多少の相性差など無いに等しい。
ギィィンッ!!
上段から振り下ろされたローゼの二刀を、水平に構え刀身と長い柄の先で受け止める。
そこから強引に押し込もうとローゼが両腕に力を込めるが……。
「フンッ!」
ゴッ…!!
「ぶふっ…!?」
その圧を逆に跳ね除け、ジークルーンが構えた両腕を力付くで前方に押し込み、長く伸びた鍔の先端がガラ空きのローゼの顔面を打つ。
グリルの軍人の強さを語るにおいてもう一つ。
元々グリル帝国で生まれた民は、就学年齢に達した頃より近隣の神殿や礼拝所に赴き、
其処に祀られる神に纏わる試練を成し遂げる事で
加護を得る『
神護の儀式』を受ける習わしがある。
一度目の試練は多くは子供でも出来る簡単なもので、それによる加護も細やかな効果の物が大半である。
しかし、体が成熟してより高みを目指す者は2回目以降の試練を受ける事も出来るが、以降の試練はその難易度を格段に跳ね上げる。
特に軍神や戦神といった闘いに纏わる神がもたらす試練は命の危険すらも伴う苛酷なもの。
だが己の強さを求め、神への深い信仰と祈りを示し、国と民の為にその身を捧げるグリル軍人にとってそれらは当然の通過儀礼でしかない。
命懸けの試練を乗り越えた先に得られる神からの加護は、最初の物とは比較にならない程大きな力を与えられる。
即ちグリルの軍属となった人間はその時点で常人を超える身体能力を、魔法や呪いへの耐性をその身に宿らせていると言ってもいいのだ。
最下級ながら
蛮竜をその身一つで打ち倒す事が一人前の兵士と認められる厳しい洗礼も、全ては敬虔なる神への祈りと恩恵からくる精強さが可能にする。
試練を3つ以上成し遂げた者は『聖騎士』へと至る資格を得て、
グリル騎士団の中でも精鋭としてその力と信仰心を認められる。
そしてジークルーンは将軍まで上り詰めた傑物。成し得た試練は無論3つ4つでは済まされない。
積み上げられた鍛錬と研ぎ澄まされた精神力、そして幾重にもその身に満ちたる神の加護。
人族でありながら、彼女の肉体強度は既に生半可な
獣人や
ドワーフとの力比べにも勝る程の剛力と生命力に至っていた。
『人の身で魔を滅する剣となる』、帝国の信条にして
先祖代々から続く家訓と誇り。
それがジークルーン・シュヴァルツカッツェを将軍にまで上り詰めさせた強靭なる芯であった。
二刀を跳ね除けられ、顔面に入れられた一撃で大きく上体を反らしたローゼの脳天目掛け、ジークルーンが構え直した長剣の刃を振り下ろす。
……さりとて、ジークルーンがいま対峙する相手もまた、そこらの並みの魔族などでない。
「シェアェァァァッ!!」
「ッ……!!」
ギィィンッッ!!
両手に構えて振り下ろされた銀閃を、上体を反らした体勢のまま片腕で振り抜いた刃がビタリと受け止めた。
そして即座にもう片腕に握ったバスタードソードの一閃がジークルーンの顔面目掛けて突き出される。
寸前で頭を横にずらし、一瞬前までジークルーンの片目があったであろう場所を刃が風切り音と共に通過する。
側頭部の髪が数本、刃の風に巻かれてパラパラと宙を舞う中ジークルーンは後ろに跳んで距離を取る。
「ハハハッ、惜しい。お互い顔面一発でオアイコにしようと思ったのによ」
「鼻の骨一個と風穴一つか、割に合わんな」
鍔で打たれた鼻から垂れる鮮血を手首でグイと拭いながら、愉快気に口角を上げるローゼ。
鋭い犬歯をギラつかせた笑みは、さながら猛獣が威嚇で牙を剥いているかの如き凶貌であった。
魔族の殺し屋ローゼ・ベル。
裏の世界において、その名は畏怖と共に広く知れ渡っている。
圧倒的な
魔力からなる魔法戦を得意とする姉とは対照的に剣術と体術に秀でるローゼ。
しかしその身に宿る魔力量は姉ほどではなくとも人間の
魔導士を軽く凌駕し、それらを
瘴気と共に力の源とすれば更に強靭な膂力を発揮する。
元来の魔族としての高い能力に加え、卓越した剣技と豊富な魔力によって他を圧倒する戦闘力。
そして相手を切り刻み返り血を浴びる程に高揚しては更なる強者を欲する飽くなき戦闘への渇望。
数多の戦いで夥しいまでの人間を自らの刃の糧としてきた百戦錬磨の血塗られた実績。
魔王候補の正規の配下であったならば間違いなく直属幹部級に至れるだけの実力をローゼは有していた。
誇り高き軍人と血に飢えた殺し屋、正反対の生き様を貫く二人の傑物。
しかして、その剣には人と魔の屍の山を築き上げた実績に裏打ちされた確かな実力がある事を、短い刃の打ち合いで互いに察していた。
互いの剣を構え直し、真正面から相手を見据え……再び両者は同時に刃を振り上げながら床を蹴る。
双剣と長剣が交差すると同時に火花が散るのと皮切りに、両者は猛烈な連撃の応酬に突入する。
絶える事なく立て続けに響き渡る金属音。
ローゼの両腕から繰り出される二刀を、ジークルーンは一刀を持って正面から全て受けて捌き切る。
広げた両手を縦横無尽に振るう刃の猛攻はまるで旋風の如く、しかしそれを受ける長剣を構えながら、華麗な足捌きで回転し振るう様は竜巻の如く。
速度と苛烈さを増していく斬撃の応酬、絶え間なく響き続ける剣の響きはいっそリズミカルで小気味よくさえ聞こえ、
目まぐるしく動き回る達人同士の足捌きと体捌きは、まるで剣の打ち合うリズムに乗って舞い踊るステップの様にさえ見えた。
「ハハハハハッ!!良いねぇ愉しいねぇ!アタシとここまで打ち合える人間は初めてだよッ!!」
「そうか、それなら今日が貴様が初めて首を落とされる日だ」
苛烈な刃の応酬の中で尚もローゼの哄笑が上がる。
振るわれる刃の速度と勢いは更に増していき……やがて、ジークルーンの剣の切っ先がローゼの体に届き始める。
乱れ撃つ斬撃の隙間を縫うように、ジークルーンの突き出す長剣の波打つ刃がローゼの肉を掠め、鮮血を宙に迸らせる。
「どうした。2本もあるくせに手数が足りなくなってきたぞ」
「……あぁ、どうやら足りないみたいだね。――――2本じゃなぁッッ!!」
「ッ―――――!!」
ザ ン ッ !!
瞬間、ジークルーンの肌が感じた粟立つ様な感覚。
直感的に刃を引いて後ろに跳び退いた刹那、彼女の胴があった場所を二本の斬撃が交差する様に薙いだ。
軍服の裏に着込んだ厚手の防刃インナーがスッパリと斬れて血を滲ませていた。
見れば、それまで羽織っていたマントによって隠れていたローゼの背中。
そこから伸びた新たなる二本の腕に、毒々しい瘴気の輝きに照らされた二振りの湾刀が握られていた。
魔族の中には通常の人の姿から外れた異形と呼ばれる肉体部位を持つ者がいる。
マントに隠していた第三と第四の腕が携えていたのは、魔族の剣士ローゼの真の獲物とも言える双刀の魔剣。
「コイツがアタシの本当の相棒さ…これを抜いた時こそアタシの全開。将軍さんよ…アンタの首はアタシが貰うッ!」
四本腕を大きく広げ、瘴気を纏わせた四刀流が凶悪な光を放ちながら掲げられる。
強烈な殺気を放つその威容は、腕の数こそ足りないものの、
東大陸の伝説に伝わる
三面六臂の鬼神を想起させた。
「…良いだろう。貴様のような血に飢えたケダモノは、この私が帝国の誇りを以て駆除する事としよう」
その殺気を真正面から受けながら、しかしジークルーンは僅かにも怯む事無く手にした長剣を頭上に掲げる。
高らかに告げられるは、グリル帝国が崇める光の神への崇高なる祈り。
その言葉が紡がれた瞬間、ジークルーンの掲げた剣の刀身に陽光の如き光の魔力が宿る。
魔を討つグリル兵士の中でも高位の実力者の武器には神殿の
神官より直々に神々の祝福を施された物も多い。
その
聖なる力を込められていた刀身が、使い手の誇りと祈りを捧げる事で一気に解放されたのだ。
炎の如く揺らめくフランベルジュに、太陽神の加護たる真なる炎の灼熱と光が灯る。
煌めく刀身を正面に構えながら、ジークルーンは顔に掛かっていた前髪をグイとかき上げた。
左側だけ長く伸ばした前髪の下に隠されていたのは、横一文字の大きな傷跡。
それは彼女が若き日に数体の劣竜との戦いで負った、自身の未熟によって出来た恥ずべき過去。
普段は髪で隠したそれは同時に、忌まわしい過去をも含めた自身の全力を持って倒すべき敵と相対した時のみ露わにする決意の表れ。
自らの本領たる魔剣を抜き放ったローゼ、自らの誇りの全てを賭ける証たる素顔を晒したジークルーン。
互いの実力を悟り、相手を完全に抹殺すべき強敵であると認め、両者共に『本気』を出し切る覚悟を決めた。
邪気と瘴気の禍々しき輝きを放つ魔剣を構え、
邪悪を焼き祓う聖なる輝きを放つ名剣を構え、
「本当の勝負は…」 「此処からだッ!!」
人族と魔族、二人の両雄はその全力の一撃を叩き込まんと力強く足を踏み込み―――――
カ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ !!!!!
「「 ッ!? 」」
両者が跳び出さんとしたその寸前、突如響いた異様な咆哮がそれを押し留めた。
通路内の空気をビリビリと振動させるような大音量に思わず踏みしめた足を外し、咆哮の響いた方へ二人が視線を向ける。
「ぐわぁぁぁぁぁ!!」
次の瞬間、激しい衝突音と共にフル
プレートアーマーを着込んだ重装騎士がジークルーンの足元に吹き飛び転がり込む。
見れば、分厚い鋼鉄の甲冑の胸元が抉れるかのように大きく陥没し、物々しい『蹴り跡』が残っていた。
重騎士が吹っ飛んできた先には、異様な巨体の怪物が石造りの通路を揺らす程に暴れまわっていた。
それは、ジークルーンの部下達を相手取っていたブラックシープの薬師ギロスの成れの果て。
自らが生み出した特殊増強剤、それ一つ投与しただけでもただのゴブリンを
オーガにも勝る怪物へと
変異させる驚異的な薬効を与える代物。
圧倒的な力の代償に効果が切れればその肉体を崩壊させる危険薬物を、ギロスは所持していた十数本全てを自らに投薬し、同時に『
原種覚醒』を発動。
虫系亜人たる自らの因子に宿る『蟲』の特性を最大限に発現させ、薬効と合わさる事でその身を見上げん程の巨大コオロギのバケモノへと変貌させていたのだ。
全身甲冑に身を包む屈強な
騎士たちをその巨大な後ろ脚の蹴りでまるでゴム毬の如く軽々と弾き飛ばし、
自らが投薬した手下の変異ゴブリンたちを跳ね回る巨体で圧し潰し、敵味方も関係なくただただ破壊の限りに暴れ狂っていた。
黒ずんだ甲殻に包まれた巨体が跳躍する度に地響きが起こらんばかりの衝撃を生み、頑丈なはずの石造りの壁や天井が悲鳴を上げる。
理性の無い血眼で絶叫するギロスの体が幾度目かに石壁に激突した直後、とうとう通路の天井と壁が崩れ始めた。
「チィ……!!」
「オイオイオイ!?流石にテンション上げすぎだろあのヤク中コオロギ!!」
天井から崩れた石レンガが頭上から降り注ぎ、ジークルーンとローゼにもまた平等に崩落が襲い掛かる。
落下する瓦礫をかわし、剣で弾きながらも崩落はどんどんその激しさを増していく。
最早、両者二人きりでの決闘を継続するのは不可能な域となっていた。
「クソッタレが!横やりで生き埋めオチなんざたまったもんじゃないよッ!!」
「ッ…!逃げるか貴様ッ…!!」
悪態をつきつつ飛び交う石礫の雨を四刀で払いのけながら、ローゼが通路の奥へと退避しようと踵を返す。
即座にジークルーンがその背目掛けて剣を振りかぶろうとするが、激しくなる崩落がその追撃を阻む。
「残念だが今回はここまでだね!アンタとのダンス愉しかったよ、また何処かで逢ったら次こそ存分に踊ろうじゃないかッ!!」
「待て下郎がッ!戦場に生きるなら潔くこの戦場で死――――!?」
マントを翻し駆けだしたローゼの後を追おうとするジークルーンが踏み出そうとした瞬間、突如その視界がグワリと歪む。
刹那、腹部に感じるのはジクジクと広がる、瘴気が肉に染み込み汚染する独特の感覚。
先程ローゼが振るった魔剣の一閃を躱した際に僅かに掠って出来た小さな傷。
ローゼの持つ双刀の魔剣には瘴気による破壊力に加え、斬り付けた相手に強力な幻惑と出血毒を齎す呪いも付与されていた。
傷の小ささとジークルーンの保有する加護による耐性から影響は極めて小さかったが、時間をおいてその効果がいま現れたのである。
頭を振って腹部に力を込めればすぐさまその症状は治まったが、再び視線を向けた時には…。
既に、ローゼの姿は通路内の何処にも見受ける事は出来なかった―――
「…………ジークルーン様、お体が痛みますか…?」
「む…。いや、大丈夫だ。少し今日の戦闘を思い返していただけだ」
それから時は流れ。
動乱とも言える激しい戦いを終え、無事に黒羊討伐作戦は討伐連合軍の勝利を持って幕を閉じた。
バクハーンの
王城で催された盛大な
祝勝パーティにて、酒と料理に賑わう中ジークルーンも一人グラスを傾けていた。
しかし酒を飲むにはその姿はどこか神妙な顔つきで言葉もなく、心配気味に部下の一人であった
ドロテーが声をかけた。
犯罪ギルドの討伐クエストとしては、恐らく前例のない程の大規模作戦となった今回の一件。
バクハーンだけでなく、世界各地から集った腕利きの冒険者に勇者候補、そして自分達を含む各国の軍属。
更には途中から
河賊やら
海賊やら
奇妙な冒険者達といった得体の知れない者達まで参戦した一大作戦。
それだけの勢力が一同に会してようやく壊滅させる事の出来た異例の巨大組織討伐。
事実、組織が此処まで巨大になった背後には、一介の悪人や魔族程度どころではない、常識の域を遥かに超えた“巨大な闇”が潜んでいた。
ドロテーの問いには大丈夫と答えたものの、実際の所ジークルーンの体の負傷具合は決して小さくない。
あのとてつもない威容と威圧を放っていた、巨大な闇と悪意を纏う“
古の大悪魔”との
死闘。
巨大な掌で握りしめられ石壁へ投げつけられた際には全身が軋み、体中の骨にヒビも入っていた。
闘いを終えて治療を受けた事で見た目上は回復したものの、ハッキリ言ってまだまだ痛みが残っている。
しかし、彼女は誇り高き帝国軍人の将軍。戦いの痛みを全身に負うなど人生で数えきれない程経験している。
多くの部下や同じ戦場を戦い抜いた冒険者や勇者候補達がいる中で痛みを気にする姿を見せるなどありえなかった。
――――むしろ、いま彼女が気になっている痛みがあるとすれば。
「…………………………」
静かに腹部に手を置きそっとさする。
あの廃城の通路内で剣を交え、そして取り逃がす事となった女魔族。
戦闘としては決して長い時間をかけた一戦ではなく、負った傷は腹部をほんの僅かに掠めた文字通りのかすり傷。
治癒を受けるまでもなく彼女の屈強な肉体の回復力でとっくに傷は塞がり、瘴気の影響も微塵も残っていない。
……しかし、あの戦いの中で感じた肌の粟立ち。
刃と刃が打ち合う連撃の応酬、一挙手一投足に至る極限までの命を削り合う達人同士の拮抗。
短い邂逅でありながら、その戦いはジークルーンのこれまで経てきた激闘の記憶の中でも色濃く、濃厚に刻み込まれていた。
「あ、あの…どうしました将軍?」
「ム?」
「いえ、また黙り込んだと思ったら今度は急に笑みを浮かべていたので…」
「……いま、私は笑っていたのか?」
「は、はい…」
再び横からかけられたドロテーの言葉に思わず聞き返す。
魔を討ち滅ぼす事がグリル軍人の信条であり誇り。
それを成す事こそ人々を守り、帝国を護る事であり、それに喜びを感じない訳ではない。
しかし―――――
(……あの時、高揚していたのか?この私が…?)
あの魔族との戦いは、帝国騎士のトップたる将軍に至った今では久しく感じなくなった…
『対等に渡り合う相手』との出逢いを、密かに感じる時間だったのだろうか―――
(…全く…この歳と地位にまでなって、まだ自分の青さを知る事になるとは)
自嘲気味にまた笑みを浮かべそうになった口元を、果実酒の注がれたグラスをグイと飲み干す事で隠す。
見上げた夜空には、煌々と輝くロクシアの
三つの月が美しい真円を描いていた。
(次は存分に、か……良いだろう。今度相まみえる時まで精々その牙を研ぐが良い)
……
…………
「ブェックシュンッッ!!」
時を同じくして、廃城から逃走した後、バクハーンのとある森林奥深くに身を潜めていたローゼ。
急に鼻がむず痒くなったかと思えば、盛大に飛び出したクシャミが夜の森の中に響き渡る。
「ったく、この辺りは意外に冷えるねぇ」
言いながら腕で鼻を拭うと、感じる鈍い痛みと共に僅かな出血が拭った腕にこびり付く。
「………………ハハッ」
煌々と明るく輝く月光が暗い森の木々の隙間から注ぎ、ハッキリと照らし出した深紅を見つめる。
腕にこびり付いたその鮮血をベロリと舌を伸ばして舐め取ると、その口元を笑みの形に吊り上げた。
「…愉しかったなぁ…!」
口元から覗く鋭い歯が月光を反射してギラリと光り、殺気混じりの眼光が頭上の月を見据える。
「姉さん、アタシ久々に……仕事以外でぶった斬りたい相手が出来たかもしんない」
篝火に照らされた賑やかな宴の中で、夜に染まった無人の森の暗闇の中で、
戦い終えた二人の女傑は同じ月を見上げながら、まるで想い人かのように強く相手を想起し、そして心に誓う。
――――― 次は 必ず 殺してやる ―――――
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最終更新:2026年05月23日 00:24