あれは10月の中ごろだった。
僕は『組織』のアジトの近くにある公園で、毎朝20kmのジョギングをする。
その日もいつもどおり公園を走ったあと、スポーツドリンクを飲みながらアジトのロッカールームでのんびりしていた。
すると向こうから僕が所属するチームの紅一点、虹村那由多が険しい表情で歩いてきた。
僕が「どうしたの?」とたずねると、「おはよう未来。丈二を殺す」と那由多は挨拶と一緒に物騒なことを口にした。
「アイツ、私のナイフ勝手に使ったのよ。しかも使ったら使ったでそのまんま放置。
見てよコレ、血がベットリ」
「あーそっか・・・この前失くしたっていってたからね・・・」
「見つけたら教えてね」
血染めのダガーナイフを懐にしまって、那由多はロッカールームから去っていった。
真っ黒なコートを靡かせて歩く後姿を見届けて、僕は「丈二死ぬなこれ」とひっそり呟いた。
*
あれは昼飯を食い終えたあとだった。
俺と丈二は食い終えた食器も片付けず、食堂のテーブルでそれまたのんびりとおしゃべりをしていた。
丈二が吐き出す紫煙を手で払いつつ、俺が「副流煙マジやべえんだからやめろよ」とおなじみの苦情を付けると、
丈二は「うやむやにしてくれよそこは」とへらへらした態度でいつもどおりそれをかわした。
「禁煙しろよな、マジで」と愚痴ったが、ここまでは普段通り、毎日飽きもせず繰り返す同じやりとりだった。
違うのは、丈二がタバコを口元に運ぼうとしたところで、横からふいに白く細い腕が伸び、丈二の胸倉を掴んだこと。
ぐいとTシャツを掴み上げられ、丈二は思わず指に挟んだタバコを床に落とした。
「連れてくけどいいよね?」と那由多が言ったので、
俺は「さーてランチの後は書類の作成だー」と普段出したことも無いわざとらしい声で食後の団欒を切り上げ、
食器を持って席を立った。
「うおおい、薄情者!」
と悲痛な叫びを上げる丈二の、縋り付くような視線が向けた背に痛かった。
*
胸倉を掴んだまま10mほど引き摺って、私はこのアホをトイレの側の小さな個室に放り込んだ。
革張りの真っ黒なソファーとテーブル、それと観葉植物の鉢が二つならぶ以外は、何もない部屋。
とりあえずソファーに座らせて、私は縮こまる丈二の情けない姿を見下ろした。
「何か用ですかね・・・?」とアホが訊いたので、私は「先週の土曜の仕事で――」と返した。
「アンタは私をアクモンで殴った。おなか。覚えてる?すごく痛かったわ」
「あれは敵と間違えて・・・つか謝ったろ」
「それで許したわ。なのにアンタはまた、私の神経を逆撫でするようなことをした」
私は乾燥した血がへばりつき、光沢を失わせているナイフを懐から引き抜いて、
それをテーブルにずん!と突き立てた。突き立ったナイフを見てようやく私の怒りを察したらしく、丈二はアホ面を俯けた。
「アンタ何様なの?チームではアンタは一番の新入り。私は先輩よ。
アンタに仕事を教えたのも私。敬語で話せなんて言わない。でも少しくらいは敬意を払ったらどうなの!」
語気を強めて、気が付くと私はテーブルに刺さったナイフの柄を蹴り飛ばしていた。
すぽんと抜けたナイフがくるくると回転し、丈二の横顔を掠めた。
*
右耳接触スレスレで飛んだナイフが、頭の後ろの壁に突き刺さった。
正直若干チビリかけではあったが、俺はそれでも冷静だった。
スタンドはまだよく分からないが女の子の扱いなら十分な心得がある。
俺は腹にぐっと力を込めて怒り心頭の彼女に向き直り、「ここ、座れよ」と左手でソファーをぽんぽんと叩いた。
「は?」
「いいから座れって。色々悪かった、謝るよ」
「・・・・・・」
口元をへの字に曲げて、那由多は黙った。
五秒すると、彼女は俺の隣に腰掛けていた。
「謝るって大事だよな、それは知ってる。君には打ち明けるが、俺には昔兄貴がいた」
「昔?」
「親父はいつも仕事で家に居なかった。運動会や授業参観、一度も俺の姿を見に来たことなんかない。
だから代わりに兄貴が来てくれた。小学校、中学校、高校に入っても・・・」
「何の話よ?」
「兄貴は大学生だった。授業参観のある日は、講義を休んででも学校に来てくれた。
授業を受ける弟の背中を見るためだけにわざわざ。ちゃんと見てるよ、一人じゃないよ、って言ってくれてる気がした」
「・・・」
「兄貴がいたから、俺は後ろを振り返って、親父の姿をキョロキョロ探さずに済んだんだ
見守ってくれてる、って安心できたからな」
「・・・」
「小学校六年の運動会の日だ。その日兄貴は初めて学校行事に来なかった。
バイトが忙しくて、どうしても抜けられなかったのだと兄貴は言った」
「俺は許せなかった。種目には保護者と一緒に参加するものがあって、それに出る予定だったんだ。
恨むのはお門違いだよな、兄貴にはそんな義務はないのに。恨むなら親父を恨むべきなのに」
「喧嘩したの?」
「喧嘩じゃないさ。一方的に俺が騒いでただけ。兄貴はずっと謝ってた。
俺は兄貴と口をきくのをやめた。ガキだったよ」
「・・・・・・」
那由多は押し黙って、じっと俺の話に耳を傾けていた。
「面白いのはここから。それから一週間すると、突然ポックリ兄貴は逝っちまった。
バイトに行く途中で居眠り運転のトラックにひき潰されたんだ」
「・・・!」
「後で知ったが、兄貴がシフトを増やしたのは俺のためだった。
俺の機嫌をとるために、誕生日に高いスパイクを買おうとしてな」
「絶望したぜ。俺が兄貴を殺した」
「そんな言い方、よくないわ」
ぐっと詰まった瞳を向け、那由多が言う。
先ほどとは打って変わって、驚くほどに慈愛に満ちた瞳の色だった。
「今でも布団に入るたびに思い出す。授業参観のときの、兄貴がいた暖かさと心強さ。背中でわかるんだよ。
もし俺が、兄貴を許せていたら・・・いや、そもそも謝るのは俺のほうだ。
もしきちんと、兄貴に謝れていたなら・・・」
「・・・」
「許すことも、謝ることも実は簡単なことだ。難しいのは、一線を超えること」
「・・・」
「だから俺は今、一歩踏み出すよ。いえるときに言っておかないと、後できっと後悔するからな。
許してもらう貰わないとか、結果なんてどうだっていい。大切なのは伝えることだ」
「ごめん もうしないよ」
しっかりと彼女の目を見つめて、そう言った。
彼女の瞳はほんのり濡れていた。部屋の蛍光灯を映し、うるうると煌く瞳を見据えて、
俺は「悪かった」ともう一押し。
那由多は「わ、わかったから・・・もういいから」と顔を背けて、ソファーから立ち上がると、
逃げるように部屋から去っていった。
一人取り残された個室の中で、俺は小さくガッツポーズをした。
*
休憩室でイスに腰掛けテレビを見ているときだった。
視界の片隅に一瞬、彼女の姿が見えたので、俺はテレビを消して彼女の方を向いた。
那由多だ。俺はどきどきと心臓が高鳴るのを知覚した。
何故か?彼女がいつになくしょんぼりと弱々しく、助けを求めているように思えたからだ!
内心バクバクではち切れそうな心臓を必死に抑え、俺は冷静を装って彼女に近づき、話しかけた。
「琢磨・・・」と、ほんのり濡れた瞳で俺を見上げ、彼女が俺の名前を呟いたとき、
俺の心臓はもうメルトダウン寸前だった。
「どうした?なんかあったか?」と優しく、紳士的に訊くと、
「ちょっとね・・・丈二が」とマジでこのとき一番聞きたくなかった名前を彼女が口にしたので、
俺の原子炉は通常業務を再開した。
話を聞くと、マジでマジでどうでもいい話だった。
俺はぶち切った再放送のドラマの続きが急に気になりだして、さっさと黙ってくんないかな、とひとりごちた。
那由多は飽きもせず、「丈二は強いよ・・・お兄さんの死を乗り越えたんだもん」などとうわ言のように繰り返している。
だが待てよ?あいつの資料は見たことあるが、兄貴なんていたか?
ちょっと考え、やっぱりそんな項目は無かったと確信し、俺は那由多に、
「あいつに兄貴なんていないが」と短く告げた。
那由多は狐につままれたような顔をしたのも一瞬、「それ本当?」と低く訊いた。
俺をメルトダウン寸前にまで追い込んだあのうるうるおめめは、もうそこにはなかった。
何故だか若干後ろめたい気持ちに陥りつつ、俺は「確かだ」と言った。
那由多はポケットから太陽電池を取り出して、「丈二を殺すわ」と一言呟き、来た道を引き返していった。
おわり
使用させていただいたスタンド
No.113 | |
【スタンド名】 | アークティック・モンキーズ |
【本体】 | 城嶋 丈二 |
【能力】 | 赤い色のものに出入りできる |
No.181 | |
【スタンド名】 | リトル・ミス・サンシャイン |
【本体】 | 虹村 那由多 |
【能力】 | 手で触れたものを太陽熱で焼き尽くす |
No.238 | |
【スタンド名】 | ノー・リーズン |
【本体】 | 福野 一樹 |
【能力】 | 触った物体・事象の理由をうやむやにしてその物体・事象を弱めたりなかったことにできる |
No.177 | |
【スタンド名】 | ウエスタン・ヒーロー |
【本体】 | 倉井 未来 |
【能力】 | 殴った物質をヒーローベルトに変え、巻いた者はその物質が持っていた性質を取得する |
No.149 | |
【スタンド名】 | レイト・パレード |
【本体】 | 柏 龍太郎 |
【能力】 | 本体やこのスタンドが触れたものに対してのあらゆる事象の発生を数分「遅らせる」 |
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