個人情報
- ふりがな:とよしま まさお
- 生年月日:1921年5月9日(『富山県の民謡』より)
- 出身地:富山県高岡市?
- 最終学歴:不明
- 没年月日:1995年1月22日(73歳没)(『知性派の競馬 プーサン』第3号、および読売新聞記事の情報より)
- 本業:株式会社正徳プレス工業(現STメタルズ株式会社)監査役(1968年時点)、有限会社桂義 代表取締役社長(競走馬所有)
馬主情報
- JRA馬主資格取得年:不明
- 冠名:なし
- 服色:緑、赤縦縞、赤袖
- 配色由来:不明
- 重賞競走勝利数:4勝
- 初重賞競走制覇:1991年 小倉記念
- GⅠ級競走勝利数:未勝利
- 法人名義:有限会社桂義
解説
調査内容
90年代当時に亡くなっていることもあり情報は少ないが、2021年4月17日付の北日本新聞のナイスネイチャに関する記事では馬主が富山県高岡市の男性であると紹介されていた。このことから、デジタルコレクションで高岡市の豊嶌正雄(但し資料では、名字の豊嶌の「嶌」の表記はほとんど正字の「島」となっている)氏について調べていくと、いくつか情報があった。まず、1968年時点の複数資料において、高岡市に所在する正徳プレス工業という会社の監査役に名前があった。こののち監査役以上の役職に就いたことが確認できる資料はなかったが、1978年の豊嶌氏の尺八に関する(後述)自著『大本山国泰寺妙音会虚無僧尺八談議』2版では、当時の正徳プレス工業社長・福岡正弥氏からの寄稿があり、10年後の時点でも会社には何らかの関わりがあったことがわかる。また『高岡商工名鑑』1990年版では、桂義という競走馬所有会社を経営していたことが確認でき(POGDBによれば地方用の名義)、また正徳プレス工業の役員にも名前がある長谷川義雄という人物が桂義の役員としても記載があるため、馬主(桂義)の「豊嶌正雄」=正徳プレス工業の「豊島正雄」=尺八の「豊島正雄」は同一人物と断定しても問題は無さそうである。
余談・豊嶌氏と尺八
前段で少し触れた尺八について、ちょっとだけ説明する。高岡市に所在する「国泰寺」という寺では、虚無僧(頭に被り物をしている僧)による尺八の演奏文化があり、豊嶌氏はそれに関する「國泰寺妙音会」という団体の理事長を1981年時点で務めていた(『ばんどり虚無僧 : わが父母への追想』より)。『富山県の民謡』によれば、豊嶌氏も自身の尺八の演奏を採録されている。
- 参考:國泰寺について
追記
1995年12月の息子・泰三氏へ取材した読売新聞の記事を発見した。これによれば、豊嶌氏は(1995年時点の)15年ほど前まで高岡市内で喫茶店を経営していたこと、友人から共同馬主になろうと声を掛けられたことが馬主になったきっかけであること、晩年は病に苦しんでいたもののナイスネイチャの活躍で生きながらえてきたことなどが分かった。死因は肺炎であったという。
所有重賞馬
- ナイスネイチャ(1991年小倉記念、京都新聞杯、鳴尾記念、1994年高松宮杯)
登場文献・ウェブ記事
- 「24日・有馬記念 亡き主の夢追って 最年長8歳馬“最後”に挑む」(読売新聞、1995年12月20日)