灰の街・ヴェルクナード


共立公暦1001年、冬。ロフィルナ西部の港湾都市ヴェルクナードは、コルナージェ軍事クーデターの戦火に焼かれ、わずか数週間で廃墟と化した。かつて交易で栄えた港は、沈没した輸送船の残骸で埋まり、倉庫街は砲撃で崩れ落ちる。空は鉛色の雲に覆われ、冷たい風が折れた街灯を軋ませる。遠くで散発的な銃声が響き、焦げた鉄の匂いが漂う。連合軍の前線拠点から数ブロック離れた路地に、煤けたバーがひっそりと灯りをともす。看板は半分落ち、「波濤の休息所」と掠れた文字がかろうじて読める。窓は割れ、鉄板で塞がれ、カウンターにはひび割れたグラスが乱雑に並ぶ。

薄暗い電球の下、テーブルを囲む三人の連合軍兵士。セトルラーム宇宙軍の少尉、ガルス・トレン。ラマーシャ公国ジェルビア駐留の伍長、ミラ・クヴェス。共立機構平和維持軍の軍曹、ゾラン・ヴィク。彼らの制服は泥と海水にまみれ、肩章は擦り切れている。テーブルには密造酒の瓶が転がり、鼻をつくアルコールの匂いが漂う。カウンターの後ろで、隻腕のバーテンダーが無言でグラスを拭き、時折天井から落ちる灰を払う。

「この戦争、どこまで行くんだ?」ミラがグラスを傾け、濁った酒を喉に流す。声は低く、疲れが滲む。ラマーシャ公国の首都ジェルビアから派遣された彼女は、ヴェルクナードの港湾封鎖作戦に参加し、ティラスト派の民兵と交戦したばかりだ。

ゾランが鼻で笑う。「行くも何も、始まったばかりだろ。コックスを潰せば終わる。アリウス? ただの王都の夢想家だ。問題はティラスト派だよ」共立機構の徽章を指で弾き、彼は苛立たしげにグラスを叩きつける。ゾランの部隊は、ヴェルクナードの倉庫街で待ち伏せを受け、仲間二人を失った。

ガルスは黙って煙草をくわえ、マッチを擦る。セトルラームの駆逐艦から降りてきた彼は、ヴェルクナードの海上補給路を遮断する作戦に従事し、港の炎を艦橋から見た。煙が細く立ち上り、目の下の痣を隠す。「問題は俺たちだ」と彼がつぶやく。「連合軍なんて、名ばかりだろ。セトルラームはロフィルナを従わせようとし、ラマーシャはジェルビアの名誉にこだわる。共立機構は平和を叫びながら、俺たちを弾よけにする。軍閥との連携? 笑わせるぜ。サンリクトの艦隊は命令を無視し、ユリーベルは補給をケチる。ステラム・シュラストに至っては、俺たちのトラックを鹵獲してる始末だ」

ミラが眉をひそめる。「おい、ガルス。愚痴るならフリートンに言え。俺たちは命令に従うだけだ」

「命令?」ガルスの声が嗄れる。「どの命令だ? フリートンの『港を封鎖しろ』か? レクネールの『市民を守れ』か? それともラマーシャの『撤退の準備をしろ』か? 俺たちの上はバラバラだ。見てみろ、この戦争。連合軍内部でさえ足並みが揃わねえ。軍閥との連携なんて夢物語だ。いまはいいさ、敵がコックスだから一つになってる。でもな、みてるがいい。そのうち互いに銃口を向け合うことになるぜ」

ゾランが身を乗り出す。「そりゃ言いすぎだろ。連合軍は目的を共有してる。ティラスト派を潰し、ロフィルナを抑える。それで終わりだ」

「終わり?」ガルスが煙草を灰皿に押しつける。「この街を見てみろよ。終わりだと? ここはすでに墓場だ。俺たちの艦が焼いた港だ。民間人は船で逃げ、子供は瓦礫の下だ。俺たちが守るべきだったのは、こんな地獄じゃなかったはずだ」

ミラが目を伏せる。ジェルビアの議会では、連合軍への派兵に反対する声が上がり、彼女の姉は「無駄な戦争だ」と手紙に書いていた。「…ガルスの言う通りかもしれない」と彼女がつぶやく。「今日、港で市民を見た。俺たちの装甲車に唾を吐いてたよ。解放者だなんて、誰も思っちゃいない。サンリクトやユリーベルは、俺たちを次の敵と見てる。ステラム・シュラストは、まるで別の戦争を戦ってる。あいつら、俺たちに忠誠なんて誓わないぜ」

バーテンダーが咳払いし、棚から新しい瓶を取り出す。酒の匂いが一瞬、焦げたゴムの臭いを消す。外では風が唸り、近くで爆発音が響く。ゾランが拳を握る。「じゃあ何だ? 俺たちは無駄に戦ってるってのか? 俺の仲間は、ただ死んだのか?」

ガルスが肩をすくめる。「駒だよ、ゾラン。俺も、ミラも、お前もだ。フリートンは星域の覇権を、アリウスはロフィルナの自由を、レクネールは共立機構の正義を掲げるだけだ。俺たちの血はその道具だ。見てみろ、このバーだ。廃墟で密造酒を飲む俺たちが、勝者に見えるか?」

部屋が静まる。電球がチカチカと点滅し、影がテーブルに揺れる。ミラがグラスを握りしめ、唇を噛む。「なら、どうする? 脱走か? それとも戦い続けるか?」

ゾランが立ち上がり、椅子を倒す。「戦うさ。俺にはそれしかねえ。コックスを潰し、この戦争を終わらせる。それが俺の務めだ」

ガルスが目を細める。「終わらせた後、何が残る? また別の戦争だ。サンリクトが、ユリーベルが、ステラム・シュラストが、次の敵になる。俺たちの銃は、いつか仲間に向くぜ」

バーテンダーが無言で新しいグラスを置く。外の風が強まり、鉄板の隙間から灰が舞い込む。カウンターのラジオがノイズを吐き、途切れ途切れにティラスト派の演説が流れる。「…我々の正義を…」だが、誰も耳を傾けない。グラスが空になり、電球が最後の光を落とす。ヴェルクナードの夜は、灰と不信に沈む。

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最終更新:2025年05月19日 02:25