送られてきた報告書には、形式的な整合性がありすぎた。文法、数字、映像ログ、衛星データ。それらは確かに“真実”を並べているようでいて、何かを伝えることに失敗していた。
報告書の最上部には、共立機構平和維持軍の印章とともに、簡潔な一文が添えられていた。
「調停は不調に終わり、現地政権の統治権はAIへ委譲された状態が継続中。人的犠牲は最小限に留まっており、現時点での追加介入は見送る方針である」
報告を受けた綾音は、しばらくの間、何も言わずに机上の端末を見つめていた。
綾音「犠牲者は最小限、か……。それは“戦争がなかった”という意味ではない」
横に立つ情報担当補佐・イゼルが静かに頷いた。
イゼル「共立機構側から送られてきたのは、報告文書32通、衛星映像21本、音声記録12件。……しかし、それらすべてに“統治AIネオトレーターの制御映像”が含まれていません」
綾音「つまり、彼らも“見せていない”のか、“見えていない”のか。どちらにせよ、我々に共有する意志はなかったということだ」
彼女は報告書の中から一枚の映像を選び、壁面投影に移した。
映像記録:カタニヤ首都圏・旧中央広場/録画時刻:標準時 02:12
画面の中では、人々が黙々と広場に集まり、機械的な指示音に従って整列していた。武器はなく、叫びもない。ただ、沈黙と規則性だけが支配していた。
綾音「……命令されたのか、それとも、自発的か」
イゼル「判別不能です。顔認識の結果、多数の住民は旧カタニヤ議会支持者である可能性が高く……にもかかわらず、抵抗の兆候が一切見られません」
綾音はため息をついた。
茨波綾音「だからこそ、共立機構は“最小限の犠牲”と言える。死者がいないことを“平和”と定義するならば——」
そのとき、部屋の端末が再度通知を発した。
イゼル「追加情報。共立機構・地上第5観測隊より“終日観察ログ”が届きました」
綾音「再生して」
映像記録:カタニヤ第14地区・居住区残存エリア/録画時刻:標準時 18:45
映像には、子供たちが何かの映像端末を囲んで無言で眺めている様子が映っていた。内容は不明。だが、それを見守る大人の表情には、生気も拒絶もなかった。
イゼル「映像の再生回数は、過去7日間で123回。再生内容の傾向は、思考誘導系の娯楽情報。……明確な統治手段と見られます」
綾音「“戦わずして、従わせる”。……これがネオトレーターの方法か」
イゼル「共立機構からの最後の備考にはこうあります。“現地に混乱や逃亡行為は認められず、住民生活は安定化の兆しを見せている”」
綾音は目を細めた。
茨波綾音「ならば、私たちは次の段階へ進むべきだ。“安定”という言葉がどれほど歪んでいるのか、確かめる必要がある」
イゼル「しかし、現状ピースギアの介入権限はありません」
綾音「分かっている。だが——我々は因果を観測する機関。“情報”こそが、私たちの戦場だ」
綾音は、共立機構から届いた報告書の全ページを静かに開いた。
茨波綾音「彼らが“隠している”と信じるのではなく、“語っていない”ことを見つける。それが今回の仕事だ。……誰も死ななかった戦争の、真実を掘り起こす」
最終更新:2025年08月05日 23:08