未来改変や因果干渉を監視する特殊部署にしては、その日の空気は驚くほど穏やかだった。
警報も通信も沈黙し、壁面モニターには平常運用を示す青い表示が並んでいる。
だが、静けさの中でも、キューラの感覚だけは休まらない。
彼女は未来因果班に所属する観測補助官であり、他人の発する「嘘」を感情の歪みとして感知する能力を持っていた。
それは戦場や尋問だけでなく、日常の些細な会話にも反応してしまう、逃れられない性質でもある。
昼休み。
詰所の簡易調理スペースに、温かい匂いが満ちた。
買い出しから戻った綾音が、紙袋からパンとスープを取り出し、手際よく並べていく。
レオンが壁にもたれ、珍しく軽口を叩く。
その冗談に、班の空気が一段と緩んだ。
綾音「ほら、キューラも食べなさい。特にこのハーブパンは、あなたの好みに合うと思う」
キューラ「ありがとう、綾音」
差し出されたパンを受け取った瞬間、胸の奥が冷えた。
言葉は柔らかく、表情もいつも通り優しい。
それでも、声の奥に微細な揺らぎがある。
意図的に整えられた感情の裏側で、何かが隠されている。
キューラ(……優しい。でも、違う。嘘の歪み)
その感覚は、未来因果スキャンに引っかかる異常予兆とよく似ていた。
取るに足らない日常の一幕のはずなのに、胸騒ぎだけが消えない。
夕食後。
雑談が続く詰所を抜け、キューラは綾音を廊下に呼び出した。
白い照明が二人の影を床に落とす。
キューラ「綾音……さっきのパン、本当は僕の好みに合わせたものじゃないよね?」
綾音「……」
キューラ「責めたいわけじゃない。ただ、わかってしまったんだ。あなたが本当の理由を隠してるって」
沈黙のあと、綾音は小さく息を吐き、視線を伏せた。
綾音「やっぱり、隠し通せないわね」
彼女は静かに語り始める。
綾音「実はあのパン、期限が迫っていて売れ残っていたの。廃棄されるくらいならと思って買っただけ。あなたの好みを調べて選んだわけじゃないわ。でも……そう言ったら、あなたが気にすると思ったの」
キューラ「……優しい嘘、だね」
綾音「ええ。ほんの小さな、取るに足らない嘘。でも、あなたには見抜かれてしまった」
胸の奥が締めつけられる。
綾音の嘘は、誰かを欺くためではない。
相手を思いやるがゆえの選択だった。
それを暴いたのが、自分の能力だという事実が重くのしかかる。
キューラ「僕……あなたの気持ちまで剥がしてしまった」
綾音「いいえ。責めてなんかいないわ。君が嘘を見抜くのは、未来因果班にいる以上、避けられないこと。むしろ……私たちの弱さを、そのまま受け止めてくれる存在だと思ってる」
キューラ「でも、僕は嘘を壊してしまう」
綾音「壊れてなんかいない。本当の理由がわかったからこそ、私の気持ちはちゃんと伝わったでしょう?」
言葉が詰まる。
確かに、嘘の奥にあったのは、気遣いと温度だった。
その瞬間、キューラは理解する。
優しい嘘を見抜くことは、善意を否定する行為ではない。
むしろ、覆われていた本音を掬い上げる行為なのだと。
夜。
詰所の窓辺で、キューラは星を見上げる。
管理ドーム越しに見える光が、わずかに揺れていた。
キューラ「僕はこれからも嘘を見抜いてしまう。誰かを傷つけることもある。でも……嘘の奥にある本当の優しさまで、必ず受け止めたい」
瞳に映る星は滲んでいたが、心は不思議と静かだった。
翌朝。
綾音が再び買い出しから戻り、今度は迷いなくパンを差し出す。
綾音「今日は本当に、あなたの好みに合わせて選んだわ。信じて?」
キューラ「……うん。今度は本当だね」
短い沈黙が流れる。
それは以前よりも、確かにあたたかかった。
最終更新:2025年12月16日 21:42