翌日の土曜の正午。小南は部室裏で不満げに煙草を吸っていた。
今日は夕方まで練習で、これから投手組の投げ込みに付き合う手筈なのだが、部室で主将とみずきが「どちらが公式戦で背番号の1を背負うか」で揉めていて、一向に決着が付かない。
他の者は大京のノックを受けているのだが、小南は30分近く待機中だった。
「…いつまでやってんだ」
小南が3本目の『The Boss』に火を着けたところで、部室裏に原 啓太がやってきた。
「…うっわ、ヤニ臭っ!」
「…よぉ。あいつらまだやってんの?」
「みずきさん頑固で我が儘なトコあるからなー…。今日あんま機嫌良くなかったし。
まだ長引きそうやで」
「…アホかあいつら!別にどっちでもいいっつの!」
煙を吸い込み、吐き出す小南。原が鼻をつまんだ。
「…ホントそうなんやけどな。でも本来は間違いなくキャプテンやと思うしなー…」
今日は夕方まで練習で、これから投手組の投げ込みに付き合う手筈なのだが、部室で主将とみずきが「どちらが公式戦で背番号の1を背負うか」で揉めていて、一向に決着が付かない。
他の者は大京のノックを受けているのだが、小南は30分近く待機中だった。
「…いつまでやってんだ」
小南が3本目の『The Boss』に火を着けたところで、部室裏に原 啓太がやってきた。
「…うっわ、ヤニ臭っ!」
「…よぉ。あいつらまだやってんの?」
「みずきさん頑固で我が儘なトコあるからなー…。今日あんま機嫌良くなかったし。
まだ長引きそうやで」
「…アホかあいつら!別にどっちでもいいっつの!」
煙を吸い込み、吐き出す小南。原が鼻をつまんだ。
「…ホントそうなんやけどな。でも本来は間違いなくキャプテンやと思うしなー…」
約20分後、部室のドアが開いた。
「ごめーん小南君お待たせ!今から私のエース足る所以のピッチングを見せるからブルペンに…
あ、あれ!?」
主将とみずきの結論は「第三者に判断させよう」となった。
その栄光ある第三者に選任されたのが、聖タチバナ学園野球部正捕手小南であったのだが…
彼はもうここにいなかった。
「ごめーん小南君お待たせ!今から私のエース足る所以のピッチングを見せるからブルペンに…
あ、あれ!?」
主将とみずきの結論は「第三者に判断させよう」となった。
その栄光ある第三者に選任されたのが、聖タチバナ学園野球部正捕手小南であったのだが…
彼はもうここにいなかった。
「原…、まさか小南くん…」
ベンチに腰掛けていた原に、みずきが聞いた。
「「頭痛いから帰る」そうや。…あと「夫婦喧嘩は他所でやれ」って言っとったわ」
「夫婦って何よ!」
「…みずき、もうやめね?」
「イ ヤ!」
ベンチに腰掛けていた原に、みずきが聞いた。
「「頭痛いから帰る」そうや。…あと「夫婦喧嘩は他所でやれ」って言っとったわ」
「夫婦って何よ!」
「…みずき、もうやめね?」
「イ ヤ!」
しかし…みずきが背番号「1」を背負う事は無かった。
「じゃあ持久力で勝負よ!」と言い出したみずきは、長距離走での勝負で、ウソのようにボロ負けした...
「じゃあ持久力で勝負よ!」と言い出したみずきは、長距離走での勝負で、ウソのようにボロ負けした...
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『♪I'm calling your name,many times~!You are my blieving star!
君の名前を呼ぶよー♪』
「♪呼ぶよ~!」
1時間後。部活を抜けた小南は既に『アウターヘヴン』でボーナスを引いていた。昨日と変わらず野球着のまま『パワプロクン711』を打っている彼だが、今日は出だし好調のようだ。
この機種は、7を揃えて『めぐBig』を選ぶと歌手不詳のオリジナルソングが流れる。その曲が好評なのも相俟ってか、小南以外にもこの機種のファンは多かった。
尤もすみおは「他よりメダルが沢山出るから」との理由からだったが。
「おっ!今日は出てるな」
突然の背後からの声に、小南の打つ手がピタリと止まる。
『まさかバレたのか…!?早過ぎるッ!』
だが彼が振り向いた先にいたのは、野球部員ではなくすみおだった。
「よぉ」
「…びっくりさせないでよぉすみおさん!みずきかと思ったじゃん!」
「悪い悪い。しかしまたサボって来たのか?懲りない奴だ」
「…今日は午前中で終わったんですよ」
小南は振り向き、再びボーナスを消化し始める。彼の横の椅子にすみおは腰を下ろした。
君の名前を呼ぶよー♪』
「♪呼ぶよ~!」
1時間後。部活を抜けた小南は既に『アウターヘヴン』でボーナスを引いていた。昨日と変わらず野球着のまま『パワプロクン711』を打っている彼だが、今日は出だし好調のようだ。
この機種は、7を揃えて『めぐBig』を選ぶと歌手不詳のオリジナルソングが流れる。その曲が好評なのも相俟ってか、小南以外にもこの機種のファンは多かった。
尤もすみおは「他よりメダルが沢山出るから」との理由からだったが。
「おっ!今日は出てるな」
突然の背後からの声に、小南の打つ手がピタリと止まる。
『まさかバレたのか…!?早過ぎるッ!』
だが彼が振り向いた先にいたのは、野球部員ではなくすみおだった。
「よぉ」
「…びっくりさせないでよぉすみおさん!みずきかと思ったじゃん!」
「悪い悪い。しかしまたサボって来たのか?懲りない奴だ」
「…今日は午前中で終わったんですよ」
小南は振り向き、再びボーナスを消化し始める。彼の横の椅子にすみおは腰を下ろした。
「ところで小南。この後ヒマか?」
「え?…別に予定は無いけど…」
「そいつぁ良かった。じゃあ一つ頼まれてくれ」
どうやらすみおは、小南に用事があってこの店に来たようだった。まるで小南がここに居る事が判っていたかのように。手を動かしながら、小南は会話を続ける。
「いいですよ。この台ももう出なそうだし、このボーナス終わったら帰ろうかなって思ってたから」
ボーナスの消化を終え、小南がメダルを箱に詰める。
「そうか、悪いな。…ホレ。バイト代先払いだ」
すみおが財布から壱萬円札を取り出し、小南に渡した。
「…話聞く前から受け取るのは怖いんですけど」
「ん?気にするな。どうせ泡銭だ」
「え?…別に予定は無いけど…」
「そいつぁ良かった。じゃあ一つ頼まれてくれ」
どうやらすみおは、小南に用事があってこの店に来たようだった。まるで小南がここに居る事が判っていたかのように。手を動かしながら、小南は会話を続ける。
「いいですよ。この台ももう出なそうだし、このボーナス終わったら帰ろうかなって思ってたから」
ボーナスの消化を終え、小南がメダルを箱に詰める。
「そうか、悪いな。…ホレ。バイト代先払いだ」
すみおが財布から壱萬円札を取り出し、小南に渡した。
「…話聞く前から受け取るのは怖いんですけど」
「ん?気にするな。どうせ泡銭だ」
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店から出た二人は、カイザース寮に向かい歩き出した。今日の小南の収益は、すみおのバイト代を入れて+37000円。1時間ちょいにしては中々だ。
「で?俺は何をすればいいの?」
「ああ…今日、寮にワシの姪っ子が遊びに来てるんだが、この後ちょいと用事があってな?
ワシは構ってやれないから、その子と遊んでやって欲しいんだ」
子守の類だと思った小南は、すぐさま快諾する。
「分かった。任せて下さいな。すみおさんの用事って何?」
「麻雀だ。古い友人とな」
「…ダメ人間」
「お前が言うな。では頼んだぞ!お前の事はもう伝えてある。鍵は空いてるから、勝手に入ってくれ」
それだけ言うと、小南が止める間もなくすみおは行ってしまった。
「…不用心な」
寮はもう目の前だった。小南は、すみおにその子についてもう少し聞いておきたかったのだが、取り敢えず会ってみる事にした。
「で?俺は何をすればいいの?」
「ああ…今日、寮にワシの姪っ子が遊びに来てるんだが、この後ちょいと用事があってな?
ワシは構ってやれないから、その子と遊んでやって欲しいんだ」
子守の類だと思った小南は、すぐさま快諾する。
「分かった。任せて下さいな。すみおさんの用事って何?」
「麻雀だ。古い友人とな」
「…ダメ人間」
「お前が言うな。では頼んだぞ!お前の事はもう伝えてある。鍵は空いてるから、勝手に入ってくれ」
それだけ言うと、小南が止める間もなくすみおは行ってしまった。
「…不用心な」
寮はもう目の前だった。小南は、すみおにその子についてもう少し聞いておきたかったのだが、取り敢えず会ってみる事にした。
寮の裏口の扉を開け、小南が管理人室へと入ると、すぐにストーブの熱気が漂ってくる。暖かいを通り越して暑い程だ。
「…暑い」
小南はとりあえずストーブを消す。そして、勝手が分かっている管理人室の奥へと進み、すみおの姪っ子を捜した。
「…暑い」
小南はとりあえずストーブを消す。そして、勝手が分かっている管理人室の奥へと進み、すみおの姪っ子を捜した。
「・・・」
その子は寝室にいた。設定温度を上げすぎたストーブのせいか、うっすらと汗をかいて上下の下着だけで寝苦しそうに眠っていた。
小南はその子の前で固まる。幼い子だとばかり思っていた彼だったが、目の前で眠る女は間違いなく「幼く」はない。自分と同じ位の年子だ。
さらに、小南はその娘に見覚えがあった。それもつい昨日だ。
部活を見ていた黒髪の綺麗な女の子。その子が今、極めて無防備な格好で彼の前にいた。
「…ん…」
彼女が声を出す。中々に挑発的な声だ。小南に気付いたのだろうか?ただそこに立ち尽くしていた彼だが、段々と理性が擦り減っていくのを自覚し、取り敢えず部屋を出る事にした。
その子は寝室にいた。設定温度を上げすぎたストーブのせいか、うっすらと汗をかいて上下の下着だけで寝苦しそうに眠っていた。
小南はその子の前で固まる。幼い子だとばかり思っていた彼だったが、目の前で眠る女は間違いなく「幼く」はない。自分と同じ位の年子だ。
さらに、小南はその娘に見覚えがあった。それもつい昨日だ。
部活を見ていた黒髪の綺麗な女の子。その子が今、極めて無防備な格好で彼の前にいた。
「…ん…」
彼女が声を出す。中々に挑発的な声だ。小南に気付いたのだろうか?ただそこに立ち尽くしていた彼だが、段々と理性が擦り減っていくのを自覚し、取り敢えず部屋を出る事にした。
「…おじさん…、あついよ…」
部屋を出かけた小南の足が止まる。彼女の言う「暑い」はおそらく「ストーブを消してくれ」との意味合いも持っているのだろう。だが、やはり言い方が色っぽい。
「…ストーブ消したよ。暑かったから。…その格好風邪ひくよ?」
「…だいじょうぶだよ。おじさん…」
部屋を出かけた小南の足が止まる。彼女の言う「暑い」はおそらく「ストーブを消してくれ」との意味合いも持っているのだろう。だが、やはり言い方が色っぽい。
「…ストーブ消したよ。暑かったから。…その格好風邪ひくよ?」
「…だいじょうぶだよ。おじさん…」
数秒後、彼女はガバッと起き上がり、小南を見た。
「…だれ」
「えーと俺は…、たぶん君のおじさんだと思う人に用事を頼まれたんだけど、今ここに君しかいないの?」
「…すみおおじさんの…ともだち?」
「うん」
「・・・」
彼女の口調が冷淡な事もあってか、小南は焦らず質問に応じる事ができた。彼女はまだ半ば起き切れていないようで、顔と目が寝ぼけていた。小南には、その表情がとても可愛く見えた。
「…あ、あのさ」
「…はい」
「その…すみおさんに、たぶん君の事頼まれたんだけどさ…、
もう少し寝てる?それなら俺はあっちで暫く待ってるけど…」
遂に彼女の瞳がはっきりと開き、昨日と同じ顔になった。
「着替えます…」
「そっか。じゃあ俺あっちにいるから、なんかあったら言ってね」
彼女はこくりと頷いた。小南はそれを確認し、部屋を出て戸を閉めた。
「…だれ」
「えーと俺は…、たぶん君のおじさんだと思う人に用事を頼まれたんだけど、今ここに君しかいないの?」
「…すみおおじさんの…ともだち?」
「うん」
「・・・」
彼女の口調が冷淡な事もあってか、小南は焦らず質問に応じる事ができた。彼女はまだ半ば起き切れていないようで、顔と目が寝ぼけていた。小南には、その表情がとても可愛く見えた。
「…あ、あのさ」
「…はい」
「その…すみおさんに、たぶん君の事頼まれたんだけどさ…、
もう少し寝てる?それなら俺はあっちで暫く待ってるけど…」
遂に彼女の瞳がはっきりと開き、昨日と同じ顔になった。
「着替えます…」
「そっか。じゃあ俺あっちにいるから、なんかあったら言ってね」
彼女はこくりと頷いた。小南はそれを確認し、部屋を出て戸を閉めた。
---
「勘弁してよ…。もっと子供だと思ってたのに、俺と同い年位の女の子じゃねぇかよ…。っつーか昨日会ったし。俺にどうしろと?
…まぁ結構可愛いけどさ」
彼女の着替えを待つ小南は、居間で独り愚痴りながら煙草を吹かし、ソファに腰掛けていた。すみおに一言抗議したいが、すみおの携帯の番号は知らないし、何処にいるかも分からない。そもそもすみおは携帯を持ってるのだろうか?
よって彼は、今は考えない事にした。
数分後、彼女が着替えを終え出て来る。小南はそれに合わせて煙草を消した。先日嫌がられた事からの配慮だ。彼女は、白のハイネックセーターとデニムのパンツを身につけていた。胸がそこそこ大きいようだ。
「あ、終わったの?」
彼女は無言で小南の横に腰掛け、こくりと頷いた。
「…えーっと、君は」
「…今野です。今野早矢」
「えー…、早矢ちゃん?あの…」
「はい」
「…近いんだけど」
「・・・」
完全に小南に体を預けていた早矢は、少し体をずらして小南との間に距離を置いた。
「…さむい」
が、一言そう漏らし、すぐにまた小南に寄り添った。先ほどストーブを消火したばかりだが、本来だいぶ気温が低いせいか、部屋の暖気は瞬く間に無くなってゆくばかり。寝起きとあらば尚更かも知れない。
小南の嗅覚を、何時ぞやと同じ早矢の匂いが擽る。淡く甘い香りだ。ちょっと視界を下げれば見える早矢の黒髪も、やはり変わらず美しかった。
…まぁ結構可愛いけどさ」
彼女の着替えを待つ小南は、居間で独り愚痴りながら煙草を吹かし、ソファに腰掛けていた。すみおに一言抗議したいが、すみおの携帯の番号は知らないし、何処にいるかも分からない。そもそもすみおは携帯を持ってるのだろうか?
よって彼は、今は考えない事にした。
数分後、彼女が着替えを終え出て来る。小南はそれに合わせて煙草を消した。先日嫌がられた事からの配慮だ。彼女は、白のハイネックセーターとデニムのパンツを身につけていた。胸がそこそこ大きいようだ。
「あ、終わったの?」
彼女は無言で小南の横に腰掛け、こくりと頷いた。
「…えーっと、君は」
「…今野です。今野早矢」
「えー…、早矢ちゃん?あの…」
「はい」
「…近いんだけど」
「・・・」
完全に小南に体を預けていた早矢は、少し体をずらして小南との間に距離を置いた。
「…さむい」
が、一言そう漏らし、すぐにまた小南に寄り添った。先ほどストーブを消火したばかりだが、本来だいぶ気温が低いせいか、部屋の暖気は瞬く間に無くなってゆくばかり。寝起きとあらば尚更かも知れない。
小南の嗅覚を、何時ぞやと同じ早矢の匂いが擽る。淡く甘い香りだ。ちょっと視界を下げれば見える早矢の黒髪も、やはり変わらず美しかった。
「きのう、私と会いませんでした?」
早矢が突然聞いてきた。
「…うん。早矢ちゃん昨日、ウチの部活見に来てたでしょ。すみおさんに連れて来られたの?」
「ううん」
早矢は小さく首を横に振った。
早矢が突然聞いてきた。
「…うん。早矢ちゃん昨日、ウチの部活見に来てたでしょ。すみおさんに連れて来られたの?」
「ううん」
早矢は小さく首を横に振った。
「野球を、見てみたくなったから…」
「へぇ。…で、見た感想は?」
「…たばこ吸ってる不良さんにからまれたから、よくわかりませんでした」
その言葉が、小南の心にグサリと突き刺さる。外ならぬ彼自身の事だ。
「・・・」
「たばこの吸いすぎは、体にわるいですよ」
「…はい。…ごめんなさい」
小南が謝ると、早矢が彼の方に振り向いた。
「へぇ。…で、見た感想は?」
「…たばこ吸ってる不良さんにからまれたから、よくわかりませんでした」
その言葉が、小南の心にグサリと突き刺さる。外ならぬ彼自身の事だ。
「・・・」
「たばこの吸いすぎは、体にわるいですよ」
「…はい。…ごめんなさい」
小南が謝ると、早矢が彼の方に振り向いた。
「…また、見にいってもいいですか?」
「ん?いいよ。またおいで」
「…はい」
小南が了承すると、早矢はうっすらと微笑んだ。その、彼女が初めて見せてくれた笑顔は、彼の恋心を強く擽った。
(やっべ、この子可愛い…)
「ん?いいよ。またおいで」
「…はい」
小南が了承すると、早矢はうっすらと微笑んだ。その、彼女が初めて見せてくれた笑顔は、彼の恋心を強く擽った。
(やっべ、この子可愛い…)
「あ。それと…」
真顔に戻った早矢がそう呟く。
「ん?何?」
「あなたは…」
「うん」
真顔に戻った早矢がそう呟く。
「ん?何?」
「あなたは…」
「うん」
「…あなたは…、なんてゆう名前なの?」
---
「矢部く~ん!あたしの球受けてよぉ(はぁと)」
「嫌でやんす!みずきちゃんのシンカーなんてオイラ捕れないでやんす!」
一方で、タチバナ学園野球部では、みずきが矢部をかどわかし、(半ば強制的に)ブルペン捕手をさせようとしていた。
時刻は夕方5時30分。そろそろ西日も沈み切る頃だ。
「矢部とか俺じゃ無理。痛いのもうヤダ。小南引っ張ってきなよ。たぶんあいつアウターヘヴンにいるよ?」
「イ ヤ!もう暗くなっちゃうじゃん!
あたし今日一球も投げ込んでないのよ?あんたばっかりズルイ!いいから受けなさいよ矢部!」
「だから嫌でやんす!」
みずき必殺のシンキングボールは、体から遠い位置で下からリリースするフォームも相俟り、(特に)初見の右打者に「消えた!?」と思わせる程に沈み、空振らせる事が狙える。
だが同時に、捕手の手前でショートバウンドする際に無作為にイレギュラーする性質があった。
勿論捕れない事は無くはない。だが、矢部はこれで一度眼鏡を割り、主将は2~3度股間に痛恨の一撃を喰らっている。みずきの捕手を経験した他の部員も、同程度の被害を被っている者が大多数だった。
ただ一人、小南を除いて。
「嫌でやんす!みずきちゃんのシンカーなんてオイラ捕れないでやんす!」
一方で、タチバナ学園野球部では、みずきが矢部をかどわかし、(半ば強制的に)ブルペン捕手をさせようとしていた。
時刻は夕方5時30分。そろそろ西日も沈み切る頃だ。
「矢部とか俺じゃ無理。痛いのもうヤダ。小南引っ張ってきなよ。たぶんあいつアウターヘヴンにいるよ?」
「イ ヤ!もう暗くなっちゃうじゃん!
あたし今日一球も投げ込んでないのよ?あんたばっかりズルイ!いいから受けなさいよ矢部!」
「だから嫌でやんす!」
みずき必殺のシンキングボールは、体から遠い位置で下からリリースするフォームも相俟り、(特に)初見の右打者に「消えた!?」と思わせる程に沈み、空振らせる事が狙える。
だが同時に、捕手の手前でショートバウンドする際に無作為にイレギュラーする性質があった。
勿論捕れない事は無くはない。だが、矢部はこれで一度眼鏡を割り、主将は2~3度股間に痛恨の一撃を喰らっている。みずきの捕手を経験した他の部員も、同程度の被害を被っている者が大多数だった。
ただ一人、小南を除いて。
---
「…早矢ちゃん、どういう人が好き?」
「プロ野球選手」
「…ええ!?」
「…と結婚しろ。…ってすみおおじさんが言ってます」
グラウンドでの部員の嘆きなどいざ知らず。小南は早矢とずっと話していた。ストーブの暖など疾うに消え去り、部屋はもう冷え切ってしまったが、何故か再び火を燈そうとはしなかった。
少なくとも、このまま早矢と寄り添っていたかった小南は燈さなかった。結果、二人はずっと寄り添っていた。
「…すみおさんなら…、そう言うだろうな」
小南は少し落胆する。ウチの主将ならプロの世界へ行けるかもしれない。だが自分は行ける筈も無い。そもそも余り興味が無かった。
そう。今の今までは。
「プロ野球選手」
「…ええ!?」
「…と結婚しろ。…ってすみおおじさんが言ってます」
グラウンドでの部員の嘆きなどいざ知らず。小南は早矢とずっと話していた。ストーブの暖など疾うに消え去り、部屋はもう冷え切ってしまったが、何故か再び火を燈そうとはしなかった。
少なくとも、このまま早矢と寄り添っていたかった小南は燈さなかった。結果、二人はずっと寄り添っていた。
「…すみおさんなら…、そう言うだろうな」
小南は少し落胆する。ウチの主将ならプロの世界へ行けるかもしれない。だが自分は行ける筈も無い。そもそも余り興味が無かった。
そう。今の今までは。
「…そっか。そうだよな」
明らかに落胆を含んだ声で小南がそう漏らす。無論、早矢は彼の心境の変化なぞ知る由もない。
「…早矢ちゃんは…早矢ちゃん自身はどんな人が好きなの?」
明らかに落胆を含んだ声で小南がそう漏らす。無論、早矢は彼の心境の変化なぞ知る由もない。
「…早矢ちゃんは…早矢ちゃん自身はどんな人が好きなの?」
「…よく…わかりません」
「…「分からない」?」
「…男の人と、遊んだこととかないから」
「…そう…、か。」
「…「分からない」?」
「…男の人と、遊んだこととかないから」
「…そう…、か。」
それ以上、深く聞くまいと思った小南は別の話題を思索したが、適当な話題が思い付かなかった。結果、場を沈黙が支配する。
数十秒後にそれを破ったのは早矢だった。
「…でも」
「ん?」
数十秒後にそれを破ったのは早矢だった。
「…でも」
「ん?」
「…小南さんみたいな人は…きらいじゃない、と思います」
「…うぇ!?…俺みたいな!?」
「…やさしそうだし、あったかいから。」
唐突な早矢のカミングアウトに小南は驚く。嫌われる事こそあれど、好かれる事なぞありえないと思っていたからだ。
早矢の言葉は、幼子のそれと似ていた。恋愛はもとより、人付き合いすらも極めて希薄であろうこの子の言葉は、他の誰より本心を語っている気がした。
「たばこは嫌いですけど」
「・・・」
小南はしばらく固まり、切り返しに手間取った。そのうち言われるだろうと思ってはいたが、面と向かって言われてみると些かショックだ。一方の早矢には、もちろん悪びれた様子などはない。
「…うぇ!?…俺みたいな!?」
「…やさしそうだし、あったかいから。」
唐突な早矢のカミングアウトに小南は驚く。嫌われる事こそあれど、好かれる事なぞありえないと思っていたからだ。
早矢の言葉は、幼子のそれと似ていた。恋愛はもとより、人付き合いすらも極めて希薄であろうこの子の言葉は、他の誰より本心を語っている気がした。
「たばこは嫌いですけど」
「・・・」
小南はしばらく固まり、切り返しに手間取った。そのうち言われるだろうと思ってはいたが、面と向かって言われてみると些かショックだ。一方の早矢には、もちろん悪びれた様子などはない。
「小南…さん」
「なに?」
沈黙を破ったのは早矢。さしたる会話が思い付かなかった小南は、内心安堵した。
「おなかがすきました」
「…そう?じゃあなんか食べにいこっか?」
「…人込みは嫌いです」
「…じゃあ、何か買って来るよ。早矢ちゃんはここで待っててな」
早矢の答えは半ば予想できたものだったので、小南は単身でコンビニに行こうと立ち上がる。
「あ…」
「ん?」
吃る早矢。何か買ってきて欲しい物のリクエストでもあるのだろうか?
「なに?」
沈黙を破ったのは早矢。さしたる会話が思い付かなかった小南は、内心安堵した。
「おなかがすきました」
「…そう?じゃあなんか食べにいこっか?」
「…人込みは嫌いです」
「…じゃあ、何か買って来るよ。早矢ちゃんはここで待っててな」
早矢の答えは半ば予想できたものだったので、小南は単身でコンビニに行こうと立ち上がる。
「あ…」
「ん?」
吃る早矢。何か買ってきて欲しい物のリクエストでもあるのだろうか?
「…わ、わたしも、いっしょに行っていいですか」
これは予想外だった。小南は少し驚いたが、早矢の気持ちが変わってしまう前に連れていく事にした。
これは予想外だった。小南は少し驚いたが、早矢の気持ちが変わってしまう前に連れていく事にした。
---
「何がいい?早矢ちゃん」
「あ…あの…、わたしはその…なんでも…」
聖タチバナの近くのコンビニで、二人は品定めをする。早矢はまるで初めて来る場所でもあるかのように、終始落ち着かない様子だった。
早矢に歩を合わせ、彼女の嗜好を聞いたりしながら、暖房の効いた店内を回る。商品を選び終える頃には、なんと入店から1時間近くが経過していた。
「い、いいんですか?わたしもいくつか買ったのに…」
「あ、大丈夫だよ?すみおさんにお金貰ってるから」
「…はぁ」
遠慮する早矢を制し、会計を済ませて二人は店を出る。先程より北風が強くなっていた。
「…さむい…ですね」
「…早いとこ帰ろっか」
早矢がマフラーを巻き直し、二人がさしたる明かりもない街路を歩き出したその時。
「あ…あの…、わたしはその…なんでも…」
聖タチバナの近くのコンビニで、二人は品定めをする。早矢はまるで初めて来る場所でもあるかのように、終始落ち着かない様子だった。
早矢に歩を合わせ、彼女の嗜好を聞いたりしながら、暖房の効いた店内を回る。商品を選び終える頃には、なんと入店から1時間近くが経過していた。
「い、いいんですか?わたしもいくつか買ったのに…」
「あ、大丈夫だよ?すみおさんにお金貰ってるから」
「…はぁ」
遠慮する早矢を制し、会計を済ませて二人は店を出る。先程より北風が強くなっていた。
「…さむい…ですね」
「…早いとこ帰ろっか」
早矢がマフラーを巻き直し、二人がさしたる明かりもない街路を歩き出したその時。
「寒い寒い~!う~凍死しちゃう~!」
その大袈裟な声に二人が振り向くと、聖タチバナ学園の制服に身を包んだ女生徒が、数人の連れと店に入ってゆくのが見えた。
その大袈裟な声に二人が振り向くと、聖タチバナ学園の制服に身を包んだ女生徒が、数人の連れと店に入ってゆくのが見えた。
先頭を切って入店したのは、紛れも無く橘みずきだった。
「やばいッ!みずきだッッ!!」
学校の最寄りである事、そして時間を掛け過ぎた事が災いした。
小南はそれらを一瞬後悔したが、幸運にも暗がりにいた彼等に誰も気付く事なく、全員が店内に消えていった。
「小南のヤツは結局戻って来ないしさ!次会ったら天に還してやる!」
店内から、暖気に安堵する声と共にこう聞こえた気がした。是が非でも空耳であってほしいものだ。
学校の最寄りである事、そして時間を掛け過ぎた事が災いした。
小南はそれらを一瞬後悔したが、幸運にも暗がりにいた彼等に誰も気付く事なく、全員が店内に消えていった。
「小南のヤツは結局戻って来ないしさ!次会ったら天に還してやる!」
店内から、暖気に安堵する声と共にこう聞こえた気がした。是が非でも空耳であってほしいものだ。
「…あー怖かった」
「ど、どうしたんですか」
何が起こったのか分からない、という顔をした早矢が、小南に尋ねる。
「…あ?ああ、あれうちの部の奴ら。見つかったら私刑にされる」
「…しけい?」
「具体的に言うと、ゴムの拷問器具で殴打される」
小南は間違った事 は 言っていないが、この説明に大半の人間は、事実よりもはるかに恐ろしい事を想像するだろう。もっとも、早矢は頭に?マークを浮かべていたが。
「…あんまり想像しなくていいよ。世の中には知らなければ良かった事の方が多いから」
「はぁ…。…あの」
「ん?」
「ど、どうしたんですか」
何が起こったのか分からない、という顔をした早矢が、小南に尋ねる。
「…あ?ああ、あれうちの部の奴ら。見つかったら私刑にされる」
「…しけい?」
「具体的に言うと、ゴムの拷問器具で殴打される」
小南は間違った事 は 言っていないが、この説明に大半の人間は、事実よりもはるかに恐ろしい事を想像するだろう。もっとも、早矢は頭に?マークを浮かべていたが。
「…あんまり想像しなくていいよ。世の中には知らなければ良かった事の方が多いから」
「はぁ…。…あの」
「ん?」
何か言いかける早矢。そこで小南は気が付いた。さっき走って逃げようとした際に、早矢の手を握り込んでいた事に。
「…」
「…ゴメン」
直ぐさま手を離す小南。咄嗟の行為に過ぎなかったが、早矢にそれを意見された事に、彼は些かショックを受けた。
「…ゴメン」
直ぐさま手を離す小南。咄嗟の行為に過ぎなかったが、早矢にそれを意見された事に、彼は些かショックを受けた。
「…帰ろっか」
「…はい」
表情を変えない早矢。行いを後悔してしまい、俯く小南。よって彼は、今自分の手の甲を包み込んだ冷たい柔肌。それが早矢のものである事に気付くのにやや時間を要した。
「…はい」
表情を変えない早矢。行いを後悔してしまい、俯く小南。よって彼は、今自分の手の甲を包み込んだ冷たい柔肌。それが早矢のものである事に気付くのにやや時間を要した。
「…あれ」
「…手、つないでてくれないんですか?」
「…手、つないでてくれないんですか?」
「…繋いでていい?」
「放したら、さむいじゃないですか」
「放したら、さむいじゃないですか」
「…うん」
自分の手より遥かに小さい早矢のそれは、とても冷たかった。
そして早矢は笑った。マフラーの合間から覗ける早矢の顔は、確かに笑っていた。
小南は幸せだった。早矢はどうなのだろうか?自分と同じ感情が彼女にも芽生えてくれているのだろうか?
だが、今はそう信じた。
だが、今はそう信じた。
そして、凍てつく空にそう願った。