最近、学会幹部から慎重に行動するように言われ、恐ろしい団体だと思った
晋さんによる創価学会とその幹部に対する批判。四月会の集会にて発言が確認された。
正確な発言は「選挙区で創価学会から支援を受けてきたが、最近、学会幹部から慎重に行動するように言われ、恐ろしい団体だと思った」である。
正確な発言は「選挙区で創価学会から支援を受けてきたが、最近、学会幹部から慎重に行動するように言われ、恐ろしい団体だと思った」である。
晋さんがまだ議員として一年生の時代、当時の自民党では亀井静香などの一部議員が創価学会と公明党を敵視していた。
このような反公明党の自民党議員や自民党と繋がりを持っていた他宗教団体が反創価学会を目的として「憲法20条を考える会」を母体に設立した団体が「四月会」だった。
このような反公明党の自民党議員や自民党と繋がりを持っていた他宗教団体が反創価学会を目的として「憲法20条を考える会」を母体に設立した団体が「四月会」だった。
四月会は1994年11月1日に東京都の永田町の憲政記念館で集会を開くのだが、そこに晋さんも出席していた。
この集会において晋さんは支援を受けていた創価学会が自分の行動を注意してきたことに不満を抱き、「恐ろしい団体」と言い放つのだった。
この集会において晋さんは支援を受けていた創価学会が自分の行動を注意してきたことに不満を抱き、「恐ろしい団体」と言い放つのだった。
ところがその後の自民党は1998年の第18回参議院議員通常選挙にて敗北したことにより、政権維持のために公明党との連携を強くしていく方針に路線変更。
自公連立政権が成立したことによって四月会は存在意義を失って解散することになった。
そして晋さんの方も後に総理大臣として長年に渡って公明党のサポートを受けまくるどころか、崇教真光に入信したり、祖父の岸信介から関係のあった統一教会の広告塔として君臨したり、特定の考え方を持つ人たちのための政治を行うかのように誰とも組む姿を見せるようになる。
一応、晋さんも重要政策で公明党と意見が食い違うと連立からの離脱を揺さぶって脅しをかけていたとの報道もあるので、事実であれば四月会参加当時の創価学会への不満を忘れていなかった可能性もなくはないが…
自公連立政権が成立したことによって四月会は存在意義を失って解散することになった。
そして晋さんの方も後に総理大臣として長年に渡って公明党のサポートを受けまくるどころか、崇教真光に入信したり、祖父の岸信介から関係のあった統一教会の広告塔として君臨したり、特定の考え方を持つ人たちのための政治を行うかのように誰とも組む姿を見せるようになる。
一応、晋さんも重要政策で公明党と意見が食い違うと連立からの離脱を揺さぶって脅しをかけていたとの報道もあるので、事実であれば四月会参加当時の創価学会への不満を忘れていなかった可能性もなくはないが…
ソース
安倍晋三元首相の宗教観を探ってみた
https://mainichi.jp/articles/20221022/k00/00m/040/189000c
https://mainichi.jp/articles/20221022/k00/00m/040/189000c
「公明と組むことで得る票より失う票の方が多いんじゃないか」「安倍元首相も苦言を伝えていた」…弱体化する公明党と創価学会が「自民党に切り捨てられる日」
https://gendai.media/articles/-/111552?imp=0
https://gendai.media/articles/-/111552?imp=0