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193年

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soutoku

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193年

初平四年(漢)

皇帝

劉協(漢献帝)

皇后

(空位)

皇太子

(空位)


三公

太傅:馬日磾(前太尉・録尚書事・192~194)


太尉:周忠(前光禄大夫・192~193)→朱儁(前太僕・193~194)
司徒:淳于嘉(前司空・192~194)
司空:楊彪(前光禄大夫・192~193)→趙温(前太常・193)→張喜(前衛尉・193~196)

その他の要職

録尚書事:
■馬日磾(太傅・192~194)
■周忠(太尉・192~193)→朱儁(太尉・193~194)

太常:→趙温→
光禄勳:→
衛尉:→張喜→
太僕:→朱儁→
廷尉:→
大鴻臚:→
宗正:→
大司農:→
少府:→

大司馬:劉虞→(死亡・空席)
大将軍:
驃騎将軍:
車騎将軍:
衛将軍:


地方官

冀州牧:袁紹(191~202)
兗州牧:曹操(前東郡太守)
司隷校尉:?
荊州牧:劉表(192~208)
揚州刺史:陳温(190?~193)《三国志魏書武帝紀》 →(死亡)
徐州牧:陶謙


主な事件

  • 初平四年春正月甲寅朔、日食有り《後漢書孝献帝紀》
  • 正月丁卯、天下に大赦す《後漢書孝献帝紀》
  • 三月、袁術が揚州刺史の陳温を殺し、淮南に拠る《後漢書孝献帝紀》
  • 長安宣平城門の外屋が自ずと壊れる。
    注に引く三輔黄圓によれば長安城の東面の最も北の門である《後漢書孝献帝紀》
  • 夏五月癸酉、雲もなく雷《後漢書孝献帝紀》
  • 六月、扶風に大風、雨と雹が降る。華山が崩れ裂ける《後漢書孝献帝紀》
  • 太尉の周忠が免じられ、太僕の朱儁を太尉・録尚書事と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 下邳の賊闕宣が自ら天子を称す《後漢書孝献帝紀》下邳闕宣が衆數千人を集め自ら天子を称する。徐州牧の陶謙は共に舉兵し泰山の華、費を取り、任城を略す。《三国志魏書武帝紀操》
  • 雨水あり。侍御史の裴茂を獄に遣わし、軽い罪で繋がれているものを赦した《後漢書孝献帝紀》
  • 六月辛丑、天狗が西北へ行く。
    注に引く前書音義曰く、声のあるものを天狗、声の無いものを枉矢という《後漢書孝献帝紀》
  • 九月甲午、儒生四十余人を試験し、上位のものに郎中を、次ぐものに太子舎人を、下位のものは罷めさせた。《後漢書孝献帝紀》
  • 秋、曹操は陶謙を征伐する。十餘城を降し、陶謙は城を守ってあえて出ず《三国志魏書武帝紀操》
  • 冬十月、大学が儀礼を行ない、車駕は永福城門に御幸し、その儀礼を観覧した。博士以下格差あって賜り物があった。《後漢書孝献帝紀》
  • 辛丑、京師に地震あり。流星が天市に見られた《後漢書孝献帝紀》
  • 司空の楊彪を免じ、太常の趙温を司空と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 公孫讃*が大司馬の劉虞を殺す《後漢書孝献帝紀》
  • 十二月辛丑、地震。《後漢書孝献帝紀》
  • 司空の趙温が免じられる《後漢書孝献帝紀》
  • 乙巳、衛尉の張喜を司空と為す《後漢書孝献帝紀》
  • 是歳、琅邪王の劉容が亡くなった《後漢書孝献帝紀》
  • 是歳、東海懿王の劉祗は、子の劉[王宛]を長安に遣わし、奉章する。献帝は劉[王宛]を汶陽侯に封じ、平原相と為す《後漢書十王列伝東海恭王彊》
  • 是歲、孫策は袁術の命を受けて長江を渡り、數年の間に江東を擁す《三国志魏書武帝紀操》



誕生者




死没者

劉虞(大司馬・東海[炎β]県・戦没)
劉容(琅邪王)



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