「三国志」 @Wiki

253年

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soutoku

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253年

嘉平五年(魏)


皇帝

曹芳(魏)

皇后

張氏

皇太子



三公

太傅:(空位)

太尉:司馬孚(前司空)
司徒:高柔(前司空)
司空:鄭沖(前光祿勳)

九卿

録尚書事:司馬師(大将軍)
光祿勳:

その他の要職

大将軍:司馬師(前撫軍大將軍)
車騎將軍:郭淮(前征西將軍)
驃騎將軍:?
衛将軍:


地方官

雍州刺史:陳泰



主な事件

  • 五年夏四月、大赦《三国志魏書三少帝紀》
  • 五月、吳の太傅諸葛恪が合肥新城を囲む。詔して太尉の司馬孚が之を拒む。《三国志魏書三少帝紀》是時蜀漢の姜維が出撃して狄道を囲む。司馬師は虞松に対策を問うた。虞松は「今諸葛恪はその精鋭で一戦に持ち込もうとしているがもし城を抜けなければ戦おうとしても得られず、疲労し敗走するでしょう。姜維は重兵で恪に応じ我が方の麦をあてにしておれば深く侵略することはできません。我が方が東に注力して西が疎かになると思って進んでおりますから、今もし關中の諸軍を急がせその不意をつけば敗走するでしょう」と答えた。司馬師は「善!」として郭淮、陳泰に關中の全兵をもって狄道の圍みを解かせ、一方で母*丘儉等に堅く守らせて新城を吳の思いのままにさせた。姜維は郭淮が兵を進めてきたと聞き、兵糧少なく、隴西の境に退却した。《三国志魏書三少帝紀に引く漢晉春秋》是時、涿郡の張特(字子產)は牙門を領し鎮東将軍の諸葛誕に仕えていたが、諸葛誕が防げないとされ、護軍を還して母*丘儉と代わらせた。張特に合肥新城屯守させた。張特は將軍の樂方等と三軍を合せても三千余人で、吏兵は過半数が疾病及戰死していた。張特は詐術をもって防ぎ、呉軍は抜くことができなかったため退却した。朝廷は之を嘉みして、雜號將軍を加え、列侯に封じ、安豐太守に還した。《三国志魏書三少帝紀に引く魏略》
  • 八月、詔して亡くなった中郎で西平出身の郭脩を憲章して、長樂鄉侯に追封し、食邑千戶を賜った。威侯と諡した。子に爵位を継がせ、奉車都尉を拝す。銀千鉼、絹千匹を賜う。《三国志魏書三少帝紀》郭脩(字孝先)は、西州で名を為していたが姜維に捕らえられ、屈せず。劉禪は左將軍と為すも郭脩は劉禪を刺さんと欲すが近づけず。,故に費禕を殺す《三国志魏書三少帝紀に引く魏氏春秋》

  • 帝が即位してより是歲まで、郡國縣道の加減変更は多く、旧に復したりして記すことができないほどである《三国志魏書三少帝紀》


誕生者


死没者

郭脩(字孝先):三国志蜀書後主伝では郭循。費禕を刺殺して殺される
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