260年
永安三年(呉)
皇帝
孫休(呉景帝)
皇后
(空位)
皇太子
(空位)
三公(呉)
丞相:?
太傅:?
太傅:?
その他の要職(呉)
太常:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
光禄勳:?
衛尉:?
太僕:?
廷尉:丁密(257?~262)
大鴻臚:?
宗正:?
大司農:?
少府:?
大司馬:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?
上大將軍:?
大将軍:?
驃騎将軍:?
車騎将軍:劉纂?
衛将軍:?
上大將軍:?
主な事件
- 三年春三月、西陵で赤烏が見られたと伝えて来た。《三国志呉書三嗣主伝孫休》
- 秋、用都尉嚴密議,浦里塘を作る。會稽郡で王の孫亮が天子に還るという謠言があった。孫亮の宮人が孫亮が巫を使って禱祠を行い、惡言があったと告げた。有司は事情を問い、孫亮を貶めて候官侯と為す。任国に赴く途中自殺した。送者を処罰する。《三国志呉書三嗣主伝孫休》或るいは孫休が鴆毒で殺ろしたとも言われた。晉の太康年中に吳の故の少府で丹楊の戴顒が孫亮の喪を迎え、賴鄉に葬る《三国志呉書三嗣主伝孫休に引く吳歷》
- 會稽南部を建安郡と為し、宜都を分けて建平郡を置く《三国志呉書三嗣主伝孫休》
- 是歲、建德縣において大鼎を得る《三国志呉書三嗣主伝孫休に引く吳歷》