28代目スレ 2009/05/10(日)
¶
見渡す限り、地面は灰色をしたモザイクに覆われていた。
空に向かって黒々とした煙が幾筋も上がっている。
地面を埋め尽くすゴミが化学反応を起こして、自然発火しているのだ。
この場所をマニラの地図で探しても、見つけることはできない。
あらゆるゴミが分別もされずに積み上げられ、山となっている。一年中有毒ガスが立ち
こめ、ゴミと一体化したバラックの下では家も親もない子供たちが住み着いている。
人体にも地球環境にも有害なこの場所を、フィリピン政府は何度も撤去した。しかし、
しばらくすれば新たなゴミ山があちこちにできあがるだけだった。
何度かおなじようなことをやった後、フィリピン政府はこのスモーキーマウンテンを
国家の恥としてその存在を無視するようになった。
¶
足場の悪いゴミ山を、
マーズは4本の脚を使ってちょこちょこと昇っていた。
マーズが宇宙船ヴァルストークで作られてから、もう1年以上が経つ。本来のオーナーで
あるカズマ・アーディガンのところを飛び出して、インドに住んでいたシホミおばちゃんか
らも離れて、いまはここフィリピンの首都マニラでゴミ拾いをしている。
にわかに、ゴミ山の麓が騒がしくなった。ボロをきた子供たちが、よろよろと道路に向
かっている。悪くもない脚を引きずったり、流れてもいない涙を拭う素振りを見せている。
舗装もされていない道路の上に、大型のバスが停まっているのが見えた。窓の向こう
に、黄色い肌をした外国人たちがキャッキャとはしゃぎながらカメラを構えている。
海外の旅行会社による、スモーキーマウンテン見学ツアーだ。国家からも黙殺されて
いるゴミ山が、トゥバタハ岩礁海中公園やルソン島やマニラ島のバロック様式教会群と
おなじツアーに組み込まれて観光資源になっているのだから、人間の社会とは歪なものだ。
「おい、お前、なにやってる」
ゴミ山の麓から声をかけられる。
ビーンが、ほかの子供たちとおなじように脚を引きずりながらマーズを見上げていた。
外国人観光客の前で哀れっぽく振る舞えば、お恵みを頂戴できるかもしれない。最近
はガイドが釘を差すことが多いから、100人に1人10ペソコインを投げてくれればいい方だ。
それでも、このゴミ山で1日ゴミ拾いをして稼ぎが30ペソであることを考えれば、「可愛
そうな子供」を演じることにためらいが生まれるはずがない。
「なーに」
「隠れてねえとダメじゃねえか。
あいつら中国人だ。お前、見つかったら食われるぞ」
「え、なんで」
「知らねえのか。中国人は、4本脚のモンなら椅子と机以外なんでも食っちまうんだぞ」
「マジで!」
「マジだって!」
「こえー! チューゴクジンこえー!」
マーズはちょこちょこと歩いて冷蔵庫の陰に隠れた。
¶
拾い集めた金物や段ボールを、街の古物商に売りに行った帰りだった。
10ペソコインを3枚握りしめて、マーズたちはマニラの街を歩いていた。
表通りに近い1件の店の前で、マーズは脚を止めた。薄汚れたショーウィンドウの向こ
うに、古いカメラや世代遅れのコンピュータが並んでいる。
埃っぽい骨董品に囲まれて、ブルーのプロテクターを着たフィギアが立っていた。足元
に置かれたプレートには「クルスタリセイソト」と間違ったカタカナで書かれている。
正確には、クリスタルセイントだ。
白鳥座キグナスの氷河の師匠といえば、水瓶座アクエリアスのカミュと決まっている。
ただし、テレビアニメ版ではクリスタルセイントというパンキッシュな髪型をしたキャ
ラクターが間に入って、氷河はカミュの孫弟子ということにされている。
週刊連載と並行してテレビアニメが作られていた作品には、こういうキャラクターが
よくいる。クリスタルセイントは、テレビ放送が週刊連載に追いつかないために作られた
穴埋めエピソードに登場したキャラクターだった。
問題は、その後氷河とカミュが対決する展開になったときだ。たった数話のエピソード
に登場しただけのキャラクターなんて、いなかったことにすればよかったのに、なぜかそう
はならなかった。結果、原作でカミュを「我が師、我が師」と読んでいた氷河は、「我が
師の師は我が師もおなじ」と、わかったようなわからないような発言を繰り返すことになった。
クリスタルセイントは、企画会議の方針ひとつで存在が吹き飛ぶようなキャラクター
だった。現に、映画版やOVA版ではいなかったことにされることが多い。そういう事情
だから、クリスタルセイントのオモチャは多くない。ショーウィンドウの向こうにある
フィギアも、メイド・イン・ジャパンではなく香港製のニセモノだ。頭が妙に大きいし、
目の表情がどこか虚ろだ。
マーズがこういう、ある種の儚さを抱えたキャラクターに心惹かれるのは、ライフデータ
提供者の中に日本の血が流れているからなのかもしれない。
「なに見てるんだ?」
「これさ、ピカピカして、キレーだよね」
「よせよ」
クリスタルセイントの値段は、5000ペソとある。
1日中ゴミ拾いをして得る報酬が30ペソ、缶コーラが1本20ペソ、潰れかけた屋台で食べ
るパンシットが30ペソ。このあたりがマーズたちが住まう世界の範疇だった。
スーツを着た連中が使うレストランなどではスープ一杯が100ペソほどする。さらに外
国人向けの店ともなると、もう完全に雲の上のことだった。
「お前だって見たことあるだろ?
そいつは、ぶくぶく太ったガイジンがニタニタ笑いながら買ってくモンだ。
俺たち、スラムの負け犬の腹に入るモンなんかじゃねえ」
「ねー、タシザンてわかるかい?」
「ああ、1ペソと1ペソを合わせたら2ペソになるっていうやつだろ?」
「1ペソコインを1万枚集めたら、1万ペソになんだよ」
「よせよ」
ビーンは、少し語気を強めて繰り返す。
マーズがロボットであるということを、ビーンは知らない。話したことはあるが、信
じてもらえなかった。
性能はともかくとして、喋るマネキン程度のロボットならこの国にもある。空港やデ
パートの受付カウンターで作り物の笑顔を浮かべているのがそれだ。大抵は海外の企業
からのリース品で、スモーキーマウンテンにはスクラップすらまわってこない。リース
代だけでも、ビーンの想像をはるかに超えた存在なのだろう。
「前にも、お前みたいのがいたよ。
そいつもやっぱり、両脚がなかった。
お前はどっからちょろまかしてきたのか、そんな義足付けてるけど、
そいつはスケートボードで移動してた」
「これは義足じゃねーんだって」
ビーンは、マーズのことをどこかの養護施設でおかしな義足を付けられた子供だと思っ
ているらしい。
「あるとき、外国のテレビ局があいつに目ぇつけた。
あいつを主役にしたドキュメンタリー番組っていうのが作られて、
あいつはギャラをたくさんもらった。
で、そいつ、いまどうしてると思う?
どうもしてねえよ。もう、いねえもん。いなくなっちまった、どこにもな」
「子役でタイセーしたのは、ミソラヒバリだけなんだってね」
「ミショリャヒャ? なんだそれ」
「よく知んない。おばちゃんがそーゆってた」
「お前、やっぱヘンなこというのな」
ビーンは気に入らないというように唇をとがらせた。
「俺たちは、今日のメシのことだけ考えてりゃいいんだよ。
それ以上のこと考えても、ろくなことにゃならねえんだ」
「でもさ、どーせドロと大して変わんねークイモンのことなんかより、
こーゆーピカピカキレーなもののこと考えてたほーが、
ココロがシアワせな感じがするよ」
「おい、いい加減にしろよ」
ぐいと胸ぐらをつかまれる。
「そう思うのは、お前が3日くらい食わなくても平気だからだろ」
「おれがメシを食うペースを、なんで知ってるんだい」
胸ぐらをつかむ手が、びくと止まった。
マーズは、スモーキーマウンテンの子供たちの前で食事をしたことがない。食わなかっ
た分浮いたカネを、空き瓶に入れて貯めている。そのカネが、たまに減っていることには
気が付いていた。
「べつに、トガメてんじゃねーよ。
あんたとつるむなぁー、けっこーおもしれーし。
その分の料金だと思やぁー」
突き飛ばされる。次の瞬間、ガンと頬を殴られた。
「偉そうなこといってんじゃねえっ!
お前みたいな4本脚が、ほかでマトモに扱ってもらえると思ってんのかっ!」
そのまま、ビーンはマーズに背中を向けて行ってしまった。
¶
その後3日間、ビーンと会うことはなかった。
4日目会ったとき、ビーンの片脚はぐちゃぐちゃに潰れていた。道の上には、大きなタ
イヤが通り過ぎた跡があった。
血まみれの手の中に、ぐしゃぐしゃの100ペソ紙幣が握られていた。
たまに、こういうことがある。カネをちらつかせれば子供が寄ってくるのを面白がって、
悪さをするのだ。
100ペソ、100ペソだ。いい家に生まれていたら、年寄りの肩を5分も叩けばもらえる額
だった。ビーンの場合は、轢かれなければ得ることができなかった。
「ダレか、ダレかぁーっ!」
誰もこない。疲れ果てたような目線が集まるだけだ。
スモーキーマウンテンの子供たちは、その場その場でつるんだりふざけ合ったりする
ことはあっても、分け合ったり助け合ったりすることは絶対にない。下手に助かった
ところで、地獄のような日々が続くだけだと知っているからだ。だから、ここでの平均
寿命はひどく短い。
マーズも、短いながらスモーキーマウンテンで暮らしていた。だからここでのルール
は知っている。
しかし、ほかの子供たちとマーズとでは決定的に違う点があった。
ほかの子供たちは人間で、マーズはロボットだった。
ロボット三原則第1条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険
を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない。
この怪我人を救え。そう判断したのは、マーズ自身の意志ではない。ロボット三原則
から弾き出されたコマンドだった。人間でいえば、本能といってもいい。
「ちっと待ってくれよアシモフせんせー!」
マーズは天に向かって叫んだ。
「考えなおしてくりょーよ!
こいつぁ、どー考えたってここで死んだほーがシアワせじゃねーか!
これイジョーここで生きたって、なんかいーことでもあんのかよ!
ありゃしねー! ありゃしねーよそんなもん!
そんなの、わかりきったことじゃねーか!
そぃでも助けろっちゅーのかよ、このニンゲンを!」
もう一度判断回路を走らせる。結論は変わらない。
ロボット三原則を考案したアイザック・アシモフは、超常現象の類をいっさい否定する
合理主義者であったとされている。ただし、頑固な人道主義者でもあった。ひとの死を、
忌避するという以外の選択肢を与えてくれない。
「あー、そーかいそーかい!」
マーズは地団駄を踏みながら喚き散らした。
「やるよやるよ、やってやらぁー!
スクッてやろーじゃねーか! ニンゲンをよぉーっ!
でもよぉー、ヒトひとりスクうってなぁー、どんぐれーのことかわかってんのか!」
まず、怪我の治療をしなくてはならない。当然、ビーンは健康保険なんかに入っていな
い。仮に入っていたとしても、この国の公的医療制度なんてママゴトみたいなものだ。
治療に必要なカネがない。運良くどこかのボランティア団体に拾わせても、ストリート
チルドレン生活に慣れすぎたビーンは入院生活に耐えられないだろう。すぐにスモーキー
マウンテンに戻ってきてしまう。
スモーキーマウンテンにはゴミ拾いをする子供たちがいて、スリや引ったくりたちに上前
をはねられる。その上には高利貸しやユスリ屋、タカリ屋がいて、さらにその上には元締め
がいて、マフィアがいて、警官や政治家がいる。
スモーキーマウンテンが存在している限り、スモーキーマウンテンのヒエラルキーから逃
れることはできない。そして、貧しさと犯罪の連鎖の中にいる限り、遠からずビーンはおな
じ目に遭う。いつか死ぬ。確実に死ぬ。
「死ぬとわかっててほーり出すなぁー、ミゴロシと変わらねーじゃねーか!
ヒトひとりが生きてくにゃー、メシがいる、屋根がいる、着るモンがいる!
ビーンはよ、そーゆーの1コも持ってねーんだぞ!
ひとヒトリ生かすってなぁーな、ハンパじゃねーんだ!」
結局、スモーキーマウンテンだ。このゴミ山が存在している限り、ビーンの命は何度でも脅かされる。
マーズはぐいと腕を突きだした。指先に触れたものを、つかむ。潰れたプラスチック容
器だった。真っ黒に汚れていて、汚水がぽたぽたと滴り落ちている。
5秒ほど、じっとゴミを見つめる。喉の奥にこみあげる唾を、ごくりと飲み込む。腕が
ぶるぶると震える。手首から先の感覚がない。
意を決して、ぎゅっと目を固くつむる。ゴミを持ち上げる。口をあんぐりとあける。つ
まみ上げたゴミから指を離す。ゴミが喉の奥に落ちてくる。
頭蓋骨いっぱいにアラート音が響き渡った。味覚はない。どうして先に嗅覚をカットし
ておかなかったのかと後悔する。異物を跳ね返そうと動き出す喉を、必死で制御する。目
玉から涙、いや洗浄液が流れ出す。
無理矢理飲み込んだ。
ゴミが胃袋に着く。同時に自己診断プログラムを走らせる。自分の腹の中で起こってい
ることを詳細にリサーチする。
マーズは、もともと宇宙での運用を想定して作られている。宇宙、とくにマーズが作ら
れたヴァルストークという船では、食料は非常に貴重なものだった。だからマーズは、そ
の気になれば生ゴミだろうとプラスチックだろうとコンクリートだろうとエネルギーに変
換することができる。普段しないのは、マーズの中にインストールされた人格プログラム
が邪魔をしているだけだ。
バカめ、バカめバカめ。マーズは自分自身を罵倒する。
自分はロボットだ。人間ではない。人格なんか必要ないし、人間としての尊厳なんか持
っていてもなんの得にもならない。中途半端にプライドなんか持っていたから、1日30ペソ
のゴミ拾いの身に甘んじる羽目になった。
なりふりなんていらない。ためらいなんて、捨てるべきだ。捨てなくてはいけないものだ。
父も祖父も、誇り高い人間であったと聞いている。知ったことか。誇りが邪魔になる
なら、そんなものはドブに捨ててやる。
予想通り、消化プロセスにはブラックボックスが多かった。
マーズの母体となったキャレットの基本設計には、ブレスフィールド・アーディガンが
関わっている。人間のありのままの姿を愛した祖父のことだから、みだりにオーバーテク
ノロジーがまき散らされないように手を打っていたに違いない。
祖父の哲学について、特に思うことはない。もともと、得体の知れないオーバーテクノ
ロジーは極力使わないと決めていた。
ザ・データベースにアクセスする。年代を絞り込んで、置換可能な技術を検索する。片
手間に、仕掛けをひとつ加える。
「潰す」
マーズはゴミ山を見上げた。睨みつける。
「ぶっ潰してやる」
¶
フィリピン政府環境管理局の前まで来ると、案の定銃を向けられた。
データを送りつけて、取りあえず一度話をしたいというので出向いてみれば、これだ。
「局長にハナシとーしな。
タカの孫でトンビの子のハゲタカが来たってよ」
建物に入る前に、バケツで三杯分の水を頭からかけられた。
薄茶色の髪からぽたぽたと雫を落としながら、マーズは局長室に入っていった。
初老の男が、ぎょっと目を見開いてマーズを出迎える。
無理もない。どんな科学者がやって来るかと思えば、真っ黒に汚れたシャツを着た4本
脚のロボットが来てしまったのだ。
「君のオーナーはどうした」
「おれのオーナーだったら、今ごろ冥王星あたりをフラフラ飛んでんよ。
そいつぁカンケーねー。
この件は、おれがひとりでやってんだよ」
フィリピン政府環境管理局局長は、なおもいぶかしげな表情をくずさない。
「本当に、これを君が?」
執務机の上には、大きな図面が何枚も重なっている。マーズが送りつけた、リサイクル
プラントの設計図だ。広大な工場並のサイズになっていた。出来損ないとはいえ始原文明
エスの技術の結晶であるマーズの腹の中で行われていることを、今回の意図に従って再現
すると、こうなる。
「しかし、本当にこんなものが可能なのか」
「疑うんなら、マオ社でもイスルギでもウォン重工業でも、好きなトコに訊ーてみな。
ずいぶん時代遅れだけども、できるこたー、まーできるでしょーとゆわれるだろーよ」
「時代遅れ?」
「50年から100年前の技術使ってるかんね」
「100年前というのは」
「リサイクルってやつぁー、コストもかかっし技術力もヒツヨーなモンだよ。
だから、そーゆーハードルがなるったけ低ぃー仕様にしてあんだ。
特許の有効期間てなぁー、だいたい20年前後でしょ?
その図面にある技術ぁ、だいたいゼンブ特許使用料フリーってわけ」
「しかし、いくらなんでも古すぎるのでは」
「おじさん、宇宙行ったことある?」
「新婚旅行で、月に」
「なんとなくソーゾーつくと思うけど、宇宙ってとかぁーカコクなカンキョーなのさ。
蛍光灯のストックが切れたからとゆって、ひとっ走り地球に買いに行くなんてマネできるわけねーだろ?
小物も服も、ウンコもオシッコも、ぜーんぶリサイクルすんのがゼンテーなわけ。
初期のコロニー移民の生活なんて、ミジメなもんよ。
ゴミになるばっかでヒツヨーもねー小物は持ち込みキンシ、
再生繊維の服しか着れねーし、トイレットペーパーの使用もキンシだったんだってよ」
「聞いたことはあるが」
「ジンルイ最初の密閉型コロニー"エルピス"がケンゾーされたのが新西暦075年、
ノゾミ事件っつって、コロニーの独立自治を訴えたテロが起こり始めたのが新西暦157年。
この間で、ニンゲンがセーカツしてく上でヒツヨーなリサイクルシステムはほぼ完成してんのよ。
でねーと、地球からの独立なんざー考えらんねーでしょ?
技術的にも、このあたりのが一番クールだね。
それ以降は、退化してるっつってもいーくれーだよ」
マーズは執務机の上によじ登って、局長の顔を正面から睨みつけた。
「いま、新西暦何年だと思ってんのさ。
地球の文明レベルからすりゃー、スモーキーマウンテンなんちゅーくだんねーモンは、
とっくの昔になくなってねーといけねーんだよ」
「それは」
局長が顔をしかめる。
「我が国とて、いろいろ」
「わかってんよ。
あんたらは、たかだかゴミ山のために国の予算使うのがめんどくさくなっちまったんだろ?」
「いや、それは」
「リサイクル政策なんざーぶちあげても、
どーせ外国のカイシャが出しゃばってきて、カネの人材も外に流れっちまうだけだもんね。
そんくれーならって、あんたらは目ぇソラすことをセンタクしたんだ」
マーズはずいと局長に顔を近づけた。
「長年国家の恥だったゴミ山をなくせるんだよ?
しかも、自分のトコだけでやったってんなら、国際社会でもでけーツラできる。
あんた、上手いことすりゃーキョーカショに載れるよ?」
局長はハンカチを出して額に浮かぶ汗を拭いた。ハンカチの端には海外ブランドのロゴ
マークが刺繍されている。あのハンカチひとつで、スモーキーマウンテンの子供たちは
1ヶ月食べていけるだろう。
「さ、どーすんの。受けんの、受けねーの。
おれはどっちだっていーんだよ。
似たよーなモンダイ抱えてるクニなら、ほかにいくらだってあるんだからよぉー」
言葉を重ねて追い打ちをかける。
局長が小さな黒目をきょろきょろと動かした。
「もう一度確認するが」
「なんだい」
「君は、本当にオーナーがいないんだな?」
「そーだっつってんじゃん」
「そうか」
突然後ろのドアが開いて、屈強な男たちが入ってきた。両腕をつかまれる。成人男性
2人分ほどの重量があるマーズでも、腕力はそれほど強くない。まして、大の男数人の前
には抵抗のしようがなかった。頭を床の上に押し付けられる。
「なんのつもりだ、こいつぁー!」
「協力は感謝する。しかし、我が国としては、
君のような子供型ロボットのいうことを聞いたと思われるわけにはいかないのだ」
この国は、面子のためにスモーキーマウンテンの存在を黙殺した。面子のためにリサイ
クル政策を放棄した。そして今度は、面子のためにマーズの存在を抹消しようというのか。
「ひひひひひ!」
ほとんど無意識に発した奇声に、室内にいた者たちがひとり残らずびくりと硬直する。
マーズにとって面白い発見だった。なるほど、人間はこういう反応をするのか。
「ニホンのコトバにさ、十人十色ってのがあるんだ。
うめーことゆーよな、おばーちゃんのごセンゾはさ。
ニンゲンのリアクションなんざ、ひとりにつき1色がいーとこだ。
おれが、こーならねーことを予想してねーとでも思うのかよぉーっ!」
「なにを隠している」
「だいたいゼンブ特許使用料フリーとゆったよね?
だいたいゼンブってなぁー、ゼンブたぁー、ちっと違ぇーよな」
局長はあたふたと図面を見直し始めた。意味のない行為だ。この男は、技術者でも科学
者でもない。
「3枚目を見てみな。アスファルト合材の調整モジュールに関する特許について書いてあんよ」
「なんだ、これは」
「おれはニンゲンの命令に逆らえねーからね。
その特許がおれのモンなら、寄こせとゆわれて逆らうこたぁーできねーよ。
でも、おれのじゃねーもん」
局長の顔が真っ赤に膨れ上がった。
「誰だ、これはッ!」
「セイル・ビーン。ケソン出身、いまはスモーキーマウンテンの端で死にゾコなってんよ」
調べた結果、ビーンが養護施設で戸籍をもらっていたのは運がよかった。ほかの手段
となると、少し費用がつく。
「孤児などに、こんな発明ができるはずがない!」
「そーだね、できねーし、してねーよ。
でもさ、じゃ、誰がこんな発明したのかとゆーと、わかってねーんだ。
だって、似たよーな時期に似たよーな発明したひと、たくさんいたし。
そーゆー技術って、けっこー誰も特許登録してねーんだよね」
「通るか、こんなものが!」
「うるせーな。モンクゆーなら、審査がザルなこの国の特許庁にゆえよ」
「モジュールのひとつくらい」
「自前で用意できるって?
ひひひひひ、あーあー、やってやれねーこともねーよ。
どーせおれなんざー、既存の技術を組み合わせることくれーしかできねーからね。
でもよ、ちぃーっとややこしー組み合わせしてあるんだ。
こいつを設計できるジンザイっちゅーと、もー外国企業に囲われてんよ。
さーさー、ちぃーっとサンスーしてみよーか。
外国企業相手に交渉すんのと、ストリートチルドレンにいくらか渡すのと、
安上がりで済むなぁーどっちよ」
「ストリートチルドレンなどに」
「向こーも、それほど善良なニンゲンじゃねーからね。
せーぜー吹っかけて来るだろーけど、どーせストリートチルドレンの経済感覚さ。
クイモノと住むトコと治療費、こんくれーだよ。
いままでサンザンガキども見捨ててきたんだ、そんくれー払ったれよ!」
局長が忌々しげに舌打ちをした。
「さー、セイル・ビーンをスクってこい!」
出がけの駄賃だとばかりに、局長はマーズの顔面を蹴りつけていった。
¶
結局、マーズの懐にはほとんど入ってこなかった。
アメリカあたりに渡って、部屋をひとつ借りれば無くなってしまう程度の額だ。
システムを設計したのは、どこかの役人の子で、アメリカに留学したきりドラッグにはまって
帰ってこない大学院生がしたものということにされた。
リサイクルプラントの建設は、驚くほど早く開始された。
スモーキーマウンテンは金網で囲まれ、ヘルメットをした男たちが作業をしている。
ビーンは、もういない。街の病院に運び込まれたと聞いているけれど、連絡は一度もない。
だいたい予想していたことだ。幸運に恵まれてスモーキーマウンテンから抜け出す子供
は、たまにいる。そういう子供は、二度とスモーキーマウンテンに近づかない。ストリー
トチルドレンであったころのことを、なかったことにしてしまう。
ガンと、後頭部を衝撃に襲われた。マーズの握り拳ほどもある石が、ぼとりと地面に落ちる。
「お前の仕業かッ!?」
スモーキーマウンテンで寝起きしていた子供たちが、怒りを露わにして並んでいた。
工事が始まったいま、ストリートチルドレンたちは全員スモーキーマウンテンから追
い出された。住み着いていたバラックも、ついさっき潰された。いや、潰した。マーズが
自分で作業者に指示を出して、潰させた。
甲高い怒号と一緒に、大小様々な石がマーズ目がけて飛んでくる。
「なんてことしやがる!」
「なんでスモーキーマウンテンをなくした!」
「俺たち、明日からどこで寝ればいいんだ!」
「なにをして食い物を手に入れればいいんだ!」
「受け入れてやった恩も忘れて!」
「4本脚のバケモノめッ!」
「うるせーぞ、ドサンピンどもがぁーっ!」
マーズの一喝に、子供たちがシンと静まりかえる。
「散れ! 散れっ! 行け行け、行っちまえっ!
どーせ、シゴトなんざーホカにいくらでもあんだろーが!
どこ行ったって、ココよりはましだろーよ!
よぉーくわかった!
てめーらビンボー人とつるんでも、おれにゃーいーことなんざぁイッコもねー!
ソンするし、つかれるし、いてーし、しんどいだけだ!
おやじのトモダチにゃーシニガミがいたっちゅーけど、おれぁーそんなもんいらねー!
むしろトモダチなんざーいらねーや!
あっち行け! ばーかばーか! あっかんべーっ!」
たとえその日の食事には困っても、長期的な視点から見ればスモーキーマウンテンを
なくすのは彼らのためだ。ロボット三原則はそう判断した。
だから、罪悪感なんかない。自分はロボットだ。未練もない。もちろん痛みなんか感じ
ないし、涙なんて流れるはずがない。
¶
スパイスの臭いが立ちこめる裏通りを、マーズはひとり歩いていた。
(弱者はどこまでも踏みにじられる。
こんな星に、守るべき価値があるのか・・・・・・?)
「なんだい、おじさん」
(お前は地球人に絶望しないのか)
「ウチュージンみてーなことをゆーんだね」
(おれは異星人だ)
「ふーん、あ、そー。おれぁー先史文明のオトシゴだよ」
薄くオレンジがかった不思議な色の髪をした男が、腕組みをして料理店の壁にもたれか
かっていた。
「ゼツボーするもしねーも、おれぁーハナからニンゲンにキボーなんざ持っちゃいねーよ。
信じるかどーかはそっちのカッテだけど、おれのアタマん中にゃー
有史以来のニンゲンのレキシとゆーもんが入ってんだ。
ニンゲンは、いつでもどこでもケチでズルくて自分勝手でキョーボーなイキモンさ」
(俺にも、そう考えていた時期があった)
「おじさん、イセージンかどーかはともかく、ロボットじゃなさそーだね」
(異星人だ)
「チキュージンにゼツボーして、コロシに走ったりしなかったの?
ショージキおれぁー、ロボじゃなかったら5、6人コロしてたと思うよ」
(俺は、出会いに恵まれたからな)
「ふーん、あっ、そー」
(どこに行く)
「あんたがいねーとこ」
(なんだ、急に)
「ネタマしーんだよ」
(どこに向かうつもりだ、これから)
「さー」
マーズは横を見上げた。ショーウィンドウの向こうに、いつか見たクリスタルセイント
のフィギアが鎮座している。
「イマんとこ、おれがニンゲンシャカイで気に入ってんなぁー、
メイドインジャパンのオモチャだけだよ。
オモチャがいっぱいある国に行こーかな。
今回のこたぁー、あんまカネにゃーなんなかったけど、経験値にゃーなったよ。
ニンゲン相手の交渉の仕方はだいたいわかった。
次は、利益に繋げちゃる」
(お前が、いい出会いに恵まれることを祈っている)
「意味ねーよ、イノリなんざー」
ついと、男は人差し指を北に向けた。
「なーに?」
("神の石"が告げている。
この方向に、お前にとっていい土地がある)
「それって、メイレイかい?」
(いいや、ただの助言だ)
「だったら、従う義理ぁーねーや」
べえと舌を突きだして、マーズは南に足を向けた。
マーズは、今度2歳になる。
最終更新:2009年10月17日 12:46