29代目スレ 2009/08/02(日)
◆
入札会場となったのは、ウォール街の片隅に建つホテルの二階、本来はパーティ会場
として用意されている広大なホールだった。ぴかぴかに磨き上げられた大理石の床やしゃ
ちほこばったシャンデリア、新進の現代アートで飾られた空間に、いまは素っ気の
ない長机とパイプ椅子がコの字型に置かれている。
「それでは、お手元の条件でご了承いただけるのであれば、代表者2人連盟で署名捺印してください」
上座に座っている弁護士が静かな声で告げてホールの中を見渡す。
「その前に、よろしいでしょうか」
ロームフェラ財団側の席に着いていた男が手を挙げる。
「私共は先に亡くなられたデルマイユ侯爵のご子息から委任状を頂いております。
そこで、そちらの『レッドアース・キャピタル』はデルマイユ食品創業者一族との間で
結んだ約束事をいっさい守らず、
デルマイユ食品のため断腸の思いで退陣された同一族に対して」
「異議あり!」
『レッドアース・キャピタル』側の席に座る、焦茶色の髪をした青年が手を挙げる。
「本日の入札はデルマイユ食品の適正価格を扱うもので、
そちらのおっしゃることは本件とは無関係では」
「異議を却下します」
続けろ、と弁護士がロームフェラ財団側の男に目線で促す。
「『レッドアース・キャピタル』は創業者一族の退陣と引き替えに相当額の退職金を支払うという約束を果たさず、
のみならず、同一族があたかも企業を私物化していたかのような風評を流し、
同一族の名誉を著しく毀損した疑いがあります。
先の異議のとおり、このことは本日の入札と直接の関係はないものの、
デルマイユ食品を託すにふさわしい人物は誰か、ということについて参考意見として述べさせていただきました」
「なにか異議は」
焦茶色の髪をした青年が歯噛みをしながら身を乗り出すものの、
弁護士の目線を受けて不承不承という顔で頷く。
「いえ」
「それでは、入札を開始します」
「1億3000万」
「1億4000万」
「では、裏付けとなる保証書の提示を」
ネットオークションでコンサートのチケットを競り落とすのとはわけが違う。経営体制
はズタボロになったとはいえ、100年以上の歴史を誇る食品会社を買収するのだ。入札額
をいたずらに吊り上げ、取り引きそのものを台無しにしてしまうようなことがないよう、
入札と同時に資金の出所を明確にすべし、というのがこの場でのルールだった。
「結構です。それでは」
「1億5000万」
ロームフェラ財団側の宣言を聞いて、青年がにわかにおどおどとし始めた。あたりを
きょろきょろと見まわし、こちらを振り向こうとすらする。
舌打ちをしそうになるのを、必死でこらえた。
眼球のユニットから、青年が持つPDAに向かって赤外線を撃つ。青年は液晶画面を
しばらく見つめると、おそるおそるというふうに弁護士に向かって手を挙げた。
「あのう」
「なにか」
「先ほど入札されたロームフェラさんですが、
ひょっとして、資金の出所として銀行からのローン以外に、
タウンゼント証券のジャンク債を提示されているのではないでしょうか」
資金の出所は守秘義務に含まれる。弁護士は無言のまま青年を見返した。
「ええっと、そのですね、そのタウンゼント証券なんですが、
ここ三ヶ月で鷺や証券法違反の行為があったという疑いが5件、
投資家から説明義務違反を問われての民事訴訟を7件抱えております。
先ほど先方が仰っておられた、
デルマイユ食品の未来を託すにふさわしい資格というものを考慮するにあたり参考情報として」
「わかりました」
弁護士がぺこりと頭を下げる。
「あっ、あの、こちらの入札額は1億7000万ドルです」
「では、しばらくお待ちください。審議に入ります」
ドカッと、ロームフェラ財団側の誰かが椅子を蹴る音がした。
◆
一時間ほどの審議の後、ロームフェラ財団側の入札額は無効とされた。
この時点をもって、デルマイユ食品の経営権は『レッドアース・キャピタル』
へと委譲されることが決定した。
足音も荒くホールから出て行こうとするロームフェラ財団側の人間の中で、
たったひとり、こちらに歩み寄ってくる男がいた。背がひょろりと高く、
くすんだ金髪をしている。
「讃えさせてもらえないかい?」
「あっ、あの」
握手の形に突き出された手を前に、青年があたふたと両手をズボンの擦りつける。
「いや、君じゃない」
くすんだ金髪をした男の目線は、青年をすり抜けてその後ろに向かっていた。
「うしろにいる、雛だよ」
「いっひひひひひひひ!」
マーズは4本の脚をガチャガチャと動かして大理石の上を歩いた。
ナード系の若手社長が、寝るときも取り引き場所にも連れて歩く風変わりな人形。
『レッドアース・キャピタル』の社員までもがマーズのことをそう思っている。ウォール
街に現れて以来、半年足らずでバルチャー・ビジネスの雄と呼ばれるようになった立志伝中
の人物が、まさかラスベガスで素寒貧になってトイレで首をくくろうとしていた役者くずれ
だとは、誰も知らない。
マーズが、ギャラガーという青年を傀儡に選んだことに大した理由はない。強いて挙げれば、
役者志望だっただけあってそれなりに顔が整っていたからだという程度だ。4本脚の自分が
表に出ればろくなことにならないと、マーズは2年ほどの人生で学習していた。
「ハジメましてになんのかなー、ホリス・ホライアン旧OZ情報局特務調査隊所属一級特尉。
おじちゃんて呼んでやろーか」
「構わないよ。今は僕も、アーディガンだからね」
自称ホリス・アーディガンは、どこか誇らしげに宣言する。
「ふんっ。だったら呼ばねーよ。
おれぁーアーディガンじゃねーもの」
ホリス・ホライアンが、紅茶のような色をした瞳に笑みを浮かべるのが気に食わなか
った。いったい、アカネ・アーディガンはこんな胡散臭い男のなにがよくて結婚したのだろう。
◆
ニューヨーク、ブロンクスの片隅にある古びたホテルの最上階がマーズの事務所兼
ネグラだった。もう少しまともなオフィスを構えればいいのにとビジネスパートナーのギャラ
ガーはいうが、生まれのせいか育ちのせいか、マーズはゴミゴミしたところの方が好きだった。
マーズは、2歳になったばかりだった。
フィリピンで小金を稼いだマーズは、その脚でアメリカに渡って商売を始めた。経過は上々
だった。人間という生き物は、意外なほど社会経済学や群衆心理学のとおりに動く。
「ご活躍のようだね」
ホリスはワイングラスに口を付けて、マーズの気に食わない薄笑いを浮かべる。
「ふんっ!」
このホテル自体、マーズが債権を買い取って自分のものにした物件だ。事務所兼ネグラは、
マーズの好きなものばかりで埋め尽くしてある。聖闘士聖衣神話シリーズの水晶聖闘士も、
テレビ放送当時懸賞でしか手に入れられなかった教皇アーレス玉座付きフィギアも、
セルビデオもレーザーディスクも、ゴミ拾いをして暮らしていたころには切れ端だって
手に入らないものばかりだった。
「ジョーダンじゃねーや。
ホンライなら、おれがデルマイユ食品の債権ゼンブ買い取ったジテンで買収は終わってんだ。
従業員組合執行部からの委任状も、組合員の同意書も、ぜーんぶそろってんだよ。
それを、侯爵だかなんだか知んねーけど、
ジジィババァがぎゃあぎゃあ騒いで、ロームフェラ財団の連中まで連れ出し来やがった。
おかげでおれぁー、払わねーでもいーカネ1億7000万ドルもドブに捨てる羽目になっちまったよ。
今日の入札に漕ぎ着けられたジテンで、おれの負けなんだよ」
フライドチキンを手づかみにして、むしゃりとやる。味覚はなくとも、肉に歯を突き立て、
ぼたぼたとこぼれる肉汁を舐め、残った骨をクチャクチャとしゃぶるのが、マーズは大好き
だった。それから、コーラだ。炭酸が口の中でシュワシュワと弾けるのが、なんとも面白い。
「カズマさんに連絡しないんですか?」
ホリスは静かな口調だった。
「ぺっ」
「作って半年もしないうちに出て行かれたと、ずいぶん心配なされてるんですよ」
「知ったこっちゃねーよ」
「シホミさんのところも飛び出してしまったというし」
「あ~、あのクニぁー、ダメだ」
「いままで、どこでなにをされていたんですか?」
「どこだっていーだろ」
マーズはじろりとホリスの顔を睨め上げた。
「あんたはどーなんだよ。
いまさら、ロームフェラ財団にサトガエリかい?」
「いいえ。今回は昔の知り合いに頼まれて、手伝いをしていただけです」
「フーン、ヤシナうカゾクのいるヒトぁータイヘンだね。
おやじにツメの垢でも飲ませたりてーよ」
「家族なら、いらっしゃるじゃないですか」
「ガレントじーさんなら、もートシだから引退したそーだよ」
「いや、あなたが」
「おいおい」
ガタンと、マーズはテーブルの上にメカニカルな脚を置いた。
「こいつが見えねーのかい。おれぁーロボットなんだよ。
や、アンドロイドだったかな。テイギがよくわかんねーから、どっちだっていーや。
とにかく、おれぁーヒトじゃねーの、モノなの、備品なの!
カゾクってなぁー、木の股から生まれてくるモンじゃねーだろーがよ!」
ホリスは落ち着き払った顔で料理を口に運んでいる。
「本当に備品として作ったのなら、
カズマさんはあなたに自分のライフデータを組み込んだりなんかしませんよ」
「知ったこっちゃねーよ。
ヴァルストークでぼっちになっちまって、ヒトコイしかっただけじゃねーの」
「アーディガンというのはね、誇り高い血統ですよ」
「気に食わねー口の聞き方だな。
まるでおれがワルさしてるみてーじゃねーか」
「デルマイユ侯爵は」
「ゴールデンパラシュートのことなら、ありゃー白紙委任状とヒキカエだってハナシだったんだよ。
出すモン出さねーで、カネだけ寄こせなんてムチャがとーるかよ」
ゴールデンパラシュートとは、買収を仕掛けたい企業の役員に対して支払う報酬のことだ。
簡単にいえば、裏切り者に渡す金貨のようなものだ。
「デルマイユ侯爵一族に経営者の手腕があったとはいいません。
しかし、あなたの、懐柔から始めて追い込みにかかるこれは、
アーディガンの流儀ではありません」
ダン、とマーズはテーブルを蹴飛ばした。
「聞ーたふーなクチきーてんじゃねーぞ、このムコヨーシが!
ジブンはセイレンケッパクでございみてーなツラしてんじゃねー!
OZ情報局時代にやってたコトをアカネおばちゃんにぶちまけてやったっていーんだぞ!」
「構いませんよ」
ホリスはフォークを静かに置く。
「私の過去のことなら、すべてアカネさんに伝えてあります」
「幼児相手にミョーなノロケかたしてんじゃねーよ」
「私はね、アーディガンという名前に敬意を持っているんです。
だからこそ、アーディガンの一員になったいま、
その名に恥じない行動を心がけ、妻もそれを受け入れてくれています」
「アーディガンじゃねーおれにゃー、カンケーのねーハナシだ」
「シホミさんが、どうしてあなたに『聖闘士星矢』のことしか教えなかったかわかりますか」
「『サムライトルーパー』まで手がまわらなかったんじゃねーの」
「アーディガンの魂は、言葉で紡がれるものではないからです」
「出てけよ、おれぁーアーディガンじゃねーっつってんだろーがよ!」
ホリスは、またマーズの気に食わない笑い方をしながら席を立った。
「しかしね、マーズさん。私が見たあなたは、まぎれもなくアーディガンですよ」
「失せろ!」
マーズはコーラの瓶をドアに投げつけた。
◆
気に入らない。なにもかも気に入らない。
マーズは、アーディガンという名前が嫌いだった。とりわけ、自分を組み上げたカズマ・
アーディガンのことは商売人としていっさい認めていなかった。
カズマ・アーディガンは気分屋だ。その場の状況に流されて値引きはするし、ときには
ただ働きまでする。考えられない。この生き馬の目を抜く世界で、あんなやり方をして
いてはいずれ破滅するだけだ。
そのくせ、カズマ・アーディガンはいつも満ち足りたような笑顔を浮かべている。それ
がなおさら気に食わない。あの笑みを見るたびに、自分はしょせん作り物でありロボット
であり半端物であると思い知らされるようで、たまらなく苛ついた。
「マーズ」
ソファにひっくり返って経済誌の記事をダウンロードしていると、ギャラガーに声
をかけられた。
「次の案件なんだけど」
「デルマイユからぶん取ったリゾートホテルだったら、
地元の観光会社が欲しがってっからウマイこと吹っかけて売ってやんな。
あすこで売りモンになんのはあのホテルくれーだったから、あとぁーテキトーにショブンしちゃっていーや。
あー、そだ。そろそろ最上重工に工作しかけてこーか」
「いや、そうじゃなくて」
ギャラガーが、一生懸命描いた作文を提出する子供のような顔をしてひと束の書類を
差し出していた。文書ソフトのテンプレートをそのまま使ったような書体は、一応企画書
のつもりらしい。『バイアウト対象』の欄には、『
L&Eコーポレーション』という社名があった。
「あ、ヤダ。ここぁヤダ」
主要取引先にマオ社の名前を見るなり、マーズは企画書を投げ捨てた。
「どうしてだ。僕の調査によると、ここは規模の割に妙に利益率が高くて」
「マオ社絡みじゃねーか。関わり合いになりたくねーよ」
「なにをいっているんだ、ロームフェラ財団相手に一歩も退かない君が!」
4本脚のマーズは、4本脚のものなら椅子と机以外なんでも食べるという中国人に対して
本能的といってもいいほどの恐怖感を持っていた。従って、中国系企業であるマオ社の
こともなんとなく苦手だった。
しかし、ギャラガー相手に自分の弱点を晒してやる気にはならない。
「ロームフェラ財団ってなぁー歴史が古ぃーだけあってデータが集めやしーの。
ここ、見てみろよ。設立から20年も経たねー小っちゃな会社じゃねーか。
しかも、副社長がラージ・モントーヤで、社長夫人がミズホ・グレーデンだ?
なんとかエンジンとか換装システムとか作ってる研究者じゃねーか。
大方、ここぁー研究者が発明の権利取りっぱぐれねーためにこしらえた会社だろーよ。
チョッカイ出したらマオ社の弁護士がすっ飛んで来るに決まってらー」
「マーズ、僕だって君と会ってからずいぶん勉強したんだ!」
しつこく食い下がってくるギャラガーに、マーズは隠しもせずに舌打ちをした。
「だったらいー加減ガクシューしろぃ。
ハゲタカの獲物に求められる条件その一、事実上経営破綻してて、その負債がひとつどころに手中してるコト。
その二、目当ての部門に関しちゃ売上が堅調なコト、
その三、しょーもねー副業に精出しちまってるコト、
その四、家族経営とか、攻めドコがハッキリしてるコト、
その五、社内で内紛が起こってるコト。
経営不振なわけでもなんでもねー、
従業員5名のうち4人が兄妹夫婦じゃー寝返りをネラえるとも思えねー、
しかもマオ社のバック付きだ。
こんなしちめんどくせーとこに手ぇー出すメリットがあるってんならゆってみろぃ」
「でも、L&Eはマオ社の子会社というわけじゃない。
たぶん、研究員が独立して作った会社なんだろう。
こんな小さなところを攻めたくらいで、マオ社が出てくると決まったわけじゃ」
「あのよ、おれらぁーファンドってなぁー、
投資家からカネ預かって、増やして返さにゃーなんねーの。
返せなかったら、どーよ、てめーが100人クビくくったって追っつかねーぞ。
あぶねー橋なんざーホイホイ渡りたくねーよ」
「でも」
ギャラガーが、ぐっと握り拳を固めるのが見えた。
「僕は、挑戦がしたい」
「ギャラガー、ギャラガー、ギャぁラガぁ~。
てめーの分ってモンを忘れてねーか。
おれぁーてめーにアドバイザー料なんざー払った覚えはねーぞ。
いーから、ブログにカリスマ社長っぽいこと書いてりゃーいーんだよ」
「キョウスケ・ナンブなら、カイ・キタムラなら、
アラド・バランガなら!
こういうときに引き下がったりなんかしない!」
ギャラガーが口にした名前をデータの中で見つけるなり、マーズは机を殴りつけた。
「ふざけんじゃねーぞてめーっ!
そりゃーグンジンの名前じゃねーか!
ビジネスマンがヒトゴロシに憧れてんじゃねーよ!」
「マーズ! 僕は人形じゃない、人間なんだ!」
「アイニクおれぁーてめーを人形として雇ったんだ、ばーか!」
今日は、星占いの結果でも悪いのだろうか。マーズにとって苛立つようなことばかりが起こる。
◆
よほど急を要する用件でない限り、マーズはホテルの部屋から出ない。
「あー、そーだよ。
そこのホテルに最上重工の常務サンがいっから、ランチしてきなー。
そこぁー後継者に恵まれてねーってヒョーバンだから、いまのうちに引っ張りこんどくんだ」
通信を終えて、ソファの上にひっくり返る。脚が4本もあるマーズはまともに座ること
ができず、いつもひっくり返るような姿勢になってしまう。
一時停止にしていたテレビの映像を再び動かした。
『俺は立ち上がるぞ、何度でも何度でも』
『行け、行くんだ星矢』
『俺たちの小宇宙をお前に』
『あたしの命をあんたに上げるから』
『聖闘士星矢』ポセイドン編の映像だった。射手座の黄金聖衣をまとったペガサス星矢
が、胸に深々と突き刺さった矢を引き抜いて弓につがえる。現在のゴールデンタイムでは
放映できないような真っ赤な血がぼたぼたと石畳に落ちる。傷だらけのドラゴン紫龍が、
キグナス氷河が、蛇遣い座オピュクスが星矢を後ろから支える。立ち向かうのは、強大な
小宇宙をもつ神である海王ポセイドンだ。
セルアニメ独特の、どこか歪んだ線で描かれたペガサス星矢の鬼気迫る表情が画面を
覆い尽くす。
マーズは、このシーンが大好きだった。
ペガサス星矢は、不屈のスーパーヒーローだ。
聖闘士の中でも最下級の青銅に属するペガサス星矢が戦うのは、いつも格上の相手だ。
圧倒的な実力差に、星矢はいつもズタボロにやられてしまう。それでも、星矢は絶対に
諦めない。どんなにやられても、何度でも何度でも立ち上がって、最後には必ず勝つ。
星矢の後ろには、いつも血を分けた兄弟や、かつて強敵だった親友や、師匠や、ヒロイン
がいる。どれひとつ取っても、マーズは持ち合わせていないものだった。
「あー、セーヤは、いーなー、カッコいーなー」
ピリリと、コメカミのあたりから着信音がした。ギャラガーからの通信だった。
「あんだよ、おれのヘヴンタイムに」
『マーズ、いまから、いいか』
「ヤダよめんどくせー」
『5分後、そちらに行く』
「なんだっての」
返事もなしに、ギャラガーからの通信は切れた。
◆
ギャラガーは、ひとりではなかった。スーツ姿のビジネスマンを、後ろにぞろぞろと
引き連れている。うち何人かは、『レッドアース・キャピタル』の役員たちだった。
「あんだよ、ガンクビそろえて」
「マーズ、君を解任する」
「わけのわかんねーことゆってねーで、仕事に戻れよ、てめー」
「冗談ごとじゃないんだ」
ギャラガーがどこか強張った顔で一歩前に進み出る。
「タダとはいわない。
1億ドルの退職金を払うし、退職後の守秘義務も同業への就労禁止も求めない。
できることなら、君には業界に残って欲しい」
「なにをゆってんのかわかんねーな。
法的にゃ、おれぁー社長室に置かれてるヘンテコなオキモノでしかねーんだぞ。
オキモノ相手に退職金払うなんざー、カリスマ社長のやるこっちゃねー。
おれぁー、アタマのトんだセレブのマネゴトしろなんて指示出してねーぞ」
「マーズ、僕は、君と対等なビジネスマンとして話をしているんだ」
「のぼせあがってんじゃねーぞヤクシャくずれがぁーっ!」
電気スタンドをつかんで、床目がけて投げつける。電球が割れて破片がカーペットの上
に飛び散った。
ギャラガーは一瞬身体を竦ませたものの、一歩も後退することなく真正面からマーズ
に向かい合っている。
「マーズ、君には本当に感謝しているんだ。
君に拾われるまで、僕はなにもかも中途半端な役者かぶれでしかなかった。
だからこそ、いつまでも君と一緒にいるわけにはいかない。
僕は人間なんだ。ひとりの男なんだ。
自分ひとりの力で勝負をしてみたいんだ。
そして、いつかビジネスの場で対決をしたい」
ギャラガーの後ろに控える連中の中に、女が一人混じっていた。髪が黒い。東洋人だ。
中国人、いやあの化粧の趣味は日本人だろう。成功を収めてきた人間に特有の、自信と
野心に満ちあふれた表情をしている。
そういうことか。マーズの頭を怒りが駆け上る。
「テキトーにいーことゆったよーなツラぁーしてんじゃねーよ!
ケッキョクのとこ、てめーはおれを捨てるんだ!
ガラクタのゆーこと聞くより、ぷるんぷるんした肉のほーを選ぶんだ、てめーは!」
「マーズ! それは違う!」
「なにも違わねーだろーがよ!」
「君にとって、僕はただの看板に過ぎなかったのかもしれない。
でも、僕は君に友情を感じていた」
「ユージョーだ? おれの知らねーコトバを使うんじゃねー!」
マーズは椅子からぴょんと飛び降りた。ガチャガチャと足音を立てながらドアに向かう。
「待ってくれマーズ、解任の手続きを」
「オキモノ相手になんの手続きするつもりだよっ!」
「退職金は」
「ジョーダンじゃねー、てめーのホドコシなんざーダレが受けるか!」
「君のコレクションは」
「くれてやらー!」
「いらないよ!」
「いらねーとかゆーな!」
「いったい、どこに行くつもりなんだ!?」
「てめーの知ったこっちゃねーだろーがよ!」
ドアを蹴破ったところで、後ろから肩をつかまれる。
「君が何者で、どんな人生を歩んできたのか、僕は結局なにも知らない。
でも、いつか君に行ってもらいたい場所があるんだ。
僕も噂でしか聞いたことがないけれど、
キョウスケ・ナンブやアラド・バランガ、前大戦の英雄たちが集まって暮らしている町がどこかにあるそうだ。
僕が憧れた英雄たちの姿を、君にも見て欲しいんだ」
「誰が行くかよ、ヒトゴロシのソークツなんざーっ!」
ギャラガーの手を振り払い、マーズは部屋から飛び出した。
◆
ビジネスパートナーなんてものを作るのは、もうまっぴらご免だった。
ミラノに渡ったマーズは、チーズと硝煙の臭いがする男たちを部下にするようになった。
彼らは、ある意味ではもっとも純粋に資本主義的な生き物だ。マーズが利益をもたらして
いる限り、裏切ることはない。指示以上の働きをしない代わりに、指示に外れるようなこ
とも決してない。
パスタを山盛りにした皿が載るテーブルの向こうに、小太りの男がひとりカーペットの
上に直に座っていた。そのまわりを、体格のいい黒服の男たちがずらりと取り囲んでいる。
「で、あんだって?」
海老のソテーのパルサミコソースあえを指でつまみ、口の中に放り込む。海老のぷり
ぷりした肉をくちゃくちゃと噛みながら、マーズは男を見下ろした。
「話が、違うじゃないかといってるんだ!」
「ハナシー?」
「そちらが従業員の雇用を保障してくれるというから、
私は祖父の代から受け継いだ会社の経営権をそちらに委譲したのだぞ!」
「まるでおれがリストラでもしたみてーにゆーじゃねーの」
「したじゃないか!」
「してねーし、だいたいあの会社、もーおれのじゃねーよ。
買ったフランス人が、社内でフランス後の使用義務づけよーが、
期間以内にフランス語マスターできなきゃークビにするなんていおーが、おれの知ったこっちゃねーもんね。
会社は、語学スクールの授業料くれー払ってくれたんだろー?」
「そんなもの、体のいい肩たたきじゃないか!」
「よくあるハナシじゃねーの。
あた~らし~い上司はフランス人♪ みてーな」
「ふざけんじゃねえぞ、このガラクタのバケモノめ!」
「おい」
激昂し立ち上がりかけた男を、黒服たちが両側からがっちりと捕まえる。
「お引き取り願いな」
「鬼! 悪魔! 人でなしぃっ!」
「ヒトじゃねーからな。血もナミダもねーんだよ」
ぱたんとドアが閉まる頃には、マーズはもう男に対する興味を失っていた。
ソファにひっくり返って、ニュースをダウンロードする。カテゴリ分けしてデータベ
ースに登録する作業の途中、ふと見覚えのある単語が引っかかった。
「どうしました?」
黒服のひとりが、体格に似合わない敬語を口にする。
「んにゃ、なーんでも。『レッドアース・キャピタル』って、なくなったのね」
「ああ、ひところノしていたバルチャービジネスの。
出る杭は打たれる、いい例でしょう」
『レッドアース・キャピタル』は、軍需企業を買収していることからテロ支援の容疑
をかけられ、株価ががっくりと下がっているところで巨大企業から買収を仕掛けられて、
あっけなく吸収されてしまった。
悔しさは感じなかった。どうせ、もう自分とは関係のない会社だ。
それよりもマーズの興味は、『レッドアース・キャピタル』を買収した側にあった。
おそらくこれは、ベアハッグ提案をかけたのだろう。
ベアハッグ提案とは、買収を仕掛ける企業の取締役会に対し、株式の取得条件を提示
して回答を求めることだ。条件が受け入れられなかった場合、容赦なく敵対的買収に
踏み切るぞという脅迫といっていい。まさに熊に抱きしめられて身動きが取れなくなるような
強引な手段だった。
『レッドアース・キャピタル』を買収した会社の名前は『イスルギ・フード』、代表者
の名は
ミツハル・イスルギといった。イスルギといえば、地球圏有数の軍需企業のひとつだ。
「あれー、イスルギに食品部門なんざーあったっけかー?」
「最近出来たそうです。
なんでも、現社長の隠し子だか私生児だかが留学から帰ってきたので、
社会勉強のために作られた部門だと、もっぱらの噂です」
「たっかい『科学と学習』だなー」
ギャラガーの後ろに控えていた日本人女性の顔を思い出す。工作は、あのときからすで
に始まっていたのかも知れない。
「あーあっ、つっまんねーの!」
マーズはアクビをして、ソファから降りた。
「どこへ?」
「出てく」
「は?」
「飽きた」
「なにをいっているんです」
「あのさ、ハゲタカとかバルチャーってゆーけど、
そんなトリ、地球上のどこにもソンザイしてねーって知ってっかい?」
「ああ、たしか、イヌワシの俗称だと」
「タカでもワシでもどっちでもいーんだけどさ。
どーせどっちもレッドデータアニマルだし。
でも、どーしてレッドデータアニマルが保護されてんのか、あんた知ってっかい」
「数が少なくて珍しいからでは?」
「それもあっけど、タカやワシってなぁー、生息する地域じゃー食物連鎖の頂点に位置してんだ。
王者を守るこたー、その場の生態系を守るってことなんだよ」
「はあ」
「でも、ビジネスの世界にいるハゲタカはどーよ。
潰れかけたゴミみてーな会社見っけて、食い漁ってクソして飛んでくだけのゴミ拾いじゃねーか。
絶滅したって、ダ~レも困んねーし悲しまねー」
「いったい、なにをいいたいんです?」
「な~んか、飽きちまったんだよ。
こーゆーさ、書類右から左に流して口座のゼロ増やすみてーなのは。
おれぁー、アキンドなんだ。
現金がスキだよ、紙幣のニオいがスキだよ、貨幣のチャリチャリ鳴んのが大スキだよ。
純金の電子配置が、夕日に映える不動産のシルエットが、だいスキなんだよ。
ペラペラの紙に落っこちたインクの染みってのが、急にツマンなくなっちまってよ」
「あなたとの契約期間は、あと1年半残っていますが」
「あーあー、違約金を払やぁーいーんだろ。
払う、払うよ。ついでに企業買収にも手ぇ出さねーってヤクソクしたらー」
「では、こちらにサインを」
「ビジネスライクだね」
「退職パーティーでも開きましょうか」
「いらね」
マーズはアクビをしながらマフィアとの縁を切った。
◆
三日ほど、動く気になれなかった。
安いモーテルの一室で、スプリングがギシギシ鳴るベッドの上にひっくり返って、
マーズは『聖闘士星矢』アスガルド編の最終回を眺めていた。
しばらくゴロゴロしているだけのカネはある。しかし、いつまでもそのままでいるわけ
にはいかない。
これからどこに行こうかなと、ぼんやりと考える。
宗教色の強い地域はダメだ。なにかする前に悪魔の遣い呼ばわりされて追い回される
のが目に見えている。しがらみもなくなったことだし、またアメリカにでも行こうか。
あの、イスルギ重工の私生児とやらにケンカを売りに行くのもいい。
ふっと、思い出す記憶があった。
どこかに、前大戦の英雄たちが集まって暮らしている町があるという。そこでは、なん
だかわからないけれど素晴らしいものが手に入るらしい。
誰から聞いた情報なのかは、思い出すことが出来なかった。
「なーにがエーユーだよ。ヒトゴロシが偉そーに。
利益を生み出すおれはハゲタカで、なんでヒトゴロシが尊敬されてんだ」
マーズは、軍人というものが嫌いだった。人間とは経済によって成り立つものであり、
軍人のごときは銃弾をばらまくだけの消費しかできない人種だと考えていた。いくら
英雄と呼ばれてはいても、人殺しはどこまで行っても人殺しでしかない。
「ヒマだし、ちっと行ってからかってみっかー。
ツマンなかったら、またすぐホカに行きゃーいーわけだし」
マーズはキャンディトイに付いてきたガムをクチャクチャ噛みながら立ち上がった。
その町の名前は、
OG町というらしい。
最終更新:2009年10月17日 12:47