虚乳戦記KURIHA


26代目スレ 2008/10/18(土)

 "眷属"たちがキチキチと牙を打ち鳴らして威嚇をしている。
 地中深くに住み、地熱を食らって生きる我々の巣穴に、その個体はなんの前触れもな
く現れた。
 全身青緑色で、肩に、腕に、脚に縞模様が刻まれていた。腕と脚は2本ずつ。胴体の中
央には、青色をした蛇のような顔が鎮座していた。獰猛な牙を備えた頭部は、地上に住む
という"トラ"に似ている。
「守れ! 卵を守れッ!」
 長老に指示されるまでもなかった。卵は我々種族の命そのものだ。なにに変えても守
り抜かなければならない。それに、あの中には私が半周期前に産んだ卵もあるのだ。
 勇者グゲが12本の蝕腕を振り上げて"トラ"に襲いかかる。
 その腕が、一本残らず弾き飛ばされた。
 鋭いかぎ爪が伸びた、五本の指を持つ手だった。"トラ"がその手をひと振りしたかと
思うと、濃緑色の汁が飛び散り、一滴一滴が"トラ"の頭部に似た形状になり、牙を剥い
てグゲの蝕腕を打ち散らしたのだ。
 眷属たちが色めき立って"トラ"に殺到する。
 だめだ! とっさに閃いた予感を、私は声に出すことができなかった。
 信じられない。土と闇を統べる我ら一族の誇る戦士たちが、次々と蹴散らされている。
 そんな馬鹿な。こんな馬鹿なことがあってはならない。
 私もまた、腹から生えた56個の拳を握り締めて"トラ"に挑みかかった。
 ごうっ、と"トラ"の口から強烈な突風が吹き付ける。
 動きを止められたところに、距離を一気に詰められる。"トラ"の手の中には2本の円筒
を鎖で繋いだ器物が現れていた。それが武器であることを、私はすぐに身をもって学ぶ
ことになった。
 全身をめった打ちにされる。私り誇りである56の拳がことごとく空中に散らされる。
 "トラ"の手の平から濃緑色の汁柱が立ち昇った。汁柱から現れたのは、1本の長得物だ
った。片端には反り返った巨大な刃物が光っている。
 ソニックブームすら起こす突撃が私を圧倒した。背中から壁にぶつかる。"トラ"の突
進はなおも止まらない。右の拳を振り上げる。その拳が、異様な変形を見せた。
 外周部に刃物を巻き付けた円錐形だった。ドリルだとでもいうのか。
 ドリルは私の腹に突き刺さると、高速で回転し始めた。円錐形から濃緑色の飛沫が飛
び散り私の全身に降りかかる。
 恐るべき突進力が、私の身体を土の中にめり込ませる。
 いったい、いかなる作用なのだろうか。私の身体はそのまま土の中に潜っていった。
 頭上から降り注ぐ大量の土砂が飛び散る汁とぶつかって、緑と黄金の中間色に輝き出す。

 汁と衝撃に腹をえぐられながら、私は不思議な安らぎを覚えていた。
 汁を一滴浴びるたびに、私の肌が潤っていく。強張った全身の筋肉と骨がほぐれ、退
化しかけていた視力までもがはっきりしていく。
 私はふたたび巣穴の中に転がり出ていた。
 "眷属"たちが、"乳母"たちが、悲鳴を上げながら逃げまどっている。
 "トラ"は2本の脚で地面を踏みしめ、ドリルの生えた拳を頭上に掲げていた。地上にあ
るという"雨"とは、このようなものなのだろうか。巣穴じゅうに青緑色の水滴が降り注
いだ。
「オリゴ糖値上昇!」
「レシチン増大!」
「ウオォォォォ、このイソフラボンは大豆5兆粒分にも匹敵する!」
 "乳母"たちが泣き喚いた。
 濃緑色の水滴が、"始まりの間"に安置されていた卵に降り注いだのだ。
 なぜだろう。なんの心配もないことを、私はどこかで知っていた。
 汁を浴びるなり卵がぼんやりと発光する。まだ孵化までには期間があるはずだ。にも
かかわらず、殻に亀裂が入る。ピィピィと鳴きながら、幼子たちが顔を出す。
 "トラ"が天井に向かってひと声吠えた。
「ゲットセット・汁虎王!」
 巣穴を震撼させるその声はまさしくクリハ・ミズハのものだった。
 私にはすでにわかっていた。
 あの個体の名は"汁虎王"という。かつて地上に健康ブームをもたらしたという汁機人
の一体だ。
 そして、汁機人を操っているのはクリハ・ミズハという地上に住む少女だった。
 いまや濃緑色の汁は巣穴じゅうを満たしていた。
 寄せては返す汁の波が、私とクリハとの境目を消してくれている。
 ああ、クリハ、わかるよ、いまならわかるとも。
 それは、地中深くにある。
 絶え間なく流れる、濃緑色の砂時計は確実に時を刻んでいた。
 この機械たちはなにゆえ、この地下深くで、何千年も正確に時を計っているのだろう。
 実は、この作業、ある手の人々が"汁"と呼ぶ健康飲料が覚醒する時を刻んでいるのだ。
「母さんは私にいった。汁には無限の健康効果があると。
 私は汁を私の身体の中に呑み込んだ。
 母さんのいったことが正しければ、私は血行がよくなるはずよ」
 クリハの呟きは、荘厳ですらあった。
「汁よ! あなたが私の栄養と効能が欲しければ、取りに来なさい!」
 クリハよ、お前はまだ、なにをやろうというのだ。

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最終更新:2009年10月17日 12:59
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