25代目スレ 2008/08/09(土)
■■■
自由業をやっていて困るのは、生活リズムが崩れることだ。
今朝も、目が覚めたのはお昼近くなってからだった。
しかも、自分で起きたわけじゃない。電話のベルがあんまりにも長く鳴り続けるからだ。
わたしはベッドから這い出すと、雑誌やカップラーメンの容器が散らばってる床の上か
ら受話器を掘り出した。
「はい、こちらバランガ探偵局」
■■■
指定されたコーヒーショップに行くと、マキネちゃんはもうスツールの上でフラッペの
ストローを咥えてた。
わたしを見つけると、にかっと笑って手をひらひらさせる。
「うぃーす、久しぶりぃ」
マキネちゃんは、濃紺色のパンツスーツ姿だった。就職活動中の女子大生みたいな格好
だけど、襟元では議員バッヂが光ってる。
「見たよ。こないだ、マキネちゃん映ってたよね」
「あ~、いつのだかわかんないけど、野次ってたでしょ、あたし」
「うん。もの凄い野次ってた」
「それが仕事だからねぇ。あたし、野次飛ばし要員のプロレス議員枠だから」
「またぁ、そんなこといって」
学校を出てからフラフラしていたマキネちゃんは、いまじゃ『ゾルダーク・チルドレン』
て呼ばれる若手議員のひとりだ。『孫なのにチルドレンて、意味わかんないよね』なんて
いって本人は笑ってる。
なんでも、お祖父さんを訪ねてくるおじさんたちと盛り上がってるうちに、じゃ立候補
してみようかっていう流れになったらしい。『ノリで街頭演説してたら、なんか当選しちゃ
ったんだよね。七光りってスゴいよ、やっぱ』なんて本人はいうけれど、これでけっこう
若者からの支持は高い。
「どうよ、探偵業は」
返事は、口より先にお腹がした。
マキネちゃんが大声で笑いながら、わたしの背中をばんばん叩く。
「悪いけど、奢ってはあげらんないよ。あたしもさ、血税でご飯食べてる身だからね」
探偵業の看板を揚げて2ヶ月。いまのところ、まともな依頼は1件もない。貯金でなん
とか食べ繋いでいるけれど、このままじゃ近いうちに限界がやってくる。
「そんなゼラドに、はい公共事業の申し込み」
胸もとでカサリという音がした。輪ゴムで巻かれた紙幣が数枚、胸ポケットにねじこ
まれてた。
「これ」
「メモは取んないで。出来るだけ記録に残したくない」
マキネちゃんが顔を寄せてくる。わずかに険のある目元は、ご両親よりもお祖父さんに
似てた。
ビジネス街の真ん中にあるコーヒーショップだ。まわりの席は商談や雑談中のサラリー
マンで埋め尽くされてる。誰ひとりとして、わたしたちに注意を向けていない。
「そいつは手付け金。必要経費プラス日給はあとで払う。領収書は上様でお願い」
「どうしたの?」
「こいつね」
また、胸もとでカサリと音がする。今度は写真のようだった。
「わたしの胸にいろいろ入れないでよ」
「いいじゃん、入るんだから」
「もう」
「その写真ね、あとで確認して。ここでは出さないで。
建設大臣のお孫さん。歳は、たしか二十歳そこらだったと思う。
あたしとおなじ、わっかりやすいダメ三世でさ」
「マキネちゃんはダメじゃないし、わかりやすくもないよ」
「それフォローになってんの?」
「このひとが、どうしたの?」
「自宅はこの町にあるんだけどね、もう一週間ばかし帰ってない」
「誘拐?」
「じゃ、ないと思う。いままでもちょいちょい家出騒ぎ起こしてる御仁だからね」
「そしたら、どういう」
「ちょっと、よくない噂があってさ、こういう」
マキネちゃんは腕に注射を打つ仕草をした。
「そりゃぁ、あたしら万年野党だし、与党にケンカ売ってご飯食べてるけどさ。
こういうスキャンダルは困るんだよねぇ。
こっちだって計画建てて野次飛ばしてるわけでさ、
急ごしらえで再編された内閣なんか、ぜったいろくでもないし」
「わかった。警察にはナイショなんだね」
「悪いね。汚れ仕事させちゃってさ」
「いいよ」
「じゃ、お願いね」
マキネちゃんはスツールから立ち上がった。
「行くよ、
ムラタ」
テーブルの下で雌伏してたムラタさんが、のそりと這い出してきた。
■■■
駅前交番の前では、制服姿のトウキくんが背筋をしゃんと伸ばして立っていた。
わたしを見ると、ぴしりと敬礼をする。
「はっ、これは、ゼラド警部殿!」
「警部じゃないよ、もう」
「あ、そっか、辞めたんだっけ」
わたしは、学校を卒業したあと警察に入った。そのままお巡りさんになるつもりだっ
たんだけど、警察学校に通っている間に妙なことになっちゃった。課題でレポートを書
いてたら、なぜか警察庁幹部たちの汚職を暴き出してしまったんだ。
その年、警察は異例の人事異動の嵐に襲われて、発生源であるわたしは大いにマーク
されることになった。
警察学校を卒業したわたしに与えられたのは、シンジュク署勤務の警部という辞令だ
った。栄転なんて呼べたものじゃない。警部っていうのは、会社でいえば課長か課長代
理クラスを務める階級なんだけど、わたしにそんな役職はなかった。単なるヒラ刑事だ。
つまり、ニホンエリアで一番忙しいシンジュク署で身体を壊すなりなんなりして、さっ
さと退職してくれっていうことだったんだと思う。せいぜい准キャリアだったわたしが
いきなり警部なんかになったのも、口止め料みたいなみたいなものだ。警部と巡査じゃ、
退職金の額がまったく違う。
「ま、しょうがねえよ。
シンジュク署って、殺人的に忙しいんだろ? 身体壊す前に辞めて正解だって」
「べつに、そういうわけじゃ」
「俺なんかはしがない町のお巡りさんだけどさ、ちょっといまは仕事辞めるわけにはいかないんだよな。
なにしろ、コレがコレもんでよ」
トウキくんは、半年くらい前に結婚した。お腹を撫でながら笑う顔は、心底幸せそうだった。
「三ヶ月目だっけ、いま」
「たまに、動くんだぜ」
「うぉーい、ゼラドじゃん。久しぶりぃ」
後ろからやって来たのはミナトくんだった。制服姿のトウキくんとはうって変わって、
アロハシャツにサンダル履きっていうラフな格好だった。
「おい、お前、まさかいま起きたんじゃないだろうな。
まったく、いい加減まともな職に就けよ」
「おいおい、なにひとを無職みたいにいってくれてんだよ。
ちゃんと働いてるよ。今日だって、午前4時まで原稿書いてたんだぜ?」
「あんなもん、お前、フリーターみたいなもんじゃないか」
「フリーターじゃねえよ、ライの2文字抜かすなよ。兄貴、ライさんに叱られるぞ」
「ライさんか。懐かしい名前だな」
「あぁ、いま、どこでなにをしてるやら、ライさん」
トウキくんとミナトくんは、急に遠くを眺め始めた。ライさんとなにがあったのかな。
「あ、そうだゼラド。俺、今度本出すんだよ、本。
ライムスターウタマロさんに帯書いてもらうんだぜ。マジ感激だぜ!」
「うん、おめでとう。よくわかんないけど、たぶんおめでとう」
「執筆の苦労ったらなかったぜ。
元『太陽とシスコムーン』をフルメンバーそろえてインタビューすんのに、
まさに東奔西走、聞くも涙語るも涙ってもんだよ」
「ミナト、その本、誰が読むんだ」
「な、なんならサイン本やろうか、サイン本。
何冊かやるから、警察キャリアとかに宣伝してくれよ。
そして新古書店に売り払うようなやつは逮捕してくれよ」
「悪いんだけど、わたしキャリアのひとに嫌われてたから」
「ミナト、はしゃぐのはわかるけど、あんまその本ばらまくな。
どうせ、知り合いがご祝儀代わりに買うくらいに決まってんだから」
「そんなことねえよ、売れるよ! バカ売れだよ!
全国の『太陽とシスコムーン』ファンが、買って買って買いあさって、
今年のベストセラー決定だよ!」
「全国に何人いるんだよ。いまだに『太陽とシスコムーン』のファンやってるやつ」
ミナトくんは、サブカル誌を中心に活躍するフリーライターだ。アイドルのコンサート
レポを書いたり、アイドルの新曲批評をしたり、アイドルの出生地に行って紀行文を書い
たり、なんだかいろいろやっている。相変わらずカノジョはいないけど、好きなことをや
ってるから楽しいみたいだ。
「で、なんか用か? 退職金でなんか奢ってくれんのか?」
「やっぱ警部って、退職金すげぇんだろ?」
「残ってないよ、退職金なんか」
「あ、そっか。ゼラドは、そうだよな」
わたしは写真を何枚か出して、トウキくんたちに見せた。大臣のお孫さんを捜してる
ってことは警察にナイショだから、関係ない写真も混ぜてある。
「そっか、探偵やってたんだっけ、いま」
「うん。ちょっと素行調査頼まれちゃって」
「そのひとたちなんだけど、どこかで見かけなかった?」
「あ、こいつ」
ひょいと、ミナトくんが写真を一枚取り上げた。大臣のお孫さんの写真だ。わたしは表
情が変わらないように注意した。
「駅前のパチンコ屋で並んでるの、見かけたことあるぜ?」
「あそこかぁ」
トウキくんが警帽を目深にかぶりなおした。
「テンション下がるぜ、あそこ行くと」
それで、どこのパチンコ屋なのか見当が付いた。
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警察時代に何回も出入りしたことがあるけれど、何度来ても好きになれない。
大音響のユーロビートと、タバコの煙と、玉が跳ねる音、そして無言の人々。パチンコ
屋はそういうものであふれかえってた。
真っ昼間から、このひとたちは普段なにをやって生活してるんだろう。そう思わせるよ
うなおじさんたちの中に、知ってる顔が混じってた。ねずみ色のスウェット上下という格
好で、伸ばしっぱなしの髪の毛はボサボサだった。濃い無精髭が、耳元からアゴにかけて
をびっしりと覆ってる。パチンコ台に向かう目は、悲しいくらい真剣だった。
「ゼフィア先輩、まだそんなことしてたんですか」
ゼフィア先輩は返事もしない。
「いまからでも遅くありませんよ。予備校通いましょうよ、大学受け直しましょうよ。
まだ取り戻せますよ、まだ」
「取り戻すものなど、なにもない」
「たくさんあると思いますよ、堅実な人生設計とか」
「いまの俺は、CR戦国乙女に賭けるのみ!」
「ゼフィアせんぱぁ~い!」
パチンコ台が電子音を止めた。当たり前のように、玉はまったく出ない。
「無念!」
高校時代から進路のことで悩んでたゼフィア先輩は、浪人に浪人を重ねて、いつのころ
からかパチンコ屋に入り浸るようになっていた。高校時代、昔風紀委員をやっていた面影
は完全に消えてしまってる。
こりずに紙幣を出そうとするゼフィア先輩の腕を、わたしははっしとつかんだ。
「止めるなバランガ。俺は、止まるわけにはいかんのだ」
「それはそれで止めるつもりなんですけど、あの、ちょっと別件で。
ゼフィア先輩、この店、よく来るんですよね?」
「毎日開店から来ている」
「そこまで通い詰めてくれてなくてもいいんですけど、あの、ここのお客さんで」
「その前に、こっちの話、聞いてもらおうか」
がしと、後ろから肩をつかまれた。
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店舗をひとつはさんだだけだっていうのに、パチンコ屋の裏は薄暗くて人通りがなかった。
「なんのイヤガラセのつもりか知らねぇが」
わたしとゼフィア先輩のまわりを、男のひとたちが5人、よたよたと歩き回ってる。サ
イズが大きめのシャツにハーフパンツっていう、どこにでもいそうな格好をしてたけど、
三角に吊り上げた目が素性を語ってた。
「困るんだよ、毎日毎日来られちゃぁ」
「てめぇみてぇなコワモテがいちゃ、一般のお客さまが怖がるだろぉ?」
「ちったぁ他人さまの迷惑を考えろよ」
「そちらこそ!」
なぶるような口調を投げてくる男たちに、ゼフィア先輩は一歩も退かない。
「毎日毎日あんなに設定を厳しくして、
いったい俺がどれだけこの店に通い詰めていると思っているのだ!」
「通うな、っつうとるんじゃ」
蹴りがゼフィア先輩をかすめて壁に当たった。
「そんなツラしてよ、ビビるとでも思ってんのか」
「いまどき、そんなヤクザみてぇなカッコしたヤクザがいると思ってんのか?」
「どこのVシネマニアだ、てめぇ」
なにしろ、最近は暴対法が厳しい。名刺を渡したら恐喝罪だとか、パンチパーマが3
つ並んでたら引っ張れるとか、都市伝説みたいなことが公然と行われてる。極端な話、
顔が怖くてヤクザっぽかったら、もうそれだけで逮捕できてしまう。
そんなだから、最近のヤクザはヤクザみたいな格好なんかしてない。けっこう、ファ
ンシーなアニマルプリントのトレーナーなんか着てることが多い。
「コワモテで騙せるのはシロウトさんだけだぜ?」
「うちらのシマじゃ通用しねえ」
せせら笑う男の人たちに対して、ゼフィア先輩の顔が次第次第に険しくなっていく。
まずい。いくら長すぎる浪人生活を送ってるっていっても、ゼフィア先輩は全国区の
剣道選手だ。チンピラたちなんか相手にならない。
でも、ここで騒ぎを起こさせるわけにはいかない。
「ヘイヘイヘーイ、どこのドイツだ、勝手なことゆってんのはよ」
突然、男の人にしては高めな声が横から割り込んできた。
「ドコがダレのシマだって、あー?」
コツコツと、杖をつく音が聞こえる。
「てめぇか」
「おれのナワバリだぞ。くだんねぇ騒ぎ起こしてんじゃねぇよ。
食っちまうぞ、てめぇら」
「すっこんでろ、ガキの出る幕じゃねぇ」
「おいおい、サミシーことゆうなよ。ご近所さんのよしみで、助けてやろうってのにさ」
「なんだ?」
「デコスケだよ、そこのお姉さん」
ポンポンと、男の子は指で輪っかを作っておでこに当てる。デコスケっていうのは、
警察官を指す隠語だ。
「シンジュクゼラド、うんにゃ、ホオジロザメだっけ?
ま、どっちでもいいや。知ってんだろ」
男の人たちが、さっと顔色を変えて去っていく。
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ビジネスロボの
マーズくんと会うのは、本当に久しぶりだった。なにしろ、地球の裏側
から宇宙までぴょんぴょんと移動する子だ。会わないとなると、本当に会う機会がない。
ずいぶん外見が変わっていた。背丈が伸びて、薄茶色の髪の毛をふさふさと揺らしてる。
赤いジャケットを羽織って、2本の脚を色落ちしたジーンズでくるんでいた。杖をついて
歩いてる以外は、16、7歳の男の子とまったく変わらない。
「マーズくん、怪我でもしてるの?」
「あ~、ちょっと待って」
前に事務所を構えてた雑居ビルより、少しだけ新しくて大きめのビルだった。
事務所に入ると、マーズくんはシャツの裾をまくり上げて腰のあたりにもぞもぞと手を
まわした。ばちんばちんと金具が外れるような音をさせたかと思うと、ぴょんとジャンプ
する。上半身だけで。
巨大食虫花に似た機械の上に着地すると、マーズくんはようやく人心地ついたというふ
うにソファにもたれかかった。脚が8本もあるものだから、ものすごくやりづらそうだ。
「増えてるね、脚」
「やー、やっぱね、イタズラに頭身上げるもんじゃねぇよ。
バランスが取りづれぇのなんのって。頑丈な2本脚はやっぱたけぇしさ。
そんで、おうちン中じゃもっぱらコレさ」
8本脚でわさわさと移動して、マーズくんはついさっきまで使ってた二本脚の下半身と
杖を丁寧に壁に立てかけた。どうやら、あれは「お出かけ用」らしい。
「聞いたよ、マッポやめて、いまは探偵さんなんだって?
そんなら、仲良くできると思うよ」
マーズくんのルーツがあるトレイラーっていうのは、もともとアンダーグラウンド寄り
の存在だ。そのせいなのかどうなのか、マーズくんは国家権力っていうものがあんまり好
きじゃないらしい。警察時代に会う機会がなかったのは、ひょっとしたら避けられてたの
かもしれない。
「なんなら、どうよ、お嫁に来る?」
「もう、なに、色気づいちゃって」
「ちょっとおっぱい触っていい?」
「だぁめ!」
わたしは大臣のお孫さんの写真をマーズくんに突き付けた。
「このひと、捜してるんだけど」
「んーっと、どっかで見たカオだね」
「ミナトくんは、パチンコ屋さんで見かけたっていってたけど」
「うんにゃ、肉眼で見た記憶じゃねぇな」
「肉眼ていうの? マーズくんの場合」
「細けぇこたぁ、いいじゃねぇの」
マーズくんは大きな目をくるくるとまわすと、突然んべっと口を開けた。喉の奥から光
が放たれて、ベージュ色の壁に映像が映し出される。相変わらず、ヘンな機能ばっかり付
けてるみたい。
「あー、こぇぁこぇぁ」
「お行儀悪いよ、口あけたまま喋ったら」
「あぇ、あぇ」
マーズくんが指差した先では、女の子がやけに神妙な顔をしてなにか喋ってた。高校時
代、演劇部に所属してたマリちゃんていう子だ。バックにはたくさんの通行人がいて、そ
の中に、ほんの2、3秒だ。大臣のお孫さんが混じってた。携帯電話を手の中でくるくると
まわしながら通り過ぎてく、それだけの登場だった。
これは、わたしも知ってる映像だった。演劇部の部長だったハザリアくんが撮った、イ
ンディーズ映画の一場面だ。
「ありがとう。お礼は今度また」
「ねぇ、ゼラドちゃん」
背中越しに声をかけられた。
「シンジュクでのこたぁ、だいたい聞いてるよ。
マッポは、ゼラドちゃんにずいぶんなことをしたじゃねぇの。
ま、それ自体はべつにいいし、しょうがねぇよ。
あれはあれで、秩序を守るためなんだからさ。
オマワリだってそのへんわかってっから、たいがい上手いことやってんじゃねぇの。
そうでしょ、ねぇ」
退職した警官が裕福な暮らしをしてるっていうケースは、けっこう多い。なにしろ警
察っていうのは再就職先が豊富だ。中には警備会社っていう名目でヤクザの顧問みたい
なことをするひともいる。
「コマはコマなりに組織を利用するもんなのさ。
ゼラドちゃんなんかは腫れ物扱いされてたっつぅんだから、けっこうワガママが通ったはずでしょ?
なのにさ、なんで探偵なんて儲からねぇことしてんの」
「たとえばさ、マーズくん」
わたしは考えながら口を開いた。
「宝くじにあたるかなにかして大金持ちになったら、お仕事やめられる?」
「そいつぁムリな相談だね。おれにとってアキナイは呼吸とおんなしだもん。
息しねぇで生きてくこたぁ、できねぇよ」
「そういうことなんだよ、たぶん」
「どーも、ダメだね、おれぁ、ミテクレばっかおっきくなって。
相変わらずニンゲンのいうこたぁチンプンカンプンだよ」
マーズくんは脚の関節をギシギシと鳴らす。
「でもね、ゼラドちゃん。あんま舐めた考えでこっち業界顔つっこむと、痛いメ遭うよ」
「シンジュクゼラドはね、舐めないんだよ。食べるのが仕事だから」
ひひひ、と楽しそうな笑い声が響いた。
「ゴメン、ゼラドちゃん。やっぱお嫁には来なくていいや」
「あはは、売れ残っちゃった」
もう一度お礼をいって、わたしはマーズくんの事務所をあとにした。
■■■
そろそろ陽が暮れる。
まだ開店準備中のバーの中だった。かすかに漂うアルコール臭に溶け込むような薄いラ
イトの下から、ビブラートの効いた歌声が流れてた。
「Shark 凍ったアスファルト踏みしめ お前 耳をすます
約束もなにもない 戦いの日々
いくつもの夜 数えてきた Shark」
歌い終わると、ユウカさんはわたしに向けて長い付けまつ毛をそっと伏せた。
「ハイ、珍しいのね」
「久しぶり」
出席日数不足で高校を留年なんかしてたユウカさんは、何年か前に大手の芸能事務所に
声をかけられて契約を交わした。そのままアーティストになるのかと思ってたら、なぜか
グラビア仕事ばっかりやらされてた。ファーストシングルより先にファースト写真集の発
売が決まった段になって、とうとう事務所の社長をぶん殴ってクビになっちゃった。いま
では、インディーズを中心に活動してて、たまにほかのアーティストさんに楽曲を提供し
たりしているそうだ。
「なんの用?」
「そのチェーン、ご飯食べるとき不便じゃない?」
「そんなクイズしに来たの?」
ユウカさんはホワイトパールに塗った唇を、細いチェーンで耳に繋げてた。メジャー時
代はピアス禁止で、タトゥー除去までされた反動なのかもしれない。なんだか、ものすご
いファッションになってる。耳たぶはピアスで埋まってるし、褐色の腕の上では蝶々やワ
シが飛びまわってた。
「なんかもう、オシャレとかじゃなくてサイバーパンクの登場人物みたいになってるよ?」
「あそう。明日はスチームパンクになってるかもね」
「一日で変わるのは、ちょっと難しそうな感じなんだけど」
「なに、ファッション批評にでも来たの?」
「あ、そうだっけ。ね、ハザリアくんて、いまどこにいるか知らない?」
「アー」
ユウカさんはあからさまに顔をしかめて、メッシュの入った髪を気怠げにかき上げた。
「うちでゴロゴロしてる」
■■■
瀟洒なマンションの一室だった。
ギターや楽譜が転がってるフローリングの上で、ハザリアくんはごろりと寝転がって
いた。なにが面白いのか、扇風機に向かって「あ~」と声を出し続けてる。
「ハイ」
ユウカさんはためらいもなくハザリアくんの脇腹を蹴飛ばした。
「いい加減出てってくんない? 迷惑なんだけど、ほんと迷惑なんだけど」
「ハザリアくん、なにしてるの」
「ノン、勘違いしないで。なにもしてないされてない。
尻は何度か触られたような気がするけど、そこはノーカウントでプリーズ」
「カウントしなきゃいけないんじゃないかなぁ、それは」
わたしたちの会話なんか聞こえてないふうに、ハザリアくんがむくりと起き上がった。
あたりをきょろきょろと見まわすと、大きくアクビをする。
「そろそろ晩飯の時間だ」
「アー、サンドイッチでも作るけど」
「チキンカツサンドがよい」
「ユウカさん、食べ物なんか与えるから、居着かれちゃうんだと思うよ?」
女優としてのキャリアを積みつつあるマリちゃんが、現在海外留学中だってことは知ってた。
一方、演劇部の部長だったハザリアくんはといえば、何年か前にインディーズ映画を
何本か発表したきり、ふっつりと音信不通になってた。また、映画の制作費用を稼ぎ出
すためにどこかで宝探しでもしてるのかと思ってたけど、こんなところでゴロゴロして
るのは完全に予想外だった。
「いいの? マリちゃんは」
「なにがだ」
ハザリアくんは盛大な舌打ちをした。
「あやつめ、なにかというと共有だなんだとわけのわからんことをいいおって!
あぁ、もう、知らん知らん! 俺はもう知らん!
そっちがそういう了見だというなら、俺だって好きにやるわ!」
「ふてくされるのは勝手だけどね、あたしを巻き込まないで」
ハザリアくんは返事もしないで、またごろりと寝転がった。
「ね、あんた、いまポリじゃなかったっけ。これ、タイホしてくんない?」
「う~ん。わたし、もう退職した身だから」
「オーライ、国家権力に頼ろうとしたあたしがバカだった」
「あ、でもね、こういう場合は生活安全課に」
「おいバランガ、貴様、なにか用があって来たのではないか? んん?」
ハザリアくんが話を逸らそうとしてるのは明らかだった。
「あ、うん。ハザリアくん、このひと知らない?」
「あんた、少し冷たくなったんじゃない?」
「ああ、知らん知らん」
一瞥しただけで興味をなくしたように、ハザリアくんは写真をぽいと床に捨てた。
「ハザリアくんが撮った映画にエキストラで出てたんだけど」
「エキストラのツラなど、いちいち覚えておらんからな」
「えっと、タイトルはたしか、『鮫肌ヒミカと桃尻イマシ』だったと思うんだけど」
「それなら、なおさら知らん。
あの映画はエキストラを集めるのに手間取ってな、
最終的にはエキストラ派遣会社を使ったのだ。俺は、届いた人間を使っただけだ」
ハザリアくんは床の上に投げてあったノートを引き寄せると、さらさらと書き付けてペ
ージを破った。
「住所が変わっとらんかどうかまでは、保障せんぞ」
「ありがと! じゃ、ハザリアくんもユウカさんも、たまには同窓会来てよね」
「ハ?」
「なんだそれは」
なんともいえない重苦しい空気が漂い始める。
「おい貴様、泣いてもよいのだぞ」
「レディーファーストとかしゃらくさいし。お先にどうぞ」
「俺は、わりとあられもない泣き方をするぞ」
「いっとくけど、あたし、わりと盛大にもらい泣きするからね」
「今度は! 今度は間違いなく案内状出すから!」
わたしはあわててマンションを飛び出した。
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ノートの切れ端に書かれてた住所は、もぬけの殻だった。
住所が間違ってた、引っ越した、最初からエキストラ派遣会社なんかなかった。そうい
うことじゃ、ないようだった。
ビジネス街の片隅にひっそりと建ってるビルの一室だった。鍵もかかっていないドアに
はプレートを剥がした跡が残ってた。築十年以上は経ってるリノリウムには、小さなへこみ
がぽつぽつと散らばってた。つい最近までデスクやオフィスラックが置かれてた証拠だ。
急な引っ越しにしては、ところどころに残っている大きな足音が物々しすぎる。
「動くな」
まったく気が付かなかった。後ろに誰かいる。撃鉄を起こす音。銃を持ってる。
「振り返るな。両手を上げて壁に付けろ」
「あれ?」
「え?」
聞き覚えのある声だな、と思った。
向こうもおなじみたいだった。あたふたと撃鉄を直しているのが聞こえる。
わたしはおそるおそる振り返った。
「やっぱり、ヴィレアムくんだ」
お隣に住んでた幼なじみの男の子だった。長かった髪を短く刈り込んで、真っ黒なスー
ツを着てる。
「そっか、帰ってきてたんだっけ。
えぇと、その、済まない。まさかゼラドだとは思わなくて」
長い脚をもじもじと動かしながら、ヴィレアムくんはこちらをまっすぐに見ようとしな
い。たったいま銃を向けてしまった後ろめたさだけじゃ、ないみたい。
「久しぶり、だよな」
「うん。ひさしぶり」
気まずい空気が降りてきた。ひょっとして、ヴィレアムくんは卒業式のあとにあったあ
のことを、まだ気にしてるのかもしれない。
「あっ、痛い痛い! なんだよ、蹴るなよ!
え、なに? 『モジモジすんなキモい』? キモいってお前。
『仕事なんだからやること果たせ』? わかってるよ」
ヴィレアムくんの後ろからげしげしと蹴りを入れてるのはレラちゃんだった。ちっちゃ
な身体に、ヴィレアムくんとおなじダークスーツを着込んでる。相変わらず小声だけど、
ヴィレアムくんにはいってることがわかるみたい。そういえば、ヴィレアムくんたちは高
校時代から妙に仲良しなところがあった。
「あっ、これは違うんだよ。レラはさ、ただの仕事仲間っていうか、
臨時のパートナーっていうか、地元だから今回たまたま組まされただけっていうか。
あっ、だから痛いって!
え? 『必死に否定するな。ほんとになにかあったみたいじゃないか。おぞましい』?
おぞましいってお前、ちょっと傷付くよ!」
「ヴィレアムくんたち、こんなとこでなにしてるの?」
「ゼラドは、どうしたんだ、こんなところに」
「このひとを捜してるんだけど」
大臣のお孫さんの写真を見るなり、ヴィレアムくんはさっと顔を引き締めた。
「彼は、ここにはいない」
「知ってるの?」
「すぐに帰るんだゼラド。ここにはなにもない」
「ヴィレアムくん」
あきらかに何かある様子のヴィレアムくんを、わたしはじっと見つめた。
レラちゃんが、横からちょいちょいとヴィレアムくんの裾を引っ張った。
ヴィレアムくんは困ったような顔をして、「うん、そうだな」と呟く。
「シンジュクゼラド、だっけ。活躍は聞いてるよ。
ここでヘンに隠したって、ゼラドは真実に辿り着いちゃうよな。
だから話すけど、俺たち、いま公安で働いてるんだ」
「あ、そうなんだ。ヴィレアムくん、就職してたんだね」
「うん、そうなんだ。就職できたんだよ。ちょっと1年くらい無職で、もうダメかと思ってたけど」
乾いた笑い方をするヴィレアムくんの横で、なぜかレラちゃんが胸を張っていた。就職
にあたって、レラちゃんがなにか便宜を図ったのかもしれない。
「この男には、スパイ容疑がかかってる」
ヴィレアムくんは大臣のお孫さんの写真を指差した。
「新ガルラ大帝国に留学してる間に取り込まれたらしい」
世間一般じゃスパイといったら鉄砲を手に国から国へ飛びまわってるっていうイメージ
があるけれど、本当はちょっと違う。たとえば大手商社のサラリーマンや研究員とか、最
先端情報を自然に知り得る立場のひとが、おカネやおクスリと引き替えに情報を流すよう
になってしまったひとがスパイって呼ばれてる。VIPの息子さんなんかが留学中に取り
込まれるってケースも多い。ひとりひとりが流す情報は大したことなくて、やってる側も、
ちょっとしたお小遣い稼ぎっていう感覚なのがほとんどだ。
吸い上げた情報をどう扱うか考えて決めるのがケースオフィサーといって、ヴィレアム
くんたちが所属してるっていう公安は、こっちに近い。
「このエキストラ派遣会社自体が、一種のスパイ組織だったんだよ。
ドラマや映画のはじっこに映って、ちょっとした身振り手振りをサインにして情報を流してたんだ」
ヴィレアムくんがいきなりわたしをホールドアップしたのは、スパイ組織の一員だと思
ったからなんだろう。
「この会社のひとたち、いまどこにいるの」
「うちで確保してる」
『保護』じゃなくて『確保』というところに、ヴィレアムくんがいる組織の性格がうかがえた。
警察の仕事が国民の平和を守ることなら、公安の仕事は国家そのものの平和を守ること
だ。似ているようで、けっこう違う。たとえば国家の安全のためなら、個人の生活なんか
知ったことじゃないっていう性格が、公安にはある。
「渡して」
「ゼラド」
ヴィレアムくんは苦しげな表情を浮かべた。
「それはできない」
「捕まえたひとたちをどうするの」
「危害は加えないよ。彼らだって、国民なんだ」
「でも、利用はするんでしょう。ニセの情報を流させて、混乱を起こすの?
それともオトリに使うの?」
「ミサイルや機動兵器を持ち出すよりはずっといい。そうだろ」
「使い終わったら、どうするの」
ヴィレアムくんが黙り込む。
「ゼラド、お互い、もう子供じゃないんだ」
「ズルいよ、そういう言い方」
「ゼラドには関係ないことなんだ」
「関係なくなんかない!」
思わず声を張り上げた。
「大臣のお孫さんも、ほかのひとたちも、この町に住んでたひとなんでしょう。
だったら、わたしが守るひとだよ!」
「ゼラド、お前」
ヴィレアムくんが目を大きくする。
「シンジュクはたしかに忙しかったけど、充実してたよ。
でも、なにかが違ってた。あそこはシンジュクであって、
OG町じゃなかったんだもん。
わたしはOG町に住んでるみんなを守るためにお巡りさんになったの。
だから、帰ってきたんだよ」
「うん」
腕組みをしてるレラちゃんの横で、ヴィレアムくんはだらりと両腕を垂らした。
「そうだよ、な。ゼラドは、そういうコだった。いまでも、そうなんだな」
少し長めの沈黙が訪れた。
「彼らは3丁目のマンションの2部屋に入れてある。
見張りは2人。交代は、深夜12時ごろってことになってる。
全員銃を持ってるけど、発砲はしてこないと思う。
俺たちの仕事、目立ったらおしまいだからな」
「ヴィレアムくん!」
なにかいいたげなレラちゃんの背中を押して、ヴィレアムくんは部屋から出て行こうとする。
「ゴメン、勝手なこといって」
「ゼラド、これだけはわかって欲しい。俺たちの仕事だって、国を守ってるんだ」
「うん、わかってる。わたしのしてることだって、決して正しいことじゃない」
「うまくいかないな、なかなか」
「うん」
「あのひとみたいには、できない」
ヴィレアムくんが持ってるものは、たぶんわたしとおなじだと思う。わたしたちの関
係っていうのは、幼なじみっていうより双子に近いのかもしれない。
「ほんと、ゴメン」
「あの、さ、今度、飲まないか。仕事とか、昔のこととか、関係なく、さ」
「うん。連絡は、バランガ探偵局まで」
何年かの間で変わってた携帯電話の番号を教え合って、わたしたちはまた別々の方向に
歩き始めた。
■■■
終電の時間が近いっていうのに、OG町はひとで溢れてた。
ひとの群れという海の中を、わたしはゆっくりと泳ぐ。
この町にはなんだってそろってる。男の人も女の人も食べ物も飲み物も、ネオンサイン
も、うるささも静けさも、叫び声も泣き声も、嬉しいことも悲しいことも、幸せなことも
不幸せなことも、いいことも悪いことも。おおよそ、ないものっていうものを見つけるこ
とができない。
あのひとが守ったこの町だ。
いまは、わたしが守る。
シンジュクゼラドっていう呼び方はあんまり好きじゃない。
わたしはOG町の
ゼラド・バランガだから。
最終更新:2009年10月17日 13:01