27代目スレ 2008/12/24(水)
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クリスマスシーズンの夜だった。
ブロック塀の向こうに建ち並ぶ文化住宅からは、ぽつぽつと明かりが消え始めている。
いまごろ、あの家の中ではニンゲンの子供たちがサンタクロースのプレゼントに想いを
馳せながらふかふかの布団に包まれているに違いない。
そういうことを考えると、眼球ユニットの奥がツンと痛む。
よせ。
マーズは自分に言い聞かせた。
父親のところを飛び出してきたのは自分自身の選択だ。
泣き言をいえる筋合いなんかない。
「ごーごーキャレットストリングス!」
両手首から伸びたベルトはしかし、あっさりと打ち払われる。
「ごーごーキャレットネット!」
4本ある脚の1本がぴんと伸びる。先端に穴があいて、投網が勢いよく飛び出した。
マーズはロボットだ。『ロボット三原則』の制約によって、ニンゲンに危害を与える
ことができない。そのマーズが攻撃をしている。
つまり相手はニンゲンではないということだ。
投網の下で人影がもぞもぞと動く。その右腕が、ぼこりと異様に膨れ上がった。紺色
をしたジャケットの袖が散り散りになって落ちる。あっという間に人体としてのバラン
スを欠くほどに巨大化したその腕には、鈍く光る4本のカギヅメが生えていた。
「ロボなのかニンゲンなのかもわかんねーハンパモンがよぉーっ!」
わずかなシンパシーを抱きながら、マーズは怒鳴った。
カギヅメが音を立てて網を引き裂く。
夜目にも鮮やかな赤毛を揺らしながら、
フィオル・グレーデンが立ち上がった。
「4人の想いが、4人分の肉体と2体の機動兵器を融合させた。
俺は、4人の願いの結晶だ」
「そーかいそーかい、おれぁーおやじがバンシャクしながら組み立てたんだってよー!」
「そうか」
フィオルの姿がブレた。猛烈な勢いで踏み込んでくる。
マーズの眼前で、四本のカギヅメがぐわと展開した。
マーズは、逃げようとした。下半身が重い。間に合わない。カギヅメにがっちりと上半
身をつかまれる。成人男性2人分以上の重さがある身体が、ふわりと浮き上がった。持っ
て行かれる。抵抗できない。背中からブロック塀に叩きつけられる。
肺から空気が絞り出される。
合成カルシウム製の肋骨が軋み、ブロック塀の破片がぱらぱらと落ちた。
フィオルの眼差しはどこまでも真摯だった。まるで、重大な使命でも帯びているかの
ような顔つきだ。気に食わない。
「この近くに、修理工場はあるか」
「さー、知らねーな」
「思い出しておけ。いったん、君の脚をもぐ」
「いひひひひ! なーんだそりゃー、オドシかけてるつもりかよぉー!
甘く見てくれたもんじゃねーの。
脚がなくなりゃーな、這いずってくに決まってんだろーがよぉーっ!」
「よせ。生体部分の腕までちぎりたくはない」
「きゃはははははっ!
よぉーキョーダイ、エンリョはいらねーよ。クビでも刎ねに来いよぉーっ!
アタマひとつで転がってったらぁーっ!」
「やめるんだ! 命を賭けるほどのことでもないだろう!」
「ハンカツーなこといってんじゃねーぞドサンピンがぁーっ!
こちとらアキナイにイノチ張ってんだぁーっ!」
ぎゅうと、マーズは懐に入れた荷物を握りしめた。
「『聖闘士星矢ロストキャンパス』のOVA!
このマスターデータを、トムス・エンタテイメントさんに届けるったら、届けんだよぉーっ!」
「自分がしようとしていることがわかっているのか!
再び聖闘士星矢ブームなどが来れば、まだ半ズボンをはいているような男子小学生が、
全国のブックオフ等で『メイドイン星矢』を立ち読みしてしまう!
かつて起こった数々の悲劇を再現したいのか、君は!」
「べらぼーめ!
そんなこたぁー、おれやあんたみてーなハンパモンが心配するこっちゃねーだろーがよ!
全国のブックオフ等で『メイドイン星矢』を立ち読みしちまった
男子ショーガクセーがなんかに目覚めちまう!
ニンゲンてなぁー、そーゆーもんだろーがよぉーっ!」
「好きこのんで『メイドイン星矢』に目覚めさせる必要はない!」
「そんならキョーコー突破だこんにゃろーっ!」
戦闘向けではないマーズが、まともにやって勝ち目などあるはずがない。全身に仕込ん
である数々の秘密道具も、面白半分に付けてあるだけで実用性など皆無に近い。
マーズの武器は口先だ。挑発して、無理矢理隙を作り出すしかない。
「戦闘用がなんぼのもんだってーの、べらぼーめ!」
フィオルの眉毛がわずかに吊り上がる。
「間違えるな。エクサランスはレスキュー用だ」
「きひひひひ! ブッソーなレスキュー用具もあったもんじゃねーの、なぁーっ!?」
マーズの上半身に、カギヅメがぎちりと食い込んだ。
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マーズの頭上を、激しい銃声が通過していった。
遠くに瞬く繁華街のネオンサインをバックに、マズルフラッシュの凶暴な光が飛び散っている。
民家の屋根の上を、恐ろしいスピードで駆ける二人の女性がいた。
イングレッタ・バディム、そして
ユウカ・ジェグナンだった。
いったいなにをしている途中だったのか、イングレッタは背中がざっくりと開いた黒い
ドレス姿だった。首からは濃紺のストールをぶら下げている。針金を思わせる細い腕の先
では、2丁のデザートイーグルが銃口から白い硝煙を立ち昇らせていた。
一方のユウカは、元からそういうデザインなのか、ここに来るまでにそうなったのか、
ボロボロに破けたワインレッドのドレスを着ていた。剥き出しの肩にも太腿にも、赤黒い
アザが無数に浮き上がっている。だらりとぶら下げた手にはマテバオートリボルバーを握
りしめていた。
「時間に干渉するのはやめなさい。
この世界は『メイドイン星矢』を受け入れられるようにできているのよ。
むしろ、『メイドイン星矢』を待ち望んでいるといってもいい」
イングレッタが冷え冷えとした声で告げる。
「リアルな話、あたしは男子小学生が半ズボン突っ張らせようが突き破ろうが知ったことじゃないの。
ただね」
ユウカはすでに肩で息をしていた。両の瞳だけが闘志にたぎっている。
「彼のロードを邪魔なんかさせない」
ユウカが動く。バックブロー気味にマテバの銃把をイングレッタに叩きつけようとする。
イングレッタがするりと身を沈める。マテバが空を切った。
ユウカはすでに次の動作を開始していた。月明かりを褐色に照らし返す脚を振り上げる。
回し蹴り。吸い込まれるようにイングレッタの側頭部に襲いかかる。
イングレッタの対応は速かった。片腕をスッと上げる。ブロック、どころのものではない。
強烈な肘打ちだった。打ち落とした脚を捕らえ、すくい上げる。姿勢を崩したところに、突
き飛ばすような前蹴りを入れる。
屋根から転げ落ちるユウカを追って、イングレッタが跳んだ。しなやかな脚を空中で鋭
角に折りたたむ。情けも容赦もない。尖った両膝をユウカの胴体に突き立てた。
ユウカは、悲鳴もない。身体をくの字に曲げて悶絶するだけだ。
「ユウカぁっ!」
マーズを投げ捨て、フィオルが叫ぶ。
イングレッタは顔色ひとつ変えない。立ち上がると同時にベルトからマガジンを抜き出
し、淀みない動作でデザートイーグルに差し込む。スライドを弾いて初弾を装填すると、
間を置かず引き金を引いた。
立て続けに3発、大口径を胴体に食らいながらもフィオルは低く呻いただけだった。
フィオルの身体がメキメキと軋みながら巨大化していく。ジャケットが破れ落ち、道路
いっぱいを埋め尽くす巨大な足に踏み潰された。オレンジ色に染まった皮膚の下で筋肉が
急激に発達し始め、鉛色の物体を押し出した。チリンチリンと風鈴のような音さえさせて、
カリフラワー状に変形した銃弾がアスファルトの上に転がり落ちる。
「
アストラナガンを呼べ」
フィオルの口から、真っ白な蒸気が大量に吐き出される。
「さもないと、生身のまま引き裂くことになるぞ!」
赤毛がざわざわと荒れくるう。額がめりめりと盛り上がり、皮膚を突き破って巨大な
一本角が現れた。全身の皮膚はすでに外骨格と化し、金属のような光沢を放っていた。
イングレッタはひと言も発しない。その瞳に、細く鋭い針のような光が宿る。
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「うろたえるんじゃありません子供たち!!」
張り詰めた空気を打ち砕くような一喝だった。
「うぅっ!」
ユウカが倒れたまま小さく呻いた。
「あなたは」
イングレッタがデザートイーグルを両手に構える。
「この、とてつもなくスケールのでけーコスモはぁーっ!」
マーズの全身に震えが走った。
「誰だっ!」
「フッ、わたしよ」
フィオルが声を飛ばした先に、忽然とひとりの女性が現れていた。豊かな黒髪が背中
の上で波打っている。東洋の仏像にも似た微笑みを浮かべる唇の横にはホクロがひとつ
ある。長いまつ毛を生やした目は、ふたつとも静かに閉じられてた。
「シホミおばちゃーん!」
「やっピー、そ~れ、ふぁいと」
シホミ・アーディガン、ヴァルストークファミリーの長女、もっともタカの目に近い女、
マーズにとっては『おやじのアネは我が師もドーゼン』という存在だった。
マーズは事態の大きさを知った。
シホミ・アーディガンはすでにアーディガンファミリーを出て嫁に行った身だ。白銀聖
闘士孔雀座パーヴォのシヴァと結婚したといっているけれど、おそらくデタラメだ。なん
の意味があるのか常にガンジス川流域に座して動かなかったシホミおばちゃんがここまで
出張ってくるなんて、タダゴトじゃない。
凜として立つその姿には、あの、ヘラクレス猛襲拳の使い手でありながらヘラクレス座
の聖闘士ではなかったドクラテスにも匹敵する風格があった。
「この子を通してやってくれないかしら、フィオル・グレーデン。
『メイドイン星矢』がふたたび全国のブックオフ等に並ぶ未来を、
あなたに潰す権利はないのよ」
フィオルは、言葉を発しなかった。
モアイに似た顔から蒸気と唸り声とが迸る。
地面が揺れる。
アスファルトの破片をまき散らしながらオレンジ色の巨体が動く。
巨大なカギヅメがシホミおばちゃんの頭上に降り注いだ。
シホミおばちゃんはするりと身体を翻す。たったそれだけでカギヅメの一撃を避けてし
まう。ボリュームのある胸のすれすれを通ってカギヅメがアスファルトに激突した。
「そう」
シホミおばちゃんの微笑みは、もはや神仏が行う拈華微笑の域にまで達しつつあった。
たおやかな指が、湯気を上げる外骨格の表面をそっと撫でる。
「あなたも多少は地獄の底を見てきた少年。
そんな相手に優しく言って聞かそうなんて、むしろ侮辱だったようね。
あなたにはそれなりの対応を行います」
「うぅーっ!?」
マーズの全センサーが異常を告げていた。
この眼球ユニットは、真実しか映し出さないはずだ。なら、この、辺り一面に浮かび
上がる曼荼羅のような魔法陣のような極彩色の模様は、いったいどう説明すればいいのだろう。
「オカルトチックなバックボーンがあるわけじゃないのに
何故か現れるこの魔法陣はいわば宇宙の真理、完璧にさだめられた不条理の世界。
このエクサノヴァにかかった以上、あなたにわたしを攻撃することは不可能。
そしてまた逃げることも不可能。
いわば攻防一体の戦陣といえるのよ」
「う、うぅ・・・・・・、シホミおばちゃんの目が、目がぁ~・・・・・・!」
マーズの中に埋め込まれているカズマ・アーディガンのライフデータが激しく震え始める。
「このシホミ・アーディガン」
「シホミおばちゃんの目がぁーっ!」
「一命を賭してあなたにお説教をします!」
カッ、とシホミおばちゃんの双眸が大きく見開かれる。
ヴァルストークファミリーにおいて、シホミおばちゃんの目について語るのは絶対の
タブーだった。
常に瞑目している、ひょっとしたら開いているのかも知れないけれどだいたい閉じて
いるように見えるシホミおばちゃんが、目を開く。そのとき、食卓の上からはいっさい
のマヨネーズ臭が消え去るといわれている。
マーズは、シホミおばちゃんが目を開いている姿を見るのは初めてだった。
なにが起こるのか想像も付かない。
「プロトンドライブ・フルチャージ!」
シホミがどこからか取り出した数珠を振り上げる。
「フォーカス!」
辺り一面を眩いばかりの白光が包み込む。
一瞬ののち、微動だもしないまま同じ場所に立ち尽くすフィオルの姿が現れる。オレ
ンジ色をした外骨格には傷ひとつ付いていない。
マーズには白光の正体がわかっていた。超長距離、おそらくは衛生軌道上から放たれた
プロトンキャノンだ。大気によって拡散し、威力などはほとんどない。しかし、全員の足
を止めるには十分だった。
「フィオル・グレーデン!」
フィオルは、ぴくりとも動かない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。
「女の子を放っておいてケンカに夢中なんて、マンモス愚かな男!」
Pi、Piと、シホミの指が不思議な音を出す。
「そんなことで時間を守ろうだなんて、笑止千万、片腹痛いわ!」
「む、むぅ~!」
フィオルの身体がしゅるしゅるとしぼんでいく。ふたたび少年の姿を取り戻したその
顔では、驚愕と焦燥、そして自己嫌悪といった複数の感情がない交ぜになっていた。
「花は咲き、そして散る。星は輝き、いつか消える。
この地球も太陽も銀河系も、そして大いなる大宇宙もいつかは死する時が来るのよ。
人間の一生なんて、それらに比べれば瞬きほどのわずかなもの。
そのわずかなひとときにひとは生まれ、
誰かを愛し、誰かを憎み、笑い、涙し、戦い、傷付き、喜び、悲しむ」
「ユウカ!」
滔滔と語るシホミおばちゃんの前を素通りして、フィオルがユウカに駆け寄っていく。
ユウカを助け起こすその腕は、すでに光の粒子に包まれ輪郭がぼやけ始めていた。
「済まない、済まない! 俺は、また間違えていた!」
「いいのよ、あんたはしたいことすれば」
「消耗してしまった。また、じきに消えてしまう」
「そう、じゃ、キスはお預けね」
「済まない。俺は、まだ幸せになるわけにはいかない」
「ねえ、クリスマスなのよ」
「え」
「ちょうだいよ、プレゼント」
「でも、俺はなにも」
フィオルの言葉が途切れる。
ユウカがフィオルの背中に手をまわし、胸板に顔を埋めていた。
「あんたの、ね、胸板が好きなの。この香りをあたしの中に置いてって」
「あ、あぁ」
フィオルの両腕が手持ちぶさたな風に宙を泳ぐ。
「抱きしめてっていってんの」
「済まない」
「もっと、タイトに」
「きっと、満足な身体で戻ってくるから」
「バーカ」
ユウカの声は、マーズのボキャブラリーにない種類の湿り気を帯びていた。
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「見ちゃいらんねーや」
ぼそと呟いて、マーズはふたりに背中を向けた。
イングレッタがどこかつまらなそうな顔をしてアスファルトの上に座り込んでいるのが見える。
「お手数をかけちゃったわね、タイムダイバーのお嬢ちゃん」
シホミおばちゃんに声をかけられて、イングレッタはなぜか拗ねたような顔をする。
「べつに。わたしは、『メイドイン星矢』を守る使命を帯びていただけよ」
「大丈夫かしら、マーズちゃん」
シホミおばちゃんが身をかがませて、ぽんとマーズの胸元を人差し指で突いた。
「血止めの急所真央点を突いたわ」
「あんがとー。特に流血はしてねーけども」
「じゃあ、行きましょうか」
きゅうと、シホミおばちゃんに手を握られる。
「全国のブックオフ等で、まだ半ズボンをはいているような男子小学生が
『メイドイン星矢』を立ち読みしてしまってなにかに目覚める、そんな未来のために」
本当のところを言うと、『メイドイン星矢』を立ち読みした男子小学生が半ズボンの中
でなにかに目覚める未来が幸せなものなのかどうか、マーズには判断できない。
でも、シホミおばちゃんはこんなにもニコニコしているんだから、きっと幸せな時間に
違いない。
フィオルの姿はすでにほとんど消え失せ、夜の空気に滲むような淡い光が漂っているだけだった。
儚い輝きに照らされて、泣いているような微笑んでいるような顔をしているユウカを、
マーズはキレイだと思った。
『聖闘士星矢ロストキャンパス』のOVAがリリースされたら、『メイドイン星矢』
が全国のブックオフに並ぶようになったら、あんなにキレイなものが世界中に生まれる
に違いない。男子小学生の半ズボンの奥には、ああいうキレイなものがたくさん眠って
いるに違いない。
そんなことを考えながら、マーズはシホミおばちゃんと手を繋いで歩き始めた。
最終更新:2009年10月17日 13:53